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2009年7月

2009年7月31日 (金)

京都府宇治市(奈良線で宇治へ) - 宇治茶と上林(かんばやし)家

 

  「お茶といえば宇治」というブランドとしての宇治茶ですが、安土桃山から江戸時代にかけての宇治茶の確立は、丹波の山奥からやってきた上林(かんばやし)家の存在抜きには語れません。

上林家は現在の京都府綾部市の上林(かんばやし)地区の土豪で、永禄年間(1558-1570)に初代久重が宇治に移住し茶業に携わったのが宇治茶と上林家の結びつきの始まりと言われています。(宇治上林記念館のパンフレットより)

ただ上林の宇治移住が久重の先代の氏忠の時、永正年間(1504-1520)としている説もあります。

この辺はよく判りません。

ちなみに桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を討ち取ったのが1560年です。

そして1567年には稲葉山城を落として岐阜と改名。

明くる年1568年には足利義昭を伴って入洛。

1570年には越前(福井県)の朝倉義景を攻撃し、浅井長政に裏切られて撤退。

そのほぼ2ヵ月後の6月下旬に徳川家康とともに朝倉、浅井連合軍を姉川の戦いで破る。

これが永禄年間の中央の特に信長の動きです。

 

  宇治の初代上林久重には4人の子息があり、それぞれ一家を起こし、上林久茂、上林味ト、上林春松、上林竹庵となり宇治茶業界を代表する茶師として生産流通に重要な役割を果たすようになる。(宇治上林記念館のパンフレットから)

で、江戸時代には上林家は宇治代官を務めたりして宇治の重要な地位を占めていましたが、明治になると 宇治茶師の多くの家は、転業、廃業をし、現在まで上林春松家のみがその後裔として茶業を営んでいます。

 

  また余談ですが、本能寺の変の折り徳川家康は信長の招きで畿内を遊覧中で(この年1582年は宿敵武田勝頼を滅ぼしている)、変の勃発時は堺に滞在中で、その時たまたま堺にいた上林氏(久茂か?よく判らない)が現在の滋賀県の信楽まで家康を無事誘導して三河へ帰ることができたという話があり、その関係で旗本に取り立てられたという説があります。

しかしほかの説では、久茂は一時三河に赴き家康に仕えていて(三河茶を興した)、後に宇治に戻っていますから、旗本に取り立てられている理由はそれだけではないかもしれません。

 

   京都からは「みやこ路」快速221系で。

   写真は103系。京都駅にて。

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   宇治駅の103系

   向こうが奈良方面。

   宇治駅は東西にあります。

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    JR宇治駅。

   宇治駅前の線路と平行に道路(府道246号線)があります。

   東へ行くと宇治橋があり、渡ると京阪宇治駅があります。

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   宇治駅前の府道246号線を渡って平行している宇治橋商店街に入ります。

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   商店街通りに突き当たるといきなり茶所宇治らしいお店が。

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   洋風建築作りを生かした薬屋さん。

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   上林(かんばやし)記念館の長屋門。

   江戸時代からの唯一の遺構です。

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   上林記念館の内部。

   古文書の資料もあります。

   入館料金200円。

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   宇治代官所跡の説明版。

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  近くにある上林春松本店のお店。

   隣から移転したばかりで新しい。

   なお宇治平等院の参道にもお店があります。

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  撮影 2009/07/30

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2009年7月29日 (水)

岐阜県大垣市水門川 - 松尾芭蕉「奥の細道」むすびの地

 

  大垣城を一周している間はまだ雨は強くはなく、傘はさしつつも水門川の方向へ歩いて向かいました。

水門川は文字通りの川ではなく、戦国時代に城の整備の折に開掘された運河で、南に通じて揖斐川の支流に合流しています。

のち江戸時代になって大垣藩に入封した戸田氏鉄(うじかね)はこれを整備して水運に供し舟運が発達しました。

現在も残っている住吉灯台あたりが川湊の船町港だそうです。

松尾芭蕉は「奥の細道」をこの大垣で結んでいます。

そして、船町港から船で桑名へ向かったといわれています。

 

   水門川の説明板ですが読めるでしょうか。

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   途中大垣市役所の前に出ました。

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   左手に大垣駅、そして大垣城、一番右手に住吉灯台のある船町港跡です。

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   住吉灯台のあるあたり。

   船を浮かべて情緒を作り出しています。

   激しい雨足でした。

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   水門川の東岸にある住吉灯台。

   道路は旧美濃街道です。

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   すぐ南に橋がありますが美濃街道は橋を渡って西の方向に。

