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2011年9月

2011年9月30日 (金)

神領(じんりょう)車両区(愛知県春日井市) - 中央西線、関西本線の車両が多数

 

  密蔵院の多宝塔を訪れてから、さらに県道213号線を北に1kmほど歩いていくと、神領車両基地に架かる陸橋があります。

車両基地の本体は右側なのですが、下の写真のように右側には見事に歩道がありません。

もう一つ東に陸橋がありますが、今度は左に歩道が無いという、なかなか撮影ポイントの無いガードの固い車両基地でした。

JRの方も事故を起こされては嫌でしょうからね。

 

  県道213号線の陸橋。

  左側(西側)にしか歩道が無く、車両基地を俯瞰(ふかん)できる場所は結局ありませんでした。

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  名古屋方面から神領、高蔵寺方面へ向かう313系。

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  こちらは西側の春日井駅(名古屋方面)方向。

  陸橋は春日井駅と神領駅との中間にあります。

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  陸橋の西側の歩道から手を上に伸ばしてやっと東側の車両基地を。

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  陸橋を北側に下りて、小さな川の堤防に上がってみました。

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  堤防からはこんなもの。

  車両基地そのものが高い位置にあるので、側道からも良くないです。

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  堤防から側道に下りてみました。

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  側道の駐車場からもこんなもの。

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  諦めて地下道を南側にくぐります。

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  県道213号線の陸橋から一つ東にある別の陸橋から神領駅。

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  撮影 2011/09/24

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2011年9月27日 (火)

春日井市(愛知県春日井市)の密蔵院(みつぞういん)を訪ねる(3) - 密蔵院の多宝塔

 

  JR中央線大曽根駅から名古屋ガイドウェイバスに乗り換え、小幡緑地駅で下車して龍泉寺に寄り道をして、再びバスに乗り、上島西バス停で降りてすぐの県道213号線を北に歩いて庄内川に架かる吉根橋(きっこはし)を渡り、春日井市に入りました。

橋を下りて少し行くと右手に家と家との間から密蔵院の多宝塔が見えます。

この日の目的の密蔵院(みつぞういん)多宝塔です。

 

  竜泉寺口バス停にて。

  大曽根から小幡緑地までは高架を走るガイドウェイバスは鉄道に分類されることもあります。

  その小幡緑地駅からは一般道を走り、その一つ目のバス停が竜泉寺口バス停です。

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  県道213号線の庄内川に架かる吉根橋(きっこはし)。

  手前が名古屋市守山区。向こう岸は春日井市です。

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  吉根橋(きっこはし)からの庄内川。

  先日の台風15号で名古屋市は洪水の恐れがあると数十万人に避難勧告を出しましたが、その危ないと言われた最大の川がこの庄内川でした。

  庄内川は名古屋市の北側から西側に流れ、名古屋市の西側で伊勢湾に注ぎます。

  川原が増水の影響で荒れていますね。

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  こちらが名古屋市守山区側の橋詰。

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  春日井市側。橋の向こうの木々の茂みがあるあたりが密蔵院。

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  吉根橋(きっこはし)を振り返ったところ。こちらはもう春日井市。

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  最初は行き過ぎてしまい、わずかに神社か寺院かという場所が右手に見えて、それで引き返してみると多宝塔が。

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  密蔵院多宝塔。国重文指定。

  ほかに木造薬師如来立像が重文に指定されていますが秘仏として一般公開はされていません。

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  境内の隅でひっそりと花を咲かせていた彼岸花。

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  南側にある正門。

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  一番北側に本堂があります。右は庫裏です。

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  密蔵院の本堂。

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  印象的であったのは、どのお堂にも(写真では割愛しましたがたくさんのお堂がありました)支柱が施してあり、境内がたいそう荒れている事でした。

  このお寺は「葉上流の灌室を有して僧侶に位を授けるお寺であるため檀家を持たなかった(Wiki引用)」そうで、このため明治以降は維持が困難になったとあります。

  この「僧侶に位を授ける」については「灌頂(かんじょう)」で検索してみてください。

  密教の儀式とでもいうものです。

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  再び県道213号に戻りさらに北に歩いて、JR東海の車両基地である神領(じんりょう)車両基地へ。

  ここからは1kmぐらいです。

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  撮影 2011/09/24

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2011年9月26日 (月)

春日井市(愛知県春日井市)の密蔵院(みつぞういん)を訪ねる(2) - 龍泉寺(りゅうせんじ)に寄り道

 

  名古屋ガイドウェイバス(ゆとりーとライン)で大曽根から高架部分の終点の小幡緑地駅で下車。

バスは高架を下りて、横の車輪を納めて普通のバスとして一般道をさらに北に向かいます。

大曽根から小幡緑地までの運賃は240円ですが、小幡緑地から一般道に入って最初のバス停の竜泉寺口バス停で下車すると一挙に運賃は300円となります。

 

  さて、龍泉寺ですが、ここは城跡でもあり、龍泉寺城が歴史の表舞台に出たのは小牧・長久手の戦いの時です。

岡崎への奇襲攻撃軍を長久手で敗ったあと家康は小幡城に在陣、秀吉は長久手の敗戦の報に接すると軍を犬山から楽田へ兵を進め、そして夜になりこの龍泉寺城に入りました。

このとき家康の小幡城と龍泉寺城は距離にして2km、家康は龍泉寺城に秀吉が軍を進めていることを知ると、夜の内に小牧城に帰還してしまいます。

秀吉軍も撤退して、その際に龍泉寺は火を放たれたといいいます。

龍泉寺についての過去記事。写真が殆んど被っていますが。

 

  小幡緑地駅にて。バスは高架から一般道に下ります。

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  小幡緑地(おばたりょくち)駅のプラットホームから龍泉寺城跡。

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  南側に下りました。

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  北に歩いて振り返ったところ。屋根があるのが小幡緑地駅。

  近くに大きな緑地公園があります。

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  バスはここから一般道に出入りします。

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  敷地内には運転指令所と本社のビルがあります。

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  龍泉寺への登り口。

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  すぐ下に竜泉寺口バス停。

  写真を撮っている間にもう次のバスが来ています。

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  龍泉寺は尾張四観音のひとつ。

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  本堂。

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  多宝塔。

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  この日は本堂裏にある宝物館と展望台を見に来たのですが、日祝のみで土曜日は入れず。

  また空振りでした。名古屋城を模したような宝物館が見えます。

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  門前からすぐに下りると駐車場があります。門前にも駐車場はあります。

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  駐車場の一角。

  この後竜泉寺口バス停に戻り、再び北に向かいました。

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  撮影 2011/09/24

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2011年9月25日 (日)

春日井市(愛知県春日井市)の密蔵院(みつぞういん)を訪ねる(1) - 大曽根から名古屋ガイドウェイバスで

 

  密蔵院(みつぞういん)は愛知県春日井市にある天台宗のお寺です。

密蔵院には重要文化財の多宝塔があり、その塔を見るためにわざわざ訪れました。

 

