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2012年7月27日 (金)

岐阜市内(岐阜県岐阜市)を散策(2) - 美江寺観音

 

  忠節橋から東に歩いて3つある駅前通の内真ん中の金華橋通りに出て、官庁街の交差点にある美江寺観音へ。

美江寺観音はもともとは現在の瑞穂市の美江寺(樽見鉄道の駅、美江寺駅がある)にあったお寺で、斉藤道三が稲葉山城を築いた際とか信長の時代とかの諸説がありますが、このころに現在地に移されたようです。

1945年の空襲によって伽藍は焼失して、現在の本堂は1955年、仁王門が1986年に再建されています。

文化財としては国重文の乾漆十一面観音立像、岐阜市重文の猩々(しょうじょう)面があります。

 

  昨日の秋葉神社とは異なる秋葉神社。

  長良川堤防の下です。

Dsc00422

 

  南に向けて歩いていくとこんな分かれ道に。

  向こうが西の方。

Dsc00424

 

  東に抜けて金華橋通りに出ました。

  この辺りは古くからの官庁街で空き地の向こう側に見える古い建物は県の総合庁舎。

  昔の岐阜県庁舎です。

  美江寺のある交差点の南には裁判所、消防署、警察署が集中してあります。

  また岐阜大学病院もこの空き地あたりにありました。

Dsc00427

 

  この空き地に市が図書館を建設の予定。

  一方で県立図書館もあり、昔は岐阜公園内にあって便利でしたが、何を考えたのかアクセスの不便な市の南西の郊外に建設してしまいました。

  結局、JRの西岐阜駅、図書館、県庁(やはり市の南西の郊外にある)を結ぶコミュニティバスを走らせてアクセスの不便さを解消しようとしてしましたが、不便なことには変わりはありません。

  市と県でひとつの図書館で十分なのに典型的な二重行政です。

Dsc00429

 

  昔の県庁舎、現在の県総合庁舎。

Dsc00430

 

  空き地と道路を挟んで西側に美江寺観音があります。

Dsc00431

 

  本堂。

Dsc00433

 

  本堂正面。

Dsc00436

 

  南側から仁王門と本堂。

Dsc00438

Dsc00440

 

  金華橋通りに架かる歩道橋から南の駅方向。

Dsc00442

 

  交差点の南東の角から美江寺。

Dsc00445

 

  交差点から東すぐにある美江寺公園。

  この日は木陰でも涼しくもない炎天下で、公園で休むのではなく喫茶店に入って少々休憩しました。

Dsc00446

 

  今度は東の長良橋通りに出ます。

  昔の電車通りです。

  駅方面の南を見ています。

Dsc00449

 

  この交差点から東に行くと東別院があり、さらに行くとトンネルがあり山の南東側に抜けます。

  また金華山への登り口のひとつがあります。

Dsc00451

 

  昔の県庁舎の県総合庁舎を正面から。

  この後、再び長良橋通りを北に歩いて伊奈波神社(いなばじんじゃ)へ向かいました。

Dsc00453

  撮影 2012/07/26

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コメント

>また岐阜大学病院もこの空き地あたりにありました。

今年、娘が受験したんやけどダメで、結局去年合格してた広島大へ
岐阜のいろんなところをminoさんに案内してもらおうと思ってたんやけどね^^;

>一方で県立図書館もあり、昔は岐阜公園内にあって便利でしたが、何を考えたのかアクセスの不便な市の南西の郊外に建設してしまいました。
>市と県でひとつの図書館で十分なのに典型的な二重行政です。

大阪も「二重行政」やらで、中之島の図書館がどうなるか微妙になってるみたいです。

大阪市では、北は中之島の府立図書館と西長堀の市立中央図書館。南の天王寺には府立夕陽丘図書館と天王寺公園内の市立図書館があったんやけど、
まず、府立夕陽丘(大原孫三郎の大原社研があったところ)がなくなり、東大阪市へ。市立天王寺図書館も移転してしまい、天王寺・阿倍野界隈にはゼロに。
中之島もやめることになると、市内に残る大きな図書館は西長堀だけになるんや。

梅田・難波・天王寺のようなターミナルは、地価が高くマーケットベースでは公共的なことがやれんのやから、そこから公共が退却していくとはねえ^^;