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   西岸にある「奥の細道むすびの地」の碑。

   斜め右(北)の対岸に住吉灯台があります。

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   少し北の朱塗りの橋から。

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   大垣城の南、市役所の北の大通りをまっすぐ西に歩いていくと養老鉄道の西大垣駅に

   突き当たります。

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   駅前から東にのびる大通り。

   大通りは右(南)に折れて続きます。

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   西大垣には養老鉄道唯一の電車庫があります。

   養老鉄道では車両の運行や整備は近鉄が行っています。

   したがって、近鉄の富吉検車区大垣車両基地となります。

   養老鉄道の本社も当地にあります。

   ご覧のようにこのあたりは工場地帯です。

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  撮影 2009/07/28

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2009年7月28日 (火)

大垣城 - 岐阜県大垣市(大垣城は火曜日が定休日)

 

  雨模様の中、大垣に行ってきました。

岐阜市からは隣のとなり。

JRで12分です。

取りあえず大垣城へ行き、その後水門川の松尾芭蕉の「奥の細道」結びの地へ行ってみました。

大垣は戸田藩10万石の城下町で、美濃街道の宿場町でもあります。

中山道は旧大垣市内は通っておらず、現在の大垣市内になっている赤坂宿を経て、垂井宿で中山道と美濃街道は合流しています。

大垣藩は、最初の藩主は石川家で5万石、三代。次に松平(久松)家で2万石、二代。次に岡部家で5万石、二代。次に再び松平(久松)家で6万石、一代。そして最後に戸田氏で10万石、12代。

戸田氏の出自は三河で、宗家は松平(戸田)氏で信州松本の城主です。ただ、大垣戸田氏は別家として扱われているようです。

ここらあたりはいろいろ説があるみたいです。

大垣藩に戸田氏が入ったのは1635年でかなり遅いですね。

 

   大垣行きの特別快速がはいって来ました。

   岐阜駅にて。

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   大垣駅から折り返し快速豊橋行きになります。

   向こうに見えるのは養老鉄道の大垣駅。

   その間にあるホームは切り欠きの3番線。

   間にある線路は4番線で、電車は5番線。

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   大垣駅ビルと駅前のロータリー。

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    駅前の通りをまっすぐ南下すると中央分離帯にお城はこちら。

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   指し示されたとおり右(西)に曲がるとこんな感じで東門が。

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   入口の東門と丑寅櫓。

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   大垣城天守閣。一般100円。18歳未満は無料です。

   また郷土館、守屋多々志美術館との3館共通券は一般400円です。

   しかし、今日はお休み。

   火曜日が休みとはなんと変則的な。

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    西の広場から戸田氏大垣藩の藩祖である戸田氏鉄(うじかね)像と天守閣。

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  撮影 2009/07/28

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2009年7月27日 (月)

JR岐阜駅2008年 - 夏の夕暮れ

 

  ここ岐阜市は毎日雨です。

他県のような被害は聞いておりませんが、被害にあわれた方々にはお見舞い申し上げます。

写真は、やはり過去記事からの未掲載のものです。

去年の夏、七月に同じ記事をあげました。

 

   岐阜駅の高山線キハ11の二輌編成です。

   美濃太田から太多線(たいたせん)経由多治見行きです。ちょっとカメラがぶれています。

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   駅前の岐阜シティ・タワー43を西にのぞんでいます。

   わたしにとってはこんなビルより、市内電車を残して欲しかったです。

   馬鹿な○○市長(御免なさい)。

   鉄道好きだから批判するわけではありません。

   都市の魅力がどこにあるかが解らない人が頂点にいることは不幸ですね。

   もっとも選んだ有権者にも問題があったことは言うまでも無いです。

 

   衆議院選もちょっと考えて投票しましょうね。

   マスコミやワイドショーはあてになりませんよ。

   インターネットユーザーは、得る情報がたとえ九割引きで考えなくてはならないと言っても、

   情報は新聞、TVしか知らない人よりも持っているはずです。

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  撮影 2008/07/31

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2009年7月26日 (日)

上田城と松代城と長野電鉄2007年

 

