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2013年2月

2013年2月27日 (水)

「うだつ」の上がる町並み 美濃市(岐阜県美濃市)を散策(2) - 旧名鉄美濃町線美濃駅跡

 

  長良川鉄道美濃市駅から駅前通りを真っ直ぐに進むと、一つ目の信号のある交差点の角に旧名鉄美濃町線美濃駅跡があります。

駅舎は昔のまま残り、往時の車両が展示されています。

ただ、市から委託されていた会社が2月限りで撤退する旨の張り紙があり、駅舎内と構内は乱雑な状態となっていました。

隣接する道路脇の用地に市がポケットパークを整備中なのですが、業者さんのHPを見てみると、この旧美濃駅を管理している業者さんとポケットパークからの出入りを24時間とする市側との間に考え方の相違があり、取り敢えず撤退をするという旨が記されていて、その結果が現在の駅舎内の状態の原因のようです。

うまく決着して、貴重な鉄道遺産を末長く保存していただきたいですね。

 

  長良川鉄道越美南線美濃市駅前。

  駅前通りを道なりに行きます。

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  旧名鉄美濃駅駅舎。

  1995年に訪れた当時のまま保存されていました。

  駅名板は異なっています

  美濃~新関の間の廃止が1999年、全線廃止が2005年です。

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  駅舎内は業者さんの撤退準備で乱雑な状態に。

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  廃止当時の時刻表ではなく昭和45年頃の時刻表が復元されています。

  廃止当時は美濃~新関間の区間運転のみでした。

  昭和45年頃は岐阜市内への直通はもちろん急行も運行されていて、最も華やかな時代ですね。

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  業者さんと保存会の連名でのお知らせ。

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  このように駅舎は駅前通りに面しています。

  長良川鉄道美濃市駅方向を振り返って。

  帰りはこの駅舎前の「美濃」バス停から岐阜バスJR岐阜行きで帰りました。

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  そのまま通りを進みます。

  「うだつの上がる町並み」へと矢印で案内されています。

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  突き当たり右へ曲がると町並みです。

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  「うだつの上がる町並み」はこの通りと並行してもう一本あります。

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  観光客は年配者を中心に意外に多かったです。

  ただ、月曜日ということでお店が休みの所が多数。

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  撮影 2013/02/25

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2013年2月26日 (火)

「うだつ」の上がる町並み 美濃市(岐阜県美濃市)を散策(1) - 長良川鉄道で美濃市へ

 

  月曜日ではありましたが、天気が良いので、多少の寒さは仕方がないと、急遽出かけることにしました。

取り敢えず最寄の名鉄各務原線(かかみがはらせん)の駅から東に向かい、木曽川を挟んで対岸が犬山市という新鵜沼駅で下車しました。

ここで少し脳裏を横切ったのは、向こう三年間は可児市と御嵩町が、廃止論議のある広見線(新可児~御嵩間)に年1億円の支援継続することで当面存続することになったという情報でした。

それに関する岐阜新聞の記事。

 

  犬山経由の名鉄で行くのはマンネリ感があるのでJRによる高山線、太多線(たいたせん)経由で可児駅まで行き、そこで新可児駅から御嵩へという、そんなイメージを抱いてJRの鵜沼駅から太多線の分岐駅である美濃太田駅へ向かいました。

しかし、美濃太田駅でいつものように写真を撮っていましたが、ふと気づくと太多線の多治見行きまで30分以上の待ち時間となってしまいました。

これが大きな分かれ目となり、つい、いつもの気まぐれが出て、あと10分足らずで出発する長良川鉄道越美南線の北濃行きで、かねてから考えていたプランの一つである美濃市を訪れることに方針を大転換。

こうして、越美南線には数十年振りに乗車するということとなりました。

 

  越美南線に乗車するのは中学生以来で、当時はもちろん国鉄の時代で、たまたま父親から蛇腹式のコンパクトカメラを貰ったことをきっかけに、岐阜駅からC-58が牽引する普通列車で高山線を美濃太田へ向かい、美濃太田からは越美南線の関駅までディーゼルカーに(多分)乗りました。

しかし関からは名鉄美濃町線ではなくバスで帰ったところが修行の足りない(鉄道ファンとして)中学生の限界でしたね。

ただ、言い訳がましいですが、当時は写真や鉄道よりも、本人は小さな旅行をすることに意義を見出していたということだったのでしょう。

  後に高校生になってから初めて夜行を利用した長距離一人旅を敢行しますが、その時もカメラを持参しながら撮った写真は、奈良西ノ京のまだ西塔のみならず何も無かった当時の薬師寺の写真のみ。

