2012年5月24日 (木)

緒川(おがわ)城跡(愛知県東浦町)を訪ねる(4) - 乾坤院(けんこんいん)と水野氏墓地

 

  最後に水野氏とゆかりのある乾坤院(けんこんいん)を訪れました。

ちょっと古い町には必ず古刹、名刹があるのは、地方を探訪する上での楽しみです。

大抵、訪れてみて、おっと思うのが常です。

乾坤院は「室町時代中期の文明7年(1475)に緒川城の守護を目的に初代城主 水野貞守公の寄進によって、川僧慧済が開山した(乾坤院ホームページより)」お寺で、代々水野家の菩提寺でした。

水野家の4代の墓があります。

徒歩では緒川駅から15分から20分。

 

  県道24号線に面した乾坤院。

  於大公園の南入口の西にあります。駐車場があります。

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  総門。

  緒川新城の城門で緒川城の唯一の遺構。

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  向こうに見えるのが山門。

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  山門。

  HPでは創建当時は茅葺であったと書かれています。

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  隣りに鐘楼があります。

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  本堂と左に座禅堂の示玄堂。

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  本堂と示玄堂の間を奥に進むと堅雄堂への階段があります。

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  建立した岡崎藩主だった水野忠善の家系には「天保の改革」を行った水野忠邦(ただくに)がいます。

  忠邦の時には唐津藩から浜松藩の藩主でした。

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  堅雄堂。

  この左手に水野忠政の墓があります。

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  水野忠政の墓。

  水野忠政は徳川家康の実母である於大の方の父親で、本拠を緒川城から刈谷城に移して三河に進出しました。

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  右から水野忠守、忠元、忠善の三代の墓。

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  三代の後ろにあるお墓は右から忠善の娘の実相院、

  水野忠善岡崎城主時代の家老職にあった水野三郎右衛門信英の墓、

  一番手前が忠守の子の水野守信の墓。

  水野守信は松平忠吉に仕え、子孫は代々尾張藩の家臣でした。

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  乾坤院を後にして、於大公園を突っ切るようにして、近道をして役場の裏手にある公園の東入口に戻ります。

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  細い路地を東に下り歩きます。

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  地蔵禅院。

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  地蔵禅院のすぐ東にある和菓子店の大黒屋。

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  地蔵禅院と和菓子店。

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  緒川駅から帰途につきます。

  武豊行きのキハ25普通2両編成。

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  名古屋行き区間快速のキハ25がやって来ました。

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  撮影 2012/05/10

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2012年5月19日 (土)

緒川(おがわ)城跡(愛知県東浦町)を訪ねる(3) - 於大公園と緒川城主3代の墓

 

  土塁の跡が残る緒川城跡の公園から再び高みにある道路を南に歩いて、東浦町役場の裏の丘陵地帯にある於大公園の東入口へ向かいました。

この入口の右手を分け入るように上ると緒川城3代の墓があります。

緒川城主初代水野貞守、二代目の賢正(かたまさ)、三代目の清忠の三代のお墓です。

初代水野貞守が緒川城を築いたのは文明年間(1469~1487年)。

四代目の忠政のとき、刈谷城を築いて(1533年)本拠を移しており、忠政は五代目の緒川城主に息子の信元を置き、自らは刈谷城に居を移しています。

ちなみに六代目は信元の弟の忠守、七代目は信元、忠守の弟の忠分の息子の分長で、この時緒川藩が立藩され(1601年)、その後1606年には三河新城(しんしろ)藩に移封され、緒川藩は廃藩、緒川城も同時に廃城となりました。

 

  於大公園の少し手前の道路から見える東浦町役場。

  この辺りから、役場の裏の敷地に下りることができます。

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  於大公園の東からの入口。

  この公園かなり広いです。

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  真ん中の進入禁止の標識の右に行くと。

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  右側に上がります。

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  さらに一番右手の上がり口(完全には道と呼べない)を上がると、下の写真のようなところに。

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  中央が緒川城を築城した貞守(初代)、左が二代目の賢正、右が三代目の清忠の墓。

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  三代の墓の隣にある四代目の忠政の兄の成政(なりまさ)とその子の成清の墓。

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  少し間違うとパターゴルフのフィールドの方へ行ってしまいます。

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  於大公園。

  巨大な児童公園というような感じ。

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  先ほどの役場の敷地に下ります。途中に神社があります。

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  裏の敷地から表に出て、外に出ます。

  右手に向かう県道24号線を西に歩きました。

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  東浦町役場。

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  於大公園南側の入口。

  この西にある乾坤院(けんこんいん)が最後の目的地。

  結果的には徒歩でなら公園内を横切ったほうが距離が近かったですね。

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  乾坤院の総門が見えます。

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  撮影 2012/05/10

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2012年5月15日 (火)

緒川(おがわ)城跡(愛知県東浦町)を訪ねる(2) - 緒川城跡

 

  越境寺(おっきょうじ)と善導寺を訪れた後、両寺の西側の少し高みの南北の道路を南に歩いて行きます。

4本目(1本は行き止まり)を東(左)に下りると右側に何本かの高い木々が生えた土のかたまりが目に飛び込んできます。

これが緒川城跡の唯一の遺構です。

城跡は一帯が住宅地となっており、この土塁跡だけがわずかに残っているのみです。

城跡関連ではこのあと訪れた乾坤院の総門が緒川新城の城門であったということです。

 

  善導寺の駐車場の横を西の高みに上がります。

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  緒川城の遺構の土塁。

  緒川城は文明年間(1469~1487)に水野貞守により築城。

  忠政のときには境川の対岸に刈谷城(三河)を築いて(1533年)、本拠を移しています(緒川城は息子の信元が居城に)。

  忠政の娘の於大の方(後の伝通院)は徳川家康の実母。

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  回り込んで、南側から。

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  南側は遊具のある児童公園となっており、緒川古城の内側にあたります。

  徳川家康の母、「傳通院於大出生地」の碑が立っています。

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  公園から見上げるように残っている土塁跡。

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  階段を上がるとミニ公園化されていて、ミニ東屋(あずまや)もあり、そこで腰掛けて休憩しました。

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  現在の道路と緒川城の縄張り図。

  現在残る土塁は緒川古城の土塁であることが示されています。

  関ヶ原の戦い後の1601年に、水野忠政の8男水野忠分の子の水野分長が9820石で緒川藩を立藩。

  分長は高藪城に居を置きそれを緒川新城と呼びました。

  1608年には水野分長は1万石で三河新城藩に移封され、ここに緒川藩は廃藩、同時に緒川城も廃城となりました。

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  緒川城の古地図。

  名古屋の徳川美術館に隣接している蓬左文庫に所蔵されているとのこと。

  水野家は家康の母方の実家ということで、大名家4家(他に廃絶1家)と多数の旗本家を輩出しました。

  また、紀州藩の付家老としての新宮城主も水野氏。

  歌舞伎や講談、後世には映画などで取り上げられた町奴の幡随院長兵衛と対立した旗本奴の水野成之は有名。

  旗本水野成之は福山藩の水野勝成系統(水野勝成の孫にあたる)の人です。

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  再び高みの南北の道路に上がって、於大公園内にある緒川城主三代の墓所へ向かいます。

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  撮影 2012/05/10

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2012年5月14日 (月)

今日(2012年5月14日)の岐阜駅 - 大垣への往き帰り

 

  記事を書く時間の都合で、緒川城の話は次回以後にして、今日(2012年5月14日)の岐阜駅。

大垣城と松尾芭蕉の「奥の細道結びの地」の船町辺りを散策しに行って来ましたが、その往復の岐阜駅での写真です。

 

  名古屋発高山行き 特急「ワイドビューひだ9号」 キハ85系。

  右は岐阜発岡崎行き普通 313系。

  いずれも後部から。

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  大垣発豊橋行き快速313系。

  名古屋方面に去っていきます。

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  名古屋発富山行き特急「しらさぎ11号」。

  一番南の6番線から。

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  高山線岐阜発猪谷(いのたに)行き普通。

  前からキハ40+キハ48+キハ40の変則編成。

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  駅舎のガラス越しに駅前通りの金華橋通りと黄金の織田信長像。

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  おまけ。

  名鉄岐阜駅の各務原線(かかみがはらせん)ホームの6番線 犬山行き普通1800系2両編成。

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  撮影 2012/05/14

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2012年5月12日 (土)

緒川(おがわ)城跡(愛知県東浦町)を訪ねる(1) - 緒川を散策(1)

 

