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2011年10月

2011年10月31日 (月)

名鉄犬山線 岩倉駅にて - 愛知県岩倉市

 

  岩倉市は名古屋市の北の名鉄犬山線沿線の人口4万7千人ほどの都市です。

愛知県では最も面積が小さい市で、全国的にも10番目とか。

西は一宮市、東は小牧市、北は江南市、南は北名古屋市と接しています。

 

  戦国時代には岩倉城は織田伊勢守家の居城で尾張北部の中心的存在でしたが、1559年に織田信長に攻められ、岩倉城は落城して織田伊勢守家は滅亡しました。

 

  岩倉駅西口前。駅改札は地下にあり、駅ビルというものはありません。

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  駅南の県道25号線の陸橋から。

  名古屋方面への1000系パノラマスーパー。

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  岩倉駅終着の100系普通。

  100系は名鉄犬山線から名古屋市営地下鉄鶴舞線、名鉄豊田線との相互乗り入れ用車両。

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  東岡崎行き普通3100系。

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  岩倉駅の新鵜沼行き特急パノラマスーパー後ろ。

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  新鵜沼行き急行5000系。

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  新鵜沼行き全席有料特急「ミュースカイ」2000系。

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  撮影 2011/10/26

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2011年10月29日 (土)

赤穂線 邑久駅(おくえき)にて - 岡山県瀬戸内市

 

  瀬戸内市は旧邑久町、牛窓町、長船町が合併してできた新しい市。

市役所は邑久駅の南にあります。ここからバスで牛窓へ行ってきました。

 

  邑久駅駅前。牛窓へのバスは岡山市の西大寺から出ています。

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  伯備線の備中高梁行き普通。

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  同じく備中高梁行き。

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  これで「おく」と読みます。

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  播州赤穂行き普通が到着。

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  撮影 2011/10/11

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2011年10月27日 (木)

一宮市から岩倉市へ(愛知県)(1) 名鉄一宮線の廃線跡の道路を路線バスが - 浅野公園

 

  名鉄一宮線は1965年に廃止された岩倉~東一宮間の路線。

一宮線は東西(岩倉の方が南にあるで少し違うが)の路線で、岩倉からはさらに岩倉線が東の小牧まで延びていました。

現在の様に名古屋本線、犬山線、小牧線の南北の路線のみになったのは両路線が1964、5年に相次いで廃止になったためです。

この一宮線の廃線跡は道路になっており、現在の岩倉~一宮間の路線バスは、昔の一宮線の廃線跡をなぞる様に走り一宮~岩倉間を運行しています。

しかし、今回の旅行はこの廃線跡をバスで行くのが目的ではなく、あくまで単に一宮から岩倉に抜け、途中の浅野公園と岩倉城に関する場所を歩こうという意図で、たまたまこの路線を利用したに過ぎません。

帰って調べて上記のような事実を知ったというのが本当のところです。

 

  駅前ビル(東側)の工事が進捗しているようです。

  商業施設は1階のみで、大会議室(2階)、市民活動支援センター、シビックテラス(3階)、

  子育て支援センター(5階)、(仮称)中央図書館(5階~7階)、多目的ホール、屋上庭園(7階)などとなっています。

  また、2~4階が駐車場とか。

  これは、ほぼ公共施設と言っても良いですね。

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  岩倉行きバスは道路を挟んで駅とは反対側にあります。バスは南に出発します。

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  10分足らずの浅野公園前バス停で下車。

  この道路が一宮線の廃線跡。

  当時の駅名で浅野以外はすべてがバス停名にありました。

  ただ、バスのほうが停留所は多いですから、新しい停留所名もあります。

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  一宮側に戻って北に進みます。バス道路を振り返って。

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  浅野公園入り口。

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  尾張浅野氏の発祥の地についての説明板。

 

  浅野長政はもとは安井家の出で、浅野氏に婿入り。

浅野氏の当主は長勝で、長勝は木下家の「ねね」を養女としていて、「ねね」は後の豊臣秀吉に嫁ぎ、秀吉と長政とは姻戚にあたることになり、これが浅野家の家運を開きます。

浅野長政には3人の息子が居り、長男が幸長(よしなが)、次男が長晟(ながあきら)、三男が長重。

関が原の戦い(1600年)では長政は秀忠軍に従軍して中山道を、幸長は家康軍の先鋒軍として池田輝政らと岐阜城を落として本戦に参加しています。

幸長はこの功により和歌山37万6千石を与えられるも1613年に死去、幸長には子が無かったために次男の長晟(ながあきら)が家督を相続して紀州(和歌山)藩主となります。

長晟は大坂冬の陣、夏の陣に(1614年、1615年)従軍して、その後1619年に広島の福島正則が改易されると、42万石に加増されて広島に入封して浅野広島藩の初代藩主となります。

また三男の長重は父の長政が隠居料として得ていた常陸真壁5万石を長政の死去で継ぎます。

この長重の子の長直の時に赤穂藩に移封し、長直の孫、長重の曾孫である長矩(ながのり)が元禄赤穂事件(いわゆる赤穂浪士の忠臣蔵のお話)を引き起こして赤穂浅野家は改易となりました。

広島の本家は明治まで存続して華族に列せられています。

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  お堀風の水路も後に造られたもの。

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  「ねね」の歌碑がたてられています。

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  向こうが岩倉。尾張一宮駅前行きの名鉄バス。

  上下とも1時間に4本から5本の頻度でバスが行き交います。

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  岩倉行きのバスが来ました。岩倉市に向かいます。

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  撮影 2011/10/26

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2011年10月26日 (水)

