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2010年3月18日 (木)

伊勢への日帰り旅(6)(「春の青春18きっぷ」で津、鈴鹿、鳥羽へ) - 鳥羽城跡城山公園

 

  鳥羽城は戦国時代に水軍の将として活躍した九鬼氏の城でした。

九鬼嘉隆は志摩地方の豪族や北の伊勢の北畠氏と争い、織田信長の伊勢侵攻で信長に組し家運を開きました。

その後信長、豊臣秀吉に仕え水軍の将として重宝されます。

しかし、関が原の戦いで嘉隆は西軍に、息子の守隆は徳川家康に従い東軍に属し、結果はご存知のとおり西軍が敗れました。

戦後、守隆は家康に父の助命嘆願を願い出、それが受け入れられるも、守隆の家来のさしがねで嘉隆は自害してしまうという結果になってしまいます。

この後、九鬼家は守隆が後を継ぎ、鳥羽藩5万6千石の大名となります。

しかし、守隆が1632年に亡くなると九鬼家内部で跡目争いが起き、幕府は改易にこそしなかったものの鳥羽城と領地は召し上げられ、五男の久隆が家督を継ぎ摂津三田に転封、争った三男の隆季が丹波綾部に転封となり、ここに名実共に九鬼水軍は消滅しました。

その後、鳥羽藩は領主がめまぐるしく替わり、やっと1725年に稲垣氏が入り明治まで稲垣氏8代が治めました。

石高は3万石でした。(以上 Wiki等を参照)

 

  北側からの城山公園への登り口。

Pict0035

 

  北からの登り口を上がるとトイレのある一つ目の広場にでますが、

  ここはもうひとつ上の広場で、

  昨日の記事で紹介した三ノ丸広場から登ってくるとこの広場に上がります。

  下からも見えたのですが、九鬼氏の左三つ巴の家紋が入れてある大船の帆状の布が立ててあります。

  また、九鬼氏の軍旗には「七曜」という紋がいれてあったそうですが、

  調べてみると、本家三田藩九鬼家の家紋は「七曜(しちよう)」、

  綾部藩九鬼家の家紋は「左三巴(ひだりみつどもえ)」となっていますね。

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  先ほどまでフェリー桟橋に繋がれていた伊勢湾フェリーの鳥羽丸の出港。

Pict0038

 

  近鉄特急のすれ違い。

  伊勢志摩ライナーが 賢島行き。

  向こうが鳥羽駅方面です。

Pict0043

 

  「三ノ丸広場」から見上げた階段状の石垣群を上から見下ろしたところ。

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  もうひとつ上にあがると本丸の石垣の下に。

  この石垣は様々なところの写真で見かけました。

  写真で見ると明るくみえますが、もう結構暗いです。

Pict0054

 

  本丸跡です。

  左手にひもで囲ってあるところが、天守台があったところであると案内がありました。

  奥には旧鳥羽小学校に下りる階段があります。

  小学校のグラウンドであった名残で遊具や相撲の土俵がのこっていました。

  機械がすでに入っているのですが、この後どのように整地されるのでしょうか。

Pict0057

 

  どんどん暗くなる一方でさすがに帰る事にしました。

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  同じ道を下まで降り、暗くなった道を鳥羽駅まで歩いて、鳥羽駅に着いたのは6時半過ぎでした。

  鳥羽発最終の快速である「みえ24号」はすでにホームで待機していました。

  18時24分着の名古屋発快速「みえ15号」の折り返しと思われます。

  車内で待ち19時13分に発車、名古屋着21時03分。

  名古屋から 岐阜へは普通電車で帰り、今日の日帰り旅行は終わりです。

Pict0073

  撮影 2010/03/11

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