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2009年6月

2009年6月29日 (月)

京都 仁和寺(1) - 嵐電で仁和寺へ

 

  京福電鉄北野線「御室仁和寺(おむろにんなじ)」駅からまっすぐに北にのびる道路の向こうに仁和寺の二王門が見えます。

二王門をくぐるとまた境内を真っ直ぐに参道があり、先に中門があります。

中門を中に入ると奥に国宝の金堂、右手に五重塔があります。

といってもすぐに金堂があるような狭さではなく寺域が広いので、全部を拝観するのに30分から40分はかかります。

さて、すぐに境内を歩くのではなく、二王門をくぐって拝観受付を済ませるとすぐ左手に御殿がありますから、まずこちらへ。

御殿の入り口で靴を脱ぎ、この建物からすぐに庭の見える白書院に。

縁側には外国人のカップル、若い女性等数人が写真を撮ったり、おしゃべりをしながら石庭を前にくつろいでいます。

その奥には宸殿(しんでん)があります。

御殿の中心部ともいえる建物です。

宸殿を境に入り口に近いほうの南庭が石庭で北庭は池泉式の庭となっています。

宸殿を北側に回ると北庭の向こうに五重塔が望めます。

宸殿を一周し、白書院からの廊下に戻り、そこから奥の西には黒書院があります。

宸殿以外の黒書院、白書院とも部屋の様子や襖絵など廊下から見ることができるようになっています。

御殿だけでもなかなかのものです。

ちなみに、仁和寺は世界遺産に登録されています。

 

   昨日の写真の使いまわしです。

   駅から仁和寺の二王門が。

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   二王門。

   なかなか立派な門ですが、京都にはたくさんありますよね。

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   二王門を入ってすぐに拝観受付がありその左手が御殿の入り口。

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   宸殿(しんでん)。

   南側の石庭があります。

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   宸殿から石庭越しに勅使門と二王門。

   右手側には白書院があり縁側で皆さん座ってくつろいでいました。

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   宸殿の東側を回り北側に出ると庭越しに五重塔が。

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   宸殿の北側を北庭越しに。

   黒書院から北にある霊明殿への渡り廊下から。

   霊明殿からは引き返します。

   宸殿の北側の縁側では年配の方が座って庭を眺めています。

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   仁和寺境内の図。

   一番下の門が二王門でその左手が庭のある御殿。

   二王門と対極の北にあるのが国宝金堂です。

   その間に中門があります。

   花の絵が描かれているのは御室桜(おむろざくら)。

   春は特に良いですね。

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   撮影 2009/6/27

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2009年6月28日 (日)

京都 京福電鉄北野線 - 嵐電で仁和寺へ

 

  土曜日に久し振りに京都へ行ってきました。

所用半分、旅行半分でしたから京都駅をバスで出発したのは一時半過ぎでした。

洛バス101系統で出発。

以前にも書きましたが、洛バスは観光客のために市内の主要な観光地を回れるように配慮されたバス系統です。

洛バスは3系統あり、100系統が東山から銀閣寺方面、101系統が二条城から北野天満宮、金閣寺方面に、そして102系統は銀閣寺と金閣寺結ぶ路線で、うまく使うと効率よく市内観光ができます。

今回は仁和寺が目的で、二条城、北野天満宮を経て北野白梅町で降車。

北野白梅町には京福電鉄北野線の北野白梅町駅があり、北野線の始発・終着駅です。

ここから御室仁和寺駅まで行きます。

忘れましたが、バスは一乗車220円。

一日乗車券500円があります。

嵐電は全線一乗車200円で、駅員のいない駅では前降りです。

「嵐電一日フリーきっぷ」500円があります。

 

   京福電鉄北野白梅町駅。

   交差点を渡って正反対の東に行きますと5分ぐらいで北野天満宮の前に出ます。

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   北野白梅町駅の構内。

   帷子ノ辻(かたびらのつじ)行き。

   10分間隔で運行されています。

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   御室仁和寺(おむろにんなじ)駅。

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   昔は単に「御室(おむろ)駅」の駅名だったのでしょう。

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    御室仁和寺駅から仁和寺の山門がのぞめます。

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   撮影 2009/06/27

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2009年6月26日 (金)

松阪城 - 江戸時代は紀伊藩領南伊勢を統括

 