旧児島市(現岡山県倉敷市)と福山市(広島県)を訪ねる(10) - 帰りに牛窓(瀬戸内市)に寄る

 

  朝から午前中にかけて、福山市内の福山城、明王院と見てまわり、倉敷に戻って駅前に佇んでみたものの、もう倉敷の伝統的街並み保存地区へ行く気力は無く、東に戻る電車ですぐに乗ることができた赤穂線で東に。

ここで、ふと思い付いたのが牛窓へ行ってみようかと。

江戸時代には牛窓は鞆ノ浦と並んで瀬戸内海航路での寄港地で、朝鮮通信使が牛窓に寄港して岡山藩の接待を受けたそうです。

牛窓はそのことを観光の目玉のひとつとして宣伝しています。

また、瀬戸内市の観光パンフレットには「しおまち唐琴通り」として、牛窓の古き良き街並みの散策を推薦しています。

 

  徒歩旅行者の最寄の駅は邑久駅(おくえき)。そこからバスで牛窓行き北回りで20分ちょっと。

または西大寺駅で下車して西大寺駅か西大寺バスセンターから牛窓行き(南回り・北回りどちらでも)で35分から40分ちょっと。

南回りの邑久駅から牛窓までは440円、西大寺からは630円です。

北回りは邑久駅には寄らないのですが西大寺と牛窓の間の運賃は630円と変わりません。

(竹久)夢二生家前(山田入口)バス停は南回りで邑久駅から230円、西大寺からは500円です。

両備バス(路線バス)のホームページ)

 

  倉敷駅にて。ちょっと迷っています。

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  赤穂線の邑久駅(おくえき)下車。

  邑久駅前。

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  瀬戸内市は2004年11月に邑久町、牛窓町、長船町(おさふねちょう)が合併して市制を施行した市。

  市役所はは旧邑久町にあり、牛窓行きのバスに乗ると邑久駅からすぐです。

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  牛窓行きのバスが来ました。

  もしバスの接続が悪かったら牛窓行きはやめるつもりでした。

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  終点牛窓バス停のひとつ手前の本蓮寺下バス停で下車。

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  だんじり展示室と朝鮮通信使資料室がある牛窓海遊文化館の前に本蓮寺下バス停があります。

  文化館は元警察署の洋館です。

  入場料金は大人300円ですが、この日は「だんじり」が出払っていて見れないという事で大人100円でした。

  後ろに本蓮寺の三重塔が見えます。

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  牛窓の町並み図。

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  海岸の通りから裏の道に路地を抜けます。

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  本蓮寺入口。

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  門を入って左側の庫裏?。右手建物に人がお住まいの様です

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  本堂や三重塔は右上に上ります。

  木立に隠れて見えないですが中門は重文。

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  本堂も重文だそうです。

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  番神堂(ばんじんどう)も重文。

  門の屋根が傾いていますが、どういうことでしょうか。

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  三重塔は県指定文化財だそうです。祖師堂の裏横からの三重塔。

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  祖師堂も県指定文化財。

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  海遊文化館に戻ってきて入館。

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  まず「だんじり」のビデオを見せて貰えます。あとは自由に。

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  海遊館の東横からの本蓮寺三重塔。

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  すぐ左手に見える前島とのカーフェリー。

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  フェリーの発着場所から少し東に牛窓バス停があります。

  このバスは北回りの西大寺行きで邑久駅には行かなかったので。

  奥の通りのお店でパンなどを購入してフェリー待合所の外のベンチで腹ごしらえをして、バスの時間待ち。

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  前島に向かって行くフェリー。

  このあと、バスで邑久駅に戻り、播州赤穂駅からは野洲行きの新快速、野洲で接続の米原行き普通(快速)で米原、そして大垣乗換えで岐阜まで帰ってきましたが、当初の計画よりも2時間早めの岐阜帰着でした。

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  撮影 2011/10/11

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2011年10月25日 (火)

岡山駅の特急「やくも」 2010年 - 381系

 

  早朝に神戸からのジャンボフェリーで高松東港に着き、高松駅からの快速「マリンライナー4号」で児島に渡り、そこでしばし途中下車。

今度は倉敷に向かうべく児島から再び快速「マリンライナー」で岡山に着いたところで見かけた伯備線特急の「やくも」。

 

  入線する伯備線特急「やくも3号」381系出雲市行き。

  岡山駅にて。

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  以上撮影 2011/10/10

 

  2009年春の伯備線新見駅の特急「やくも」381系。

  塗装が以前の色。

 

                                                                                                   撮影 2009/03/31

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2011年10月24日 (月)

旧児島市(現岡山県倉敷市)と福山市(広島県)を訪ねる(9) - 福山駅福塩線ホームと福山城

 

  福山駅の一番北にある在来線の7、8番線ホームは福塩線(ふくえんせん)が発着します。

また、井原鉄道(いばらてつどう 第三セクター)の列車が、福塩線の神辺駅(かんなべえき)を経て福山まで直通することもあります。

 

  前の記事で福山城の天守を写すのに新幹線ホームに良いポイントがあると書きましたが、それに比べて少し低い位置にある福塩線ホームはどうなのだろうかと、そう思って行ってみました。

 

  福山駅駅前の大通り。

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  福山駅と駅前のバス乗り場。

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  福山城の伏見櫓辺りからの福山駅北側と福塩線ホーム。

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  井原鉄道内の「早雲の里荏原」駅発 福山着の井原鉄道車両 IRT355。

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  福塩線府中行き。

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  福塩線ホームからの福山城天守閣と鏡櫓。

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  奥から天守、鏡櫓、月見櫓。

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  福塩線7番ホーム。

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  8番線から月見櫓と奥のほうに伏見櫓が見えます。

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  撮影 2011/10/11

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2011年10月23日 (日)

