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2011年11月13日 (日)

高山市(岐阜県高山市)を観光 晩秋編(4) - 飛騨護国神社から川上別邸史跡公園

 

  城山(高山城跡)の本丸屋形跡から照蓮寺へ下りて、二の丸公園のお店で食事をして後、北側に下り、高山城跡の三の丸跡にある飛騨護国神社を訪れました。

そして、今度は東にある東山の寺町の寺院群に向かいました。

 

  下の案内図では上が東、左が北です。

Dsc01635

 

  上の案内図を拡大したもの。今日の記事に関係のある地域を拡大しました。

Dsc01635_5

 

  飛騨護国神社の社殿。けっこう素朴でいい味を醸し出しています。

Dsc01614

 

  北側が正面です。

Dsc01617

 

  護国神社は高山城の三の丸跡にあります。

  その三の丸の三方を囲むようにお堀があったそうですが、東側半分が残っています。

Dsc01620

 

  そのお堀跡ですが、いろいろ手が加わっているようです。

Dsc01622

 

  護国神社から東の江名子川沿いにある川上別邸史跡公園へ。

  川上家は高山の町年寄を勤めた家。その別邸があったところです。

  江戸後期の蔵が保存されています。

Dsc01624

 

  公園にはミニ庭園があります。

Dsc01625

 

  江名子川の河段から公園内にある蔵。

Dsc01629

 

  東山寺院群へ小路を少し上がります。

Dsc01633

  撮影 2011/11/08

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コメント

飛騨といえば、高校生の頃、泉鏡花の高野聖を読んで、富山から高山線に乗って旅行したことがあります。
戦国では姉小路・三木氏なんやろうけど、姉小路氏って、小説で見かけたことがないわ。光栄の信長の野望では、けっこう強そうな大名だった印象があるんやけど^^

投稿: tera | 2011年11月14日 (月) 04時46分

姉小路頼綱ってもともと三木氏で、父親の頼良のときに姉小路を「簒奪」して、姉小路を名乗ったようですよ。そして、頼綱の時には織田信長の傘下に入って、柴田勝家や佐々成政らと呼応して越中に兵を出しています。しかし、信長が倒れた後、柴田側に付くことによって秀吉とは敵対関係になり、その結果、秀吉の命を受けた金森長近の討伐を受けて滅びます。金森長近はこの功で秀吉から飛騨一国を与えられています。
姉小路頼綱のときはやはり最盛期で、飛騨の頭領的位置にあったようです。ちょうど、尾張の織田信秀のような位置でしょうね。姉小路の一族は多くは滅びましたが、子のうち一人は幕臣に、一人は尾張藩に仕官して、この尾張藩に仕官した家からは、郡上八幡藩の遠藤家に養子に入り大名となって、明治まで続いています(Wiki等参照)。
姉小路頼綱の居城であった松倉城は高山駅から南西の方向にあり、飛騨民俗村(飛騨の里)の近くで遊歩道などが整備されているようです。

投稿: mino | 2011年11月14日 (月) 18時07分

いかにも公家の出自のような姉小路氏が、戦国大名であったということ。ずっと、不思議に思ってたんや。古代律令制の亡霊が中世末期にも生き残ってるんやなと。対抗馬は、伊勢北畠氏かな。
姉小路・三木氏については、

http://www.seiryu.ne.jp/~ago-hida/kyoudosi/mituki.html

が詳しいです。

投稿: tera | 2011年11月15日 (火) 05時33分

リンク先、大変解かり易かったです。恥ずかしながら三木→「みつき」、ずーっと知らなかった。「みき」と読んでた。
やはり、頼綱は飛騨では抜きん出てましたよね。
飛騨萩原にある城が松倉城へ移る以前の根拠地であった事も知らなかったです。
伊勢国司家の北畠も、面白そう。婚姻を通じて長野氏や木造氏など、関係が複雑そうです。
信長は木造具政が寝返ったのを機に伊勢を侵攻したと、「信長公記」にありますが、子の具康が岐阜とは少し因縁があります。

投稿: mino | 2011年11月15日 (火) 12時27分

姉小路、北畠とならぶと、戦国三国司の残り、土佐一条家も欲しいところです。
…四国ネタばかりですが。
金森家、結構理不尽に改易されたようですが、飛騨の石高って、3~4万石なんですね。
鉱業、林業で生産性高くて、国持大名。で石高低く、賦役は軽い。
江戸期大名としては美味しすぎたのかもしれません。

投稿: tera2 | 2011年11月15日 (火) 18時29分

tera2>昨日はどうも有り難うございました。讃岐富士をバックにした琴電の撮影ポイントが、偶然にもあのパンフレットで判明しました^^。

そうですよね、一条を忘れちゃあいけません。
かなり昔に土佐中村へ行ったことありますが、今思えば、お城(模擬城)しか行かなくって勿体無いことしました。多分、たくさんの史跡があったのでしょうに。