  松阪城は安土桃山時代の1588年に蒲生氏郷(がもううじさと)により築城されました。

蒲生氏は近江で六角氏に仕えていましたが、1568年の織田信長の上洛の際に六角氏を離れ織田家の配下に入ります。

このとき六角氏は抵抗して滅びました。

氏郷はこのとき13歳で人質として預けられますが、信長は武将としての氏郷を評価し娘婿として遇しました。

氏郷は翌年の伊勢の北畠攻めの大河内城攻略戦を初陣として各地を転戦し、信長が倒れた後は秀吉に組みします。

のち柴田勝家との信長後継争いを制した秀吉は家康と対峙し小牧長久手の戦いとなりますが、氏郷も小牧に従軍します。

もともとこの戦いの直接の原因は秀吉と伊勢の松ヶ島城城主の信長の遺児の織田信雄とが不和となり、信雄が家康を見方に引き入れたものです。

したがって伊勢も戦場となり、氏郷は自分の兵を二分して松ヶ島城攻めにも坂源左衛門を遣わし参戦しています。

こちらの総大将は秀吉の弟の秀長でした。

そして戦後に氏郷は近江の日野(もともとの持ち城)から松ヶ島城に入ります。

先日の田丸城の記事で信長の北畠攻めの後、信雄が田丸城に入り、のち田丸城が火災にあい松ヶ島城に移ったことを書きました。

同じように氏郷は松ヶ島城に入りましたが、彼もここを打ち捨て結局松阪城を築きます。

彼は元の領地の日野から商人等を呼び寄せ松阪の基礎を築きました。

こののち、蒲生氏郷は小田原の役が終わるとその軍功により大きく加増されて会津に転封となり松阪を去ります。

これが1590年のことです。

そして城主は服部氏、古田氏を経て、1619年古田氏の移封にともない最終的に紀州藩領になります。

 

   御城番屋敷を石垣の上から。

   レンガ色の建物は松阪工業高校です。

   この高校の創立は古く、明治までさかのぼります。

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   松阪城の裏門です。

   普通の順路とは真逆に歩いています。

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    裏門の坂を上から。

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   あがるとすぐ左手に階段があり「鈴屋 (すずのや)」への門があります。

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   移築された本居宣長旧宅の「鈴屋(すずのや)」。

   さらに奥に本居宣長記念館があります。

   拝観料は「鈴屋」と共通で300円です。

   写真はありますが、うまく撮れていないのでカットしました。

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   天守台跡のある本丸に向かいます。

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   天守台。

   意外に質素です。

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   天守台から本丸跡を。

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    松阪歴史資料館の前を下りて入り口に。

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   こちらが表です。

   大手通りの突き当たりと思っていただければわかりやすいと思います。

   右手の坂を上がるとすぐに松阪歴史資料館。

   明治時代の図書館だったそうです。

   拝観料は100円。

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  撮影 2009/06/18

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2009年6月25日 (木)

松阪市(三重県)の御城番屋敷 - 戦国時代の横須賀党の子孫

 

  御城番屋敷が建設されたのは幕末の文久三年(1863年)のことです。

そしてこの屋敷に住みついたのは戦国時代から勇猛で知られた横須賀党と呼ばれる武士団の子孫でした。

横須賀党は、現在の掛川市にある当時の武田勝頼方にあった高天神城を攻略すべく作られた横須賀城の城主の大須賀康高率いる武士団のことです。

大須賀氏率いるこの武士団は家康の家臣としてその後転戦しますが、1615年の大坂夏の陣の後、大須賀氏は世継ぎがいなくなり断絶となり、横須賀党は主家を失います。

しかし、この後横須賀党は家康の息子の徳川頼宣(よりのぶ)お付きとなり紀州に定着します。

ただ、現在でいう勤務地は紀州徳川家の付家老の安藤氏の紀伊田辺でした。

身分は紀州徳川家の直臣で安藤氏に対しては与力(力を貸す)という立場としての勤務です。

そして時代が下った安政二年(1855年)に「田辺与力」と呼ばれていたこの武士団に安藤氏の家臣にするという命令がでます。

これは紀州徳川家の直臣(直接の家臣)から陪臣(家臣の家臣)に格下げの意味ですから、これには抗議等しましたが受け入れられず、結局彼らはこれを潔しとせず、浪人の道を選びます。

その後、再仕官できるように運動をした結果、6年後に再び藩に戻ることができ、このときに松阪の城番となります。

こうして松阪の今に残る御城番屋敷に住まうことになったというのが経緯です。

 

  そして、すぐに明治維新となり武士は廃業の憂き目となりますが、彼らは政府からの廃業保障として得たお金(歴史用語ですが忘れました)で「苗秀社(びょうしゅうしゃ)」を作り様々な会社事業を行い、現在も合資会社「苗秀社」として活動を継続しています。

現在は直系の子孫11名で構成されているそうです。

 

    旧参宮街道から、方向的には南西になりますか、駅とは反対側に入って行きますと小学校があります。

   そこを右に見ていくとやがて武士屋敷の雰囲気の生垣が連なる殿町(旧・同心町)に出ます。

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   上の道を右に折れます。

   そして少し左よりに行くと松阪工業高校前に。

   道のかなたに松阪城の石垣と木の茂みが見えます。

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   高校の前を行き過ぎると松阪神社の鳥居の前に。

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   右手方向にすぐ御城番屋敷。

   左右に長屋形式の屋敷が。現在は平成の大修理の真っ最中。

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   もうお城の石垣が近いです。

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   すぐお城の裏門です。

   この右手には土蔵。

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   公開されている土蔵。

   本居宣長旧宅あたりにあった米倉を明治初期に現在地に移したらしいとか。

   土蔵に備え付けのパンフレットに書いてありました。

   見学無料。

   一室だけ入れます。

   中には横須賀党から苗秀社までの歴史が写真と共にパネルになっています。

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   もう一度振り返ります。

   右手一番手前の一戸は公開されていると聞いていましたがどうも工事中のようでした。

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   お城の石垣の上から。

   雨が一時強くなった時間ですね。

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  撮影 2009/06/18

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2009年6月24日 (水)