  緒川城は徳川家康の実母である於大の方(伝通院)の実家である水野氏の居城であり、於大の方もこの緒川城で生まれています。

のちに水野氏は境川を挟んで対岸の刈谷に城を築き、三河へ勢力を伸ばしていきます。

緒川城は現在の東浦町にあり、知多半島の尾張に属しますが、刈谷は三河に属します。

 

  高架の緒川駅を西口に出てから、高架に沿って北に歩いてすぐに西に向かいます。

国道366号線の信号を渡り、ひたすら住宅地を西に歩いて行くと、やがて木々の茂った階段にたどり着きます。

これが顕本法華宗の越境寺(おっきょうじ)というお寺です。

鐘楼門が印象的なお寺でした。

その南にあるのが善導寺。

こちらは浄土宗のお寺で、やはり鐘楼門がありました。

その後、お寺の西側の道を南に歩いて行き、緒川城跡に向かいました。

 

  大府駅にて。

  2番線に到着の武豊発普通、キハ25形。

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  折り返して武豊行き普通となります。

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  大府から二つ目の駅の緒川駅に到着。

  高架駅です。

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  東口にはバス停とタクシー乗り場があります。

  東に行くと境川が流れていて、その向こうは三河の刈谷市です。

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  緒川城跡や古い町は駅の西側にあり、西口へ。

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  国道を渡ってから西へ真っ直ぐに。

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  東を振り返って、工事現場の簡易トイレが見えます。

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  そして、突き当たりに階段が。

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  階段の先には鐘楼門が。

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  なかなか感じの良い鐘楼門です。

  越境寺(おっきょうじ)です。

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  越境寺本堂。

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  鐘楼門を境内から。

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  境内横の道を西に上がります。

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  レトロな古い町並みを善導寺へ。

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  いきなり善導寺の境内に入ってしまいました。

  越境寺のものよりは少々華奢な善導寺の鐘楼門。

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  本来の入口から下りて出ます。

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  下からではなくて高台の上から入ったので、逆に歩いてしまいました。

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  もう一回上がり加減に歩いて、今度は南に高台の町並みを歩いて緒川城跡へ向かいます。

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  撮影 2012/05/10

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2012年5月11日 (金)

武豊線のキハ25形 - 大府駅と緒川(おがわ)駅

 

  知多半島にある東浦町の緒川(おがわ)城跡と緒川の町を散策したときの武豊線大府駅と緒川駅の主にキハ25形。

 

  大府駅の2番線に武豊発のキハ25形のワンマン列車が到着。

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  折り返しの2番線で待機中の武豊行き。

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  緒川駅に到着。

  武豊方面に去っていくキハ25形。

  緒川駅は高架駅です。

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  緒川駅の東口。バス停、タクシー乗り場があります。

  緒川の古い町は反対側の西側。

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  帰りの緒川駅。

  武豊行きのキハ25形。

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  武豊方面へ。

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  名古屋行き区間快速のキハ25形が到着。

  大府へ向かいます。

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  4分間停車で3番線で待機の名古屋行き区間快速キハ25形。

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  大垣行き特別快速の313系電車。

  特別快速は大府駅通過。

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  手前のキハ25形の出発。

  向こうが1番線の豊橋行き313系電車。

  もう少し塗色のバリエーションが欲しいですね。

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  撮影 2012/05/10

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2012年5月10日 (木)

伊予大洲(愛媛県大洲市)あたり - JR四国予讃線

 

  桜を求めて4月初めに伊予大洲城と大洲の町を散策しましたが、その際の何枚か。

 

  伊予大洲城を洗うように流れるのが肱川(ひじかわ)で、お城の対岸の河川敷から。

  八幡浜発松山行き単行気動車 キハ32 普通。

  右方向へ、もうすぐ伊予大洲駅。

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  同じく肱川(ひじかわ)を左方向へ渡る

  松山発宇和島行き特急「宇和海7号」2000系気動車。

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  大洲城から特急「宇和海13号」松山発宇和島行き2000系。

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  1番線で交換待ちをしている伊予市発八幡浜行き普通 キハ54 単行気動車。

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  伊予大洲駅 跨線橋から上の八幡浜行き気動車。

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  同じく跨線橋から八幡浜、宇和島方面。

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  宇和島発松山行き特急「宇和海16号」2000系の到着。

  この特急で松山まで乗車。

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  撮影 2012/04/07

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2012年5月 8日 (火)

岡山市北区 庭瀬を散策(3) - 板倉家2万石 旧庭瀬藩の町を散策

 

  4月の初めに岡山から愛媛県の伊予大洲に桜を求めて旅行しましたが、岡山に到着してまず訪れた庭瀬(岡山市北区)。

庭瀬藩は戸川家が立藩して紆余曲折を経た後、板倉家で安定します。

三村氏が築き、のちに宇喜多氏に所属していた撫川(なつかわ)城は、関が原の戦いの後、東軍についた戸川家が入封して庭瀬藩を立藩、戸川達安は撫川城を事実上廃城として撫川(なつかわ)城の二の丸に陣屋を築いて庭瀬を支配しました。

これが現在で言う庭瀬城跡です。

戸川家は4代目に大名家としては無嗣子で廃絶するも、弟に旗本5000石で存続を許され、その陣屋を新しく旧撫川城本丸跡に設けます(1679年)。

これが現在で言う撫川(なつかわ)城跡となります。

旗本戸川家とは別に、庭瀬藩は廃藩になったり復活したりで、最終的に1699年に板倉家が2万石で入封して11代で明治に至ります。

 

  撫川城跡から北に歩いて、東西の道路に突き当たってから一度足守川まで西に歩き、再び東に戻ってきました。

  観音院の前を通り過ぎ、さらに東へ。

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  川の右が信城寺。

  川沿いにあった常夜灯は現在はお寺の境内にあります。

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  信城寺の境内に入ります。

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  左手に常夜灯がありました。

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  信城寺本堂を見て外に出ます。

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  古い家が見受けられる庭瀬の町並み。

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  大手門跡。

  下の図の表御門の前にあたります。

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  常夜灯の横から大手門の橋の方を。

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  足守川から水路で繋がった昔の庭瀬港と常夜灯。

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  庭瀬港から南に歩いて松林寺。

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  さらに南に歩いて不変院。

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  案内表示は庭瀬城跡を指し示しています。

  元の道あたりに戻ってきたようです。

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  不変院内に神社があります。

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  神社の本殿がなかなかユニークな形状です。

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  水路を見ながら庭瀬駅に戻ります。

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  庭瀬駅。

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  庭瀬駅。

  岡山駅に戻り、この日のうちに四国の松山まで行き一泊。

  これ以後の記事はすでに上がっていますので、そちらを見て下さい。

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  撮影 2012/04/06

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2012年5月 2日 (水)

岡山市北区 庭瀬を散策(2) - 太鼓橋から足守川

 

  撫川(なつかわ)城跡を後にして、城跡の西側から北方向に歩いて、突き当りの住吉神社や応徳寺から西に(左に)行き、旧撫川大橋常夜灯へ、そして足守川の堤防に上がってみました。

 

  撫川(なつかわ)城跡の西と北の角の石垣。

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  太鼓橋。

  庭瀬は水路が多く、撫川城が沼地に築城されたという名残です。

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  太鼓橋から城跡を振り返って。

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  太鼓橋から北への途中にある道標。

  上の案内板では道標Aにあたります。

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  北で道路に突き当たります。

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  道標。

  見えている道路を右からやって来ました。

  裏には安政の文字が見えるので江戸時代の末期のもののようです。

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  突き当たった道路を西に、すぐ北側にある住吉神社。

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  素朴な社殿です。

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  その西には応徳寺。

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  その参道でしょうか。

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  東からやって来て南に、そして再び西へと道路が鍵辻になります。

  振り返ったところ。

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  旧撫川(なつかわ)大橋の常夜灯が復元されています。

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  すぐ西には足守川の堤防が見えます。

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  堤防から足守川の下流、南を望んだところ。

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  庭瀬の古地図の案内。

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  先ほどの道路を東に戻り、観音院の前をさらに東に向かいます。

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  撮影 2012/04/06

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2012年5月 1日 (火)

岡山市北区 庭瀬を散策(1) - 庭瀬城跡と撫川(なつかわ)城跡

 

