京都府宇治市(奈良線で宇治へ) - 宇治茶と上林(かんばやし)家
「お茶といえば宇治」というブランドとしての宇治茶ですが、安土桃山から江戸時代にかけての宇治茶の確立は、丹波の山奥からやってきた上林(かんばやし)家の存在抜きには語れません。
上林家は現在の京都府綾部市の上林(かんばやし)地区の土豪で、永禄年間(1558-1570)に初代久重が宇治に移住し茶業に携わったのが宇治茶と上林家の結びつきの始まりと言われています。(宇治上林記念館のパンフレットより)
ただ上林の宇治移住が久重の先代の氏忠の時、永正年間(1504-1520)としている説もあります。
この辺はよく判りません。
ちなみに桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を討ち取ったのが1560年です。
そして1567年には稲葉山城を落として岐阜と改名。
明くる年1568年には足利義昭を伴って入洛。
1570年には越前(福井県)の朝倉義景を攻撃し、浅井長政に裏切られて撤退。
そのほぼ2ヵ月後の6月下旬に徳川家康とともに朝倉、浅井連合軍を姉川の戦いで破る。
これが永禄年間の中央の特に信長の動きです。
宇治の初代上林久重には4人の子息があり、それぞれ一家を起こし、上林久茂、上林味ト、上林春松、上林竹庵となり宇治茶業界を代表する茶師として生産流通に重要な役割を果たすようになる。(宇治上林記念館のパンフレットから)
で、江戸時代には上林家は宇治代官を務めたりして宇治の重要な地位を占めていましたが、明治になると 宇治茶師の多くの家は、転業、廃業をし、現在まで上林春松家のみがその後裔として茶業を営んでいます。
また余談ですが、本能寺の変の折り徳川家康は信長の招きで畿内を遊覧中で(この年1582年は宿敵武田勝頼を滅ぼしている)、変の勃発時は堺に滞在中で、その時たまたま堺にいた上林氏(久茂か?よく判らない)が現在の滋賀県の信楽まで家康を無事誘導して三河へ帰ることができたという話があり、その関係で旗本に取り立てられたという説があります。
しかしほかの説では、久茂は一時三河に赴き家康に仕えていて(三河茶を興した)、後に宇治に戻っていますから、旗本に取り立てられている理由はそれだけではないかもしれません。
京都からは「みやこ路」快速221系で。
写真は103系。京都駅にて。

宇治駅の103系
向こうが奈良方面。
宇治駅は東西にあります。

JR宇治駅。
宇治駅前の線路と平行に道路(府道246号線)があります。
東へ行くと宇治橋があり、渡ると京阪宇治駅があります。

宇治駅前の府道246号線を渡って平行している宇治橋商店街に入ります。

商店街通りに突き当たるといきなり茶所宇治らしいお店が。

洋風建築作りを生かした薬屋さん。
上林(かんばやし)記念館の長屋門。
江戸時代からの唯一の遺構です。
上林記念館の内部。
古文書の資料もあります。
入館料金200円。

宇治代官所跡の説明版。
近くにある上林春松本店のお店。
隣から移転したばかりで新しい。
なお宇治平等院の参道にもお店があります。
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