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2009年9月

2009年9月30日 (水)

京都鞍馬寺 - 叡山電車で行く鞍馬寺(1)

 

  所用がてらの京都旅行。

2ヶ月ぶりの今回は鞍馬へ叡山電車で行ってきました。

岐阜を発ったのは8時半ごろでしたが京都駅から鞍馬へ向かったのは1時半。

まず京都駅から奈良線で東福寺駅へ。

ここで京阪電車に乗り換え出町柳駅に行き、叡山電車に乗ります。

八瀬にも寄りたかったので一日乗車券1000円を購入しました。

出町柳から鞍馬まで410円、鞍馬から宝ヶ池乗換えで八瀬比叡山口まで410円、八瀬比叡山口から出町柳まで260円、計1080円になります。

これ以上切符としては乗りようが無いのですが、各駅のお土産屋さん、お店などで特定の商品が10%引きになったり、鞍馬寺の拝観料200円が半額の100円になったりします。

 

   京都駅にて。

   奈良線10番ホームに奈良行き普通が入線。

   まだまだ103系は頑張っています。

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   京阪電車東福寺駅。

   大阪淀屋橋行きの特急が通過していきます。

   JR奈良線の東福寺駅は隣りにあります。

   京都の紅葉の名所のひとつ、東福寺の最寄駅です。

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   叡山電車出町柳駅にて。

   叡山電車は叡山本線と鞍馬線からなっています。

   本線の終着駅が八瀬比叡山口、鞍馬線の終着駅が鞍馬ですが、

   出町柳からは両駅まで直通で、宝ヶ池という駅で鞍馬と八瀬に分かれます。

   他に修学院、二軒茶屋、市原と出町柳との間に区間運転があります。

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   パノラミック電車「きらら」900系を期待していたら、800系が来てしまいました。

   「きらら」については叡山電車のホームページに運行情報があります。

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   これは帰りの宝ヶ池駅。

   帰りは900系の「きらら」に乗れました。

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   鞍馬駅に到着しました。

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   鞍馬駅。

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   鞍馬駅前に天狗がお出迎え。

   鞍馬寺といえば源義経ですが、

   義経の剣の練習の相手をしたのが鞍馬の天狗という伝説に基づいています。

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  撮影 2009/09/29

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2009年9月27日 (日)

山口県長門市2009年 - 山陰線長門市駅 (夏午前中)

 

  山口県の山陰線長門市駅。

午前中の9時前後。

キハ120系の単行気動車で瀬戸内海側の厚狭(あさ)から美祢線(みねせん)で長門市までやってきて、これから東萩まで行くところ。

乗車するのは益田行きのキハ120系気動車で、美祢線から乗って来た気動車がそのまま益田行きになりました。

しばらく山陰線滝部からやってくる列車を待ち合わせ。

やってきたのはキハ40の単行でした。

早朝、下関を出発して長門市まで、厚狭から美祢線経由とそして山陰線で滝部乗換えの二つのルートがありましたが、私が選んだのは美祢線経由でした。

どちらのルートを選んでも長門市発益田行きには間に合います。

でも海が見れなかった分、選択ミスだったかもしれません。

 

   長門市駅にて。

   キハ120系単行で益田行き。

   途中の東萩で下車しました。

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   長門市駅構内でキハ120とキハ47気動車。

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   滝部駅発のキハ40の普通が長門市に到着。

   滝部は山陰線の長門市と下関のあいだの駅です。

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  撮影 2009/08/26

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2009年9月26日 (土)

兵庫県加古川市 - 加古川駅の加古川線103系

 

  八月に青春18きっぷを使用して加古川線を旅をした際の加古川駅。

このあと隣の山陽線上りホームに移り、新快速に乗り米原、大垣乗換えで岐阜まで帰りました。

この103系電車は折り返して粟生(あお)行きに。

加古川線では125系、103系と103系のラッピング電車が運行されています。

ちなみに粟生(あお)からは神戸電鉄で神戸市内まで、北条鉄道で加西市の北条町へ行くことができます。

 

   粟生から乗車しましたがラッシュ時で座ることができませんでした。

   この時間4両でも運行されます。

   加古川駅は3面6線で、2面4線を山陽線、1面2線を加古川線が使用しています。

   高架駅です。

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  撮影 2009/08/20

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2009年9月25日 (金)

