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2011年4月11日 (月)

松山市(愛媛県)へ桜を見に行く(4) - 松山城 大手門跡から天守

 

  今回は大手門跡から本丸広場、そして拝観領域の天守へと進みます。

桜については少し遅かったのでしょうか、見事に咲いているという訳にはいきませんでした。

それにしても、これだけの文化財が残っているというのは、とても羨ましいですね。

 

  伊予松山藩は関が原の戦いで東軍に味方した加藤嘉明が20万石で立藩、松山城の造営に着手、しかし嘉明は1627年に会津藩へ42万石で転封。

その後に出羽上山から蒲生忠知が24万石で入封するも1634年忠知は嗣子無く死去してここに蒲生家は断絶。

1635年伊勢桑名藩より松平定行が15万石で入封、以後松平家が明治まで松山を治めます。(Wiki参照)

松山城の創建は加藤嘉明ですが彼の治世の内には完成せず1627年に完成とあります。

 

  また、松山の松平家は久松松平家といい、家康とは異父兄弟となる3人の弟の内の末弟の次男が松平定行で、松山藩松平家の祖となりました。

もともと久松家は織田家の家臣であり、家康の母である伝通院が久松家に再婚先として入り、当主の俊勝との間に男子を3人儲けていて、桶狭間の戦いの後、自立した家康が俊勝らを引き受け異父弟に松平姓を与えて一門としたのが久松松平家の始まりです。

なお、久松家は庶子が継ぎ、引き続き織田家の家臣として残りました。

 

  一番最初に、いつもの「余湖くんのお城のページ」というサイトからの引用の松山城の図です。

Matuyamatyo

 

  左手が大手門跡で下に下りていくと二の丸御殿に至ります。

  右手へはロープウェイ、リフト乗り場。上に見えるのは太鼓櫓です。

Dsc01858

 

  太鼓櫓を背にして戸無門。

Dsc01863

 

  上から戸無門と奥に太鼓櫓。

Dsc01866

 

  戸無門から筒井門。

Dsc01867

 

  筒井門から中に入って太鼓櫓。

Dsc01868

 

  巽櫓。

  写ってはいませんが左手に太鼓門がありそれを抜けると本丸広場に出ます。

Dsc01870

 

  やっと本丸の広場にたどり着き天守が一番奥に見えます。

  巽櫓の広場側にお店とトイレのある休憩所、お店があります。

  広場にはたくさんのお客さんがいました。

Dsc01873

 

  順番は前後しますが天守からの本丸広場の眺め。

  残念ながら桜はイマイチでした。

Dsc01900

  撮影 2011/04/06

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