マーケットでできることは山ほどあって、そういう方向に政策を持っていることは賛成なんやけど、でも最後に何を残すかを考えないと政治家失格やないかな。
橋下さんには、おおいに期待してるんやけど、「文化」関係はもう少しまともなブレーンを見つけてほしいです^^;

秋葉関係、盛り上がるようなら、参戦しようかなあ^^

投稿: tera | 2012年7月28日 (土) 07時18分

橋本市長の最近の報道されている「文楽」関連の発言はいただけないですね。
文化に為政者の好みが反映されるって、これは良くないと思います。江戸時代ではあるまいし。

秋葉関係は主戦になって下さい。
一人ではどうしようもないんですが、色々面白そうなんですね^^

秋葉神社が火の神様ということで(この辺りは補足してください)、昔は町内でお札(おふだ)を貰い、かまどの近くに(かまどはないんですが昔はあった)貼って、年が改まると(正確には晦日に)新しいお札と取り替える風習がありました。
火の災害を防ぐというお守りですね。

そして、町内には秋葉神社の祠が必ずあります。
以前は隣の町内に住んでいましたが、そちらにも祠はあります。

投稿: mino | 2012年7月28日 (土) 10時27分

記事を拝見してると、岐阜は秋葉社が多いみたいやね。やんでなんやろ。わかったら教えてね。
町は火事が多いから、火除けの神様を祀るんやろうけど、大阪では聞かんのや。

秋葉社に関しては、祖父母の家(和歌山)の近くに秋葉山があって、子供の頃にそこにある結構立派なプールに泳ぎにいった記憶が。
ものすごく高いジャンプ台があり、飛び込みの練習風景を見て、びっくりした記憶があります。

亡き母の話では、昔は家で水着に着替えて水軒浜へ泳ぎに行けたんやけど、高度成長期前後に埋め立てられ工業地帯に。
その代わりに秋葉山にプールができたとのこと。
その秋葉山には、秋葉権現社があり、狐にまたがった烏天狗が本尊やでという話も聞かされ、カラスか和歌山らしいなあという感想^^
信長の紀州攻めの際の、雑賀党の拠点の一つだったらしいけれど、秋葉神社に関してはそれくらいしか知識がないんや^^;

このあたりの話は、朝鮮との関係に詳しいddolさんに期待。あるいはtera2、よろしくね

投稿: tera | 2012年7月30日 (月) 05時35分

暑くなりました。東京では一日に救急車複数台に遭遇することもさほど珍しくなくなりました。「炎天下の4時間」、minoさん、ご注意下さい。

秋葉の話は初めて知りました。秋葉原の地名の語源となった神社だそうで、地図で調べると何度もその前を通っていました。現在の地理感覚ではややさびしい所に位置しています。

大阪では聞かんのや。>
ちょっとサーフした所では、関西では愛宕が秋葉を駆逐したように書かれていましたが、ちゃんと調べないと何とも言えないですね。

カラスか和歌山らしい>
三足烏のことをおっしゃってるのだろうと思います。韓国の時代劇ファンには馴染みの「烏」です。韓国人の多くが朝鮮固有のものだと誤解しているそうですが、元々は中国の神話で太陽の中に住むとされる烏のことで、太陽の象徴だと見なされていました。それが半島に入り、八咫烏に影響を与えたというのが一般の説のようです。BC5000〜4000頃の揚子江沿岸の土器や、高句麗時代の陵墓にこれが描かれているのは事実ですが、「烏」が烏なのかどうか、なぜ三本足なのかは諸説あってはっきりしません。ただ、高句麗のものは大抵羽毛の冠をかぶっていて、これは半島の特徴のようです。
2005年頃、韓国で時代劇ブームがおこった時に三足烏も大きく扱われましたが、歴史学会から史実を歪曲しているという批判があるというニュースを読んだ記憶があります。週末にでもよく調べてみます。