松阪(三重県)の町を散策 - (松阪商人と本居宣長ゆかりの町)

 

  田丸から戻り、松阪の町を散策しました。

松阪は私にとっては二回目の訪問です。

以前に訪れたときはあまり下調べをすることなく歩いて廻りましたが、印象に残っていたのは、お城跡と本居宣長記念館、鈴屋(すずのや)ぐらいでした。

今回は結構下調べをして臨みました。

 

  松阪の見所はいくつもありますが、以下のような点に絞り込むことができます。

まずは松阪城跡。

私にとってはこれが目的ですからこれは外せません。

二つ目は御城番屋敷で、歴史的に調べてみるとかなり深いものがあります。

次に本居宣長に関するもの。

「本居宣長記念館」は必見で、移築された旧宅の「鈴屋(すずのや)」と旧宅跡も見ておきたいですね。

そして市内に散在する古い豪商宅や三井家発祥の地とか、お寺等の文化財があります。

また、最近は旧街道を訪ねて歩く人も多く、旧参宮街道や旧和歌山街道も見所です。

さて、私が今回巡ったコースは定番的ではなく、むしろ真逆に巡りました。

今日の写真は普通は一番最初に訪れるスポットですが、今回わたしは一番最後に見て廻りました。

 

   松阪駅前から駅前通りを。

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   駅前通りの一つ目の信号のある交差点から松阪駅を。

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   一つ目の交差点を右に折れて行きます。

   左側にはお寺が並びます。

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   上の道を行きますと下の地図の左右にのびる大通りの「大手通り」に出ます。

   「大手通り」の手前でちょっと迷いますが基本的にまっすぐ行けば出ます。

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   大手通り。

   突き当たりに松阪城があります。

   その手前右手に松阪市役所。

   一つ目のここを右に折れると三井家発祥の地。

   二つ目を右に折れると長谷川家と本居宣長旧宅跡です。

   この交差点の左右の道が旧参宮街道です。

   私は今回ここを左に折れ魚町界隈から松阪工業高校前、松阪神社、御城番屋敷とたどりました。

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   三井家発祥の地。

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   江戸時代の豪商の長谷川邸と街並み。

   この道すじだけ電柱が無く景観に配慮されています。

   はるかに見える電柱はもう川沿い。

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   長谷川邸の逆方向から。

   車が見えるのが「大手通り」です。

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   長谷川邸の斜め向かいにある本居宣長宅跡。

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   旧参宮街道沿いを歩いていたら奥に見つけた岡寺山継松寺。

   一枚下の写真は龍華寺。

   それぞれ市指定の文化財を多数保有されています。

   お寺さんは、他にも多数あります。

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  撮影 2009/06/18

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2009年6月23日 (火)

参宮線2009年6月 - 田丸駅から多気、松阪まで

 

  田丸城も充分堪能して、田丸駅に戻りました。

降車時もそうでしたが、駅員さんがいらっしゃったので出札して貰いました。

駅員さんから短距離の普通切符だけを買うのは余りなくなりましたですよね。

自動券売機はあったと思うのですが、なぜか駅員さんを煩わせてしまいました。

家に帰ってから調べると田丸駅にはみどりの窓口が設置されていて、駅員さんが限定的にいらっしゃるみたいです。

ちょうど亀山行きのキハ11の二両編成が待機中で、これに乗り込みました。

多気を経て松阪まで戻ります。

JR松阪、田丸間は320円です。

 

   田丸駅にて。

   亀山行きキハ11二両編成。

   二両なのは多気駅で紀勢線からの到着列車の乗客の乗り継ぎのためのようです。

   実際に到着後、列車は一挙に混みました。

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   多気駅。

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   多気駅の2番線で紀勢線列車の到着待ち。

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   向こうから来ます。

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   松阪の方向。

   紀勢線からの列車は結局3番線に入りました。

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   松阪駅。

   これから松阪のお城跡と町を散策します。

   ちなみに近鉄の松阪駅は反対側にあります。

   しかしJRホームと近鉄ホームは跨線橋でつながっており、互いの間の改札はありません。

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  撮影 2009/06/18 

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2009年6月22日 (月)

田丸城(三重県玉城町)(2) - 江戸時代は紀伊藩領

 

   この日は天気があまり良くなく、時々薄日がさす程度でほぼ曇り空でした。

この後、松阪では雨にも降られました。

 