  4月の初めに岡山から伊予大洲にかけて、桜を求めて旅をしてきましたが、岐阜から岡山に着いてまず訪れたのは今日紹介する庭瀬城跡と撫川(なつかわ)城跡でした。

両城跡は150~200mほどしか離れておらず、これは手ごろに訪れることができると最初は軽い気持ちで訪れました。

ところが、意外にも庭瀬の町全体が案内標識などで手軽に歩くことができるように整えられていて、ついついほぼ全体を歩いてしまいました。

その結果、岡山城や後楽園での滞在時間を切り詰めなければならなくなる羽目となってしまい、岡山での旅程がかなり窮屈なものになってしまいました。

両城跡のある庭瀬は岡山市北区に属しています。

 

  山陽本線庭瀬駅。

  岡山~倉敷間は伯備線の電車も運行されるので、運行頻度が高く、私も岡山からは伯備線の備中高梁行きで庭瀬駅にやってきました。

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  お城跡(陣屋跡)を中心に道標、常夜灯、神社仏閣がコンパクトに散策できます。

  この案内板が各ポイントにあって手助けになります。

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  庭瀬駅前の通り。北向きです。

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  駅前通りを北に少し歩いて西(左手に)に折れます。

  そのまま西の方に歩いて行くと庭瀬城跡に。

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  この案内表示が案内板と共に大変役に立ちます。

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     庭瀬城跡。

 

  この辺りで庭瀬城跡と撫川(なつかわ)城跡の関係に触れておかなければなりません。

両城はもともとは備中の三村氏が備前の宇喜多氏への備えに築城された一つの城で、羽柴秀吉の侵攻に対して毛利方の国境防備の城の「境目七城(冠山城、高松城、宮地山城、鴨庄城、日幡城、松島城、撫川城)」の一つとされています。

このとき撫川(なつかわ)城は落城して、その後は宇喜多氏の領有するところとなり、城は無城主となります。

これが、本能寺の変の1582年の話です。

その後、「宇喜多騒動(詳細は省略)」で宇喜多家から離れた重臣の戸川達安(たつやす/みちやす)が関が原の戦いでは東軍として戦い、その功で2万9千2百石の大名として立藩。

戸川達安は撫川(なつかわ)城の二の丸を中心として陣屋を設け庭瀬藩として一帯を治めました。

その陣屋を中心としたのが現在で言う庭瀬城跡となります。

戸川家庭瀬藩は4代目の安風が早世して廃絶、藩も一時廃藩となります(1679年)。

しかし戸川家宗家の名跡は安風の弟の達富が継ぐことを許され、5000石の旗本として存続して、知行地の陣屋をを撫川(なつかわ)城本丸跡に置き、これが現在の撫川(なつかわ)城跡となります。

庭瀬藩は廃藩の4年後に久世家が3年間治めて藩が復活、その後久世家は一代で移封、7年後に松平(藤井)家が入封して4年治めて移封、2年後の1699年に板倉家が2万石で入封。

この板倉家で庭瀬藩は確定して11代存続して明治に至ります。

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  さて、庭瀬城跡から西に150m~200mぐらい歩いて行くと撫川(なつかわ)城跡があります。

  もとの撫川城の本丸跡で周囲を掘に囲まれ、西側に石垣が残っており、東側には土塁がはっきりと残っています。

  こちらは本当にお城跡らしさが感じられます。

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  明治になって現在地に移築されたといわれる撫川(なつかわ)陣屋総門。

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  東には土塁跡が残っています。

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  撫川(なつかわ)城址公園。

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  同じく東にある土塁跡。

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  城址公園内にある三神社。

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  ちょうど桜が咲き始めの頃でした。

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  公園内西から東の方を。

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  門前から南面西の方を望んで。

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  南面西の石垣とお堀。

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  お堀越しにやはり南面の石垣。

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  西面の石垣。

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  南面(右)と西面(左)の石垣角。

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  西から全体を。

  このあと北へ向かい庭瀬を散策。

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  撮影 2012/04/06

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2012年4月23日 (月)

丸岡城の桜 - 福井県坂井市 

 

 

  丸岡城のある坂井市は福井県北部の春江町、三国町、坂井町、丸岡町が2006年に合併して形成された新設の市です。

市域は東西に長く、日本海に面した東尋坊や三国湊の古い町などの観光地なども擁しています。

丸岡城はそのうち旧丸岡町にあり、福井駅前から本丸岡へバスが多く出ています。今回は、親戚との車による旅行で、鉄道は全く出てくることはありません。

岐阜の自宅を朝早くの4時半に出発して、名神と北陸道を利用して丸岡城に着いたのは7時頃ではなかったでしょうか。

お城の拝観開始時間が8時半でしたので、それまでお城の周囲を散策しました。

 

  杉津PAで休憩。敦賀湾を望んで。

  左手奥が敦賀港方面。

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  一筆啓上茶屋。

  近くにお店も無いので、城内にあるこのお休み処が頼りとなります。

  丸岡藩の成立は福井藩の松平忠直を補佐していた本多成重(ほんだなりしげ)が、忠直の流罪で独立し、取り立てられて立藩したのが始まりです。

  本多成重の父は徳川家康の古くからの家臣であった本多重次(しげつぐ)。

  長篠の戦いの際に陣中から妻に宛てた手紙の「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」が日本一短い手紙として有名に成りました。

  お仙は丸岡藩初代藩主の成重のことで、成重は幼名を仙千代と言いました。

  なお、手紙の原文は「一筆申す 火の用心 お仙痩さすな 馬肥やせ かしく」だったっそうです。

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  丸岡城は別名霞ヶ城ともいい、現存天守閣12の内のひとつです。

  現存する12の天守閣は、北から弘前城(青森県弘前市)、松本城(長野県松本市)、犬山城(愛知県犬山市)、彦根城(滋賀県彦根市)、姫路城(兵庫県姫路市)、松江城(島根県松江市)、備中松山城(岡山県高梁市)、丸亀城(香川県丸亀市)、高知城(高知県高知市)、松山城(愛媛県松山市)、宇和島城(愛媛県宇和島市)、そして丸岡城(福井県坂井市)です。

  丸岡城を築城したのは柴田勝家の甥の柴田勝豊。

  戦前の1934年に天守が国宝に指定されるも1948年の福井地震で倒壊し、のちに元通りに組み直し、現在丸岡城天守閣は重要文化財に指定されています。

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  天守閣のある本丸。

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  お城の周囲を散策してみました。

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  西にある南北の道路沿いにあった浄覚寺。

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  家老屋敷庭園跡とあります。

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  その南の円光寺には切支丹灯篭があります。

  先ほど、本多氏が最初の丸岡藩の藩主であったことは述べましたが、本多氏は4代目で家臣間に内紛がおこり、これを収められず、幕府により改易となってしまいます。

  この後には1695年に越後糸魚川から有馬氏(肥前有馬氏)が5万石で入ります。

  有馬氏と言えば戦国時代にはキリシタン大名として有名でした。

  その後、藩主家の交代は無く、有馬氏8代で明治を迎えます。

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  その南にあるタブの木。神木とされてます。

  この小さな川は外堀の跡ということです。

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  さらに、その南ある国神神社。

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  境内には震災復興記念の碑。震災とは福井地震のことです。

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  お城の西側から天守に戻ります。

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  西側の入口にはこんな碑がありました。

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  天守閣内を拝観します。

  大人300円です(小中生は150円)。

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  屋根瓦が石で出来ているのは有名です。

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  鬼瓦も石で出来ています。

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  これで丸岡城を後にしました。

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  撮影 2012/04/15

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2012年4月19日 (木)

根来寺の桜 - 桜旅行(8) 和歌山県岩出市

 

  四国高松からジャンボフェリーの深夜便で神戸港に朝早くに到着。いつもは歩いて三ノ宮駅まで行くのですが、たまたま、まだ連絡バスが待機していたので乗り込みました。

高松での連絡バスは無料ですが神戸では200円が必要です。

三ノ宮駅からは普通電車に乗って大阪へ。

12時に京都で所用があるので、それまでに根来寺へ行こうと大阪駅からは関空快速と併結運転の紀州路快速に乗り込みました。

日根野駅で関空快速は関空へ、紀州路快速はそのまま南下。

和泉砂川駅で下車しました。

南海本線樽井駅始発 和泉砂川駅経由でJR和歌山線の岩出駅終着のバスがあり、その途中、根来寺の入口にあたる岩出図書館バス停で下車をします。

この路線のバスは根来寺バス停にまで入ってくれるバスもありますが、距離的に言っても岩出図書館バス停でも充分です。

なお、根来寺バス停と根来バス停は大きく離れていて、別場所と思ってよいです。

砂川駅から岩出図書館等は運賃450円です。

南海樽井駅からは500円。

 