投稿: ddol | 2012年8月 1日 (水) 21時14分

ddol さん、暑いですね。あまりにも暑いので、完全に出不精になってしまいました。

絶好の旅行シーズンなのですが、家でグダグダしています。

投稿: mino | 2012年8月 2日 (木) 21時14分

ddolさん、ありがとね^^

うんうん、熊野牛王符はいっぱい持ってて、嫁や娘と誓いをたてとるんや(嘘)
鳥居にとまるのは、烏なんや。

>関西では愛宕が秋葉を駆逐したように書かれていましたが、ちゃんと調べないと何とも言えないですね。

大阪では、愛宕社も全く知りません。

投稿: tera | 2012年8月 4日 (土) 05時36分

長い間話の展開を妨げて申し訳ありません。久しぶりに論文を呼んだりして知恵熱が出てしまいました。

あまりまとまりがないのですが、とりあえず調べたことを記しておきます。


以下、もし漢字の一部が文字化けしていればご指摘下さい。また、画像のリンクは画像検索をかけただけで、画像元のHPは確認していません。
漢字の「鳥」と「烏」は見間違えやすいので、「トリ」「カラス」と片仮名で表記します。

最古のものは黄河中流域の仰韶文化(BC5000~3000頃)の陶器で(前回揚子江と記しましたが、仰韶の記憶違いでした)、翼のある太陽とトリの絵やトリと蛙が描かれています。また三足カラスの形の陶器が出土(黒いトリとの説もある)。次いで山東地域の大汶口文化(BC4000~2500年頃)から三本足の猛禽類の陶器、その対として鳳凰の姿の三足のトリが出土。
ttp://www.npm.gov.tw/exh99/sharing/images/s1.jpg
なぜトリ(カラス)なのか、なぜ三本なのかはわかっていませんが、太陽との関係は強く示唆されています。

殷になると甲骨文字や後の文献から神話が再構成されます。

- 帝舜の妻羲和(ぎか)は太陽(=鳥)を10人生み、このトリは桑の木(扶桑)に住んでいて毎日一羽ずつ天に上って地を照らした。ある日10羽が一度に天に上り大地を焼け尽くしたので、帝堯は一羽ずつ上るよう説得するように帝舜に頼んだが、トリはいうことを聞かなかった。そこで帝舜は射手羿(げい)を送り、羿は九羽を射落とし、世界は元を取戻した。

この神話に関して約20年前にサラ・アランが仮説を提出しました(Sarah Allan, The shape of the turtle: myth, art, and cosmos in early China (New York, 1991))。直接著書を読むことができなかったのですが、論文での引用や要約から関係個所を再構成します。

- 殷の始祖は黒いトリの卵から生まれたとされ、この10羽のトリは殷の支配層のトーテムと結びついている。
周時代になると、一つの太陽しか認めない周王朝の下でこの10の太陽の話は弱化し、その後儒教によって否定される。ただ民衆レベルでは信仰は維持されるが、ただの神話として伝えられるようになる。

-『山海経』(漢代のものと推定される)によると、羲和は東南の海に住み、その対となる帝堯のもう一人の夫人常羲(Chang Xi)は西方で12の月を産んで暮らしている。
これとは別に、羿の妻嫦娥(じょうが、Chang'e)が、夫と帝嚳の第二夫人Chang Yi(漢字の確認ができませんでした)から不死の薬を盗み、月に行ってヒキガエルになったという伝説がある。この三人の名は音韻的に密接に関係していて、おそらくは同一人物に由来する。
ここに東-西、日-月、トリ(カラス)-ヒキガエルという対立がある。ただ月に対する信仰は日ほど強くはなかった。

あくまでネット検索上ですが、サラ説は受け入れられているようです。

西周時代には青銅器に三足トリが見え、春秋時代は多くはないが、三足鳥が確認でき、戦国時代になると再び三足カラスの瓦当が出土します。
戦国時代には、三足は陽の聖数である三であるという陰陽論による解釈が成立します。

漢代には三足カラスが文献に登場します。
「陽成於三 故日中有三足烏 烏者陽精」(『春秋元命包』)
「日中有烏謂三足烏也」(『淮南子』)
『淮南子』では10の太陽の話に出てくる不死薬を与えたのが西王母だとされ、『山海経』では西王母の使いをする三羽のトリが登場します。典拠の確認はできなかったのですが、西王母には兎が従い、杵で不死薬をつくという伝説になり、月の中の兎という構図が成立します。
そして馬王堆からは太陽の中の三足トリの壁画
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3b/Threeleggedbird_han_dynasty.jpg
扶桑に宿る十個の太陽とカラス、それに三日月にヒキガエルと兎を描いた婦人服(見づらいですが、ヒキガエルの左が兎です)
ttp://japanesemythology.files.wordpress.com/2011/08/260px-western_han_chinese_silk.jpg
ttp://3.bp.blogspot.com/_aYWsmzRSfAI/S1SPP1PVJ6I/AAAAAAAAAAU/W-GTHNeLlkk/S600/mawangdui11.jpg