  最近はネタ切れで過去記事から未掲載(と思う)の写真を。

今日のは、一昨年の夏の信州旅行のものです。

夜、岐阜から「ムーンラトながら」でいったん東京へ向かい、朝のうちに上野から高崎へ、高崎からは信越線で横川まで行きます。

横川からはJRバスの一番バスで碓氷峠を越え、軽井沢へ。

軽井沢からは旧信越線を「しなの鉄道」で上田に入りました。

上田城を見学ののち、しなの鉄道で篠ノ井、長野方面に向かい、屋代という駅で長野電鉄に乗り換え松代へ。

  松代は江戸時代は真田家の所領です。

関ヶ原の戦いの折には父昌幸と次男の幸村(信繁とも)は西軍に、嫡男信幸(信之とも)は東軍に加担し、のちの松代藩の真田家はこの信幸が10万石で入って明治まで続きました。

この松代城は上杉謙信と武田信玄が戦った川中島の近くにあり、その当時は海津城といいました。

松代城内には海津城址の碑があります。

松代から長野へは電車(長野電鉄)で行けますが、バスが松代駅前から出ています。

途中、川中島古戦場跡もあり、松代と長野との所要時間は30分です。

本数は基本的に1時間に2本で、平日の朝夕は4本です。

わたしの体験から朝夕には通勤自動車が多いので遅れがでるみたいですね。

この旅行はこの日のうちに長野善光寺を拝観し、しなの鉄道で上田に戻り一泊。

あくる日は、小諸へ戻り小海線で小淵沢へ、その後中央線で甲府へ入り甲府城や武田神社を巡り、夜に東京に戻り、再び「ムーンライトながら」で岐阜へ帰りました。

 

   上田城南櫓。

   右手に正面入り口があります。

   ここからだと左手に西櫓があり階段をあがります。

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   上田城西櫓。

   脇に登り口があります。

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   しなの鉄道、長野電鉄の屋代駅。

   しなの鉄道のホームの駅名板はちゃんとしていますが。

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   松代駅にて。

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   松代城。

   中には天守台跡もあります。

   この年の大河ドラマが「風林火山」でした。

   で、松代も「風林火山」の旗が立っていました。

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  撮影 2007/08/02

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2009年7月24日 (金)

松江城と塩見縄手 - 日本の道100選のひとつ

 

  過去記事より松江の塩見縄手の未掲載の写真を。

塩見縄手は松江城の北にある古いおもむきのある通りです。

松江城の北のお濠端にあります。

交通アクセスとしては、松江駅前からループバスで松江城まで行きそこから歩くか、松江城を通り越して塩見縄手のバス停まで直接行くかです。

後で松江城へ行くのもひとつの手ですね。

ループバスは一乗車200円です。

一日乗車券は500円。

文字通りループバスなので、一周して再び松江駅を乗り越してもかまいません。

一周約50分です。

また一日乗車券の提示で、複数の拝観場所で団体割引が適用されます。

 

   松江城。

   春、桜は三分咲きの頃の写真です。

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   松江城から北に歩いていくとお濠端に出ます。

   対岸に見えるのが塩見縄手の通りです。

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   塩見縄手の通り。日本の道100選に選定されています。

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   武家屋敷、小泉八雲旧居、小泉八雲記念館等が連なっています。

   いい忘れましたがループバスは一方通行で、反時計回りに運行されています。

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  撮影 2009/03/31

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2009年7月22日 (水)

姨捨駅からの眺望 - 長野県篠ノ井線

 

  長野県松本駅と篠ノ井駅の間にある姨捨(おばすて)駅。

日本三大車窓のひとつといわれています。

この駅はスイッチバック停車駅としても知られています。

 

   特急の追い抜き待ちで、しばし車外へ。

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   下の二本の線は架線です。

   もう少し写し様がありましたね。

   でも、雰囲気はわかっていただけると思います。

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  撮影 2004/08/05

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2009年7月20日 (月)

山陰線「とっとりライナー」 - キハ126系気動車

 

  鳥取、米子間で運行される快速の「とっとりライナー」です。

山陰線高速化にともない開発された気動車の121系、126系で運行されています。

1両単位の121系と2両編成単位の126系は、島根県と鳥取県からの資金的な関与を考慮され、主に島根県内と鳥取県内での運用に限定されています。

また米子、益田間の「アクアライナー」もこの車両で運行されています。

 

   米子駅のキハ126系の「とっとりライナー」。

   出雲市駅、松江駅、鳥取駅と主要な駅は高架化がされていますが米子駅は地上駅です。

   隣接して車両基地があることで高架化がむずかしいのでしょうか。

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   鳥取駅での「とっとりライナー」米子行きと、浜坂行き普通。

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  撮影 2009/04/01

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2009年7月19日 (日)

広島城 - 戦争による破壊

 

