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2012年5月

2012年5月29日 (火)

大垣市(岐阜県大垣市)を散策(1) - 大垣城(改修後初めて訪れる)

 

  戦後に鉄筋コンクリートで復元された大垣城でしたが、天守などの劣化が激しく、塗装などを中心に改修が行われて最近綺麗になったという話を聞いて、訪れてみました。

改修はすでに去年中(平成23年 2011年)には終了していました。

大垣城は1500年頃に築城されたものの、本格的な城郭に整えられるのは1560年に氏家直元が城主となってから。

1600年の関ヶ原の戦いの際には西軍の本拠地となったのは有名で、天守内の展示内容も関ヶ原の戦いとの関連付けによるものが多かったようでした。

大垣藩は1601年に石川康通が5万石で立藩、石川家は5万石で3代、その後(久松)松平家が2万石で2代、岡部家が5万石で2代、(久松)松平家6万石で1代、そして1637年に戸田氏鉄(とだ うじかね)が10万石で入って、明治まで11代、戸田氏が治めました。

 

  大垣駅。

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  駅の西側にある養老鉄道大垣駅。

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  この日は大垣城から芭蕉の「奥の細道結びの地」の船町公園を回りました。

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  駅前通りを南に歩いて行くと案内板が立っています。

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  駅前通りから西にすぐ、東門。

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  同じく東門。

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  東門の北にある艮隅櫓(うしとらすみやぐら)。

  天守、隅櫓いずれも外観復元。

  大垣城は1873年の廃城令により廃城となりますが、天守と一部が破却を免れ、1936年には天守等が国宝に指定されました。

  しかし、1945年(昭和20年)7月29日の大垣空襲で焼失してしまいました。

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  1959年(昭和34年)に鉄筋コンクリートで外観復元された大垣城天守。

  入城料は100円。

  郷土館と共通で150円。

  郷土館、守屋多多志美術館との三館共通で400円。

  休館日はいずれも火曜日です。

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  島原の乱当時の大垣城の縄張り図。

  戸田氏鉄が入城した頃で、氏鉄の大垣への入封は島原の乱での功とも言われています。

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  天守から伊吹山。

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  天守から東門。

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  西側の門から公園に出ました。

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  北側に回り水之手門跡。

  右側に乾隅櫓、奥が天守。

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  乾隅櫓(いぬいすみやぐら)。

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  天守と乾隅櫓。西側の公園から。

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  戸田氏鉄(とだうじかね)の騎馬像。

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  大垣市郷土館へ寄って、水門川に沿った「奥の細道結びの地」へ向かいます。

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  撮影 2012/05/14

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2012年5月24日 (木)

緒川(おがわ)城跡(愛知県東浦町)を訪ねる(4) - 乾坤院(けんこんいん)と水野氏墓地

 

  最後に水野氏とゆかりのある乾坤院(けんこんいん)を訪れました。

ちょっと古い町には必ず古刹、名刹があるのは、地方を探訪する上での楽しみです。

大抵、訪れてみて、おっと思うのが常です。

乾坤院は「室町時代中期の文明7年(1475)に緒川城の守護を目的に初代城主 水野貞守公の寄進によって、川僧慧済が開山した(乾坤院ホームページより)」お寺で、代々水野家の菩提寺でした。

水野家の4代の墓があります。

徒歩では緒川駅から15分から20分。

 

  県道24号線に面した乾坤院。

  於大公園の南入口の西にあります。駐車場があります。

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  総門。

  緒川新城の城門で緒川城の唯一の遺構。

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  向こうに見えるのが山門。

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  山門。

  HPでは創建当時は茅葺であったと書かれています。

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  隣りに鐘楼があります。

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  本堂と左に座禅堂の示玄堂。

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  本堂と示玄堂の間を奥に進むと堅雄堂への階段があります。

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  建立した岡崎藩主だった水野忠善の家系には「天保の改革」を行った水野忠邦(ただくに)がいます。

