2017年8月15日 (火)

山口県柳井市と防府市を観光(10) - 防府市 周防国分寺(すおうこくぶんじ)

 

  防府天満宮から山陽道を東に向かいます。

途中で山陽道は少し北にあがりそこからさらに東に向かいます。

防府天満宮から周防国分寺までは約500mぐらい。

したがって歩いても10分足らずの距離にあります。

とにかく強い日差しと暑さには閉口しました。

暑いと集中力が落ち、注意力が散漫になり、境内を回っても随分と見落としが多くなります。

すでに防府天満宮では宝物館を訪れ損ないました(月曜日で休みだったかも知れないのですが)。

 

  途中で目にした防府天満宮大宮司 武光家屋敷跡。

  平成24年の「さかたり」(防府天満宮の社報)では来春、武光家屋敷跡に大宮司武光家資料館の開館計画があるとしるされていますが、以後どうなったのでしょうか?

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  やがて道路に面して大きな樹木が見えてきました。

  駐車場に自転車を置き、門へ。

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  門前から山陽道の西の方を振り返ったところ。

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  国分寺は天平13年(741年)聖武天皇の詔(みことのり)によって諸国に建立された官立の寺院です。

 

  仁王門。

  現在の仁王門は文禄5年(1596年)に毛利輝元が再建したもの。

  仁王像は室町時代。

  県指定の文化財です。

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  門内に入ると正面に金堂。

  この日は月曜日で拝観は叶いませんでした。

  拝観料は大人500円、小人300円、休館日は月曜日。

 

  現在の金堂は安永8年(1779年)毛利重就によって再建されたもの。

  国の重要文化財に指定されています。

  堂内には本尊薬師如来(重要文化財)をはじめ50余体の仏像を安置(ホームページ参照)。

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  金堂正面。

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  金堂の右横にある樹齢1000年と言われる槇(まき)の木。

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  中門(二ノ門)。

  寛永9年(1632年)毛利秀就によって再建されたもの。

  1999年の台風によって破損し修理途中。

  屋根に瓦がのっていません。

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  水鏡の井戸。

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  金堂の東側から仁王門を望んだところ。

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  聖天堂。

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  奥に持仏堂や庫裏があるようです。

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  金堂の裏側。

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  正面に戻って、引き返します。

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  自転車を置いた駐車場から仁王門。

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  撮影 2017/07/31

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2017年8月13日 (日)

山口県柳井市と防府市を観光(9) - 防府市 防府天満宮(ほうふてんまんぐう)

 

  菅原道真が失脚し九州太宰府に流される途中に立ち寄った宿泊地の一つが防府です。

道真が亡くなった日に防府勝間の浦に神光が現れ、酒垂山に瑞雲が棚引くなどしたために、これは道真の願いであると、この地に道真の霊魂を祀ることとなり、翌年の延喜4年(904年)に「松崎の社」が建立されました。

これが現代の防府天満宮です。(防府天満宮ホームページを参照)。

「日本最初に創建された天神様」と称し、日本三大天神とも言われています(ほかは太宰府天満宮(福岡県)、北野天満宮(京都市))。

 

  萩往還を東に防府天満宮へやって来ました。

  萩往還はここで南に折れ、三田尻に向かいます。

  石造りの一の鳥居。

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  青銅鳥居。

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  一の鳥居を振り返った所。

  南に向かう参道が萩往還。

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  石段を登り楼門へ。

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  石段を登る途中に右側に圓楽坊跡。

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  左に大専坊跡。

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  大専坊跡の門前から現在は茶室芳松庵となっている圓楽坊跡。

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  防府天満宮楼門。

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  拝殿。

  現社殿は昭和33年(1958年)の建築。

  登録有形文化財に登録されています(2009年)。

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  社殿の西門から出ると春風楼があります。

  もともとは五重塔を建築するつもりが幕末の混乱などで完成せず、明治6年(1873年)に楼閣として完成しました。

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  手前が燈明台、向こうが演舞場。

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  筆塚。

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  防府の町並みの眺め。

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  楼門の前に戻って来ました。

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  石段を下りて、向かって右側にあるまちの駅「うめてらす」の中の椅子に座り、しばらく涼みました。

  「うめてらす」にもレンタサイクルがあります。「うめてらす」案内。

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  しばらく休んで門前の道路から再び東に向かいました。

  とにかく暑い。

  ここからは休むところも見つからず(ベンチはある)、僅かに毛利博物館の展示場所で涼むことができたのが唯一。

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  撮影 2017/07/31

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2017年8月12日 (土)

山口県柳井市と防府市を観光(8) - 防府市 種田山頭火生家跡から定念寺、宮市本陣兄部家を経て防府天満宮へ

 

  新山口(旧小郡)で一泊し、あくる朝、防府へ出発しました。

防府は新山口から電車で15分ほど。

レンタサイクルを借りることのできる観光案内所が開くのは9時、したがって9時頃の電車でゆっくりと出発しました。

レンタサイクルは電動アシスト自転車が4時間で300円、普通自転車が4時間200円で4時間を超えると追加料金が発生します。

私は当然のように電動アシスト自転車を借りました。

坂道での威力は抜群ですが、実際、毛利邸付近ではその威力を如何なく発揮しました。

 

