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2012年4月

2012年4月23日 (月)

丸岡城の桜 - 福井県坂井市 

 

 

  丸岡城のある坂井市は福井県北部の春江町、三国町、坂井町、丸岡町が2006年に合併して形成された新設の市です。

市域は東西に長く、日本海に面した東尋坊や三国湊の古い町などの観光地なども擁しています。

丸岡城はそのうち旧丸岡町にあり、福井駅前から本丸岡へバスが多く出ています。今回は、親戚との車による旅行で、鉄道は全く出てくることはありません。

岐阜の自宅を朝早くの4時半に出発して、名神と北陸道を利用して丸岡城に着いたのは7時頃ではなかったでしょうか。

お城の拝観開始時間が8時半でしたので、それまでお城の周囲を散策しました。

 

  杉津PAで休憩。敦賀湾を望んで。

  左手奥が敦賀港方面。

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  一筆啓上茶屋。

  近くにお店も無いので、城内にあるこのお休み処が頼りとなります。

  丸岡藩の成立は福井藩の松平忠直を補佐していた本多成重(ほんだなりしげ)が、忠直の流罪で独立し、取り立てられて立藩したのが始まりです。

  本多成重の父は徳川家康の古くからの家臣であった本多重次(しげつぐ)。

  長篠の戦いの際に陣中から妻に宛てた手紙の「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」が日本一短い手紙として有名に成りました。

  お仙は丸岡藩初代藩主の成重のことで、成重は幼名を仙千代と言いました。

  なお、手紙の原文は「一筆申す 火の用心 お仙痩さすな 馬肥やせ かしく」だったっそうです。

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  丸岡城は別名霞ヶ城ともいい、現存天守閣12の内のひとつです。

  現存する12の天守閣は、北から弘前城(青森県弘前市)、松本城(長野県松本市)、犬山城(愛知県犬山市)、彦根城(滋賀県彦根市)、姫路城(兵庫県姫路市)、松江城(島根県松江市)、備中松山城(岡山県高梁市)、丸亀城(香川県丸亀市)、高知城(高知県高知市)、松山城(愛媛県松山市)、宇和島城(愛媛県宇和島市)、そして丸岡城(福井県坂井市)です。

  丸岡城を築城したのは柴田勝家の甥の柴田勝豊。

  戦前の1934年に天守が国宝に指定されるも1948年の福井地震で倒壊し、のちに元通りに組み直し、現在丸岡城天守閣は重要文化財に指定されています。

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  天守閣のある本丸。

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  お城の周囲を散策してみました。

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  西にある南北の道路沿いにあった浄覚寺。

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  家老屋敷庭園跡とあります。

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  その南の円光寺には切支丹灯篭があります。

  先ほど、本多氏が最初の丸岡藩の藩主であったことは述べましたが、本多氏は4代目で家臣間に内紛がおこり、これを収められず、幕府により改易となってしまいます。

  この後には1695年に越後糸魚川から有馬氏(肥前有馬氏)が5万石で入ります。

  有馬氏と言えば戦国時代にはキリシタン大名として有名でした。

  その後、藩主家の交代は無く、有馬氏8代で明治を迎えます。

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  その南にあるタブの木。神木とされてます。

  この小さな川は外堀の跡ということです。

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  さらに、その南ある国神神社。

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  境内には震災復興記念の碑。震災とは福井地震のことです。

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  お城の西側から天守に戻ります。

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  西側の入口にはこんな碑がありました。

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  天守閣内を拝観します。

  大人300円です(小中生は150円)。

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  屋根瓦が石で出来ているのは有名です。

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  鬼瓦も石で出来ています。

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  これで丸岡城を後にしました。

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  撮影 2012/04/15

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2012年4月19日 (木)

根来寺の桜 - 桜旅行(8) 和歌山県岩出市

 

