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2012年5月 2日 (水)

岡山市北区 庭瀬を散策(2) - 太鼓橋から足守川

 

  撫川(なつかわ)城跡を後にして、城跡の西側から北方向に歩いて、突き当りの住吉神社や応徳寺から西に(左に)行き、旧撫川大橋常夜灯へ、そして足守川の堤防に上がってみました。

 

  撫川(なつかわ)城跡の西と北の角の石垣。

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  太鼓橋。

  庭瀬は水路が多く、撫川城が沼地に築城されたという名残です。

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  太鼓橋から城跡を振り返って。

Dsc04612

 

  太鼓橋から北への途中にある道標。

  上の案内板では道標Aにあたります。

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Dsc04616

 

  北で道路に突き当たります。

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  道標。

  見えている道路を右からやって来ました。

  裏には安政の文字が見えるので江戸時代の末期のもののようです。

Dsc04618

 

  突き当たった道路を西に、すぐ北側にある住吉神社。

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  素朴な社殿です。

Dsc04623

 

  その西には応徳寺。

Dsc04625

 

  その参道でしょうか。

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  東からやって来て南に、そして再び西へと道路が鍵辻になります。

  振り返ったところ。

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  旧撫川(なつかわ)大橋の常夜灯が復元されています。

Dsc04630

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  すぐ西には足守川の堤防が見えます。

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  堤防から足守川の下流、南を望んだところ。

Dsc04635

 

  庭瀬の古地図の案内。

Dsc04643

 

  先ほどの道路を東に戻り、観音院の前をさらに東に向かいます。

Dsc04639

Dsc04646

  撮影 2012/04/06

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コメント

庭瀬城・撫川城は三村vs宇喜多、秀吉vs毛利、そして秀吉から家康の渦中で主が転々としたということですね。

宇喜多秀家の経歴を見ると、五大老の一人というだけあって、日本各地だけでなく半島にまで出兵していてさぞや出費がかさんだことでしょう。この辺も宇喜多騒動の一因とか。でも結局は家康が「漁父の利」を得て、関ヶ原に突入するという感じでしょうか。権謀術数にたけた上司を持つと大変だということですね。

庭瀬は水路が多く、撫川城が沼地に築城されたという名残です。>
地図の縮約を小さくすると、特に足守川と笹ヶ瀬川の間が水路で入り組んでいるのがよくわかります。案内板に書かれているように難工事だったことがうかがえます。

それにしても立派な石垣が残っていますね。私が連休初めに行った東京の城跡は何も残っていない(案内板すらない)ところが多かったです。

投稿: ddol | 2012年5月 3日 (木) 21時12分

立派な石垣が残っていますね>この言葉を私の知人に聞かせたいものです。
建物が無いと、特に天守が無いと城と認めないという知人がいるのです。
最近では、私の場合、土塁や空堀跡でもあれば、訪れて良しとする、そういう傾向になりつつあります。

東京の城跡って、今ひとつピンと来ない感じです。美濃、尾張では城跡と共にけっこう有名な武将がくっ付いているので(出身地だったり出生地だったり)、詳しい案内板があることも珍しくは無いです。
良く考えたら、東京は城跡以外にも見るべきほかのものが多くありますからね。
で、その城跡と言うのは、いつの時代に区分される城跡なんでしょうか?

沼城と言えば、関東では忍城が有名ですね。今でも行田市になるのでしょうか、熊谷から秩父鉄道の電車に乗っって行ったことを覚えています。
もう、随分前の話です。

投稿: mino | 2012年5月 4日 (金) 04時39分

またまた小説の紹介で申し訳ないんやけど、宇喜多氏関係では、

津本陽の「宇喜多秀家―備前物語」 (文春文庫)
高橋直樹の「宇喜多直家」(学陽書房・人物文庫)

