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2011年9月 8日 (木)

奈良を散歩(2) - 興福寺境内から東大寺の参道へ

 

  奈良駅前から三条通りを東に、猿沢の池に下りてぐるっと半周して、五重塔の真下の階段から興福寺の境内に入りました。

境内はまだまだ工事が続いていて、現在は中金堂の再建工事が行われています。

完成が平成30年とありますから、なんと息の長い工事で、まだ7年もあります。

 

  そう云えば薬師寺の東塔が修復のための工事が始まり、暫らくはその姿を見ることができないとニュースで見ました。

唐招提寺の金堂の修理はしばらく前に完了(2009年)という報道を見たのですが、これからは良く調べて行かないと現地でガッカリする事になりますね。

 

  大津の園城寺(おんじょうじ 三井寺)を訪れた時には肝心要の国宝の金堂が修理中だったり、紀州の粉河寺は山門が修理中とか、徳島板東(鳴門市)の四国八十八箇所一番札所の霊山寺(りょうぜんじ)などでは、それを目的として行った多宝塔が丸まる工事中で愕然としたこともありました。

今年の新年1月に九州大分の杵築の城下町や日出(ひじ)を訪れた際にも、杵築城が工事中で、それも現地の工事中の看板を見て初めて気づき、なぜちゃんと直前に調べられなかったのかと茫然としたものです。

 

  何はともあれ下調べはした方が良いですし、その下調べがまた楽しいのですから、事前のチェックはしましょう。

 

  猿沢の池から五重塔の真下の階段を上がり、三条通りからさらに階段で興福寺の境内に。

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  五重塔の隣にある国宝の東金堂。

  現在の建物は1415年の再建。

  拝観料は東金堂のみが300円、国宝館のみ600円、両方共通が800円です(一般、大学生)。学生(中、高生)、小人(小学生)料金あり。

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  東金堂と五重塔。

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  ここから南円堂の方に戻ります。振り返って五重塔。

  興福寺五重塔は1426年頃の再建で国宝。

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  猿沢の池から階段を上がってきて、その境内の土塀の日陰で涼んでいる鹿たち。

  しかし、この安寧も30分ぐらいで、この後に南円堂の方から戻ってきたら、掃除係りのおじさん達に追い払われていて、全頭がボンヤリと立ち尽くしていました。

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  五重塔と南円堂との間にある中金堂再建現場。

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  南円堂は4度目の再建の建物で江戸時代の1789年頃。

  重文。

  西国三十三所観音霊場九番札所です。

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  南円堂から下に階段を下りる途中、右手に中段の平地(ひらち)に国宝三重塔があります。

  創建は1143年と興福寺では比較的新しい創建ですが1180年に被災、すぐに再建されたそうです。

  この三重塔は、いつも書きますが、誰も見に来ないですね。

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  三重塔から南円堂の裏を上がっていくと北円堂があります。

  こちらは1210年頃の再建で国宝。

  何気に堂内に安置の何体かの仏様は国宝というのがまた凄いです。

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  再び三条通りに下りて、突き当りの交差点の春日大社の一の鳥居。

  春日大社の本殿はずーっと奥で、左手にある奈良国立博物館の方に方向転換。

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  奈良国立博物館本館。

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  博物館の敷地でこんな碑を見つけました。

  宮本武蔵との決闘での相手をしていましたね。

  この話は断片的には知っていますが、流れは全く知りません。

  先だって岐阜県の可児市に行ってきましたが、可児市出身の福島正則家臣の可児才蔵という勇猛な武将が初代にこの槍術を学んだとか。

  可児才蔵は名前だけ知っています。

Dsc00209

 

  こちらが博物館の入り口。

  別館(新館)へは地下通路で行きます。昔、正倉院展で訪れたときはそうでしたが。

  入り口は先ほどの博物館の写真のちょうど反対側にあります。

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  東大寺の参道、南大門への道の前の交差点。

  私の立っている方が南大門です。

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  南大門前への参道。

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  撮影 2011/09/06

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コメント

近鉄奈良駅を出て、東向商店街(アーケードのある商店街)を少し進み、興福寺方面に上がっていくと、奈良基督教会があります。この教会は、明治の廃仏毀釈の時に、興福寺が売りに出した土地を購入し、建てた教会なんですよ、と神父さんがおっしゃてました。礼拝堂は重要文化財で、古都の異空間という趣のある建物です。興福寺から買い戻したいとのリクエストがたえない、らしいです^^
教育大がある高畑から新薬師寺に向かう途中にある志賀直哉邸もおすすめです

投稿: tera | 2011年9月 9日 (金) 05時58分

奈良基督教会については全く知りませんでした。
面白い由来の教会ですね。良い情報を有り難う、今度、時間があれば行って見ます。
志賀直哉邸は知っていましたが入ったことはありません。
新薬師寺へは結構何回も行っているのですが。
志賀直哉の短編は、昔大好きだったので、文庫で殆んど読みました。それでも、中に入らなかったのは、もう其の時には志賀直哉には興味が無かったのかも知れませんね。