  車で行くには易いですが、徒歩旅行者には少し面倒ではないかと思っていました。

しかしそうでも無く、名古屋市の大曽根から出ている名古屋ガイドウェイバスを利用すると以外に判りやすい。

JR中央線の大曽根駅、または名鉄瀬戸線大曽根駅を降りると、東側に名古屋ガイドウェイバス(ゆとりーとライン)の大曽根駅があります。

それに乗って名古屋市守山区の上島西、もしくは上島東バス停で降り、東と西の間の北に伸びる県道213号線を歩いて庄内川に架かる吉根橋(きっこはし)を渡り、春日井市側の橋の階段(橋の東側の歩道)をおりて少し北に行くと右手に家と家の間に多宝塔が見えます。

橋を下りてすぐという感覚です。

以外にも近かったので、もう少しで行き過ぎてしまう所でした。

 

  JRの大曽根駅にて。

  有料快速「セントラルライナー」313系が駆け抜けて行きました。

  大曽根って「セントラルライナー」は停車しないのですね。なんか勘違いをしていました。

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  大曽根駅の東側に平行している「名古屋ガイドウェイバス(ゆとりーとライン)大曽根駅」。

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  乗り場への入り口。

  バスは後払いなので改札がありますが素通りして上に上がります。

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  最初のうちは東に向かう高架の専用軌道。

  一つ目の駅が「ナゴヤドーム前矢田」でナゴヤドームの前に駅があります。

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  プラットホームで待っているとバスがやって来ました。

  横に車輪が付いていて軌道内を走ります。一般道では普通のバスとして走行します。

  専用軌道なので渋滞は全く無いのですが、初期費用(専用軌道の工事)と維持が費用対効果に見合っているのでしょうか。

  乗客は座席に対して90パーセントぐらい、以前乗車したときは立ち客もいました。

  結構需要はあるみたいです。

  最も運行数の少ない昼間帯で10分毎。

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  すべての駅は統一されていてこの作りです。

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  ガイドウェイバスのプラットホームの端からJR中央線の211系名古屋方面行き。

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  同じく名鉄瀬戸線の瀬戸方面への電車、後ろから。

  名鉄の大曽根駅を出たばかり。

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  いよいよ出発。

  高架駅の最後の駅である小幡緑地(おばたりょくち)駅まで取り敢えず乗車。

  以前に訪れた事のある龍泉寺に寄ってみます。

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  撮影 2011/09/24

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2011年9月23日 (金)

名鉄広見線御嵩駅(みたけえき) 岐阜県御嵩町 - 終着駅は中山道の宿場町

 

  森氏(一般的に知られているのは織田信長の小姓であった森蘭丸がいる)の持ち城であった美濃金山城跡のある旧兼山町(現在は岐阜県可児市兼山)を訪れたあと、バスで最寄の駅である名鉄広見線明智駅に戻り、そこから広見線の終着駅である御嵩駅まで行ってきました。

2011年8月31日のことです。

名鉄広見線の新可児~御嵩間は愛知県の吉良吉田~蒲郡間の名鉄蒲郡線と共に長い間廃止の議論があります。

どちらの地元も「乗って残そう○○線」などの運動を繰り広げていますが、なかなか車には勝てず、観光客の誘致も何を観光の目玉にするかで決定的な提案もできず、どちらも苦しんでいます。

ただ、いろいろな観光資源を探すのも大事ですが、最大の資源は電車の路線それ自身であることを忘れないで欲しいと思います。

観光の目玉は広見線の電車路線がメインである、と位置づけて出発すると、いろいろ発想が涌いてくると思いますが。

是非とも岐阜市と同じ轍を踏まないようにして欲しいと思います。

岐阜市では市内電車は大きな観光資源という発想が薄く、短期的な財政の思案のみで(そうではないかと思っている、当然そこの所も議論はされていたとは思っていますが)廃止してしまって、大きな観光資源を失ってしまったのは実に残念です。

 

  御嵩駅にて。

  6000系2両編成のワンマン電車。

  昼間帯は一編成で新可児~御嵩間を往復しています。

  途中の明智駅のみが交換可能駅です。

  終着駅にはそこはかとなく情趣があります。特に夕時はその趣が強く感じられます。

  地方の鉄道が次々と廃止され、特に行き止まりの終着駅の数が少なくなっているのは寂しい限りです。

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  観光資源の枯渇も乗客数の減少の原因ですが、なんと言っても人口の減少は大きな要因です。

  また、御嵩の特殊要因としては亜炭の採掘が終り、核となる産業自体がなくなってしまったのは大きかったですね。

  車の使用に関してはどこでも同じです。

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  御嵩駅駅舎。駅舎内では観光案内所を設けています。

  少しの電車待ちの間に案内所の人と、何を観光の目玉にしたら良いかとか、お城跡は観光になるのかとか、いろいろお話をしてパンフレットも頂きましたが、残念ながらそのパンフレットには広見線の電車のアピールはなく、少し残念な思いでした。

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  駅前の角にある願興寺(がんこうじ)。

  本堂や数体の仏像が重要文化財に指定されています。

  御嶽宿は宿場町と同時に願興寺の門前町でもありました。

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  門前からの御嵩駅。前の道路が旧中山道。駅前で北(右)に方向を変えます。

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  願興寺前の中山道の東の方向。

  願興寺の東隣には中山道みたけ館があります。

  入り口を入ると左手の一階は図書館ですが、二階にあがると無料の資料館を見学できます。

  さらに東に御嶽宿本陣、さらに東に商家竹屋(竹屋資料館)。

  商家竹屋は明治初期の建築です。無料ですから入ってみましょう。

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  願興寺本堂。

  ちょっと寂しげな雰囲気です。

  寺務所が裏のほうなので人の気配が無く、それでそのように感じるのだと思います。

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  もう暗くなってきました。この電車で新可児方面に帰りました。

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  撮影 2011/08/31

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2011年9月22日 (木)

JR久留米駅(福岡県久留米市)にて - 2011年8月上旬の九州旅行

 

  今年(2011年)の8月上旬に九州の城下町秋月と久留米を訪れたときのJR久留米駅。

九州新幹線が全通して、久留米駅にも新幹線がやって来ました。

福岡県南部での大きな都市(人口30万人)の久留米市は摂津有馬氏の久留米藩21万石の城下町でした。

現在でも本丸部分の石垣が残る久留米城跡を訪れての帰りに、JR久留米駅を利用することになり、わずかの時間でしたが、その間に撮ったものです。

 

  JR久留米駅の正面。

  少し写真が曇っているのはレンズフィルターに汚れがあったらしくて、門司港駅まで全く気付きませんでした。

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  二階の自由通路の天井。

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  久留米市はブリヂストンの企業城下町としても有名。駅前に大きなタイヤが。

  私の小学生の頃には久留米はゴム工業が盛んと習ったのを覚えています。

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  新幹線の熊本、鹿児島方向。

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  右は鳥栖行き普通817系。これには乗らず隣の4番線の快速で二日市駅まで。

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  撮影 2011/08/03

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2011年9月20日 (火)