  四国高松からジャンボフェリーの深夜便で神戸港に朝早くに到着。いつもは歩いて三ノ宮駅まで行くのですが、たまたま、まだ連絡バスが待機していたので乗り込みました。

高松での連絡バスは無料ですが神戸では200円が必要です。

三ノ宮駅からは普通電車に乗って大阪へ。

12時に京都で所用があるので、それまでに根来寺へ行こうと大阪駅からは関空快速と併結運転の紀州路快速に乗り込みました。

日根野駅で関空快速は関空へ、紀州路快速はそのまま南下。

和泉砂川駅で下車しました。

南海本線樽井駅始発 和泉砂川駅経由でJR和歌山線の岩出駅終着のバスがあり、その途中、根来寺の入口にあたる岩出図書館バス停で下車をします。

この路線のバスは根来寺バス停にまで入ってくれるバスもありますが、距離的に言っても岩出図書館バス停でも充分です。

なお、根来寺バス停と根来バス停は大きく離れていて、別場所と思ってよいです。

砂川駅から岩出図書館等は運賃450円です。

南海樽井駅からは500円。

 

  JR阪和線の和泉砂川駅。

  紀州路快速の225系は和歌山に向かいます。

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  天王寺行き直通快速。

  朝に運行される快速で、天王寺から環状線に入り一周して再び天王寺で終着。

  久し振りに阪和線に乗りましたが運行形態が完全に変わってしまっているようです。

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  砂川駅前バス停にて。

  岩出駅行きバスがやって来ました。一般バスより小振りのバスで運行されています。

  根来寺バス停に行くバスは岩出図書館バス停へは行きません。反対に岩出図書館バス停に止まるバスは根来寺バス停には行きません。

  この辺りのバスについては根来寺のHPからリンク(岩出市のHP)がありますし、直接岩出市のHPでも見ることができます。

岩出市のバスのご利用案内

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  岩出図書館の横、根来寺入口。

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  右手に根来川、左に大門池の堤沿いに東に歩いて行くと左手に大きな大門。

  江戸時代末期の建築で県指定文化財。

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  こんな道が続きます。右が根来寺。

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  境内への入口。

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  奥に進みます。

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  光明真言殿(御影堂)。

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  その右に出て拝観料のいる区域にある国宝の大塔。

  入口の門の格子越しに写しました。9時から拝観可能なんですがこの時8時半頃。

  拝観料は500円です。

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  先ほどの岩出図書館バス停から9時過ぎのバスに乗らなければならないので、引き返しました。

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  それでも横に回ったりして。

  左先に奥の院があります。

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  大門池。屋根が見えるのは大門。

  池の西端に図書館があります。

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  昔の根来寺の参道だと思うんですが、この町並みを抜けると根来バス停(根来寺バス停ではない)があります。

  以前はこの根来バス停で降りて、この町並みを抜けてきました。

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  再び和泉砂川駅に帰り、実質的に今回の桜旅行は終わりです。

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  撮影 2012/04/08

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2012年4月17日 (火)

松山市 城山公園堀之内にて - 桜旅行(7) 愛媛県松山市

 

  伊予大洲駅から松山駅までは、伊予大洲発14時45分松山着15時20分の特急「宇和海16号」を利用しました。

そして、駅前通りを真っ直ぐ歩いて西堀端から城山公園の旧三の丸の堀之内に入り、高松方面への電車の時刻まで、ベンチでぼんやりと過ごしました。

土曜日の午後は陽気もちょうど良く、ベンチに寝転がったり、写真を撮ったりして1時間以上ブラブラしました。

松山へは去年の春の同じような時期に訪れているので、松山市内の観光地はすべて省略。

途中、市電や伊予鉄道の電車を撮ったりしながら、少し早めに松山駅に戻ったので、予定より1本早い今治行きの電車に乗り込みました。

今治で後続の、最初の予定だった電車を待って、伊予西条、坂出と乗り継ぎ高松には23時40分に到着。

神戸へのジャンボフェリーの深夜便であくる日は関西に。

 

  向こう側が伊予大洲から乗ってきた特急「宇和海16号」2000系気動車、折り返し宇和島行き特急「宇和海19号」となります。

  手前は松山発15時28分の岡山行き特急「しおかぜ24号」+高松行き特急「いしづち24号」8000系電車。

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  松山駅。

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  駅前通りの大手町電停付近。

  伊予鉄の高浜線が平面交差をしています。

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  もうすぐ西堀端電停。

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  お堀端を北に。

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  橋を渡って堀之内に入ります。

  松山城の天守群が望めます。

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  石垣の上が二の丸で二の丸史跡庭園があります。

  私がいる堀之内が三の丸です。

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  三の丸(堀之内)の西側と南側には立派な土塁が残っています。

