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2013年3月

2013年3月31日 (日)

日帰り 桜旅行 2013 (3) - 掛川城(静岡県掛川市)(3) 天守へ

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」から引用の図。

いつもとは少し異なる画面にリンクしていますので、そこの静岡から入ってください。

図を見るとお堀をを除いては現在とほぼ同じ地形が見られます。

特に、本丸と天守閣のある天守丸、二ノ丸、三の丸はほぼ現在でもはっきりと確認できるので、わかりやすい図です。

Photo

 

  最初に御殿を拝観して後、北にある竹の丸に向かい、再び二の丸に戻って二の丸美術館を拝観。

  二の丸美術館。

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  二の丸美術館前から御殿の西側。

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  二の丸美術館の隣にある二の丸茶室。

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  天守と御殿の間を南の城門へと向かいます。

  西側からの御殿。

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  御殿の西側、天守の東側から見上げて。

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  三日月堀近くから太鼓櫓。

  左手が四足門(よつあしもん)の城門、右手が本丸です。

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  まだ若い枝垂桜なのか、時期的に早いのか、ボリュームがありません。

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  再び本丸に入り、天守に登ります。

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  下に見える本丸内の拝観券の売り場(御殿でも購入できます)。

  天守と御殿の掛川城拝観券は大人400円、小中学生150円。

  二の丸美術館とのセット券は大人500円、小中学生200円。

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  天守丸にある霧吹井戸。

  今川氏真が武田と徳川に挟撃され、朝比奈泰朝の掛川城に逃げ込んだ際、井戸から霧が吹き出し城を覆いつくして徳川軍が攻撃できなかったという伝説がある井戸。

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  写真の左手、山を越して掛川城の南方向には高天神城跡があります。

  勝頼の代に武田方が落として、徳川方に深刻な脅威を与えました。

  その高天神城に備えて築城されたのが横須賀城です。

  このあと、お昼過ぎに袋井駅まで戻り、バスでその横須賀城跡へ行ってきました。

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  天守から見下ろした二の丸御殿。

  落雷による火災を防ぐために非常に高い避雷針が2本設置されています。

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  こちらは二の丸美術館。

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  太鼓櫓。

  橋の向こうにはお土産屋さんや食堂があります。

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  天守内部。

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  山内家一族所蔵の兜と甲冑。

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  天守から下りて、天守の東側へ。

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  東側の塀の内側に沿って北側へ。

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  下に降りる道があります。

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  もう一度天守と御殿の間に下りました。

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  撮影 2013/03/26

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2013年3月29日 (金)

日帰り 桜旅行 2013 (2) - 掛川城(静岡県掛川市)(2) 御殿から竹の丸、二の丸美術館

 

  天守閣に登城するのは一番最後として、まず現存遺構として貴重な二の丸御殿から拝観しました。

拝観券はお城の本丸と御殿のどちらでも購入できます。

天守閣と御殿は切り離すことができなくて大人400円(小中生150円)で美術館とのセット券は大人500円(小中生200円)。

今回の美術館は蒔絵や根付など江戸の工芸品の展示で興味が涌き入館することにしました。

 

  掛川城は元々は代々今川氏の家臣である朝比奈氏の城で、今川氏滅亡後は徳川家康の家臣の石川氏が城代を務めました。

そして1590年に徳川家の関東移封に伴い、替わって掛川城には5万1千石で豊臣秀吉家臣の山内一豊が入城、この山内氏の時代に掛川城は近世城郭として大幅に拡張され、現在見られる掛川城は山内氏によるもであるそうです。

1600年の関ヶ原の戦いの後、山内一豊はその功により土佐一国20万2600石で転封、替わって家康の異父弟の久松松平家の松平定勝が3万石で入封し掛川藩が成立、その後は藩主が目まぐるしく交代し、やっと1746年太田資俊(おおた すけとし)が5万石で入って安定し、太田氏が掛川藩主として明治まで7代続きました。