静岡市を観光(6) 岐阜から鈍行で日帰り - 駿府城跡の二ノ丸巽櫓と東御門

 

  日本平から久能山東照宮、久能山下(くのうやました)バス停からバスで新清水へ、新清水駅から静岡鉄道で新静岡駅へ、そしてこの日最後に訪れたのは駿府城跡の駿府公園でした。

 

  中堀を東に行くと二の丸巽櫓と東御門が復元されています。

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  巽櫓が見えてきました。

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  東御門高麗門。

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  中堀を北の方。

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  北から。右手の後ろにそびえるビルは静岡県庁舎。

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  高麗門を内から。

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  東御門櫓門。中が駿府公園です。

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  駿府公園内にある復元された内堀。正面のビルは先ほどの静岡県庁舎。

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  駿府公園内の中央部分の方向。かっての本丸。

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  公園内のベンチで暫らくぼんやりと休んだ後、同じ東御門から出て駅方向に帰りました。

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  城代橋の碑(こちらは外堀)。

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  駅前通りの御幸通り。突き当たりに静岡駅が見えます。

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  静岡駅にて。

  向こう側、静岡発17時40分の甲府行き特急「ワイドビューふじかわ11号」 373系。

  手前は313系の3両の普通、このあと前に211系3両が連結され浜松行き普通の6両編成となりました。

  静岡地区では313系もロングシート仕様です。

  この電車で浜松、豊橋乗換えで岐阜まで帰りました。

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  撮影 2011/09/10

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2011年9月19日 (月)

静岡市を観光(5) 岐阜から鈍行で日帰り - 新清水から静岡鉄道で駿府公園(駿府城跡)

 

  静岡駅からバスで日本平に向かい、日本平からはロープウェイでこの日の主たる目的地である久能山東照宮を訪れ、その後、九十九折の石段を海側の久能山下(くのうやました)バス停まで下り、1日に4本しかない清水方面のバスで新清水まで来ました。

ここで古典的な観光地である「三保の松原」に行くかを迷いましたが、北のほうの空模様と、日本平でのチョッと残念な富士山を見てしまったので、ここは駿府城跡の駿府公園に向かうべく、新清水駅から新静岡駅まで静岡鉄道に乗車することに。

 

  静岡鉄道新清水駅にて。

  静岡鉄道の新静岡~新清水間は11.0Kmで所要時間は20分、運賃290円。

  運転間隔は6分毎で両駅とも殆んどピストン運転で出入りします。

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  新静岡駅にて。

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  これは駅ビルを多分南に出てるんだと思いますが。

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  この日光は西からですから東を向いていますね。

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  城代橋という外堀に架かっている橋です。

  橋を渡って進めば中堀に面して隅に二の丸巽櫓と東御門などが復元されています。

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  駿府城は外堀、中堀、内堀と三重のお堀に囲まれていました。

  中堀はほぼ残っており、外堀は一部が埋め立てられていて、内堀はかってはすべて埋め立てられましたが、一部掘り返され見ることができます。

  現在の駿府公園はこのうち中堀の内側を公園化したものです。

  向こうの橋が城代橋です。

  渡らずに歩いていき、このあと思いがけないものを見ることができました。

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  坤櫓(ひつじさるやぐら)復元工事に伴なう石垣の補修工事が行われていました。

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  石垣の石の全体がよくわかります。

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  石垣の石って奥に長細いとは聞いていましたが、こんな風になっているのですね。

  ちょうど釘で言えば頭の部分が私たちが石垣で見ている部分です。

  石垣の角に積まれる石はまたちょっと異なっているそうです。

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  貴重なものを見ることができました。

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  駿府城の形がわかります。

  内堀は失われており、中堀に囲まれている旧二の丸と本丸が現駿府公園です。

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  撮影 2011/09/10

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2011年9月16日 (金)

静岡市を観光(4) 岐阜から鈍行で日帰り - 久能山下(くのうやました)からバスで新清水へ

 

  久能山から下りてくると、途中にはここから境内という門があり、内側に警備の役人の詰め所であった門衛所があります。

さらに、つづら折りになって階段が続き、これを下りてゆくと、やがて階段が石畳の坂になって、やっと下界に到達します。

もう、目の前は海で、土産物屋さんが何軒かあり、久能山下(くのうやました)バス停の所在を店の人に尋ね、そちらに向かいました。

久能山下(くのうやました)バス停から静岡駅南口方面には1時間に1本のバスがありますが、直通バスは平日で2本、土日祝日には朝の1本のみで、他の1時間に1本のバスはいずれも東大谷(ひがしおおや)バス停で乗り換えて静岡駅南口まで行くことになります。

逆の南口から久能山下までもまったく同じで、東大谷で乗換えとなります。

乗り換えは時刻的にちゃんと連絡しており、無駄なく乗換えができます。

 

  さて、問題は久能山下バス停から清水方面へのバスなんですが、これが平日で8本、土日祝日になると1日4本しかありません。

清水側に行きたいのは古典的な観光地として有名な「三保の松原」に効率よく行きたい、と云うのが理由です。

この日は土曜日であったので午後は15時10分のバスしかなくて、日本平からの行動はすべてこの時刻のバスに合わせて逆算して行いました。

その効果はあって、少し待ち時間が長かったことを除けば上手くいき、無事に新清水バス停に降り立つことができました。

 

  一の門。中に門衛所があります。

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  一の門を見上げて、階段をさらに下ります。

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  日差しがあって、まだまだ汗が。

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  眺望は抜群です。

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  まさに九十九折(つづらおり または つづらおれ)とはこのこと。

  それでも途中では小さな子供を含む家族連れが元気よく登ってくるのに出くわしました。

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  階段から石畳の坂になり、やっと下り切りました。下りでもきついものです。

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  鳥居が見えますが、その先にはお土産屋さんが道の両側に数軒あります。

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  登り口を振り返って。

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  タクシーが一台客待ちをしていました。

  お土産屋さんの人に久能山下(くのうやました)バス停の場所を聞くと左に200mということでした。

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  海岸道路では無く、山側の道路を東に歩いていくとバス停がありました。

  登り口の方を振り返ったところ。いちご狩りの看板があちこちにあります。

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  久能山下(くのうやました)バス停。

  門前ではなく200m離れているのはバスの駐車スペースの都合ですね。

  車も駐車できます。

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  バスがやって来ました。久能山下から新清水、JR清水駅方面への数少ないバスです。

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  新清水バス停で下車。久能山下(くのうやました)バス停から所要時間は18分。

  道路の反対側のバスに乗車すれば三保の松原の「羽衣の松入口」バス停まで21分です。

  本数も1時間あたり5本と多いです。

  しかし、北の方が雲に覆われたのと、日本平での富士山が残念な感じでしたので、バス停のすぐ北にある新清水駅から静岡電鉄の電車で新静岡駅に向かうことにしました。

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  新清水駅。

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  6分間隔で運行されている静岡鉄道。

  着いたと思うまもなくすぐに出発して行きます。

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  撮影 2011/09/10

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2011年9月15日 (木)