津本陽さんは、いつものように資料を引きつつお話をつくってます。なんで津本陽の小説が売れるのか、いまいちわからないんやけど^^;、へぇーと思ったりもします。
高橋直樹の小説では、武士は利にさとく、意地悪いです。主人公はなにがしかの「理想」や「想い」を持つんやけど、敗れます。暗いです^^;

この辺りを語るなら、海との関係は必須と思うんやけど、上記の小説では希薄。
そこでもう一つは、宇喜多氏と小西行長を扱った、

白石一郎の「海将」(講談社文庫)

ただし、これも肝心の瀬戸内衆がいまいち出てこない。
白石さんも暗い話が多いなあ。

投稿: tera | 2012年5月 4日 (金) 06時40分

関東では忍城が有名ですね。今でも行田市になるのでしょうか>
合併などで埼玉県の行政区分は随分変わりましたが、現在も行田市になります。東京に住んでいる人はなぜか埼玉に出るきっかけがなく、私も行ったことはありません。川口や浦和のように都内の延長ような場所は別なのですが。

いつの時代に区分される城跡なんでしょうか?>
古いものは鎌倉時代で、豊島氏の城があります(練馬城、石神井城)。
戦国期に扇谷上杉氏と後北条氏の対立によって築造されたもの(深大寺城(扇谷上杉氏系)、牟礼砦、深沢城、瀬田城(ともに後北条氏系)など)があります。
和田城
杉並区には太田道潅が築城した成宗城があったと伝わっています。
また世田谷が世田谷吉良氏(奥州吉良氏)の勢力下にあったため、世田谷区には吉良氏系の城跡(世田谷城(室町)、奥沢城(戦国)、三宿城、赤堤砦、烏山城(三か所とも年代不詳)など)が確認されています。
うち半分以上は、現在は取り壊されて全く別の建物になっていて、かつて城郭があったという形跡すら残っていません。ちなみに練馬城は練馬区にある「としまえん」という遊園地になっています。この「としま」は豊島氏に由来しているそうです。
まだまだ沢山ありますが、今回行ったのはこんなところです(深大寺城跡だけはパスしました)。

teraさん。宇喜多氏だけでもこんなに小説があるのですね。いつもありがとうございます。
海との関係は必須と思うんやけど>
宇喜多氏も水軍を持っていたということですか。それとも瀬戸内衆と関係を結んでいたということなのでしょうか。

投稿: ddol | 2012年5月 5日 (土) 21時48分

撫川近辺、岡山、吉備の中心地の南側ですね。
吉備津(彦)神社や高松城跡、国分寺などは行ったことがあるのですが、こちらの城跡には行った事はないので、とても興味を惹かれました。

宇喜田氏と言えば秀家が頭に浮かびますが、父親の直家は下克上の典型のような人物ですね。さらに暗殺が大好き…wikipedia見ているだけで笑えます。近くに居てほしくはないけど。

連休はほぼ出勤で悲しい日々でしたが、合間を縫って大阪歴史博の特別展 日欧のサムライたち-オーストリアと日本の武器武具展-(3月24日~5月6日)に行ってきました。
秀吉の大坂城の屏風がオーストラリアで発見されて、NHKでもスペシャルになってましたが、その縁で発見された城とその武具の紹介をしてました。これに日本の武具を対比させて見せてたのがなかなか面白く、見がいのある展覧会でした。大坂城所蔵の、長篠合戦図屏風、関ヶ原合戦図屏風、大坂夏の陣図屏風(乱暴狼藉で有名)など、じっくり見れてうれしかったです。

ちなみに、この博物館、大坂城とセットで行けるほど近く、さらに常設展は写真撮影可なので、お勧めです。
常設展としては、大きく、難波宮、中世と江戸の大坂、近代の大阪、の3テーマでの展示です。特に中世と江戸の大坂は何度行っても楽しい。

岡山にも出かけたかったけど、連休中は苦しい感じ。時間がとれたらminoさんの紹介を元に回ってみたいです。

投稿: tera2 | 2012年5月 5日 (土) 22時59分

そうそう。忍城といえば、和田竜の「のぼうの城」。これは外せないよ(あと、甲斐姫関係ね^^)