鉄道による旅行には興味はあったものの鉄道自体を写真に残す意識は皆無だったようです(鉄道雑誌は買っていたので鉄道ファンではあった)。

 

  写真はJRの鵜沼駅から始まります。

  岐阜発美濃太田行き普通キハ11の4両編成。

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  鵜沼からの列車は坂祝(さかほぎ)、美濃太田と残り2駅のみ。

  坂祝までの途中では木曽川を右に見ることができます。

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  坂祝駅にて。

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  鵜沼からは10分くらいで美濃太田駅に到着します。

  太多線(たいたせん)の美濃川合駅近くに美濃太田の車両基地があります。

  蒸気機関車の時代から高山線の車両は殆んどが美濃太田所属で(飛騨地方は異なる)、現在もそれは変わっていません。
  もちろん特急車両はその限りではありませんが。

  長良川鉄道は一度JRの改札を出なければなりません。
  ホームに自動券売機があり、職員さんによる券売もあります。
  土日祝日の1日乗車券や企画切符はここで購入できますが、朝は9時以降となります。

  その他の有人駅は関口駅(土日祝祭日のみ)、関駅、美濃市駅、郡上八幡駅、郡上白鳥駅で営業時間は駅によって全く異なるので注意が必要です。

 

  鵜沼から乗車してきた普通列車と長良川鉄道車両の後ろ側。

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  長良川鉄道車両内。

  後ろ乗り前降りのワンマン列車。

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  美濃市駅に到着。

  長良川鉄道の車両基地は関駅にありました。

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  この列車は終点の北濃まで行く7本しか無い数少ない列車です。

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  長良川鉄道利用者限定でレンタサイクルもありますが(1台500円)、駅から「うだつ」のある町並みまでは歩いて8分ということで、改札横に置いてある地図を貰って出発しました。
  この駅にはコインロッカーも見受けられますね。

  町中を歩くと様々な場所に地図が置いてあるので困ることはありません。

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  駅前は閑散としています。

  ここからJR岐阜駅までのバスが出ています。

  バス停はこの写真の左。

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  撮影 2013/02/25

 

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2013年2月23日 (土)

名鉄 常滑線(とこなめせん) 太田川駅 - 河和線(こうわせん)が分岐

 

  名鉄の太田川駅は名古屋市の南の東海市にある駅で、この駅から河和線が分岐し、名鉄における知多半島での重要な拠点駅となっています。

前回訪れたのも去年の2月で、この時は河和線の坂部駅から知多武豊、そしてJRの武豊駅から岐阜へ戻るというルートを取りました。

去年の2月5日の写真(既出済みもありますが)とあわせて、太田川駅の様子です。

 

2012年2月5日撮影

  太田川駅の3階部分。

  河和(こうわ)線の名古屋方面行きの電車が主に発着します。

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  3階は1面2線で、5、6番線となっています。

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  下に下りるまでは単線。名古屋方面金山行き普通。

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  2階から見上げた3階部分。

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  太田川駅の南方向。

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  2012年2月5日の駅前と駅舎。

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  去年の(2012年)2月5日はこんな状況でした。

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  以上撮影 2012/02/05

 

  ここから今年の(2013年2月3日)の写真。

  外へ出なかったので去年と比較のしようが無いですね。

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  中部国際空港行き特急2200系。

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  撮影 2013/02/03

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2013年2月22日 (金)

名鉄 常滑線 大野町駅(おおのまち えき) - 愛知県常滑市

 

  名鉄常滑線で大草城跡(愛知県知多市)と大野城跡(常滑市)を訪れた際の常滑線大野町駅。

大野町駅から北にある大草城跡は知多市に属します。

その南にある大野城跡は佐治氏4代の居城跡で、最後の城主である佐治一成(さじ かずなり)が大野城を退去した後に織田信長の弟である織田長益(有楽斎)が城主となるものの、長益は大野城を廃城として大草城を築城します。

しかし、大草城も完成を待たずに長益が摂津に移封となり廃城となりました。

 

  大野町駅(おおのまちえき)にて。

  中部国際空港発太田川行き普通6800系2両編成。

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  中部国際空港発 太田川行き普通6000系4両編成。

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  中部国際空港行き特急2200系の大野町駅通過。

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  同じく中部国際空港行き特急「ミュースカイ」2000系 後ろから。