  さて、本丸の天守台から田園風景を眺めた後、二の丸に向かいます。

二の丸は本丸からは北の丸と正反対の方向にあります。

二の丸、本丸、北の丸が横にならんでいると思っていただければよいと思います。

二の丸からも下に下りることができますが、二の丸虎口(こぐち)の下は中学校のグラウンド。

ですが、このまま下りていくと学校に入ってしまいそうです。

思案していると生徒が何人か体操服で出てきて、「こんにちは」と声をかけてくれました。

そこで聞いてみるとやはり学校に入るそうで、仕方なく元の二の丸から本丸へ、本丸虎口から出て下りました。

ここで気付くのですね。

富士見門前の道路を来ると学校の門にも行けますが、途中で登り口に分かれて上に行けるということが。

 

  下りきると、大手の道路を挟んで玉城町役場と村山龍平記念館があります。

私は全く存じ上げませんでしたが、村山龍平さんは朝日新聞の創始者で、郷土の偉人といわれる方だったのですね。

この記念館から隣にある旧三の丸にあったという奥書院に行けます。

しかし拝観は要予約と聞いていたので、結局そのまま田丸駅に向かいました。

 

   本丸の天守台。

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   本丸からみた田園風景。

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   二の丸。

   左に下りると二の丸虎口でグラウンドの上に出ます。

   奥にも下り口があるはずです。

   帰りの列車の車窓から確認できましたから。

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   二の丸虎口。グラウンドの上です。

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   二の丸あたりから田丸駅の方を。

   中央に田丸駅の屋根が見えます。

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    結局、本丸下から下りて、中学校の校門を見ながら下ります。

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   そして元の富士見門の前に戻ってきます。

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   大手の外堀の橋を渡って、大手口を見たところ。

   左手に玉城町役場、右手に村山龍平記念館と奥書院。

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   村山龍平記念館の隣、お城跡側にC-58蒸気機関車が。

   私の小さいころ高山線の旅客列車を牽引していて、岐阜駅でよく見かけました。

   参宮線でも活躍していたのですね。

   とても懐かしい。

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  撮影 2009/06/18

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2009年6月21日 (日)

田丸城(三重県玉城町)(1) - 江戸時代は紀伊藩領

 

  織田信長の伊勢侵攻時、田丸城主は田丸直昌でした。

田丸氏は伊勢国司北畠氏の庶流で田丸(昔は玉丸と書いたようです)に居を定めて田丸を名乗ったようです。

信長の伊勢侵攻後、田丸直昌は城を明け渡し織田信雄に仕えるようになります。

田丸城も信雄の城となり1575年に改築されましたが、5年後火災にあい信雄は田丸城を捨て松ヶ島城に移ってしまいます。

その後、城の持ち主は蒲生氏、稲葉氏、藤堂氏と変遷しますが、1619年に御三家徳川紀州藩の所領となり、紀州藩の家老である久野氏が城主となり、明治維新に到ったそうです。

ただし久野氏は和歌山で藩主のもとにいましたから、田丸には城代を置いて統治しました。

 

   田丸駅前の左手の道をたどると信号のある五叉路に出ますが、そこもまっすぐに渡り行くと、保育所の入り口に出ます。

この左右が外濠で、さらに左手に保育所、右手の方向に玉城町役場を見ながら行くと内濠に出ます。

 

   外濠の左手。

   こちらの方にも登り口があります。

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   内濠の石垣。

   この上には玉城中学校があります。

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   内濠と役場の間の道を行き、役場前のバス停留所のある大手からの入り口。

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   あがるとすぐに移築された富士見門(長屋門)の前に出ます。

   アジサイが綺麗です。

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  この富士見門の前を左手には車が通行できる道路があり、中学校の校門に出られるようになっています。

  右には遊歩道があり、左手の方は学校へ行く道と勘違いしてしまい、遊歩道へと向かいます。

  帰ってから他のサイトやブログなどで確認すると、訪れた人皆さん、左手の道路は学校へ行く道と勘違いされ、遊歩道への道を選んでおられています。

  これ、降りてきて気付くんですよね。

  なんだ行けたのか、と。

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  右手の遊歩道は、北の丸をぐるりと一周して北の丸と本丸との間の空堀に出、木製の階段を上がって本丸の前に行けます。

  右が北の丸。左が本丸の石垣。

  この左方向が下二枚の本丸虎口。

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   本丸虎口(こぐち)。

   入ると本丸です。

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   天守台。

   本丸に入って右にあります。

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  撮影 2009/06/18

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2009年6月19日 (金)

田丸(三重県玉城町)へ - 松阪までは近鉄で、その後はJRで

 