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  城山公園図。

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  伊予鉄道高浜線大手町駅。

  上下線にそろった旧京王電鉄3000系。伊予鉄でも3000系としています。

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  松山駅に戻ってきました。もう17時半過ぎ。

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  17時56分発の今治行き電車に乗車。

  左の電車。

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  今治への途中の夕日。この日最後の写真です。

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  撮影 2012/04/07

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2012年4月16日 (月)

伊予大洲城と桜(2) - 桜旅行(6) 愛媛県大洲市

 

  加藤家13代で明治を迎えた大洲藩の藩庁であった大洲城は、維新後も20年に亘って地元民によって維持されてきましたが、天守だけは老朽化等によってやむなく取り壊されました。

しかし、それから100年以上の時を経て、2004年に天守が復元され、天守の喪失によって離れ離れになっていた高欄櫓と台所櫓が昔どおりに天守と連結されました。

 

  手前は高欄櫓。

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  上から見下ろした苧綿櫓(おわたやぐら)。

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  肱川(ひじかわ)橋と富士山。

  富士山も桜の名所となっています。

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  台所櫓から天守に入りました。

  観覧料は500円(中学生以下200円)。臥龍山荘との共通観覧料は800円(小人300円)です。

  入ると正面にお城と城下町の図。

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  高欄櫓の内部。

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  高欄櫓から台所櫓。

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  天守から高欄櫓。

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  天守から台所櫓。

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  天守から本丸の広場と肱川橋、富士山。

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  天守内。

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  左から高欄櫓、天守、台所櫓。

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  高欄櫓と西の方の風景。

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  北側の川沿いの方に下りて天守を見上げたところ。

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  肱川を見下ろす北側には遊歩道や花見の場所が確保されています。

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  予讃線の橋梁のある西の方。

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  桜の木はまだ若くて細い感じがします。

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  堤防上にある苧綿櫓(おわたやぐら)

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  東側の石垣。

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  苧綿櫓(おわたやぐら)のある堤防上に下りてお城を後にしました。

  そして肱川橋の南詰めすぐ南の商店街から肱川橋へ。

  大洲旧市内にやってきたときには、まず向こう側の本町二商店街を東へ向かい、おおず赤煉瓦館を訪れました。

  帰りは反対側から。

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  肱川橋の上から大洲城。

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  同じく肱川橋から。

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  午前中と同じように北側の対岸から。

  もう、この時間は逆光となっています。

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  伊予大洲駅に戻ってきました。

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  伊予大洲駅の跨線橋から。

  松山までは特急「宇和海」を利用しました。

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  撮影 2012/04/07

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2012年4月15日 (日)

伊予大洲城と桜(1) - 桜旅行(5) 愛媛県大洲市

 

  近世の大洲城は1595年に入城した藤堂高虎、続いて入城して大洲藩5万3千石を立藩した脇坂安治によって整えられました。

脇坂家は2代で信濃飯田に転封して、昨日の記事で述べた加藤貞泰が伯耆米子から6万石で入封して、明治まで13代、加藤家が大洲藩を治めました。

大洲城の天守閣は2004年に木造で復元されされましたが、天守と連結している台所櫓と高欄櫓は現存遺構で、同じく現存遺構として残っている苧綿櫓(おわたやぐら)、大洲高校の前にある三の丸南櫓とともに重文に指定されています。

 

  写真は前後します。

  駅から歩いて来て、まず肱川(ひじかわ)の対岸から大洲城を望みました。

  10時ぐらいまでは天候が不安定で、最後には雨模様になったりと散々でした。

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  肱川(ひじかわ)対岸より苧綿櫓(おわたやぐら)。

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  大洲の東の「おはなはん通り」や大洲赤煉瓦館、大洲神社などを散策してから西に向かい、大洲高校の方に歩いて、南から三の丸南櫓と天守群を望んだところ。

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  左の石垣の上が大洲高校。ここから北に向かってお城へ。

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  大洲城への入口に来ました。

  登り口は他にもあります。

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  天守閣の下まで登ってきました。手前は高欄櫓です。

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  西の方。

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  やはり手前は高欄櫓。

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  肱川(ひじかわ)に架かる予讃線橋梁。

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  東の方には富士山。

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  手前が台所櫓。

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  撮影 2012/04/07

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2012年4月13日 (金)