  忠邦の時には唐津藩から浜松藩の藩主でした。

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  堅雄堂。

  この左手に水野忠政の墓があります。

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  水野忠政の墓。

  水野忠政は徳川家康の実母である於大の方の父親で、本拠を緒川城から刈谷城に移して三河に進出しました。

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  右から水野忠守、忠元、忠善の三代の墓。

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  三代の後ろにあるお墓は右から忠善の娘の実相院、

  水野忠善岡崎城主時代の家老職にあった水野三郎右衛門信英の墓、

  一番手前が忠守の子の水野守信の墓。

  水野守信は松平忠吉に仕え、子孫は代々尾張藩の家臣でした。

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  乾坤院を後にして、於大公園を突っ切るようにして、近道をして役場の裏手にある公園の東入口に戻ります。

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  細い路地を東に下り歩きます。

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  地蔵禅院。

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  地蔵禅院のすぐ東にある和菓子店の大黒屋。

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  地蔵禅院と和菓子店。

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  緒川駅から帰途につきます。

  武豊行きのキハ25普通2両編成。

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  名古屋行き区間快速のキハ25がやって来ました。

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  撮影 2012/05/10

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2012年5月19日 (土)

緒川(おがわ)城跡(愛知県東浦町)を訪ねる(3) - 於大公園と緒川城主3代の墓

 

  土塁の跡が残る緒川城跡の公園から再び高みにある道路を南に歩いて、東浦町役場の裏の丘陵地帯にある於大公園の東入口へ向かいました。

この入口の右手を分け入るように上ると緒川城3代の墓があります。

緒川城主初代水野貞守、二代目の賢正(かたまさ)、三代目の清忠の三代のお墓です。

初代水野貞守が緒川城を築いたのは文明年間(1469~1487年)。

四代目の忠政のとき、刈谷城を築いて(1533年)本拠を移しており、忠政は五代目の緒川城主に息子の信元を置き、自らは刈谷城に居を移しています。

ちなみに六代目は信元の弟の忠守、七代目は信元、忠守の弟の忠分の息子の分長で、この時緒川藩が立藩され(1601年)、その後1606年には三河新城(しんしろ)藩に移封され、緒川藩は廃藩、緒川城も同時に廃城となりました。

 

  於大公園の少し手前の道路から見える東浦町役場。

  この辺りから、役場の裏の敷地に下りることができます。

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  於大公園の東からの入口。

  この公園かなり広いです。

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  真ん中の進入禁止の標識の右に行くと。

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  右側に上がります。

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  さらに一番右手の上がり口(完全には道と呼べない)を上がると、下の写真のようなところに。

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  中央が緒川城を築城した貞守(初代)、左が二代目の賢正、右が三代目の清忠の墓。

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  三代の墓の隣にある四代目の忠政の兄の成政(なりまさ)とその子の成清の墓。

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  少し間違うとパターゴルフのフィールドの方へ行ってしまいます。

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  於大公園。

  巨大な児童公園というような感じ。

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  先ほどの役場の敷地に下ります。途中に神社があります。

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  裏の敷地から表に出て、外に出ます。

  右手に向かう県道24号線を西に歩きました。

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  東浦町役場。

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  於大公園南側の入口。

  この西にある乾坤院(けんこんいん)が最後の目的地。

  結果的には徒歩でなら公園内を横切ったほうが距離が近かったですね。

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  乾坤院の総門が見えます。

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  撮影 2012/05/10

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2012年5月15日 (火)

緒川(おがわ)城跡(愛知県東浦町)を訪ねる(2) - 緒川城跡

 

  越境寺(おっきょうじ)と善導寺を訪れた後、両寺の西側の少し高みの南北の道路を南に歩いて行きます。

4本目(1本は行き止まり)を東(左)に下りると右側に何本かの高い木々が生えた土のかたまりが目に飛び込んできます。

これが緒川城跡の唯一の遺構です。

城跡は一帯が住宅地となっており、この土塁跡だけがわずかに残っているのみです。

城跡関連ではこのあと訪れた乾坤院の総門が緒川新城の城門であったということです。

 