現存遺構として貴重な城郭御殿である二の丸御殿は1861年(文久元年)の再建によるものです。

嬉しいことに御殿内の拝観は写真撮影が可でした。

 

  御殿のある二の丸跡は少し小高くなっています。

  その階段前にある掛川城址の碑。

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  桜はまだまだでした。

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  玄関前から見える天守閣。

  木造、漆喰塗りの再建天守でコンクリートではありません。

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  玄間を入った広間の左の間には甲冑の展示がありました。

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  広間の西側。そこから天守閣が目の前に見えます。

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  天守の下の石垣が残念な後世の急ごしらえの代物。

  石垣も現存していたそうですが、崩れそうな状況であったので、そのまま現在の石垣(状の壁と言ってよい)で塗りこめてしまったそうです。

  したがって本来の現存の石垣が中にあるらしいのですが、勿体無いですね。

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  こうした広間が20ぐらいあります。

  一部台所などが欠損して現存していない部分もあります。

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  再び外に出て、二の丸の東側の道を北に向かい歩いて行きます。

  その道の南を振り返ったところ。小高い右手に御殿があります。

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  御殿の北、道を挟んで二の丸美術館があります。

  その間からの天守。

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  さらに北に行くと竹の丸といわれる明治の当地の豪商旧松本家住宅。

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  別途入館料100円が必要です。

  少し惜しかったのは、ここからさらに東に行くと天王山龍華院・大猷院霊屋(てんのうざんりゅうげいん たいゆういんおたまや)という三代将軍家光の霊を祀った霊廟がありました。

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  大日本報徳社大講堂。道すがらの裏からの写真で、工事中でした。

  大日本報徳社は二宮尊徳の「報徳思想」の普及活動を行っている特例社団法人。

  大講堂は国の重文で、帰ってから調べてビックリ。見学料200円。

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  二の丸美術館に戻って入館します。

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  上で御殿の台所が欠損して現存していないことを述べましたが、その台所が使用した井戸です。

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  二の丸美術館。

  さすがに写真不可です。

  展示内容は蒔絵の豪華さと根付、煙草入れ等の江戸の粋が見られて大変良かったです。

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  撮影 2013/03/26

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2013年3月28日 (木)

日帰り 桜旅行 2013 (1) - 掛川城 (静岡県掛川市)(1)

 

  今年初めての桜旅行は日帰りながらも静岡県まで足を延ばしました。

最初のプランでは静岡市の駿府公園、浅間神社、三保の松原を巡る予定でしたが、途中で少し心が挫(くじ)けて、結果的には掛川駅で電車を降りてしまい、掛川城を午前中に、午後は袋井駅からバスで横須賀城跡を見て来ました。

  掛川城の桜は多少早かったようですが、それでも3月の26日ですから例年よりはかなり早く咲いたようですね。

最初は静岡を予定していたので、岐阜を出発したのは朝早く6時22分発の豊橋行き新快速でした。

 

  下はお昼頃の掛川駅 豊橋発掛川到着の普通313系3両編成。

  折り返して豊橋行き普通となります。

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  岐阜発が6時22分と早かったこともあり、9時には掛川駅に到着しました。

  JRホームと半分共有の天竜浜名湖鉄道掛川駅。

  昔の二俣線が第三セクターに衣替えして会社は1986年設立、翌1987年開業。

  過去、二俣城を訪れた際に西鹿島~二俣本町~掛川間を乗車したことがあります。

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  掛川駅は現在閉鎖されていて、仮駅舎となっていました。

  向こうが天浜線掛川駅駅舎。

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  耐震化工事ということです。

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  掛川駅は新幹線駅です。

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  駅前通り。

  真っ直ぐ進むと橋の向こう側に掛川城と御殿があります。

  そして御殿の北側に二の丸美術館、その先に竹の丸があります。

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  いつもの余湖くんのお城のページからの図を引用します。

  お堀以外は現在の地形と図の地形が大体一致しているのがわかります。

Photo

 