  JR阪和線の和泉砂川駅。

  紀州路快速の225系は和歌山に向かいます。

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  天王寺行き直通快速。

  朝に運行される快速で、天王寺から環状線に入り一周して再び天王寺で終着。

  久し振りに阪和線に乗りましたが運行形態が完全に変わってしまっているようです。

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  砂川駅前バス停にて。

  岩出駅行きバスがやって来ました。一般バスより小振りのバスで運行されています。

  根来寺バス停に行くバスは岩出図書館バス停へは行きません。反対に岩出図書館バス停に止まるバスは根来寺バス停には行きません。

  この辺りのバスについては根来寺のHPからリンク(岩出市のHP)がありますし、直接岩出市のHPでも見ることができます。

岩出市のバスのご利用案内

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  岩出図書館の横、根来寺入口。

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  右手に根来川、左に大門池の堤沿いに東に歩いて行くと左手に大きな大門。

  江戸時代末期の建築で県指定文化財。

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  こんな道が続きます。右が根来寺。

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  境内への入口。

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  奥に進みます。

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  光明真言殿(御影堂)。

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  その右に出て拝観料のいる区域にある国宝の大塔。

  入口の門の格子越しに写しました。9時から拝観可能なんですがこの時8時半頃。

  拝観料は500円です。

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  先ほどの岩出図書館バス停から9時過ぎのバスに乗らなければならないので、引き返しました。

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  それでも横に回ったりして。

  左先に奥の院があります。

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  大門池。屋根が見えるのは大門。

  池の西端に図書館があります。

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  昔の根来寺の参道だと思うんですが、この町並みを抜けると根来バス停(根来寺バス停ではない)があります。

  以前はこの根来バス停で降りて、この町並みを抜けてきました。

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  再び和泉砂川駅に帰り、実質的に今回の桜旅行は終わりです。

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  撮影 2012/04/08

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2012年4月17日 (火)

松山市 城山公園堀之内にて - 桜旅行(7) 愛媛県松山市

 

  伊予大洲駅から松山駅までは、伊予大洲発14時45分松山着15時20分の特急「宇和海16号」を利用しました。

そして、駅前通りを真っ直ぐ歩いて西堀端から城山公園の旧三の丸の堀之内に入り、高松方面への電車の時刻まで、ベンチでぼんやりと過ごしました。

土曜日の午後は陽気もちょうど良く、ベンチに寝転がったり、写真を撮ったりして1時間以上ブラブラしました。

松山へは去年の春の同じような時期に訪れているので、松山市内の観光地はすべて省略。

途中、市電や伊予鉄道の電車を撮ったりしながら、少し早めに松山駅に戻ったので、予定より1本早い今治行きの電車に乗り込みました。

今治で後続の、最初の予定だった電車を待って、伊予西条、坂出と乗り継ぎ高松には23時40分に到着。

神戸へのジャンボフェリーの深夜便であくる日は関西に。

 

  向こう側が伊予大洲から乗ってきた特急「宇和海16号」2000系気動車、折り返し宇和島行き特急「宇和海19号」となります。

  手前は松山発15時28分の岡山行き特急「しおかぜ24号」+高松行き特急「いしづち24号」8000系電車。

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  松山駅。

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  駅前通りの大手町電停付近。

  伊予鉄の高浜線が平面交差をしています。

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  もうすぐ西堀端電停。

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  お堀端を北に。

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  橋を渡って堀之内に入ります。

  松山城の天守群が望めます。

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  石垣の上が二の丸で二の丸史跡庭園があります。

  私がいる堀之内が三の丸です。

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  三の丸(堀之内)の西側と南側には立派な土塁が残っています。

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  城山公園図。

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  伊予鉄道高浜線大手町駅。

  上下線にそろった旧京王電鉄3000系。伊予鉄でも3000系としています。

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  松山駅に戻ってきました。もう17時半過ぎ。

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  17時56分発の今治行き電車に乗車。

  左の電車。

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  今治への途中の夕日。この日の最後の写真です。

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  撮影 2012/04/07

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2012年4月16日 (月)

伊予大洲城と桜(2) - 桜旅行(6) 愛媛県大洲市

 

  加藤家13代で明治を迎えた大洲藩の藩庁であった大洲城は、維新後も20年に亘って地元民によって維持されてきましたが、天守だけは老朽化等によってやむなく取り壊されました。

しかし、それから100年以上の時を経て、2004年に天守が復元され、天守の喪失によって離れ離れになっていた高欄櫓と台所櫓が昔どおりに天守と連結されました。

 

  手前は高欄櫓。

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  上から見下ろした苧綿櫓(おわたやぐら)。

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  肱川(ひじかわ)橋と富士山。

  富士山も桜の名所となっています。

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  台所櫓から天守に入りました。

  観覧料は500円(中学生以下200円)。臥龍山荘との共通観覧料は800円(小人300円)です。

  入ると正面にお城と城下町の図。

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  高欄櫓の内部。

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  高欄櫓から台所櫓。

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  天守から高欄櫓。

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  天守から台所櫓。

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  天守から本丸の広場と肱川橋、富士山。

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  天守内。

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  左から高欄櫓、天守、台所櫓。

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  高欄櫓と西の方の風景。

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  北側の川沿いの方に下りて天守を見上げたところ。

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  肱川を見下ろす北側には遊歩道や花見の場所が確保されています。

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  予讃線の橋梁のある西の方。

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  桜の木はまだ若くて細い感じがします。

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  堤防上にある苧綿櫓(おわたやぐら)

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  東側の石垣。

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  苧綿櫓(おわたやぐら)のある堤防上に下りてお城を後にしました。

  そして肱川橋の南詰めすぐ南の商店街から肱川橋へ。

  大洲旧市内にやってきたときには、まず向こう側の本町二商店街を東へ向かい、おおず赤煉瓦館を訪れました。

  帰りは反対側から。

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  肱川橋の上から大洲城。

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  同じく肱川橋から。

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  午前中と同じように北側の対岸から。

  もう、この時間は逆光となっています。

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  伊予大洲駅に戻ってきました。

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  伊予大洲駅の跨線橋から。

  松山までは特急「宇和海」を利用しました。

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  撮影 2012/04/07

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2012年4月15日 (日)

伊予大洲城と桜(1) - 桜旅行(5) 愛媛県大洲市

 

  近世の大洲城は1595年に入城した藤堂高虎、続いて入城して大洲藩5万3千石を立藩した脇坂安治によって整えられました。

脇坂家は2代で信濃飯田に転封して、昨日の記事で述べた加藤貞泰が伯耆米子から6万石で入封して、明治まで13代、加藤家が大洲藩を治めました。

大洲城の天守閣は2004年に木造で復元されされましたが、天守と連結している台所櫓と高欄櫓は現存遺構で、同じく現存遺構として残っている苧綿櫓(おわたやぐら)、大洲高校の前にある三の丸南櫓とともに重文に指定されています。

 

  写真は前後します。

  駅から歩いて来て、まず肱川(ひじかわ)の対岸から大洲城を望みました。

  10時ぐらいまでは天候が不安定で、最後には雨模様になったりと散々でした。

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  肱川(ひじかわ)対岸より苧綿櫓(おわたやぐら)。

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  大洲の東の「おはなはん通り」や大洲赤煉瓦館、大洲神社などを散策してから西に向かい、大洲高校の方に歩いて、南から三の丸南櫓と天守群を望んだところ。

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  左の石垣の上が大洲高校。ここから北に向かってお城へ。

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  大洲城への入口に来ました。

  登り口は他にもあります。

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  天守閣の下まで登ってきました。手前は高欄櫓です。

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  西の方。

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  やはり手前は高欄櫓。

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  肱川(ひじかわ)に架かる予讃線橋梁。

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  東の方には富士山。

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  手前が台所櫓。

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  撮影 2012/04/07

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2012年4月13日 (金)

大洲市内を散策・観光(2) - 桜旅行(4) 愛媛県大洲市

 

  今回、大洲市内を散策して、行くことができなかった場所が3ヶ所あります。

ひとつは臥龍山荘、もう一つは不注意で通り過ぎてしまったポコペン横丁、そして道を間違えて行けなかったのが中江藤樹の遺徳を偲ぶために1939年に建設された至徳堂です。

至徳堂に関しては、それらしき道が大洲高校の中に入っていくので、これは違うのではないかと思い、それで行き着くことができず、あきらめて大洲城へと向かってしまいました。

しかし、帰ってから調べてみるとやはり高校内に有ったというのは間違いでは無かったみたいで、惜しいことをしました。

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  大洲の旧市街の規模が分かる図だと思い上げました。

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  「おはなはん通り」を南に行くと大洲神社があります。

  大正3年に現在の大洲神社と改称。

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  1331年宇都宮豊房が大洲城築城の際に総鎮守として下野国二荒山神社より勧請したのが始まりとされています。