飛騨はお米は取れませんが、当時では資源の豊富な地域で、幕府はそれ目当てに金森家を改易したんでしょうね。

投稿: mino | 2011年11月15日 (火) 19時14分

三木氏と四国を結ぶのは、三木元首相。淡路島から徳島にかけては三木姓が多いらしいのけど、飛騨の三木氏とつながってるのかなあ。
中世~戦国期の伊勢・伊賀の在地勢力の消長については、まとまった本があり昔読んだんやけど、その内容は書名も含めて忘却^^;
探してみます。
徳川さんは農本主義が好きだったわけやけど、交易や資源で栄えた地域をこっそりと直轄地にしようと策動してるね^^
なかでも薩摩、対馬、松前藩と幕府との対抗関係、面白いです。建前は米で本音は他にあるという構図は、昨今のTPP騒動にもつながるね。
このあたりは、80年代末から90年代にかけての東アジアとの交流史(それと関連する内国海運史)が進展したこと。
さらに大きなベースでは、数量経済史と人口歴史学の登場と思うわ。
速水融さんを中心に岩波が出した「日本経済史」は、この分野の嚆矢です。

投稿: tera | 2011年11月16日 (水) 06時48分

tera>なるほど。経済学から歴史を見るのは、面白いですよね。

三木氏と言えば、飛騨三木氏、阿波三木氏と並んで播磨三木氏もいますよ。現在も三木市はありますが。

飛騨三木氏も出自がよく判らないみたいで、姉小路の被官の被官で歴史に登場しています。

つい先だって、米原市(旧柏原)の京極家墓所のある徳源院に行って来ましたが、中世からの家柄は、姉小路、北畠、一条等悉く滅びてしまいましたが、京極氏(佐々木氏)だけは例外的に生き延びましたね。
大名家の殆んどは、実は出自がどうも怪しいという家柄ばかりですからね。

投稿: mino | 2011年11月16日 (水) 23時05分

播磨も三木姓が多いらしんやけど、三木といえば赤松・別所やね。戦国大名の別所氏と三木氏はつながりがあるのかなあ。よく知らんのや^^;
前に教えてもらった、有馬記念の有馬氏も赤松の一党やね^^

佐々木源氏の京極さんは、大河ドラマお江でいっぱい出てきたね。生きのびた武家でいうなら島津や佐竹も古い。
国司→戦国大名の系列は、姉小路、北畠、一条やろうね。貴種流離譚の代表なんで、興味あります。
名前的には、土佐・一条のお隣の伊予西園寺氏。でも、国司ではなさそうやし、西園寺家との関係もようわからんのや^^;

投稿: tera | 2011年11月17日 (木) 06時16分

三木といえば赤松・別所やね>そうですね。三木城は別所だったと思います。秀吉の三木城攻めは有名ですね。でも、その過程で三木氏の名前は見られるんですよね。ちょっと、何の資料なのかは忘れましたが。
国司→戦国大名>この国司のいる国での、国司と守護の関係はどうなているのか、この辺りが勉強不足でよくわかりません。

投稿: mino | 2011年11月18日 (金) 04時48分

うんうん、国司ってようわからんね。伊勢北畠氏は南朝が任命したらしいけど、天皇家はどの時代まで国司の任官をやってたんやろうね。北畠、姉小路、一条は、いかにも公家ぽいので国司かと^^
武家の守護や守護代(あるいはその被官等)が戦国大名化する中で、国司の戦国大名化はめずらしいと思います。他にいたら教えてね。
伊予の西園寺も、名前からみて国司出身かと思ってたんやけど違うみたいや。tera2さん、西園寺氏はどういう出自なの?

投稿: tera | 2011年11月19日 (土) 06時07分

香川県以外は極端に情報が減るんで、うぃきぺレベルしか知らないんですが、この宇和地方、もともと有名人としては、藤原純友の本拠地ですね。沖合いの日振島。

うぃきをまとめると、鎌倉時代に同じ藤原北家系の西園寺家の家祖西園寺公経がこの辺りを横領。承久の乱辺りの頃です。
鎌倉幕府との交渉を行う関東申次に就いて、やりたい放題だったような。
5代ほど後、建武の新政の頃、後醍醐天皇の暗殺を企てた西園寺公宗が処刑され、庶流の西園寺公良が伊予、宇和郡に入って大名化したようです。本家は断絶しかけたけど、北朝についた公宗の息子が再興、戦前の元老西園寺公望に至ります。

伊予西園寺氏は、最後の当主西園寺公広が、長宗我部に降伏、四国平定後入国したこれまた羽柴四天王の戸田勝隆に謀殺されて断絶します(1587年)。
まぁ、250年ほど在地で大名やってたというのは、公家出としては結構頑張った方かとも…。

投稿: tera2 | 2011年11月19日 (土) 23時39分

tera2>やはり公家出だったんですね。
西園寺公望の名前が出てきたのにはチョッとビックリです。考えて見れば有りうる話ですが。

四国では長宗我部氏以外は、すべて群雄割拠状態で他国から侵入されましたが、地元出(四国出)の大名(江戸時代)はいましたっけ?