  久しぶりに近鉄電車を利用して三重県の松阪、田丸へ行ってきました。

松阪は、皆さんまあまあご存知でしょうが、田丸はお城好きな方しかご存知ないと思います。

松阪城跡も田丸城跡も基本的には石垣のみしか残っておらず、お城関係の建造物は再建もされていないので、普通の観光客には物足りないかも知れません。

今回の旅は、「とくとく切符」などは使用せずひたすら実費での移動で、JR西日本のICOCAカードに七千円ほど残っていたのでこれを活用しました。

  JR岐阜駅を10時前に出発。

岐阜駅の4番線に岐阜発岡崎行き普通の211系がスタンバイしていましたが、これをやり過ごしてもう一本後の浜松行き普通に乗り込みました。

名古屋までJRにしたのは、ICOCAカードが使えることと、名鉄より岐阜、名古屋間は90円安いことです。

JRは450円、名鉄は540円です。

  さて名古屋からは久しぶりの近鉄電車です。

特急に乗りたいところですが、我慢して10時21分発の宇治山田行き急行で出発します。

基本として名古屋線の急行は六両編成で、名古屋寄り2両の座席はロングシートで、津、四日市方面4両は転換クロスシートです。

したがって長距離乗車であれば前四両に乗車がベターです。

  松阪には11時43分に到着。

なお、近鉄名古屋、松阪間は関西私鉄を網羅している「PiTaPaカード」適用区間なのでICOCAカードが使用できます。

近鉄名古屋、松阪間は1230円でした。

ちなみにJR東海の「TOICA」カードは、関西線では四日市までしか使用できません。

 

  松阪の散策はあとにして、まず田丸を訪れました。

松阪から田丸まではJRの紀勢線、参宮線になります。

鳥羽行きのキハ11気動車の単行ワンマンに乗って伊勢市方面に向かいます。

田丸は紀勢線から参宮線に分岐する多気駅から伊勢市方面に二つ目の駅です。

  ところで紀勢線は今年で全通50周年とか。

1959年(昭和34年)に紀伊半島一周が達成されました。

また、多気駅からは参宮線となりますが、参宮線の歴史は古く、前身の参宮鉄道が1893年(明治26年)に津ー宮川間が開通しています。

その際に田丸駅がすでに開業しています。

 

   岐阜駅。

   手前が岐阜発岡崎行き普通の211系。

   向こうは高山線気動車。

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   近鉄名古屋駅。

   回送のアーバンライナー。

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    田丸駅。

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    田丸駅で停車中の鳥羽行き普通のキハ11単行ワンマン。

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   田丸駅駅舎。

   大正初期の年代ものの木造駅舎です。

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   駅前広場の左手の道を行くと田丸城跡に。

   その道路から駅前方向を振り返ったところ。

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  撮影 2009/06/18

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2009年6月17日 (水)

JR四国113系 - ちょっとショッキングなカラーリング

 

 JR四国の113系に私が最初に出会ったのは今治からの帰りの観音寺駅でした。

2005年の秋、10月です。

エーっという様な常識外のカラーリングで到着して来ました。

岡山発で、観音寺で折り返し高松行きだったと記憶しています。

その後、神戸からのジャンボフェリーで早朝に高松に着き、高松から西に向かう電車は常にこれらの113系の琴平行きでした。

それ以来、四国へ行くとこのカラーリングの113系が気になって仕方がありません。

 

  よく調べると、JR四国にはこの113系が3編成あり、三種類のそれぞれのカラーリングの編成があるようです。

下の写真のように、私は2編成までは確認していますが、もう一編成、青に緑帯の編成があるようです。

「JR四国 113系 」で検索するとたくさん出てきます。

なお、車内は転換クロスシートにリニューアルされていて、乗り心地は上々です。

 

   観音寺駅にて。

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   早朝の高松駅にて。

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撮影 2007/3/1

 

   同じく高松駅にて。早朝5時半ごろです。

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  撮影 2009/1/17

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2009年6月15日 (月)

豊橋駅3番線

 

  豊橋駅は1番線から8番線の在来線と11番線から13番線までの新幹線ホームがあります。

このうち3番線のみが名鉄の使用番線となっています。

1、2番線の飯田線と3番線の名鉄のみが頭端式(いわゆる行き止まり)ホームです。

また、豊橋駅から4Kmほどは名鉄と飯田線は線路が共有されています。

 

  ところで、私が以前から気になっていたのは、豊橋駅での名鉄の車両は特急のパノラマスーパーしか見ないことでした。

で、時刻表で調べてみたら、豊橋発の電車は快速特急、特急、急行しかなく、必ずしもパノラマスーパーだけではない事が判りましたが、昼間帯には1時間に6本しか豊橋発が無く、急行は2本だけとわかり、今までの疑問がやっと解けました。

単なる巡り合わせの問題だった訳ですが、それにしても豊橋駅での発着本数が少ないですね。

普通電車は豊橋の次の伊奈駅から出る仕組みになっているようです。

 

   名古屋方面から到着したパノラマスーパー。

   豊橋駅3番線にて。

   左手、JRの大垣行き新快速が出て行きます。

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   撮影 2009/6/2

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2009年6月14日 (日)

名鉄 - 見たくない編成(名鉄岡崎公園前駅にて)

 