投稿: mino | 2011年9月 9日 (金) 17時54分

お久しぶりです。
地元奈良なので一言。
奈良教育大学から浮御堂に行く途中に「ピラミッド」あるのをご存じですか?
通りからは一瞬しか見えない隠れたところにあるので、「え?何?今の?」となります。
奈良に古代エジプトの遺跡が時空間を超えて来た?
んなわけないですが。
見つけると嬉しくなります。

投稿: T2 | 2011年9月13日 (火) 22時44分

T2氏。久し振りです。
ピラミッド>全く知りませんでした。もう、そういうの大好きです。
お城なんかも「ナンチャッテお城」を見つけると喜んでしまう方ですからね。
教育大から浮御堂というとどの道ですかね?
tera氏からも有力な情報を得たばかりで、今度奈良へ行くときは、観光コース外れまくりに成りますね。
有力情報有り難う^^

投稿: mino | 2011年9月13日 (火) 23時11分

奈良教育大正門前の道を北へ、東大寺の方に歩くと左にすぐにあります。
バス停だと1つ次あたりです。
仏塔なんですが、作りはもうピラミッドです。
段々に積み上げるていうのは人類の普遍的な行為なんでしょうかね。
ちらっとしか見えないので、見落とさないでください。

投稿: T2 | 2011年9月14日 (水) 12時25分

仏塔なのですね。なるほど。
今度、奈良に行ったら行って見ます。
ついでに久し振りに新薬師寺にも行って見ます。

投稿: mino | 2011年9月14日 (水) 17時29分

T2さんか、ひさしぶりやなあ。
奈良とは全然関係ないけど、東北にキリストの墓があるとその地方の人々は信じていること、十字架の周りを盆踊りする祭りが今も行われていること、これらはイスラエルと関係あるのかなあ?

投稿: tera | 2011年9月16日 (金) 06時23分

正直そんな伝説知りませんでした。東北にイエスが来る理由が分かりませんけどね。
イエスはナザレで生まれ(たとされている)、ガリラヤ湖周辺で布教し、タボル山で豹変し、そしてエルサレムへと、ちょっと変わった過激なユダヤ教徒として父祖伝来の地イスラエルに執着してます。日本には関心ないかと。
そもそも存在したのかという考えもありますしね。
ユダヤ教分派が作り上げた架空の人物ではないかと。
最近、ある研究者に話聞いたことがあるのですが、彼は実在していたと言ってました。
実在したとする説が最近強いのかもしれません。
ユダヤ人と日本人と関連させたりするのもよくありますね。
シュメール人が日本に来たという話もありますし。

投稿: T2 | 2011年9月16日 (金) 21時46分

そう云えばイスラエルの失われた10支族という話もありましたね。
それからT2氏、仏塔のピラミッドですが、画像検索で確かめました。
あれを以前TVでやってたのを思いだしました。すっかり忘れていましたが、面白いものが在りますね。

投稿: mino | 2011年9月16日 (金) 22時25分

主さんの奈良散歩から逸脱して申し訳ないんやけど、東北のキリスト関係で一番有名なのは、青森の新郷村戸来(へらい)地区。とりあえず、リンクはWikiでね^^
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E9%83%B7%E6%9D%91

十字架の周りを盆踊りするというのは、先週だったかNHKの爆笑問題がやってる番組(日本の奇祭特集)で見てな。イスラエルの大使もからんどるらしいんや。そういえば東北にはそんな話があったなあと思い出したんや。
http://www.yamato-style.com/yamato8/kisai02.html

宗教は、わけわからんなあ^^

投稿: tera | 2011年9月17日 (土) 06時24分

リンク先を両方とも読みましたが、結構、深みのある興味尽きない話ですね。
古代(唐の時代)にはキリスト教でも中国を経てネストリウス派(中国では景教)が伝わっていたのではないかと言う話は昔から良く聞きましたが、現在残っているキリスト伝説は戦国時代の宣教師による布教が由来なんだと思うのですが。
これを見ても日本人の宗教観は独特のものがありますね。
面白いですね。

投稿: mino | 2011年9月17日 (土) 14時10分

またまた奈良とは関係ないんやけど、主さんのコメントにあった「ナンチャッテお城」の話しです^^;
一昨年、徳島の南の方を旅行した時のことなんやけど、当時NHKの連ドラでやってた「ウエルかめ」のロケ地、美波町を車で走ってると、天守閣のある城を発見!! 日和佐城というのお城なんやけど、意外なところに天守閣のある城があるんやと、びっくりでした^^
ナンチャッテお城の特集、ぜひやってくださいね^^

日和佐城については、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%92%8C%E4%BD%90%E5%9F%8E

