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2010年12月15日 (水)

黒田城跡と法蓮寺(愛知県一宮市木曽川町) - JR木曽川駅からすぐ

 

  名鉄新木曽川駅のすぐ北の踏み切りを東方向に300mぐらい歩くとJRの東海道線の踏み切りに出ます。

これを東海道線沿いの北側に少し歩くと次の踏み切りの西側角に黒田城址の碑がポケットパークの一角にあります。

その西には黒田小学校がありますが、このあたりがお城跡だということですが、お城の痕跡は一切残っていません。

で、この踏み切りをさらに東に渡ると50mぐらいで法蓮寺に到ります。

法蓮寺には山内一豊の父の盛豊、兄の十郎の墓があります。

山内盛豊は岩倉(一宮市の東隣が岩倉市)城主の織田信安の家老で黒田城主を務めていましたが、1557年に織田信長の夜討ちに会いこの時長男の十郎が討ち死にしています。

また、盛豊もその2年後に岩倉城が信長により落城した折に戦死したとされています。

この盛豊がいつ戦死したかについては諸説があって、法蓮寺にも諸説併記の説明板がありました。

いずれにしても、後の土佐藩の藩祖となった山内一豊はここ黒田城で生まれ、父の死で一家離散となってしまいました。

 

  山内一豊の父と兄の二人のお墓は法蓮寺本堂の裏にあります。

一般のお墓の間をぬって奥へ奥へと行くと本堂の裏側の一番奥にありました。

また、一般のお墓には五藤家の墓が非常に多く、尾張時代から山内一豊に付き従って土佐藩の重臣となり安芸を支配した五藤家がこのあたりの人であったことを想起させます。

 

  名鉄新木曽川駅から歩いてきた道路に架かる歩道橋からJRの木曽川駅を望みます。

  線路に沿った道路に車がいますが、ここに黒田城址の碑があります。

  そして車が渡っている踏切を右に行くと法蓮寺があります。

  結局、黒田城址の碑も法蓮寺もJRの木曽川駅からの方が近いということでした。

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  名古屋方面に向かう普通電車の313系。

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  黒田城址の碑のあるポケットパーク。

  向こう側は黒田小学校の敷地。

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  「黒田城址愛知縣」と彫ってあります。

  大正6年(1917年)の建立だそうです。

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  踏み切りを東に渡って振り返ったところ。

  ちょうど名古屋方面への「ワイドビューひだ6号」キハ85系が通過。

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  法蓮寺入り口。

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  法蓮寺本堂。

  左手から奥にかけて墓地があり本堂の裏にまわります。

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  ちょっと日差しの加減で見にくいのですが右が盛豊、左が十郎のお墓だそうです。

Dsc00334

 

  今度は東海道線の東側を木曽川駅まで歩きます。

Dsc00336

  撮影 2010/12/14

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