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  大草城模擬天守風展望台。

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  大草城展望台から見える大野城跡の大野城模擬天守風展望台。

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  撮影 2013/02/03

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2013年2月18日 (月)

大草城、大野城からの帰り(4) - 夕闇の中の名鉄各務原線(かかみがはらせん)新鵜沼駅(岐阜県各務原市)

 

  知多半島にある二つのお城跡を訪れたあと、常滑方面から名古屋に戻り、神宮前駅で乗り換えて犬山線の犬山遊園駅まで来て下車。

そこから犬山橋を渡って岐阜県側の各務原市新鵜沼駅まで歩いて、いろいろ写真を撮っているうちに暗くなってしまい、JRの鵜沼駅改札前遊歩道内から名鉄各務原線の電車を写す頃には予想以上に暗くなって少々計算違いとなりました。

 

  名鉄新鵜沼駅前。手前左の自由通路からJR鵜沼駅へ。

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  JRの鵜沼駅改札前。この前からガラス越しに撮ります。

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  右の単線が高山線。

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  自由通路を名鉄新鵜沼駅へ戻る途中、空港特急「ミュースカイ」2000系が到着。

  右側はやはり空港特急の2200系。

  遠くに小さく犬山城が見えます。帰ってから気がつきました。

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  撮影 2013/02/03

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2013年2月16日 (土)

大草城、大野城からの帰り(3) - 犬山橋 新鵜沼側 岐阜県各務原市(かかみがはらし)

 

  知多半島の大草城跡(知多市)と大野城跡(常滑市)を訪れた後の帰り、名古屋から犬山線に入り、犬山市の犬山遊園駅で下車しました。

その後、ツインブリッジとなった犬山橋を岐阜県側の各務原市に渡り、名鉄新鵜沼駅まで歩きました。

その犬山橋の新鵜沼側。

 

  かっての道路・鉄道併用橋であった犬山橋を渡る新鵜沼行き特急パノラマスーパー1200系+1000系。

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  新鵜沼駅を出て犬山橋に向かってくる5000系。

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  犬山橋を渡りきり新鵜沼駅に向かう岐阜行き普通5000系。

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  犬山行きの表示があるので岐阜発各務原線の普通のようです。

  1800系2両編成、パノラマスーパーの増結用車両で普通電車などにも運用されています。

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  特急パノラマスーパー1000系+1200系豊橋行き。

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  犬山橋を犬山方面に向かうパノラマスーパーの後部。

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  新鵜沼行き急行6000系。

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  薄暮の木曽川と犬山城。

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  新鵜沼駅前。

  左手前の自由通路をJRの鵜沼駅改札へ向かいます。

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  撮影 2013/02/03

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2013年2月14日 (木)

大草城、大野城からの帰り(2) - 犬山駅から犬山遊園駅と犬山橋

 

  犬山駅でかなり道草を食って、岐阜行きの急行に乗り込み次の犬山遊園駅で下車。

犬山遊園駅からツインブリッジとなった犬山橋を渡って新鵜沼駅まで歩きました。

 

  小牧線の平安通行き普通300系。

  2003年まで小牧線は長い間上飯田駅までのいわゆる盲腸線でしたが、名古屋市営地下鉄の上飯田~平安通間(上飯田線)が開通して犬山~平安通間の相互乗り入れが実現し、さらに市営地下鉄の環状線である名城線との連絡も平安通駅で実現しました。

  名古屋市交通局は7000形車両で運行しています。

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  当駅(犬山駅)終着の3150系普通。

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  岐阜発犬山終着の1800系。

  犬山からは新たに広見線新可児行き普通となりました。

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  新鵜沼発の特急パノラマスーパー先頭2両特別車1000系。

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  岐阜行き急行6500系が到着。

  次の犬山遊園駅まで行きます。

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  犬山遊園駅で下車。

  ここから犬山橋を歩きながら新鵜沼駅まで行きます。

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  ツインブリッジとなった犬山橋。

  かっての鉄道・道路併用橋は右側の橋です。

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  犬山橋から夕暮れの犬山城と木曽川。

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  撮影 2013/02/03

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2013年2月13日 (水)

大草城、大野城からの帰り(1) - 名鉄常滑線西ノ口駅から犬山駅へ(愛知県)

 

  この日の目的であった大草城と大野城を見終わって帰ることになりましたが、まだ日は高いので犬山線から各務原線(かかみがはら せん)経由で岐阜に帰ることにしました。

犬山といっても犬山遊園駅で下車してツインブリッジとなった犬山橋を岐阜県側に歩いて渡るといういつもの行動パターンを繰り返すだけの話なのですが。

 

