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2012年4月23日 (月)

丸岡城の桜 - 福井県坂井市 

 

 

  丸岡城のある坂井市は福井県北部の春江町、三国町、坂井町、丸岡町が2006年に合併して形成された新設の市です。

市域は東西に長く、日本海に面した東尋坊や三国湊の古い町などの観光地なども擁しています。

丸岡城はそのうち旧丸岡町にあり、福井駅前から本丸岡へバスが多く出ています。今回は、親戚との車による旅行で、鉄道は全く出てくることはありません。

岐阜の自宅を朝早くの4時半に出発して、名神と北陸道を利用して丸岡城に着いたのは7時頃ではなかったでしょうか。

お城の拝観開始時間が8時半でしたので、それまでお城の周囲を散策しました。

 

  杉津PAで休憩。敦賀湾を望んで。

  左手奥が敦賀港方面。

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  一筆啓上茶屋。

  近くにお店も無いので、城内にあるこのお休み処が頼りとなります。

  丸岡藩の成立は福井藩の松平忠直を補佐していた本多成重(ほんだなりしげ)が、忠直の流罪で独立し、取り立てられて立藩したのが始まりです。

  本多成重の父は徳川家康の古くからの家臣であった本多重次(しげつぐ)。

  長篠の戦いの際に陣中から妻に宛てた手紙の「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」が日本一短い手紙として有名に成りました。

  お仙は丸岡藩初代藩主の成重のことで、成重は幼名を仙千代と言いました。

  なお、手紙の原文は「一筆申す 火の用心 お仙痩さすな 馬肥やせ かしく」だったっそうです。

Dsc05373

 

  丸岡城は別名霞ヶ城ともいい、現存天守閣12の内のひとつです。

  現存する12の天守閣は、北から弘前城(青森県弘前市)、松本城(長野県松本市)、犬山城(愛知県犬山市)、彦根城(滋賀県彦根市)、姫路城(兵庫県姫路市)、松江城(島根県松江市)、備中松山城(岡山県高梁市)、丸亀城(香川県丸亀市)、高知城(高知県高知市)、松山城(愛媛県松山市)、宇和島城(愛媛県宇和島市)、そして丸岡城(福井県坂井市)です。

  丸岡城を築城したのは柴田勝家の甥の柴田勝豊。

  戦前の1934年に天守が国宝に指定されるも1948年の福井地震で倒壊し、のちに元通りに組み直し、現在丸岡城天守閣は重要文化財に指定されています。

Dsc05377

 

  天守閣のある本丸。

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  お城の周囲を散策してみました。

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  西にある南北の道路沿いにあった浄覚寺。

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  家老屋敷庭園跡とあります。

Dsc05429

 

  その南の円光寺には切支丹灯篭があります。

  先ほど、本多氏が最初の丸岡藩の藩主であったことは述べましたが、本多氏は4代目で家臣間に内紛がおこり、これを収められず、幕府により改易となってしまいます。

  この後には1695年に越後糸魚川から有馬氏(肥前有馬氏)が5万石で入ります。

  有馬氏と言えば戦国時代にはキリシタン大名として有名でした。

  その後、藩主家の交代は無く、有馬氏8代で明治を迎えます。

Dsc05430

 

  その南にあるタブの木。神木とされてます。

  この小さな川は外堀の跡ということです。

Dsc05431

Dsc05432

 

  さらに、その南ある国神神社。

Dsc05434

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  境内には震災復興記念の碑。震災とは福井地震のことです。

Dsc05438

 

  お城の西側から天守に戻ります。

Dsc05442

 

  西側の入口にはこんな碑がありました。

Dsc05444_2

 

  天守閣内を拝観します。

  大人300円です(小中生は150円)。

Dsc05445

 

  屋根瓦が石で出来ているのは有名です。

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Dsc05454

 

  鬼瓦も石で出来ています。

Dsc05456

 

  これで丸岡城を後にしました。

Dsc05462

  撮影 2012/04/15

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コメント

丸岡城はいいで、と言ってたのはtera2さんで、彼は、福井のこともとても詳しい^^

>お仙は丸岡藩初代藩主の成重のことで、成重は幼名を仙千代と言いました。

松平忠直のお父さん、結城秀康の「後見人」は、成重のお父さん、本多重次やね。

結城秀康と家康・秀吉との関係、本多重次と秀吉の関係も微妙で面白い。それでも秀康松平家は、
重次本多氏とともに、これまた本多氏と関係が深い有馬家も絡んで、明治まで因縁の福井の地で生き残るんやね^^

>その南の円光寺には切支丹灯篭があります。

さすが有馬やね。やるなあ^^

>現存する12の天守閣は

それで質問なんやけど、なんでこれらのお城は、破却されずに生きのびたの?
それぞれの事情があるんやろうけど、まとめればどういうことやったの?

