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2012年5月15日 (火)

緒川(おがわ)城跡(愛知県東浦町)を訪ねる(2) - 緒川城跡

 

  越境寺(おっきょうじ)と善導寺を訪れた後、両寺の西側の少し高みの南北の道路を南に歩いて行きます。

4本目(1本は行き止まり)を東(左)に下りると右側に何本かの高い木々が生えた土のかたまりが目に飛び込んできます。

これが緒川城跡の唯一の遺構です。

城跡は一帯が住宅地となっており、この土塁跡だけがわずかに残っているのみです。

城跡関連ではこのあと訪れた乾坤院の総門が緒川新城の城門であったということです。

 

  善導寺の駐車場の横を西の高みに上がります。

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  緒川城の遺構の土塁。

  緒川城は文明年間(1469~1487)に水野貞守により築城。

  忠政のときには境川の対岸に刈谷城(三河)を築いて(1533年)、本拠を移しています(緒川城は息子の信元が居城に)。

  忠政の娘の於大の方(後の伝通院)は徳川家康の実母。

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  回り込んで、南側から。

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  南側は遊具のある児童公園となっており、緒川古城の内側にあたります。

  徳川家康の母、「傳通院於大出生地」の碑が立っています。

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  公園から見上げるように残っている土塁跡。

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  階段を上がるとミニ公園化されていて、ミニ東屋(あずまや)もあり、そこで腰掛けて休憩しました。

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  現在の道路と緒川城の縄張り図。

  現在残る土塁は緒川古城の土塁であることが示されています。

  関ヶ原の戦い後の1601年に、水野忠政の8男水野忠分の子の水野分長が9820石で緒川藩を立藩。

  分長は高藪城に居を置きそれを緒川新城と呼びました。

  1608年には水野分長は1万石で三河新城藩に移封され、ここに緒川藩は廃藩、同時に緒川城も廃城となりました。

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  緒川城の古地図。

  名古屋の徳川美術館に隣接している蓬左文庫に所蔵されているとのこと。

  水野家は家康の母方の実家ということで、大名家4家(他に廃絶1家)と多数の旗本家を輩出しました。

  また、紀州藩の付家老としての新宮城主も水野氏。

  歌舞伎や講談、後世には映画などで取り上げられた町奴の幡随院長兵衛と対立した旗本奴の水野成之は有名。

  旗本水野成之は福山藩の水野勝成系統(水野勝成の孫にあたる)の人です。

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  再び高みの南北の道路に上がって、於大公園内にある緒川城主三代の墓所へ向かいます。

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  撮影 2012/05/10

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