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  望遠で大洲城が望めます。

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  新しく造営された拝殿。

  モダンながら新しい伝統の始まりの雰囲気のある社殿です。

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  階段を下りて、その道をそのまま西に行くと大洲まちの駅「あさもや」があります。

  ここで、しばし休憩。アツアツのコロッケとかを食しました。

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  もうひとつ西に行くと左手に大洲市役所があります。

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  さらに西に歩いて行くと大洲小学校。

  南に道を取り、さらに西へ行くと大洲高校です。

  前のグランドにせり出すように三の丸南隅櫓があり、隣接して藩主家の旧加藤家住宅主屋のあるお殿様公園があります。

  左手が大洲高校。

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  大洲高校の前からは天守が望めます。

  望遠なのでもう少し小さく見えるのですが。

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  三の丸南隅櫓。

  現存遺構で、大洲城では一番古い遺構だそうです。

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  お殿様公園からの三の丸南隅櫓。

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  藩主家の旧加藤家住宅主屋。

  大洲の加藤家は以前紹介した美濃黒野城の黒野藩藩主家でした。

  黒野城主加藤貞泰は関が原の戦いでは西軍からうまく東軍に参加して、関が原の本戦、その後、近江水口岡山城攻めで功をあげて黒野4万石から米子6万石へ。

  後に大坂の陣の功で伊予大洲藩6万石の初代藩主となり、明治まで加藤家が大洲を治めました。

  加藤嘉明系、加藤清正系統とは別系統の光泰系加藤家です。

  光泰は貞泰の父で豊臣政権下で甲斐24万石の大大名となっています。

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  いよいよ大洲城へ向かいます。

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  撮影 2012/04/07

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2012年4月12日 (木)

笠松みなと公園と奈良津堤の桜(岐阜県笠松町 2012年) - 満開の桜時、やや桜吹雪

 

  岐阜県笠松町の奈良津堤(ならづづつみ)と木曽川河川敷の笠松みなと公園の桜が満開と聞いて行ってきました。

すでに桜吹雪が始まっており、明日からは雨がちの天気という予報なので、今日(4月12日)が最後のチャンスと思われました。

 

  笠松駅から左の地下通路をくぐり、笠松競馬場という方へ抜けます。

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  ここからは奈良津堤の桜です。

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  堤の道路は南に向かい、踏切を渡って堤の道路が西側になります。

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  屋台が出ているのは道路の反対側に競馬場の駐車場があり、堤の段差で花見をすることができるからです。

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  遠くに岐阜城がポツンと見えます。

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  ここで木曽川に突き当たり、道路は右(西)に折れます。

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  河川敷が公園になっており、桜が川沿いに連なっています。駐車場もあります。

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  笠松には江戸時代には代官所があり(1662年)、のち(1732年)美濃、伊勢の天領を管轄する美濃郡代となり、明治まで続きます。

  笠松湊(かさまつみなと)は木曽川の水運の重要な川湊でした。

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  向こうに見える橋は木曽川橋。道路橋です。

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  松尾芭蕉の「のざらし紀行」に笠松の米野で詠んだ句があるそうで、「草も木も 離れ切たる ひばりかな」。

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  奈良津堤(ならづづつみ)に戻って来ました。

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  撮影 2012/04/12

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大洲市内を散策・観光(1) - 桜旅行(3) 愛媛県大洲市

 

  大洲市は、伊予でも南予といわれる愛媛県の南部にある人口4万6千人余の古い城下町です。

合併によって市域は肱川(ひじかわ)の河口付近の長浜までを含みますが、城下町の旧市街は、お城も含めてコンパクトにまとまっていて、歩いて散策するには適度な広さです。

関東や、そして関西ですら少し遠い場所ですが、訪れて全く後悔しない町です。

松山からは特急を使えば、ほぼ35分の近さです。

松山からは内子、大洲、卯之町、宇和島と歴史のある、そしてたいそう趣のある町が並んでいます。

この地域の全てを1日では回りきれませんが、私は何回にも分けて訪れています。

私にとっても好きな地域のひとつです。

 

  松山を7時ごろの普通列車で出発して、伊予灘を眺めながら走る伊予長浜経由で伊予大洲に到着したのは9時前でした。

  伊予大洲駅。

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  駅前の道路には「少彦名(すくなびこな/すくなひこな)神社」の大きな鳥居があります。

  そちらへ行くと旧市街へは少し遠くなるので、右への斜めの道を行きます。

  どちらにしても右(南)方へ行けば肱川(ひじかわ)に遮られますから、肱川橋を渡って旧市街に入ります。

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  肱川橋。

  向こうが旧市街地。

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  肱川(ひじかわ)をすぐには渡らず、堤防沿いを下流に向かって歩いて、伊予大洲城を対岸から。

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  こちらの位置は午後になると逆光になるので注意が必要です。

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  肱川(ひじかわ)を渡る気動車。

  八幡浜発松山行き普通。右方向の伊予大洲駅に向かっています。

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  松山発宇和島行き特急「宇和海7号」 2000系特急気動車3両編成。

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  10時前になって一天にわかにかき曇り、あっという間にこの状態になりました。

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  雨がパラつく中、肱川橋を渡りました。

  橋の上から上流の富士山を眺めながら。

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  渡り終えてすぐに左右に商店街の通りがあります。

  右側への本町1商店街を行くとお城の方。

  こちら左にある本町二商店街を行くと赤レンガ館や「おはなはん通り」。

  お城は後にしました。もう、西の方から晴れ間が覗いて来ています。

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  老舗の和菓子屋さん。

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  やがておおず赤煉瓦館へ。

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  旧大洲商業銀行本店本館の建物でした。

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  2階の様子。

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  赤煉瓦館のすぐ北の方には肱川の河岸。

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  赤煉瓦館から南に歩いて行きます。

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  「おはなはん通り」。

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  同じく「おはなはん通り」。

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  撮影 2012/04/07

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2012年4月10日 (火)

予讃線松山駅から伊予大洲駅(伊予長浜経由) - 桜旅行(2)

 

 

  朝6時前に目が覚めて、これ幸いにとシャワーを浴びて、6時半にはホテルをチェックアウトして松山駅へ。

乗れないと思っていた松山発6時58分の八幡浜行きに乗車できました。

 

  今回の最大の旅行目的は伊予大洲での桜。

最初の旅程では松山を発つのは10時18分の伊予大洲行きでしたが、この列車は内子線経由で、少し物足りなさがありました。

9時台の宇和島行きは伊予長浜経由ですが、松山での滞在が中途半端。

したがって、6時58分発の八幡浜行きが理想的でしたが、なにぶん朝が早くて自信を持つことができず、半ば諦めていましたが、思いもかけず6時前に目が覚めたのです。

これで、伊予大洲に全力投球、帰りの松山での行動は時間次第と決まりました。

6時58分発の八幡浜行きは、伊予長浜経由の海岸線を行く列車で、伊予大洲には8時50分着、ほぼ2時間の鉄道旅でした。

 

  土曜日の朝の松山駅構内。

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  3番線に待機中の八幡浜行き普通ワンマン列車 キハ32 単行。

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  いきなり北伊予駅での列車交換。

  対向車両は八幡浜発松山行き普通 キハ54。

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  次は伊予市駅での列車交換。

  伊予市駅までが予讃線の電化区間です。

  対向列車は後ろ2両がキハ47でした。

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  伊予市駅のすぐ西には伊予鉄郡中線の終着駅である郡中港駅があります。

  競合しているのですね。

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  伊予上灘駅にて。

  8分停車。駅構内からは見えませんが、もう海沿いです。

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  8分もあるので車外に出てみました。

  停車時間は運転手さんが「何分停車です」とその都度アナウンスしてくれます。

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  上下線のホームがずれています。

  やって来た対向車両はあのキハ185系の普通でした。

  伊予大洲発松山行き。私もこの車両は2度ほど利用させてもらっています。

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  こちらは8分停車、向こうは1分停車でした。

  こういうのは、嬉しい不公平。

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  伊予灘を望みながら列車は海岸沿いを走ります。

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  そして有名な伊予灘を目の前に見ることができる下灘駅。

  しかし、途中下車したり、列車を写している時間はありません。

  原則として本格的な鉄道写真は鉄道に乗っていては写せません。

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  ここも降りて写真を撮りたい喜多灘駅。

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  伊予長浜駅に到着。

  肱川(ひじかわ)の河口に位置します。

  ここからは肱川の右岸を上流に遡って伊予大洲駅に至ります。

  ここ長浜はすでに大洲市で長浜大橋と川霧で有名です。

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  伊予長浜駅では14分停車。

  車外に出てホームを歩き回りましたが、駅舎の外に出るべきでした。

  ちょっと迂闊でしたね。

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  対向車両が来ました。

  帰ってから調べたら、対向車両はこの伊予長浜駅で17分も停車します。

  対向列車も無いので時間調整でしょうか?

