« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »

2010年12月

2010年12月31日 (金)

2010年 年末の京都駅 - 良いお年を

 

  12月28日の京都駅。

まだ、電車はさほど混んではいませんでした。

西本願寺を訪れて帰って来ての写真です。

この後、奈良線で木津、関西線で加茂、亀山、名古屋、そして東海道線で岐阜に帰りました。

 

皆さんの2010年は如何でしたでしょうか。

今年はたくさんの鉄道旅行をして、色々な所に行けました。

 

  では、良いお年を。

 

  京都駅前東西の塩小路通。

Dsc00497

 

  山陰線ホーム32番線の221系園部行き普通。

Dsc00515

 

  奈良線ホーム9番線の区間運転 城陽行き普通103系。

Dsc00521

 

  関空特急「はるか」281系の到着 30番線。

Dsc00513

 

  京都駅終着の特急「オーシャンアロー」283系 0番線。

Dsc00529

 

  女性駅員に見送られて回送されて行きました。

Dsc00535

  撮影 2010/12/28

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月30日 (木)

京都駅から西本願寺(2) - 年末の京都へ

 

  年末ももう28日に京都を訪れ、西本願寺に行ってきました。

東本願寺へは京都駅での時間待ちで何回もふらりと訪れていましたが、西本願寺へはこれが初めてでした。

いわゆる真宗十派といわれる真宗教団連合の中でも浄土真宗本願寺派(西本願寺)と真宗大谷派(東本願寺)は末寺や門徒さんの多さでは双璧で、私どもは浄土真宗と聞くとこの両派を思い浮かべます。

さて、西本願寺には宗教的な意味合いとは別に、文化財的に見て興味のある建築物が多数あります。

残念ながら東本願寺は幕末の「禁門の変」で殆んど焼失して、現在の建築物は明治時代の再建になるものですが、西本願寺は秀吉による造営の聚楽第から移築された「飛雲閣」や書院、唐門など多数の国宝を擁しており、今回は唐門と塀越しの飛雲閣の2、3階部分をなんとかチラリ見できました。

書院と飛雲閣は原則非公開で、特別拝観の一定期間と書院は事前申し込みでの許可による拝観ができます。

 

  まず西本願寺と興正寺との間にある小道の奥にある唐門を見てから、

  堀川通を東に渡り御影堂門の正面にある 総門へ。

  堀川通の東の総門側から、手前が御影堂門、向こう側が阿弥陀堂門です。

Dsc00491_2

 

  御影堂門。

  反対側にある総門から。

Dsc00456

 

  阿弥陀堂門。

  東本願寺では両門は南北真逆の位置にあります。北側に御影堂と御影堂門があります。

Dsc00479

 

  御影堂門の前から堀川通を挟んで総門を望みます。

  奥の門前通りの両側には仏壇屋さんが並んでいました。

Dsc00467

 

  御影堂を少し北向きから。

  この御影堂の南奥から南の寺域に書院や飛雲閣があります。

Dsc00469

 

  境内の南側にある鐘楼とチラリと見える飛雲閣の2、3階部分。

  飛雲閣は特別拝観でも撮影禁止であるそうです。

  安土桃山時代から江戸時代初期に見られるこの時代だけの豪華絢爛さは少しだけ垣間見えました。

Dsc00462

 

  こちらが阿弥陀堂。向こう側が御影堂です。

  年末でいろいろ工事車やクレーン車などが入っています。

Dsc00476

 

  北側にある経蔵。

Dsc00477

 

  堀川通に出て北から阿弥陀堂門と御影堂門。

Dsc00481

 

  寺域の北隅にある太鼓楼。

  幕末に新撰組が屯所を壬生から本願寺に移した際に使用されたそうですが、新撰組が使用して残っている唯一の建築だとか。

Dsc00482

 

  七条通との交差点まで戻ります。

Dsc00492

 

  京都駅前からの塩小路通と堀川通の交差点にある歩道橋から北の方を。

  左に興正寺と西本願寺。

  見える交差点が七条通との交差点。

Dsc00495

 

  同じく歩道橋から塩小路通の東方向、駅前の方を。

Dsc00498

 

  南側は新幹線、在来線、近鉄線が望めます。

Dsc00503

 