大洲市内を散策・観光(2) - 桜旅行(4) 愛媛県大洲市

 

  今回、大洲市内を散策して、行くことができなかった場所が3ヶ所あります。

ひとつは臥龍山荘、もう一つは不注意で通り過ぎてしまったポコペン横丁、そして道を間違えて行けなかったのが中江藤樹の遺徳を偲ぶために1939年に建設された至徳堂です。

至徳堂に関しては、それらしき道が大洲高校の中に入っていくので、これは違うのではないかと思い、それで行き着くことができず、あきらめて大洲城へと向かってしまいました。

しかし、帰ってから調べてみるとやはり高校内に有ったというのは間違いでは無かったみたいで、惜しいことをしました。

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  大洲の旧市街の規模が分かる図だと思い上げました。

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  「おはなはん通り」を南に行くと大洲神社があります。

  大正3年に現在の大洲神社と改称。

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  1331年宇都宮豊房が大洲城築城の際に総鎮守として下野国二荒山神社より勧請したのが始まりとされています。

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  望遠で大洲城が望めます。

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  新しく造営された拝殿。

  モダンながら新しい伝統の始まりの雰囲気のある社殿です。

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  階段を下りて、その道をそのまま西に行くと大洲まちの駅「あさもや」があります。

  ここで、しばし休憩。アツアツのコロッケとかを食しました。

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  もうひとつ西に行くと左手に大洲市役所があります。

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  さらに西に歩いて行くと大洲小学校。

  南に道を取り、さらに西へ行くと大洲高校です。

  前のグランドにせり出すように三の丸南隅櫓があり、隣接して藩主家の旧加藤家住宅主屋のあるお殿様公園があります。

  左手が大洲高校。

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  大洲高校の前からは天守が望めます。

  望遠なのでもう少し小さく見えるのですが。

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  三の丸南隅櫓。

  現存遺構で、大洲城では一番古い遺構だそうです。

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  お殿様公園からの三の丸南隅櫓。

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  藩主家の旧加藤家住宅主屋。

  大洲の加藤家は以前紹介した美濃黒野城の黒野藩藩主家でした。

  黒野城主加藤貞泰は関が原の戦いでは西軍からうまく東軍に参加して、関が原の本戦、その後、近江水口岡山城攻めで功をあげて黒野4万石から米子6万石へ。

  後に大坂の陣の功で伊予大洲藩6万石の初代藩主となり、明治まで加藤家が大洲を治めました。

  加藤嘉明系、加藤清正系統とは別系統の光泰系加藤家です。

  光泰は貞泰の父で豊臣政権下で甲斐24万石の大大名となっています。

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  いよいよ大洲城へ向かいます。

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  撮影 2012/04/07

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2012年4月12日 (木)

笠松みなと公園と奈良津堤の桜(岐阜県笠松町 2012年) - 満開の桜時、やや桜吹雪

 

  岐阜県笠松町の奈良津堤(ならづづつみ)と木曽川河川敷の笠松みなと公園の桜が満開と聞いて行ってきました。

すでに桜吹雪が始まっており、明日からは雨がちの天気という予報なので、今日(4月12日)が最後のチャンスと思われました。

 

  笠松駅から左の地下通路をくぐり、笠松競馬場という方へ抜けます。

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  ここからは奈良津堤の桜です。

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  堤の道路は南に向かい、踏切を渡って堤の道路が西側になります。

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  屋台が出ているのは道路の反対側に競馬場の駐車場があり、堤の段差で花見をすることができるからです。

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  遠くに岐阜城がポツンと見えます。

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  ここで木曽川に突き当たり、道路は右(西)に折れます。

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  河川敷が公園になっており、桜が川沿いに連なっています。駐車場もあります。

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  笠松には江戸時代には代官所があり(1662年)、のち(1732年)美濃、伊勢の天領を管轄する美濃郡代となり、明治まで続きます。

  笠松湊(かさまつみなと)は木曽川の水運の重要な川湊でした。

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  向こうに見える橋は木曽川橋。道路橋です。

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  松尾芭蕉の「のざらし紀行」に笠松の米野で詠んだ句があるそうで、「草も木も 離れ切たる ひばりかな」。