次いで魏書で多く言及され、北魏の石棺や呉晏子造像にも太陽の中の三足カラスと月の中の兎があります。

中国では唐後半以降は二本足になり、三足カラスに対する崇拝が消えてしまいます。

他方高句麗では多くの古墳の壁画に三足カラスとヒキガエルが描かれています。三足カラスが高句麗王室の紋章だという通説に対して、韓国の学者はカラスは単体で描かれることはなく、必ず東側に描かれ、西側のヒキガエルか兎と対になっているということを強調し、疑問視しています。
双楹塚(平安南道龍岡郡)の壁画
ttp://koguryo.culturecontent.com/data/svc/cp0426200/medium/cp0426200034_r.jpg
五盔墳4号墓(中国吉林省集安県)の壁画
ttp://chang256.new21.net/board/pds/515/1110.jpg

その後高麗では仏画や仏具に描かれますが、朝鮮時代に入ると性理学の隆盛により王室・貴族社会からはほとんど消えてしまい、逆に碑石・民画・地名(慶尚北道善山亀尾の金烏など)など民衆の中に浸透しました。

teraさんに熊野牛王符の話までしてもらいましたが、日本についてまでは調べ切れませんでした。

玉虫厨子(太陽に三足カラスと月に兎)
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/18/Tamamushi_Shrine_(lower_back).jpg
孝明天皇の礼服の肩(太陽に三足カラスと月に兎とヒキガエル)
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/69/Kone.jpg
ttp://www.k2.dion.ne.jp/~penta/LOVELOG_IMG/819A93V8Dc97E7959E.JPG(左右逆です)
またキトラ古墳の壁画の西の月、東の日も三足カラスと兎・ヒキガエルに対応しているとの説もあるようです。

投稿: ddol | 2012年8月13日 (月) 20時07分

長期間空けてしまって申し訳ありません。今更だとは思いますが、三足烏の話です。

中国最古のものは黄河中流域の仰韶文化(BC5000~3000頃)の陶器で(前回揚子江と記しましたが記憶違いでした)、三足のカラスの形のものが出土したり、翼のある太陽と鳥、また鳥と蛙が描かています。次いで山東地域の大汶口文化(BC4000~2500年頃)から三本足の鳥の形の陶器が発見されています。
ttp://www.npm.gov.tw/exh99/sharing/images/s1.jpg(大汶口文化後期の陶器)

殷には鳥の神話があります。

- 帝舜の妻羲和(ぎか)は太陽(=鳥)を10人生み、この鳥は桑の木(扶桑)に住んでいて毎日一羽ずつ天に上って地を照らした。
ある日10羽が一度に天に上り大地を焼け尽くしたので、帝舜は射手羿(げい)を送り、羿は九羽を射落とし、世界は元を取戻した。

殷の始祖は黒い鳥の卵から生まれたとされ、この10羽の鳥は殷支配層のトーテムを表しています。
続く周は、九羽を射落として世界を回復させたとすることで自己正当化しました。また一つの太陽しか認めない周王朝の下で10の太陽の話は弱化し、その後儒教によって否定されます。ただ民衆レベルではただの神話として伝えられるようになりました。

西周時代には青銅器に三足鳥が見え、数は少ないですが春秋時代にも確認でき、戦国時代になると再び三足カラスの瓦当が出土します。
戦国期には三足は陽の聖数の三であるという陰陽論による解釈が成立します。

前漢以降に成立したとされる『山海経』によると、羲和は東南の海に住み、その対となる帝堯のもう一人の夫人常羲は西方で12の月を産んで暮らしています。
これとは別に、羿の妻嫦娥(じょうが)が夫から不死の薬を盗み、月に行ってヒキガエルになったという伝説があります。
ここに東-西、日-月、鳥(カラス)-ヒキガエルという対立ができ、太陽の中の三足カラスと月の中の三足ヒキガエルという絵となります。ただ月に対する信仰は日ほど強くはなかったようです。