熊本城 - 2001年工事中の熊本城

 

  今年訪れた熊本城は、以前2001年に訪れたときには工事中であった櫓や門がすべて完成していました。

 

   下の写真は飯田丸五階櫓(いいだまるごかいやぐら)を下から撮ったものです。

                                                                                                                                                                                                     (2009年撮影)

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   2001年に東側から撮影した西竹の丸五階櫓跡の石垣と飯田丸の工事の様子です。

   手前の西竹の丸五階櫓の石垣にはまったく通路が無く、現存していたころは橋でも架けてあったのでしょうか。

                                         (2001年撮影。フィルムスキャンした画像なので画質が悪い。)

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   飯田丸に入って間近からの五階櫓の工事現場。

   古い石垣に足すように新しい石垣を組んでいます。

                                                                                                                                                                                       (2001年撮影)      

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   そして復元なった飯田丸五階櫓を飯田丸内部から見た写真。

                                                                                                                                                                                                                      (2009年撮影) 

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    飯田丸五階櫓のそばにある大木は昔もありました。

                                                                                                                                                                                                                     (2001年撮影)

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   次に西出丸と奉行丸の櫓と門の工事中の写真。

   宇土櫓からの写真。

                                                                                                                                                                                                                   (2001年撮影)

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   すべてが完成しこんな様子に。

  左手の門が南大手門、その右に西大手門。

   西大手門に隠れるように元太鼓櫓。

   南大手門の奥に見えるのが未申櫓(ひつじさるやぐら)です。

   両大手門のこちら側が西出丸、向こう側の未申櫓(ひつじさるやぐら)までが奉行丸。

                                                                                                                                                                                                                       (2009年撮影)

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   最後に西出丸の北西の角に工事中の戌亥櫓(いぬいやぐら)。

                                                                                                                                                                                                                   (2001年撮影)

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   天守閣から西出丸全体を見渡したもの。

   手前の櫓は宇土櫓(うとやぐら)。

   向こうに白い塀のあるのが西出丸で、宇土櫓の右手奥にわずかに見えるのが戌亥櫓(いぬいやぐら)です。

                                                                                                                                                                                                                   (2009年撮影)

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   北からの戌亥櫓(いぬいやぐら)。

                                                                                                                                                                                                                   (2009年撮影)

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  (撮影 2001/07/25、  撮影 2009/08/25)

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2009年9月24日 (木)

博多駅と久留米駅 - 特急「ゆふ」キハ185系とキハ220系気動車

 

  朝の博多駅にて。

特急「ゆふ1号」キハ185系。

久留米まで鹿児島本線で、以後九大本線に入り湯布院から大分まで。

この日は奇数日で、偶数日には「ゆふDX1号」で運行されます。

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   久留米駅にて。

   久大本線日田行き普通のキハ220系気動車。

   そういえば久大本線にはまだ一度も足を踏み入れていません。

   一度日田に行ってみたいですね。

   日田に行くとしたら小倉から日田彦山線経由で入るんでしょうか。

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  撮影 2009/08/25

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2009年9月22日 (火)

兵庫県西脇市 - 加古川線西脇市駅の125系

 

  加古川線を谷川から西脇市まで125系の電車でやってきて、西脇市発加古川行きの同じく125系電車に乗り換えました。

写真は加古川行きの125系。

西脇市からは昼間帯1時間に1本の間隔で運行されます。

加古川に近い厄神(やくじん)加古川間は30分間隔で運行。

谷川、西脇市間は一日9往復の過疎区間です。

 

   西脇市駅にて。

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  撮影 2009/08/20

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2009年9月21日 (月)

山口県萩市 - 浜崎地区(萩城下の港町)

 

  かっての戦国の雄の毛利氏の城下町の萩には、藩庁であった萩城(指月城)、城下町の中心の武家屋敷や商家、幕末から明治維新にかけての志士、政治家等の旧家などの文化遺産が数多く残っています。

その中で萩城下の港町として栄えてきた浜崎地区は、2001年に全国で60番目の重要伝統的建造物群保存地区に選定されて、萩のまた別の顔として萩の見所に加わりました。

この浜崎地区は東萩駅からは自転車で松本川を渡り、川に沿って北方向に行った区域にあります。

主な町筋は電柱が取り払われ、昔の町並みが良く保存されています。

萩は町全体に見所がありますから、浜崎地区はじっくり見て回ることはできませんでしたが、時間のある人は足を運んで見てください。

 