  橋の南詰めから現存遺構の太鼓櫓(三の丸から本丸に移築されている)と再建天守。

  天守閣は木造、漆喰塗りで再建されています。

  木造による天守再建は戦後初となりました(1994年 平成6年)。

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  本丸からの天守。

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  城門の外から。

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  三の丸の広場から城門と天守閣。

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  駅前からの道路を挟んで東側に少し高くなっている三の丸の広場があり、そこからの天守閣。

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  駅前からの道路が突き当たる場所に二の丸があり、現存している貴重な御殿があります。

  城郭御殿の現存遺構は二条城の二の丸御殿、高知城本丸御殿、川越城の本丸御殿の一部と掛川城の二の丸御殿の四ヶ所のみで、ある意味、現存天守以上に貴重な遺構です。

  掛川城の御殿は国指定の重文。

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  御殿玄関前から見える天守閣。

  入館は天守、御殿共通で400円(小、中学生150円)。

  美術館とのセット券は500円(小、中学生200円)です。

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  撮影 2013/03/26

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2013年3月27日 (水)

法隆寺と斑鳩の里を散策(10) - 三経院(さんぎょういん)、西室、西円堂を巡ってバスで法隆寺駅に戻る

 

  法隆寺拝観コースの三ヶ所である西院伽藍、大宝蔵院、東院伽藍を順次拝観して、最後に拝観コースから外れている西院伽藍のさらに西にある西円堂まで足を延ばして法隆寺の散策、拝観を終えました。

そして、再び南大門前の「法隆寺門前」バス停からバスで法隆寺駅に戻り、奈良、京都経由で岐阜までの帰途につきました。

 

  夢殿のある東院伽藍から東大門を経て振り返ったところ。

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  以下は法隆寺の象徴である五重塔、金堂、中門がある西院伽藍を順に西へ移動しながらの写真。

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  そしてさらに西側に東室(ひがしむろ)と対になっている西室(にしむろ)の建物があります。

  東室、西室ともに僧侶の住居ですが、東室の聖霊院(しょうりょういん)と同じように西室も南端部が改造されて阿弥陀如来坐像持国天・多聞天立像(各重文)を安置した三経院(さんぎょういん)となっています。

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  その西に北に上る坂と階段があり、高台に西円堂(さいえんどう)があります。

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  夢殿と同じ八角円堂です。

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  西円堂から見える西院伽藍の五重塔と金堂。

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  西円堂から下を見下ろしたところ。

  下り切ってすぐ右手に西大門があり西里のまちなみにつながっています。

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  南大門前の「法隆寺門前」バス停から法隆寺駅に帰ります。

  バス運賃は180円です。

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  バス停は法隆寺駅南口にあります。

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  法隆寺駅を出発する「大和路快速」221系大阪天王寺方面行き。

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  法隆寺駅にて。

  同じく大阪方面行きの「大和路快速」221系。

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  加茂行き「大和路快速」。

  奈良まで行き、奈良線京都方面への「みやこ路快速」に乗り換えます。

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  撮影 2013/03/03

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2013年3月26日 (火)

法隆寺と斑鳩の里を散策(9) - 東院伽藍の夢殿ほか

 

  法隆寺の拝観コースの最後は夢殿で有名な東院伽藍です。

東大門からさらに東に歩いていくと突き当りの門が入口。

この入口の門前の南北の道路は、北へ行くと法輪寺に通じており、南へ行くとJR法隆寺駅東の踏み切りに通じています。

 