投稿: tera | 2012年4月24日 (火) 06時42分

まず、お城に関する存廃に関しての「廃城令」または「存城廃城令」という太政官通達が1873年に出されています。
正式の名称は省略して、一般に上のように略称としてつかわれます。

で、お城、陣屋の存廃に関する通達が出されて、まず政府の意向によって存続しても良いお城と、廃城にすべきお城が区分されていることです。
ただ、存続に関しては、文化財的見地からではなく、軍の兵営地として城を整理しておきなさいという意味での存続だったようで、駐屯軍の意向によって建造物すべてが破却されてしまった会津若松城のような例もあります。

名古屋城、岡山城、広島城、福山城、和歌山城等は太平洋戦争の米軍の空襲で焼失していますが、いずれも存続城でした。

現存する天守のうち存続城に属するのは彦根城、姫路城、松江城、丸亀城、松山城、宇和島城です。

廃城令が出ていて残っているのが松本城、丸岡城、高梁城(備中松山城)、犬山城です。
高知城、弘前城については記されていません。

整理しますと、まず「存城廃城令」によって存城と廃城の区分が太政官通達によってなされ、次に存城の扱いの城は、建造物等の破却と存続が当該軍管区の意向によってなされ、福岡城のように破却された城と名古屋城のように残存した城に区分されます。

そして、廃城扱いとなった城の場合は、多くの場合が民間に払い下げられ、破却、売却。

ただ、例外的に民間の保存運動によって残ったのが松本城、高梁城などで、犬山城のように城主家の成瀬氏が所有して保存された場合もあります。

大体の概要はこんな事だと思われます。ほぼ、Wikiを参考にしています。

投稿: mino | 2012年4月24日 (火) 15時36分

ありがとうございます。おおよそのイメージ、できました。
軍やら地元の保存運動などが絡みあって、その城が残った背景はとても複雑で、偶然の要素も強いみたいやね

投稿: tera | 2012年4月28日 (土) 05時34分

GW突入!!
去年は東電のおかげでGWが吹っ飛んだので、今年は喜びもひとしおです。

廃城令のことは初めて知りました。「軍管区の意向」ということは外国に対する考慮が薄かったのでしょうか。ちょっとググった程度ではわかりませんでした。

丸岡城は外国語でも紹介されていて、大体次の四つの特徴が紹介されました。
第一に、天守が現存のものの中で最古だということです。
第二に、「霞ヶ城」の名は危機の際に霞がたれ込めて城を隠すという伝承に由来するという点です。正確には城の中にある井戸から大蛇が現われて霞で城を覆うというもので、戦前の書物でも紹介されていました。大蛇というからには古くからの伝承とも思えるのですが、伝承の由来を説いたサイトがなく、よくわかりませんでした。ちなみにソウルでは危機にマジンガーZが現われて韓国を守護するそうです。
第二に、minoさんが紹介されている石の瓦は珍しいということです。これは豪雪への対応だそうですね。
第三に、天守の最上階には手すり付きの回廊(ベランダ)が付いていて、これも日本の城としては珍しいという点です。不思議と日本のサイトではこの点は紹介されていないようです。
ま、どれも似た内容なのでガイドブックあたりがネタなのかも知れません。

投稿: ddol | 2012年4月28日 (土) 19時31分

ddolさん
>「軍管区の意向」ということは外国に対する考慮が薄かったのでしょうか。

お城のことで、外国に対する考慮がいると思ったのはなんで?もう少し教えて

廃城令のイメージは、古きものは文明開化を害する、ということと、財政的理由やと思ってました。
ただし、廃藩置県との関係から鎮台を置いたので、その関係のお城は微妙なことに。
(熊本城のように、西南戦争でそれなりにやくにたったお城も、その後破却もあり)

不思議に思ったのは、丸岡譲のように天守が残ったお城と、萩城のように天守を壊したお城。
萩城なんかは残すとやばいと考えたのか、あるいは行政官の恣意なのか(恣意やろね^^)