   JRの東萩駅。

   別に萩駅がありますがここが一番大きな駅。

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   浜崎地区の全体地図。

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   旧萩藩御船蔵。

   藩主の御座船や軍船が格納してあった。

   現在は少し内陸にあります。

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   以下は町並みの様子。

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   最後は海沿いに出て、海岸沿いに指月山に向かいました。

   見える山が指月山。

   麓(ふもと)と一体になってお城がありました。天守閣は麓にありました。

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  撮影 2009/08/26

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2009年9月19日 (土)

兵庫県加西市 - 北条鉄道北条町(ほうじょうまち)駅

 

  加古川線の旅の途中に立ち寄った北条鉄道の北条町(ほうじょうまち)駅です。

北条鉄道は加古川線の粟生(あお)駅(兵庫県小野市)から北条町(兵庫県加西市)までの14km足らずの第三セクターの鉄道です。

北条町は加西市の中心部で市役所も当地にあります。

ここに酒見寺(さがみじ、さがみでら)というお寺があり、このお寺の多宝塔が目的で粟生から足をのばしました。

もちろん北条鉄道に乗ることも、もう一つの目的でもありましたが。

 

   北条町(ほうじょうまち)駅にて。

   右がフラワ2000-1号、左がフラワ2000-3号(北条鉄道公式サイト参照)。

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   外から。

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   北条町駅駅舎。

   北西の方に行くと昔ながらの町があり、酒見寺(さがみじ、さがみでら)もその一角にあります。

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   酒見寺(さがみじ、さがみでら)多宝塔。

   重要文化財に指定されています。

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  撮影 2009/08/20

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2009年9月18日 (金)

加古川線谷川駅の125系電車 - 福知山線から分岐

 

  八月の下旬に青春18きっぷで加古川線を旅したときの未掲載写真です。

加古川線の北の始発駅の谷川駅は福知山線の駅でもあります。

以前にも書きましたが谷川から西脇市までは、運行されている電車が上下9本ずつでかなりの過疎区間です。

2004年に全線が電化され、このとき125系、103系が投入されました。

 

   福知山方面へ1番線から223系が出て行きます。

   この左に切り欠きの加古川線用の4番線があります。

   反対側は2番線。3番線は欠番になっているようです。

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   谷川駅舎。

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   4番線の西脇市行き。

   谷川、西脇市間はすべて125系で運用されています。

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   前からの125系電車。

   両運転台で単行運転を想定して作られています。

   ただ連結運転するときのために貫通扉となっています。

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  撮影 2009/08/20

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2009年9月17日 (木)

熊本県熊本市2009年 -上熊本駅 と 旧JR上熊本駅舎

 

  熊本駅のひとつ博多寄りに上熊本駅という駅があります。

上熊本駅は洋風の駅舎として有名でした。

しかし新幹線開通にともない在来線が高架化されることになり、駅舎は解体の予定に。

これに対して地元から保存運動が起こり、その結果として一部保存が決まり、現在は熊本市電の上熊本駅前駅の駅舎として一部移築され、正面のみの外観保存がされています。

 

   辛島町電停にて。

   この電停から2号系統と3号系統に分かれます。

   2号系統が健軍町、水前寺公園、熊本城前、辛島町、熊本駅前、田崎橋。

   3号系統が健軍町から2号系統と同じで辛島町から分かれて上熊本駅前まで。

   なお1号系統が無いのは、廃止されたからだそうです。

   以前は1号系統から7号系統まであったそうで、2号系統と3号系統だけが現在まで残ったということです。

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   上熊本駅前電停。

   向こうに見えるのは熊本市交通局上熊本電車車両基地。

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   駅舎の正面外観だけが保存されています。

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   現在のJR上熊本駅。

   高架化するということは仮駅舎ということでしょうか。

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   道路の反対側のバス停からJR上熊本駅を。

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   上熊本駅の鳥栖行き815系普通電車。

   私は反対方向のの熊本駅に戻りました。

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  撮影 2009/08/25

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2009年9月15日 (火)

福岡県大牟田市 - 大牟田駅(JR九州、西鉄)

 