また前漢の『淮南子』では10の太陽の話に出てくる不死薬を与えたのが西王母だとされ、『山海経』には西王母の使いをする三羽の鳥が登場します。兎は西王母の従者で、杵をついて不死薬を作るという伝説になり、日-月と鳥(カラス)-兎という対応関係ができ、ヒキガエルと一緒、あるいは単独で兎が描かれるようになります。

長くなったので、勝手ながら以下は次回にします。

投稿: ddol | 2012年8月18日 (土) 19時52分

前回の続きです。

漢代には「三足烏」が文献に登場します。
「陽成於三 故日中有三足烏 烏者陽精」(『春秋元命包』)
「日中有踆烏、而月中有蟾蜍」(『淮南子』。踆烏は三足烏、蟾蜍はヒキガエル)
「日中有三足烏、月中有兔、蟾蜍」(『論衡』、後漢)

馬王堆からは太陽の中の三足鳥の壁画
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3b/Threeleggedbird_han_dynasty.jpg
扶桑に宿る十個の太陽とカラス、それに三日月にヒキガエルと兎を描いた婦人服(見づらいですが、ヒキガエルの左が兎です)
ttp://japanesemythology.files.wordpress.com/2011/08/260px-western_han_chinese_silk.jpg
ttp://3.bp.blogspot.com/_aYWsmzRSfAI/S1SPP1PVJ6I/AAAAAAAAAAU/W-GTHNeLlkk/S600/mawangdui11.jpg

次いで魏書で多く言及され、北魏の石棺や呉晏子造像にも太陽の中の三足カラスと月の中の兎があります。

中国では唐後半以降は二本足になり、三足カラスに対する崇拝が消えてしまいます。

高句麗には漢で完成した東-西、日-月、カラス-ヒキガエルという構図がそのまま入ってきて、古墳の壁画に描かれています。韓国の学者はカラスは単体で描かれることはなく、必ず東側に描かれ、西側のヒキガエルか兎と対になっているということを強調し、三足カラスが高句麗王室の紋章だという通説を疑問視しています。
双楹塚(平安南道龍岡郡、5世紀末)の壁画
ttp://koguryo.culturecontent.com/data/svc/cp0426200/medium/cp0426200034_r.jpg
五盔墳4号墓(中国吉林省集安県、6世紀末~7世紀)の壁画
ttp://chang256.new21.net/board/pds/515/1110.jpg
天王地神塚(平安南道順川市北倉里、5世紀)の壁画
ttp://koguryo.culturecontent.com/data/svc/cp0426200/medium/cp0426200046_r.jpg
ttp://koguryo.culturecontent.com/data/svc/cp0426200/medium/cp0426200042_r.jpg

その後高麗では仏画や仏具に描かれますが、朝鮮時代に入ると性理学の隆盛により王室・貴族社会からはほとんど消えてしまい、逆に碑石・民画・地名(慶尚北道善山亀尾の金烏など)など民衆の中に浸透しました。

投稿: ddol | 2012年8月19日 (日) 20時18分

漢代には「三足烏」が文献に登場します。
「日中有踆烏、而月中有蟾蜍」(『淮南子』。踆烏は三足烏、蟾蜍はヒキガエル)
「日中有三足烏、月中有兔、蟾蜍」(『論衡』、後漢)

馬王堆からは太陽の中の三足鳥の壁画
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3b/Threeleggedbird_han_dynasty.jpg
扶桑に宿る十個の太陽とカラス、それに三日月にヒキガエルと兎を描いた婦人服(見づらいですが、ヒキガエルの左が兎です)
ttp://3.bp.blogspot.com/_aYWsmzRSfAI/S1SPP1PVJ6I/AAAAAAAAAAU/W-GTHNeLlkk/S600/mawangdui11.jpg

魏書に言及があり、北魏の遺跡にも太陽中の三足カラスと月中の兎があります。

中国では唐後半から二本足になり、三足カラスに対する崇拝が消えてしまいます。

高句麗には漢で完成した東-西、日-月、カラス-ヒキガエルという構図がそのまま入ってきて、古墳の壁画に描かれています。韓国の学者はカラスは単体で描かれることはなく、必ず東側に描かれ、西側のヒキガエルか兎と対になっているということを強調し、三足カラスが高句麗王室の紋章だという通説を疑問視しています。
双楹塚(平安南道龍岡郡、5世紀末)の壁画
ttp://koguryo.culturecontent.com/data/svc/cp0426200/medium/cp0426200034_r.jpg
五盔墳4号墓(中国吉林省集安県、6世紀末~7世紀)の壁画
ttp://chang256.new21.net/board/pds/515/1110.jpg