  京都駅の高いユニークな大屋根。

Dsc00512

 

  奈良線ホームから「みやこ路快速」で木津へ向かいます。

Dsc00538

  撮影 2010/12/28

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月29日 (水)

京都駅から西本願寺(1) - 年末の京都へ

 

  年の瀬も押し迫った28日に京都へ行って来ました。

月イチの京都での所用ではなかったので、時間的には全くのフリーでしたが、訪れたのは京都駅から近い西本願寺のみでした。

その後奈良線に乗り木津駅まで行き、さらに加茂駅に移動し、加茂駅では駅前の喫茶店で遅い食事を取って休憩しました。

この時点で14時。

この後は雨の予報でしたので、そのまま関西線で亀山、名古屋を経て岐阜に戻ったのが18時過ぎでした。

岐阜へ帰る頃は予報どおり雨となっていました。

 

  京都タワーのある駅前の東西の道、塩小路通(しおこうじどうり)を西に堀川通まで歩きます。

Dsc00507

 

  塩小路通は堀川通で突き当たり、そこに歩道橋があります。

  その歩道橋から京都駅の方角(東)を振り返って。

Dsc00496

 

  堀川通を北に歩くと七条通との交差点があります。

  その北西の一角に真宗興正派の本山興正寺とその北に大きな西本願寺、興正寺の西には龍谷大学の大宮キャンパスがあります。

  もう少し下調べをしておけば大学の由緒ある建物などを見られたのに残念でした。

  手前の門は興正寺の三門。

  その向こうに西本願寺の御影堂等の屋根が見えます。

Dsc00493

 

  興正寺の三門。

  奥の建物が御影堂で御影堂門とは言わず三門と言います。

  中にも入りましたがやはり阿弥陀堂と阿弥陀堂門が北側にあります。

  津市の一身田にある真宗高田派の専修寺(せんじゅじ)も訪れましたがやはり諸堂の配置は同じ形式でした。

Dsc00432

 

  興正寺と西本願寺の間にある小路。

  右が南にあたり興正寺で左が西本願寺で堀川通を振り返ったところ。

  築地塀には警報センサーが施されており触れないようにとのこと。

  西本願寺の内側には国宝の飛雲閣があり、厳重な管理がされています。

Dsc00442

 

  築地塀をたどると国宝の唐門があります。

  中の飛雲閣や書院は普段は非公開です。

Dsc00443

Dsc00445

 

  唐門の隣りにある大玄関門。

  さらに奥には中にある本願寺中央幼稚園への門があります。

  この前には龍谷大学の大宮キャンパスがあります。

  ちなみに龍谷大学は西本願寺系の大学です。

Dsc00447

  撮影 2010/12/28

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月24日 (金)

名鉄岐阜駅 各務原線ホームから田神駅 - 12月も半ば

 

  一宮市木曽川からの帰りの名鉄岐阜駅各務原線(かかみがはらせん)ホーム。

5番線と6番線が割り振られています。

もう1本6番線の外に線路がありますが2005年まであった関市方面への7番線ホームの名残です。

現在は留置線として使われています。

名古屋本線ホームとの連絡通路を降りると東口の改札内に下り、すぐに5番線と6番線があります。

Dsc00418

 

  犬山行き普通6500系4両編成。

  新那加から急行。新那加駅は各務原市内の駅。

Dsc00417

 

  6番線に特急増結用車両の2両組成×2の1800系普通4両編成が到着。

Dsc00419

 

  途中新那加駅から急行の犬山行き普通に乗り帰りました。

Dsc00421

 

  田神駅にて。

  犬山方面に去っていく6500系普通。

Dsc00425

 

  田神駅。

  「間借りをしている」と書いたらご指摘があったので訂正をしておきます。

  駅ビルとのこと。

  「元々は駅前広場があって、1970年にアパートのビルが建った」という事だそうです。

  ご指摘有り難う御座いました。

Dsc00427

 

  田神駅前の大通りから見える岐阜城。

Dsc00429

  撮影 2010/12/14

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年12月22日 (水)

名鉄岐阜駅 名古屋本線ホーム - 12月も半ば

 