投稿: tera | 2011年9月19日 (月) 05時31分

日和佐城は知ってますよ^^。
でも、私の中では日和佐城は「ナンチャッテお城」に入れるのはチョッと可哀想な気がしています。
お城の分類としては(天守について)現存、復元、復興、模擬と言われるように、模擬天守には一応市民権がある、と言う風に一般には考えられていて、私もその立場を取っています。
それが、たとえ観光城でもです。
ただし、人によっては模擬天守でも「ナンチャッテお城」と言っているのを見かけます。
この徳島県には模擬の、人によっては「ナンチャッテお城」に分類されるお城が日和佐城以外にも阿波川島城、鳴門市の岡崎城などがあります。
しかし、このお城たちの在る場所は、以前には実際にお城のあった土地で、必ずしも観光用お城だから駄目とは、私は思っていないのです。
ただ、どこで線引きするか微妙であることは確かで、例えば和歌山県の湯浅には「国民宿舎 湯浅城」なるものがあります。
私の中ではこれは「ナンチャッテお城」に分類したいのですが、湯浅城は過去に存在していて、何を根拠に「ナンチャッテお城」と認定するかは曖昧で、けっきょくのところ個人個人でこれは「チョッと」思うのが「ナンチャッテお城」になるのかなあ、と思っています。
あっ、そうそう、日本にある西洋式お城は須らく「ナンチャッテお城」だと思います。

投稿: mino | 2011年9月19日 (月) 07時18分

なるほどなあ。日和佐城は「ナンチャッテお城」じゃないんやなあ。徳島は、細川・三好氏くらいしか知らなかったので、こんなところに天守の城があるんかと思ってね。ただただ、びっくりしました^^
和歌山の湯浅党は大族のイメージがあるんやけど、山城の遺構(土塁とか)は残ってないのかなあ。まあ、国民宿舎となるとナンチャッテ、という感じやね^^
山城の研究は、郷土史家がいっぱいやってて面白いね。最近でも、NHKが山城を歩くという番組をしてて、へえ~と思うことが多々ありました。
山城も見に行くの?

投稿: tera | 2011年9月21日 (水) 06時18分

山城も行ってます。
ただ、有力なお城の中では山城が最後に残ってしまった、と言う感じです。
瑣末と言っては申し訳ないですけど、そんな山城まで含めれば日本にはお城は夥しくありますから、もうお城の中でもジャンル別に趣味(得意分野)が別れるという域にあるのではないのでしょうか。
現在、候補として調べているのは岩村城(岐阜県恵那市)、苗木城(岐阜県中津川市)、竹田城(兵庫県朝来市和田山町)、高取城(奈良県高取町)など、いずれも有名どころのお城ばかりです。
今まで行ったことのある山城(有名どころ)は備中高梁城(備中松山城 岡山県高梁市)、久留里城(千葉県君津市久留里)、岡城(大分県竹田市)、それから岐阜城など。
なかなか山城はしんどいです。今では車でかなり上まで登れるようになっているお城も多いのですが、下の一から登るのはなかなか苦しいですね。
それから、湯浅城は土塁や空堀などが残っているそうです。
日和佐城も本来は天守などは無かった訳ですが、やはり「ナンチャッテお城」かどうかは微妙かな。
「ナンチャッテお城」で堂々としているのはなんといっても尾道城ですね。尾道駅前から見上げたあの迫り来るような姿は素晴らしいです。ちょっと感服します。

投稿: mino | 2011年9月21日 (水) 07時21分

大阪の布施だったか、個人で造った「お城」をテレビでやってました。
たまに電車に乗って風景をみてたら、あらあらと思う個人の城が見ることがあります。
一国一城の夢はまだあるのでしょうね。
これは「ナンチャッテお城」番外編に入れてみてもおもしろいかも

投稿: T2 | 2011年9月21日 (水) 20時21分

大阪の布施のお城。おいらもテレビで見ました^^
尾道にも城があるんや。因島の村上水軍の城は、なんかで読んだことあるんやけどなあ。尾道は、一回行ってみたいと思ってるんや。楽しみや^^

和歌山のお城の話が出たので、またまた関係ないリンクを^^;
http://blogs.yahoo.co.jp/jyamasiro/15702622.html

子供の頃、親父に連れられていったことがあるんやけど、これが先祖のお城の跡やといわれても雑草の茂るただの野原としか思えなくて、眉に唾でした^^
その後、図書館とかでいろいろ調べては見たんやけど、確証を得られる文献がなくて。最近、偶然見つけて、びっくりや。調べてはる人がいるんやなと。インターネットはすごいわ^^

投稿: tera | 2011年9月22日 (木) 05時31分

T2氏 > 番外編というか、そちらの方が「ナンチャッテお城」の王道を行くものかも知れませんね。他にも「怪しげなお城」というジャンルがありますから、分類は個々人の好みになるのでしょうね。

tera氏 > これは一寸ビックリしました。私も検索してすぐこのブログに行き着きました。あるんですね。すぐにトップページでブックマークしました。
地図で調べると海南から東に入っていくんですね。野上神社がありその裏から登る、と書いてありますから北側の山なんでしょうか。
こうして山城を訪ね歩いている人が居る訳ですが、最早これはオタクの領域(こんな言い方は失礼かも知れませんが)ですね。
それよりもtera氏ゆかりのこのお城の存在に驚きました。

投稿: mino | 2011年9月22日 (木) 09時52分

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