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2012年8月 2日 (木)

五所川原駅 1991年 - 青森県五所川原市

 

  1991年の第1回東北旅行の際に立ち寄った五所川原駅。

ここから津軽鉄道で太宰治の生家である斜陽館を訪れるために金木(かなぎ)まで行って来ました。

残念ながら、写真フィルムの装填ミスで空撮りになってしまい、五所川原以降の写真はありません。

今夏、その失敗を挽回すべく、こちら方面に出かける予定になっています。

青森近辺では現在「ねぶた祭り」真っ最中ですね。

 

  五所川原駅にて。

  弘前、川部から乗ってきたキハ58。

Img872

 

  五所川原駅。

  画像検索で確認したところ当時と現在とでは大きな変化はなさそうですね。

Img874

 

  津軽鉄道の津軽五所川原駅。

Img873

撮影 1991/09/17

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コメント

烏はまだ捜索中ですが、太宰治の名が出たので少しコメントします。

ご存知のように太宰は最後は三鷹で過ごしました。そのためJR三鷹駅付近には太宰関係の場所が多く、何年か前に案内板が立てられました。
三鷹駅の真下を流れる玉川上水沿いに、「玉鹿石 青森県北津軽郡金木町産 1996年(平成8年)6月」とだけ書かれたプレートがあり、その横に玉鹿石が据えられています。注意しないと見過ごしてしまうほどひっそりと設置されています。このあたりで山崎富栄と入水したそうで、太宰を偲んで故郷から石を運んで来たとのことです。

三鷹市のHPによると太宰は鉄道が好きだったようで、かの三鷹電車庫を陸橋から撮影した写真も残っているそうです。
今は陸橋はありませんが、時々金網越しに電車を操車する様子を眺めている人がいます。

投稿: ddol | 2012年8月 5日 (日) 20時52分

太宰、玉川上水、東京では、森田童子の「まぶしい夏」(YouTube でね)が一押しです。
これは昔、kyonさんに薦められて聴きました。

それと猪瀬直樹の「ピカレスク 太宰治伝 (文春文庫)」
彼の「識者」や副知事としての言動は「?」なんやけど、面白いものを書いてと思うんや。
マーケットに寄り添う政治家(小泉さんのような)は、基本的に支持してるんやけど、、
それなりの文章を書いてた人に関しては、ちょっと興ざめ^^;

青森。弘前市の人口は八戸市より少ないとのこと、知ってました。

中世・近世の青森は、南部氏と津軽氏なんやろうけど、九戸氏が面白い。

投稿: tera | 2012年8月 6日 (月) 06時06分

太宰はどういう訳か、あまり読んでないんですよね。
ddolさん、三鷹とかまったく地理感がなくて、中央線で何度も通ってますが、まったく分かりません。

teraさん、九戸氏は秀吉の最後の鎮圧戦の相手だっと記憶してますが。
なぜか、小田原の役で天下統一となってるんですよね。

投稿: mino | 2012年8月 6日 (月) 16時44分

森田童子はほとんど知らないのですが、内容からすると随分古い曲ですね。逆に昔の三鷹近辺の雰囲気が少しわかりました(今も所々に竹林があります)。

猪瀬直樹の「天皇の影法師」の冒頭で太宰の墓が三鷹にあることを知りました。寺の名前は奇しくも禅林寺です。
「土地の神話」が面白かったように記憶しています。現在は東京ローカル局によく登場します。

投稿: ddol | 2012年8月 7日 (火) 21時09分

ddolさん
森田童子は、大学生の頃、kyonさんの部屋で聴かされてれ知りました。1970年代後半の学生(の一部ね^^;)の心象風景のような感じがしました。
ところが、90年代に大ヒットしたテレビドラマ「高校教師」の主題歌が「僕たちの失敗」で、ちょっとびっくりしました。

minoさん
「奥州仕置」は、面白いですよね。河内源氏系の南部氏と同族の九戸氏との関係とか、
千葉氏系の相馬氏が明治まで生き残るとかもね。

横道のそれるけど、千葉氏は鎌倉~室町前期、下総結城浦・双子浦等と鎌倉六浦の海上ネットワークを中心に、元寇から南北朝にかけて、伊賀国守護・大隅国守護、筑前今津後浜の地頭職等で西国に勢力を伸ばす。
とりわけ、肥前の小城は、千葉氏嫡流を継承し、朝鮮・大陸との交易を担っていたいう話を野口実さんがやってます(武家の棟梁の条件、中公新書)。千葉氏は、房総では結局生き残られへんかったわけやけど、九州でけっこう勢力を伸ばしていたらしい。
以前の話題やけど、古代より伊勢湾と東国の海上交通は密接で(伊勢平氏と東国平氏との関係等)、伊勢湾に陸揚げされた東国の物資が、鈴鹿越などでで京都に運ばれていたことは有名。熊野灘を漕ぎ渡る和船の構造と経済性の問題があるというtera2さんの指摘はもっともなんやけど、海上ネットワークの広がりはもっと広くみてもいいんやないかな(八咫烏=熊野社のネットワークも、陸奥ー房総ー伊豆ー熊野ー土佐ー種子島に)

投稿: tera | 2012年8月11日 (土) 06時51分

なるほど。九州の小城氏は千葉氏なんですね。小城も一度は行ってみたいと思いつつもなかなか行けてませんが。

これも横道にそれますが、千葉氏系統で旗本に名を連ねている家系では金田氏がいますね。
特に戦後、半島系の人が通名で名乗ることが多かったので誤解されているようですが、れっきとした武家なんですよね^^;

海上ネットワークの話も興味をそそられる話ですね。
また、まとまった本があれば紹介して下さい。

投稿: mino | 2012年8月11日 (土) 13時02分

minoさん
金田氏が千葉一族にはびっくり^^;
google mapで調べると、千葉の木更津辺りに、金田がけっこうあるなあ。

投稿: tera | 2012年8月13日 (月) 05時07分

千葉の木更津辺りに、金田がけっこうあるなあ>これについては、チョッと知らなかったです。
旗本の金田氏は中世に三河に移り、松平家の被官として付き従って、そのまま旗本として残ったようですね。

千葉氏系統には他にも金原氏とか、金がつく氏があって特異だなあとは思ってました。
実は金田氏についてはその所領が現在の岐阜市の郊外に2家あって、それで調べてみたんです。

それから、九州の筑豊に金田(かなだ)という地名が在りますが、戦前から半島系の人が多くいた場所ですから、通名の金田と名乗ったのはこの地名がヒントになったのかなあと妄想しています。
今では確かめようが無いとは思うんですがね。

投稿: mino | 2012年8月13日 (月) 09時45分

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