  愛知県一宮市の木曽川町を訪れた際の帰りの名鉄岐阜駅。

平日の午後でのんびりとしていました。

名鉄岐阜駅は名古屋本線と竹鼻線直通電車が発着する1番線から4番線の高架ホームと、各務原線が発着する5、6番線の地上駅からなっていますが、高架ホームでの特急、急行、普通の発着番線は必ずしも固定されていないので、その都度案内を確かめる必要があります。

 

  木曽川駅から乗車してきた特急以外は全て出払った状態です。

  左から1番線。

Dsc00405

 

  1700系プラス2300系の6両編成。

  1700系の特別車(有料)2両と2300系の普通車4両で構成されています。

  向こうの方がJR岐阜駅前。

Dsc00408

Dsc00409

 

  駅の出入り口の単線部分。

  ちょうどJRの高架下で単線になっています。

Dsc00407

 

  4番線に到着の3150系普通電車2両編成。

  4両組成は3300系、2両組成が3150系となります。

Dsc00410

 

  全車特別車の特急「ミュースカイ」2000系の3番線到着。

Dsc00415

 

  中央改札口。

  各務原線ホームは改札を出ず、右手の連絡通路を渡ります。

Dsc00414

  撮影 2010/12/14

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月20日 (月)

名鉄 新木曽川-黒田間(愛知県一宮市)

 

  名鉄新木曽川駅から戦国武将で土佐藩藩祖の山内一豊が生まれた黒田城址と父と兄の墓のある法蓮寺を訪れた際の名鉄電車。

新木曽川駅の北の黒田駅との間です。

 

  新木曽川駅北の踏み切りにて、名古屋方面への特急「パノラマスーパー」1000系。

Dsc00292

 

  名鉄岐阜行きの特急「ミュースカイ」2000系。

Dsc00391

 

  名鉄岐阜発須ヶ口行き普通3100系2両編成。

  2両の短編成はちょっと可愛い感じです。

Dsc00382

 

  名鉄岐阜行き急行の3100系。

Dsc00386

  撮影 2010/12/14

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月17日 (金)

JR 木曽川駅(愛知県一宮市) - 旧木曽川町の駅

 

  現一宮市の旧木曽川町には土佐藩藩祖山内一豊の生誕地の黒田城跡があります。

この日は名鉄新木曽川駅から城址の碑を訪れましたが、距離的にはJRの木曽川駅に近く、ちょっとミスったかなとは思いつつも、久し振りに名鉄に乗ることができたので良しとしました。

結局帰りもJRを利用することなく、JRの木曽川駅の自由通路を東から西に通り抜けて、再び名鉄新木曽川駅に戻り、名鉄で岐阜へ帰りました。

 

  JR東海道線の東側を北にある木曽川駅に向かいます。

Dsc00341

 

  普通岡崎行き313系。

  木曽川駅は普通のみが停車します。

  基本は1時間に4本の運行です。

Dsc00350

 

  木曽川駅の東口広場。

Dsc00358

 

  東西の自由通路を渡っているうちに岐阜方面からの名古屋行きの特急「しらさぎ6号」が通過していきました。

  向こうが北です。

Dsc00360

 

  名古屋方面に去っていく普通。

Dsc00365

 

  西口の南側に降り立ちました。

Dsc00375

 

  西口の南側の線路沿いにある児童公園の「見染塚」。

  俳人正岡子規が木曽川の停車場の茶店で休憩を取ったエピソードが後に「旅」という小作品に掲載されて、それを綴った碑。

  ここからはまっすぐ西に歩き、名鉄名古屋本線に突き当たり、

  線路に沿って新木曽川駅のある南に向かいました。

Dsc00377

  撮影 2010/12/14

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月15日 (水)

黒田城跡と法蓮寺(愛知県一宮市木曽川町) - JR木曽川駅からすぐ

 

