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2011年9月 3日 (土)

旧兼山町(きゅう かねやまちょう 岐阜県可児市兼山)を散策(2) - 可成寺(かじょうじ) 織田信長の家臣 森可成(もりよしなり)の菩提寺

 

  現在は岐阜県の可児市に属する旧兼山町を訪ねました。

旧兼山町は戦国時代に織田信長の家臣であった森可成(もりよしなり)の居城であった美濃金山城の城下の町。

美濃金山城は北に木曽川、南に中山道を見下ろし、江戸時代を含め、それ以前には美濃から信濃への交通の要衝となる位置にありました。

ここから木曽川や中山道を遡って行くと現在の恵那市や中津川市の岩村城、苗木城等の戦国時代には織田、武田の最前線の城があり、そこから奥は木曽谷の信濃に入って行きます。

  森可成の子供には小牧・長久手の戦いで家康軍と戦い討死した森長可(ながよし)、本能寺の変で討死した蘭丸、坊丸、力丸の兄弟、後に家康にも仕えて津山城(岡山県津山市)を居城として美作(みまさか)一国18万6千5百石を治めた可成の末子(六男)の森忠政などがいます。

現在に森氏がほどほどに知られているのは、織田信長の小姓として仕え、本能寺の変で信長と共に運命を共にした森蘭丸の存在があります。

しかし、武将としては、父の可成(よしなり)、二男の長可(ながよし)、六男(末子)の忠政(ただまさ)の活躍ぶりは結構大そうなものなのですが、余り一般的には知られていないのが実状ですね。

それでも、岡山県の津山市は、森忠政の治世によって作られた町なので、津山城のこれから登るぞ、という入り口には大きな森忠政の像が置いてあったりします。

 

  名鉄広見線の明智駅からバスで10分、下渡橋バス停で下車。

  少し木曽川の下流に戻って「兼山湊跡(かねやまみなとあと)」を見学し、再びバス停を通り過ぎ下渡橋に向かいます。

  奥に見えるのが美濃金山城跡の古城山。

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  木曽川に架かる下渡橋。

  バスはこちらに上がってきて上の道の街なかを東に行きます。

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  下渡橋から下流(西側)の東海環状自動車道を。

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  上流を望んだところ。古城山が見えます。

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  上の道路を東に歩いていくと山側に森可成(もりよしなり)の菩提寺の可成寺(かじょうじ)があります。

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  本堂の右手から森家墓所へ。

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  上に登ると旧名鉄八百津線の廃線跡が東西に伸びています。

  墓所はさらに上にあります。

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  蘭丸、坊丸、力丸の墓石は以前はここからは東にあたる八百津町にあったそうです。

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  本堂。

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  再び東に向かいます。

  西を振り返って、見える石垣が可成寺(かじょうじ)です。

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  撮影 2011/08/31

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コメント

森氏については、森蘭丸が有名すぎて他の人は全く知りません。美濃金山が交通の要衝であったことも初めて知りました^^
う~ん、なんでやろうね、森氏に関する小説がもっとあってもいいように思うなあ。
話は違うけど、テレビで戦国鍋という番組があり、面白いです^^

投稿: tera | 2011年9月 4日 (日) 06時28分

森氏については余り知られていませんね。ですから、地元でも森蘭丸を出さざるを得ない、という感じです。
文庫本で森長可の本は出てました(作者は忘れた)。
それから、交通の要衝というのは美濃金山城の南を中山道が通っているんですね。私もどうしてこんな所にお城がと思ったのですが、現在の木曽への大動脈のJRの中央線はずっと南を通っているので、現代の地理に関する感覚が昔とは全く異なるということでしょうね。
また、戦後、盛んに作られた高速道路は鉄道の時代とも全く違う物資の流れを作り出していますから、車を運転しない私には全く地理的感覚がわからなくなっています。
戦国鍋<調べてみます。

投稿: mino | 2011年9月 4日 (日) 07時30分

なるほどなあ。信州へは旅行とかスキーとかで40回くらいは行ってるんや。昔は、中央線か国道19を使ってたので(今は中央高速で伊奈、高遠経由)、中山道は知ってるつもりでした。中津川から塩尻までは、いろいろと立ち寄ったことがあるのでこのルートが昔の中山道なんやと思ってたんや(馬篭とかは少しずれるけどね)。その感覚で、中山道は多治見から名古屋方面にいくんやと思っておりました。でも、恵那あたりから、木曽川に沿って西進し、岐阜加茂、各務原、大垣を抜けて関ヶ原なんやね。金山は、木曽から美濃に抜ける要衝の地やなあ

投稿: tera | 2011年9月 5日 (月) 04時57分

そう云う中山道の信濃あたりの経路って、西の我々にとっては余り良く分からないですよね。軽井沢あたりと塩尻の間が全くイメージが涌かないです。

投稿: mino | 2011年9月 5日 (月) 13時52分

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