  熊本へ行く途中の大牟田駅で電車まちの時の写真です。

大牟田駅はJRと西鉄のホームが通し番号になっています。

1番から3番がJR、4番から8番までは西鉄。

数字の数は違いますがどちらも3線です。

西鉄大牟田発は昼間帯は1時間に福岡天神行きの特急と甘木線の甘木行きの2本ずつだけです。

実は甘木へは2003年に江戸時代黒田氏5万石の城下町秋月を訪れた際に寄りました。

甘木までは西鉄ではなく鹿児島本線基山駅から第三セクターの甘木鉄道で行き、そこから秋月へはバスで行っています。

 

   JR大牟田駅の駅名板。

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   大牟田駅の817系電車。

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   西鉄大牟田駅の甘木行き普通。

   本線の宮の陣駅から甘木線に入ります。

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   JRと西鉄のホームの間には改札があります。

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  撮影 2009/08/25

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2009年9月13日 (日)

伯備線、赤穂線経由で帰途に - (フェリーと青春18きっぷで行く旅(16))

 

  米子城跡から歩いて駅の方に帰る途中、駅そばの喫茶店に入って時間をつぶして帰ることにしました。

13時半過ぎの新見行きで帰途に。

新見からは赤穂線の備前片上行き。

岡山で乗り換え山陽線で姫路へ行くか、このまま赤穂線に入り播州赤穂から出る新快速に乗るか。

時刻表で調べると、岡山乗換えのほうが赤穂線経由より姫路の時点で一本早い新快速になることがわかりました。

一本というのは15分です。

これは播州赤穂で新快速に始発で乗れ、かつ姫路に比べて余裕をもって乗ることができるのが大きいので、岡山素通りで終点の備前片上まで乗り、後続の電車で播州赤穂まで行くことに。

播州赤穂発新快速は滋賀県の野洲行きでした。

野洲ではすぐに連絡の米原行きの普通電車が待っています。

結局、岐阜に帰り着いたのは22時半ごろでした。

天候にも恵まれた楽しい旅でした。

 

   米子駅。

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   この電車で新見まで。

   米子駅にて。

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   この写真はもう新見をすぎての沿線の様子。

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   備前片上で後続の電車待ち。

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   親切にも回送電車を後続車待ちのあいだ開放していただきました。

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   播州赤穂駅にて。

   備前片上から乗ってきた電車は折り返し伯備線の備中高梁(たかはし)行きに。

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   折り返し野洲行き新快速となる電車が到着。

   さすがに暗くなりました。

   これに乗ればもう旅も大詰め。

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  撮影 2009/08/27

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2009年9月12日 (土)

鳥取県米子市 米子城跡 - 江戸時代米子は鳥取藩領(フェリーと青春18きっぷで行く旅(15))

 

  米子は江戸時代には鳥取池田藩の所領でした。

池田藩は現在の鳥取県ほぼ全域を支配する大藩で、旧国名でいうと米子や倉吉を含む地域が伯耆(「ほうき」鳥取県西部)、鳥取を中心とする因幡(「いなば」鳥取県東部)の二カ国を持ち、石高も三十二万石以上の大名でした。

米子城については家老の荒尾氏が城代に入り明治維新にいたるまで米子を統治しました。

荒尾氏の石高は一万五千石。

現在は石垣以外は残っていません。

藩主ではなく城代の治める城でしたが五重大天守などがある大きな城でした。

その後明治になって古物商に売り払われすべて解体されました。

惜しいことです。

 

   米子駅前からメインストリートの一本西の大通りをまっすぐ北に行きます。

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   上が南、下が北の米子の地図。

   川の左側に川を渡る道路(河口に近いところ)を挟んで上に小さな山、下に大きな山がありますが

   大きなほうが天守のあった城跡で、こちらに石垣が残っています。

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   城跡の見取り図ですが、今度は上が北になります。

   車の方は城跡の南側にある「P」とある駐車場に止めるとそこから登り口があります。

   私は登りは南から、くだりはこちらの駐車場の方に降りました

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   二の丸枡形入口。

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   枡形入り口から少し行くと頂上への 登り口があります。

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   本丸の石垣。すぐに頂上です。

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   天守台。

   眺望がすばらしいです。

   山自体は百メートル未満なので米子を訪れる機会があったら登ることをおすすめします。

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   伯耆富士といわれる大山。

   そういえば今年の春に訪れた松江城からもかすかに見ることができました。

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   礎石が残っている天守台。

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   中海。地図を持っていなかったのでよく判りませんでした。

