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2011年12月11日 (日)

鹿児島市と人吉市(熊本県)を観光(11) - 人吉市内を歩く(3)(人吉城跡(2))

 

  人吉藩主家の相良(さがら)氏は現在の静岡県牧之原市、旧相良町(さがらちょう)の相良荘に住していたことから相良氏を名乗りました。

伊豆で挙兵した源頼朝に協力せず、鎌倉幕府が成立すると、相良頼景は肥後国多良木荘に追放され、ここに後に肥後国南部に勢力を張る肥後国の相良氏が成立します。

頼景の長男の長頼は武功で人吉荘を得て、ここに多良木の上相良、人吉の下相良が並立することになりますが、室町時代の1448年に下相良の相良長続が上相良を滅ぼし、球磨、八代、葦北の三郡の統一に成功します。

戦国時代に入っては相良義滋が戦国大名化して子の相良晴広の時代に最盛期を迎えます。

しかし、晴広の子の義陽(よしひ/よしはる)の時代に南から島津義久の侵攻を受け降伏。

義陽はその後、甲斐宗運と戦い戦死するも、義陽の次男の頼房が家臣の力も得て秀吉から人吉2万石を安堵、その後の関ヶ原の戦いでも、西軍に属して戦うも本戦後に東軍に寝返り、家康からも所領を安堵され、ここに人吉藩2万2千石が成立して、維新まで領地替えも無く存続しました。(Wiki参照改変)

 

  下の図はいつもの「余湖君のお城のページ」からの引用です。

Hitoyosityo_2

 

  相良護国神社のある御館跡から上に登ります。

Dsc02535

Dsc02538

Dsc02537

 

  登りきると三の丸の石垣下です。

Dsc02540

 

  手前の石垣が三の丸で、もう一段高い位置にある石垣が二の丸です。Dsc02541

Dsc02543

Dsc02546

 

  ここの石段から上ります。

  奥にも石段がありますが、帰りはそちらから下りて、そのまま上の図の御下門まで一気に下り切りました。

Dsc02549

 

  二の丸から三の丸を見下ろして。

  芝生と排水溝のみの広場と化しています。

Dsc02550

 

  二の丸から本丸への石段。

Dsc02552

 

  本丸への石段から二の丸を見下ろして。

Dsc02553

 

  本丸。

  実質上使われることは無く、護摩堂があったそうで、天守はありませんでした。

Dsc02554

 

  帰りは御下門の方に下りました。

Dsc02564

 

  左の石垣が二の丸で、二の丸に上った時の石段が見えています。

Dsc02566

 

  石垣の向こう側に三の丸が見えます。

Dsc02567

 

  一気に御下門跡まで下りてきました。

Dsc02572

  撮影 2011/11/27

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