丸岡城の大蛇伝説。九頭竜川由来かと思ったけど、ちょっと遠いか。

投稿: tera | 2012年4月29日 (日) 05時57分

 丸岡城、3回ほど行ったことがあります。天守閣しか残っていないのは残念ですが、古い形式の残った良いお城だと思います。

 天守閣は最古、と言われ、形式的にもまぁ、最古として妥当な丸岡城ですが、実は天守閣の建造年は不詳とされています。
 地元では、柴田勝豊建造の1976年を天守閣の建造年としたりしますが、この年は安土城の築城が開始された年(完成は1979年)で、いくらなんでもそれはない。wikipediaにも乗っていますが、慶長頃の特徴が見られるので、慶長元年(1596年)以降との説もある、とは広島大の三浦正幸さんの説。まぁ、柴田勝家死後と考えるのが妥当な気はします。
 いわゆる掘立柱、望楼型の古い天守の形で説得力は一番なわけですが、弱みは福井地震の際の再建、これゆえ国宝になれません。でわれこそは最古、と謳う対抗馬は犬山城、穴馬は松本城、大穴で姫路城。
 犬山城の場合、同じく望楼型で、2重2階の主屋が1537年、あるいは1601年(これが基準)とされるそうですが、望楼が建ったのが1620年で、これで最古を言うのはちょっと苦しい。っていうか、この時期(大坂陣後)に望楼型って、どうなんだって気がします。好きなんですけどね。形とか。
 松本城は、天守の建造年に諸説あって、一番古い1591年説だと、あるいは最古の天守になるかもしれません。乾小天守がそれだという、あくまで説。大天守は1615年。
 姫路城は1601年で、層塔型、現存最大で国宝で世界遺産。そのうえ、前3つに難癖つけていくとここが最古になっちゃうというおいしさ。

 丸岡城に戻ります。minoさんも書いておられる屋根瓦、鯱の石材は足羽山でとれる笏谷石という凝灰岩です。火山灰の堆積したものなんで、緻密で粘性が高くて柔らかく細工がしやすい。逆に風化しやすい石です。庭の燈篭とか蹲向き。でも墓石や石碑には向きません。焼き物で作ると雪もなんだけど、凍結したとき微細な皹から割れちゃうからとか。

 廃城令についてもちょびっと。
minoさんも述べておられますが、1873年に出されたこの法令、財産の所管がどううつるかがメインで、天守の保存とは一致しない点もあります。例えば存城になった姫路城の天守は売りに出されますし、高松城の天守は破却が決まります(ココ重要w)。徳島城の東二の丸天守も撤去。他にも多くの城で、存城が決まってすぐ様々な建造物が撤去されています。多くは恣意だと思いますが、老朽化とか修理費とかその辺もありそう。
 文化財保護、なんて概念はもっと後のようです。まぁ、旧大阪市役所や東京中央郵便局が取り壊されていくわけですから、今だって似たような…。もちろん、廃城が決まった城のほうがより悲惨。

投稿: tera2 | 2012年4月29日 (日) 23時41分

tera2さん

丸岡城が、(現存する)最古の天守の本命なんや。三国にカニを食べに行ったときに、見とくんやったわ^^;

雪の多い北国のお城の屋根は、一般的に石なの?それとも丸岡城は特殊?

廃城令
>老朽化とか修理費とか

確かになあ。「恣意」という表現はまずかったね。「裁量」に訂正します^^;

主さんは、写真旅行みたいやね。うらやましい^^

投稿: tera | 2012年4月30日 (月) 06時39分

 石製の瓦ですが、現在の城としては丸岡城にしかありません。
 記録としては、柴田勝家の北ノ庄城がそうだったようで、宣教師のルイス・フロイスが天正9年(1581年)に訪問したときの記録に、「城及び他の屋敷の屋根が全てことごとく立派な石で葺かれており、その色により一層城の美観を増した」とあります。(天守、とは言っていません。)出土品から笏谷石とわかっています。また、一乗谷(福井市)では笏谷石製の鬼瓦や鯱が出土しているので、これを参考にしたとも考えられます(諸説)。他に(結城)福井城、敦賀城、東郷槇山城、大聖寺、城金沢城で石瓦の出土事例があるようです。

 寒冷地で瓦屋根が少ないのは現在に至るまで続いていますが、石屋根は他に諏訪の鉄平石(安山岩)なんかが有名なようです。

 また、駿府城天守、江戸城天守、名古屋城天守、(徳川)大坂城天守の銅瓦や金沢城、弘前城の鉛瓦のような金属瓦、高島城天守、米沢城三階櫓、弘前城辰巳櫓などのこけら(柿に大変似た字)葺も用いられます。