宇喜多と海賊衆との関係はよくわかりません。「海将」は、小西行長が主人公です(説明不足で、申し訳ない)

直家の暗殺好きは有名やけど、下手に戦をするよりよほど「平和」な感じが^^

投稿: tera | 2012年5月 6日 (日) 05時25分

tera氏>白石さんの「海将」は、大阪に居るときにtera氏から教えて貰いましたね。
しかし、読んだかどうかは覚えていません。この辺りで、小西行長の経歴を知ったんですが、もう、うろ覚えで^^;
暗殺>特に三村氏は戦国の不条理の被害者の最たるものです。久松家も不条理にも讒言で滅びているし。

ddol氏>なるほど!豊島氏がいたから豊島区ですか。それは知らなかったです。
関東の家康入府以前の武将の位置関係が全く分かりません。
関東では、やはり後北条氏の研究が進んでいると言うような話を聞くばかりです。

tera2氏>大阪の博物館は、心残りでした。以前にtera2氏から情報を提供されていたのに。
とにかく、現在は「家庭の事情」で動けない状態にあるので、なかなか。

投稿: mino | 2012年5月 8日 (火) 07時50分

豊島氏がいたから豊島区ですか。>
紛らわしい書き方をしてしまったかも知れません。豊島氏は平安時代に秩父氏から分かれ、武蔵国豊島郡に居をかまえたことから豊島姓を名乗りました。
平安から鎌倉にかけて、分家・独立する際に地名を名乗ることが多く、有名どころでは源氏から分かれた足利氏、足利氏から分かれた細川氏、藤原氏系の織田氏などがあります。

大阪歴史博>
帰省しても余裕がなく、久しく大阪市内を出歩くことはありませんでした。HPを見ると2001年開館で、随分立派な建物のようですね。今度一度行ってみたいと思います。

minoさんも、tera2さんもGWは大変だったようですね。私はGW後半、久しぶりに東京に出て来た知人を案内しましたが、豪雨にあってずぶ濡れになりました。他地域はどうかわかりませんが、東京は10年程前から傘の通用しない雨が多くなっています。

投稿: ddol | 2012年5月 9日 (水) 21時19分

ddolさん> 紛らわしい書き方をしてしまったかも知れません>いえ、私の方が紛らわしい書き方をしてしまいました。
普通は地名のほうが先にあって、土着した豪族などが地名を名乗るので、「豊島氏が居たんですね」、と書くべきでした。

傘の通用しない雨が多くなっています>これは、全国的な現象かも知れないですね。温暖化から派生しているのかどうかは判りませんが、異常気象と呼べるような事象が多いです。

投稿: mino | 2012年5月 9日 (水) 21時38分

はじめまして、わたくし岡山市北区庭瀬に住む横山と申します。49歳男

ふと思いつき、なぜ、私の住む地名は庭瀬と言うのだろうと疑問に思い検索していたところ貴殿のHPがヒットしました。
すばらしいHPですね。良く見る近所の光景の写真ばかりです。

地名由来辞典とか見ればわかるのかもしれませんが、もしご存じなら庭瀬と撫川の地名の由来をご伝授願います。
庭瀬城、撫川城をご存じとは相当な通の方ですね。

投稿: 横山 | 2014年8月 9日 (土) 21時57分

横山さん、今日は。見て頂いてありがとうございます。
庭瀬はお城跡を見てすぐに帰るつもりでいましたが、案内板や道順などが整備されていて、つい歩いて長時間散策をしてしまいました。とても良いところでした。

地名の由来についてですが、残念ながら私の力では明らかにすることはできませんでした。

ただ、資料に初めて庭瀬郷が現れる文献は検索で判明しました。
東京大学資料編纂所のホームページのデータベース検索では庭瀬郷が初めて現れる文献は「天平十一年」の「備中国大税負死亡人帳」(文書名)、出典は「大日本古文書(編年文書)」。
これは「東大寺正倉院文書」と言われる古文書にあるそうです。