静岡市を観光(3) 岐阜から鈍行で日帰り - 久能山東照宮から徒歩での下り

 

  静岡駅からバスで日本平へ、そしてロープウェイで久能山に渡り、今日の旅行のハイライトである久能山東照宮と博物館の宝物を拝見して、いよいよ海側に階段を下ります。

登りのことを考えればと言いつつも、下りでもかなり膝に来るものです。

下から登ると久能山東照宮の最も高い位置にある家康公の神廟まで一千段以上の登りになるそうです。

 

  社殿の前の唐門から下を。

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  社殿の左側から家康公の神廟への最後の階段を登ります。

  そういえば帰ってから気が付いたのですが、社殿のまともな写真が一枚もありませんでした。

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  家康公の神廟(墓所)。

  三代将軍家光のときに現在の神廟を祀ったそうです。

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  こちらが登ってきた門。

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  もと来た道を逆に戻り、唐門の下の階段横にある五重塔の跡。

  五重塔が残っていればと思うと残念。

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  楼門に戻ります。

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  拝観受付を出てすぐ上にある博物館。

  博物館のみは400円。東照宮拝観のみは500円。共通は800円。

  いずれも大人の場合です。

  博物館では涼みながら充実した展示物をゆっくりと拝観しました。

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  博物館も拝観し終わって、下りにかかります。

  すぐに展望台があります。

  久能山は東照宮が築かれる前は久能山城という山城でした。

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  本格的に下りはじめます。景色は抜群です。

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  「石垣イチゴ」として有名なイチゴのビニールハウスが数多く並んでいます。

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  やがて門があり、警備の役人の詰め所であった門衛所が内側にあります。

  お城の時代にはここが大手門。

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  門の前から下を望みます。

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  撮影 2011/09/10

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2011年9月14日 (水)

静岡市を観光(2) 岐阜から鈍行で日帰り - 日本平から久能山東照宮へ

 

  日本平へは静岡駅前からバスで約35分で着きます。

この路線は土日、祝日には1時間に1本のバスが運行されていますが、平日には1日4本しか運行されておらず、平日は要注意で、平日にバスで行くには登山覚悟で久能山下(くのうやました)バス停から久能山を登ることになります。

後者の路線も、静岡駅南口から久能山下までの直通バスは1日に3本のみで、東大谷(ひがしおおや)バス停で乗換えが必要となります。

しかし、乗換えを厭わなければ1時間に1本のバスがあり、乗り換え連絡で行くことができます。

車の人は久能山下の方にも駐車場はあります。

しかし、山登りは結構きついです。

一番楽なのはとにかく日本平まで行くことかもしれません。

ただし、一望の下に見える久能山の石段からの太平洋は諦めることになりますが。

 

  日本平山頂からの富士山。

  富士山は存在感が抜群です。

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  駐車場に下り、ロープウェイ乗り場へ行きます。

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  ロープウェイ料金は片道550円、往復1000円(大人)。

  東照宮拝観(社殿)+博物館+ロープウェイ往復で1650円。

  東照宮拝観(社殿)+博物館は800円。

  社殿のみ500円。博物館のみ400円。いずれも大人料金です。

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  久能山へ。

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  山麓一帯に広がる「いちご」のビニールハウス。

  久能山山麓の「いちご」は昔から「石垣いちご」として有名です。

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  いよいよ東照宮を参拝します。

  いきなり楼門が迎えてくれます。楼門は重要文化財です。

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  楼門から拝観入り口を見下ろしたところ。

  右手がロープウェイ乗り場、左手上がったところに博物館、真っ直ぐ行くと下への道です。

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  楼門を入ると鳥居があります。

  上の方に社殿の前の唐門。

  婚礼が行われたらしくて着飾った人々がたくさん。

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  鳥居の右手に鼓楼。

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  階段の上が唐門、その奥に社殿がありますが、社殿には右手の神楽殿の前から迂回します。

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  神楽殿から上の日枝神社への階段から右に神庫。

  校倉造(あぜくらづくり)の建物。

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  日枝神社。

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  日枝神社前から社殿。

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  社殿の拝殿。

  このあと、もう少し登って家康公の神廟へ。

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  撮影 2011/09/10

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2011年9月13日 (火)

静岡市を観光(1) 岐阜から鈍行で日帰り - 静岡駅から日本平へ

 

  青春18切符の最後の1枚で静岡市まで足を伸ばして、主に久能山東照宮を観光してきました。

去年(2010年)の12月に久能山東照宮の社殿の本殿、石の間、拝殿が国宝に指定されましたが、そのことも念頭にあって、まず久能山東照宮を中心にして他は余裕があったら訪れる、そういう旅程を組み立て、岐阜駅を7時前に出発しました。

ちょうど9月10日の土曜日は、「つま恋」での「ポルノグラフィティ」の野外ライブと鉢合わせになり、電車は掛川駅まで大変な混雑となりました。

掛川駅からシャトルバスが出ていたようで、特に浜松~掛川間が「私にとって」大変でした。

 

  浜松で電車を1本やり過ごしたために、静岡には10時19分着。

  静岡駅1番線の熱海行き211系普通3両編成。

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  静岡駅2番線は富士駅経由で身延線の 373系甲府行き特急「ワイドビューふじかわ5号」。

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  静岡駅駅ビル。

  人が居ない様に見えますがそんなことはありません。

  路線バスが活発に人を運んでいます。

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  駅前。

  駅前道路を北に行くと県庁、市役所、静岡鉄道の新静岡駅、駿府城址の駿府公園があります。

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  静岡駅南口。

  登呂遺跡や東大谷(ひがしおおや)バス停乗換えで久能山下(くのうやました)へのバスはこちらから出ています。

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  駿府浪漫バスのうち「葵小町」。

  他に色違いで「家康公」、「竹千代くん」があります。

  一周40分の周回路線で一乗車100円。

  平日は20分間隔、土、日、祝日は15分間隔で運行。

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  日本平行きのバスは土日、祝日には1時間に1本出ています(平日は1日4本しか無いので要注意)。

  11番乗り場でバス待ち。

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  日本平バス停にて。

  静岡駅前から所要34分。

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  バス停は日本平山頂駐車場の一角、久能山へのロープウェイ乗り場前にあります。

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  少し上に上がり、山頂の展望台からの富士山。

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  夏の富士山はこんなものかなと。

  冬にもう一度来て見たいですね。

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  久能山へロープウェイに乗ります。

  片道550円、往復1000円。

  ロープウェイ往復+東照宮拝観+東照宮博物館の3点セットで1650円。(いずれも大人(高校生以上)料金)。

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  撮影 2011/09/10

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2011年9月11日 (日)

名鉄広見線明智駅 - かっての八百津線の分岐駅、昔の駅名は伏見口駅

 

  旧兼山町(現可児市兼山)を訪れたときの名鉄広見線明智駅。

名鉄広見線は犬山から新可児駅を経て御嵩町(みたけちょう)の御嵩駅までの総称ですが、犬山駅~新可児間と新可児~御嵩間では、現在では直通運行も無く、全く別路線の扱いです。

