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2011年3月

2011年3月28日 (月)

岐阜城 - 忠節橋から(旧市街北西部)

 

  忠節橋は岐阜市の北側を流れる長良川に架かる岐阜市内の橋です。

2005年までは名鉄岐阜市内線が忠節橋を渡っていました。

そして橋の北詰の交差点北西の奥に忠節駅があり、忠節駅からは郊外線となり、直通電車が導入されるまでは忠節駅での乗り換えが必要でした。

 

  忠節橋を北に下りた交差点。

  ここから電車は左手の広告の奥に入っていきました。

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  線路跡がうかがえるカーブ状の駐車場。

  上の写真の広告越しに奥を。

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  橋北詰の交差点。

  北から忠節橋のある南をのぞむ。

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  長良川北側の堤防の歩道橋からの忠節橋。

  JR岐阜駅方向を見ています。

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  わずかに伊吹山が見えます。

  伊吹山が真西の方向になります。

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  忠節橋からの岐阜城。

  望遠なので実際はもう少し小さい訳ですが。

  方向は真東です。

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  南の方に山々が連なっていますし、東の方にも山は連なっていますが全体としては独立しています。

  見えている橋は金華橋でその向こうに長良橋があります。

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  南詰めを下りて交差点のバス停まで歩きます。

  北側には忠節橋バス停と交差点にある忠節バス停がありますが、こちらは下り切った交差点までバス停はありません。

  JR岐阜駅の駅前通り三本の内一番西側にある通りです。

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  JR岐阜駅に戻ってきて南の裏口にあたる加納口。

  こちらにはコミュニティバス以外にバス停はありません。

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  撮影 2011/03/23

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2011年3月25日 (金)

岐阜市 黒野城跡(2) - 本丸の北にあるという土塁を見に行く

 

  黒野城跡公園から公園の西に面した道路を北に歩くこと200mに多賀神社という神社があります。

そして、さらに北西の方向に直線距離で100mから150m、歩いての距離で200mぐらいに熊野神社があります。

こちらの方に土塁跡が残っているというので足をのばしました。

 

  この両神社、いずれも村社という格式の(戦後はこの格式は廃された)神社で、大辞林Web版では村社(そんしゃ)とは「神社の旧社格の一。郷社の下、無格社の上に位する。祈年祭・新嘗(しんじよう)祭・例祭には村から奉幣した。」とあります。

もう少し大きく分類すると官社と諸社に分類される中で村社は諸社に含まれます。

地元中心の話をさせていただければ、岐阜市の伊奈波(いなば)神社や愛知県稲沢市の尾張大国霊神社(はだか祭りで有名な国府宮神社のこと)は官社のうち国幣(こくへい)小社(国幣社は国庫より幣帛を奉げた神社で大、中、小とあった)、岐阜県垂井町の南宮大社は国幣大社、名古屋市の熱田神宮が官幣(かんぺい)大社(官幣社は宮内省より幣帛を奉げた神社で大、中、小、別格とあった)でした。

国幣社と官幣社はいずれも官社ということで同格とみなされていたそうです。

 

  話がそれましたが熊野神社から多賀神社の裏手は竹林などで覆われていて、中を窺うと確かに堀と見られる跡や土塁と思われる土盛りが続いていました。

  考察は素人なので判断を止めて、この事実のみを確認してから再び多賀神社から黒野城跡公園の横を南にバス停のある県道に戻り、食事をしてからバスで帰途につきました。

 

  本丸の北面の土塁。

  ここから左手の北に歩きます。

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  北の方向の突き当たりに多賀神社があります。

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  多賀神社の鳥居前。

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  南の方、黒野城跡公園の土塁が見えます。参道の両側は桜です。

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  社殿、屋根を新しくしたばかりという話でした。境内を掃除している方が仰っていました。

  この後ろの竹藪の中に土塁と堀跡が見られました。

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  多賀神社の後ろを探るのは後にして熊野神社にまず向かいました。

  木々でうっそうとしていました。

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  熊野神社。

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  立派な社殿です。拝殿と舞殿がいっしょになったような空間を持っています。

