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2013年2月 9日 (土)

知多大草城跡(愛知県知多市)と大野城跡(愛知県常滑市)を訪れる(5) - 大野城跡(2)

 

  尾張大野(愛知県常滑市)の大野城跡は中世に一色氏が築き、のち一色氏が衰運すると替わりに佐治氏が入り、知多半島の西部を四代に渡って支配しました。

三代目の佐治信方が織田信長の妹であるお犬の方を娶ってからは織田家とは密接な関係となります(一門衆といっても良い)。四代目の一成(かずなり)の時代に秀吉、家康の小牧・長久手の戦いで家康に便宜を計ったことで秀吉の怒りを買い、佐治一成は大野城を退去してここに佐治氏の大野城をはじめとする知多での支配は終わりを告げます。

のち一成は叔父の織田信包(のぶかね)のもとで家老となり、信長と側室のお鍋の方との間の娘である御振を娶り、京都で66歳で死去。
その墓は信包と同じ龍安寺にあるそうです。

 

  史実に無いと言えばそうですが、観光の観点から言うと絶対にあったほうが良い模擬天守風展望台。

  こんないい加減なものを建てて、と言う人もいらっしゃいますが、これはこれで良いと思います。

  というか、余りにも怪しげで大好きです。

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  こんな所になぜ鳥居がとおもったら下の案内板で分かりました。

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  展望台前から。

  木が茂っている場所は一段高くなっており、佐治神社が鎮座しています。

  元々は望楼が築かれていたのだろうといわれています。

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  階段を上って佐治神社へ行ってみます。

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  少し拍子抜けの小さい佐治神社でした。

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  右側の像は最後の大野城主である佐治一成。

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  展望台に入ってみると、佐治氏関係の掲示物が壁のあちこちに展示されていました。

  なかなか参考になります。

  地図とパンフもここで手にいれました。

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  佐治与九郎一成とお江とのツーショット。

  前回の記事をご覧になった方は覚えてますね。

  徳川二代将軍秀忠の奥さんのお江の最初の嫁ぎ先は佐治一成です。

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  大野城図。

  原図は徳川美術館と同じ敷地内にある蓬左文庫に所蔵されています。

  尾張領内にあったお城の古図の多くが現在は蓬左文庫に所蔵されているケースが非常に多いです。

  尾張藩が統治にあたって藩内の古城を書き残したのでしょうか?

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  展望台から。国道155号線。

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  一成の退去後に大野城を廃城として織田長益(有楽斎)が築いた大草城跡が望めます。

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  伊勢湾。

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  佐治神社のある一段小高い部分。

  右下が斜面になっていますが、この後こちらに下りてみました。

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  この横には北に下りる階段があります。

  赤い矢印は天満社を指し示しています。

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  鳥居の斜面下からの展望台。

  桜のある撮影ポイントとしてパンフに載っていました。

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  ぐるっと北側に回りこみ、北から本丸への上り口にある門。

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  撮影 2013/02/03

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