  名鉄新木曽川駅のすぐ北の踏み切りを東方向に300mぐらい歩くとJRの東海道線の踏み切りに出ます。

これを東海道線沿いの北側に少し歩くと次の踏み切りの西側角に黒田城址の碑がポケットパークの一角にあります。

その西には黒田小学校がありますが、このあたりがお城跡だということですが、お城の痕跡は一切残っていません。

で、この踏み切りをさらに東に渡ると50mぐらいで法蓮寺に到ります。

法蓮寺には山内一豊の父の盛豊、兄の十郎の墓があります。

山内盛豊は岩倉(一宮市の東隣が岩倉市)城主の織田信安の家老で黒田城主を務めていましたが、1557年に織田信長の夜討ちに会いこの時長男の十郎が討ち死にしています。

また、盛豊もその2年後に岩倉城が信長により落城した折に戦死したとされています。

この盛豊がいつ戦死したかについては諸説があって、法蓮寺にも諸説併記の説明板がありました。

いずれにしても、後の土佐藩の藩祖となった山内一豊はここ黒田城で生まれ、父の死で一家離散となってしまいました。

 

  山内一豊の父と兄の二人のお墓は法蓮寺本堂の裏にあります。

一般のお墓の間をぬって奥へ奥へと行くと本堂の裏側の一番奥にありました。

また、一般のお墓には五藤家の墓が非常に多く、尾張時代から山内一豊に付き従って土佐藩の重臣となり安芸を支配した五藤家がこのあたりの人であったことを想起させます。

 

  名鉄新木曽川駅から歩いてきた道路に架かる歩道橋からJRの木曽川駅を望みます。

  線路に沿った道路に車がいますが、ここに黒田城址の碑があります。

  そして車が渡っている踏切を右に行くと法蓮寺があります。

  結局、黒田城址の碑も法蓮寺もJRの木曽川駅からの方が近いということでした。

Dsc00295

 

  名古屋方面に向かう普通電車の313系。

Dsc00298

 

  黒田城址の碑のあるポケットパーク。

  向こう側は黒田小学校の敷地。

Dsc00299

 

  「黒田城址愛知縣」と彫ってあります。

  大正6年(1917年)の建立だそうです。

Dsc00301

Dsc00303

Dsc00305

 

  踏み切りを東に渡って振り返ったところ。

  ちょうど名古屋方面への「ワイドビューひだ6号」キハ85系が通過。

Dsc00324

 

  法蓮寺入り口。

Dsc00326

 

  法蓮寺本堂。

  左手から奥にかけて墓地があり本堂の裏にまわります。

Dsc00333

 

  ちょっと日差しの加減で見にくいのですが右が盛豊、左が十郎のお墓だそうです。

Dsc00334

 

  今度は東海道線の東側を木曽川駅まで歩きます。

Dsc00336

  撮影 2010/12/14

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月14日 (火)

名鉄新木曽川駅(愛知県一宮市) - 旧木曽川町(山内一豊生誕地)

 

  愛知県一宮市の旧木曽川町を名鉄で訪れました。

主な目的は土佐藩祖の山内一豊の生誕地である黒田城跡と父の盛豊と兄の墓がある法蓮寺を訪れることでした。

旧木曽川町は2005年に旧尾西市と共に一宮市に編入され、現在は一宮市木曽川町となっています。

今日はそのうち名鉄新木曽川駅。

名鉄岐阜駅からは急行で新木曽川駅まで向かいました。

特急も停車しますが、特急の出発直後で急行となりましたが、特急も急行も笠松、新木曽川の順で停車しますから乗車時間は殆んど変わりません。

北東の方向にはJRの木曽川駅があり、乗車料金は岐阜との間はJRが190円、名鉄が230円と名鉄の方が割高になります。

今日はお昼前になって天気が良くなったので、ぶらりと外出してみました。

 

  名鉄新木曽川駅駅舎。

  駅の東側でここからJR木曽川駅の方向にある黒田城跡と法蓮寺に向かいます。

Dsc00294

 

  一度駅の北踏み切りを西側に渡り、東側を。

  この道を東に歩きます。

Dsc00290

 

  岐阜方面から新木曽川駅を。

  2面4線で普通電車が待避し、特急、急行から乗換えます。

Dsc00293

 

  新木曽川駅の北の方で岐阜方面を。

  新木曽川駅の北にある黒田駅に停車中の名鉄岐阜発須ヶ口行き普通。

Dsc00378

 

  新木曽川駅にて。

  名鉄岐阜発須ヶ口行き普通。

Dsc00394

 

  新木曽川駅に近づく名鉄岐阜発の特急「パノラマスーパー」、新木曽川駅停車。

Dsc00389

  撮影 2010/12/14

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月13日 (月)

加納城址の東から見える岐阜城 - 岐阜県岐阜市(荒田川か新荒田川か)

