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2009年6月21日 (日)

田丸城(三重県玉城町)(1) - 江戸時代は紀伊藩領

 

  織田信長の伊勢侵攻時、田丸城主は田丸直昌でした。

田丸氏は伊勢国司北畠氏の庶流で田丸(昔は玉丸と書いたようです)に居を定めて田丸を名乗ったようです。

信長の伊勢侵攻後、田丸直昌は城を明け渡し織田信雄に仕えるようになります。

田丸城も信雄の城となり1575年に改築されましたが、5年後火災にあい信雄は田丸城を捨て松ヶ島城に移ってしまいます。

その後、城の持ち主は蒲生氏、稲葉氏、藤堂氏と変遷しますが、1619年に御三家徳川紀州藩の所領となり、紀州藩の家老である久野氏が城主となり、明治維新に到ったそうです。

ただし久野氏は和歌山で藩主のもとにいましたから、田丸には城代を置いて統治しました。

 

   田丸駅前の左手の道をたどると信号のある五叉路に出ますが、そこもまっすぐに渡り行くと、保育所の入り口に出ます。

この左右が外濠で、さらに左手に保育所、右手の方向に玉城町役場を見ながら行くと内濠に出ます。

 

   外濠の左手。

   こちらの方にも登り口があります。

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   内濠の石垣。

   この上には玉城中学校があります。

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   内濠と役場の間の道を行き、役場前のバス停留所のある大手からの入り口。

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   あがるとすぐに移築された富士見門(長屋門)の前に出ます。

   アジサイが綺麗です。

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  この富士見門の前を左手には車が通行できる道路があり、中学校の校門に出られるようになっています。

  右には遊歩道があり、左手の方は学校へ行く道と勘違いしてしまい、遊歩道へと向かいます。

  帰ってから他のサイトやブログなどで確認すると、訪れた人皆さん、左手の道路は学校へ行く道と勘違いされ、遊歩道への道を選んでおられています。

  これ、降りてきて気付くんですよね。

  なんだ行けたのか、と。

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  右手の遊歩道は、北の丸をぐるりと一周して北の丸と本丸との間の空堀に出、木製の階段を上がって本丸の前に行けます。

  右が北の丸。左が本丸の石垣。

  この左方向が下二枚の本丸虎口。

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   本丸虎口(こぐち)。

   入ると本丸です。

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   天守台。

   本丸に入って右にあります。

Pict0037

  撮影 2009/06/18

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