その後高麗では仏画や仏具に描かれますが、朝鮮時代に入ると性理学の隆盛により王室・貴族社会からはほとんど消えてしまい、逆に碑石・民画・地名(慶尚北道善山亀尾の金烏など)など民衆の中に浸透しました。

投稿: ddol | 2012年8月19日 (日) 20時23分

漢代には「三足烏」が文献に登場します。
「日中有踆烏、而月中有蟾蜍」(『淮南子』。踆烏は三足烏、蟾蜍はヒキガエル)
「日中有三足烏、月中有兔、蟾蜍」(『論衡』、後漢)

馬王堆からは太陽の中の三足鳥の壁画
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3b/Threeleggedbird_han_dynasty.jpg
扶桑に宿る十個の太陽とカラス、それに三日月にヒキガエルと兎を描いた婦人服(見づらいですが、ヒキガエルの左が兎です)
ttp://3.bp.blogspot.com/_aYWsmzRSfAI/S1SPP1PVJ6I/AAAAAAAAAAU/W-GTHNeLlkk/S600/mawangdui11.jpg

魏書に言及があり、北魏の遺跡にも太陽中の三足カラスと月中の兎があります。

中国では唐後半から二本足になり、三足カラスに対する崇拝が消えてしまいます。

投稿: ddol | 2012年8月19日 (日) 20時23分

前回の続きです。

漢代には「三足烏」が文献に登場します。
「日中有踆烏、而月中有蟾蜍」(『淮南子』。踆烏は三足烏、蟾蜍はヒキガエル)
「日中有三足烏、月中有兔、蟾蜍」(『論衡』、後漢)

馬王堆からは太陽の中の三足鳥の壁画
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3b/Threeleggedbird_han_dynasty.jpg
扶桑に宿る十個の太陽とカラス、それに三日月にヒキガエルと兎を描いた婦人服(見づらいですが、ヒキガエルの左が兎です)
ttp://japanesemythology.files.wordpress.com/2011/08/260px-western_han_chinese_silk.jpg

次いで魏書で多く言及され、北魏の石棺や呉晏子造像にも太陽の中の三足カラスと月の中の兎があります。

中国では唐後半以降は二本足になり、三足カラスに対する崇拝が消えてしまいます。

高句麗には漢で完成した東-西、日-月、カラス-ヒキガエルという構図がそのまま入ってきて、古墳の壁画に描かれています。韓国の学者はカラスは単体で描かれることはなく、必ず東側に描かれ、西側のヒキガエルか兎と対になっているということを強調し、三足カラスが高句麗王室の紋章だという通説を疑問視しています。

その後高麗では仏画や仏具に描かれますが、朝鮮時代に入ると性理学の隆盛により王室・貴族社会からはほとんど消えてしまい、逆に碑石・民画・地名(慶尚北道善山亀尾の金烏など)など民衆の中に浸透しました。

この三足カラスがいつ、どのように列島に入って来たかは不明で、八咫烏に影響を与えたと推測されるだけです。記紀には八咫烏が三本足だったという記載はなく、各神社の縁起が起原ではないかなどとされています。

玉虫厨子(太陽に三足カラスと月に兎、中央に須弥山(=扶桑樹))
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/18/Tamamushi_Shrine_(lower_back).jpg
キトラ古墳の壁画の西の月、東の日も三足カラスと兎・ヒキガエルに対応しているとの説もあるようです。

投稿: ddol | 2012年8月20日 (月) 21時33分

ddolさん、とても面白いです。
宮城谷昌光さんの小説(「天空の船」等)でしか古代中華の知識がないもので、勉強になりました^^

単純に、日本はウサギ、中国はカエルに見えるんやと思っていたけれど、当然のように文化的背景があって、
そのように認識するんやなあ。

そこで質問です。

>帝舜は射手羿(げい)を送り、羿は九羽を射落とし、世界は元を取戻した。

羿(げい)は、夏王朝の祖といわれる啓の死後、その政権を簒奪する后羿とは違うの?
両者は時代が違うけど、同じ名前で同じような話なんで。

日本の古代末~中世にかけて、邪を祓う鳥としては鶏がけっこう出てくる感じがするんやけど、
中国や朝鮮での話を知っていたら、教えてください。

投稿: tera | 2012年8月24日 (金) 06時46分

読み直して訂正です^^;