犬山~新可児間は複線、新可児~御嵩間は単線、しかも新可児~御嵩間は昼間帯ではワンマン運転で乗客も少なく、この間ずーっと廃止論議があって、地元の可児市や御嵩町は路線を存続させるべく様々な観光キャンペーンなどを張ったりして努力をしています。

明智駅は2001年に八百津線が廃止となり分岐駅としての役目を終え、その名残が現在の新可児~御嵩間で唯一列車交換ができる駅という形で見ることができます。

また、明智駅は1982年にそれまでの伏見口駅から現在の駅名に改称されています。

明智駅の北側あたりに江戸時代の中山道の宿場町の伏見宿があり、その地名が駅名の由来となっています。

ちなみに、明智という地名は現恵那市の旧明智町(明智鉄道の終点)にもあり、以前はどちらが明智光秀の地元かをめぐって論争がありましたが、現在Wikiでは恵那の明智で発祥、のちに宗家は明智庄(可児市)へ移転とあります。

うまく折り合いが付いていますね。

 

  余談ですが、恵那市の旧明智町は、江戸時代にはTVや映画で有名な「遠山の金さん」のモデルの旗本遠山家(モデルは遠山景元)の所領でした(もと明智城主の明智遠山家)。

 

  新可児駅から一駅目の明智駅、6000系2両編成のワンマン電車が去っていきます。

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  明智駅駅舎。もちろん無人駅。

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  新可児駅方面の踏切から御嵩(みたけ)方面。

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  御嵩方面から到着の6000系。昼間は一編成で往復しています。

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  改札のシャッターにかっての有人駅であった名残が。

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  駅前には駐車場と八百津線の代替バスのYAOバス(やおばす)と可児市のコミュニティバスのバス乗り場があります。

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  撮影 2011/08/31

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2011年9月10日 (土)

奈良を散歩(4) - 東大寺二月堂から転害門(てがいもん)、バスで奈良駅に

 

  二月堂、法華堂(三月堂)近辺の案内地図。

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  上の案内地図では、大仏殿と中門の前の池から二月堂の方への道が案内されていますが、その二月堂から地図の一番上に左右の道があります。

二月堂からこの道を辿って大仏殿の後ろに出て、正倉院から転害門(てがいもん)へと歩いて、転害門(てがいもん)の前にあるバス停から奈良駅に戻りました。

 

  二月堂を振り返って。

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  ちょっと街路灯の鉄柱が邪魔ですが電線はまったく見当たりません。

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  この辺りは住居地区になっています。

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  それでも、東大寺の敷地の中ですからお寺の関係者の住居なのでしょうね。

  こちらの方へは観光客は、多少とも知っている人以外は来ません。

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  正倉院への正門。

  宮内庁管轄なので、反対側(背中の方)に警察の詰め所がありました。

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  大仏殿が遠くになってしまいました。

  正倉院は諦めて、転害門(てがいもん)へ向かっている途中。

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  国宝転害門(てがいもん)。正面外から。

  転害門の内側には鹿の群れが一群れ、立派な角を持った大きな雄を中心にいます。

  二月堂からここまではまったく鹿は見かけなかったのですが、この辺りを縄張りにしているのでしょうね。

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  すぐ前は道路で、普通の奈良の町です。

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  手貝町というバス停が前にあります。

  ここから、近鉄奈良駅経由でJR奈良駅に戻りました。

  バスは奈良交通で前乗り先払いの200円でした。

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  JRの奈良駅に帰ってきました。

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  駅の北側(裏側)はどうなっているのかと覗いてみました。

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  どうって云うことは無かったですね。

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  「みやこ路快速」で京都に。時刻は時計が指し示しているように5時半過ぎ。

  この日、東海道線はトラブルで遅延があり、京都から新快速に乗りましたが

  乗客が多かったのと、運も悪かったのか、能登川駅(次はもう彦根、そして米原)まで座ることができず最悪でした。

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  撮影 2011/09/06

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2011年9月 9日 (金)

奈良を散歩(3) - 東大寺境内(大仏殿には入らず)、二月堂まで

 

  興福寺から春日大社へ向かうも、途中で心が折れて北に方向転換をして、奈良国立博物館から東大寺南大門の前の参道にやって来ました。

昨日は観光地で思いもかけず文化財が工事中でガッカリすることがよくあるということを書きましたが、今回も東大寺でやはりその場面を見ることになりました。

観光シーズンの前後にこういった修理の工事が行われることが多く、正月明けとか、年末とか、今回は夏休み明けということなのでしょうが、二月堂、三月堂が残念なことになっていました。

 

  南大門への参道。

  いかにも観光地らしくて、こういう所はある意味何度来てもワクワクしますね。

  まるで修学旅行生になった気分です。

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  有名な南大門。

  古色蒼然といった趣があり、色の具合が抜群です。

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  南大門から大仏殿へ。

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  今日は散歩なので大仏殿には入りませんでした。

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  中門と大仏殿。

  東大寺の国宝の建造物は大仏殿(金堂)、南大門、八角灯篭、鐘楼(大鐘)、法華堂(三月堂)、二月堂、開山堂、転害門(てがいもん)とあります。

  正倉院も国宝ですが(内部の宝物類は指定外)、もともと宮内庁の管轄下にあるので普通は国宝指定とはならないのですが、ユネスコの世界遺産指定にはその国の法律で保護対象となっていなければならない、という規定があるので国宝指定とした経緯があるそうです。

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  案内図の左下に私はいますが、右上にある法華堂(三月堂)、二月堂へと向かいました。

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  奥に法華堂(三月堂)。

  実はこの三月堂は拝観したことがなく、今回は唯一ここはと思っていたら、工事で8月1日から拝観停止になっていました。

  東大寺などではシーズンは、修学旅行の秋、春なのでしょうかね。

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  手前が法華堂(三月堂)、奥が二月堂。

  二月堂では旧暦2月にお水取りが行われます。

  二月堂の名前の由来です。

  東大寺の建造物で再建が多いのは、1180年の平重衡(たいら の しげひら)の南都焼き討ちの兵火での焼失、1567年の三好・松永の戦いの兵火での焼失によるもが大部分なのですが、

  東大寺のホームページによると、二月堂はこれら兵火には焼け残ったものの、江戸時代(1667年)のお水取りでの失火で焼けてしまったそうです。

  ちょっとトホホなエピソードですね。

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  坂を振り返ったところ。

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   二月堂への階段。

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  二月堂から大仏殿の方向。

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  二月堂横から。

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  帰りはここの階段から下りました。

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  階段を下りて、下り坂を下って行くと土塀の連なる道があり、大仏殿の裏に行けます。

  そこから正倉院、転害門(てがいもん)へ向かいます。

  こちらの方は人もまばら、というより殆んどいません。

  ところで、この道標の手の指で指し示しているのはイカンですよね。

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  撮影 2011/09/06

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2011年9月 8日 (木)

奈良を散歩(2) - 興福寺境内から東大寺の参道へ

 

