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2013年3月 1日 (金)

「うだつ」の上がる町並み 美濃市(岐阜県美濃市)を散策(3) - 「うだつ」の上がる町並み

 

  長良川鉄道越美南線美濃市駅から駅前通りを道なりに行くと旧名鉄美濃町線美濃駅跡が左手にあり、さらにそのまま進むと道路は突き当たり、右に曲がると「うだつ」の上がる町並みの旧二番町の通りです。

そして、駅とは反対側のお城跡の小倉公園寄りに旧一番町の通りの町並みが平行してあります。

 

  さて、このあたりで美濃市の由来に触れておかなければなりません。

話は関が原の戦い前後から始めます。

当時、現在の岐阜県美濃市、関市周辺は武儀郡(むぎぐん)と呼ばれ、現在の美濃市の北に位置する鉈尾山城(なたおやまじょう 現古城山)を根拠地とした美濃佐藤氏が武儀郡一帯を治めていました。

そして北方の郡上八幡城には稲葉貞通が、秀吉により八幡から移封を余儀なくされた遠藤氏に代わり一帯を治めていました。

関ヶ原の戦いの前、当時の岐阜城主であった織田秀信(信長の嫡孫)が西軍に与することに決すると美濃の諸氏は一斉に西軍になびき、鉈尾山城(なたおやまじょう)の佐藤氏も3千以上の兵を派遣して家康の先鋒隊を迎え撃つため織田秀信らと木曽川北岸に陣を敷きます。

東軍の先鋒隊のうち池田輝政、浅野幸長、山内一豊ら1万8千は木曽川を渡河してさらに米野の戦いで秀信軍を破り、秀信軍は岐阜城へ撤退(西軍は全部で9千の軍勢、米野では分散していて3千の兵力)。

南から竹ヶ鼻城(現羽島市)を落として岐阜城に迫った福島正則は池田輝政らとその後岐阜城を攻撃して落城させ、その際佐藤方政は戦死し、こうして佐藤氏は没落します。

一方郡上八幡城主であった稲葉貞道は家康の西進を防ぐべく犬山城に赴き、その留守の間に郡上八幡城は東軍に与した高山城の金森氏らに攻められました。

 

  ここからが美濃市に関わる話となりますが、鉈尾山城(なたおやまじょう)の佐藤氏はこれによって没落して、武儀郡一帯は郡上八幡攻めに功のあった金森長近に与えられることになります。

金森長近は鉈尾山城(なたおやまじょう)を廃して、現在の小倉公園に小倉山城を隠居城として築城し、現在の町割りの基となる城下町を整備しました。

これが美濃市の前身の上有知(こうづち)の町で、さらに長近は長良川に上有地湊(こうづちみなと)を開き、江戸時代以後まで上有知(こうづち)の町の発展を支えることになります。

長近が死ぬと(1608年、1607年とも)高山藩を金森可重(よししげ)が二代目として継ぎ、長近の実子である長光が(可重は養子)上有知で2万石余を分地され、ここに上有知藩(こうづちはん)が成立します。

しかし、長光は3年後わずか7歳で夭逝し(1611年)、ここに上有知金森家は無嗣断絶で改易となり、「家臣の島三安、肥田忠親、池田政長らは、遺領のうちより各1,000石が宛がわれ幕府に召し出され」(Wikiより)となります。

その後、1615年には尾張藩領となり、上有知の町は上有知湊を物資の集散地として商業都市として繁栄していきます。

特に一帯は和紙の生産が盛んで(美濃紙)、上有知湊から長良川の舟運で下流の岐阜町(同様に尾張藩領)に運ばれ現在にまで伝わる岐阜提灯や和傘などの生産が盛んに行われました。

また、岐阜町の南隣にあり現在の岐阜駅の南にあたる加納藩領にも運ばれ生産が行われたそうです。

上有知(こうづち)町から現美濃市の前身である美濃町と改称したのは1911年(明治44年)のことです。

※「上有知」の読み方は現在使用される「こうずち」ではなく古い「こうづち」で統一しました。

 

  「うだつ」の上がる町並みの地図。

  上がほぼ南で美濃市駅は上のほう。

  左右に2本の「うだつ」の上がる町並みがあり、上が旧二番町通り、それに並行して下が旧一番町通り。

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  美濃市駅前から道なりにやってきて突き当たって右に曲がると旧二番町通り。

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  旧二番町通りに面した「町並みギャラリー山田家住宅」。

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  江戸時代の町医者の家。

  十代目が東京八王子で小児科を開業していらっしゃるそうです。

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  内部の様子。季節柄ですね。

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  さて、旧二番町通りをさらに行くと重文の小坂家があります。

  しかし、その前に旧一番町通りへ先に行くことにして、両通りを結ぶ脇道へ入りました。

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  向こうに旧一番町通りが見えるその手前。

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  立派な「うだつ」が上がっています。

  「うだつ」は「うだつがあがらない」という言葉の「いつも上から押さえ付けられていて、出世できない。運が悪くて、良い境遇に恵まれない。」の意味の語源の一つとされています。

  ただ諸説あるようです。 

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  旧一番町通りに出て振り返ったところ。

  ポケットパークがあります。

  ポケットパークの斜め向かいには「観光案内所 番屋」があります。

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  旧一番町通りを奥に進むと両側に古い町並みが望めます。

  屋根の白い部分は残雪です。

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  「うだつ」と屋根神様。

  「屋根神様」は愛知県と岐阜県の民家に見られます。

  以前に津島神社(愛知県津島市)を訪れた際に牛頭信仰を調べましたが、屋根神様は津島信仰(牛頭信仰)と関係があるという説があります。

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  旧一番町通りを振り返ったところ。左がほぼ南。

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  旧一番町通りは大体ここまでです。

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  あの山が古城山でしょうか?

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  町並みでは唯一拝観料が必要な旧今井家住宅・美濃資料館。

  大人300円(高校生以上)、小人無料。

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  旧一番町通り。

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  旧一番町通り。

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  旧二番町通りに戻って国重文の小坂家住宅。

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  この屋根は「むくり屋根」というそうです。

  小坂家は江戸時代から続く造り酒屋です。

 

  この後は小倉山城跡の小倉公園へ向かいます。頂上の展望台まで登りました。

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  撮影 2013/02/25

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