早朝の児島駅と児島観光港 - 旧児島市(現岡山県倉敷市)

 

  高松発5時35分の「快速マリンライナー4号」で岡山に向かう途中、児島駅で途中下車。

駅の裏手にあたる東に歩くこと5分足らずで児島観光港があります。

ちょうど塩飽本島行き(しあくほんじま 丸亀市)の初便が出港して行きました。

まだ6時台でした。

あるブログで丸亀港→塩飽本島(観光)→児島観光港というルートでの旅行記を見たことがあります。

 

  児島駅西の表口。

  早朝で人影がありません。バス乗り場があります。

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  岡山行き「快速マリンライナー8号」児島駅にて 7時15分発。

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  早朝、児島観光港から塩飽本島行き(しあくほんじまいき)。

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  撮影 2011/10/10

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2011年10月21日 (金)

旧児島市(現岡山県倉敷市)と福山市(広島県)を訪ねる(8) - 明王院(みょうおういん)の五重塔

 

  福山城は福山駅の裏にあたる北口にありますが、その福山城へは朝早くに訪れ、少し急ぎ気味に周り、のち、今度は駅南のバス停に行き明王院(みょうおういん)というお寺を訪れるためにバスに乗り込みました。

明王院は福山市をほぼ南北に流れる芦田川沿いの西側の山の懐にあります。

バスは駅前の11番乗り場の鞆港行きに乗車。

駅前から7分ぐらいで芦田川に架かる草戸大橋をわたり、橋の西側の堤防上の草戸大橋バス停で下車しました。

ここまで運賃は200円。

ここから川沿いを北に歩いて15分ぐらいでしょうか、明王院の北隣にある草戸稲荷の駐車場が明王院入り口前にあるので、ここら辺りかなという事で明王院の場所の見当がつきました。

 

  福山駅前。

  駅ビルが無いのでなんとなく「のっぺり」としていますが、れっきとした新幹線駅です。

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  鞆鉄バスの鞆港行きに乗ります。

  鞆港行きは最低限1時間に4本あります。

  鞆港のある鞆ノ浦は瀬戸内海の風光明媚な景勝地かつ歴史的な港です。

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  草戸大橋西詰の堤防道路沿いの草戸大橋バス停から草戸大橋。

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  堤防の道路は車の往来が激しい上に道幅が狭いので、大橋の前から下の生活道路に下ります。

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  所々に古い民家も見られる道路をまっすぐ北に歩いて行きます。

  前方に遮る様に山がせり出していますが、目的地はあのあたり。

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  明王院(みょうおういん)入り口前。

  前には草戸稲荷神社の駐車場があります。

  堤防からも車が下りられる様に道が付いています。

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  五重塔と本堂は国宝なのですが、拝観料は要りません。

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  階段を登りますが脇には車道が上までついています。

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  明王院の前身は常福寺といい、中世には草戸千軒町が門前町として栄えていました。

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  山門越しに国宝の本堂。

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  本堂の南側に並ぶように国宝五重塔。

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  境内から山門。

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  国宝の本堂ですが、軒の反りが普通の寺院よりも勾配が急で、少し異国情緒のある姿です。

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  国宝の五重塔。

  山の東にあるので、午前中がベターと思い来ましたが、曇ってしまったのでなんとも。

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  本堂は1321年(鎌倉時代)の建立、五重塔は1348年(南北朝時代)の建立。

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  これで帰途に就きます。

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  北隣にある草戸稲荷神社。

  う~んと唸り、しばし見とれていました。登ってみるべきなのか?

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  しかし、帰ってから調べてみると初詣客は多いらしいです。

  福山市内では一番、広島県でも広島護国神社に次いで2番目の初詣客の多さとか。

  でも、隣の明王院とコミなのではと思ったりします。

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  帰りは怖い怖い堤防上を歩いて北に向かい、国道2号線の神島橋西詰めに出ました。

  この交差点の向こう左側に福山駅方面へのバス停がありました。

  バス停名は判然としませんが、鞆鉄バスのHPの路線図から推し量ると明王台入口バス停と思われます。

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  こちらは福山駅までの所要時間は草戸大橋までの往きよりも短く運賃も180円で済みました。

   この後、福山駅構内に入って倉敷に向かう予定。

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  撮影 2011/10/11

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2011年10月20日 (木)

旧児島市(現岡山県倉敷市)と福山市(広島県)を訪ねる(7) - 朝の福山城を駆け足で

 

  この日の旅行の当初の予定は、朝の内に福山城、午前中に国宝五重塔がある明王院を訪れたあと福山を離れ、再び倉敷に向かい倉敷の伝統的町並みを廻る、というものでした。

しかし、前日に全力を尽くし過ぎたのか、明王院から福山駅に戻り、一度は倉敷駅に降り立ってみたものの、もう一つ気乗りがしなかったので、岡山に向かいました。

ここでもかなり思案しましたが、もう余りどこかに立ち寄ろうという情熱が湧かず、取り敢えず東に向かう電車ですぐに乗ることができた赤穂線に乗ることになりました。

その車中でふと思い出したのが、邑久駅からバスで牛窓に行き、牛窓の本蓮寺の三重塔と牛窓港を散策するという案でした。

牛窓については以前から調べ上げてはいましたが、バスの時刻だけは覚えていなくて、もし邑久駅でバス待ちがうまくいかなければ再び東へ電車で、という心積もりで邑久駅で下車しました。