>羿(げい)は、夏王朝の祖といわれる啓の死後

夏の祖は、伝説の禹やから、啓は夏の世襲王朝の祖、ですね

投稿: tera | 2012年8月26日 (日) 05時57分

間があいてしまっていますが、実は数週間前から烏のコメントがスパムと認識されてはじかれてしまっています。色々試みましたが、前半が運良く送信できただけでうまくいきません。
niftyがスパムの定義を公表していないため、ネット検索してもこれといった策は見つかりません。後半部をどうするか思案中です。

羿の話はご指摘の通り夏の伝説です。今回依拠したのは20年ほど前のアメリカの研究者の著作の要約・引用で、それによると甲骨などを根拠に殷の伝承として扱っています。その後の殷研究でも同様の扱いなのでそのまま記しました。

鶏に関してはまったく知識がありませんが、暇な時に調べてみます。

投稿: ddol | 2012年8月26日 (日) 21時45分

ddolさん。申し訳なかったです。

スパム扱いで滞っていました。
一度、全解除をして重複しているコメントは削除させて貰いましたが、同じ内容でも微妙に文面が異なるものは残しました。
普段、スパムコメントのチェックなどはしていなかったものですから気がつきませんでした。
管理画面でのコメントのフィルター設定では「すべてのコメントを表示」と設定してあるんですが、どういうことなんでしょうね。

普通、コメントが許可され、掲載された場合はメールで通知されますが、スパムに指定されていたコメントに関するメールの通知は当然の事ながらありませんでした。

しばらくは、こちらの管理画面でこまめにチェックするようにします。ご迷惑をおかけしました。

投稿: mino | 2012年8月27日 (月) 02時47分

書き忘れましたが、スパム防止で数字とアルファベットの書き込みが間違っていると即座にはねられますが、何回も間違えると、それ以降はしばらく日にちを空けないと全てをスパムとして扱われることがあるのでは。

一般のサイトのログインでも、失敗を何回もすると、少なくともその日はどれだけ正しいIDとパスワードを入れても、ログインできないことはよくあります。

この考えが正しいのかは分かりませんが、一応参考までに。

投稿: mino | 2012年8月27日 (月) 02時56分

「すべてのコメントを表示」と設定してあるんですが、どういうことなんでしょうね。>
スパムの判定基準を公開すると、それをかいくぐってスパムが送信される恐れがあるという理由で、非公開になっているようなので、どうしようもないですね。ただ今回はねられたのは文章の長さや文字コード(漢字)の問題ではないことははっきりしました。urlでひっかかったという事例もありますが、文中にスパムを疑わせるキーワードが入っていたのではないかと勘ぐっています。何がそれに該当するかはわかりませんが。

何回も間違えると、それ以降はしばらく日にちを空けないと全てをスパムとして扱われることがあるのでは。>
IPだけでなくメルアドも記憶されてしばらく拒否されるようで、1週間ほど間をあける必要があるという意見もありましたがはっきりしません。
技術が高度化するにつれ、使用法も複雑になるという一例ですね。

最後に鳥について
萩原秀三郎「日・朝・中の烏竿習俗からみた弥生時代のシャーマニズム」が三地域の鳥の習俗を紹介しています。
ttp://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M19/M192452/7.pdf
論文というよりは、紹介や要約なのですが、最後に写真が掲載されているのが貴重です。

投稿: ddol | 2012年8月27日 (月) 20時45分

minoさん。全文掲載して下さって恐縮です。
慌てている様子が見えて恥ずかしいですね。

teraさん。当初の秋葉社からずれた上にぐたぐたになってしまい、申し訳ありませんでした。

投稿: ddol | 2012年9月 3日 (月) 21時49分

ddolさん、申し訳無かったのはこちらの方です。

もし重複があって消去したいコメントがあれば、言ってください。
こちらで消去をします。

投稿: mino | 2012年9月 4日 (火) 00時15分

minoさん。
重複などで読みづらいでしょうが、元々公開を前提で送信していますので、このままでけっこうです。

投稿: ddol | 2012年9月 6日 (木) 20時57分

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