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  松山行き列車を残して伊予長浜駅を出発。

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  肱川(ひじかわ)を右に眺めながら上流の伊予大洲駅方面に向かいます。

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  伊予大洲駅に到着。8時50分着。

  列車はさらに南の八幡浜まで。

  右の対向車両は宇和島発松山行き普通 キハ54。

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  伊予大洲駅。

  お城のある旧市街へは少々歩かなければなりません。

  バスもありますが、確実な方法は徒歩かタクシーです。

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  撮影 2012/04/07

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2012年4月 9日 (月)

岡山 後楽園と岡山城 - 桜旅行(1) 1時間の駆け足で 


  4月6、7、8日(2012年)の三日間で愛媛県の伊予大洲を目的地として桜旅行をしてきました。

6日の金曜日の朝の一番電車で岐阜駅を出発して、大垣、米原、姫路、相生と乗り継ぎ(当然快速と普通のみ)岡山へは11時半ごろに到着。

しかし、岡山では下車せず、先に出発する備中高梁行きの伯備線の電車に乗り換え(相生からの電車は岡山での停車時間が長い)、次の次の駅である庭瀬駅に降り立ちました。

庭瀬では庭瀬城址、撫川(なつかわ)城址を40分から45分でサッと回るつもりでした。

しかし、行って見ると、庭瀬藩のあった辺り一帯のお城跡、お寺、神社、常夜灯、道標などが案内図で紹介され、きちっと整備されていたので、ついつい興味を持ってみっちり歩くことになってしまいました。

四国へ出発するまで、岡山では4時間の観光時間を割り振ってあったのに、庭瀬で2時間以上使ってしまったので、岡山駅に帰ってきて、1時間余で後楽園、岡山城を回らざるを得なくなりました。

当然のことながら無理な話で、一応市内電車で城下(しろした)電停まで行き、旭川を後楽園側へ橋を渡り、後楽園を30分ぐらいで早歩きして、再び電車で駅に帰ってきました。

庭瀬については、桜とは関係なくいつでも紹介できるので、桜旅行の初回は岡山城と後楽園からとしました。

 

  岡山駅前。

  割りに勘違いをするのが岡山駅の駅前通り。

  岡山駅前の電車通りは真東に向かって伸びています。駅が意外にも南北斜めなんですね。

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  城下(しろした)電停に到着。運転手さんは女性の方でした。

  県庁前までは1コインの100円で乗れます。

  市内電車、いいなぁ!

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  旭川沿いに出ると岡山城が見えてきます。

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  橋(月見橋というらしい)を南のお城側から後楽園のある北側に渡ります。

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  月見橋からの岡山城。

  城へ行く時間的余裕はありませんでした。

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  旭川沿いに後楽園の裏口へ行き、係の人に「桜はどうですか」と聞いたら「5分咲きです」との答え。

  「5分咲きかぁ」と心の中でお城と天秤に架けていると、その係の人が「朝に5分咲きでしたから昼間暖かかったので7分咲きぐらいになってるかもしれません」と。

  うまいことを言う人だと思い、この一言で後楽園に入園してしまいました。

  400円でした。

  その他岡山城との共通券、岡山城、林原美術館との三箇所の共通券などもあります。

  またまた林原美術館へは行けませんでした。

  岡山はまだいっぱい行くとこあるんですが。

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  やっぱり、これは5分咲きですよね。

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  せわしかったですが、良かったです。

  再び市内電車で岡山駅に戻り、この後、岡山駅から瀬戸大橋線に乗り四国の坂出(さかいで)に向かいました。

  坂出ではJR四国内だけで利用できる切符「四国再発見早トクきっぷ」を購入しました。

  この切符は土曜休日のみ有効で、ルールは「青春18きっぷ」と同じですが(ただしJR四国バスが一部を除き可、土佐くろしお鉄道会社線(窪川~若井間)の普通が可)、販売は当日売りがなくて前日までの購入で使用日を指定して購入しなければなりません。

  今回は18切符が2枚しか残っておらず、あくる7日(土曜日)用に購入しました。

  2000円です。

  坂出からは遠路、松山までゆっくりと普通電車に揺られて行きました。

  そして、松山で宿泊。

 

  以下2枚、城下電停にて。

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  撮影 2012/04/06

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2012年4月 5日 (木)

名鉄笠松駅付近と(咲き始めの)「奈良津堤(ならづづつみ)の桜」 - 岐阜県笠松町

 

  笠松駅は名鉄名古屋本線の特急停車駅で竹鼻線が分岐しています。

南はすぐに木曽川で、向こうは愛知県。

隣りには笠松競馬場があります。

ここに「奈良津堤(ならづづつみ)の桜」として有名な堤があり、堤自体は道路となっており普段は危険ですが、競馬場の駐車場から堤への坂などで桜を観賞をすることができます。

この日は(4月5日)曇りがちで、桜もまだ咲き始めで、少し残念な結果となりました。

 

  駅を出て左の線路下の地下道をくぐり南へ行きます。

  上が道路になっている「奈良津堤です。

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  岐阜方面からの空港特急「ミュースカイ」2000系。

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  私がよく言う「見たくない編成」の特急。

  前から3100系2両と2200系の岐阜行き。

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  6500系の後ろ。

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  奈良津堤(ならづづつみ)は道路となっています。

  桜がまだ残念状態。

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  屋台は設置されていますが、全屋台が閉店しています。

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  奈良津堤は途中で踏み切りを経て線路の西に。

  下に駐車場、線路向こうに笠松競馬場を見ながら遠くに岐阜城のシルエットが見えます。

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  笠松駅を出て、やって来る名古屋方面への特急「パノラマスーパー」。

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  木曽川の橋梁。

  渡り切るとすぐに木曽川堤(きそがわづつみ)駅があります。

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  木曽川の堤防から広角で。

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  2000系「ミュースカイ」。

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  3300系4両編成 岐阜行き普通。

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  笠松駅駅前。右に見えるのが地下通路。

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  撮影 2012/04/05

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2012年4月 3日 (火)

手力雄神社(てぢからおじんじゃ)付近からの岐阜城 - 岐阜県各務原市

 

 

  織田信長が稲葉山城攻めで戦勝祈願をした各務原市の手力雄神社。

現在では神社から少し西に歩かないと岐阜城を見ることができません。

神社の少し西を東海北陸道の高架が南北に通っているので、それを嫌って、少し小高いところを求めてしばらくの間付近を歩き回りました。

すると、手力雄神社の西に村神(上)神社という神社があって、そこが少し小高いので上がってみましたが、残念ながら木立で遮られて岐阜城を望むことができずに撤退。

結局、県道沿いを西に開けた場所まで歩いて行き、少しばかりの写真を撮り、帰りは手力雄神社前バス停のひとつ西のバス停からバスに乗って岐阜市内に帰りました。

 

  手力雄神社正面。左が西。

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  手力雄神社から県道を西に下ります。

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  手前の高架道路は東海北陸道。

  望遠なので、実際にはお城はずーっと小さく見えます。

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  南の方向には国営木曽三川公園の展望タワー「ツインアーチ138」が見えます。

  戦国時代以前にはもう少し西に木曽川での渡河点があって、東からの軍は必ずここを渡らなければならなかったそうです。

  織田信秀、信長父子もたびたび試みていますが、一帯が湿地帯であったため、大兵を動かすことができず、後には鵜沼、前渡の川並衆を調略して舟で渡河することになっていきます。

この渡河点の美濃側は昨日述べた岐阜市の手力雄神社の社地で、侵攻を受けるたびに焼き討ちにあっています。(wikiより)

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  旧村社の村上(神)神社。

  手力雄神社のすぐ西にあります。

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  うっそうとした鎮守の杜の中にあります。

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  傷みの激しい社殿ですが、横からの階段が取り付けてあって、ある程度は管理されているようです。

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  参拝は南側から。

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  境川という川で、岐阜市の南部から笠松を経て、西の長良川に合流します。