  大野城の模擬天守風展望台が望める名鉄常滑線西ノ口駅。

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  この駅には留置線があり、ミュースカイ用の2000系が留置されていました。

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  中部国際空港発太田川行き普通6500系2両編成が到着。

  太田川駅で後続の特急を待ちます。

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  三階建ての太田川駅で後続の岐阜行き特急2200系に乗車。

  特急としては一駅次の神宮前駅で犬山方面への電車を待つことに。

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  神宮前駅にて。

  犬山線新鵜沼行きの特急「パノラマスーパ」1000系+1200系に乗り換えます。

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  犬山駅に到着。

  パノラマスーパー後部の特別車1000系展望車。

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  犬山駅にて。

  手前から犬山線、常滑線、河和線経由の河和(こうわ)行き急行6500系、小牧線平安通行き普通300系、行き先不明の1800系。

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  犬山線から本線に入る東岡崎行き普通6800系2両編成が出発。

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  ホームから犬山駅の東口。

  犬山の町並みや観光名所は西口に出ますが、明治村、モンキーセンター、リトルワールド等へのバスの発着停留所は東口に集中しています。

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  撮影 2013/02/03

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2013年2月12日 (火)

知多大草城跡(愛知県知多市)と大野城跡(愛知県常滑市)を訪れる(6) - 大野城跡を後にする

 

  展望台のある本丸から下りる事にしましたが、下りている時点では北に向かっているものとばかり思っていましたが、帰ってから地図でみてみるとほぼ東に向かって下りていました。

北に下りると下に数台の車を収容できる駐車場がありますが、私は随分と東に下りたことになります。

どちらにしても、城跡を下り切ると東西の道路があって、その道路を西に歩いていくと国道155号線の交差点に出るので、当面はそこに向かうつもりでした。

 

  本丸下の西側から模擬天守風展望台。

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  反対側には門がありました。

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  その門前を天満社に向けて下ります。

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  問題はここの場所ですね。

  そのまま車の通れる道を道なりに下りたので随分と遠回りとなりました。

  向こうの坂が下りてきた道です。

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  道路が北西から西に向きを変える場所にある清閑寺。

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  東西の道路を西に向かってやっと天満社にたどり着きました。

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  やはり、近道があったようですね。

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  戦前の社格は村社。

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  祭神は菅原道真。したがって左右に牛がいます。

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  こちらは本殿横の摂社・末社。

  秋葉社などが鎮座していました。

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  再び道路に戻り、西に向かいました。

  向こうの方に国道155号線の信号が見える場所に城山公園駐車場がありました。

  ここからも本丸への上り口があります。

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  国道との交差点。

  青の信号の道路からこちら、南西に渡ったところ。

  堀田交差点。

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  南の西ノ口駅方面に戻り、最初に城跡に上った小道の有る葬儀会館裏。

  城山公園の案内は北から来る車の来訪者への案内で、次の信号のある交差点(青海山団地西交差点)を左に曲がりなさいと言う案内板です。

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  北を振り返って。

  城跡の西側に延びる郭の末端と思われる小高い丘陵。

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  西ノ口駅に戻ってきました。

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  駅プラットホームから見える大野城跡の展望台。

  ここから見るとそんなに比高はないように見えます。

  大草城跡からは山の上高くにあるように見えたのですが。

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  撮影 2013/02/03

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2013年2月 9日 (土)

知多大草城跡(愛知県知多市)と大野城跡(愛知県常滑市)を訪れる(5) - 大野城跡(2)

 

  尾張大野(愛知県常滑市)の大野城跡は中世に一色氏が築き、のち一色氏が衰運すると替わりに佐治氏が入り、知多半島の西部を四代に渡って支配しました。

三代目の佐治信方が織田信長の妹であるお犬の方を娶ってからは織田家とは密接な関係となります(一門衆といっても良い)。四代目の一成(かずなり)の時代に秀吉、家康の小牧・長久手の戦いで家康に便宜を計ったことで秀吉の怒りを買い、佐治一成は大野城を退去してここに佐治氏の大野城をはじめとする知多での支配は終わりを告げます。

のち一成は叔父の織田信包(のぶかね)のもとで家老となり、信長と側室のお鍋の方との間の娘である御振を娶り、京都で66歳で死去。
その墓は信包と同じ龍安寺にあるそうです。

 