  善導寺の駐車場の横を西の高みに上がります。

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  緒川城の遺構の土塁。

  緒川城は文明年間(1469~1487)に水野貞守により築城。

  忠政のときには境川の対岸に刈谷城(三河)を築いて(1533年)、本拠を移しています(緒川城は息子の信元が居城に)。

  忠政の娘の於大の方(後の伝通院)は徳川家康の実母。

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  回り込んで、南側から。

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  南側は遊具のある児童公園となっており、緒川古城の内側にあたります。

  徳川家康の母、「傳通院於大出生地」の碑が立っています。

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  公園から見上げるように残っている土塁跡。

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  階段を上がるとミニ公園化されていて、ミニ東屋(あずまや)もあり、そこで腰掛けて休憩しました。

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  現在の道路と緒川城の縄張り図。

  現在残る土塁は緒川古城の土塁であることが示されています。

  関ヶ原の戦い後の1601年に、水野忠政の8男水野忠分の子の水野分長が9820石で緒川藩を立藩。

  分長は高藪城に居を置きそれを緒川新城と呼びました。

  1608年には水野分長は1万石で三河新城藩に移封され、ここに緒川藩は廃藩、同時に緒川城も廃城となりました。

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  緒川城の古地図。

  名古屋の徳川美術館に隣接している蓬左文庫に所蔵されているとのこと。

  水野家は家康の母方の実家ということで、大名家4家(他に廃絶1家)と多数の旗本家を輩出しました。

  また、紀州藩の付家老としての新宮城主も水野氏。

  歌舞伎や講談、後世には映画などで取り上げられた町奴の幡随院長兵衛と対立した旗本奴の水野成之は有名。

  旗本水野成之は福山藩の水野勝成系統(水野勝成の孫にあたる)の人です。

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  再び高みの南北の道路に上がって、於大公園内にある緒川城主三代の墓所へ向かいます。

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  撮影 2012/05/10

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2012年5月14日 (月)

今日(2012年5月14日)の岐阜駅 - 大垣への往き帰り

 

  記事を書く時間の都合で、緒川城の話は次回以後にして、今日(2012年5月14日)の岐阜駅。

大垣城と松尾芭蕉の「奥の細道結びの地」の船町辺りを散策しに行って来ましたが、その往復の岐阜駅での写真です。

 

  名古屋発高山行き 特急「ワイドビューひだ9号」 キハ85系。

  右は岐阜発岡崎行き普通 313系。

  いずれも後部から。

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  大垣発豊橋行き快速313系。

  名古屋方面に去っていきます。

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  名古屋発富山行き特急「しらさぎ11号」。

  一番南の6番線から。

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  高山線岐阜発猪谷(いのたに)行き普通。

  前からキハ40+キハ48+キハ40の変則編成。

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  駅舎のガラス越しに駅前通りの金華橋通りと黄金の織田信長像。

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  おまけ。

  名鉄岐阜駅の各務原線(かかみがはらせん)ホームの6番線 犬山行き普通1800系2両編成。

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  撮影 2012/05/14

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2012年5月12日 (土)

緒川(おがわ)城跡(愛知県東浦町)を訪ねる(1) - 緒川を散策(1)

 

  緒川城は徳川家康の実母である於大の方(伝通院)の実家である水野氏の居城であり、於大の方もこの緒川城で生まれています。

のちに水野氏は境川を挟んで対岸の刈谷に城を築き、三河へ勢力を伸ばしていきます。

緒川城は現在の東浦町にあり、知多半島の尾張に属しますが、刈谷は三河に属します。

 