  広島城は原爆によって多くの人々の命と共に破壊されました。

原爆については、様々な議論や解釈があります。

しかし事実はひとつだけです

事実をどのように解釈しても、お城も人々の命も一度失ったものは戻ってきません。

これが解釈、議論以前の素の事実なのです。

 

   北西側からの広島城天守閣。

   フィルム写真をスキャンしたもので画質が悪いですが。

   今月、久し振りに訪れるつもりです。

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   西側のお濠越しに。

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   撮影 1998/8/28

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2009年7月17日 (金)

岐阜県大垣駅2009年 - 朝の大垣駅3番線、4番線

 

  春も早い3月に美濃赤坂を訪れた時の大垣駅にて。

岐阜から大垣までは約11分。

美濃赤坂行きは1時間に1本しかなく、その時刻にあわせて大垣に到着。

といっても、やはり少し早めに着いて何かしら撮れたらもうけもの、という気持ちで。

その結果、樽見鉄道の車両と、特急「しらさぎ2号」、ホームライナー「豊橋4号」を見ることができました。

この4日後の3月14日には、ダイヤ改正が行われたので、現在の時刻表とは異なっています。

このときのホームライナー「豊橋4号」は、写真の時点では大垣発8時28分、現在は大垣を9時ちょうどの発車となっています。

「しらさぎ2号」の大垣発着は変更無く、8時14分着の15分発です。

ところで、特急「しらさぎ」はJR西日本の運行で、車両も西日本の683系が運用されています。

 

   大垣駅4番線に進入してくる「しらさぎ2号」名古屋行き683系車両。

   切り欠きの3番線が見えます。

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   「しらさぎ」の後ろ姿。

   米原で折り返しになるので、後ろ前が米原で逆になります。

   ちなみに、名古屋発高山方面行きの特急「ひだ」も岐阜駅で前後逆方向になります。

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   大垣発豊橋行きのホームライナー「豊橋4号」 373系3両編成。

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   「豊橋4号」の乗客はそこそこの人数でした。

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   切り欠きの3番線には美濃赤坂行きが。

   313系の2両編成です。

   到着車両には乗客も多かったですが、美濃赤坂方面にはちょっと申し訳の無いようなゆったり度でした。

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   撮影 2009/3/10

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2009年7月16日 (木)

愛媛県宇和島市 - 宇和島城と和霊神社

  ありし日の「ムーンライト松山」 (撮影 松山駅 2006/12/27)

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  夏の旅行に関して四国を調べていたら、今月(7月)の22、23、24日の三日間に宇和島の「牛鬼まつり」が行われることを知りました。

もちろん夏祭りはどこにでもありますが、私が中学校か高校の時代に文庫本の祭りに関する写真集を手に入れたときに、この写真集で「牛鬼まつり」を知りました。

その後、何度も宇和島を訪れましたが、この祭りの主催である「和霊神社」もとなりにある公園から眺めていました。

祭りそのものも実際に見学したことはありません。

昔から各地の祭りに関してはすごく興味があり、実際にいってみたい祭りもたくさんありますが、何しろどの祭りも期日が決まっていますから、それにあわせて現地を訪れなくてはなりません。

これがやはりネックになりますね。

 

   宇和島城天守閣。

   現存12天守閣のうちのひとつ。

   愛媛県には見るべきお城が多いです。

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   宇和島城天守閣から。

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   和霊神社の入り口。

   大きな鳥居がありますが、鳥居の写真はここではなし。

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   この写真ではわずかに鳥居が見えます。

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   撮影 宇和島城 2005/8/10

           和霊神社 2006/12/27

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2009年7月15日 (水)

夕方の高松駅界隈 - 高松港フェリー乗り場の並ぶ水城(みずき)通り

 

  高松城の南側で琴電を何枚かを写して、東側から北側の水城(みずき)通りへ出てきたところです。

北側は緑地帯を挟んで高松港で、何本もの突堤が並び船が行きかいます。

 

   水城通り。

   冬の午後5時前後で、歩道橋から西の高松駅方向を。

   高松港の写真は既出なのでありません。

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   高松城月見櫓です。

   江戸時代からの現存遺構で重要文化財に指定されています。

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   高松駅と駅前広場。

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   高松駅にて。

   手前が予讃線宇和島行き特急「いしづち25号」。

   宇多津駅で岡山からの「しおかぜ21号」と合流します。

   向こう側が先発の「快速サンポート南風リレー号」観音寺(かんおんじ)行き。

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  撮影 2009/01/17

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2009年7月13日 (月)