  史実に無いと言えばそうですが、観光の観点から言うと絶対にあったほうが良い模擬天守風展望台。

  こんないい加減なものを建てて、と言う人もいらっしゃいますが、これはこれで良いと思います。

  というか、余りにも怪しげで大好きです。

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  こんな所になぜ鳥居がとおもったら下の案内板で分かりました。

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  展望台前から。

  木が茂っている場所は一段高くなっており、佐治神社が鎮座しています。

  元々は望楼が築かれていたのだろうといわれています。

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  階段を上って佐治神社へ行ってみます。

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  少し拍子抜けの小さい佐治神社でした。

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  右側の像は最後の大野城主である佐治一成。

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  展望台に入ってみると、佐治氏関係の掲示物が壁のあちこちに展示されていました。

  なかなか参考になります。

  地図とパンフもここで手にいれました。

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  佐治与九郎一成とお江とのツーショット。

  前回の記事をご覧になった方は覚えてますね。

  徳川二代将軍秀忠の奥さんのお江の最初の嫁ぎ先は佐治一成です。

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  大野城図。

  原図は徳川美術館と同じ敷地内にある蓬左文庫に所蔵されています。

  尾張領内にあったお城の古図の多くが現在は蓬左文庫に所蔵されているケースが非常に多いです。

  尾張藩が統治にあたって藩内の古城を書き残したのでしょうか?

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  展望台から。国道155号線。

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  一成の退去後に大野城を廃城として織田長益(有楽斎)が築いた大草城跡が望めます。

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  伊勢湾。

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  佐治神社のある一段小高い部分。

  右下が斜面になっていますが、この後こちらに下りてみました。

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  この横には北に下りる階段があります。

  赤い矢印は天満社を指し示しています。

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  鳥居の斜面下からの展望台。

  桜のある撮影ポイントとしてパンフに載っていました。

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  ぐるっと北側に回りこみ、北から本丸への上り口にある門。

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  撮影 2013/02/03

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2013年2月 7日 (木)

知多大草城跡(愛知県知多市)と大野城跡(愛知県常滑市)を訪れる(4) - 大野城跡(1)

 

  大草城跡から名鉄の大野町(おおのまち)駅に戻って、電車で一つ南の西ノ口駅へ向かい、そこから今度は大野城跡を訪れました。
当初は大草城から直接大野城まで歩くつもりでしたが、少し弱気の虫が出て西ノ口駅まで一駅だけを電車に乗って移動しました。

大野城については何回も書きますが、14世紀の半ばに隣国の三河の一色氏が勢力を知多半島に伸ばして、この地に大野城を築き、一帯を支配下に置きました。

一色氏は足利氏の一族で吉良荘一色(現、愛知県西尾市一色町)を本貫地とした家系で、室町時代には四職家の一つとして勢力を振るい、14世紀後半には丹後、三河、若狭守護とあわせて尾張国知多郡・海東郡の分郡守護職も手に入れています。

海東郡は現在の海部郡(あまぐん 愛知県)の東半分の地域で津島市などがその地に含まれます。

もともと海東郡は尾張守護の支配地ではなく幕府の御料地だったそうですが、後に尾張守護となった斯波氏はこの結果、知多郡と津島を含む海東の地は支配していなかったということになりますね。

この事実はある意味面白いです。

(追記 海東郡は永享4年(1432年)に一色氏から没収されて斯波氏に返されている)

 

  そんな一色氏も足利義教との争い、そして応仁の乱でさらに衰運して、その隙に乗じて知多半島に勢力を扶植したのが佐治氏と渥美半島の戸田氏で、佐治氏は一色氏に替わり大野城、内海を拠点として半島西部を掌握します。

知多の佐治氏の初代については諸説ありますが、ここでは一色氏に仕えた佐治宗貞が一色氏を追って大野城主となり、以降四代に渡り大野城を中心として支配したと書いておきます。

三代目の佐治信方(さじ のぶかた)は織田信長の妹のお犬の方を娶り、のち信長方として伊勢長島攻めに参戦して、わずか22歳で討ち死に(異説あり)。

四代目が佐治一成(かずなり)で、浅井長政と織田信長妹の市との間の三女の江(後、二代将軍秀忠と結婚、三代将軍家光の母)を娶るも、小牧・長久手の戦いでの家康への便宜が秀吉を怒らせ、大野を退去して、当時伊勢に所領をもっていた叔父にあたる織田信包(のぶかね 信長の弟 丹波柏原(かいばら)藩初代藩主)のもとに逃れました(織田長益(有楽斎)が大野城に入城して、大野城を廃して大草城を築城)。
そして信長と側室お鍋の方との娘であり、従妹にあたる於振を正室に迎えたと伝えられています。