  高架の緒川駅を西口に出てから、高架に沿って北に歩いてすぐに西に向かいます。

国道366号線の信号を渡り、ひたすら住宅地を西に歩いて行くと、やがて木々の茂った階段にたどり着きます。

これが顕本法華宗の越境寺(おっきょうじ)というお寺です。

鐘楼門が印象的なお寺でした。

その南にあるのが善導寺。

こちらは浄土宗のお寺で、やはり鐘楼門がありました。

その後、お寺の西側の道を南に歩いて行き、緒川城跡に向かいました。

 

  大府駅にて。

  2番線に到着の武豊発普通、キハ25形。

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  折り返して武豊行き普通となります。

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  大府から二つ目の駅の緒川駅に到着。

  高架駅です。

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  東口にはバス停とタクシー乗り場があります。

  東に行くと境川が流れていて、その向こうは三河の刈谷市です。

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  緒川城跡や古い町は駅の西側にあり、西口へ。

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  国道を渡ってから西へ真っ直ぐに。

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  東を振り返って、工事現場の簡易トイレが見えます。

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  そして、突き当たりに階段が。

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  階段の先には鐘楼門が。

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  なかなか感じの良い鐘楼門です。

  越境寺(おっきょうじ)です。

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  越境寺本堂。

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  鐘楼門を境内から。

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  境内横の道を西に上がります。

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  レトロな古い町並みを善導寺へ。

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  いきなり善導寺の境内に入ってしまいました。

  越境寺のものよりは少々華奢な善導寺の鐘楼門。

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  本来の入口から下りて出ます。

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  下からではなくて高台の上から入ったので、逆に歩いてしまいました。

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  もう一回上がり加減に歩いて、今度は南に高台の町並みを歩いて緒川城跡へ向かいます。

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  撮影 2012/05/10

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2012年5月11日 (金)

武豊線のキハ25形 - 大府駅と緒川(おがわ)駅

 

  知多半島にある東浦町の緒川(おがわ)城跡と緒川の町を散策したときの武豊線大府駅と緒川駅の主にキハ25形。

 

  大府駅の2番線に武豊発のキハ25形のワンマン列車が到着。

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  折り返しの2番線で待機中の武豊行き。

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  緒川駅に到着。

  武豊方面に去っていくキハ25形。

  緒川駅は高架駅です。

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  緒川駅の東口。バス停、タクシー乗り場があります。

  緒川の古い町は反対側の西側。

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  帰りの緒川駅。

  武豊行きのキハ25形。

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  武豊方面へ。

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  名古屋行き区間快速のキハ25形が到着。

  大府へ向かいます。

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  4分間停車で3番線で待機の名古屋行き区間快速キハ25形。

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  大垣行き特別快速の313系電車。

  特別快速は大府駅通過。

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  手前のキハ25形の出発。

  向こうが1番線の豊橋行き313系電車。

  もう少し塗色のバリエーションが欲しいですね。

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  撮影 2012/05/10

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2012年5月10日 (木)

伊予大洲(愛媛県大洲市)あたり - JR四国予讃線

 

  桜を求めて4月初めに伊予大洲城と大洲の町を散策しましたが、その際の何枚か。

 

  伊予大洲城を洗うように流れるのが肱川(ひじかわ)で、お城の対岸の河川敷から。

  八幡浜発松山行き単行気動車 キハ32 普通。

  右方向へ、もうすぐ伊予大洲駅。

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  同じく肱川(ひじかわ)を左方向へ渡る

  松山発宇和島行き特急「宇和海7号」2000系気動車。

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  大洲城から特急「宇和海13号」松山発宇和島行き2000系。

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  1番線で交換待ちをしている伊予市発八幡浜行き普通 キハ54 単行気動車。

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  伊予大洲駅 跨線橋から上の八幡浜行き気動車。

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  同じく跨線橋から八幡浜、宇和島方面。

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  宇和島発松山行き特急「宇和海16号」2000系の到着。

  この特急で松山まで乗車。

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  撮影 2012/04/07

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2012年5月 8日 (火)

岡山市北区 庭瀬を散策(3) - 板倉家2万石 旧庭瀬藩の町を散策

 