  奈良駅前から三条通りを東に、猿沢の池に下りてぐるっと半周して、五重塔の真下の階段から興福寺の境内に入りました。

境内はまだまだ工事が続いていて、現在は中金堂の再建工事が行われています。

完成が平成30年とありますから、なんと息の長い工事で、まだ7年もあります。

 

  そう云えば薬師寺の東塔が修復のための工事が始まり、暫らくはその姿を見ることができないとニュースで見ました。

唐招提寺の金堂の修理はしばらく前に完了(2009年)という報道を見たのですが、これからは良く調べて行かないと現地でガッカリする事になりますね。

 

  大津の園城寺(おんじょうじ 三井寺)を訪れた時には肝心要の国宝の金堂が修理中だったり、紀州の粉河寺は山門が修理中とか、徳島板東(鳴門市)の四国八十八箇所一番札所の霊山寺(りょうぜんじ)などでは、それを目的として行った多宝塔が丸まる工事中で愕然としたこともありました。

今年の新年1月に九州大分の杵築の城下町や日出(ひじ)を訪れた際にも、杵築城が工事中で、それも現地の工事中の看板を見て初めて気づき、なぜちゃんと直前に調べられなかったのかと茫然としたものです。

 

  何はともあれ下調べはした方が良いですし、その下調べがまた楽しいのですから、事前のチェックはしましょう。

 

  猿沢の池から五重塔の真下の階段を上がり、三条通りからさらに階段で興福寺の境内に。

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  五重塔の隣にある国宝の東金堂。

  現在の建物は1415年の再建。

  拝観料は東金堂のみが300円、国宝館のみ600円、両方共通が800円です(一般、大学生)。学生(中、高生)、小人(小学生)料金あり。

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  東金堂と五重塔。

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  ここから南円堂の方に戻ります。振り返って五重塔。

  興福寺五重塔は1426年頃の再建で国宝。

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  猿沢の池から階段を上がってきて、その境内の土塀の日陰で涼んでいる鹿たち。

  しかし、この安寧も30分ぐらいで、この後に南円堂の方から戻ってきたら、掃除係りのおじさん達に追い払われていて、全頭がボンヤリと立ち尽くしていました。

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  五重塔と南円堂との間にある中金堂再建現場。

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  南円堂は4度目の再建の建物で江戸時代の1789年頃。

  重文。

  西国三十三所観音霊場九番札所です。

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  南円堂から下に階段を下りる途中、右手に中段の平地(ひらち)に国宝三重塔があります。

  創建は1143年と興福寺では比較的新しい創建ですが1180年に被災、すぐに再建されたそうです。

  この三重塔は、いつも書きますが、誰も見に来ないですね。

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  三重塔から南円堂の裏を上がっていくと北円堂があります。

  こちらは1210年頃の再建で国宝。

  何気に堂内に安置の何体かの仏様は国宝というのがまた凄いです。

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  再び三条通りに下りて、突き当りの交差点の春日大社の一の鳥居。

  春日大社の本殿はずーっと奥で、左手にある奈良国立博物館の方に方向転換。

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  奈良国立博物館本館。

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  博物館の敷地でこんな碑を見つけました。

  宮本武蔵との決闘での相手をしていましたね。

  この話は断片的には知っていますが、流れは全く知りません。

  先だって岐阜県の可児市に行ってきましたが、可児市出身の福島正則家臣の可児才蔵という勇猛な武将が初代にこの槍術を学んだとか。

  可児才蔵は名前だけ知っています。

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  こちらが博物館の入り口。

  別館(新館)へは地下通路で行きます。昔、正倉院展で訪れたときはそうでしたが。

  入り口は先ほどの博物館の写真のちょうど反対側にあります。

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  東大寺の参道、南大門への道の前の交差点。

  私の立っている方が南大門です。

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  南大門前への参道。

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  撮影 2011/09/06

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2011年9月 7日 (水)

奈良を散歩(1) - 奈良駅から三条通り

 

  急に奈良へ行ってみたくなり、残っていた青春18きっぷを利用して午前中に岐阜駅を出発。

京都にはお昼前後で、奈良着13時ちょっと過ぎの「みやこ路快速」で奈良駅に。

今回は観光というより、どちらかと言うと散歩に近い感覚でした。

奈良は、有名と云われる場所については過去の大阪在住時代にほぼ回りきっているので、とにかく思いつくままに歩いてみるという事にしました。

しかし、歩いてみると、結局、興福寺と東大寺の境内を歩くだけ、という結果になりました。

途中、ベンチで休憩中に、寄って来た鹿に危うくメモ帳を食べられそうになり、あわてて引っ張って取り返したりと、まあ、そんな事をしながら3時間ぐらい歩きました。

 

  奈良駅にて。

  京都からは221系の「みやこ路快速」で13時3分に到着。

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  1番線に105系電車がいたので移動して。

  桜井行き普通電車。

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  奈良駅の改札前のコンコース。左奥が改札です。

  チョッと独特の空間になっています。

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  駅前の様子。

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  旧奈良駅駅舎は観光案内所として保存されています。

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  駅前から三条通を東に歩いて、上三条町の交差点。

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  さらに歩いていくと左手に南都銀行の洋館。

  駅のほうを振り返っているので右手に見えますが、駅からは左手。

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  同じく左手に高札(江戸時代のもの?)が何枚も集めて架けてあります。

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  三条通のこれはどちらを向いているのか?忘れました。

  太陽が左からなので、駅の方を振り返っているのでしょうね。

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  猿沢の池から興福寺五重塔。

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  三条通の果て、興福寺への階段を登るところから春日大社の一の鳥居。

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  撮影 2011/09/06

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2011年9月 6日 (火)

名鉄広見線新可児駅とJR太多線(たいたせん)可児駅(岐阜県可児市) - 1982年までは新広見駅と広見駅

 

  昔はJRの可児駅は広見駅、名鉄の新可児駅は新広見駅と呼称されていましたが、1982年に市制が施行され可児市となるのに合わせて、それぞれ可児駅、新可児駅に駅名が改称されました。

名鉄広見線は犬山から御嵩までの呼称ですが、新可児~御嵩間は重度の赤字路線で、愛知県三河地方の蒲郡線とともに廃止論議があります。

一方、犬山~新可児間には、朝に上りが3本の有料特急「ミュースカイ」が犬山まで(名古屋方面の犬山発「ミュースカイ」に接続)、夕方下りは18時~22時に1時間に1本の中部国際空港発の有料特急「ミュースカイ」が直通運転されています。

これは、可児市が名古屋のベッドタウン化していることに対する対応と捉えられます。

また、新可児~御嵩間が単線で1時間に2本の運行であるのに比べ、犬山~新可児間は複線で、昼間帯も1時間4本の普通電車が確保されていて、両区間は非常に対照的な扱いとなっています。

 

  また、ここ可児市からはJRと名鉄はある意味での競合があり、名古屋方面へはJRは可児駅から太多線(たいたせん)で多治見に出て中央線で名古屋市内に入るというルートがあり、そして、もう一つは岐阜方面へも名鉄は犬山、新鵜沼経由、JRは美濃太田から高山線経由のルートがあります。