こうして見ると、三代目の佐治信方(さじ のぶかた)以降は織田家の一門としての歩みですね。

  ちなみに、緒川の水野氏と共に佐治氏と戦った阿久比の坂部城主の久松家は(家康の母の於大の方の再稼先で、久松との間に得た三人の男子は家康とは異父兄弟で、久松松平家を名乗る。末弟の家系が伊予松山藩藩主家)一色家の庶流の子孫であるそうです。

 

  大野町駅。

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  大野町駅にて。

  中部国際空港行き普通3150系。

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  いつもの「余湖くんのお城のページ」から拝借。

  「余湖くんのお城のページ」

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  西ノ口駅駅舎から見える大野城の模擬天守風展望台。

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  西ノ口駅。駅の東側に出ます。

  そのまま北に線路に沿って行き、踏切のある道路を右に折れてそのまま行くと国道155号線に出ます。

  左手がコンビニでさらに北に向かうと左手に駐車場を伴ったパチンコ店。

  その向かい側にCSKホール青海瑞雲殿という葬儀会館があります。

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  これがその葬儀会館。

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  お城が見えます。

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  建物の北の裏側に細い道があります。

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  年配の人が歩いて行く姿がありますが、私もこの後、この道を行きました。

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  葬儀会館を振り返ったところ。

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  上の大野城の図で、西に郭が段状に延びていますが、その谷側に道が付いているんだと思います。

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  住宅地まで道なりに登って来て、どこまで上に行けば?と思って振り返ったらこの案内板。

  下から上ってくる人のための案内板ではなく、さらに上の方にお城用の駐車場があるので、その人たちの為の案内板のようです。

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  振り返って分かるように山の上は住宅地となっています。

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  案内図の下の方に駐車場が描かれていますが、先ほどの国道155号線の信号のある「青海山団地西」交差点から山上の住宅地に上って行くと行けるようです。

  大野城で手に入れた地図には住宅地内の上り道路の途中に城への案内板があると記されています。

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  上記案内板から上へ。

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  突き当たって、右へ行くと反対側に抜けることができ、左へ行くとすぐトイレと遊具広場。

  こちらには展望台を下から桜を入れて写す撮影ポイントがあります。

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  左へ行きます。

  すぐにトイレと遊具広場があります。

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  そして、右に本丸への最後の階段があります。

  展望台も見えますね。

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  門が迎えてくれます。

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  大野城模擬天守風展望台。

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  北に大草城跡が望めます。展望台より。

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  撮影 2013/02/03

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2013年2月 6日 (水)

知多大草城跡(愛知県知多市)と大野城跡(愛知県常滑市)を訪れる(3) - 大草城跡から大野町駅に戻る

 

  織田信長の弟の織田長益(ながます 有楽斎)が大野城の替わりに築いた大草城は、小牧・長久手の戦いの後に秀吉によって長益が摂津に移封となり、大草城は築城中途で廃城となりました。

その後、江戸時代になり尾張藩は当地を家老の山澄淡路守英龍に与え、大草城跡は山澄氏の管理するところとなり、明治に至っています。

城跡には堀と土塁が大きく残っており、現在は大草公園として市民に利用されています。

大草城跡自体は知多市に属していますが、隣接する少し南の町並みは旧大野町(1954年に常滑町などと合併して常滑市)で、寺社仏閣を含めて古い町並みが残っています。

大野町を散策した訳ではありませんが、大草城跡から名鉄大野町駅までを歩きながら、その途中を写真に収めてきました。

 

  大草城模擬天守風の展望台。

  何回も書きますが、こういうのは大好きです。

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  大草城を離れます。

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  知多四国69番、知多西国17番の宝苑山慈光寺(じこうじ)、山門前。