  これは多賀神社も同じで、この空間で様々な儀式が行われるのでしょう。

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  熊野神社前から東の方。

  低くなっているところが堀跡のようで東に続いてます。

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  畑地に入って行きましたが良かったかどうか。無断で私有地に入ったみたいでした。

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  左が北で堀跡と右側が土塁のようです。

  左の北側は畑地です。

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  少し奥を見てみると土塁の向こう側にも堀跡のような。

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  多賀神社に戻って本殿の裏側に行ってみました。

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  竹薮の中に堀跡と土塁らしきもの。南側にも堀跡がありますね。

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  東に続く堀跡。右側が南で多賀神社の境内です。

  これは土塁に沿って南北に挟むように堀があったということでしょうか。

  こちら(南側)は城の内側になると思うのですが。

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  これ以上は素人の私には無理と判断して城跡公園まで戻ってきました。

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  工場の正門前からバス停のある県道に戻ります。

  食事を済ませてバスで帰り、途中の長良川に架かる忠節橋のある忠節バス停で途中下車しました。

  忠節には廃線になった名鉄揖斐線と市内線の名鉄忠節駅がありました。

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  撮影 2011/03/23

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2011年3月24日 (木)

岐阜市 黒野城跡 - 加藤氏4万石の黒野藩(1610年に廃藩、廃城)

 

  黒野城に拠っていた加藤貞秦は関が原の戦いで最初は西軍に、後に東軍に属して関が原の本戦、近江水口城攻めで功をあげて本領を安堵され、ここに黒野藩4万石が成立しました。

しかし、加藤家は1610年に伯耆米子に6万石で転封して、同時に黒野城は廃城となり黒野藩も廃されました。

 

  その黒野城跡に本丸の土塁と堀が残っているというので行ってみました。

 

  黒野城跡は岐阜市内の北西部分にあり、城跡の北東1Kmちょっとの所には岐阜大学と岐大病院があります。

私は徒歩旅行者なのでバスで行きましたからバスでの行き方を。

JR岐阜駅、名鉄岐阜駅からは「黒野線 御望野(ごもの)行き」で折立平野総合病院前下車、歩いて数分というところです。

バスは1時間に2本から3本あり、運賃はJR岐阜、名鉄岐阜から350円です。

所要は30分ぐらいと見ておけばよいです。

  バス停を降りて西方向に歩いていくと平野病院が右手に、そして次に工場がありますが、その手前で右に(北に)折れると城跡の南東のお堀端に出ますが、私は工場の塀沿いをさらに西に歩いて工場の塀が切れた所を右に(北に)折れました。

 

  城跡の入り口は南西のこちら側にあります。

本丸の四方を高い土塁で囲み、その外をお堀で囲んでいる姿が良く保存されています。

また、この黒野城跡の西に面した道路を北に歩くと突き当たりに多賀神社という神社がありますが、その本殿の裏の北側には土塁跡と思しきものが東西に見られます。

残念ながら私は素人ですから、他のブログなどで土塁が残っていると言う情報を頼りに行って見た訳ですが、これ以上確かなことは言えません。

 

  バス停のある道路を西に歩いていくと工場の塀に手書きの案内がありました。

  岐阜市も何とかしてやれないのかと、つい思ってしまいました。

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  案内に従って北に折れたところ。

  工場の入り口とその向こうに城跡があります。

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  工場入り口前の駐車場の花壇にこの案内。

  黒野城跡を大切にしている地元の有志の努力がよく伝わってきます。

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  入り口の黒野城跡の標柱。

  昭友会は「黒野二番地昭友会」と言う名で地域、防犯ボランティアの取り組みがされているようです。

 

  これだけの史跡が残っているのに市は少し怠慢ですね。

  なんとなく感じているのですが、岐阜市って観光に力を注ぐと言いながら結構大事な部分を放ったらかしにしている印象があります。

  実を言うと岐阜市の観光は長い間「鵜飼いとおんぶに抱っこ」という側面があって、鵜飼い中心に観光が考えられていたために他の観光資源が放ったらかしにされてしまったのではないかと思われます。