  先日の旅行で岡崎公園前駅で見かけた快速特急です。

前六両は普通の特急用電車ですが、増結用の後ろ二両は3500系のようです。

時々名鉄は、こんな編成を平気でやってしまいます。

色彩的にやはり、止めたほうが良いとは思うのですが。

大阪に在住の頃に南海電車の和歌山行き特急にもこんな編成がありましたが。

  これは定時運用なのでしょうか。

昔、かなり昔ですが、当時の特急はあのパノラマカーでしたが、踏切事故が相次いで起こり先頭車が次々とやられて編成が組めずに、否応なしに別の色違い車両や、普通の形状の車両を併用していたことがあったのを思い出しました。

でも、非常時以外はこんな編成は見たくありませんね。

 

    岡崎公園前駅にて。

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   撮影 2009/6/2

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2009年6月13日 (土)

二回目の名鉄「まる乗り1dayフリーきっぷ」の旅(7) - 名鉄蒲郡線2009年

 

  蒲郡線はかっては観光路線としての位置づけがありましたが、この地域の観光の地盤沈下により現在は通勤、通学が主流で、それゆえに収支の悪化を招き、存廃問題が現実化しました。

この地域は、昔から温泉地として有名で数多くの温泉がありますが、やはり他に売りが無いのが問題ではないかと。

昔、昭和の時代にはこういう近郊型のリゾートは重宝しましたが、現代の人々にはあまり魅力的には思えないのでしょう。

 

   吉良吉田駅蒲郡行き。

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   いきなり一駅目の三河鳥羽駅で交換。

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   西浦駅。西浦温泉があります。

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   西浦駅を出発。

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   三河鹿島駅をあとにします。

   次は競艇場前。

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   蒲郡競艇場前。

   次で終点の蒲郡。

   高架になっていきます。

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   蒲郡駅にて。

   向こう側はJR蒲郡駅。

   高架駅です。

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  撮影 2009/06/02

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2009年6月12日 (金)

二回目の名鉄「まる乗り1dayフリーきっぷ」の旅(6) - 名鉄西尾線吉良吉田駅(愛知県吉良町)

 

  西尾駅をさらに南に12分で終点の吉良吉田駅に着きます。

吉良吉田駅のある吉良町は、忠臣蔵で悪役になっている吉良上野介の所領のあった町です。

吉良吉田駅のひとつ西尾寄りに上横須賀という駅がありますが、陣屋跡など吉良氏にまつわる城跡、文化財などはこのあたりに散在しています。

結構広範囲にありますから、じっくり巡ると半日以上かかるかも知れません。

レンタサイクルがあるみたいですからこれがお薦めですね。

上横須賀駅前のタバコ屋さん、吉良吉田駅前の喫茶店に無料のレンタサイクルがあります。

他の公共施設にも同様のレンタサイクルがあり、返却はいずれの場所でも可能です。

吉良町観光協会のホームページに見所やレンタサイクルなどの情報があります。

吉良町巡りも楽しそうですが、他にも行きたい所もありますし、優先順位の問題になりますね。

 

 吉良氏の話に戻りますが、吉良氏は足利氏の分家ですが(鎌倉時代の初期に分家、吉

良荘に住したので吉良を名乗る)、結局大きな大名にはなれず、吉良氏からの分家であ

る今川氏にも(吉良氏に分家してその子供の一人ががさらに分家して現西尾市の今川荘に住して今川氏を名乗る)圧迫されて家臣同然の状態になり、

最終的には徳川家康(当時は松平)の三河統一戦の過程で降伏を余儀なくされます。

後に一族が家康に仕官して旗本・高家として儀典関係の役に就きますが、赤穂浪士の一件で改易となり断絶。

足利氏一門の名家でしたが、ある意味悲運の家系でした。

なお、上野介は地元では名君として慕われています。

また、現在では赤穂と吉良は様々な交流があるそうです。

 

   名鉄吉良吉田駅前の広場。

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   西尾方面を。

   電車は折り返し新安城方面佐屋行き急行になります。

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   佐屋行き急行を西尾方面の踏切から。

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   西尾線ホームと蒲郡線ホームとの改札。

   以前訪れた広見線の新可児駅にも同じような改札がありました。

   電車は西尾線佐屋行き急行。

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   駅前広場を横切って南側の踏切から蒲郡線の蒲郡行き普通ワンマン電車。

   後部です。

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   蒲郡線の電車の後部の先はかっての三河線。

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    蒲郡線のホームから駅前広場と西尾線の急行を。

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  撮影 2009/06/02

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2009年6月 8日 (月)

二回目の名鉄「まる乗り1dayフリーきっぷ」の旅(5) - 名鉄西尾線西尾駅

 