  山門前の道路が知多市と常滑市の境です。

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  中に入ってみました。

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  山門を入ってすぐ右手にはこんな案内板。

  開基大野城主一色満範公という「一色」という名前は岐阜の人間にとっては新鮮です。

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  本堂。

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  こちらが弘法さん。

  六十九番という文字が見えます。知多四国69番です。

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  道路から参道と山門。

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  その左手。

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  南にある県道の陸橋から。

  陸橋に上がらなくても駅へは行くことができます。

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  駅への途中、町並み越しに西の踏み切りを見て。

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  駅の北の踏切から。

  大野町(おおのまち)駅を通過していく特急「ミュースカイ」2000系 新鵜沼行き。

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  大野町駅停車中の太田川行き普通6000系。

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  踏み切りを渡ると右手に小倉神社があります。

  大野城に置いてあった尾張大野のパンフレットには「高須賀町、市場町の氏神。現在は大野全体の神社となっている。」とあります。

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  中部国際空港行き準急3300系。

  踏み切りの左手が小倉神社。

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  駅北のホームの脇に人用の踏切があります。

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  その踏み切りを東に渡ると、風宮(かぜのみや)神社があります。

  パンフレットには「橋詰町の氏神」とあります。

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  風宮神社の後ろには朱も鮮やかな稲荷神社。

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  海側のホーム西にある大野町駅駅舎。

  午後1時頃に戻って来ました。

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  撮影 2013/02/03

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2013年2月 5日 (火)

知多大草城跡(愛知県知多市)と大野城跡(愛知県常滑市)を訪れる(2) - 大草(おおくさ)城跡

 

  名鉄の大野町(おおのまち)駅で下車するとまず北にある大草城に向かいました。大草城を訪れた後は、電車で南の西ノ口駅まで行き、今度は山の上にある大野城に登ることになります。

  しかし、この両城は距離もそんなに遠くは無いのですが、大草城は知多市、大野城が常滑市と行政区分が異なるため、大野城にあったパンフレットには大草城の位置は記されているものの「他所(よそ)の城」扱いで、少し苦笑せざるを得ませんでした。

  さて、大野城は三河の一色氏が知多半島(知多半島は尾張)に勢力を伸ばして築城(14世紀)しましたが、足利義教との対立から三河守護職を失い、さらに応仁の乱で勢力を失い、替わりに佐治氏が大野城主となり(このあたりもかなり曖昧)、緒川の水野氏と知多半島を二分する勢いで争い、入城してから四代にわたって知多半島西部を支配しました。
この佐治氏関係はかなりの異論が存在して、Wiki、武家家伝等で付き合わせてみても事実関係の記述が項目によって異なるという、そういう状態なので、ここでは最大公約数的な事実のみを列挙するに止めます。

  今日は大草城のお話なのですが、最後の大野城主であった佐治一成(さじ かずなり)は秀吉と家康の争いに巻き込まれ、一成と結婚した浅井三姉妹の内のお江の方とも離縁させられかつ大野城を追われて、替わりに信長の弟である織田長益(有楽斎)が大野城に入城します。
長益は山城である大野城を捨て、北に平城の大草城を築きますが、完成を待たずに長益は秀吉により摂津に移封されて大草城は廃城。

  とはいえ江戸時代の尾張藩の支配下になると尾張藩は家老の山澄淡路守英龍にこの地を与え、山澄氏は代々城址の管理を行ったために城址が保全されて現在に至っています。
城址はたとえ廃城といえども島原の乱の例のように反乱軍の拠点となることから尾張藩がこの措置を山澄氏に命じたものでしょう。同じ理由でしょうが、信長が築いて小牧・長久手の戦いで家康が改修した小牧山城跡(愛知県小牧市)も尾張藩が厳重に管理をしていました。

 

  大草城跡の全体。

  平城ではありますが、比高が何mかはありそうな高台となっています。

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  西から坂を上がりきって右手にある模擬天守風の展望台。

  本丸の北から撮影。

  個人的にはこういう建築物は大好きです。

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  いつもの余湖くんのお城のページから拝借。

  余湖くんのお城のページ、大草城

Ookusatyo

 

  土塁とお堀が大規模に残っています。

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  遊歩道が設けられていて、この場合は土塁上が遊歩道になっています。

  これは二の丸の北側の土塁上だったと思うんですが・・・。

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  左側に下りると城跡の北側のお堀の東部分。

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  北側から東側に回ります。

  堀沿いに通路が設けてあって、お堀を巡る事が出来るようにしてあります。

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  お堀の外側には民家があります。

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  東側の本丸と二の丸の間ぐらいで一旦外に出ました。

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  上に上がって。

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  上がった目の前にある津島神社。

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  すぐ右手に地蔵寺。

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  再び城内に入って、お堀沿いに戻るのではなくて今度は遊歩道を奥に突っ切ります。