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   少しひいて大山。

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   本丸の石垣。一番上が天守台。

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   内膳丸に。こちらは五十メートルぐらいの高さ。

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   休憩所がひとつあるだけで眺望もきかないし、なにもありません。

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   頂上の本丸と内膳丸の中間点のおりくち。

   駐車場に下りてきます。

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  撮影 2009/08/27

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2009年9月11日 (金)

鳥取県米子市 - 米子駅2009年 (フェリーと青春18きっぷで行く旅(14))

 

  山陰線の長門市発のキハ120系気動車に乗って東萩から益田まで来て、益田で出雲市行きに乗り換えました。

快速「アクアライナー」の米子行きであればキハ126系で運用された列車ですが、なんとここでもまたキハ120系の単行列車で、結局山陽線の厚狭(あさ)からずっとキハ120系とのお付き合いでした。

出雲市から米子までは電化区間にもかかわらず、まだ現役で多数運用されているキハ47に乗り換え、米子には夜の10時半に着きました。

あくる日、米子を発つのは13時39分の新見行きと決めていたので、目覚ましも使用せずゆっくりと起床。

ホテルを出たのはもう9時ごろ。

結局、米子城跡だけは見ておこうと、荷物をコインロッカーに放り込み出発しました。

 

   米子駅前。駅舎は地味です。

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   同じく米子駅前。モニュメントがあったりします。

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   益田行き快速「アクアライナー」キハ126系。

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   駅の南隣には米子の車両基地があります。まだ気動車は大活躍。

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   境線のキハ40気動車。

   米子駅0番線にて。

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  撮影 2009/08/27

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2009年9月 9日 (水)

島根県益田市2009年 - 益田駅乗換え待ち(フェリーと青春18きっぷで行く旅(13))

 

  東萩16時30分発の益田行きで益田に到着。

益田発出雲市行きまで30分ほど時間があったので駅前に出てみました。

益田市は平安時代後期ごろから益田氏が所領する地で、応仁の乱には山口の大内氏と結ぶなど石見(現在の島根県の西半分)で大きな力を持った豪族でした。

のち、毛利氏が勢力をのばすと毛利氏と共にし、関ヶ原以後は毛利氏に従い益田を離れ毛利家の永代家老として重きをなしました。

現在、益田市は人口が5万人の小都市です。

益田からは南に津和野、山口、新山口(以前は小郡)への山口線がのびています。

松江、出雲市方面からやってくる特急は益田終着、もしくは山口線経由の新山口止まりで、山陰線の益田以西には特急をはじめ優等列車は運行されておらず全て各駅停車です。

 

  益田駅舎と駅前のロータリー。

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   東萩から乗車のキハ120系気動車。

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   西日を受けながらたたずむキハ40気動車。

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  撮影 2009/08/26

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2009年9月 8日 (火)

山口県萩市 - 松下村塾と松陰神社(フェリーと青春18きっぷで行く旅(12))

 

  幕末に吉田松陰が講義をした松下村塾と現在この修復された建物を管理している松陰神社は、旧市街地が山陰線の東萩駅の西側にあるのに対して東側に位置します。

正確には駅からは南東の方向にあります。

もう少し東に行くと伊藤博文の旧宅や毛利家の奇数代の藩主が祀られている東光寺があります。

こちらにの東側に立ち寄るなら東光寺は必見です。

ただし、車かレンタサイクルが必要です。

松陰は「安政の大獄」で死罪になりましたが、このへんの詳しいことは「安政の大獄」、「吉田松陰」、「松下村塾」等で検索してみてください。

 

   史蹟松下村塾。意外と小さいです。

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   講義室。東側から。

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   吉田松陰幽囚旧宅。蟄居(ちっきょ)幽閉させられていた頃の住まい。

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   松陰神社。

   現在、松下村塾の建物は神社の境内にあり管理されています。

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  撮影 2009/08/26

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2009年9月 7日 (月)

山口県萩市 - 萩の城下町(フェリーと青春18きっぷで行く旅(11))

 