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  奈良津堤(ならづづつみ)に戻って来ました。

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  撮影 2012/04/12

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大洲市内を散策・観光(1) - 桜旅行(3) 愛媛県大洲市

 

  大洲市は、伊予でも南予といわれる愛媛県の南部にある人口4万6千人余の古い城下町です。

合併によって市域は肱川(ひじかわ)の河口付近の長浜までを含みますが、城下町の旧市街は、お城も含めてコンパクトにまとまっていて、歩いて散策するには適度な広さです。

関東や、そして関西ですら少し遠い場所ですが、訪れて全く後悔しない町です。

松山からは特急を使えば、ほぼ35分の近さです。

松山からは内子、大洲、卯之町、宇和島と歴史のある、そしてたいそう趣のある町が並んでいます。

この地域の全てを1日では回りきれませんが、私は何回にも分けて訪れています。

私にとっても好きな地域のひとつです。

 

  松山を7時ごろの普通列車で出発して、伊予灘を眺めながら走る伊予長浜経由で伊予大洲に到着したのは9時前でした。

  伊予大洲駅。

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  駅前の道路には「少彦名(すくなびこな/すくなひこな)神社」の大きな鳥居があります。

  そちらへ行くと旧市街へは少し遠くなるので、右への斜めの道を行きます。

  どちらにしても右(南)方へ行けば肱川(ひじかわ)に遮られますから、肱川橋を渡って旧市街に入ります。

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  肱川橋。

  向こうが旧市街地。

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  肱川(ひじかわ)をすぐには渡らず、堤防沿いを下流に向かって歩いて、伊予大洲城を対岸から。

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  こちらの位置は午後になると逆光になるので注意が必要です。

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  肱川(ひじかわ)を渡る気動車。

  八幡浜発松山行き普通。右方向の伊予大洲駅に向かっています。

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  松山発宇和島行き特急「宇和海7号」 2000系特急気動車3両編成。

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  10時前になって一天にわかにかき曇り、あっという間にこの状態になりました。

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  雨がパラつく中、肱川橋を渡りました。

  橋の上から上流の富士山を眺めながら。

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  渡り終えてすぐに左右に商店街の通りがあります。

  右側への本町1商店街を行くとお城の方。

  こちら左にある本町二商店街を行くと赤レンガ館や「おはなはん通り」。

  お城は後にしました。もう、西の方から晴れ間が覗いて来ています。

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  老舗の和菓子屋さん。

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  やがておおず赤煉瓦館へ。

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  旧大洲商業銀行本店本館の建物でした。

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  2階の様子。

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  赤煉瓦館のすぐ北の方には肱川の河岸。

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  赤煉瓦館から南に歩いて行きます。

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  「おはなはん通り」。

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  同じく「おはなはん通り」。

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  撮影 2012/04/07

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2012年4月10日 (火)

予讃線松山駅から伊予大洲駅(伊予長浜経由) - 桜旅行(2)

 

 

  朝6時前に目が覚めて、これ幸いにとシャワーを浴びて、6時半にはホテルをチェックアウトして松山駅へ。

乗れないと思っていた松山発6時58分の八幡浜行きに乗車できました。

 

  今回の最大の旅行目的は伊予大洲での桜。

最初の旅程では松山を発つのは10時18分の伊予大洲行きでしたが、この列車は内子線経由で、少し物足りなさがありました。

9時台の宇和島行きは伊予長浜経由ですが、松山での滞在が中途半端。

したがって、6時58分発の八幡浜行きが理想的でしたが、なにぶん朝が早くて自信を持つことができず、半ば諦めていましたが、思いもかけず6時前に目が覚めたのです。

これで、伊予大洲に全力投球、帰りの松山での行動は時間次第と決まりました。

6時58分発の八幡浜行きは、伊予長浜経由の海岸線を行く列車で、伊予大洲には8時50分着、ほぼ2時間の鉄道旅でした。

 

  土曜日の朝の松山駅構内。

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  3番線に待機中の八幡浜行き普通ワンマン列車 キハ32 単行。