  以前の記事でも書きましたが、西尾線は本線の新安城駅から西尾を経て吉良町にある吉良吉田駅までの区間です。

新安城、西尾間は昼間帯の1時間の本数は4本。

急行が2本、普通が2本の内わけで、このうち急行は西尾から各駅に停車して吉良吉田まで足をのばします。

したがって西尾、吉良吉田間は1時間に2本の運行となります。

以前に吉良吉田、蒲郡間の蒲郡線が、岐阜県の広見線新可児、御嵩間と同じく、名鉄側が地元自治体に存廃についての提案があったと聞いていますがどうなったのでしょうか。

もし、蒲郡線が廃止になった場合、西尾~吉良吉田間も結構危ないのではないかと思いますが、どうなんでしょう。

 

   新安城、西尾間を折り返し運行する普通電車は、いったん吉良吉田方面に出ます。

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   そして番線を変更して駅に入線します。

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   新安城方面の西尾口駅を通過して西尾駅にやってくる急行。

   ご覧のとおり、西尾口、西尾間は複線になっています。

   西尾口の駅は西尾駅から遠目に見ることができます。

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    結構大きな西尾駅前。

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  撮影 2009/06/02

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2009年6月 6日 (土)

二回目の名鉄「まる乗り1dayフリーきっぷ」の旅(4) - 岡崎城

 

 蒲郡からいったんJRで豊橋に出て、豊橋から再び名鉄に乗り込み岡崎に向かいました。

名鉄の岡崎での主要駅は東岡崎駅です。

ここから歩いて15分ぐらいで岡崎城のある岡崎公園に行くことができますが、今回は東岡崎の西隣にある岡崎公園前駅で下車して岡崎公園に向かいました。

東岡崎で特急から普通に乗り換えて行きます。

岡崎公園前駅は高架駅ですが、すぐ隣の愛知環状鉄道の中岡崎駅は名鉄を南北にまたぐために更に高い位置にあります。

愛知環状鉄道の中岡崎駅と名鉄の岡崎公園前駅は駅前広場を共有していて、広場の西側に中岡崎駅、南側に岡崎公園前駅と隣接してあります。

 

   東岡崎駅で特急から普通に。

   後続の普通電車を待っているところ。

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    岡崎公園前駅。

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   愛知環状鉄道中岡崎駅。

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   愛知環状鉄道の2000系が岡崎駅方面に出て行くところにちょうど出くわしました。

   2000系はJR東海の313系をベースに製造された車両です。

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   東の方向に歩いて10分くらいで川沿いに出ます。

   公園方向に橋が架かっていて、そこから見える岡崎城天守閣です。

   この城はとにかく木がたくさん繁っていてなかなか写真にさせて貰えません。

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   この濠の左手上に天守があります。

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   岡崎城天守閣。

   1959年(昭和34年)に復元(木造ではないので外観が)されました。

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   天守閣の裏(北側)の濠。

   空濠になっています。

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   岡崎公園の南側を流れる乙川に架かる名鉄本線。

   名古屋方面への特急のパノラマスーパー。

   名古屋方面への先頭車は展望車ではありません。

   乙川はこのあとすぐに西に流れている矢作川に合流します。

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  撮影 2009/06/02

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2009年6月 5日 (金)

二回目の名鉄「まる乗り1dayフリーきっぷ」の旅(3) - 吉良吉田から蒲郡(名鉄蒲郡線)

 

  新安城方面からやってきた急行吉良吉田行きは、西尾からは各駅に停車します。

吉良吉田からは東に蒲郡線がワンマンで運行されていますが、以前取り上げた広見線の新可児、御嵩間が廃線の危機にあるように、この路線も廃線の危機にあると聞いています。

昔には、吉良吉田から西の方向に三河線が運行されていましたが、碧南との区間は廃止されてしまいました。

現在三河線は、本線の知立駅を中間として南へは碧南まで、北へは豊田市駅を経て猿投(さなげ)という駅までが運行されています。

北の方でも猿投から西中金の間の区間は廃止されました。

 

   吉良吉田駅にて。

   西尾から乗ってきた急行は、折り返し佐屋行き急行になり待機。

   手前が西尾方面。

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   吉良吉田駅の蒲郡線ホーム。

   西尾線のホームが南北方向であるのに対してこちらは東西方向。

   向こうが西で、かっては三河線が来ていました。

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   蒲郡近くになると高架となり、JR東海道線と並行します。

   電車の後部からの方向を。

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   名鉄蒲郡駅。

   右手が南で少し歩くと海です。

   左の北側が駅正面です。

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   南側(海側)の出口には名鉄の駅名表示。

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   北側の正面口にはJRの駅名表示です。

   正面駅前は改良工事中でした。

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   南側の駅前にあるヨットのNIPPON号。

   アメリカズカップに出場して話題になりました。

   蒲郡が母港になっていました。

   お金が有り余っていた時代の良き思い出ですね。

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   南の桟橋まで歩いてみました。

   広い海を連想して行きましたが、防波堤に囲まれて全然でした。

   島が見えますが蒲郡の観光地の一つで竹島です。

   橋で渡ることができます。

   陸側の山の上からの景色が良いそうです。

   昔子供の頃に観光で来て渡った記憶があります。

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   蒲郡はそこそこにしてJRで豊橋まで出ます。

   新快速で一駅。

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   撮影 2009/06/02

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2009年6月 4日 (木)