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  バス停ですが、これは岐阜方向へとは反対側。

  東の東海北陸道から手力雄神社のほうを振り返っています。

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  撮影 2012/02/28

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2012年4月 2日 (月)

手力雄神社(てぢからおじんじゃ 二つの同名の神社) - 岐阜市と各務原市

 

  以前に「手力の火祭り」として有名な岐阜市の手力雄神社(てぢからおじんじゃ)を紹介しましたが、この日(2012年2月28日)訪れたのは、もうひとつの各務原市の手力雄神社です。

読み方はまったく同じです。

 

  各務原市の手力雄神社は岐阜市の手力雄神社から北東に1.5Km~2Kmぐらいのところに鎮座しています。

各務原市の手力雄神社は1567年の稲葉山城攻めの際に織田信長が当社で戦勝祈願をした神社として知られており、戦後(稲葉山城攻め後)、勝利を得たことから広大な社領を寄進されています。

 

  車での行き方は、私には分かりませんが、県道152号線に面していて、名鉄各務原線新那加駅、JR高山線那加駅から北西に1.5Km~2.0Kmの距離にあります。また、名鉄各務原線新加納駅から北に1Kmです。

私は名鉄新那加駅から30分以上かけて手力雄神社まで歩きました。

多分最短距離の道筋を歩いていなかったので、もう少し早く行けるかも知れません。

バスでは、JR岐阜駅前、名鉄岐阜駅から手力雄神社前バス停まで行く路線がありますが(行き先は各務西町営業所行き)、一日3往復しかなく、しかも土曜休日は運休です。

   岐阜バス 路線バスへのリンク  (左上の欄から「時刻表【PDF形式】」→「岐阜市尾崎団地、諏訪山、各務原、川島方面」のうち「岐阜各務原線」から時刻表がPDFで見れます)

2011年03月27日改正で、JR岐阜発が10時54分、13時54分、16時54分、手力雄神社前バス停発岐阜方面行きが10時17分、13時17分、16時17分となっています。

この日、帰りはJR岐阜行きの16時17分のバスで岐阜市内に帰りました。

 

  手力雄神社前バス停、岐阜方面。

  向こうに見えるのが手力雄神社(てぢからおじんじゃ)。

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  県道越しに南から。

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  旧社格は郷社でした。

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  社殿。落ち着いた雰囲気をかもし出しています。

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  社殿の東には稲荷神社がありました。

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  織田信長顕彰碑
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  県道の西の方、岐阜方面。

  ここから西に歩いて岐阜城が見える場所に移動しました。

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  【参考】 岐阜市の手力雄神社。

           「手力の火祭り」で有名な神社です。岐阜市の風物詩となっています。                                           

                                                                                            撮影 2010/10/06

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  同じく岐阜市の手力雄神社。旧社格は郷社でした。

  名鉄各務原線手力駅から南に歩いて5分の距離です。

                                                                                             撮影 2010/10/06

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  (最後の2枚を除いて) 撮影 2012/02/28

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2012年3月29日 (木)

気比(けひ)神宮を訪れる - 福井県敦賀市

 

  岐阜駅を出発したのがお昼過ぎと遅く、そして空模様が悪くなっていく中、米原から北に向かい、近江塩津で乗り換えて敦賀に到着したのはもう15時すぎでした。

雨がパラツク天候で、どうしようかと思案していたところ、駅前の目の前に待機していたバスの行き先表示が気比(けひ)神宮経由となっているの見て、すぐに飛び乗りました。

帰りは歩いて帰ってきましたから、そんなに距離がある訳では無いので、物の数分で気比神宮前バス停に着きました。

市内料金で200円。

 

  近江塩津駅にて。

  米原から乗ってきた223系車両が折り返して播州赤穂行き新快速となります。

  米原までは4両で、米原で増結します。

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  敦賀駅。

  駅の大きさから考えると控えめな駅舎ですが、北陸新幹線との兼ね合いから、今は大々的に手が付けられないのでしょうね。

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  駅前と駅前通り。

  都怒我阿羅斯等(つねがあらしと)の像が建っています。

  敦賀はもともとは角鹿(つぬが)と呼ばれていましたが、その語源の人です。

  日本書紀に都怒我阿羅斯等(つねがあらしと)の渡来伝承が記されており、崇神天皇に3年仕えた後、半島に帰って加羅国を天皇の名を貰い任那国へと変更したという、そういう話だそうです(「ふくいドットコム(福井県観光情報HP)」より引用参照)。

  都怒我阿羅斯等の読みについては、「つぬがあらしと」が普通です。

  上記のように「ね」と表記しているのは単なる手違いなのかどうか、そこのところは分かりません。

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  敦賀市の地図です。右がほぼ北です。

  駅前通りは北西に、途中で北に向かって伸びています。

  その先の交差点に気比神宮があります。

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  駅前通りが北(右)に方向を変える交差点。

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  鉄道の町ということで「銀河鉄道999」のモニュメントが大通りの左右に建てられています。

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  駅前通りにある屋根付きの歩道橋から敦賀駅を。

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  気比神宮前バス停。

  途中の通りの写真は歩いて帰った時に撮影したもの。

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  気比神宮前の交差点から南の方の山々を望んで。

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  交差点の西から気比神宮の鳥居。

  鳥居は重文指定ですが、国宝であった社殿は空襲で焼失したそうです。

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  式内社で越前一宮、戦前の社格は官幣大社でした。

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  非常に印象に残る、風格のある鳥居でした。

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  神宮前の交差点、西の方をのぞんでいます。

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  入って左手に中鳥居と拝殿。

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  社殿のうち拝殿。

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  参拝を済ませて、振り返ったところ。

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  拝殿から見て左手は回廊になっています。

  この部分の門を出ますと駐車場(東駐車場)が備わっています。

  その又向こうの神宮内の境内に都怒我阿羅斯等(つねがあらしと 「ふくいドットコム(福井県観光情報HP)」での表記。普通は「つぬがあらしと」)を祀った角鹿(つぬが)神社があります(この日はそちらまで行かなかった)。

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  中鳥居越しに拝殿。

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  中鳥居の前、社務所の横にある松尾芭蕉の像。

  台座に「月清し 遊行のもてる 砂の上」と奥の細道の句が彫られています。

  敦賀を訪れた際に詠まれた句。

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  奥の方に神水苑と奉納された絵馬が掲げられている会館(HPにはこう書いてある)がありました。

  左手に行くと東駐車場があります。

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  比較的に良好な絵馬。軍装から明治時代の絵馬で、お城は福井城かなと。

  気比神宮は戦国時代には朝倉氏に味方したため、織田信長の焼き討ちにあって焼失しましたが、その後、福井藩祖の結城秀康が再建した経緯があります。

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  昭和初期に奉納された北日本汽船の絵馬。

  「食べログ」というサイトでもこの絵馬の写真が掲載されているのを偶然見つけました。

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  帰ってから調べたら、私がこの日に神宮内を歩いた部分は神宮全体の三分の一だったことが分かり、少しガッカリしました。

  帰りの敦賀駅までは歩いて帰りました。

  しかし、大通りは商店街として駅と気比神宮との間の歩道にアーケードがあり、ほとんど濡れることなく駅に戻れました。

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  敦賀駅にて。近江今津行きの521系。

  近江今津は湖西線の駅なので分岐駅の近江塩津で長浜行きに乗り換えました。

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  撮影 2012/03/22

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2012年3月27日 (火)

刈谷駅(名鉄&JR) - 愛知県刈谷市

 

  愛知県の刈谷市は戦国時代に水野氏が居城とした刈谷城を中心として発達して、江戸時代には刈谷藩が一帯を治めました。

水野氏は徳川家康の母である於大の方の実家であることは、知多半島にある阿久比町の坂部城跡を訪れたときの記事で書きました。

現在の刈谷市は人口14万6千人余の都市で、アイシン精機、デンソー、豊田自動織機、トヨタ車体などの豊田系列の会社の本社、工場が軒を連ねています。

この日は、豊川稲荷を訪れるために知立駅まで来て、そこで三河線に乗り換え刈谷に寄ってみました。(約一ヶ月前の旅行時の刈谷駅です)。

 

  知立(ちりゅう)駅から碧南行き普通で名鉄の刈谷駅にやって来ました。

  電車は6000系です。

  刈谷駅はほぼ東西で、電車はこのあと南に方向を変えて、刈谷市駅に向かいます。

  刈谷城跡へは刈谷市駅が最寄の駅です。

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  駅の南側から空中歩道を渡って駅の方を。

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  駅の南側から外を。

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  名鉄の刈谷駅の改札。名鉄が南側、JRが北側にあります。