力不足でご要望に沿うことができず申し訳ありません。

検索では「庭瀬郷」、「撫川郷」で検索されると様々な情報が引っかかるみたいです。

投稿: mino | 2014年8月10日 (日) 03時17分

早速のご回答ありがとうございます。学者さんでしょうか、お詳しいですね。
私の名前をyyと修正していただければありがたいです。

この辺は昔 吉備国でしたので小さな古墳などもパラパラあります。お寺や神社もたくさん。
有名どころでは庭瀬駅から北で少し遠いですが備中高松城跡くらいでしょうか。
最寄り駅はJR吉備線の足守駅
ご存じの通り秀吉の水攻めで有名です。こちらは資料館があります。是非ご探索を。

http://www.geocities.jp/qbpbd900/bichutakamatu.html

貴殿のHPお気に入りで登録させていただき、また拝見させていただきます。^^

投稿: yy | 2014年8月10日 (日) 08時33分

yyさん、今後ともよろしくお願いします^^。

高松城跡、かなり整備されている様子がわかりました。
これは一度は訪れないといけませんね。

この辺は昔 吉備国でしたので小さな古墳などもパラパラあります。お寺や神社もたくさん。
>実は2000年に吉備路をレンタサイクルで巡ったことがあります。
吉備線備前一宮駅前でレンタサイクルを借り吉備津神社、備中国分寺五重塔や途中の古墳等を巡り、さらに総社から北にある宝福寺を訪れてのち取って返して総社のレンタサイクル店に自転車を返却、4時間以上走り回りました。
とても良い思い出です。

ただ、まだデジタル写真ではなくフィルム写真の時代で、したがって枚数も限られ、撮り直しのためにもまた機会があれば訪れたいですね^^。

学者さんでしょうか
>一般市民です^^;

投稿: mino | 2014年8月10日 (日) 18時27分

それと、お国自慢じゃないと言ってもお国自慢ですが、「話せばわかる」で有名な5・15事件で凶弾に倒れた第29代内閣総理大臣 犬養木堂の生家(川入)があります。庭瀬駅にも何か瓦のようなものがあったような・・・

http://www.maroon.dti.ne.jp/inukai.bokudo/index.html

この辺りは夜静かで平和なところです。写真を拝見すると私の家の前の道を歩かれていますねー^^
面白いです。
またおすすめスポットがあればメールでも良いので連絡お願いします。

投稿: yy | 2014年8月10日 (日) 19時32分

犬養木堂の生家(川入)があります。
>おお、そうなんですね。
庭瀬駅から2km、徒歩で25分でしたら私の許容範囲内ですから、歩いても十分行けますね。

写真を拝見すると私の家の前の道を歩かれていますねー^^
>そうなんですか?^^
かなり歩き回りましたから見当は全くつきませんが、町が水路に囲まれているという印象でした。

そうですね、また、暇があれば書き込んでください^^・

投稿: mino | 2014年8月11日 (月) 18時25分

庭瀬の地名の由来>
新しい瀬 -> 新瀬(にいせ) -> 庭瀬、という説が紹介されていました。
daggeroxalis.blog109.fc2.com/blog-entry-7.html
nonmasashi.blog.jp/archives/2014-07.html
根拠が明記されていないので、妥当性についてはわかりません。

脱線しますが、板倉家の菩提寺が中野区宝泉寺にあるそうで、びっくりです。昔、このお寺で西欧中世史家の葬儀があり、私も動員されました。東中野散策の番組でも何度か登場し、懐かしいです。

