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2012年2月 7日 (火)

阿久比町(愛知県)の坂部城跡を訪ねる(2) - 洞雲院(とううんいん 久松家と於大の方(徳川家康の生母)の菩提寺)

 

  太田川駅で少し時間を費やしすぎて、予定より遅くに坂部駅に降り立ちました。

阿久比町(あぐいちょう)は知多半島のほぼ真ん中に位置し、戦国時代には久松氏が坂部城を居城としていました。

ちなみに、北東には水野氏の最初の居城の緒川城、さらにもう少し北東に刈谷城がありました。

阿久比の南東には現在の常滑市の大野城を居城とする佐治氏があり、水野氏と戦い、久松氏も佐治氏と戦うも後には和睦をしたとあります。

また、水野氏は松平家とは頻繁に通婚をしており、刈谷に移った水野忠政の時、娘の於大の方が松平広忠に嫁いで男子を産みます。

これが後の徳川家康です。

しかし、水野忠政の死後、跡を継いだ水野信元は織田信秀と同盟を結び、今川支配下の松平家とは敵方となり、於大の方は離縁され刈谷に戻ります。

そして、その3年後には信元の意向で於大の方は阿久比の久松俊勝と再婚して3男3女(4女とも)をもうけます。

この3人の家康の異父兄弟が(久松)松平を名乗り、後には3人のうちの末弟の定勝系からは伊予松山藩、今治藩、桑名藩の大名を輩出して明治に至っています。

  また、伊予松山藩からは旗本ととして一家が分家していますが、その子孫が元NHKのアナウンサーである松平定知氏です。

 

  坂部駅で下車。電車は知多半田から河和(こうわ)方面へ。

Dsc03393

 

  南を向いて、左に阿久比川、右に踏み切りを渡ってすぐに県道55号線があります。

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  県道を南に行こうとするすぐ右手に洞雲院(とううんいん)への門柱が。

  私はこれを奥に入りましたが、集落の中に入ってしまい、事前に地図を頭の中に入れていなければ迷うところでした。

Dsc03401

 

  県道をもう少し南に歩くと案内板があり、ここからですと車でも徒歩でもわかり易いです。

  写真は北を向いているので、駅は向こう右のほうです。

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  すぐに道路は二つに別れ、右が洞雲院、左が町立図書館との案内表示があります。

  坂部城跡は図書館とその横の城山公園。

  図書館だけではなく城跡の名前も記しておいて欲しいですね。

Dsc03449

 

  お寺の門は建設中で、左横から入りました。

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Dsc03405

 

  本堂も新しい装いです。

  お寺には於大の方の遺髪(分納されたもの)などが伝えられています。

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  境内の左手の墓地を上に登ります。

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  右奥が葬地。

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  こうして見ると、於大の方の夫の俊勝は坂部城の三代目の城主ということになりますね。

  後に俊勝と於大の方との間の3人の異父兄弟は家康に従い、

  阿久比は俊勝の前妻との間の庶長子の信俊に与えられ、

  織田家の家臣として佐久間信盛の下に入るも、信盛に讒言されて非業の死を遂げ、坂部城も攻められて落城をしています。

Dsc03414

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  撮影 2012/02/05

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