ただ、運賃、到達時間の優劣もありますが、なんと云っても1時間当たり何本運行されているかという利便性は重要で、その辺りで名鉄が若干有利なのかな、と思います。

一つ付け加えておきますと、多治見からの列車は美濃太田経由で岐阜まで直通の列車が多くて、このあたりの利便性をJRは意識しているのかも知れませんね。

もし、武豊線の電化によってキハ25系やキハ75形が余剰になったら、美濃太田発多治見経由名古屋行きなどの列車が運行できれば可児市の乗客を名鉄から多少は奪えるかも知れません。

現在、太多線から中央線に乗り入れができないのはキハ11の走行能力からだと思われますから。

 

  駅前広場を共有する手前JR可児駅と名鉄新可児駅の両駅舎。

  都市人口から比べると、少し駅前が寂しいです。

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  犬山から乗車してきた5000系4両編成普通。

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  しばらくして、犬山方面に出発して行きました。

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  向こうに跨線橋が見えるのがJRの可児駅。

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  JR可児駅駅舎内からホーム。

  太多線(たいたせん)は全線Toica対応です。

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  名鉄新可児駅の自動改札のなかに御嵩方面にはもう一つ自動改札。

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  御嵩からの電車と犬山からの電車がほぼ同時にやって来ました。

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  昼間は6000系のワンマン電車を1編成で往復しています。

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  右へ大きくカーブして御嵩方面、中央の複線が犬山方面、左端単線の太多線美濃太田方面。

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  撮影 2011/08/31

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2011年9月 5日 (月)

旧兼山町(きゅう かねやまちょう 岐阜県可児市兼山)を散策(3) - 常照寺から古城山登り口、兼山歴史民俗資料館

 

  織田信長の家臣の森可成(もりよしなり)の居城であった美濃金山城の城下町の「旧兼山町(現在は岐阜県可児市)を散策」の最後。

 

  信長家臣で森氏と言ってもすぐにはピンときませんが、信長の小姓の森蘭丸と言えば思い出す方もいるかもしれません。

森可成は初期の信長軍団の有力な武将でしたが、浅井、朝倉との戦いの内に討死をして、また殆んど同時に長男の可隆も討死、家督は二男の長可(ながよし)が継ぎ、そして三男が比較的に良く知られた森蘭丸ということです。

四男坊丸、五男力丸、いずれも蘭丸共々信長の小姓で、森氏は本能寺の変で一挙にこの三人を失います。

 

  当時、長可は信濃の海津城を本拠地として上杉攻めで南から越後を脅かしていましたが、本能寺の変で旧武田領に配置された武将はことごとく苦境に陥り、上野(現在の群馬県)まで進出していた滝川一益、甲斐を担当していた河尻秀隆、いずれも領国を撤退、森長可も人質をとったりしながら、木曽谷を抜けてなんとか美濃金山城に帰り着くという有様でした。

いかに苦境に立たされたのかは、川尻秀隆が諸般の事情で撤退が遅れ、その後一揆によって甲斐から撤退できずに討死していることからもよくわかります。

その後、森長可(ながよし)は美濃金山城を根拠地として、秀吉を後ろ盾にしながら、東美濃の覇権をめぐって家康を後ろ盾にした苗木(現中津川市)城主の遠山友忠と争い、長可は東美濃の諸武将をことごとく平らげ、最終的に苗木城も落として遠山氏は家康を頼って落ちていき、ここに東美濃における長可の勝利が決定します。

 

  苗木の城を落城させたのが1583年(本能寺の変は1582年)で、あくる1584年には秀吉と織田信雄の対立が決定的となり、ここに秀吉と信雄に組した徳川家康との間に先端が開かれ、当時大垣城主であった池田恒興の娘婿であった森長可(ながよし)は岳父と共に秀吉方につくことに。

これが小牧・長久手の戦いで、以前の「リニモで行く長久手古戦場」の記事のなかで述べたように、三河攻撃部隊の第2陣をつとめた森長可は、この奇襲を察知した家康軍と長久手で池田父子と共に戦い討死。

まだ27歳でした。

長可(ながよし)の死後、家督と美濃金山の所領は、ただ一人残った六男の仙千代(後の森忠政)が継ぐことになります。(以上Wikiなどを参照)

しかし、凄絶ですよね。

父、息子6人の合わせて7人の内6人までが討死。

 

  森可成(もり よしなり)の菩提寺の可成寺(かじょうじ)からさらに東に歩いて行くと旧名鉄八百津線廃止に伴う代替バスのYAOバス(やおばす)の城戸坂のバス停。

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  やはり山側に常照寺があります。

  常照寺は森可成の妻で長可や蘭丸の母である妙向尼とその父の林常照の廟所。

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  常照寺の本堂。

  境内に妙向尼とその父のお墓があるそうですが気が付きませんでした。

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  この常照寺の角の信号のある道を登っていくと古城山の大手道の登り口があります。

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  この上りが暑い中けっこうきつく、兼山小学校のある大手道登り口までは7分ぐらいかかりました。

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  下の交差点の方を見下ろしたところ。

  コンクリートの橋が架かっていますが、旧名鉄八百津線の廃線跡です。

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  やっと登山口。この頃から体が熱くなってきていました。

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  第一駐車場。向こうの高台が兼山小学校。

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  車だと上まで行けるみたいですね。第一駐車場の案内板。

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  大手道の登山口。

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  左に登ると出丸跡に行けるようです。

  この後、少し登りましたが、顔や体が火照るように熱くなってきて、これは熱中症の前兆と、すぐに歴史民俗資料館に飛び込もうと急いで下りにかかりました。

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  兼山歴史民俗資料館。

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  横の「生き生きプラザ」から入ります。

  取り敢えずロビーのソファーで休憩して、トイレの水で濡らしたハンカチで体や顔、頭を冷やし、自販機の冷たい水を飲み、30分以上グッタリ。

 

  資料館の拝観は200円。結構、見応えがありました。

  最後、資料館内の休憩所で80歳になる館長さん?とお話しすることができ、森家と金山城の様々な話を聞かせていただきました。

  ここでは逐一書けませんが、面白い興味のあるお話をたくさん聞けました。

  この場をお借りしてお礼申し上げます。

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  先ほどの常照寺の角の交差点から古城山。

  館長さんのお話だと比高100mぐらいとか。

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  下渡橋からの木曽川と東海環状自動車道。

  このあたりに唯一あった食堂兼喫茶店で遅い昼食をとりました。もう夕方なんですがね。

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  17時過ぎのバスで明智駅に帰りました。兼山~明智駅のバス運賃は200円。

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  明智駅前バス停。兼山までは10分。

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  名鉄広見線(新可児~御嵩間)。このあと、終点の御嵩まで行ってみました。

  電車は新可児行きの後ろ。

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  撮影 2011/08/31

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2011年9月 3日 (土)

旧兼山町(きゅう かねやまちょう 岐阜県可児市兼山)を散策(2) - 可成寺(かじょうじ) 織田信長の家臣 森可成(もりよしなり)の菩提寺

 

