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2011年11月 8日 (火)

一宮市から岩倉市へ(愛知県)(2) - 岩倉城跡と織田信安墓所

 

  昨日の記事でこの旅行の話は終わったことになっていますが、岩倉市(愛知県)の散策の様子を最後に上げておきます。

 

  一宮市の浅野公園から再びバスに乗り、岩倉駅(名鉄犬山線 岩倉市)へ向かいました。

岩倉には織田信長と対立した織田伊勢守家の岩倉城跡と織田信安の墓所があります。

 

  尾張守護代家の職にあった織田家は、応仁の乱で東西に別れ、東軍の守護代大和守敏定、西軍の伊勢守敏広は激しく争うも、1479年に和議が成立して、それぞれ大和守は清洲、伊勢守は岩倉を拠点として分立し、そのまま尾張上四郡を岩倉城に拠る伊勢守系が尾張下四郡を清洲城に拠る大和守系が支配することになります。

その清洲の大和守家には三奉行があり、そのうちの弾正忠家は尾張西部の港町で門前町でもある商業都市の津島を手に入れ、その財力と武勇で頭角を表わし、織田家で秀でた地位を占めるようになります。

これが、信長の祖父の信定と父の信秀の頃です。

1551年に信秀が死去して跡を信長が継ぎますが、離反が相次ぎ、ここに信長の尾張統一戦が始まります。

詳しくはここでは述べませんが、主として三つの大きな敵、ひとつは清洲の織田大和守系と岩倉の織田伊勢守系、そして信長の一族の特に弟の信勝(信行)が信長の敵として立ちふさがりました。

ここでは、清洲と弟の信勝(信行)の話は割愛して、前二者を倒したあとには、岩倉の尾張上四郡の守護代の伊勢守系織田信安が信長の敵として残ります。

しかし、信安は自分の跡目を次男の信家に譲ろうとして、逆に長男の信賢に岩倉城から追放されてしまい、信長の敵は信賢となります。

1558年の浮野の戦いで信長は信賢を破り、翌1559年には信長は岩倉城を囲み落城させ、ここに織田伊勢守家は滅んでしまいます。

 

  後に、この岩倉の領地を巡って桶狭間の戦い(1560年)のあとの1562年に信長とは従兄弟の犬山城主の織田信清が反旗を翻し、犬山城が信長によって落城したのは1564年でした。

尾張一国内が信長にとって盤石になったのは、この時ではないでしょうか。

なお、岩倉城主であって長男の信賢に追放された信安は後に信長に許され、美濃白銀に所領を与えられ、晩年には総見寺(現在も安土城跡にある)の住職となったそうです。

                                     (以上Wikiほかを参照)

 

  戦国武将の浅野長政の宅跡の浅野公園を訪れて、再びバスでほぼ東の岩倉市へ。

  一宮駅方面を振り返って。

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  名鉄犬山線の岩倉駅前に着きました。

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  駅舎は無く、地下通路に下りると改札があります。

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  岩倉駅西口の駅前。

  バスは先ほど浅野公園から乗ってきたバスです。

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  地下の岩倉駅改札口。

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  改札の前を通り過ぎて、反対の東口。

  岩倉市の東に位置する小牧方面にバスが出ています。

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  犬山線に沿って南に少し歩いて南から岩倉駅を。

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  東口の駅前通りをまっすぐ東に歩いていくとある神明生田神社。

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  南側に回りこんで南に拝殿があります。戦前の神社の格付けは村社。

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  そして、本殿の脇に山内一豊公生誕地の碑。

  実は以前の記事で紹介した旧木曽川町(現一宮市木曽川)の黒田城跡にも生誕地の碑がありました。

  一豊の父の盛豊は岩倉の伊勢守家の家臣でしたから、こちらという解釈もあるのでしょう。

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  素朴な感じの神明生田神社の本殿。

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  神社の東を南北に流れる五条川。

  この五条川は下流で清洲城の脇を流れます。

  岩倉での桜の名所です。

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  五条川を南に歩いて行くと東西に延びる県道の大通りに出ます。

  この県道を犬山線のある西の方に行くと県道沿いの南側に岩倉城跡の碑があります。

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  碑の横にある岩倉城復元想像図。

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  大通りを挟んで城跡の碑とは反対側にある休憩所。

  トイレと水のみ場、ベンチがあります。

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  県道の北側、右側を歩いていたら、横手の道にこんなのが。

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  県道は犬山線を陸橋でまたいでいます。

  フェンスの網の目の間から、新鵜沼行き特急「ミュースカイ」。

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  同じく陸橋から。

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  県道の陸橋を渡らずに手前を南に行くと、織田信安夫妻の墓所のある誓願寺。

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  誓願寺の本堂。左手の木の陰に墓所が見えます。

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  織田信安夫妻の墓所。

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  岩倉駅に戻り、犬山方面へ。

  電車は名古屋方面へのパノラマスーパ。

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  撮影 2011/10/26

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コメント

織田氏のルーツに関する記事を先日毎日新聞でみました。毎日の記事が見つからないので、とりあえずは、これを

http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/event_calture/31315.html

投稿: tera | 2011年11月12日 (土) 05時46分

こういう論争が存在するのですね。
一般的には平姓という話みたいだったのですが。越前藤原姓説もあるようですね。
平姓は信長の自称だったというのは、これも説なのかな?
織田(おた)と読むのですね。

投稿: mino | 2011年11月12日 (土) 13時54分

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