投稿: ddol | 2014年8月12日 (火) 21時02分

由来、ありがとうございます。
有名観光地でなく庭瀬、中庄などほとんどの日本人が知らない所に目を向けられているのは、さすがです。

学生時代中央線沿線に住んでいました。宝泉寺は知りませんが懐かしいです。年をとるとやはり生まれ育ったところがいいです。年寄思考~

投稿: yy | 2014年8月13日 (水) 01時37分

ddol さん、ありがとう^^

庭瀬の地名の由来
>どちらも何かからの引用でしょうね。私もよくやります。根拠は確かに示されていません。
ただ、語句の変遷には何らかの法則があって、それを当てはめた、ということではないでしょうか。

この法則が学問的に確立しているのならば、なるほどとは思うのですけど。

板倉家の菩提寺が中野区宝泉寺にあるそうで
>そうなんだ。

yyさん、
学生時代中央線沿線に住んでいました。
>東京に住んでる時があったんですね。

話は変わりますが、加陽郡に板倉郷という地名があったんですね。
庭瀬藩が板倉家なので、つい、えっと思ってしまいましたが、板倉家は足利の出身だそうで勘違いでした(ただ、これも怪しいらしい)。

古代に話を振りますが、吉備邪馬台国論ってありますが、地元の人は(普段はそんなこと考えていないと思うけど^^;)どう捉えているんですか?
ちなみに、昔、岐阜の郷土史家が飛騨邪馬台国論を唱えていました^^;(これは、さすがにトンデモ論でしょう)。

投稿: mino | 2014年8月13日 (水) 10時27分

邪馬台国論争って近畿か九州だったけど、吉備国が候補に参加したのは最近でしょ?怪しい~。
地元も戸惑っています。それはないでしょと。誰かのめしの種では?
色々な候補地説があってにぎやかでいいですね。

投稿: yy | 2014年8月13日 (水) 14時58分

yyさんとminoさんのコメントに触発されての感想です。

高松城跡

かの水攻めということで、もっと起伏に富んだ土地をイメージしてたんやけど、平坦な感じで意外やった記憶が。当時とは河川の位置とかも変わってるんやろね。

犬養木堂

つい最近、NHK―BSの「日本人は何を考えてきたのか―昭和維新の指導者たち~北一輝と大川周明」(再放送)を見たんやけど、孫文や宮崎滔天、頭山満、大川周明らとともに犬養毅も並んでいる写真が紹介されてて。
まさか、そんなに遠くない志を持った人達に襲撃されるとは。「話せばわかる」やなあ。「大アジア主義」がたんなる国家の方便となっていく時代のエポックが、犬養木堂の死。残念です。

ここから、脱線しますが^^;、
NHKの朝ドラ「花子とアン」は面白い。それに出てくる「白蓮事件」の当事者が宮崎滔天の息子、宮崎龍介。滔天は、昨年のNHK大河「八重の桜」で同志社の学生やった徳富蘇峰の弟子です。
もう一方の当事者、「石炭王」の伊藤伝右衛門は、博多~玄洋社(アジア主義)のLINEつながり。NHKが意識的に、ドラマの背景を掘り下げてるのかはわからないけど、世間は狭いなと思いました^^

新宿中村屋のカレーの由来が、「アジア主義」との話しも面白かったです^^

投稿: tera | 2014年8月15日 (金) 05時45分

yyさん、teraさん、返事遅れて申し訳ありませんでした^^;

yyさん、邪馬台国吉備論の人は結構多いですよ。ただ、私も詳しく読んだわけでは無いので余りわかりませんが。
吉備地方は伽耶(かや=加陽)の国という主張をされている地元の地方史家もいらっしゃいます。
ただし、この説では日本人がいなくなってしまうという、半島人が喜びそうな説になっています。

「大アジア主義」
>福沢諭吉の脱亜論とは対照的ですね。余り詳しくは無いので何とも言えませんが・・。
まあ、アメリカもモンロー主義が出たり引っ込んだりという歴史を繰り返すのですが。

世間は狭いなと思いました^^
>エリートが少数なのに加え(だからエリートなんですけど)偏在していたのでしょうか?

投稿: mino | 2014年8月18日 (月) 16時27分

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