 

  岐阜市加納に残る加納城址の外堀として利用されていた荒田川に架かる城南橋からの岐阜城。

 

  ただし、この川についての名称がWikiでは荒田川、岐阜市による行政上で使用されている名称は新荒田川となっています。

そして、このすぐ下流で西に分流しますが、こちらを荒田川としているのは両者は一致しています。

しかし、新荒田川から荒田川が分流しているのは不自然で、もともとは北の方から分流地点までも荒田川と呼んでいたものが、行政の都合で変更されたものと思われます。

現に私どもが小さい折に良く遊んだ、名鉄各務原線の田神駅東方の鉄橋がまたぐ川を荒田川と呼んでいましたので、本来的にはWikiが正しいと思います。

ただ行政的に新荒田川となってしまったので、現在は新荒田川と呼ばざるを得ないということでしょう。

Pict0002

  撮影 2010/11/21

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 8日 (水)

福井駅 えちぜん鉄道と福井鉄道福武線 - 福武線福井駅前駅は路面

 

  11月下旬の「北陸おでかけパス」での旅行の福井市内の「えちぜん鉄道」と福井鉄道福武線の様子。

雨となり、福井市内の散策は諦めて「えちぜん鉄道」福井駅にまっすぐに向かい、三国芦原線の田原町駅までの切符を購入し、出発まであと3分という慌ただしさの中、アテンダントさんが待ってくれているホームで1枚写真を撮ってから乗り込みました。

田原町までは約8分の乗車。

ここでホームの反対側で待っている福井鉄道福武線の越前武生(えちぜんたけふ)行きに乗り換えです。

そういえば武生方面の終点駅は以前は「武生新駅」であったのが「越前武生駅」に改称されていました。

武生市も現在は市町合併で越前市となっています。

 

  えちぜん鉄道福井駅。

  アテンダントさんが迎えてくれて少し恥ずかしげに1枚撮りました。

Dsc00101_2

 

  えちぜん鉄道車内。ボックス席になっています。

Dsc00102

 

  田原町駅にて。

  田原町駅(たわらまちえき)で福井鉄道に乗り換え、福井駅前に戻ります。

Dsc00103

 

  福井駅前電停にて。

  田原町駅を出ると路面電車となり南に大通りを走り、

  市役所前電停から東に曲がり行き止まりの福井駅前電停に到着します。

Dsc00111

 

  福井駅前電停の正面から。

  JRの福井駅は左手の奥です。

Dsc00112

 

  大通りをいったん市役所前電停に戻り、そこでスウィッチバックで方向を逆にして越前武生に向かいます。

  駅前から直接武生方面への線路が無いのでこのような形をとります。

Dsc00115

 

  田原町行き電車が市役所前電停に入ろうとしています。

Dsc00118

  撮影 2010/11/23

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 7日 (火)

加納城跡(岐阜県岐阜市) - 加納藩3万2千石

 

  以前にも書きましたが、現在の岐阜市は異なった二つの町から成り立っています。

一つは今日紹介する加納城を中心とした城下町、宿場町の加納、もう一つは斎藤道三、織田信長以来の城下町であった岐阜町です。

加納藩は関が原の戦いの折に東軍の攻撃で落城した岐阜城を廃棄して、新たに平城の加納城が築かれ、奥平信昌が10万石で入って立藩したのが始まりです。

また、加納は中山道の宿場町でもありました。

一方、北に位置する岐阜町はほぼ一貫して尾張藩領であり、18世紀の半ばには人口は5000を数え、これを岐阜奉行所を置いて支配したということです。

      江戸時代の「岐阜町」のようすについてのリンク。興味のある方はどうぞ。

 

  加納城の東の外堀として利用された荒田川からの岐阜城。

Pict0005

 

  左の図で加納の町の北端がが現在のJR岐阜駅のすぐ上に(南に)あったことが判ります。

Pict0026

 

  現在残っているのは本丸を囲む石垣と堀跡のみです。

  加納公園(本丸跡)への入り口。

Pict0051

 

  本丸跡をぐるりと囲むように石垣があります。

  南側の正面入り口。

Pict0049

 

  入り口から東の方の石垣前には駐車場があります。

Pict0010

 