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  いきなり北伊予駅での列車交換。

  対向車両は八幡浜発松山行き普通 キハ54。

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  次は伊予市駅での列車交換。

  伊予市駅までが予讃線の電化区間です。

  対向列車は後ろ2両がキハ47でした。

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  伊予市駅のすぐ西には伊予鉄郡中線の終着駅である郡中港駅があります。

  競合しているのですね。

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  伊予上灘駅にて。

  8分停車。駅構内からは見えませんが、もう海沿いです。

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  8分もあるので車外に出てみました。

  停車時間は運転手さんが「何分停車です」とその都度アナウンスしてくれます。

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  上下線のホームがずれています。

  やって来た対向車両はあのキハ185系の普通でした。

  伊予大洲発松山行き。私もこの車両は2度ほど利用させてもらっています。

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  こちらは8分停車、向こうは1分停車でした。

  こういうのは、嬉しい不公平。

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  伊予灘を望みながら列車は海岸沿いを走ります。

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  そして有名な伊予灘を目の前に見ることができる下灘駅。

  しかし、途中下車したり、列車を写している時間はありません。

  原則として本格的な鉄道写真は鉄道に乗っていては写せません。

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  ここも降りて写真を撮りたい喜多灘駅。

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  伊予長浜駅に到着。

  肱川(ひじかわ)の河口に位置します。

  ここからは肱川の右岸を上流に遡って伊予大洲駅に至ります。

  ここ長浜はすでに大洲市で長浜大橋と川霧で有名です。

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  伊予長浜駅では14分停車。

  車外に出てホームを歩き回りましたが、駅舎の外に出るべきでした。

  ちょっと迂闊でしたね。

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  対向車両が来ました。

  帰ってから調べたら、対向車両はこの伊予長浜駅で17分も停車します。

  対向列車も無いので時間調整でしょうか?

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  松山行き列車を残して伊予長浜駅を出発。

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  肱川(ひじかわ)を右に眺めながら上流の伊予大洲駅方面に向かいます。

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  伊予大洲駅に到着。8時50分着。

  列車はさらに南の八幡浜まで。

  右の対向車両は宇和島発松山行き普通 キハ54。

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  伊予大洲駅。

  お城のある旧市街へは少々歩かなければなりません。

  バスもありますが、確実な方法は徒歩かタクシーです。

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  撮影 2012/04/07

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2012年4月 9日 (月)

岡山 後楽園と岡山城 - 桜旅行(1) 1時間の駆け足で 


  4月6、7、8日(2012年)の三日間で愛媛県の伊予大洲を目的地として桜旅行をしてきました。

6日の金曜日の朝の一番電車で岐阜駅を出発して、大垣、米原、姫路、相生と乗り継ぎ(当然快速と普通のみ)岡山へは11時半ごろに到着。

しかし、岡山では下車せず、先に出発する備中高梁行きの伯備線の電車に乗り換え(相生からの電車は岡山での停車時間が長い)、次の次の駅である庭瀬駅に降り立ちました。

庭瀬では庭瀬城址、撫川(なつかわ)城址を40分から45分でサッと回るつもりでした。

しかし、行って見ると、庭瀬藩のあった辺り一帯のお城跡、お寺、神社、常夜灯、道標などが案内図で紹介され、きちっと整備されていたので、ついつい興味を持ってみっちり歩くことになってしまいました。

四国へ出発するまで、岡山では4時間の観光時間を割り振ってあったのに、庭瀬で2時間以上使ってしまったので、岡山駅に帰ってきて、1時間余で後楽園、岡山城を回らざるを得なくなりました。

当然のことながら無理な話で、一応市内電車で城下(しろした)電停まで行き、旭川を後楽園側へ橋を渡り、後楽園を30分ぐらいで早歩きして、再び電車で駅に帰ってきました。

庭瀬については、桜とは関係なくいつでも紹介できるので、桜旅行の初回は岡山城と後楽園からとしました。

 

  岡山駅前。

  割りに勘違いをするのが岡山駅の駅前通り。

  岡山駅前の電車通りは真東に向かって伸びています。駅が意外にも南北斜めなんですね。

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  城下(しろした)電停に到着。運転手さんは女性の方でした。

  県庁前までは1コインの100円で乗れます。

  市内電車、いいなぁ!