 ここからは私見になります。では、どうして丸岡城、北ノ庄城が石屋根だったかというと、笏谷石の存在が大きいと思われます。つまり、瓦型に加工しやすく、かつ軽いという特性です。分布の広さも大切です。笏谷石の比重は約2で、通常の瓦の比重2~2.3に比べても軽め。よって、建築様式を大きく変えないでもそのまま天守閣を作れます。通常の石材の比重は2.5~3位になるので、同じ構造では無理がきます。さらに、通常の石材の硬度は鉄~鋼に近いので、硬度が少し変わるだけで加工の難易度と費用が格段に上がります。

 弱点は当然生産性で、瓦に必要な均質さを確保し多量に生産するのは、相当コストフルだったと思われます。なんで、適当な石が手に入らない他の北国の城では、破損しても換えたほうが結果的に安い、という判断で粘土瓦を用いたり、断熱性悪くて高くても金属瓦をもちいたり、耐火性捨てて見栄えのいいこけら葺にしたのではないかなぁ、と。

投稿: tera2 | 2012年4月30日 (月) 12時47分

tera氏、ddol氏、tera2氏>長い間返事も無く、申し訳ありませんでした。

残念ながら写真旅行では無くて、家庭の事情等諸々でなかなか更新も返事もすることができませんでした。

一段落したので、普段の生活に戻ることができました。

三人のコメント、面白く、そして興味深く読ませて頂きました。
廃城と丸岡城の考察がメインでしたが、皆さんのコメント、どれも興味深いものでした。

ところで、GWは後半に突入しますが、天気予報が芳しくないのが残念です。
それでも、日帰りで出かけてみようと考えていますが、皆さんはどうされるんでしょうか?

投稿: mino | 2012年5月 1日 (火) 03時24分

teraさん、tera2さん、沢山の情報ありがとうございます。早々に返事すべきだったのですが、GWにうかれていて申し訳ありません。

廃城令と外国の話は大きな意味はないんです。軍事施設の処分は中央政府が行うものだと思っていたので、あれっと感じただけです。幕府がいわば大砲で開国させられ、五稜郭のような城郭を建設していたのに、樹立直後の明治政府は外国に対する防備という意図はなかったのかということです。

大蛇の話は再度調べましたがわかりませんでした。丸岡城の近くに九頭竜川の支流竹田川が流れていて、その川霧のイメージ云々という話がありました。九頭竜川にまで及ぶと、継体天皇や九頭竜伝説など話がどんどん広がっていくようですね。

一乗谷(福井市)では笏谷石製の鬼瓦や鯱が出土しているので、これを参考にしたとも考えられます(諸説)。>
なるほど。私も少し調べたのですが、ほとんどが福井だったのでなぜかと思っていた所です。福井城は石垣も笏谷石を使用しているそうですね。
それから城金沢城は調べきれませんでした。ありがとうございます。

ここからは私見になります。>
これもなるほどです。中日新聞に、笏谷石は一般でも広く使用され、乱掘したために採掘坑跡の陥没が危惧されていると出ていました。

今回ググっているとこのページが上位に出て来て驚きました。

皆さんはどうされるんでしょうか?>
GWの初日は天気がよく久しぶりに風も弱かったので、4時間ほどサイクリングがてらに城址巡りをしました。本当は国立市谷保にある三田城跡に行きたくて近くまでは行ったのですが、1年ぶりの遠出で体力が持たず諦めました。以前大阪城の話の時に出た、城の立地の地理的要因が実感できたのが成果でした。
GW後半はまた遊び暮らす予定です。

投稿: ddol | 2012年5月 1日 (火) 21時34分

tera2さん、北国の瓦の話、勉強になりました。ありがとね
こけら葺もありとはね。びっくりや^^;

minoさん、家庭の事情とは知らず、失礼しました。

ddolさん、外国に対する防備ということでは、1860~80の欧米情勢は複雑になりすぎていたし、50年代に日本へ派遣された代表団の無法ぶりを欧米のマスコミがさんざん取り上げていた時期やから、それらのことを日本の実務官僚もある程度わかってたような感じがします。対ロシアは、ちょっと別。
内戦をどう治めるかが、喫緊の課題やったんやろうね。