  さらに東の石垣と小さなグラウンド。

Pict0012

 

  中に入って東の(右の)方向。

  なおこの加納公園は駐車場も含めて午後5時には閉鎖されてしまいます。

Pict0018

 

  本丸跡内西側で北を向いて。

  石垣の内側は低い石垣の上に大部分が土塁という形です。

Pict0019

 

  内側の土塁。

Pict0021

 

  北の出入り口の東脇の土塁。

Pict0025

 

  公園の北出入り口から東の石垣。

Pict0032

 

  北出入り口前は普通の生活道路ですがコミュニティバスが走っていました。

  岐阜市のコミュニティバスは10路線ありますが、

  この「加納城址」バス停(バスのいるところ)にはJR岐阜駅南口を中心に加納地区で運行されている「加納めぐりバス」がやって来ます。

  バスは一乗車100円、乗り放題の一日乗車券(バス車内で販売)は200円です(子供はいずれも半額、大人は中学生以上)。

  ただし一日乗車券は購入した路線のみで有効です。

  東回り、西回り共に1時間に1本が運行されています。

  コミュニティバス以外にも幹線道路では岐阜バスが多数運行されています。

Pict0033

 

  本丸跡北側の石垣に沿って西に歩きます。

Pict0036

Pict0038

Pict0042

 

  一転して南に折れて本丸跡西側の石垣を南から。

Pict0046

 

  そして再び南側に回り込み南正面入り口。

  5時になるとこの柵から入れなくなります。

  人は何とでも入れますが車は出入りできなくなります。

Pict0007

  撮影 2010/11/21

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 5日 (日)

福井駅の419系 - 寝台特急電車からの改造車

 

  福井駅で見かけた419系の3両編成。

419系は寝台特急電車を近郊形電車に改造した車両。

来年(2011年)の3月には廃止という話がWikiには載っていましたが、車両について等、私自身はあまり詳しくないのでWikiや他のサイトなどで確かめて下さい。

 

  米原方向は昔の特急の面影を残しています。

  この列車は福井発敦賀行き普通電車。

Dsc00099

 

  後方の金沢方向。

Dsc00095

  撮影 2010/11/23

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 3日 (金)

田原町駅(たわらまちえき 福井県福井市) - 福井鉄道終点駅、えちぜん鉄道乗り換え

 

  あいにくの雨模様となった「北陸おでかけパス」の旅での福井市。

福井市と越前武生(えちぜんたけふ)とを結ぶ福井鉄道福武線の福井側の終点駅が田原町駅(たわらまちえき)です。

田原町駅は福井鉄道とえちぜん鉄道の共有駅で、えちぜん鉄道福井駅を出発して福井口駅で勝山永平寺線と分岐した三国芦原線との接続駅です。

この日は雨がちの天気に途方にくれて、とりあえずJR福井駅の東にあるえちぜん鉄道福井駅から田原町駅までえちぜん鉄道に乗ってみることにしました。

もちろん最初から田原町駅で福井鉄道に乗り換えて福井駅前にもどってくる算段でしたが。

 

  福井鉄道の越前武生行き。

  田原町駅の北側をえちぜん鉄道が南側を福井鉄道が利用しています。

  車両は以前の名鉄岐阜市内線を中心に走行していたもので、懐かしくもあり残念な気持ちもありです。

Dsc00105

 

  電車の乗り降りがバスと同じ感覚なのでホームからすぐに外に出られます。

  えちぜん鉄道の福井行き。

Dsc00106

 

  向こうがえちぜん鉄道でこちらが福井鉄道です。

  間に改札があり、このときは駅員さんがいました。

Dsc00107

 

  駅を出発するとすぐに南北の大通りに出て軌道路線になります。

Dsc00109

  撮影 2010/11/23

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 2日 (木)

名鉄名古屋本線 加納駅(かのうえき 岐阜県岐阜市) - 名鉄岐阜駅から一つ目の駅

 

  名鉄名古屋本線の加納駅は名鉄岐阜駅からすぐの一つ目の駅です。

1990年以前は準急停車駅で、その後一部の急行停車駅となった時期もありましたが現在は普通のみの停車で、昼間帯は基本的に1時間に4本が運行されています。

朝には竹鼻線直通の電車もあり運行数は倍になります。

昼間帯の名古屋方面の電車(普通電車)はすべて須ヶ口行きで名鉄名古屋駅には乗り入れません。

 