  また、観光に関しては、何度もいいますが2005年の時点で路面電車を捨ててしまったというのは考えられない事です。

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  南面の土塁とお堀。南側は道路と工場。

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  同じく南面の土塁とお堀。

  お堀は現在は空堀となっていますが本来は水堀だったそうです。

  奥は平野病院の方に抜けられます。

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  こちらは南から東面のお堀と土塁。

  土塁の木々は桜ですね。桜の頃は多くの人が訪れるのでしょうね。

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  こちらは西面。

  南面と西面は道路に面していますが東面と北面は民家があります。

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  北面のお堀と土塁。

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  土塁は南西隅の門跡以外はぐるりとつながっており、歩いて一周出来ます。

  南東の隅から本丸内を。

  現在は全面がグランドになっています。

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  北西の隅から東にのびる北面の土塁。

  この北西と上の写真の南東の土塁上は広くなっており二つあったという櫓跡と思われます。

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  グランドに降りて北東方向。

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  同じくグランド南側から北方向西面土塁と北面土塁。

  この後、西に面する道路を北に行き突き当たりにある多賀神社に向かいます。

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  撮影 2011/03/23

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2011年3月21日 (月)

関西線非電化区間 を帰る - 積み残し写真

 

 

  去年(2010年)の暮れに京都西本願寺を訪れたときの帰りの写真が積み残しでありました。

すでに写真をリサイズして、あとはアップするだけの状態になっていたものをフォルダ内で発見。

新年になって、すぐに九州旅行に行ってその記事を上げている間に失念してしまったようです。

京都から奈良線で木津へ向かい、木津から加茂、加茂から関西線で亀山、名古屋を経て岐阜に帰ったときの写真。

ここの区間は何回も記事にしているので、残っていた写真はすでにアップ済みとずっと思っていました。

 

  加茂駅駅前。バス停をチェックしたかったので外に出てみました。

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  亀山方面から加茂駅に到着のキハ120。

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  折り返しで亀山行きになりました。

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  途中、木津川沿いを笠置に向けて東に。

  車両後ろから。

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  笠置駅にて。

  笠置は桜の名所で、以前に何回か訪れていますが、桜がまだ三分咲きの時期に訪れたことがあります。

  すぐそばに笠置城跡のある笠置山があります。

  1331年の元弘の変(乱)で倒幕計画が発覚して後醍醐天皇はこの城で挙兵するも、1ヵ月後に落城して後醍醐天皇は捕らえられて隠岐に流されました。

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  古い写真ですが笠置山。1999年4月27日撮影。

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  同じく笠置駅の跨線橋から。1999年4月27日撮影。

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  伊賀上野駅にて。

  上野市行きの伊賀鉄道の電車が待機していました。

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  柘植駅にて。

  草津方面からの電車の接続待ちで、この時は多少遅れてやってきました。

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  撮影 2010/12/28

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2011年3月20日 (日)

山陰線 特急「はしだて5号」と「まいづる5号」 切り離し(タンゴディスカバリー車両) - 京都府綾部駅

 

  京都発の特急「はしだて5号」と特急「まいづる5号」の切り離しをたまたま綾部駅で見かけました。

列車は北近畿タンゴ鉄道の気動車のタンゴディスカバリー車両KTR8000系で運用されていました。

綾部駅で切り離された列車はそれぞれ「まいづる5号」が東舞鶴行き、「はしだて5号」は福知山から北近畿タンゴ鉄道に入り宮津、天橋立を経て豊岡行きとなります。

 

  切り離しが終了して貫通扉も閉まったところ。

  左が京都方面でこちらの車両が「まいづる5号」。

  先に京都と同じ方向の東舞鶴方面に出発します。

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  東舞鶴行き「まいづる5号」の後部。

  いづれも北近畿タンゴ鉄道の車両KTR8000系。

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  福知山、宮津、天橋立経由豊岡行き 特急「はしだて5号」の後部。

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  綾部駅北口から「はしだて5号」の後部車両。

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  京都発城崎温泉行き 特急「きのさき5号」 新型車両の287系。

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  撮影 2011/03/15

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2011年3月17日 (木)

山陰線綾部駅 - 京都府綾部市

 

  巨大地震の報道が続いています。

TVはずっとつけっぱなしです。

愛知県以西や日本海側等は無傷ですから長期的に観れば大丈夫とは思うのですが、とにかく今が大事で今を何とか凌がなければ、と祈るような気持ちです。

 

  綾部駅。

  南側が表です。舞鶴線が分岐します。

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  綾部市は人口3万6千ぐらい。過疎化に悩む地方都市です。

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  綾部駅は2面3線。

  3番線の福知山行き223系2両編成。

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  1番線に到着の 城崎温泉発京都行き 特急「きのさき16号」 183系。

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  こちらの方面に投入された新型車両の287系は西舞鶴で特急「まいづる」を見かけましたが写真にはできませんでした。

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  特急「きのさき16号」の停車中に舞鶴線の223系が2番線に到着。

  折り返し東舞鶴行きに。

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  福知山行きが出発。

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  撮影 2011/03/15

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2011年3月16日 (水)

山陰線園部駅 - 丹波へ

 

  まず、今回の巨大地震で被災された方々にお見舞い申し上げます。

まだまだ原発、被災者の方々の救援等なんの解決もされていませんし、むしろ事態は悪化しており、いつまでも被災者の方々の「善意の我慢」に頼るのではなく、私たちも微力ながら何かできれば、と思います。

 

  京都府の地方都市へ友人を訪ねて行った15日の写真です。

 

  山陰線園部駅。

  2010年3月7日京都-園部間が複線化されています。

  福知山と綾部の間はすでに複線化されており、地元は園部-綾部間の複線化を次の要望としています。

  1番線の221系。

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  3番線にて。

  向こうのほうに福知山行きの223系2両編成が待機しています。

  福知山は向こうの方向です。

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  京都から乗ってきた前2両が223系、後ろ4両が221系の6両編成。

  4番線にて。

 

  京都-園部間はほぼ1時間に2本の運行で、この先福知山までは1時間に1本です。

  また、京都-亀岡間が30分に1本運行されているので園部行きと合わせて京都-亀岡間は1時間に4本となっています。

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  3番線(左)に福知山行き223系が入線。

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  福知山行き223系2両編成。

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  4番線の外側にある留置線。

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  撮影 2011/03/15

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2011年3月 8日 (火)

岐阜城 - 夕暮れ時の加納城跡横 新荒田川城南橋より

 

  ここからの写真は昨年の秋に加納城跡を訪れたときにも上げましたが、今回は先日の土曜日の夕方の岐阜城です。

左手すぐに加納城跡があります。

3月の夕方の4時半ごろの城南橋から。

かって荒田川は加納城の東の外堀として利用されていました。

加納城は岐阜城の替わりとして建設されたお城なので当然江戸時代には岐阜城は廃城となっていてありませんでした。

しかし、かっての岐阜城の城下町の岐阜町は江戸時代も尾張徳川藩領として繁栄し、加納藩領と共に現在の岐阜市の骨格を成しています。

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  撮影 2011/03/05

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2011年3月 4日 (金)

樽見鉄道 - 大垣駅から北方真桑駅(きたがたまくわえき 岐阜県本巣市)

 

  岐阜市の西隣にある北方町を大垣から樽見鉄道を利用して訪れた時の写真。

本巣市にある北方真桑駅から北方町へは歩いて行ける距離なので、岐阜市からのバスではなくて、敢えて大垣経由の樽見鉄道利用で北方町へ入りました。

 

  大垣駅6番線の樽見鉄道ホーム。

  5番線と7番線の岐阜寄りの切り欠きホームが6番線です。

  ホーム上に切符売り場もあります。

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  土曜日の10時台の列車で、土日祝日のみ運行される列車です。

  写真を撮っている内に満員となり席が無くなってしまいました。

  列車は中央に左右ボックス席、前後にロングシートとなっていました。

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  4番線に待機する豊橋行き新快速 313系。

  東大垣駅までの併行路線で一気に抜き去って行きました。

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  東大垣駅で列車交換。

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  東大垣駅を後から出発。すぐ南に東海道線。

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  東大垣駅を出てすぐに揖斐川の橋梁を渡ります。

  車両の後部から。

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  北方真桑駅に到着。大垣駅からは19分の所要でした。

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  列車がいなくなった駅はのんびりとしたローカル駅に。

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  北方真桑駅の駅舎。自動券売機が設置されています。

  券売機が設置されているのは大垣駅、本巣駅とこの北方真桑駅だけのようです。

  本社と車両基地は本巣駅にあります。

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  撮影 2011/02/26

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2011年3月 2日 (水)

樽見鉄道の旅 - 北方町(岐阜県本巣郡北方町 きたがたちょう)を散策(3)

 

  樽見鉄道で北方町を散策も今日で最後です。

本巣市に位置する樽見鉄道の駅、北方真桑(きたがたまくわ)駅から歩いて20分の大井神社から昔の北方城跡と旗本北方戸田氏陣屋跡のある神社南の道路の四辻を今度は逆に西に戻る形で円鏡寺へと向かいました。

円鏡寺は古く九世紀の空海の創建とされている古刹です。

重文の楼門は1296年の建立、 他に平安時代の木造聖観音立像、木造不動明王立像、鎌倉時代の木造金剛力士立像が重文に指定されています。

また他にも県指定重文、町指定重文を多数抱えるお寺で、代々の治世者からの保護を受け現在にいたっています。

 

  北の突き当たりが大井神社。

  道路の両側がかっての北方城跡、旗本北方戸田氏の陣屋跡です。

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  郡界石、旧方県郡(かたがたぐん 現在は全域岐阜市)と旧本巣郡(現在は北方町のみ)の郡界標だったもの。

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  先ほどの四辻を西に歩いて行くと円鏡寺の楼門が見えてきます。

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  円鏡寺の楼門。

  阿吽の両仁王さん共々重文です。

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  楼門の前から円鏡寺公園。

  北側に円鏡寺の本坊があります。

  桜の季節には賑わうのでしょうね。公園にある食堂で昼食をとりました。

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  公園の北にある円鏡寺本坊。

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  楼門を入って本堂(観音堂)と三重塔。

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  三重塔はまだ新しく1989年(平成初年)の建立。

  でもとても綺麗な三重塔で、けばけばしさも無く形もとても品があります。

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  さてここからは時間の許す限りで歩いてまわった文化財です。

  したがって北方町の全ての文化財をまわりきることはできていません。

 

  これは「時の太鼓」。

  「時の太鼓」は大名にしか許されなかった当時、馬術の御前披露で旗本初代戸田光賢が妙技を見せて許されたというもの。

  江戸時代はいろいろ格式にはうるさかったのですね。

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  五竹坊跡。

  美濃派俳諧 獅子門道統 第四世居宅跡。

  美濃派とは俳句(俳諧)の流派で松尾芭蕉の弟子の各務支考(かがみしこう 芭蕉の高弟で美濃の人(現在は岐阜市にあたる))が始め、美濃を拠点として全国に広めました。

  第四世の五竹坊は北方の人。

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  美濃派俳諧水上道場跡 西運寺。

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  西運寺境内に入って左手に道場跡、芭蕉を真ん中にして歴代道統の名を刻んだ連塔があります。

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  向こうが商店街の通りで右手(東)の方へ歩いて突き当りが大井神社。

  商店街の通りから円鏡寺へはこの道を来ます。

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  帰りは本巣消防署前バス停から岐阜バスで直接岐阜市に帰りました。

  一度は樽見鉄道の北方真桑駅に戻ろうと思いましたが、バス停の時刻表を確認すると10分足らずでJR岐阜行きがあったのでバスを利用することにしました。

  北方から岐阜駅(名鉄、JRとも)までは400円。

  北方バスターミナルからJR岐阜駅までの所要時間は35分。

  本数は1時間に各路線含めて何本もあります。

  樽見鉄道の大垣駅から北方真桑駅までは370円、所要時間は20分足らず。

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  撮影 2011/02/26

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