  指月(しづき)城跡(萩城跡)から南に行くと、駐車場やお土産屋さん食堂などがある広場に出ます。

ここで少し早い食事。

その後、町に点在する武家屋敷、商家などを見て回りました。

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   駐車場の南側にある「旧厚狭(あさ)毛利家萩屋敷長屋」。

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   「旧福原家萩屋敷門」。

   福原氏は毛利家臣団の重臣として知られています。

   領地は現在の山口県宇部市にあったと説明板に。

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   広い範囲にわたってこんな町並みがあります。

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   「旧益田家物見矢倉」。

   益田家も福原家と同様に毛利家の重臣です。

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   「重要文化財菊屋家住宅」。

   萩藩の御用商人を務めた豪商の住宅。

   現存する商家の中でも最古の部類とのこと。

   江戸初期の建築で400年の歴史があります。

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   「青木周弼(しゅうすけ)旧宅」。

   青木周弼は藩医の蘭学者。

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   「木戸考允旧宅」。

   明治維新で活躍した志士や、維新後の政治家等の旧宅などが市内にたくさんあります。

   とても全部回りきれません。

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  撮影  2009/08/26

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2009年9月 6日 (日)

山口県萩市 - 萩駅舎 (フェリーと青春18きっぷで行く旅(10))

 

  萩市には主な駅として西から玉江駅、萩駅、東萩駅があります。

最大の駅は東萩駅ですが、この東萩駅を出ると松本川を萩橋で渡り、南の方角に国道262号線がのびています。

これを警察前交差点で西に向かうと萩市役所の前に出ますが、その手前の御許町交差点から真っ直ぐ南にのびる道路を行き、橋本川の大橋を渡りさらに南に行くと萩駅に突き当たります。

東萩駅から3Kmちょっとぐらい、指月城跡からは5Km以上あるでしょうか。

自転車でも結構かかりました。

この萩駅舎が由緒ある木造駅舎で、登録有形文化財に登録されています。

開業が1925年(大正14年)の古い洋風の駅舎で、一度見てみたいと思い訪れてみました。

 

   正面の木版には「登録有形文化財 萩駅舎」と書かれています。

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   中は資料館として開放されています。

   駅としては東側の一角を使用しています。

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   改札口からホームにでてみました。

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   西の長門市方面。

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   反対の東萩、益田方面。

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   実際に乗降しているのは東側の一角。

   乗降客は一日平均数十人とか。

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   向こう側の建物は観光案内所です。

   市内中心部への交通は循環バス、路線バスがあります。

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   真っ直ぐ北方向の市内中心部に向かう駅前道路。

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  撮影 2009/08/26

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2009年9月 5日 (土)

山口県萩市 萩城(指月城-しづきじょう)跡 - (フェリーと青春18きっぷで行く旅(9))

 

  萩は長州藩の藩庁。

藩主毛利氏は関ヶ原の戦いで、敗れた西軍の名目上の総大将であったために、戦後に約九ヶ国120万石の所領を長門、周防(すおう)の二カ国に減封され、広島から萩にうつってきました。

幕末には下級武士が中心となって、薩摩と共に薩長同盟を結び江戸幕府を倒し、維新後は伊藤博文らの政治家や軍人などを輩出し、日本の歴史に大きな足跡を残しました。

 

  そんな萩の街を周るべく、 東萩駅の南脇にあるレンタサイクルで自転車を借りて出発。

9時半過ぎに借りて5時半までと申告して800円でした。

もちろん前払いです。

お店は5時に閉まるので、返し方はお店の方に教えてもらえます。

原則として1日1000円が目安です。

萩の市街地は北を海に西と南を橋本川、東を松本川に囲まれています。

西の長門市方面からやってくる山陰線は、市街地の南から大きく東に回り込む様に二本の川の外側をはしって東萩駅に着きます。

したがって萩市の三つの駅、玉江駅、萩駅、東萩駅、いずれも市街地に入るには橋本川、松本川のいずれかを渡らなければなりません。

昔の城下町の防御としては非常に巧妙にできています。

さて、駅を出発してまず松本川に架かっている萩橋を渡ります。

そのまま真っ直ぐ西に向かえば最短で萩城跡にたどり着けますが、ここは川沿いに北西に向かい、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている浜崎の商家町を訪ねました。