二回目の名鉄「まる乗り1dayフリーきっぷ」の旅(2) - 西尾城(愛知県三河地方)

 

  西尾駅前から西にのびる2本の大通りのうち、南側の大通りを西に10分から15分歩くと左手に西尾城があります。

道路に面して駐車場があり、その南側に鍮石門(ちゅうじゃくもん)が見えます。

そして中に入ると左手に本丸の丑寅櫓(うしとらやぐら)がのぞめます。

西尾の城主は頻繁に変わっていましたが、1764年に大給松平家(おぎゅうまつだいらけ)が出羽山形藩から6万石で入封して5代続き明治維新に至ったそうです。

 

   鍮石門(ちゅうじゃくもん)。

   二の丸の表門。

   天守閣や御殿は二の丸にあったと資料館のパンフレットにあります。

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    西尾市歴史公園の全体が良く判ります。

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   西尾市資料館の入り口付近から濠越しに丑寅櫓を。

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   丑寅櫓への入り口。

   ちなみに丑寅櫓も資料館も無料で拝観できます。

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   丑寅櫓から北の方向に鍮石門(ちゅうじゃくもん)と駐車場。

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   西尾市資料館。

   無料です。

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   北側の道路から丑寅櫓と鍮石門。

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   さて、名鉄の西尾駅に戻りさらに南の吉良吉田へ向かいます。

   新安城方面からやってきた吉良吉田行き急行。

   西尾駅にて。

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  撮影 2009/06/02

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2009年6月 3日 (水)

二回目の名鉄「まる乗り1dayフリーきっぷ」の旅(1) - 西尾市(愛知県西尾市)にて

 

  ほぼ一ヶ月ぶりに旅行に出かけました。

今回は、以前名鉄で豊川稲荷、知立神社、御嵩を巡ったときに使用した名鉄のフリーきっぷ「まる乗り1dayフリーきっぷ」を再び利用しました。

3000円です。

訪れたのは、主に愛知県の三河地方。

 

名鉄岐阜駅を9時46分の特急で出発。

かなり遅い出発です。

名鉄岐阜駅では乗客は半分くらい。これが笠松ではほぼ満員に。

そして新木曾川では立ち客が出て、もう一宮では席はありませんでした。

笠松での乗客は、竹鼻線沿線の住人も多く、名古屋方面への需要は高くて、笠松を特急停車駅に格上げしたのは大正解でした。

さて、私は名古屋、金山、神宮前を過ぎて、次の知立で降車しました。

最初の目的地は西尾市で、西尾線が新安城という駅から分岐していますが、知立で西尾線の終点の吉良吉田まで行く急行が、はるか彼方の尾西地方の佐屋駅始発でやってきます。

西尾線は本線の新安城から西尾を経て吉良吉田までの区間です。吉良吉田からは東に蒲郡線が運行されています。

昔は西にも三河線がありましたが今は廃線となっています。

新安城、西尾間は昼間帯では一時間に普通2本、急行2本の4本の運行です。

西尾、吉良吉田間では急行が吉良吉田まで運行し、一時間に2本となっています。

 

   知立駅にて。

   名古屋方面から新安城経由吉良吉田行き急行が到着。

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   西尾駅。

   西尾駅は高架駅で島式の一面二線です。左1番線は名古屋方面佐屋行き急行。

   右、当駅着の新安城発の普通電車。

   急行は4両編成、普通は2両編成でした。

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   西尾駅。

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   西尾駅前には南北それぞれに東西にのびる大通りがあります。

   南側の道路を西に行くと西尾城の前に出ます。

   そのお城の少し手前に2本の大通りを結ぶ南北の道路があります。

 その道路では電線を廃して「大正・昭和の街」というレトロ感あふれる空間が演出されています。

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   西尾駅。

   西尾発新安城行き普通電車。

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  撮影 2009/06/02

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2009年6月 1日 (月)

京阪電車東福寺駅の2200系

 

  京都の京阪東福寺駅です。

詩仙堂へ行く途中での写真。

京都駅からバスで行けば一本で行けますが、詩仙堂の最寄りの一乗寺バス停までの路線は結構観光スポット経由なので、座れない場合は悲惨なことになります。

で、JR奈良線で東福寺駅まで行き接続している京阪東福寺駅で乗り換え、出町柳まで出て叡山電車で一乗寺駅まで行きました。

その時たまたま撮ったコンデジの写真です。

コンデジはシャッターのタイムラグがあるので、コンデジで動いてる電車を撮影するのは私にとっては大変むずかしい。

電車は京阪の2200系電車。

京阪電車の車両については全く知識の無い私ですが、ホームページなどで調べてみると、2200系のデビューは1964年(昭和39年)とありますからかなり古い系統なんですね。

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  撮影 2009/03/28

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