浜大津交差点の京阪電車 - (滋賀県大津市 京阪大津線)

 

  春たけなわの頃の大津市浜大津交差点の京阪電車です。

過去記事で未掲載の三枚。

JRの石山駅で降りて京阪に乗り換え、この浜大津で途中下車しました。

天気が良くて、琵琶湖も比叡の山もきれいでした。

 

   浜大津駅を出、交差点を横切って坂本へ。

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   京都市営地下鉄に乗り入れている800系。

   京都方面に向かいます。

   このあたりは併用軌道を走り、4両編成が道路を行くのはちょっとした見ものです。

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   石山坂本線の車両にはこんな塗色も。

   坂本方面行き(近江神宮前行きもある)。

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   撮影 2009/4/9

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2009年7月11日 (土)

三重県松阪駅 - 名古屋行き快速「みえ8号」 キハ75系

 

  快速「みえ」は名古屋と伊勢、鳥羽を結ぶ列車で、近鉄特急を多分に意識してつくられました。

JRと近鉄の間の名古屋、伊勢方面間の運賃には大きな格差(近鉄が安い)があるために、JRは特急では太刀打ちできない状態です。

したがって、JRは伊勢鉄道を経由して特急料金のいらない快速で勝負をいどんでいます。

 

  通勤需要の大きい名古屋、四日市間と、観光需要の大きい名古屋、伊勢市間を比較しておのおのの競争力はどうでしょうか。

JRの名古屋、四日市間の運賃は460円。

快速及び快速「みえ」の所要時間は31分から32分。

近鉄特急は運賃、特急料金で1110円の27分所要。

近鉄急行は運賃610円、所要32分。

この区間では、快速「みえ」の近鉄の相手は急行であって、特急は運賃的には相手ではありません。

ただ、「みえ」は自由席の場合座れない恐れがあります。

「みえ」にも座席指定がありますが、通常は510円です。

すると金額的に近鉄の急行には負けます。

また、運行されている1時間あたりの本数がJRは快速「みえ」と快速の二本です(各駅停車2本は問題外です)。

一方近鉄は急行が1時間に3本。特急も四日市停車は3本です。

到達時間がほぼ同じなら安い「みえ」を、たとえ座れない可能性があっても、選択するかもしれませんね。

ただ、通勤客は近鉄急行を選ぶと思いますが、どうなんでしょうか。

また、回数券がありますから、なかなかいい勝負みたいですね。

 

  では、伊勢市、鳥羽までの近鉄特急との競争力。

快速「みえ」の伊勢市までの運賃は1940円、所要1時間30分。

近鉄特急は特急料金込みで2690円、所要1時間12分です。

快速「みえ」は指定席を利用で2450円。

本数は1時間あたり快速「みえ」は1本、近鉄特急は2本です。

名古屋、鳥羽間も同じような状況です。

微妙ですが、快速「みえ」も太刀打ちできないと言うことでは無いですね。

 

で、快速「みえ」についてJRに望むことは、本数を増やすというのは単線という制約があるために無理と思いますが、せめて一本あたりの車両数を増やして欲しいですね。

乗客は、四日市までが大変と聞いています。

 

   松阪駅にて。

   名古屋行き快速「みえ8号」 キハ75系2両編成。

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   撮影 2009/06/18

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2009年7月 9日 (木)

名鉄豊川稲荷駅2009年 - 国府(こう)行き普通電車

 

  豊橋の手前、名古屋寄りにある名鉄本線国府(こう)駅から豊川市の豊川稲荷までが名鉄豊川線です。

豊橋駅からのJRの飯田線の豊川駅とは隣り合わせの豊川稲荷駅。

豊川稲荷発は昼間帯は1時間に4本。

2本は国府までの普通で、2本は一宮行きの急行です。

14時台後半からは一宮行き急行が岐阜行き準急となります。

なお特急を除く全ての電車は豊川線内では各駅に停車します。

朝の通勤時に、豊川稲荷発名古屋行き特急と犬山線新鵜沼発豊川稲荷行き特急の上下二本の特急(一部指定)が運行されています。

 

   豊川稲荷駅。

   後ろに大きなJR飯田線の豊川駅が見えます。

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   撮影 2009/02/12

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2009年7月 8日 (水)

三重県松阪駅2009年 - 近鉄線ホーム

 

  松阪駅の近鉄線のホーム。近鉄線は松阪駅6、7、8番線。

 

   松阪駅駅舎 JR側。

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   6番線に進入する賢島発大阪難波行き特急 vistaEX(30000系)。