大蛇の話と継体は、興味しんしんや^^

連休は、テニス三昧です^^

投稿: tera | 2012年5月 3日 (木) 06時48分

テニス三昧も、チョッとした贅沢ですね。

大蛇の話と継体>これには何か面白い話があるのですか?
良かったら聞かせてください。

投稿: mino | 2012年5月 4日 (金) 04時50分

すいません。コメントを見過ごしていました。

継体天皇や九頭竜伝説の話は奥が深そうなので触れるのは止めておこうと思ったのですが、ごく簡単に紹介しておきます。

九頭竜伝説は、九頭の大蛇が村人を苦しめていたところ退治されてしまうという内容です。日本各地に伝わり、箱根や千葉の鹿野山鬼泪山(きなだやま)などが有名です。
鬼泪山の伝承は日本武尊が草薙剣で退治する話(これとは別の日本武尊伝承もある)で、内容が似ていることなどからヤマタノオロチの話とともに大和政権の征服話とも理解されています。
ヤマタノオロチは『古事記』で「高志之八俣遠呂知」と表記され、この「高志」を「越」と解釈して九頭竜との関係を推測し、出雲と越との対立を説く説もあるそうです。
ところがこの九頭竜伝説は九頭竜川付近にはなく、川の名前の由来の伝承が残っているだけだそうです。なぜ伝説がないのかは不明です。

継体ですが、丸岡町で幼少を過ごし、後に男大迹王(おおどのおおきみ)として越前を統治したとされています。みなさん直接いらっしゃったようなのでご存知でしょうが、坂井市には継体関係の神社や遺跡が多く残っています。また、治水工事を行って九頭竜川・足羽川・日野川を造ったり、笏谷石採掘に尽力したという伝説があります。
継体はその後さまざまな経緯を経て天皇となるのですが、その辺になるともう手に負えないので、この位にします。

投稿: ddol | 2012年5月 6日 (日) 20時22分

丸岡城関連で書き残しをいくつか

瓦と鯱
丸岡城の石瓦の枚数は約6000枚で、重さ75トン、1枚あたり、12.5kgと結構重い。
普通の瓦は3kg弱なので、4倍ちょい重いことになります。もっとも、城の瓦は一般のものよりはるかに大きく重く、このため瓦目当てに買われた姫路城天守が結局売り戻された原因になっている位なので、この石瓦が他の城の粘土瓦に比べて重いのかどうかは不明です。

続いて鯱。minoさんの写真でも、鬼瓦は石ですが、実は鯱は木製銅張だったようです。
ところが昭和15年から17年にかけての修理の際に、戦時中で銅が入手困難なため、笏谷石製の鯱に取り替えられました。これが昭和23年の福井地震で倒壊したため、昭和27年から30年にかけての修理で元の木製銅張の鯱に復元され、現在に至っています。
もっとも、前にちょっと書いたように、一乗谷や北ノ庄城で石製の鯱が見つかっているので、古くは石製だった可能性も捨て切れません。なんにせよ重そう。
この石製の鯱は、現在天守閣の入り口の石段脇に展示されています。

伝説
霞の話や竜の話は不明なのですが、人柱の話。

柴田勝豊が築城の際、石垣がうまく築けず、人柱を立てることになった。選ばれたのが二人の子の母で、片目のお静という女。彼女は自分の子を侍に取り立ててもらうことを条件に、天守閣の中柱の下に埋められた。しかし勝豊は移封され約束は果たされなかった。お静の霊はこれを恨み、毎年卯月の藻刈の頃に、堀の水が溢れた。人々は小さな墓を立ててこれを慰めた。

石垣が築けないのに柱の下に埋まる辺りが不思議ですが、まぁ、そういう話も残っているということで。

神楽
日向の延岡の城主だった有馬氏が、転封の際元から保護していた高千穂神楽を丸岡に伝え、藩専属の舞人をおいて領内の神社の祭礼に奉納しました。これが廃藩の後、長畝神社に伝わり、毎年9月第3土、日に奉納されています。
これの人形が元は天守閣にあったのですが、資料館ができたのでそっちに移ってました。一回行ってみたいものです。

おまけにタブ
クスと並んで神社によくある木で、香川の粟島にはタブの巨木があります。表面が硬いので中に大きなウロができてることもあり。
樹皮や葉は粉にして香料を混ぜて線香を作ります(杉も)。樹皮は黄~褐色~赤、黒の染料にもなるらしいです(黄八丈)。

投稿: tera2 | 2012年5月 7日 (月) 23時46分

tera2さん>補足をありがとう御座います。
人柱の碑と石製の鯱、伝説の井戸、何れも写真に撮ってありましたが記事の中では割愛しました。
なかなか、面白いいわれが有ったんですね。
石製の鯱は昔からの物だとばかり思ってました。

みなさん、GWはどうでしたか?
私は「家庭の事情」に忙殺されて、全く動けない状態でした。

投稿: mino | 2012年5月 8日 (火) 07時23分

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