2018年5月24日 (木)

JR播州赤穂駅と赤穂城 - 兵庫県赤穂市

 

  赤穂と言えば、江戸時代の「元禄赤穂事件」(「忠臣蔵」が一般には馴染みがある)を思い起こします。

浅野氏が赤穂藩藩主として入封したのは正保2年(1645年)の事。

浅野氏は長政の時、秀吉と最も近い姻戚として重用され、秀吉の死後は家康に接近しました。

そして、その子の幸長は関ヶ原の戦いでの功により紀伊和歌山37万6千石を与えられ初代和歌山藩藩主となります。

慶長18年(1613年)に幸長が死去すると、次弟の長晟(ながあきら)が継ぎ、安芸に移封され42万石で広島藩藩主となります。

 

  これが浅野宗家で、浅野長政の隠居領であった常陸真壁5万石を継いだのが三男の長重。

そして、その子の浅野長直が赤穂に入ったのが前述の正保2年(1645年)でした。

現在まで残る赤穂城の縄張りはこの長直の時代のもの。

そして元禄14年(1701年)に殿中で刃傷沙汰(にんじょうざた)を起こしたのが長直の孫の長矩(ながのり)で、長矩は切腹、赤穂浅野家は断絶しました。

その後、赤穂藩は永野家1代、森家12代で明治に至ります。

 

  播州赤穂駅。

  2面3線のホーム。

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  播州赤穂駅。

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  三の丸大手門と隅櫓。

  昭和30年(1955年)の再建。

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  大石邸長屋門。

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  三の丸にある大石神社。

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  創建は明治33年(1900年)。

  主祭神は大石内蔵助良雄以下四十七士命、萱野三平、浅野家三代、森家七将。

 

  森家七将とは森可成、森可隆、森長可、森成利(蘭丸として知られる)、森長隆、森長氏、森忠政。

  可成は信長に仕えた有力武将で、可隆以下忠政までは可成の子の六人兄弟。

  六男の忠政以外は父の可成を含め何れも戦死しましたが、末弟の忠政は関ヶ原の戦いで東軍につき、美作一国津山藩18万6500石の太守として残りました。

  その子孫が2万石で赤穂藩藩主となり明治まで存続したものです。

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  本丸にある天守台。

  天守閣は造営されませんでした。

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  播州赤穂駅にて。

  姫路行き普通223系と到着したばかりの115系電車。

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  撮影 2010/08/21

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2018年5月22日 (火)

JR赤穂線西片上駅(にしかたかみえき)と真光寺(しんこうじ) - 岡山県備前市

 

  岡山から西大寺を経て赤穂に向かう途中、真光寺の三重塔を目的に西片上駅で途中下車しました。

駅から国道2号線を西へ徒歩5分ぐらいの距離に真光寺があります。

 

  真光寺は高野山真言宗の寺院で本尊は阿弥陀如来。

本堂、三重塔が重要文化財に指定されています。

 

  また、西片上駅は備前市役所の最寄りの駅。

 

  西片上駅は昭和38年(1963年)に新設された駅でホームが一つしかありません。

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  駅舎の前は国道2号線。

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  真光寺本堂。

  寺伝では応永年間(1394年~1428年)に再建されたとあるそうです。

  重要文化財。

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  三重塔。

  室町時代中期の建築。

  瀬戸内市牛窓町の蓮華頂寺にあったものを慶長18年(1613年)に移築。

  重要文化財。

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  国道、線路を挟んで本堂、三重塔が北側にあるのに対して南側にある仁王門。

  正徳元年(1711年)の建築。市文化財。

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  西片上駅の岡山行き普通115系。

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  さらに東の赤穂へ向かいました。

  奥に仁王門が望めます。

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  撮影 2010/08/21

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2018年5月20日 (日)

西大寺駅と裸祭の西大寺 - 岡山県岡山市東区西大寺

 

  JR赤穂線の西大寺駅は岡山駅から普通電車で17分ほど。

さらに駅から南へ歩くこと10分少々の場所に 裸祭(会陽(えよう))で有名な西大寺があります。

宝木(しんぎ)を男衆が奪い合う様は勇壮で天下の奇祭とされています。

この西大寺を訪れたのは境内にある三重塔が目当てでした。

 

  西大寺駅。

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  駅前通りを南に歩き、途中で左に入ります。

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  仁王門。

  元文5年(1740年)の再建。

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  三重塔は延宝6年(1675年)の再建。

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  本堂は文久3年(1863年)の再建。

  いずれの建築物も国の指定はありません。

  手前には裸祭を見学するための観覧席が備わっています。

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  播州赤穂行き普通115系電車の到着。

  ここから赤穂方面に向かいました。

  この辺り、長船駅までは1時間に2本の運行。

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  撮影 2010/08/21

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2018年5月18日 (金)

JR湖西線 大津京駅 - 滋賀県大津市

 

  JR湖西線の駅である大津京駅の以前の駅名は西大津駅でした。

これを「大津京駅」に改称しようと地元の運動が平成11年(1999年)から始まり、その結果、運動が実り晴れて「大津京駅」と改称されたのが平成20年(2008年)3月15日のこと。

すぐ近くに京阪電鉄石山坂本線の京阪大津京駅(旧皇子山駅)があり、乗り換えが可能です。

 

  大津京駅にて。

  京都行き普通117系。

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  大津京駅駅前。

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  高架に沿って南西へすぐ、京阪石山坂本線の京阪大津京駅があります。

  大津京駅方向を振り返って。

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  京阪大津京駅(旧皇子山駅時代)。

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  京阪大津京駅(旧皇子山駅時代)にて。

  改称されたのは今年(平成30年(2018年)3月17日)。

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  撮影 2012/06/14

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2018年5月16日 (水)

忠節橋からの岐阜城 - 岐阜県岐阜市

 

  難攻不落の岐阜城と書きたいのですが、実際には占拠、開城などを含めて六度も落城しているようです。

 

  最初は永禄7年(1564年)竹中半兵衛、安藤守就が謀って占拠した事件。

半年間ほど占拠して、城主の斎藤龍興に返還しました。

 

  二度めは織田信長による攻撃で落城した永禄10年(1567年)の戦い。
これにより岐阜城は織田信長の本拠となりました。

 

  三度目は天正9年(1582年)の本能寺の変で城主の織田信忠が討ち死にしたため斎藤利堯が占拠しました。
落城の範疇に入れるかどうかは微妙ですが広義の意味で落城と言えるのかもしれません。

 

  四度目は天正9年(1582年)、清洲会議の後、秀吉が岐阜城を囲み、城主の織田信孝から信忠の嫡子三法師(のちの秀信)や信孝の母親と子供を奪っていった事件。

 

  五度目は天正10年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでの岐阜城攻防戦。
城主織田信孝は開城し、知多半島の野間で切腹。

 

  六度目は慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの前哨戦で西軍に与した城主織田秀信(信長の嫡孫)が激しく抵抗するも落城。
秀信は降伏し高野山に送られました。

         (出典参考 岐阜城は、6回落城している)

 

  忠節橋からの岐阜城。

  関ヶ原の戦い後に岐阜城は廃城となり、江戸時代に天守などは存在しませんでした。

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  明治43年(1910年)に早くも復興天守が築造されましたが、この天守は昭和18年(1943年)に失火により焼失。

  現在の天守は昭和31年(1956年)に鉄筋コンクリートで復興されたもの。

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  忠節橋。南から。

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  再興されてからでもすでに60年以上。

  すっかり風景に馴染んでしまっています。

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  撮影 2011/03/23

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