  二の丸から土塁の左手が本丸。

  本丸内の休憩所としての東屋の屋根が見えます。

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  二の丸を西に突っ切ります。

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  突っ切って西側のお堀に下りて振り返ったところ。

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  南北の西側のお堀。

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  北に突き当たって北側のお堀の西側部分を東方向にのぞみます。

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  今度は元の道を城内に戻って、本丸にある展望台に入りました。

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  大野城の展望台は山の上にあるので眺望が素晴らしいのですが、平城の大草城ではこんなもの。と言ってもなかなかです。

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  本丸にあるグラウンド。

  左手が二の丸のある北。

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  大草城を後にしました。

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  なかなか立派なお城跡でした。

  廃城となりながらも良く保存されていたという印象でした。

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  撮影 2013/02/03

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2013年2月 4日 (月)

知多大草城跡(愛知県知多市)と大野城跡(愛知県常滑市)を訪ねる(1) - 大草(おおくさ)城跡へ

 

 

  愛知県知多半島の大野城跡と大草城跡を名鉄電車で訪れました。

両城とも名鉄常滑線沿線の常滑駅、中部国際空港駅への途中にあります。

名鉄岐阜発9時16分の豊橋行きの快速特急パノラマスーパ1000系+1200系で神宮前まで行き、神宮前駅で本線から分岐する常滑線で太田川駅へ。

神宮前駅から太田川駅までは太田川からさらに分岐する河和(こうわ)線の河和行き急行を利用して太田川駅で降車。

目的地の大野町駅(おおのまち えき)は普通電車と準急のみの停車なので、太田川発中部国際空港行きの普通電車に乗り換え揺られこと約15分、10時39分に大野町駅に到着しました。

 

  名鉄岐阜駅にて。

  特急用の「パノラマスーパー」、展望車を含む特別車2両が1000系で後ろ一般車4両が1200系です。

  これに増結車1800系2両を連結して最大8両編成での運行もあります。

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  岐阜側1200系を先頭にして、折り返し豊橋行き快速特急となるパノラマスーパーが到着しました。

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  神宮前駅で乗り換え。

  駅名のとおり、すぐ西に熱田神宮があります。

  河和(こうわ)行き急行で太田川まで行きます。

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  神宮前駅で運転手、車掌さんが交代しました。

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  太田川駅にて。

  三階建ての駅でこれは2階。3階は一部電車が発着、1階が改札です。

  ここから河和(こうわ)線が分岐して知多半島の東側に向かい阿久比から半田市、武豊町から富貴(ふき)、終点河和駅へ。

  また途中の富貴駅からは知多新線が分岐して再び半島の西側に向かい、名古屋地区では有名な海水浴場のある内海まで伸びています。
  この知多新線の沿線には当地で討たれた源義朝の墓がある野間大坊(のま だいぼう)があります。

 

  当駅(太田川駅)始発の中部国際空港行き普通に乗ります。

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  16分で大野町(おおのまち)駅に。

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  駅から北にある大草城跡に向かう途中にある陸橋から南に見える大野城跡の模擬天守(天守とは言い難い展望台ですが)。

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  北には大草城跡が見えます。

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  大草城跡の西側から。

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  こちらも天守様の展望台があります。

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  平城といいながらも、城全体が高台になっています。

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  いきなり大草城の模擬天守様の展望台。

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  撮影 2013/02/03

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2013年2月 3日 (日)

長崎市を観光(16) - 最終日 防府から帰途に(2)

 

  最終日は山口県の防府(ほうふ)から岐阜まで帰るという無謀な日程。

それでも宮島口で少々道草を食って、あとはひたすらに岐阜までの電車旅となりました。

したがって、今日の写真は駅撮りの電車ばかり。

 

  宮島口駅を後にします。

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  宮島口駅。

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  岩国発白市行きで東広島市の西条駅で下車。

  後続の電車を待ちます。

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  西条駅にて、糸崎行きに乗車。三原で乗り継ぎました。

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  岡山駅に14時29分に到着。

  こちらは特急「やくも13号」381系。

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  岡山発14時51分和気行きで和気に到着。

  再び後続の電車を待ちます。

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  和気駅にて。

  鳥取発智頭急行線経由の特急「スーパーいなば6号」キハ187系が岡山へ向けて疾走していきました。

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  先ほど岡山から乗車してきた115系が和気駅を出発。

  岡山を経て福山から福塩線に入っての府中行き。

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  和気駅にて。

  相生行き普通が到着。

  相生で乗り継ぎ、後姫路から米原、大垣乗継で岐阜へ帰りました。

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  撮影 2013/01/06

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