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2013年1月31日 (木)

長崎市を観光(15) - 最終日 防府から帰途に(1)

 

  山口県の防府市(ほうふし)で一泊して、最後はひたすら1日かけて岐阜に帰るのみの旅程です。

何回も書きますが今から思えば随分無理な日程を組んだものでした。

朝の8時過ぎに防府を出発して岐阜に帰るまでに、電車の乗り方にもよりますが、大体2時間から3時間の余裕があり、その時間をどこで、どれぐらい使うかによって疲労具合も異なってきます。

けっきょく、1時間半ぐらいを宮島口で過ごし、その後は寄り道らしい途中下車は行わず、その引き換えに岐阜には予定より早く帰るという道を選びました。

それでも、前日の長崎から防府までの長距離移動で、すでに体力、気力とも弱っていたのか、岐阜へ帰って2、3日の内に久し振りの風邪をひいてダウンしてしまいました。

 

  朝の防府駅前。

  日曜日ということもあり、静かな駅前でした。

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  防府は周防国(すおうのくに)の国府のあった地です。

 明治になってから旧長州藩主の毛利元昭が当地に建てた邸宅と庭園が残っており、防府天満宮と共に防府市の見どころとなっています。

  種田山頭火の出身地ですが、具体的な遺構は無いようです。

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  防府駅前の駅前道路。

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  防府駅駅舎。

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  防府駅8時11分発の岩国行き普通。

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  徳山駅にて。

  岩徳線(がんとくせん)用のキハ40。

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  岩国駅にて。

  ここで広島方面の電車に乗り継ぎ。

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  天気も良くなり、宮島口駅で途中下車してみました。

  宮島へ渡るかはその時の気分次第という気持ちで下車しました。

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  フェリー乗り場への途中左手に広電の宮島口駅。

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  広電宮島口駅構内。3線のホームがありました。

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  こちらが改札。

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  JR宮島口駅前の大通りの正面にJRの宮島行きフェリー乗り場。

  その左手に広電宮島フェリーの乗り場があります。

Dsc05943

Dsc05949

 

  手前がJRのフェリーで向こうのフェリーが広電宮島フェリー。

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  並んでいる乗客の数の多さに、宮島へ渡るのを諦めました。

  正月初めての日曜日なので参拝客も多かったのでしょう。

Dsc05955

 

  JR宮島フェリーの切符売り場。

  かなり派手ですね。コインロッカーにも宮島行きの表示が。

  広電との競争が激しいんでしょうね。

Dsc05956_2

 

  こちらが広電宮島フェリーの乗り場。

Dsc05957

 

  広電宮島口駅。

Dsc05958

撮影 2013/01/06

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コメント

何故か、山口と佐賀は行ったことのない(通過も含めて)の県なんや。それでこの春にでも山口にいってみようかなと思って、萩などのminoさんの昔のブログ見てます^^
萩や下関・防府も行きたいんやけど、tera2さんは山口市がいいよ、といってました。

幕末・維新期に、倒幕に動いた大名は、結局廃藩置県で伝来の領地を取り上げらてしまうわけやけど、毛利の殿様は、どういう感慨を抱いていたのかなあ。薩摩や土佐の殿様は、けっこう恨みつらみをのべてはるけど、両藩と違い家来に「騙された」感じが薄い毛利の殿様の感想は、伝え聞かない。

なるほど、種田山頭火やね。
うしろすがたのしぐれていくか

minoさんの在所関連では、泉鏡花の「高野聖」のイメージで
分け入っても分け入っても青い山

宮島、残念やね。厳島神牡の参道沿いに、牡蠣の美味しい店が。

投稿: tera | 2013年2月 3日 (日) 05時50分

ご無沙汰になります。
ようやく環境が整い、寝食だけは出来るようになりました。

暮らしてみると大阪は随分東京と違い、日々驚きです。
東南北を見ると必ず山があり、少しだけ息苦しさを感じます。また坂らしい坂がなく、川も整備されていて、東京の荒らぶる川とは比べ物になりません。都内の城は大抵こうした地形を利用して作られています。
街には人が、道には車が少なく、東京に毒されていることを実感します(現在は東京の繁華街もかつての8〜9割の人出です)。

今日は自転車で杉本町に行ってきました。当然のことながら私の知っている町ではありませんでしたが、喫茶店グルマンやいわし亭はそのまま残っていました。Google Viewではイーグレットが表示されていたので楽しみにしていたのですが、現在は廃業していました。
大学は建物を無秩序に乱立させたようで、ちょっと東京のビル群を彷彿させられました。なんちゃら大学東京も同じですが、どうも自治体の大学はセンスがないようです。

昔話と現況報告でした。

投稿: ddol | 2013年2月 3日 (日) 18時25分

teraさん 山口と佐賀は行ったことのない(通過も含めて)の県なんや<
それも珍しいですね。

山口市、いいですよ。
私は瑠璃光寺の五重塔見たさに行ったのみで、本格的には回っていないのですがね。
2001年の桜の頃に訪れましたが、山口市は県庁所在地のなかでは最も閑散とした町でした。
その際に同時に宮島を訪れているので、今回はまあいいか、と言う感じで帰りました。

山口と言えば秋芳洞、秋吉台へは修学旅行で来ています。湯田温泉の旅館に泊まって枕投げをしました^^;

ddolさん、イーグレットはついになくなりましたか。
藤井寺からだと自転車で行ける距離なんですね。
昔、一回生の時、河内天美から自転車で通学してる同級生がいました。安上がりでいいなあと・・。