  4月の初めに岡山から愛媛県の伊予大洲に桜を求めて旅行しましたが、岡山に到着してまず訪れた庭瀬(岡山市北区)。

庭瀬藩は戸川家が立藩して紆余曲折を経た後、板倉家で安定します。

三村氏が築き、のちに宇喜多氏に所属していた撫川(なつかわ)城は、関が原の戦いの後、東軍についた戸川家が入封して庭瀬藩を立藩、戸川達安は撫川城を事実上廃城として撫川(なつかわ)城の二の丸に陣屋を築いて庭瀬を支配しました。

これが現在で言う庭瀬城跡です。

戸川家は4代目に大名家としては無嗣子で廃絶するも、弟に旗本5000石で存続を許され、その陣屋を新しく旧撫川城本丸跡に設けます(1679年)。

これが現在で言う撫川(なつかわ)城跡となります。

旗本戸川家とは別に、庭瀬藩は廃藩になったり復活したりで、最終的に1699年に板倉家が2万石で入封して11代で明治に至ります。

 

  撫川城跡から北に歩いて、東西の道路に突き当たってから一度足守川まで西に歩き、再び東に戻ってきました。

  観音院の前を通り過ぎ、さらに東へ。

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  川の右が信城寺。

  川沿いにあった常夜灯は現在はお寺の境内にあります。

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  信城寺の境内に入ります。

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  左手に常夜灯がありました。

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  信城寺本堂を見て外に出ます。

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  古い家が見受けられる庭瀬の町並み。

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  大手門跡。

  下の図の表御門の前にあたります。

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  常夜灯の横から大手門の橋の方を。

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  足守川から水路で繋がった昔の庭瀬港と常夜灯。

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  庭瀬港から南に歩いて松林寺。

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  さらに南に歩いて不変院。

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  案内表示は庭瀬城跡を指し示しています。

  元の道あたりに戻ってきたようです。

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  不変院内に神社があります。

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  神社の本殿がなかなかユニークな形状です。

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  水路を見ながら庭瀬駅に戻ります。

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  庭瀬駅。

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  庭瀬駅。

  岡山駅に戻り、この日のうちに四国の松山まで行き一泊。

  これ以後の記事はすでに上がっていますので、そちらを見て下さい。

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  撮影 2012/04/06

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2012年5月 2日 (水)

岡山市北区 庭瀬を散策(2) - 太鼓橋から足守川

 

  撫川(なつかわ)城跡を後にして、城跡の西側から北方向に歩いて、突き当りの住吉神社や応徳寺から西に(左に)行き、旧撫川大橋常夜灯へ、そして足守川の堤防に上がってみました。

 

  撫川(なつかわ)城跡の西と北の角の石垣。

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  太鼓橋。

  庭瀬は水路が多く、撫川城が沼地に築城されたという名残です。

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  太鼓橋から城跡を振り返って。

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  太鼓橋から北への途中にある道標。

  上の案内板では道標Aにあたります。

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  北で道路に突き当たります。

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  道標。

  見えている道路を右からやって来ました。

  裏には安政の文字が見えるので江戸時代の末期のもののようです。

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  突き当たった道路を西に、すぐ北側にある住吉神社。

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  素朴な社殿です。

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  その西には応徳寺。

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  その参道でしょうか。

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  東からやって来て南に、そして再び西へと道路が鍵辻になります。

  振り返ったところ。

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  旧撫川(なつかわ)大橋の常夜灯が復元されています。

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  すぐ西には足守川の堤防が見えます。

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  堤防から足守川の下流、南を望んだところ。

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  庭瀬の古地図の案内。

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  先ほどの道路を東に戻り、観音院の前をさらに東に向かいます。

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  撮影 2012/04/06

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2012年5月 1日 (火)

岡山市北区 庭瀬を散策(1) - 庭瀬城跡と撫川(なつかわ)城跡

 