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  旭川沿いに出ると岡山城が見えてきます。

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  橋(月見橋というらしい)を南のお城側から後楽園のある北側に渡ります。

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  月見橋からの岡山城。

  城へ行く時間的余裕はありませんでした。

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  旭川沿いに後楽園の裏口へ行き、係の人に「桜はどうですか」と聞いたら「5分咲きです」との答え。

  「5分咲きかぁ」と心の中でお城と天秤に架けていると、その係の人が「朝に5分咲きでしたから昼間暖かかったので7分咲きぐらいになってるかもしれません」と。

  うまいことを言う人だと思い、この一言で後楽園に入園してしまいました。

  400円でした。

  その他岡山城との共通券、岡山城、林原美術館との三箇所の共通券などもあります。

  またまた林原美術館へは行けませんでした。

  岡山はまだいっぱい行くとこあるんですが。

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  やっぱり、これは5分咲きですよね。

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  せわしかったですが、良かったです。

  再び市内電車で岡山駅に戻り、この後、岡山駅から瀬戸大橋線に乗り四国の坂出(さかいで)に向かいました。

  坂出ではJR四国内だけで利用できる切符「四国再発見早トクきっぷ」を購入しました。

  この切符は土曜休日のみ有効で、ルールは「青春18きっぷ」と同じですが(ただしJR四国バスが一部を除き可、土佐くろしお鉄道会社線(窪川~若井間)の普通が可)、販売は当日売りがなくて前日までの購入で使用日を指定して購入しなければなりません。

  今回は18切符が2枚しか残っておらず、あくる7日(土曜日)用に購入しました。

  2000円です。

  坂出からは遠路、松山までゆっくりと普通電車に揺られて行きました。

  そして、松山で宿泊。

 

  以下2枚、城下電停にて。

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  撮影 2012/04/06

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2012年4月 5日 (木)

名鉄笠松駅付近と(咲き始めの)「奈良津堤の桜」 - 岐阜県笠松町

 

  笠松駅は名鉄名古屋本線の特急停車駅で竹鼻線が分岐しています。

南はすぐに木曽川で、向こうは愛知県。

隣りには笠松競馬場があります。

ここに「奈良津堤の桜」として有名な堤があり、堤自体は道路となっており普段は危険ですが、競馬場の駐車場から堤への坂などで桜を観賞をすることができます。

この日は(4月5日)曇りがちで、桜もまだ咲き始めで、少し残念な結果となりました。

 

  駅を出て左の線路下の地下道をくぐり南へ行きます。

  上が道路になっている「奈良津堤です。

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  岐阜方面からの空港特急「ミュースカイ」2000系。

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  私がよく言う「見たくない編成」の特急。

  前から3100系2両と2200系の岐阜行き。

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  6500系の後ろ。

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  奈良津堤は道路となっています。

  桜がまだ残念状態。

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  屋台は設置されていますが、全屋台が閉店しています。

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  奈良津堤は途中で踏み切りを経て線路の西に。

  下に駐車場、線路向こうに笠松競馬場を見ながら遠くに岐阜城のシルエットが見えます。

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  笠松駅を出て、やって来る名古屋方面への特急「パノラマスーパー」。

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  木曽川の橋梁。

  渡り切るとすぐに木曽川堤(きそがわづつみ)駅があります。

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  木曽川の堤防から広角で。

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  2000系「ミュースカイ」。

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  3300系4両編成 岐阜行き普通。

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  笠松駅駅前。右に見えるのが地下通路。

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  撮影 2012/04/05

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2012年4月 3日 (火)

手力雄神社(てぢからおじんじゃ)付近からの岐阜城 - 岐阜県各務原市

 

 

  織田信長が稲葉山城攻めで戦勝祈願をした各務原市の手力雄神社。

現在では神社から少し西に歩かないと岐阜城を見ることができません。

神社の少し西を東海北陸道の高架が南北に通っているので、それを嫌って、少し小高いところを求めてしばらくの間付近を歩き回りました。

すると、手力雄神社の西に村神(上)神社という神社があり、そこが少し小高いので上がってみましたが、残念ながら木立で遮られて岐阜城を望むことができずに撤退。

結局、県道沿いを西に開けた場所まで歩いて行き、少しばかりの写真を撮り、帰りは手力雄神社前バス停のひとつ西のバス停からバスに乗って岐阜市内に帰りました。

 