投稿: mino | 2011年11月20日 (日) 01時14分

>地元出(四国出)の大名(江戸時代)はいましたっけ?

豊後森藩の久留島。来島村上海賊衆は、向背定かでないといわれつつつも織豊徳川政権期にうまくたちまり、結局、海から離された山々の中で明治まで存続。う~ん、いろんな意味で考えさせられるわ^^;

投稿: tera | 2011年11月20日 (日) 06時18分

あ~っ、久留島は言われてみれば四国ですよね。
豊後森とは、なんと山の中。水軍衆は九鬼といい、山の中に行っちゃいましたね^^。

投稿: mino | 2011年11月21日 (月) 07時02分

四国は、内陸海運で栄えた土地柄にしては、四国出身で江戸時代の大名として残った家は知らんなあ。なんでやろうね、不思議や。
海賊衆で残ったのは、徳川御船手四人衆の向井と小浜(伊勢志摩)、千賀(お江で出てきた佐治氏・尾張知多出自)、間宮(伊豆)らしいけど、瀬戸内関係は見あたらん。唯一、塩飽衆が四国代表で江戸の終わりまで名を残すのかなあ。

投稿: tera | 2011年11月24日 (木) 06時20分

遅れて御免。
間宮って林蔵の系統?
小浜家は、確か九鬼に敗れて、北条に仕えていませんでしたか?
向井もあのあたりですね。千賀家は知らない。

四国出身の大名がいないのは、三好一党以外は中央とは接触が無くて、有力な家系でも一国をも統一が出来ず、秀吉、家康に仕え損なったところがあるのでは。
河野家は立ち居振る舞いが良かったらチャンスが有ったかも知れない。唯一条件を満たしていた長宗我部は選択を間違えなければ、近世大名として残れたかも知れないですね。

投稿: mino | 2011年11月25日 (金) 05時54分

知多半島といえば、織田・松平と因縁の深い水野氏と思ってたんやけど、「お江」を見て佐治氏を調べてみると千賀氏を発見。
知多半島を旅する機会があれば、佐治氏・千賀氏のことを教えてください^^

>唯一条件を満たしていた長宗我部は選択を間違えなければ、近世大名として残れたかも知れないですね。

うんうん、長宗我部氏は織田家と交流があり、小牧長久手戦などでも徳川の味方してたのに、あっさり滅びてしまうなあ。家康は、同じ辺境^^大名の島津を残したのに、なんで長宗我部はあかんのやろね。

>間宮って林蔵の系統?

間宮氏は、後北条の被官らしいよ。
一方、間宮林蔵は、司馬さんの「菜の花の沖」や北方健三、吉村昭の小説では、出自は農民らしいです。

林蔵や高田屋嘉兵衛と同時代の近藤重蔵。「菜の花の沖」では、いい人みたいに描かれているけど、とんでもない人だったみたいやで^^;
佐藤雅美 の「ヨフトホヘル」(槍持ち佐五平の首、文春文庫)で知りました

投稿: tera | 2011年11月26日 (土) 06時25分

ごめん。遅くなって。土日と旅行してたので。

知多半島といえば、織田・松平と因縁の深い水野氏と思ってたんやけど>水野氏は知多半島の根元の城に根拠を築いたのに始まる(Wiki参照)と言いますが、水野氏は刈谷の武将というイメージが強いですね。織田と松平と今川が勢力をせめぎ合う地域で大変だったと思います。

知多半島というと、伝通院(家康の母)が再嫁した阿久比の久松氏ぐらいしか知りません。
何かの機会があれば調べておきます。

長宗我部ですけど、幕府は都合の悪い、特に豊臣恩顧の武将は出来るだけ改易、減封の処置をとってますね。豊臣政権下で大大名になった家は悉くやられていますが、反抗されて困るという家、例えば島津、毛利などには若干及び腰ですが、長宗我部はちょっと変なケースではありますね。

近藤重蔵。「菜の花の沖」では、いい人みたいに描かれているけど>そうなの?読んでないから解らないんですけど、作者の解釈が入りますからね^^。

投稿: mino | 2011年11月28日 (月) 09時16分

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