  4月の初めに岡山から伊予大洲にかけて、桜を求めて旅をしてきましたが、岐阜から岡山に着いてまず訪れたのは今日紹介する庭瀬城跡と撫川(なつかわ)城跡でした。

両城跡は150~200mほどしか離れておらず、これは手ごろに訪れることができると最初は軽い気持ちで訪れました。

ところが、意外にも庭瀬の町全体が案内標識などで手軽に歩くことができるように整えられていて、ついついほぼ全体を歩いてしまいました。

その結果、岡山城や後楽園での滞在時間を切り詰めなければならなくなる羽目となってしまい、岡山での旅程がかなり窮屈なものになってしまいました。

両城跡のある庭瀬は岡山市北区に属しています。

 

  山陽本線庭瀬駅。

  岡山~倉敷間は伯備線の電車も運行されるので、運行頻度が高く、私も岡山からは伯備線の備中高梁行きで庭瀬駅にやってきました。

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  お城跡(陣屋跡)を中心に道標、常夜灯、神社仏閣がコンパクトに散策できます。

  この案内板が各ポイントにあって手助けになります。

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  庭瀬駅前の通り。北向きです。

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  駅前通りを北に少し歩いて西(左手に)に折れます。

  そのまま西の方に歩いて行くと庭瀬城跡に。

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  この案内表示が案内板と共に大変役に立ちます。

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     庭瀬城跡。

 

  この辺りで庭瀬城跡と撫川(なつかわ)城跡の関係に触れておかなければなりません。

両城はもともとは備中の三村氏が備前の宇喜多氏への備えに築城された一つの城で、羽柴秀吉の侵攻に対して毛利方の国境防備の城の「境目七城(冠山城、高松城、宮地山城、鴨庄城、日幡城、松島城、撫川城)」の一つとされています。

このとき撫川(なつかわ)城は落城して、その後は宇喜多氏の領有するところとなり、城は無城主となります。

これが、本能寺の変の1582年の話です。

その後、「宇喜多騒動(詳細は省略)」で宇喜多家から離れた重臣の戸川達安(たつやす/みちやす)が関が原の戦いでは東軍として戦い、その功で2万9千2百石の大名として立藩。

戸川達安は撫川(なつかわ)城の二の丸を中心として陣屋を設け庭瀬藩として一帯を治めました。

その陣屋を中心としたのが現在で言う庭瀬城跡となります。

戸川家庭瀬藩は4代目の安風が早世して廃絶、藩も一時廃藩となります(1679年)。

しかし戸川家宗家の名跡は安風の弟の達富が継ぐことを許され、5000石の旗本として存続して、知行地の陣屋をを撫川(なつかわ)城本丸跡に置き、これが現在の撫川(なつかわ)城跡となります。

庭瀬藩は廃藩の4年後に久世家が3年間治めて藩が復活、その後久世家は一代で移封、7年後に松平(藤井)家が入封して4年治めて移封、2年後の1699年に板倉家が2万石で入封。

この板倉家で庭瀬藩は確定して11代存続して明治に至ります。

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  さて、庭瀬城跡から西に150m~200mぐらい歩いて行くと撫川(なつかわ)城跡があります。

  もとの撫川城の本丸跡で周囲を掘に囲まれ、西側に石垣が残っており、東側には土塁がはっきりと残っています。

  こちらは本当にお城跡らしさが感じられます。

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  明治になって現在地に移築されたといわれる撫川(なつかわ)陣屋総門。

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  東には土塁跡が残っています。

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  撫川(なつかわ)城址公園。

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  同じく東にある土塁跡。

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  城址公園内にある三神社。

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  ちょうど桜が咲き始めの頃でした。

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  公園内西から東の方を。

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  門前から南面西の方を望んで。

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  南面西の石垣とお堀。

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  お堀越しにやはり南面の石垣。

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  西面の石垣。

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  南面(右)と西面(左)の石垣角。

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  西から全体を。

  このあと北へ向かい庭瀬を散策。

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  撮影 2012/04/06

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