  東院伽藍への入口の門。

  いわゆる四脚門です。鎌倉時代の重文。

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  門前から法輪寺、法起寺へ通じる北への道。

  この雰囲気が好きで、こちらから北にある法輪寺へ向かう人が多いです。

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  正面の回廊から入ります。

  回廊と繋がった南の礼堂、北の舎利殿、絵殿がそれぞれ重文。

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  夢殿(国宝)。奈良時代建築の八角円堂。

  飛鳥時代の救世観音(国宝 秘仏で普段は見ることができない)が安置されています。

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  夢殿の北側の建物は右側が舎利殿、左側が絵殿。

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  回廊の外にある鐘楼と左が伝法堂。いずれも国宝です。

  鐘楼は鎌倉時代。

  伝法堂は奈良時代の住居を移転して仏堂に改めた建物で、奈良時代の住宅遺構として貴重ということです。

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  夢殿のある回廊の北から回りこむと東に中宮寺の拝観受付があります。

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  夢殿の北側にある子院の北室院。

  太子殿、本堂、表門が重文指定。写っているのは本堂と表門。

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  こちらが上で触れた国宝の伝法堂。

  夢殿のある回廊の絵殿、舎利殿の建物の北側に隣接しています。

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  鎌倉時代の国宝の鐘楼。

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  これで、拝観コースにある建築物や仏様はほぼ拝見しました。

  最後にコースから外れた西院伽藍のさらに西にある西室(にしむろ)や西円堂を見に行きます。

  再び東大門へ。

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  撮影 2013/03/03

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2013年3月24日 (日)

法隆寺と斑鳩の里を散策(8) - 法隆寺 西院伽藍から大宝蔵院、東院伽藍へ

 

  法隆寺を象徴する西院伽藍を後にして次は法隆寺の宝物殿ともいうべき大宝蔵院(だいほうぞういん1998年完成)へ向かいます(昔の宝物殿は大宝蔵殿(1939年完成))。

大宝蔵院への途中に目に入る建造物が何気に国宝ばかりで、さすがに法隆寺という感がします。

大宝蔵院は建造物以外の宝物が集められており、百済観音像を中心にして玉虫厨子など教科書でも馴染みの仏像等が夥しく安置されています。

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  元々は全体が東室(ひがしむろ)という僧侶の住居であった細長い建造物でしたが、その南側を聖徳太子の尊像を安置するために改造したのが聖霊院(しょうりょういん)です。

  後ろの東室と共に国宝。

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  妻室(つまむろ)は東室に付属する住居でした。

  ちなみに西院伽藍の西側には東室と対になっている西室(にしむろ 国宝)もあります。

  下の写真が妻室です。

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  妻室の右手の道を大宝蔵院(だいほうぞういん)へ向かいますが、その途中にある綱封蔵(こうふうぞう)。

  綱封蔵(こうふうぞう)は寺宝が収納された倉庫です。

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  赤字で国宝とあります。

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  その北側には食堂(じきどう)と細殿(ほそどの)。

  食堂は僧が食事をする場所。左の建物が食堂です。

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  大宝蔵院入口。

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  振り向くと西院伽藍の五重塔。

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  百済観音堂を中心にして西宝蔵、東宝蔵からなっています。

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  中は撮影禁止なので写真はありません。

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  宝物の数の多さに圧倒され、同時に感動して出て来ました

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  再び東西の通路を東方向にある東院伽藍に向かいます。

  下の写真はそれとは反対の西大門。

  西大門の西には西里のまちなみがあります。

  西里のまちなみは「法隆寺と斑鳩の里を散策(3)」の記事を参照して下さい。

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  こちらは東大門。

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  東大門から夢殿のある東院伽藍。

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  夢殿の特徴的な屋根が見えます。

  同じく東大門から。

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  東大門外側から(東院伽藍方向から)。

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  「法隆寺と斑鳩の里を散策(2)」の記事で述べた斑鳩神社への横道。

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  東院伽藍に入ります。

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  撮影 2013/03/03

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2013年3月23日 (土)

法隆寺と斑鳩の里を散策(7) - 法隆寺 西院伽藍

 

  法隆寺は1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産に登録されました。

内訳は法隆寺の47の建造物と法起寺の三重塔からなっています。

今回、二日間にわたり法隆寺と斑鳩の里を散策してみましたが、地域全体が歴史の香りがする場所は斑鳩以外にも京都、奈良県中心に多く存在し、これを法律で(「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」、略式的に言うと「古都保存法」、昭和41年制定)指定して保存をはかっています。