  手力雄神社正面。左が西。

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  手力雄神社から県道を西に下ります。

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  手前の高架道路は東海北陸道。

  望遠なので、実際にはお城はずーっと小さく見えます。

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  南の方向には国営木曽三川公園の展望タワー「ツインアーチ138」が見えます。

  戦国時代以前にはもう少し西に木曽川での渡河点があって、東からの軍は必ずここを渡らなければならなかったそうです。

  織田信秀、信長父子もたびたび試みていますが、一帯が湿地帯であったため、大兵を動かすことができず、後には鵜沼、前渡の川並衆を調略して舟で渡河することになっていきます。

この渡河点の美濃側は昨日述べた岐阜市の手力雄神社の社地で、侵攻を受けるたびに焼き討ちにあっています。(wikiより)

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  旧村社の村上(神)神社。

  手力雄神社のすぐ西にあります。

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  うっそうとした鎮守の杜の中にあります。

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  傷みの激しい社殿ですが、横からの階段が取り付けてあって、ある程度は管理されているようです。

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  参拝は南側から。

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  境川という川で、岐阜市の南部から笠松を経て、西の長良川に合流します。

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  バス停ですが、これは岐阜方向へとは反対側。

  東の東海北陸道から手力雄神社のほうを振り返っています。

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  撮影 2012/02/28

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2012年4月 2日 (月)

手力雄神社(てぢからおじんじゃ 二つの同名の神社) - 岐阜市と各務原市

 

  以前に「手力の火祭り」として有名な岐阜市の手力雄神社(てぢからおじんじゃ)を紹介しましたが、この日(2012年2月28日)訪れたのは、もうひとつの各務原市の手力雄神社です。

読み方はまったく同じです。

 

  各務原市の手力雄神社は岐阜市の手力雄神社から北東に1.5Km~2Kmぐらいのところに鎮座しています。

各務原市の手力雄神社は1567年の稲葉山城攻めの際に織田信長が当社で戦勝祈願をした神社として知られており、戦後(稲葉山城攻め後)、勝利を得たことから広大な社領を寄進されています。

 

  車での行き方は、私には分かりませんが、県道152号線に面していて、名鉄各務原線新那加駅、JR高山線那加駅から北西に1.5Km~2.0Kmの距離にあります。また、名鉄各務原線新加納駅から北に1Kmです。

私は名鉄新那加駅から30分以上かけて手力雄神社まで歩きました。

多分最短距離の道筋を歩いていなかったので、もう少し早く行けるかも知れません。

バスでは、JR岐阜駅前、名鉄岐阜駅から手力雄神社前バス停まで行く路線がありますが(行き先は各務西町営業所行き)、一日3往復しかなく、しかも土曜休日は運休です。

   岐阜バス 路線バスへのリンク  (左上の欄から「時刻表【PDF形式】」→「岐阜市尾崎団地、諏訪山、各務原、川島方面」のうち「岐阜各務原線」から時刻表がPDFで見れます)

2011年03月27日改正で、JR岐阜発が10時54分、13時54分、16時54分、手力雄神社前バス停発岐阜方面行きが10時17分、13時17分、16時17分となっています。

この日、帰りはJR岐阜行きの16時17分のバスで岐阜市内に帰りました。

 

  手力雄神社前バス停、岐阜方面。

  向こうに見えるのが手力雄神社(てぢからおじんじゃ)。

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  県道越しに南から。

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  旧社格は郷社でした。

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  社殿。落ち着いた雰囲気をかもし出しています。

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  社殿の東には稲荷神社がありました。

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  織田信長顕彰碑
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  県道の西の方、岐阜方面。

  ここから西に歩いて岐阜城が見える場所に移動しました。

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  【参考】 岐阜市の手力雄神社。

           「手力の火祭り」で有名な神社です。岐阜市の風物詩となっています。                                           

                                                                                            撮影 2010/10/06

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  同じく岐阜市の手力雄神社。旧社格は郷社でした。

  名鉄各務原線手力駅から南に歩いて5分の距離です。

                                                                                             撮影 2010/10/06

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  (最後の2枚を除いて) 撮影 2012/02/28

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