駅前のバス停の時刻表を見てみると、そんなに待つこと無く牛窓行きのバスがあり、こうして今回の旅行の最後の訪問地は牛窓となった次第です。

 

  福山駅の西の方。

  ガード下を北側に抜け、隣接する福山城へ行きます。

  もう福山城へは何回も来ていますが、問題は本当にじっくりと見ていないこと。

  しかし、今回も駆け足となってしまい、しかも、この日は連休明けなので天守閣はお休み。実は天守閣へは一度も登ったことがありません。

  いつもこのお城に来るときは、別の目的地への途中に寄ってみるという位置づけになってしまっていて、福山城には申し訳ない思いです。

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  駅南の駅正面。こちらから各地へバスが出ています。

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  西の方からお城に接近。伏見櫓が見えます。

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  駅北の登り口にある説明板。

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  道路の南は福山駅です。

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  階段を登ります。

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  登り切るとすぐに伏見櫓。

  隣りにある筋鉄門(すじがねもん)と共に江戸時代からの遺溝です。

  共に重要文化財。

  福山城は、空襲による焼失が無ければ、というほど天守をはじめとして多くの櫓が残っていたお城でした。

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  伏見櫓。西側に回って。

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  伏見櫓前から筋鉄門(すじがねもん)へ。

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  筋鉄門。

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  本丸の広場から天守閣。

  多くの資料が残っているにも拘らず外観が大幅に改変されて再建されたため、「復元天守」ではなく「復興天守」の位置づけです。

  残念ですね。

  観光的には(見栄え的には)実際の天守より良いということです。

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  鐘櫓(かねやぐら)。一部現存の櫓。

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  同じく鐘櫓。

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  天守閣の裏側。

 

  備後国の福山藩初代藩主は徳川家康の従兄弟の水野勝成(みずのかつなり)。

徳川家康の生母の於大の方(おだいのかた 伝通院)の兄弟の水野忠重(みずのただしげ)の息子が水野勝成で、家康とは従兄弟という関係になります。

水野勝成は変わった経歴を持っていて、父の忠重とあることから不和となり、家康に匿(かくま)われていたのを、父の追及が厳しくなり京に逃れます。

その後1585年の秀吉の四国征伐では仙石秀久家中となり参戦、戦後は秀吉に700石の知行を得るも、すぐに出奔して放浪。

1587年肥後領主佐々成政に千石で召抱えられるも、佐々が改易になると小西行長に千石で仕官。

1589年宇土城普請で天草五人衆の反乱が起き、この戦闘に参加、しかし鎮圧すると小西の下を離れ加藤清正に仕官、すぐに立花宗茂、さらに黒田孝高と主君を変え、黒田孝高の長男の黒田長政が秀吉に拝謁するために船で大坂に向かう途中にまたまた出奔。

再び流浪。

そして1599年、前年に秀吉が死去すると勝成は再び幕下に加わり、家康の仲介で父忠重と和解。

このとき勝成36歳。

そして1600年、勝成は家康に従って会津征伐の途次、小山の陣に宿陣している最中に、父忠重が三河池鯉鮒(現在の知立)で西軍への誘いを断り殺害されてしまいます。

これを受け勝成は刈谷へ戻り、ここに三河国刈谷3万石の家督相続を命じられます。

(以上Wiki改変より)

以後の水野勝成(みずのかつなり)の活躍は省略。 波乱万丈の半生ですね。

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  城内にある水野勝成(みずのかつなり)の銅像。

  もう一つ城内には銅像があり、それは幕末に若くして老中首座として腕を振るった阿部正弘の像です。

  福山藩は水野氏5代、天領、松平氏一代、阿部氏10代で明治維新。

  石高は水野氏10万一千石、松平、阿部氏10万石でした。

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  鏡櫓。

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  月見櫓。

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  同じく月見櫓。

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  外に出て東の駅前から公園越しの天守。

  天守を写すのなら新幹線の上り線ホームが絶好ポイントです。

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  撮影 2011/10/11

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2011年10月19日 (水)

旧児島市(現岡山県倉敷市)と福山市(広島県)を訪ねる(6) - 下津井の「むかし下津井回船問屋」と鷲羽山からの瀬戸大橋

 

  旧野崎家住宅からジーンズロードを経て、元来た道を戻り、武左衛門通りに面した天満屋の一階で食料を調達して、祝日に有り勝ちなデパートの子供たちの大声の中、椅子に座ってそれを食して、しばし休憩の後に外に出ました。

通りの天満屋の反対側の「天満屋ハッピータウン」バス停で下電バスの下津井循環線「とこはい号」に乗り込んだのが15時30分頃。

下津井循環線「とこはい号」は1時間に1本片方向のみの循環バスで、JR児島駅-児島文化センター-鷲羽山ハイランド遊園地前-下津井港前-城山公園入口-下津井漁港前-田ノ浦港前-鷲羽山第二展望台-競艇場正門前-JR児島駅南-児島支所前-児島文化センター南-JR児島駅(バス停は抜粋です)の順で巡回します。下電の循環バス「とこはい号」はこちらで。

 

  JR児島駅15時30分発の下津井循環線「とこはい号」、当バス停は15時31分。

  ほぼ定刻どおりに来ました。

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  天満屋ハッピータウン前の道路は塩田王の野崎武左衛門から「武左衛門(ぶざえもん)通り」と命名されています。

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  下津井港前バス停で下車。所要は約15分で250円。

  バスの運転手さんから「むかし下津井回船問屋」はここではありませんよ、と何度も念を押されました。

  「むかし下津井回船問屋」の最寄のバス停は「下津井漁港前」バス停です。

  もちろん、私は解かっていて降りているのです。

 

  1910年の岡山-宇野間の宇野線の開通と宇高連絡船の運航開始以前は下津井~丸亀間が本州と四国を結ぶ主要なルートの一つとして、特に琴平への参拝ルートとして賑わっていましたが、宇野線と宇高連絡船が運航開始されるとお客はそちらに流れてしまいます。

そのため、なんとかお客を取り戻そうと下津井と国鉄の間に鉄道を敷設しようという計画が持ち上がり、塩田王の野崎家や回船業、醸造業を営んでいた永山家等の児島、下津井の有力者と対岸の丸亀の有力者が資金や用地を提供して下津井軽便鉄道期成同盟を1910年に結成。

営業許可申請と免許の許可を得て、1911年に着工、1913年に茶屋町~味野町(のちの児島)が先行開通、翌1914年下津井~味野町が開通して全線21.0Kmが開通しました。

これが下津井電鉄の前身の下津井軽便鉄道です。

その後の鉄道の経緯や盛衰については割愛しますが、最後まで残った児島~下津井間の下津井電鉄が廃止されたのは1991年1月1日(実際のさよなら運転は1990年12月31日)です。

現在は「下津井みなと電車保存会」の有志が車両などを修理、復元を行っています。

そして、廃線跡は倉敷市によってサイクリングロードとして利用され、もう一つの楽しみ方として提供されています。

 

  そんないわれのある下津井電鉄の下津井駅のあった下津井港に真っ先に降り立ってみたのです。

  下津井港から東に見える瀬戸大橋の方向。

  ここから散歩がてら海岸通りを東に向かって歩いてみました。

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  下津井城跡のお話もあるのですが、これも割愛して、またの機会に。

  海沿いにせり出すように小山があり、そこには祇園神社があります。

  バス道路は南に迂回してぐるりと東に向かいます。

  この祇園神社のある小山の西に下津井港、東に下津井漁港があります。

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  祇園神社に登ってみます。

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  神社を下りて漁港のほうの「むかし下津井回船問屋」へ。

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  下津井漁港前バス停の横の路地を北に入り込みます。

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  右手すぐに「むかし下津井回船問屋」。無料です。

  回船問屋を復元した資料館と半分休憩所的な場所で、食事処と土産物店が備わっています。

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  今度は反対に路地をバス停のほうに。

  最終一本前の16時台のバスで<帰る>、というつもりでしたが、鷲羽山第二展望台で下車して瀬戸大橋の夕日を見ることに。

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  鷲羽山第二展望台バス停に16時57分。

  バス停から歩いて登って15分で展望台へ。

  駐車場は展望台付近から下へ三ヶ所ぐらいありました。この時間駐車場は充分な余裕でした。

  展望台にはレストハウスがあります。

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  なかなか壮観な眺めです。

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  展望台はこんな感じ。レストハウスは右手奥で展望もききます。

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  鷲羽山第二展望台バス停付近から児島の町と海岸。

  バスは最終の当バス停17時57分発。

  JR児島駅南バス停で殆んどが下車。

  私は児島駅から岡山を経て宿を予約している福山まで。

  ただし、途中人身事故で岡山へは1時間半以上の遅れで、妹尾駅で1時間以上停車していました。

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  撮影 2011/10/10

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2011年10月18日 (火)

旧児島市(現岡山県倉敷市)と福山市(広島県)を訪ねる(5) - 旧野崎家住宅(製塩業と新田開発で大庄屋に)

 

  野崎家は江戸時代の後期に塩田開発を手がけて財をなした野崎武左衛門(のざきぶざえもん)が、天保から嘉永年間にかけて築いていった民家です。

野崎武左衛門は塩田の更なる開発と藩からの命で新田を開発して、苗字帯刀御免、五人扶持で大庄屋となりました。

その後、明治から大正、そして昭和のはじめに株式会社に、二次大戦後には内海塩業株式会社、後にナイカイ塩業株式会社と改名され現在に至っています。

ちなみに現在の社長さんは野崎さんです。

 

  ほぼ創建当時からの民家がこれほどの規模で残っているのは珍しいそうです。

  入り口の長屋門。

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  拝観入り口を入ってすぐの場所にある説明板。

  拝観料は大人500円です。

  大きな荷物のある場合は私が写真を撮っている場所に無料のロッカーがあります。

  ただし、鍵はしっかりと持っていましょう。

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  屋敷内に入ってすぐ右手に土蔵群。

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  表玄関。前に御成門があります。

  普段は表玄関の手前にある内玄関を利用するのでしょうね。

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  表玄関の方を振り返っています。

  両方とも見えませんが右手に御成門、左手に表玄関。

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  表書院。庭園が前に広がっています。

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  磨り減り方が年季を感じさせます。

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  表書院前から表玄関の方を振り返っています。

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  表書院の内部。

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  庭園内。

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  表書院の北側にある中座敷。

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  中座敷の奥まで見通せます。

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  中座敷のある建物の裏側にまわります。

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  石垣と建物の間を行きます。

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  中座敷の建物の裏側にある台所。

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  土蔵の裏を奥に進みます。

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  一番東にある岡蔵の横から土蔵群の前に出ます。

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  一番手前と4番目の土蔵が展示館となっています。

  塩業に関する展示と江戸時代から伝わる調度品や生活用具の展示が見られます。

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  これで、野崎家とはお別れです。

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  野崎家の長屋門の前のお店にある「Gパンだ」のぬいぐるみ。

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  撮影 2011/10/10

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2011年10月17日 (月)

旧児島市(現岡山県倉敷市)と福山市(広島県)を訪ねる(4) - 児島駅から旧野崎家住宅まで

 

  倉敷から岡山を経て児島駅に戻ってくると、4番線に臨時列車の「アンパンマントロッコ」が停車中でした。

2両編成で前のトロッコ列車はキハ32からの改造車のようです。

後ろに特急用のキハ185を従えて、琴平に向けて出発して行きました。

トロッコの車内は子供とその親御さんで賑やかそうでしたよ。

 

  そろそろお昼でしたが、これから旧児島市を徒歩とバスで巡ります。

まず、児島駅からは北の方向にある旧野崎家住宅を訪ねます。

野崎家は製塩と新田開発で財を成した野崎武左衛門が天保から嘉永年間に次々に築いていった民家です(旧野崎家住宅パンフより)。

野崎武左衛門は1827年ごろから塩田開発を再開し(父が一度失敗している)、味野、赤崎両村沖に約48haの塩田を開発、両村の二字からこの塩田を野崎浜として、自らも旧姓の昆陽野(こやの)から野崎と改名しています。(Wiki改)。

後には塩田の拡大と岡山藩の命による新田開発も手がけ、苗字帯刀御免、五人扶持の大庄屋となります。

野崎家とはそういう家柄です。

 

  児島駅4番線の臨時列車「アンパンマントロッコ」。

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  正式名は「瀬戸大橋アンパンマントロッコ号」です。

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  2往復あり、岡山~琴平と岡山~高松の1往復ずつ。

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  児島駅の西側の道路を北に、すぐに交差点があり北西に「武左衛門通り」が伸びています。

  右手に天満屋があり、さらに行き大通りを右に児島市民交流センターへ。

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  児島市民交流センター。

  屋根がちょっと独特というか、何なのでしょうか怪しげなデザインです。

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  交流センターの前の道路がジーンズストリート。

  ジーンズのお店がずらりと言う訳にはいかず、祝日なのにシャッターの下りた店舗がずらり。

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  開いているお店もあります。

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  MAPの一番左上の区画が旧野崎家。

  赤いのがお店のようです。10数店舗ぐらいでしょうか。

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  このジーンズストリートは突き当たると右手に旧野崎家住宅まで続きます。振り返ったところ。

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  こんなお店も。このレトロな建物は何だったのでしょうか。

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  ずーっと同じような感じです。

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  ジーンズストリートから旧野崎家住宅。

  ここから江戸時代にタイムスリップします。

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  撮影 2011/10/10

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2011年10月14日 (金)

旧児島市(現岡山県倉敷市)と福山市(広島県)を訪ねる(3) - 水島臨海鉄道で倉敷駅に戻る

 

  山陽本線の西阿知駅(倉敷市)で下車して、遍照院(へんじょういん)の三重塔を訪れたあと、西阿知駅には戻らず山陽本線沿いの道を東に歩きました。

水島臨海鉄道の「球場前」という駅がスポーツ施設が集中している場所(倉敷運動公園)にあり、遍照院からは西阿知駅に戻るも球場前駅に進むも同じぐらいの距離にあるようでしたので、水島臨海鉄道に乗ってみたいという理由もあっって、山陽本線の電車を見ながら「球場前」駅の方に歩くことにしました。

 

  もう少し東へ行くと運動公園の北端に出られる位置にある山陽本線の踏み切り。

  115系の糸崎行き普通。

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  運動公園のテニスコートの南側にある水島臨海鉄道「球場前」駅。

  木陰で休んでいたら水島行きがやって来ました。

  高めの柵があるのでチョッとつま先立ちです。

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  ここから列車は南に大きくカーブを切ります。

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  駅の入り口は道路に面した東側。

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  隣接して球場、西の方には陸上競技場、かな?

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  そんなに待つこと無く「倉敷市」行きが来ました。

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  私を含めて4人ぐらいが乗車。

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  車内は祝日の午前中ということもあり、座ることが出来ませんでした。

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  少し行くと山陽本線と並行します。列車の後方から西の方を。

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  倉敷市駅に到着。球場前駅からは一駅の所要4分、180円でした。

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  倉敷市駅の駅舎と上は駐車場みたいです。

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  倉敷駅南口。

  いわゆる倉敷の伝統の街並みはこちらから南の方にあります。

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  倉敷駅の「空中歩道?」から見える水島臨海鉄道の倉敷市駅駅舎。

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  倉敷駅駅前。これから一度岡山から児島駅に戻ります。

  今回の旅行のメインの倉敷の街並みはあくる日の予定でしたが、予定を変更してその街並みは訪れることなく、変な旅行となりました。

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  撮影 2011/10/10

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2011年10月13日 (木)

旧児島市(現岡山県倉敷市)と福山市(広島県)を訪ねる(2) - 遍照院(へんじょういん 倉敷市)の三重塔

 

  思いもかけず児島港で朝陽を見ることができ、急いで再び児島駅に戻り、後続の快速「マリンライナー8号」で岡山へ。

そして三原行きの電車で倉敷駅の次の西阿知駅で下車し、ここから徒歩で15分から20分の距離にある遍照院(へんじょういん)の三重塔を訪れました。

この遍照院の位置やどんな三重塔か、どのくらいで行けるのか等は調べ始めてからすでに10年は経っています。

全国の塔も暇さえあれば調べ上げてはいますが、今回この遍照院へ行きそびれたら永遠に訪れることが出来ないかもしれない、そう思って予定に組み入れました。

といっても、たとえ訪れることが出来なくても、どうと言うことも無いのですが。

 

  児島駅にて。岡山行き快速「マリンライナー8号」

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  西阿知駅で下車。去っていく三原行き普通。

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  西阿知駅駅前。

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  駅前の道路を北に少し歩くとすぐに県道があります。

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  東の方に伸びる県道。この県道は東に1kmちょっとで山陽線の踏切を渡り南方向に向きを変えます。

  その反対の北方向に遍照院(へんじょういん)と熊野神社があります。

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  熊野神社の前。

  実際には住宅街の裏道を歩いているので突然神社の前に出た感じです。

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  神社の参道を奥に進むと右手に三重塔が見えました。

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  こちらは熊野神社の社殿。

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  きれいな三重塔でした。国指定の重要文化財です。

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  遍照院への門。

  門の前がグランドになっており、その一角に三重塔があります。

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  門内からの三重塔。

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  比較的に新しい遍照院の本堂。

  遍照院はもともとは隣にある熊野神社の神宮寺でした。

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  かっての境内が遍照保育園のグランドとして利用されています。

  運動会のためのテントと万国旗だと思いますが、前日に終わっているのでしょうか。

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  ということで、最高の撮影ポイントは万国旗入りとなりました。

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  遍照院(へんじょういん)を離れ、熊野神社の前の道を南に。

  振り返って極楽寺というお寺。

  このまま南に歩いていくと西阿知駅の北側から東に伸びている県道と合流して山陽本線の踏み切りを南に渡ります。

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  踏み切りを渡ってからは山陽線沿いの南側の側道を東に向かいます。

  岡山方面への117系。

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  岡山方面への快速サンライナー塗装の117系普通電車。

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  撮影 2011/10/10

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2011年10月12日 (水)

旧児島市(現岡山県倉敷市)と福山市(広島県)を訪ねる(1) - 児島観光港にて

 

  体育の日を含む2日間で岡山県の旧児島市(現倉敷市)と福山市を「鉄道の日記念JR全線乗り放題きっぷ」を利用して訪れました。

もともとは倉敷市の伝統的町並み保存地区を訪れるのがメインであった筈の観光が、少しずつのずれで他の観光地は訪れたものの、メインの倉敷の町並みへは行くことなく終わってしまうという妙な旅行となってしまいました。

観光日の前日夜に岐阜を出発して、神戸の三ノ宮へ向かい、ジャンボフェリーの深夜便で高松に朝早く渡り、意外にも時間に恵まれて高松を5時35分発の快速「マリンライナー4号」に乗ることができたので、ここでまず予定を変更して児島駅で途中下車。

 

  ジャンボフェリーが離岸して30分以上過ぎて、客室の外の後部甲板から多分神戸の方。

  連休とあって、客室は横になる場所が無いというほどではないですが、やはり通常よりかなり混み合っていました。

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  いつもの高松駅駅舎。5時20分ごろ。

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  すでに車掌さんがスタンバイしています。それでも、乗ることはできましたよ。

  快速「マリンライナー4号」岡山行き。

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  児島観光港。

  四国の丸亀市に属する塩飽本島(しわくほんじま)への6時25分発の定期船が待機中でした。

  丸亀市からも本島への定期船はもちろんあります。

  塩飽本島はかっての塩飽水軍の本拠地でした。

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  かっての塩買船の誘導のための旧野崎浜灯台が観光港の北に見えたのですが、残念ながら写し損ねました。

  お昼過ぎにもう一度児島に戻ってきて、塩田王といわれた旧野崎家住宅や下津井港から鷲羽山(わしゅうざん)を訪れて帰りが遅くなり、児島駅に帰ってきた時は真っ暗になってしまっていました。

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  児島駅の西側の玄関口。

  このあたりは味野(あじの)と言われ、かっては一帯が塩田であったそうです。

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  児島駅に戻り、いったん岡山から倉敷に向かいます。

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  撮影 2011/10/10

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2011年10月 7日 (金)

静岡鉄道 (静岡県静岡市) - 新清水駅と新静岡駅

 

  地方には様々な地方鉄道がありますが、その殆んどが明治から大正、昭和初期にかけての設立で、当時の鉄道を起業するという精神には感服せざるを得ません。

また、鉄道を起業できるお金が地方にあったという事にも感嘆せざるを得ません。

 

  鉄道の起業目的も様々で、特に寺社への巡礼の足としての鉄道の例は多かったみたいですね。

また、人や物資を最寄の港湾に運ぶ目的で鉄道が敷設される例も多かったと思われます。

 

  私の住んでいる岐阜から谷汲への電車が前者の良い例です。

2001年に廃止された時点では名鉄の一地方路線でしたが、最初は谷汲鉄道として発足しています。

谷汲には西国第三十三満願霊場の華厳寺があって、そこへの足としての鉄道でした。

谷汲鉄道は黒野~谷汲間の鉄道でしたが、ちょうどそれまで岐阜(忠節)から北方(現在の北方町)まで来ていた鉄道が黒野まで延伸されるのに合わせて作られています。

これが1926年4月のことで年号で言えば大正15年(同じ年に昭和初年となる)です。


  さて、静岡鉄道ですが、もともとは静岡市内の製茶問屋のあった場所から清水港へお茶を運ぶのが目的で1906年に設立された(旧)静岡鉄道が前身ということです(Wikiより)。

お茶の輸送とは静岡らしい話ですね。

 

  久能山東照宮を参拝した後、久能山の南側の階段を下りて、久能山下(くのうやました)バス停から1日に4本ぐらいしかない清水方面へのバスで新清水バス停に降り立ちました。

三保の松原へ行く予定を変更して、静岡鉄道を走破して新静岡まで乗ってみることにしました。

写真は新清水駅と新静岡駅の駅撮りのみです。

 

  大通りに面した新清水駅。別に繁華な所ではありませんでした。

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  電車の運行間隔が昼間帯でも6~7分毎で、入った電車はすぐに出発して行きます。

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  後ろから写真を撮っていて、乗ろうかと思う間も無く出て行ってしまいました。

  容赦ないです。

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  しかし、少し待てば次の電車が来ます。

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  新静岡駅に到着。

  途中の駅などでも転落防止の防護柵などが設置されていて、安全面で良いと思いました。

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  もう、すぐに出発していきます。

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  新清水~新静岡間は所要時間20分ほど、運賃290円です。

  ちなみにJRの清水~静岡間は運賃230円です。

  ただ、気軽に乗れる電車なので沿線の人々には重宝されていると思います。

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  撮影 2011/09/10

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2011年10月 6日 (木)

二日市駅(ふつかいちえき 福岡県筑紫野市(ちくしのし))にて - 2011年8月上旬の九州旅行

 

  福岡県筑紫野市の二日市駅。

筑紫野市は太宰府市の南西隣と言う方がわかりやすいでしょうか。

私自身もこの辺りの地理は全く疎いので地図を見て納得しているのみです。

二日市駅は西鉄二日市駅と共にこの辺りの中心的な駅です。

路線検索をすると二日市駅から徒歩で連絡している西鉄の紫駅までを乗り換え扱いとして検索結果が出たりします。

例えば鳥栖駅(JR)から太宰府駅(西鉄)まで路線検索をすると、天拝山駅(JR)下車、徒歩で朝倉街道駅(西鉄)乗車で乗り換えとか、二日市駅(JR)下車、徒歩で紫駅(西鉄)乗車で乗り換えという結果が出ます。

そんな関係で、いつか太宰府を訪れるかも知れないので?二日市駅でちょっと途中下車してみました。

 

  二日市駅前。二日市温泉ってあるのですね。

  Wiki見たりすると「博多の奥座敷の二日市温泉」などとあります。

  古くからの温泉ですが「二日市温泉」となったのは1950年だそうです。

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  大分発博多行き特急「ゆふ4号」185系の到着。

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  同じく特急「ゆふ4号」。白っぽく写っているのはレンズフィルターの汚れ。

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  佐世保発博多行き特急「みどり20号」783系とハウステンボス発博多行き「ハウステンボス20号」783系の併結車両の到着。

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  福間発二日市着の普通813系。

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  荒尾発小倉行き快速811系。この電車で取り敢えず小倉まで乗車して、のち門司港へ。

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  撮影 2011/08/03

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2011年10月 5日 (水)

金山駅(かなやまえき 名古屋市) - JR、名鉄、地下鉄線のターミナル駅

 

  中央線の大曽根駅から名古屋ガイドウェイバス(ゆとりーとライン)で龍泉寺(名古屋市守山区)、密蔵院(春日井市)を訪ねた後、春日井市の神領(じんりょう)車両区から神領駅まで歩き、再び中央線で名古屋方面に帰る途中で金山駅(かなやまえき)で少し道草をしました。

東京では山手線、都営地下鉄大江戸線、大阪では環状線と市内にループ状の路線がありますが、名古屋でも昔からJRや名鉄、新路線を組み合わせてなんとかループ線をと様々な構想を描いてきましたが、この名古屋のループ線は2004年に地下鉄名城線で実現され、金山駅はその中心的な駅となっています。

金山駅はJRと名鉄の両社で4面8線の名古屋市内では名古屋駅に次ぐ大きな駅となっており、駅舎も共通化して地下鉄と共に文字通りの総合駅としての機能を果たしています。

 

  金山駅で途中下車。

  金山駅は東側に中央線の1面2線、西側に東海道線の1面2線、JRに挟まれて名鉄の2面4線で構成されています。

  1番線の大曽根、春日井、多治見方面への瑞浪(みずなみ)行き快速電車。

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  JRは東側から1番線で名鉄を挟んで東海道線は3、4番線となっています。

  名鉄は逆に西側から1~4番線。

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  改札を出て金山駅のコンコース。

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  JRの改札。

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  名鉄の改札。JR、名鉄共に複数の改札口があります。

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  名古屋、岐阜方面への岐阜行き特急2200系。

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  向こうはJRの豊橋行き特別快速313系。

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  中部国際空港行き特急2200系。

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  名鉄一宮行き急行。異車種 併結で後ろは6000系。

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  名鉄4番線豊明行き準急5000系追い抜き待ち。

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  当駅止まりの普通電車。5600系?

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  撮影 2011/09/24

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2011年10月 3日 (月)

神領(じんりょう)車両基地と神領駅(愛知県春日井市) - 神領駅から名古屋方面に

 

  神領駅と県道213号線の陸橋との間にも別の陸橋があり、その陸橋の歩道は駅側の東にしか無いのですが、途中から車両基地の敷地内に下りる道路があり、そこから西のほうの基地の本体が望むことができます。

東側には車両のメンテナンスをする工場などがあります。

最後に神領駅の自由通路から少し覗いてみて、再び電車で名古屋方面に向かい金山駅で途中下車をしました。

 

  向こうが神領駅。神領駅に向かう313系(前3両は211系の模様)。

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  西の方の車両基地の本体。

  ここを下りると敷地内なので、立ち入り禁止ギリギリです。

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  回送の313系がゆっくりと神領駅方向に。

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  神領駅駅舎南口。

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  神領駅前はビルも少なく少し寂しい感じです。

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  駅舎内から駅前の様子。

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  自由通路から3番線の待避線。

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  自由通路の真下に見える車両基地。

  383系特急用車両(「しなの」や「ホームライナー」に運用)と211系。

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  撮影 2011/09/24

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