また、特に明日香村のみの同じような法律(「明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法」昭和55年制定)も存在します。

この法律で指定されているのが歴史的保存区域及び歴史的風土特別保存地区です。

その指定地域はリンク先で確認して下さい。

 

  また、それ以前に1949年(昭和24年)の法隆寺の火災により金堂壁画が損傷したのを契機に文化財の保護についての総合的な法律が制定されました。

これが「文化財保護法(1950年、昭和25年制定)」です。

現在、よく目にしたり聞いたりする国宝、重文とか登録有形文化財とか伝統的建造物群保存地区等はこの法律によるものです。

文化財保護法は何度かの改正を繰り返していて、伝統的建造物群保存地区は1975年(昭和50年)、登録有形文化財は1996年(平成8年)の改正により新たに設けられた文化財保護に関する条項です。

 

  また、それとは別に「日本の道100選」とかよく聞きますが、「日本の道100選」は建設省と「道の日」実行委員会により制定されたもの。

また、「日本の滝百選」は環境庁(現環境省)を中心として設けられたものです。

  「日本の100選」は調べただけでこんなにあります。あるホームページ。

もう何処の誰がどんな基準で選定したかは分かりません。

 

  法隆寺西院伽藍の前にある世界遺産の碑。

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  法隆寺伽藍配置図。

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  法隆寺の象徴とも言うべき西院伽藍へは中門の左のスロープから入ります。

  西院伽藍、大宝蔵院、東院伽藍の三ヶ所共通拝観券は1000円です。

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  天候が悪化してしまって残念でした。

  五重塔と金堂。

  西院伽藍は回廊も含めて国宝指定です。

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  伽藍内からの中門。

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  中門越しに南大門。

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  金堂を東側から。

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  南東から五重塔と金堂。

  いずれも中を見ることができますが撮影禁止で写真はありません。

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  北側にある大講堂。

  中門、五重塔、金堂及び回廊は飛鳥時代の建築ですが大講堂は平安時代。

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  大講堂の西にある経蔵(奈良時代)。

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  東にある鐘楼(平安時代)。

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  少し日が照ってきました。

  出口は中門の東側。次は大宝蔵院へ。

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  出口を出てすぐ東隣にある聖霊院(しょうりょういん 鎌倉時代)。

  聖徳太子の像を安置しています。

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  上がって内部を拝観(無料)させて頂きましたが、撮影は禁止です。

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  撮影 2013/03/03

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2013年3月21日 (木)

法隆寺と斑鳩の里を散策(6) - JR 法隆寺駅から法隆寺へ

 

  3月3日の日曜日、法隆寺を久し振りに訪れました。

同じく6日には斑鳩の里を散策しましたが、そちらを法隆寺に先立ち記事にして、その後編の法隆寺編です。

岐阜から米原乗り換えで京都に向かい、京都からは奈良線の「みやこ路快速」221系電車で木津駅でいったん下車(終点奈良で降りても別に構わない)、そして関西線(大和路線)加茂発の「大和路快速」で奈良を経て法隆寺駅に降り立ったのが11時過ぎでした。

駅の表口は南口で、こちらに下りてみると法隆寺門前行きのバスが待機中ですぐに乗り込みました。

運賃は一律180円です。

歩いても15分から20分ぐらいですが、バスの運行頻度は1時間に3本ありますから利用すると便利です。

奈良バス法隆寺駅のバス時刻表です。

ただしリンク先は平日用なので、土曜日用、日、祝日用はリンク先のページ内で調節して下さい。

 