ここの写真はまた機会があればあげます。

そしてそこから海辺に出て、菊ヶ浜海水浴場を右に見ながら萩城跡まで自転車をこぎました。

ただ、海水浴場では一人も泳いでいませんでした。

 

   指月(しづき)山とその麓をも含む萩城のありし日の模型。

   旧厚狭(あさ)毛利家萩屋敷長屋にて展示の模型。

   指月公園を南に出たところにあります。

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   萩城跡 指月(しづき)公園案内図。

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   菊ヶ浜海水浴場から展望した指月山。

   判りにくいですが、周囲を石垣で防御しています。

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   指月山の東側の海岸から。

   土塀は復元されたもの。

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   海岸から海側を。船は観光船です。

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   石碑のある入り口から天守台跡。

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   入り口通路越しに天守台跡。

   拝観受付は通路を入ったところに。

   拝観料210円です。

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    あと全て天守台。

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   天守台から入り口の方を。

   入り口通路の前を真っ直ぐ、建物の間を右に行くと駐車場、レストランなどのある広場に出ます。

   私はそこで昼食をとりました。

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  撮影 2009/08/26

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2009年9月 4日 (金)

下関から美祢線(みねせん)、山陰線経由で萩へ - (フェリーと青春18きっぷで行く旅(8))

 

  熊本を夕方に発ち、久留米、門司乗換えで下関に夜のうちに着き、下関で一泊しました。

翌26日は朝6時過ぎに出発。

最初は山陰線で長門市を経て、東萩駅までとプランを描いていました。

しかし途中で美祢線(みねせん)を使って長門市まで行こうと決め、下関の次の山陰線が別れる幡生(はたぶ)で降車。

美祢線は厚狭駅(あさえき)から長門市までの瀬戸内海側と日本海側を結ぶ非電化ローカル路線です。

厚狭駅には新幹線の駅があります。

山陰線に向かう気動車を幡生で降り新山口行きの山陽線電車で厚狭まで行くと、待っていたのはJR西日本のローカル線の到る所で見かけるキハ120気動車でした。

夏休みなのに高校生が多く、以外に混んでいました。

厚狭から長門市までは1時間10分ぐらいです。

下関で乗った列車は滝部という駅で長門市行きに接続し、その車両到着待ちで益田行きが出発します。

 

   朝の下関駅前の様子。

   6時少し過ぎで人通りもまばら。

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   下関発の滝部行き普通。

   山陰線観光列車「みすず潮彩」の車両が使用されていました。

   下関駅にて。

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   幡生(はたぶ)で山陽線電車に乗り換えて美祢線(みねせん)の始発駅の厚狭(あさ)に。

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   JR西日本の非電化区間で頻繁に見かけるキハ120系気動車。

   厚狭から終点の長門市までは1時間10分ほど。

   厚狭駅にて。

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   長門市駅のキハ40。

   このあたりのキハ40、キハ47気動車の塗色は上半身が黄色です。

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   さて、長門市から東萩までは益田行きに乗車します。

   美祢線から乗ってきたキハ120がそのまま益田行きになりました。

   長門市駅にて。

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   長門市発9時01分、東萩には9時39分で所要40分足らず。

   途中、車窓から日本海が。

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   東萩駅。

   写真は夕方のものです。

   萩には玉江駅、萩駅、東萩駅の三つの駅がありますが東萩が最大の駅です。

   街の南にある萩駅は由緒ある木造駅舎で有名です。

   駅の南、右手にレンタサイクルがありこれを利用しました。

   一日1000円が目安。

   私の場合9時半過ぎから5時半までで800円でした。前払いです。

   地図もらえますが、観光案内所での地図が詳しいかもしれません。

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  撮影 2009/08/26

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2009年9月 3日 (木)

熊本駅 - 車両三様(鹿児島本線以外)- (フェリーと青春18きっぷで行く旅(7))

 

  お城の話が一段落したので、熊本駅での車両三枚。

鹿児島本線ではなく、三角(みすみ)線、豊肥本線の普通車両をたまたま撮影できたので。

ところで現在、熊本駅は再来年の新幹線開業に向けて工事中です。

したがって、駅前も再開発中でゴチャゴチャになっています。

しかし、新幹線の開業で在来線の扱いはどうなるんでしょうか。

八代、川内(せんだい)間のように、第三セクターになって切り捨てられなければ良いのですが。

 