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  JRの刈谷駅の改札。

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  岡崎発岐阜行き普通311系。

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  名古屋方面からの313系 豊橋行き快速の到着。

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  デンソー本社ビルが見えます。

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  名古屋方面に出発していった岐阜行き普通 311系4両。

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  名鉄側のホームからJRのホームを。

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  知立(ちりゅう)行きに乗り、知立に戻りました。

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  撮影 2012/02/24

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2012年3月23日 (金)

近江塩津駅(滋賀県長浜市)と敦賀駅(福井県敦賀市)にて - 敦賀市の気比(けひ)神宮を訪れて

 

  所用を終えて岐阜駅を出発したのがお昼を過ぎていて、大垣発米原行きが13時12分と、もうかなり無理な時間帯。

それでも、めげずに米原から近江塩津行きに乗り込み、近江塩津着が14時35分。

雨が降り始めていて、26分の待ち時間も外には出ることが出来ず、近江塩津発15時1分敦賀着15時15分。

気比神宮へは往きはバス、帰りは歩いて帰りました。なかなかの神社でした。

 

  近江塩津駅にて。

  待機中の播州赤穂行き223系4両。米原から乗車してきた車両が折り返します。

  米原までは4両で、米原で増結されます。

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  EF510牽引の貨物列車と特急「サンダーバード23号」富山行きの後部と223系。

  ちょっと中途半端な写真に。

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  敦賀駅駅前。

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  気比(けひ)神宮を訪れた後の敦賀駅。

  小浜線東舞鶴行き125系2両。

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  湖西線の近江今津行き521系2両。

  この電車に乗車して、近江塩津駅で長浜行きに乗り換え。

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  同じく521系2両の金沢行きが反対方向に出発。

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  近江塩津駅にて。

  敦賀方面に去っていく特急「サンダーバード29号」和倉温泉行きと入線しようとしている長浜行き521系2両。

  これで長浜から米原乗り換えで岐阜に帰りました。岐阜到着は20時前でした。

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  撮影 2012/03/22

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2012年3月20日 (火)

JR鵜沼駅、名鉄新鵜沼駅(岐阜県各務原市) - 春分の日の午前中

 

  フラッと出かけてみた春分の日の午前中。

小牧(愛知県小牧市)辺りまでと思っていましたが、犬山遊園駅付近でカメラのバッテリー切れ。

しかも、まさかの予備バッテリーの持ち忘れ。

コンパクトデジカメじゃあ物足りなくて、帰宅しました。

 

  空中歩道から特急「ワイドビューひだ5号+25号」キハ85系。

  鵜沼駅に停車する特急「ワイドビューひだ」は往復3本ずつ。

  この特急はその内の1本です。

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  並行している名鉄各務原(かかみがはら)線。

  すぐに新鵜沼駅、犬山行き。

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  新鵜沼駅を出発するパノラマスーパー。

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  旧犬山橋を渡る空港特急「ミュースカイー」2000系 新鵜沼行き。

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  新しい犬山橋からの犬山城。

  手前、川沿いには桜並木。

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  撮影 2012/03/20

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2012年3月18日 (日)

京都 嵐電 帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅 - 北野天満宮からの帰り

 

  この日の目的地は妙心寺と梅の北野天満宮でした。

岐阜から京都まで来て、京都からさらにJRの嵯峨野線(山陰線)の花園駅まで行き妙心寺へ。

妙心寺を散策しながら南から北に抜けて、嵐電妙心寺駅から北野線で北野白梅町下車。

その後、歩いて5分の北野天満宮を散策。

これで帰る訳ですが、青春18切符を利用しているので、JR嵯峨野線(山陰線)の嵯峨嵐山駅に近い嵐電嵯峨駅に向かうべく、北野線から本線に乗り換えるために、この乗換駅である帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅にやって来ました。

 

  北野白梅町から4番線に到着して乗り換え。

  同じホームの2番線からは四条大宮行きに、ホーム替わって1番線から嵐山行きに乗り換えます。

  このホームの東(向こう)に切り欠きの3番線があります。

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  2番線四条大宮行き。

  終点の四条大宮駅では地下にある阪急大宮駅に乗り換えることができます。

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  1番線に嵐山行きが到着。

  嵐電は1乗車均一200円で、降車時に払います。

  この帷子ノ辻駅では、乗り降り自由で、駅を出るときのみに改札で200円払う仕組みです。

  また1日乗車券500円があり、最寄のお寺の拝観料が1割引になったりする様々な特典があります。

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  嵐山方面に出発。

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  切り欠きの3番線。普段は留置車と書いた電車が留置されています。

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  4番線北野白梅町行きの前面。

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  1番線嵐山方面ホームから2、4番線を。

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  向こう側が4番線北野白梅町行き、手前2番線四条大宮行き。

  どちらも車両後部。

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  撮影 2012/03/11

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2012年3月16日 (金)

近江鉄道 近江八幡駅 - 京都 二条城からの帰り 3月3日

 

  3月3日に二条城を訪れて、帰りに近江八幡駅で途中下車した折の近江鉄道近江八幡駅。

近江鉄道の鉄道線は米原~彦根~高宮~八日市~日野~水口~貴生川の本線、高宮から分岐して多賀大社前までの多賀線、八日市から分岐して近江八幡までの八日市線の3路線があります。

JRとは本線の米原、彦根が東海道線と、同じく本線の貴生川で草津線と接続、そして八日市線の近江八幡駅が東海道線で接続しています。

たまたま、近江八幡駅で途中下車したときに、近江鉄道の800系電車が到着したので、折り返し出発するまで見ていました。

八日市線は、ほぼどの時間帯も30分毎、1時間に2本の運行が確保されています。

本線や多賀線では1時間に1本の場合が多くあり、八日市線は3路線の中では最も安定した頻度で運行されています。

 

  近江八幡駅駅前。

  駅前から市内の観光地である八幡山(ロープウェイがある 八幡山城跡)、八幡堀、長命寺等へのバスが発着します。

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  橋上駅舎の自由通路から近江鉄道のホームへ下りることができます。

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  八日市発の800系2両編成の電車が到着。

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  2線あるうち東側に入りました。

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  ということで、東口に出てみることにしました。

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  木の繁みが邪魔でこれが精一杯です。

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  JRで米原方面に帰りました。

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  撮影 2012/03/03

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2012年3月15日 (木)

岐阜市 梅林公園 - 例年より遅かった 梅の開花

 

  今日(3月15日)、岐阜市内にある、近くの梅林公園という梅の名所に行って来ました。

たいそう風が強くて閉口しました。

恒例の梅祭りは、とっくに終わってしまいましたが、開花状況は最も本数の多い中咲き種が、今が見ごろの7分から8分というところ。

早咲き種は終わり、遅咲き種は咲き始めとのこと(岐阜市梅林公園調べ13日現在)。

 

公園内の梅の種類は岐阜市のHPから

本 数 白 梅 700本
     紅 梅 600本 計 1,300本

咲き分け
早咲き種 7種 110本
中咲き種 33種 950本
遅咲き種 10種 240本

 

  アクセス(駐車場はありません)  

       バス運賃は市内料金の200円。

JR岐阜駅⑬、⑭番乗り場又は名鉄岐阜駅前⑥番乗り場から

大洞緑団地行き、諏訪山団地行き又はせき東山行き 約10分―「梅林公園前」下車 徒歩3分

 

 電車と徒歩での行き方

   「名鉄各務原線」の「田神駅」(名鉄岐阜駅の次の駅)下車

 

   田神駅前は東西の大通り、左手すぐの信号(手押し)を北に、

   そのまま次の大通りを渡り(信号なし)

   すぐに左手に梅林小学校、これを左に見てそのまま北へ

   北へ行くとすぐに東西の大通りへ、この通りに「梅林公園前」バス停があります。

   北へ3分で梅林公園。

 

   田神駅からは1Km足らず(700mぐらい?)。

   徒歩で行く場合は、一本道でバス停のある通りまで行くことができるので、

   一番わかりやすいと思います。(帰りは迷う可能性あり)

 

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  後背地が山で、公園はその南にあります。

  もともとは私有地で、その地主さんが公園として、梅の木を植えたのが明治の初期。

  のちに市民に開放されて、いつしか梅林公園といわれるようになり、1948年に岐阜市に委譲され、現在まで市民の憩いの場となっています。

  小さい頃はよく遊びに行った所で、現在の広場に当たるところには野球場があったのを憶えています。

  後背の山からは岐阜城へも行くことができ、複数あるルートのひとつです。

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  撮影 2012/03/15

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