東京は、というより東京の郊外も含めて全く感覚としてわかりません。
ですから、岐阜や名古屋とは比べられますが、東京は比べようが無いですね。
ともあれ、無事の引越しご苦労様でした^^。

投稿: mino | 2013年2月 3日 (日) 21時43分

ddolさん
大阪に越してきたんやね。飲みに行きましょう。連絡ください^^

東京のイメージは、やたら坂が多いこと。大阪は上町台地が頂点なので、わかりやすいわな。
杉本町はご無沙汰なんやけど、「イーグレット」がなくなってるとは^^;「夏爐」覚えてます?これも廃業したとか。

>大学は建物を無秩序に乱立させたようで
バブルの最後に、大阪市にお金出させて、いっぱい建てたんや(いわゆる「大学正常化」とともにね)。当時、大阪ベイエリア構想とか市の将来ビションに関わった先生はたくさんいたんやけど、全部失敗してしまい、おいらが大学院生だった頃(90年代初頭)でも、すでにその言い訳の自信を失ってはったわ^^;

次に書く「大学史」でも、そういうことは書かないやろね。これが「歴史」というもんやと思ってます^^;

minoさん
見逃してたわ、山口のブログ、もう一回見てみます。
中学の修学旅行は日光で、枕投げした記憶しかない。高校では、暴れるからということで修学旅行はなかったわ^^;

投稿: tera | 2013年2月 4日 (月) 06時39分

teraさん 山口の記事は上げてないと思います。
このブログは2005年からですから、上げてないのでは(ブログ内検索しましたがありませんでした)。

高校では、暴れるからということで修学旅行はなかったわ^^;>
でも、スキーとか登山やキャンプ等の修学旅行に替わるイベントはあったのではないですか?

家庭教師で子供に聞いたら、最近は(当時)キャンプとかスキーとかに行くって言ってたような記憶があります。

「夏爐」→「レモンライス」^^

投稿: mino | 2013年2月 4日 (月) 08時32分

高校では、暴れるからということで修学旅行はなかったわ^^;>
これが本当の理由かも知れませんね。当時教師からは、共通試験が初めて導入されるので、それに備えて修学旅行という形を廃止すると聞かされました。
そのかわり長野でスキーを覚えたのでラッキーでした。

夏爐>
大学の近くにあった喫茶店だそうですが、まったく記憶にありません。
杉本町駅の西側をちょっとだけ走ったのですが、わかったのはグルマンだけで、道もこんなだったのかなという感じでした。お好み焼きやがあったはずなのですが。
杉本町公園近くの貨物線も完全に撤去されていました。
駅はなぜか高架化されていませんが、大学側に出入り口が新設されていました。

この日はあびこ観音の節分とかで、御堂筋線あびこ駅は人でごった返していたのに、杉本町駅は閑散としていました。

投稿: ddol | 2013年2月 4日 (月) 21時08分

minoさん、そうか山口の記事はないんや。残念。

minoさん、ddolさん
「夏爐」が無くなるというのは、毎日新聞で知りました。大阪市大の名物喫茶店廃業、だったかの記事で。うんうん、やっぱりレモンライスやね^^
ddolさんともいった記憶があるんやけど、昔の話で微妙^^;

ddolさんは、スキーなんや。修学旅行がスキーとかになるのは、尾崎豊の「校舎のガラス割り」世代で、スキー場なら管理しやすいからと、同性代のうちの嫁がいってました。

おいらの高校は、「生徒の自主性」にまかせるとかで、学校単位の修学旅行や遠足もなし。
かわりに、クラスごとで話し合って行先を決め、参加したい人だけでいく。うちのクラスの「修学旅行」は潮岬で、みんなで野球をした記憶が^^。

投稿: tera | 2013年2月 5日 (火) 05時03分

修学旅行>昔は旅行の機会が無くて、一種の社会勉強の意味合いもあったので、現在のように自由にかつ頻繁に旅行できる時代になれば、必然的に学校から旅行する意味がなくなったのでしょうね。
最近の修学旅行では、クラスで数人のグループに分かれて、自分たちで目的地のどこを観光するかを考えてプランを作り、タクシーなどで移動して京都見物している中高生をよく見かけますが、私たちの年代からは羨ましい限りです。

ddolさんはそう云えば共通一次第一世代だ!
T先生が言ってましたが、あの制度が出来る前と後では学生の質が変わってしまったそうで。
つまり、総じて真面目になって、授業にもちゃんと出るし、とか言ってました。
授業に出ない私に対して^^;

投稿: mino | 2013年2月 6日 (水) 09時09分

ddolさんともいった記憶があるんやけど、昔の話で微妙^^;>
失礼しました。ネットで写真を見たのですが、どうしても思い出せません。線路の西にあったのでしょうか。

修学旅行>
高校教師に聞いた話では90年代には海外に行ったりしたそうですが、最近は貧富の差が開いたため、遠足なども含めてなかなか難しいそうです。

T先生>
残念ながら昨年9月に他界されました。退職時、学生から突きつけられた宿題を最後まで解くことができなかったのが心残りだという言葉が強く印章に残っています。
時々飲みに連れて行ったもらった店も、道路の拡幅で今は残っていませんでした。

投稿: ddol | 2013年2月 6日 (水) 12時43分

そうですか。T先生、お亡くなりになったんですか。
随分ご迷惑をおかけした・・・。

投稿: mino | 2013年2月 6日 (水) 22時45分

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