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    賢島行き普通。8番線。

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   撮影 2009/06/18

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2009年7月 6日 (月)

松阪駅5番線2009年 - 名松線キハ11

 

  松阪駅の跨線橋を近鉄線ホームに向かう途中でたまたま見かけた名松線のキハ11です。

キハ11は珍しくもなんとも無いですが、名松線は二時間に一本の運行ですのであまり目にしないのでは、と思いました。

松阪駅は1番線から8番線までありますが、5番線まではJR線、6番線から8番線までが近鉄線となっています。

JRと近鉄の改札は共用なので、「PiTaPaカードはJRでは使用できません」という注意書きをあちこちで見かけました。

さて名松線はもともと松阪と名張を結ぶ予定でしたので、この線名となっています。

現在の終着駅は伊勢奥津(いせおきつ)です。

 

   左手から1番線で、右手の方に近鉄線ホームがあります。

   名古屋方面の北を写しています。

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   撮影 2009/06/18

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2009年7月 5日 (日)

京都 北野天満宮 - 嵐電北野白梅町駅から歩いて5分

 

  仁和寺から嵐電で北野白梅町駅に帰って、ここから東に歩いて約5分の北野天満宮へ行きました。

天満宮はご存知の菅原道真を祭った神社です。

時代は平安時代の中期にあたります。

のち江戸時代には学問の神様として「天神様」として親しまれました。

 

   北野白梅町駅構内。

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   北野白梅町駅を東への大通りから。

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   大通りを東に歩くこと5分ぐらいで入り口の鳥居の前に出ます。

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   三つの鳥居をくぐって参道を行きますと、楼門に。

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   楼門からさらに左奥に行き、やっと三光門(中門)にたどり着きます。

   重要文化財です。

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   三光門をくぐると国宝の社殿に。

   天満宮は1444年に戦火にあいますが、のち復興されます。

   本殿である社殿は慶長12年の造営で桃山建築の代表です。

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   撮影 2009/06/27;

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2009年7月 2日 (木)

京都 京福電鉄北野線 - 仁和寺からの帰り

 

  仁和寺から再び嵐電の御室仁和寺(おむろにんなじ)駅に戻り、北野白梅町駅へ。

その後、歩いて5分の北野天満宮を参拝しました。

 

   嵐山本線からの分岐駅の帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅からやってきた北野白梅町行き。

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   次は等持院。

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    そして北野白梅町駅に。

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   北野白梅町駅構内。

   運行は10分間隔です。

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   北野白梅町駅。

   電車は真西に向かいますが、反対に東に向かう大通りを行くと北野天満宮です。

   歩いて5分程です。

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  撮影 2009/06/27

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2009年7月 1日 (水)

京都 仁和寺(2) - 嵐電で仁和寺へ

 

  仁和寺の御殿を見終わって、次は奥にある五重塔や国宝の金堂を見に行きます。

前回に書きましたが、境内は広く、しかも建造物が密集していないので、余計に広々とした感じです。

入口の二王門と一番奥にある金堂の間に中門があります。

この門は朱色。

六月の仁和寺は緑一色で、色彩感に欠けますが中門の朱はそんな中でちょっとしたアクセントになっています。

 

   朱色をした中門。

   広い参道をそぞろ歩きをしながら奥の寺域に向かいます。

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   中門を入ると右手に五重塔があります。

   金堂へは直接行くのではなく、五重塔をぐるりと回りこの奥にある九所明神、経蔵を経て東から金堂へ。

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   国宝 金堂。

   「仁和寺が寛永年間に再興されたとき、京都御所の紫宸殿を移築し本堂としました。本尊は、阿弥陀三尊です。」
   (仁和寺パンフレットより。)

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   金堂を後にし、今度は西に回りこみます。

   こちらには拝観出入り口の西門があります。

   金堂から鐘楼、水掛不動尊があり、西門前で南に回りこむと観音堂があります。

   その前から五重塔を。

   観音堂の前は春になると咲き誇る仁和寺の有名な御室桜(おむろざくら)の木々があります。

   今はただ緑一色です。

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   二王門から中門への参道を。

   左手が拝観入口、御殿への入口も。

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   二王門をまっすぐ南に戻り、御室仁和寺駅に。

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   嵐山本線との接続駅の帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅行きがやって来ました。

   私は北野白梅町駅へ戻ります。

   参考までに申し上げますと、京都駅から仁和寺へは嵐電を使わなくても直接バスで行くことができます。

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  撮影 2009/06/27

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