  加納駅を通過する「パノラマスーパー」。

  踏み切りは岐阜東通り。

  JR岐阜駅から北に伸びる駅前通りは3本ありますが、さらに東にある南北の通りを岐阜東通りといいます。

  昔は町名にちなんだ通りの名前を通称として使用していましたが、

  1988年の「ぎふ中部未来博」開催を契機に、

  その前年に主な通りに判りやすい名称を付けたのが現在の通りの名前になっています。

Dsc00055

 

  現在は無人駅の加納駅。

Dsc00057

 

  名鉄岐阜行き急行の通過。

Dsc00056

 

  遠くで信号待ち停車している2200系特急。

  名鉄岐阜駅の出入り口の部分が単線になっているためにこのような信号待ちが発生します。

Dsc00062

 

  空港特急「ミュースカイ」2000系。

Dsc00067

 

  岐阜東通りをさらに北に行くとJRの高架が通りを跨ぎます。

  東海道線はこのあたりから大きく南に方向を変えます。

  そして手前の高山線の高架は地上に下りていきます。

Dsc00070

 

  高山線の高架は東に伸びて地上に近づいてきます。

  交差点から東の方を。

Dsc00071

 

  さらに岐阜東通りを北に歩くと名鉄各務原線の踏み切りがあります。

  加納駅からは1Km足らずの距離です。

  名鉄岐阜行きの普通。

Dsc00076

  撮影 2010/11/21

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 1日 (水)

京都をそぞろ歩き(3) - 八坂神社、二年坂、八坂の塔から五条大橋、帰途へ

 

  京阪祇園四条から八坂神社を西から南に通り抜け、いったん東の円山公園から南の高台寺に向かう道に出ました。

南に一度突き当たり西から南に再び歩くと高台寺の前の道に出ます。

さらに歩くと京都神社京都霊山護国神社への参道が東に伸びており、その奥には「幕末維新ミュージアム霊山歴史館」や坂本竜馬の墓が隣接してあります。

大河ドラマの「竜馬伝」の影響でしょうか、そちらにも多くの人が流れていました。

その後、細い道をぬって東にのち南に方向をとると二年坂にいたります。

二年坂を上りきり左に道をとると三年坂から清水寺、右に道をとると八坂の塔です。

少し迷いましたが結局八坂の塔の方に向かい、その後は西へ歩いて東大路通りを渡り、観光客とは離れてさらに西に歩いて建仁寺の南で左に道をとると六波羅蜜寺がありました。

そぞろ歩きもここまでで、五条大橋までもう少し歩いて橋のたもとの喫茶店で休憩してから京阪、JRで京都駅に戻りました。

 

  円山公園と高台寺を結ぶ道には人波が。

Dsc00250

 

  龍池山大雲院というお寺で一度道が折れ曲がります。

  左がそのお寺で東を振り返った写真。

Dsc00252

 

  そして再び南に高台寺の方へ。

Dsc00256

 

  高台寺の南の京都神社京都霊山護国神社への参道でこの奥に坂本竜馬の墓があります。

Dsc00257

 

  そして二年坂までやって来ました。

  上から振り返って。

Dsc00267

 

  二年坂から右に行くと法観寺八坂の塔が見えてきます。

Dsc00269

 

  八坂の塔の下の拝観入り口。

  塔の二階まで上る事ができます。

Dsc00273

 

  舞妓さんの着付け体験、記念撮影付きです。

  この近くにそういうお店があり、そのまま散策もできます。

Dsc00275

 

  八坂の塔を西から。このまま西に歩きました。

Dsc00282

 

  東大路通りを西に渡りさらに西に歩いていき、建仁寺の手前で左に折れるとある六波羅蜜寺。

  空也上人の木像が有名です。

  現在では小さなお寺となっています。

Dsc00283

 

  五条大橋に着いて今日の京都そぞろ歩きは終わりです。

Dsc00286

 

  五条通りの東の方。

  清水寺へはまっすぐ通りを歩いていきます。

Dsc00287

 

  京都駅の奈良線ホームから。

Dsc00288

  撮影 2010/11/27

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »