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2011年10月27日 (木)

一宮市から岩倉市へ(愛知県)(1) 名鉄一宮線の廃線跡の道路を路線バスが - 浅野公園

 

  名鉄一宮線は1965年に廃止された岩倉~東一宮間の路線。

一宮線は東西(岩倉の方が南にあるで少し違うが)の路線で、岩倉からはさらに岩倉線が東の小牧まで延びていました。

現在の様に名古屋本線、犬山線、小牧線の南北の路線のみになったのは両路線が1964、5年に相次いで廃止になったためです。

この一宮線の廃線跡は道路になっており、現在の岩倉~一宮間の路線バスは、昔の一宮線の廃線跡をなぞる様に走り一宮~岩倉間を運行しています。

しかし、今回の旅行はこの廃線跡をバスで行くのが目的ではなく、あくまで単に一宮から岩倉に抜け、途中の浅野公園と岩倉城に関する場所を歩こうという意図で、たまたまこの路線を利用したに過ぎません。

帰って調べて上記のような事実を知ったというのが本当のところです。

 

  駅前ビル(東側)の工事が進捗しているようです。

  商業施設は1階のみで、大会議室(2階)、市民活動支援センター、シビックテラス(3階)、

  子育て支援センター(5階)、(仮称)中央図書館(5階~7階)、多目的ホール、屋上庭園(7階)などとなっています。

  また、2~4階が駐車場とか。

  これは、ほぼ公共施設と言っても良いですね。

Dsc01241

 

  岩倉行きバスは道路を挟んで駅とは反対側にあります。バスは南に出発します。

Dsc01243

 

  10分足らずの浅野公園前バス停で下車。

  この道路が一宮線の廃線跡。

  当時の駅名で浅野以外はすべてがバス停名にありました。

  ただ、バスのほうが停留所は多いですから、新しい停留所名もあります。

Dsc01244

 

  一宮側に戻って北に進みます。バス道路を振り返って。

Dsc01246

 

  浅野公園入り口。

Dsc01247

 

  尾張浅野氏の発祥の地についての説明板。

 

  浅野長政はもとは安井家の出で、浅野氏に婿入り。

浅野氏の当主は長勝で、長勝は木下家の「ねね」を養女としていて、「ねね」は後の豊臣秀吉に嫁ぎ、秀吉と長政とは姻戚にあたることになり、これが浅野家の家運を開きます。

浅野長政には3人の息子が居り、長男が幸長(よしなが)、次男が長晟(ながあきら)、三男が長重。

関が原の戦い(1600年)では長政は秀忠軍に従軍して中山道を、幸長は家康軍の先鋒軍として池田輝政らと岐阜城を落として本戦に参加しています。

幸長はこの功により和歌山37万6千石を与えられるも1613年に死去、幸長には子が無かったために次男の長晟(ながあきら)が家督を相続して紀州(和歌山)藩主となります。

長晟は大坂冬の陣、夏の陣に(1614年、1615年)従軍して、その後1619年に広島の福島正則が改易されると、42万石に加増されて広島に入封して浅野広島藩の初代藩主となります。

また三男の長重は父の長政が隠居料として得ていた常陸真壁5万石を長政の死去で継ぎます。

この長重の子の長直の時に赤穂藩に移封し、長直の孫、長重の曾孫である長矩(ながのり)が元禄赤穂事件(いわゆる赤穂浪士の忠臣蔵のお話)を引き起こして赤穂浅野家は改易となりました。

広島の本家は明治まで存続して華族に列せられています。

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  お堀風の水路も後に造られたもの。

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  「ねね」の歌碑がたてられています。

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Dsc01264

 

  向こうが岩倉。尾張一宮駅前行きの名鉄バス。

  上下とも1時間に4本から5本の頻度でバスが行き交います。

Dsc01265

 

  岩倉行きのバスが来ました。岩倉市に向かいます。

Dsc01267

  撮影 2011/10/26

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コメント

そうなんや、尾張浅野氏は、一宮出身なんや。
浅野長政は、豊臣政権の官僚として大きな足跡を残しているのに、何故か地味やねえ。五奉行筆頭やのに、石田光成の陰にかくれてしもた感じやね^^;
長政とその子供たちは、大津→小浜→甲府→和歌山→広島と移り、そのどれも当時の重要な戦略地点を任された割には、当地に浅野氏の事跡が残っているのかなあ。大津(明智光秀)、小浜(丹羽長重)、甲府(加藤光泰)、和歌山(豊臣秀長)、広島(福島正則)と豊臣関係者のあとを襲うわけやけど、そのどれもが引き継ぎがやっかいで統治の難しい土地柄のような感じがするけどね^^
浅野長政(というより関ヶ原前後のいろいろなエピソード)に関しては、岳宏一郎の「群雲、関ヶ原へ」(新潮文庫)がおすすめです

投稿: tera | 2011年10月30日 (日) 05時16分

仰るとおり、浅野一族は地味ですね。長政も息子達も非凡な武将だと思うんですが。
引継ぎがやっかいで統治の難しい土地柄>そういえばそんな所ばかりですね。特に長男の幸長はかなり非凡な武将だと思います。確か38才で亡くなったんですが、暗殺説もあるんですよね。
広島なんかでは浅野家よりも、何と言っても毛利なんでしょう。
博物館や広島市内には浅野氏の事跡はあるのでしょうけど、普通の人は広島=浅野氏とはならないですからね。大津→和歌山までは、他の武将に有名な人がいますし。
岐阜(加納藩と岐阜町)でも、江戸時代に誰が統治していたかなど全く関心が無くて、なんといっても斎藤道三、織田信長ですから。

関ヶ原に関しては夥しい(大袈裟ではなくて)人が書いていますが、多少知っている事柄なので、どれを読んでも面白い。大河ドラマも戦国物に人気があるのは、皆、そこそこ知っているからなんでしょうね。

投稿: mino | 2011年10月30日 (日) 13時29分

>関ヶ原に関しては夥しい(大袈裟ではなくて)人が書いていますが、多少知っている事柄なので、どれを読んでも面白い。
>大河ドラマも戦国物に人気があるのは、皆、そこそこ知っているからなんでしょうね。

うんうん、戦国物は(ついで幕末物も)人気ありすぎて、歴史小説家にとっては難しいジャンルやないかなあ。人物評価や時代考証も含めて、よほどの新機軸を出さないと認めてもらえんやろね^^
浅野幸長暗殺説にふれた小説には、隆慶一郎さんの「影武者徳川家康」(新潮文庫)があります。大河ドラマ「江」の人物設定と対称的やし、面白かったです。

>岐阜でも、江戸時代に誰が統治していたかなど全く関心が無くて、なんといっても斎藤道三、織田信長ですから。

教えてほしいんやけど、大阪人の尊敬する筆頭はなんといっても太閤さんや。でも、出身地の名古屋ではどうなんかなあ。やはり人気高いの?

またまた小説なんやけど、斎藤道三に関しては、宮本昌孝の「ふたり道三」(徳間文庫)がおすすめです。最近の歴史学を踏まえて新しい道三像を描います。同じく、海道龍一郎さんの「早雲立志伝」。これはまだ文庫になってないので、文庫化されたら是非。道三も早雲も謎につつまれた武将やね

毛色は変わるけど、今年の映画で話題となった「プリンセス豊臣」の原作、面白いよ^^
万城目学さんの「鴨川ホルモー」「鹿男あおによし」も読んでみて^^

投稿: tera | 2011年10月31日 (月) 06時25分

名古屋の代表的な祭りの「名古屋まつり」では、三英傑が家来や姫を引き連れて練り歩く郷土英傑行列があります。
これを見ると、信長、秀吉、家康の三人の英傑すべてが愛知県出身ということで、名古屋にとっては三人ともに郷土の英雄という感覚ではないでしょうか。
したがって東京=江戸=家康、大阪=秀吉、岐阜=信長、道三、長浜=秀吉、広島=毛利、大分=大友宗麟、福知山=明智光秀、彦根=井伊直政など自分たちの町を開いてくれた武将は地元の英雄ですが、名古屋の場合は三英傑を含む全国の多くの大名の出身地という、チョッと高みからの見方があるのかなぁ、と思っています。
 
最近、読書していないので、tera氏お薦めの本を何冊かアマゾンに注文しましたよ。

投稿: mino | 2011年10月31日 (月) 16時36分

高松(旧名:野原)を開いた生駒親正は、香川では全く人気がありません。まぁ、十河いびりや生駒騒動を思えば無理はないんですが。
それ以前の、細川、十河(三好)、長宗我部、仙石、尾藤に至っては、(領主だったことを)知らない人も多数です。
領主と言えば松平…丸亀なら京極。
戦国時代に小領主が群立してた地域は、そんなもんかもしれません。

投稿: tera2 | 2011年10月31日 (月) 19時09分

tera2氏>確かに香川県の武将って言うと、この武将っていう風に挙げられないですね。
京極氏は結構有名だと思うのですが、丸亀限定ですし、香川氏っていう武将は負け組み武将だから駄目なんでしょうか。
一番最初のゲーム「信長の野望」では讃岐の大名は「そごう」(十河)でしたが、これも負け組み?
阿波池田駅のある三好市は徳島県ですね。
う~む、やはり郷土の英雄ともいうべき武将は香川県には居ないというこですか。

投稿: mino | 2011年10月31日 (月) 19時26分

香川氏も十河氏も、細川の被官で、室町時代通して在郷の領主です。

香川氏は、東讃の安富氏とならんで、西讃の守護代の家柄で、香川郡(こおり)の名が、
今の香川県になっています。
が、高知県民以外の四国では、長宗我部の人気が低い。寺社や村を焼きまくったからですが。
で、その長宗我部に真っ先に下ったのが香川氏…。

十河氏は、二万石程度の小領主で、山田郡と三木郡の一部を所領としていました。
が、これまた真っ先に三好と通じ、三好長慶の弟を養子とします。
この養子の十河一存(かずまさ)はめっぽう戦に強く、讃岐の国をほぼ影響下に治めますが、
なんと言っても下克上の三好(阿波)の手下、在地じゃねぇ、って気がするのでしょうか。
あんまり人気ないです。まぁ、足利義昭殺した三好氏ですし。

この本拠地の十河城は、うちから4キロほど南に行った所です。
パンクな髪型(十河額:実は肌が弱かった)でも有名で、江戸時代初期のバサラ旗本に流行ったとか…。

で、岐阜の話に戻って、十河の領地を奪ったと言われる生駒親正(土田生駒家)は、岩倉の犬山はさんで隣ですね。
信長母の土田(どた)御前の生家とも言われてます。愛妾の吉乃(生駒本家筋)とも親戚。

もともと、大阪、奈良の生駒山から尾張に移ったんで生駒氏だそうです。

投稿: tera2 | 2011年11月 1日 (火) 18時58分

生駒氏が生駒山から>これはあり得る話ですね。静岡県の太平洋岸に相良(さがら)という町がありますが、中世にここの地頭をしていたのが九州の人吉の大名の相良氏で、やはり中世に人吉に移ってきて勢力を扶植して近世大名に上りつめた古い家柄です。

こんな話をしていると切りが無いほどに面白いですね。

讃岐に関しては、初めての話ばかりで面白かったです。
伊予もそうですが、一国を統一できていないと、あとには余所者の大名が入ってくる確率は大きいですね。
生駒氏、Wiki見てみましたら酷い事してるみたいですが、あの時代の武将って、皆、かなり酷い事してますよ。
少し名のある武将は、親子供、家臣、他武将などに結構な事を仕出かしています。
今、岩倉の記事を書くにあたって、信長の尾張統一戦の過程を追っているのですが、弟の信勝(信行とも)の暗殺とかは有名ですが、他にも信長の肉親で不審な死を遂げているものが多いんです。

話変わりますが、「あの武将のその後は」、という話も興味ありませんか。
例えば、地元の話になりますが、信長が滅ぼした斎藤龍興は稲葉山から逃れたあと、信長が上洛を果たして一時岐阜に帰っている間に、三好と一緒に京都を攻めたりしていましたが、その後朝倉に身を寄せていて、信長の朝倉攻めの際に越前境で信長軍と戦い討死・・・・というような話。
表舞台から消えた武将は最後はどうしていたのか、という話は気になって仕方ありません。

最後に、長宗我部は損な役回りを演じていますね・・・滅びてしまったし・・・可哀想。

投稿: mino | 2011年11月 1日 (火) 20時54分

>名古屋の代表的な祭りの「名古屋まつり」では、三英傑が家来や姫を引き連れて練り歩く郷土英傑行列があります。

太閤さんも名古屋で祭られてるんや^^
徳川vs豊臣は、東京vs大阪の構図で見てしまうから、そもそもの出身地名古屋ではどういう扱いかたされてるんかなあ、とね。名古屋では、秀吉もけっこう人気があるの?

当地のお祭りは、やはり信長以後なんかなあ。愛知・岐阜なら、土岐、一色、斯波、吉良なんかはどうなの?
大阪河内では、信長以前の有力勢力、畠山やその被官、遊佐氏、安見氏なんかはまったくでてこないわ^^;

>細川、十河(三好)、長宗我部、仙石、尾藤に至っては、(領主だったことを)知らない人も多数です。

尾藤氏、安富氏は、知らなかったわ。tera2さん、もっと詳しく教えてくれ

十河・安宅氏は三好三兄弟^^。細川京兆家関係は、信長前の近畿政治情勢では、大きな位置をしめてるね。これに出自不明の松永氏を加えれば、当時の政界の主役がそろうわけや。
細川・三好は、大阪・堺に事跡を多く残しており、大内氏=博多衆と経済戦争していたんやろうね。

>高知県民以外の四国では、長宗我部の人気が低い。寺社や村を焼きまくったからですが。

長宗我部の話は、明日書きます。眠たいくなってきたので^^

投稿: tera | 2011年11月 2日 (水) 06時47分

武将のその後、興味深いですね。特に負け組w

足利義昭のその後が、「鞆幕府」を経て秀吉の御伽衆とか。

斉藤竜興のその後については、『センゴク』って漫画に出てたんで少し知っています。

武将のしたひどいこと、といえば、この『センゴク』って漫画、主人公が美濃国出身の仙石秀久なんですが、「佐久郡の一郡逃散」の苛政で知られるこの人、讃岐支配時代も結構ひどい。

(引用)「香西家の姫君を香川郡安原の平賀の山奥に隠したというので、山主安原甚太夫ら百余人を、聖通寺山城下で釜ゆでの極刑に処した。生き残った平賀の住人の女子供らは香西に逃げてきた。香西寺横の平賀神社は、安原山の人たちが祭ったものである。」(徳永真一郎・十河信善『讃岐歴史散歩』創元社1976)

まぁ、男衾三郎絵詞(鎌倉期)、なんかだと、門前を行く通行人を捕らえて騎射の練習をしてたりと、中世武士全般にちょっとアレです。
この辺り、朝日選書の『中世の光景』「絵巻から見る」の章に詳しい。

安富氏は、室町初期に細川頼之に従って播磨から移って以来の東讃の守護代ですが、位置的なものもあってか割と早くに三好と通じ、結果長宗我部に滅ぼされます。拠点はJR讃岐津田駅付近の雨滝城。応仁の乱の細川四天王、安富、香川(JR多度津駅)、香西(JR香西駅)、奈良(JR宇多津駅)は、皆讃岐の領主。

尾藤は羽柴四天王の尾藤知宣です。
仙石秀久の後、半年ほど、讃岐国を支配しますが、同じく島津攻めで失敗(諸説)。小田原戦後赦しを請うも刑死します。これの末路も酷い。
この頃から秀吉の妄想性人格障害の発症が疑われます。