   熊本駅0番線Bホームの肥後大津行き815系電車。

   豊肥本線の肥後大津までは電化がされています。

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   三角(みすみ)線のキハ31形気動車。

   三角線は鹿児島本線の宇土(うと)駅から分岐し、宇土半島の先端の三角までの路線です。

   半島の先は天草諸島です。

   昔は、天草の島々までは船で渡りましたが現在は橋で結ばれています。

   そういった意味ではもう三角線は天草への足としての役割は小さくなってしまったのですね。

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   豊肥本線の宮地行きキハ140形気動車の普通。

   キハ140形はキハ40形の改造形だそうです。

   肥後大津以遠は非電化区間です。

   ホームの右手に新幹線用の橋脚が塀越しに見えます。

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  撮影 2009/08/25

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2009年9月 2日 (水)

熊本城 城外から -加藤神社から棒庵坂、東側から市役所前電停まで - (フェリーと青春18きっぷで行く旅(6))

 

   熊本城の記事は今日で最後です。

「頬当御門(ほほあてごもん)」入り口に面した道路の反対側には「西出丸」がありますが、今回これは省略します。

さて、この入り口から右手に宇土櫓を見ながら北に向かい、加藤神社の前を過ぎ、場外を北から東にまわりこみ様々な櫓を見上げながら、南の電車通りに出て熊本城の見学を終わりにしました。

 

   加藤神社の前を北に向かいます。

   ここからはまだ宇土櫓がのぞめます。

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   北側に出て道を東にとると、高台にあるお城から坂を下って東側に下りて行きます。

   この坂は棒庵坂といいます。

   私がこの坂を下りていくときには地元の学校の生徒が、

   この坂でダッシュの練習をしていました。

   体育系のクラブ活動でしょうね。

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   坂をおりたところから見える天守閣。

   見えているのは小天守です。

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   近くには平櫓(ひらやぐら)という櫓があります。

   石を落とすためにせり出しているのでしょう。

   ちょっとその不安定さがユーモラスです。

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   右上の門が開不門(あかずのもん)です。三つ目の入り口。

   ここから上がって行くと御殿の地下に通ずる門に。

   左の櫓は五間櫓(ごけんやぐら)です。

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   完全に東側にまわりこんで道路を歩いて行きますと、

   熊本大神宮という神社があります。

   そこの鳥居の間から見た東十八間櫓と北十八間櫓。

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   さて、その後「うまや橋」を渡ると電車道に出ます。

   この橋の手前に、紹介する最後の入園入り口の「須戸口門」入り口があります。

   上に上がって右手に道をとるといくつかの長屋風の櫓を内側から見学することができます。

   私は前回来たときに全部見て回りましたので今回は行きませんでした。

   向こうに見えるのは通町筋電停です。

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   市役所前バス停付近から西の方を。

   右手の塀は「長塀」でこの先が最初の「はぜ方門」入り口です。

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   市役所前電停付近の市電。

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  撮影 2009/08/25

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2009年9月 1日 (火)

熊本城天守閣と宇土櫓(うとやぐら) - (フェリーと青春18きっぷで行く旅(5))

 

  天守閣には東側の広場から入ります。

また、御殿の入り口は広場の南側にあります。

天守閣の入り口は北側の右側からで南の左側から出ます。

昨日も書きましたが、拝観は入園料に含まれていますので、天守閣、御殿大広間、宇土櫓、飯田丸五階櫓など全てフリーパスです。

 

   天守閣。

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   西側の眼下に見える宇土櫓(うとやぐら)。

   以前は小西行長の宇土城の天守閣を加藤清正が移築したという伝承がありましたが、 

   「平成元年の解体修理の際にその痕跡が見つからなかったので、現在は否定されています(熊本城公式ホームページより)」。

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   宇土櫓前広場から。

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   宇土櫓の内部です。

   国の指定重要文化財です。

   江戸時代からの建物。

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   宇土櫓から見た天守閣。

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   天守閣と宇土櫓のあいだの広場から出ると「頬当御門(ほほあてごもん)」の入り口です。

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    「頬当御門(ほほあてごもん)」の入り口。

   天守に一番近い入り口なので人も多いですね。

   観光バスの駐車場も近いです。

   手前左が宇土櫓で奥に見えるのが天守閣です。

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  撮影 2009/08/25

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