  奈良時代以降、防府には周防国(すおうのくに)の国府が置かれ、その遺構としての国衙跡や国分寺は見どころです。

また、近世は萩藩が参勤交代で使用した港が防府市南部の三田尻にあり、御船手組の根拠地としてその遺構や茶屋などが残っています。

明治になると毛利宗家の邸宅が防府に計画され、大正元年(1912年)に着工、大正5年(1916年)に完成しました。

邸宅と庭園は現在、毛利博物館、毛利庭園として公開されています。

 

  新山口発8時59分徳山行きで出発。

  防府には9時14分着。

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  まず最初に訪れたのが俳人の種田山頭火の生家跡。

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  生家跡の少し北に山頭火が通学に利用したという小径があります。

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  中には入らず。

  さらに北に向かいます。

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  北に向かうと東西の道路に出ます。

  これを東に行きます。

  道路沿いにある定念寺。

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  そこに萩往還のモニュメントがあります。

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  萩往還はここからさらに東に通じ、防府天満宮の前で南に折れ三田尻へ向かいます。

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  定念寺から少し行くと右手に宮市本陣兄部家(こうべけ)があります。

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  残念ながら平成23年(2011年)に火事で焼失してしまい、更地と化しています。

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  門と築地塀がポツンと。

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  平成5年(1993年)の記述。

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  さらに東へ。

  じりじりと照り付ける日差しで腕がヒリヒリしてきました。

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  防府天満宮の前に出ました。

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  撮影 2017/07/31

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2017年8月11日 (金)

山口県柳井市と防府市を観光(7) - 徳山駅(山口県周南市)にて

 

  周南市(しゅうなんし)は徳山市、新南陽市、熊毛町、鹿野町が合併して(2003年)できた新しい市。

その中でもひと際大きいのが徳山です。

合併直前、旧徳山市が人口10万人、旧新南陽市が人口3万人ちょっと、旧熊毛町が1万6千人、旧鹿野町が4千5百人ほどで、現在は周南市合計14万3千人ほど。

旧徳山市は周南地域(ほかに光市、下松市など)でも一番の大きな都市と言っても良さそうです。

柳井も翌日訪れた防府もそうでしたが、とにかく喫茶店のような場所が見つかりませんでした。

徳山なら喫茶店はあるだろう、もしくは見つけられるだろうと見当を付けて、宿のある新山口駅まで行く途中の徳山駅で下車しました。

 

  徳山駅は工事中。

  アーケード街を奥に進みましたが見つけられず、横道から大通りに出て、通りの反対側に喫茶店を見つけました。

  食事とアイスコーヒーで一息つきました。

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  徳山駅にて。

  岩徳線岩国行き普通気動車。

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  徳山駅 遠くに見えた115系4両編成。

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  宿のある新山口駅まで来てみると、なんとここでも工事中。

  しかもここでも街の中の喫茶店は皆無で、駅の待合室で休むしかありませんでした。

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  撮影 2017/07/30

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2017年8月10日 (木)

山口県柳井市と防府市を観光(6) - 柳井市 「むろやの園」商家博物館

 

  「むろやの園」はその屋号である「室屋」から来ています。

 

  柳井市のホームページによれば、

「室屋」の小田家は初代善四郎が元禄元年(1688)新庄村庄屋小田家から柳井津 金屋へ分家独立。

当初は反物、打綿、菅笠などの商売を営み、二代目善四郎の時、大阪との間で油の取引も始め、三代善四郎の時には50石~125石積船を50艘ばかりに増し、商取引は最盛期を迎えました。

四代目六左衛門の頃には油商としての性格が次第に強まっていきます(これが18世紀後半から19世紀の初め)。

 

  また小田家は岩国の吉川家に(柳井は岩国吉川領だった)献金などで度重なる貢献をし士分に取り立てられました。

(むろやの園に甲冑が残っていたり、中間部屋があったりするのはその名残りとも言えます。)

現在、(1)小田家代々の使用してきた生活用具1553点、(2)文書1011点、(3)町家、主家ほか10棟のすべてが県指定有形民俗文化財となっています。

主家(主屋)は享保年間(1730頃)の建築で県下でも最も古い町家に属する、そうです。

柳井市のホームページより。

 

  入口は交差点の南東側にあります。

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  「むろやの園」の南北の長さは119m。

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  入口を入って振り返った所。

  拝観料は大人450円、中高生350円、小学生300円。

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  「むろやの園」見取り図。

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  庭に出る前に振り返った所。

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  中間部屋があるのは小田家は士分ということで家来が必要だったとのこと。

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  庭と蔵。

  左側と奥は住居部分。

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  左側の住居部分。

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  本蔵。

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  本蔵の中。

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  奥に向かって右側の勘定蔵。

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  吉川家から拝領の甲冑。

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  次が米蔵。

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  米蔵の中。

  とにかく夥しく品々が残っています。

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  振り返って正面に本蔵。

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  主屋(主家)に戻って。

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  主屋二階部分。

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  外へ出て主屋の部屋。

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  大規模に家屋、生活用品などが残っていた「むろやの園」。

  「むろやの園」を出た頃には完全に暑さにやられていました。

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  暑い中、駅に戻ってきました。

  その暑さ故に、残りの防府市まで回る気力は失せました。

  防府はあくる日に回ることにしましたが、

  当のこの日はまだ日も高く、宿に入るには早いので、徳山駅で途中下車して喫茶店を探すことにしました。

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  撮影 2017/07/30

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