投稿: tera2 | 2011年11月 2日 (水) 18時22分

tera氏>吉良氏は忠臣蔵の影響で吉良町限定で英雄です。地元にとっては良い領主として敬われています。
土岐氏の地元ですが、普通に知られていないです。斯波、一色氏は多分、誰?っていう反応。
名古屋駅の西口は太閤通口。南に太閤通りという大通りがあります。
名古屋駅の裏(西)は中村区で、秀吉の生まれは中村、その中村公園には豊国神社、秀吉の像などがあります。
一方、信長は清須市ですが、名古屋城内に那古屋城跡の碑があります。名古屋市内の信長に関する事跡は、余り無いかも知れません。
家康も岡崎市が中心です。したがって、名古屋市内では、市民の意識とは別に、秀吉の事跡だけは、はっきりとした形で残っています。

tera2氏>仙石氏も尾藤氏も他武将からの評判は悪いですね。
戦場では他武将の秀吉の代理としての軍監(目付)の仕事が多かったからでしょうが。後の石田三成や小西などと同じですね。
中世から戦国の武将の酷さについては、斎藤道三も後世にかなり悪逆非道の武将として描かれていて、岐阜人としても応援の仕様が無く、もっぱら信長押しでした。
ところが、NHKの大河ドラマで「国取り物語」が放映されて、一挙に手の平返しで英雄となり、現在では春に「道三祭り」秋に「信長祭り」と、道三も晴れて市民権を得ることができました。

投稿: mino | 2011年11月 3日 (木) 03時05分

やはり土岐氏斯波氏等は忘れられているんやね。でも、太閤さんの事跡は多いんや。名古屋といえば、信長一色かなと思ってました。

尾藤知宣が、讃岐と関係してたとは。『センゴク』の主人公が仙石秀久というのもびっくりです。以前コメントした古田織部が、NHK-BS放映のアニメ「へうげもの」の主人公であることも含めて、信長以後はディープなファンが多いなあ^^

>高知県民以外の四国では、長宗我部の人気が低い。寺社や村を焼きまくったからですが。

伊予は、気候温暖で台風被害が少なく、人の気質が穏やかな国であるが、度々侵入してくる長宗我部が怖かったという話を、司馬遼太郎さんの小説で読んだ記憶があります(宇和島藩の話であったような)。東郷隆「雑兵足軽たちの戦い」(講談社文庫)の一領具足の説明の箇所でも、資料を引きつつ、長宗我部以前の一条氏の頃から、土佐人の怖さ^^を紹介してます。
長宗我部氏に関しては、17代当主長宗我部友親さんの「長宗我部」(バジリコ)が去年出版されて、ちょっと話題になってました。アマゾンを見ると古本がかなり安くなってるので、どうや^^

「あの武将のその後は」は面白そうやね^^

有名どころでは荒木村重。信長に叛旗をひるがえし一族殺戮されてもめげず、「道糞」と名乗り秀吉のお伽衆に。その子供であるといわれている浮世絵師・岩佐又兵衛も含めて、興味津々です

投稿: tera | 2011年11月 3日 (木) 06時29分

秀吉に関する事跡が多いのは、出生地の中村区が特に力を入れているから、という側面もあります。信長は清洲というイメージが強いですから。

荒木村重は知りませんでした。
同じように、秀吉が召抱えた武将では六角義治がいますね。信長上洛戦で観音寺城を脱出した息子のほうです。
家康が三河統一戦でいったんは滅ぼした吉良氏を召抱えているのも面白いですよね。

投稿: mino | 2011年11月 3日 (木) 22時00分

追記:土佐の武士では、山内家が扱いに難渋したのは有名ですね。

投稿: mino | 2011年11月 3日 (木) 22時03分

家康は、今川直系子孫も吉良氏と同じく高家として遇したんやなかったかな。うちの近くの狭山藩も後北条直系やし、明治まで残ってるわ。
けっこう律儀な人やったかもしれんね、家康は。
意地悪な見方をすると、その土地に根を下ろしている名族をそれなりに処遇することは治世上必要だった、出自コンプレックスから、徳川を飾る衣装として名族を求めた、かもしれんけどね^^

投稿: tera | 2011年11月 4日 (金) 03時10分

今川は氏真自身が家康に面倒を見てもらっているようで、仰る通り直系の子孫が高家になっていますね。。
大阪狭山は家庭教師で昔行ってましたが、北条氏が大名として残っていたのには、ヘーっと思いました。
他にも赤松氏とかも拾われていたと思います。
出自コンプレックスから、・・・・>これは私も同意です。秀吉も同じですが、俗っぽい言い方をすれば、名族を保護することで、権力者としてのの手ごたえを味わっていたのでしょうね。

投稿: mino | 2011年11月 4日 (金) 22時11分

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