  現在は岐阜県の可児市に属する旧兼山町を訪ねました。

旧兼山町は戦国時代に織田信長の家臣であった森可成(もりよしなり)の居城であった美濃金山城の城下の町。

美濃金山城は北に木曽川、南に中山道を見下ろし、江戸時代を含め、それ以前には美濃から信濃への交通の要衝となる位置にありました。

ここから木曽川や中山道を遡って行くと現在の恵那市や中津川市の岩村城、苗木城等の戦国時代には織田、武田の最前線の城があり、そこから奥は木曽谷の信濃に入って行きます。

  森可成の子供には小牧・長久手の戦いで家康軍と戦い討死した森長可(ながよし)、本能寺の変で討死した蘭丸、坊丸、力丸の兄弟、後に家康にも仕えて津山城(岡山県津山市)を居城として美作(みまさか)一国18万6千5百石を治めた可成の末子(六男)の森忠政などがいます。

現在に森氏がほどほどに知られているのは、織田信長の小姓として仕え、本能寺の変で信長と共に運命を共にした森蘭丸の存在があります。

しかし、武将としては、父の可成(よしなり)、二男の長可(ながよし)、六男(末子)の忠政(ただまさ)の活躍ぶりは結構大そうなものなのですが、余り一般的には知られていないのが実状ですね。

それでも、岡山県の津山市は、森忠政の治世によって作られた町なので、津山城のこれから登るぞ、という入り口には大きな森忠政の像が置いてあったりします。

 

  名鉄広見線の明智駅からバスで10分、下渡橋バス停で下車。

  少し木曽川の下流に戻って「兼山湊跡(かねやまみなとあと)」を見学し、再びバス停を通り過ぎ下渡橋に向かいます。

  奥に見えるのが美濃金山城跡の古城山。

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  木曽川に架かる下渡橋。

  バスはこちらに上がってきて上の道の街なかを東に行きます。

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  下渡橋から下流(西側)の東海環状自動車道を。

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  上流を望んだところ。古城山が見えます。

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  上の道路を東に歩いていくと山側に森可成(もりよしなり)の菩提寺の可成寺(かじょうじ)があります。

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  本堂の右手から森家墓所へ。

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  上に登ると旧名鉄八百津線の廃線跡が東西に伸びています。

  墓所はさらに上にあります。

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  蘭丸、坊丸、力丸の墓石は以前はここからは東にあたる八百津町にあったそうです。

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  本堂。

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  再び東に向かいます。

  西を振り返って、見える石垣が可成寺(かじょうじ)です。

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  撮影 2011/08/31

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2011年9月 1日 (木)

旧兼山町(きゅう かねやまちょう 岐阜県可児市兼山)を散策(1) - 美濃金山城と森氏三代

 

  岐阜県可児市の旧兼山町(かねやまちょう)を訪ねました。

兼山には美濃金山城跡があり、織田信長の美濃侵攻の過程において美濃出身(現在の笠松町の出と言われる)の武将の森可成(もりよしなり)の居城となり、可成討死のあと子の長可(ながよし)、長可討死のあとは六男(末子)の忠政(ただまさ)が後を継ぎました。

長可(ながよし)は可成(よしなり)の二男、忠政は六男で、そのうち可成、長男可隆、二男長可、三男蘭丸、四男坊丸、五男力丸いづれも討死しています。

忠政は後に徳川政権下で美作(みまさか)一国津山藩18万6千5百石を立藩しています。

森家はその後一度は改易となりますが、再興が叶い、播磨三日月藩(1万5千石)、備中西江原(にしえばら)藩(後に赤穂藩浅野氏が「松の廊下の吉良上野介に対する刃傷沙汰(いわゆる忠臣蔵、赤穂浪士の話)」で改易になり、赤穂に移封となる)(2万石)、備中新見藩(関氏として)(1万8千石)で立藩して、それぞれの大名として明治に至ります。

 

  さて、兼山の位置ですが、JR高山線の美濃太田駅のすぐ南の木曽川をさかのぼっていくと北から飛騨川が合流してきて、JR高山線はこの北からの飛騨川沿いに北に向かい、木曽川からは離れていきますが、木曽川はさらに北東方向にさかのぼっていきます。

そしてJRの美濃太田駅からは木曽川を渡って多治見方向の南に太多線(たいたせん)が伸びて、可児駅に至ります。

ここには名鉄の犬山駅から伸びてきている広見線が新可児駅で合流していて、さらに新可児駅から広見線(新可児~御嵩間)が東に伸び、その一つ目の明智駅から北にバスで10分乗車すると木曽川沿いに出ます。

ここが木曽川沿いにある旧兼山町で、山を南に越すと中山道、名鉄広見線(新可児~御嵩間)が東西に伸びています。

今でこそ、かなりの片田舎という趣きですが、昔は木曽川と中山道という交通の大動脈をにらむ絶好の位置にあり、現代の感覚から推し量ると美濃金山城の立地は理解できないかも知れません。

 

  名鉄岐阜駅から各務原(かかみがはら)線で犬山、犬山から広見線で新可児駅に着いたところ。

  右手の線路はJR太多(たいた)線で電車の向こう側にJR可児駅があります。

  犬山から乗ってきた5000系電車。余り時を置かず折りかえして犬山へ。

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  新可児駅と御嵩駅とを往復する6000系2両編成のワンマン電車。

  ずーっとこの間、広見線(新可児~御嵩間)は廃止論議が盛んです。

  2001年10月1日には途中の明智駅から分岐して兼山から八百津にいたる八百津線が廃止されています。

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  明智駅。新可児駅からは一つ目。

  かってはここから八百津線が分かれていました。

  私にとっては個人的にとても思い出のある路線でした。

  また、今ではもう俄かには信じ難いことですが、かっては御嵩駅までパノラマカーの特急が運行されていました。

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  明智駅駅舎。

  改札、切符売り場窓口、それから売店があったのしょうか、三箇所の降ろされたシャッターが現状を物語っています。

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  八百津線の代替バスのYAOバス(やおばす)と可児市のコミュニティバスの駅前バス停。

  代替バスは最低1時間に1本あり、朝夕には2本の30分間隔の時間帯もあります。

  明智駅の北側は御嵩町でこの辺りには中山道の伏見宿がありました。

  したがって、旧兼山町、現在の可児市兼山は飛び地となっています。

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  代替バスを運行している東濃鉄道のバスが来ました。

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  町の中心部ではなく、少し手前の下渡橋バス停で降車しました。

  奥の向こう側の山が美濃金山城跡の古城山です。

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  バス停から少し戻って木曽川の方に下ります。

  兼山湊跡(かねやまみなとあと)があります。

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  木曽川に架かる東海環状自動車道。

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  上の道路を東に歩いて行きます。

  森可成(もりよしなり)の菩提寺の可成寺(かじょうじ)へ向かいます。

  可成寺には可成、可成の父の可行、可成の長男の可隆、二男の長可、三男の蘭丸、四男の坊丸、五男の力丸が祀られた森家墓所があります。

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  撮影 2011/08/31

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