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2011年9月 1日 (木)

旧兼山町(きゅう かねやまちょう 岐阜県可児市兼山)を散策(1) - 美濃金山城と森氏三代

 

  岐阜県可児市の旧兼山町(かねやまちょう)を訪ねました。

兼山には美濃金山城跡があり、織田信長の美濃侵攻の過程において美濃出身(現在の笠松町の出と言われる)の武将の森可成(もりよしなり)の居城となり、可成討死のあと子の長可(ながよし)、長可討死のあとは六男(末子)の忠政(ただまさ)が後を継ぎました。

長可(ながよし)は可成(よしなり)の二男、忠政は六男で、そのうち可成、長男可隆、二男長可、三男蘭丸、四男坊丸、五男力丸いづれも討死しています。

忠政は後に徳川政権下で美作(みまさか)一国津山藩18万6千5百石を立藩しています。

森家はその後一度は改易となりますが、再興が叶い、播磨三日月藩(1万5千石)、備中西江原(にしえばら)藩(後に赤穂藩浅野氏が「松の廊下の吉良上野介に対する刃傷沙汰(いわゆる忠臣蔵、赤穂浪士の話)」で改易になり、赤穂に移封となる)(2万石)、備中新見藩(関氏として)(1万8千石)で立藩して、それぞれの大名として明治に至ります。

 

  さて、兼山の位置ですが、JR高山線の美濃太田駅のすぐ南の木曽川をさかのぼっていくと北から飛騨川が合流してきて、JR高山線はこの北からの飛騨川沿いに北に向かい、木曽川からは離れていきますが、木曽川はさらに北東方向にさかのぼっていきます。

そしてJRの美濃太田駅からは木曽川を渡って多治見方向の南に太多線(たいたせん)が伸びて、可児駅に至ります。

ここには名鉄の犬山駅から伸びてきている広見線が新可児駅で合流していて、さらに新可児駅から広見線(新可児~御嵩間)が東に伸び、その一つ目の明智駅から北にバスで10分乗車すると木曽川沿いに出ます。

ここが木曽川沿いにある旧兼山町で、山を南に越すと中山道、名鉄広見線(新可児~御嵩間)が東西に伸びています。

今でこそ、かなりの片田舎という趣きですが、昔は木曽川と中山道という交通の大動脈をにらむ絶好の位置にあり、現代の感覚から推し量ると美濃金山城の立地は理解できないかも知れません。

 

  名鉄岐阜駅から各務原(かかみがはら)線で犬山、犬山から広見線で新可児駅に着いたところ。

  右手の線路はJR太多(たいた)線で電車の向こう側にJR可児駅があります。

  犬山から乗ってきた5000系電車。余り時を置かず折りかえして犬山へ。

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  新可児駅と御嵩駅とを往復する6000系2両編成のワンマン電車。

  ずーっとこの間、広見線(新可児~御嵩間)は廃止論議が盛んです。

  2001年10月1日には途中の明智駅から分岐して兼山から八百津にいたる八百津線が廃止されています。

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  明智駅。新可児駅からは一つ目。

  かってはここから八百津線が分かれていました。

  私にとっては個人的にとても思い出のある路線でした。

  また、今ではもう俄かには信じ難いことですが、かっては御嵩駅までパノラマカーの特急が運行されていました。

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  明智駅駅舎。

  改札、切符売り場窓口、それから売店があったのしょうか、三箇所の降ろされたシャッターが現状を物語っています。

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  八百津線の代替バスのYAOバス(やおばす)と可児市のコミュニティバスの駅前バス停。

  代替バスは最低1時間に1本あり、朝夕には2本の30分間隔の時間帯もあります。

  明智駅の北側は御嵩町でこの辺りには中山道の伏見宿がありました。

  したがって、旧兼山町、現在の可児市兼山は飛び地となっています。

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  代替バスを運行している東濃鉄道のバスが来ました。

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  町の中心部ではなく、少し手前の下渡橋バス停で降車しました。

  奥の向こう側の山が美濃金山城跡の古城山です。

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  バス停から少し戻って木曽川の方に下ります。

  兼山湊跡(かねやまみなとあと)があります。

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  木曽川に架かる東海環状自動車道。

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  上の道路を東に歩いて行きます。

  森可成(もりよしなり)の菩提寺の可成寺(かじょうじ)へ向かいます。

  可成寺には可成、可成の父の可行、可成の長男の可隆、二男の長可、三男の蘭丸、四男の坊丸、五男の力丸が祀られた森家墓所があります。

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  撮影 2011/08/31

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