  法隆寺駅の橋上駅舎から大阪天王寺方面への「大和路快速」221系。

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  法隆寺駅の南口。

  バス停やタクシー乗り場はこちらにあります。

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  法隆寺門前バス停に到着。

  「法隆寺門前バス停」とは別に途中の国道25号線に面して「法隆寺前バス停」があります。

  法隆寺前バス停の各路線の時刻表です。

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  いきなりの国宝南大門。室町時代の建築です。

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  南大門。

  奥に中門が見えます。

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  南大門越しに法隆寺を象徴する西院伽藍の中門と五重塔。

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  法隆寺伽藍配置図。

  ピンク色が国宝建造物、紫が重要文化財建造物です。

  拝観場所は三ヶ所で西院伽藍、夢殿がある東院伽藍、そして仏像など宝物が収蔵されている大宝蔵院。

  大宝蔵院では有名な玉虫厨子、百済観音をはじめとして数多くの宝物の前に圧倒されました。

  三ヶ所共通拝観券は1000円です。

  拝観ルートに無い無料の場所にも国宝や重文の建造物、仏像等があり拝観できますので、こまめに歩くのが肝心です。

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  中門前から東に東大門。

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  中門前から振り返って南大門。

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  西院伽藍の中門。

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  中門の向かって左のスロープから伽藍に入ります。

  入ってすぐに拝観受付があります。

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  撮影 2013/03/03

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2013年3月19日 (火)

丹波 山家城址(京都府綾部市)を訪れる - 途中での駅撮り鉄道風景

 

  3月14日の午後に岐阜を出発して、米原、京都、園部から福知山で一泊。

あくる日綾部市の山家陣屋を訪れましたが、その途中の駅撮りの鉄道風景。

16日からのダイヤ改正を全く意識していなかったので、すべてがたまたま撮ったという写真です。

 

  米原駅にて。

  近江鉄道米原駅で見かけた700系。

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  夕方6時少し前、山陰線園部駅にて。

  京都発豊岡行き特急「きのさき11号」183系。

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  福知山駅南口(裏口)。

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  あくる日3月15日。

  朝の福知山駅にて。

  KTR(北近畿タンゴ鉄道)ホームのMF200形(どちらも)。

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  手前がMF200形、向こうの車両はMF100形。

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  手前がMF100形。

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  当駅(福知山駅)発園部行き普通223系の入線。

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  再びKTRの車両MF200形の並び。

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  山家駅(やまがえき)。

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  山家駅にて。

  天橋立発京都行き特急「はしだて6号」183系の後部から。

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  撮影 2013/03/14,15

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2013年3月18日 (月)

山家(やまが)城址(谷氏13代の山家藩)を訪れる(3) - 京都府綾部市

 

  綾部市山家(やまが)の谷氏13代の山家藩の山家陣屋を訪れ、現存する土塁や空堀を見て歩いて模擬陣屋門の前にある観梅苑でしばし紅白の梅を観賞しながら休憩しました。

すぐ上が山家古城ともいうべき甲ヶ峰城跡で、さすがに登ることはしませんでしたが、階段の上には式内社である伊也神社が鎮座しており、そこまで登ってみました。

  帰りはもと来た道を吊り橋の「上原(かんばら)橋」のある国道27号線まで戻り、肥後橋から山家交差点を経て山家大橋経由で山家駅に帰りました。

その後、園部、京都、米原と乗り継いで岐阜へは暗くなってからの到着となりました。

 

  山家陣屋模擬陣屋門。

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  陣屋のある場所自体が高台にあります。

  下に山家の里が望めます。

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  陣屋跡地にある谷霊神社。

  藩祖の谷衛友(もりとも)が祀られています。

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  陣屋門から左が観梅苑と里に下りていく道路。

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  模擬陣屋門と山城である山家古城の甲ヶ峰城跡。

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  伊也神社まで登ってみることにしました。

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  伊也神社。

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  途中の右手に登城道があります。

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  矢印で方向を示しています。

  道がハッキリとしていないのでこの標識は有意だと思われます。

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  観梅苑全景。

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  もと来た道を下ります。

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  上原(かんばら)橋に戻って来ました。

  帰りは国道27号線を右手に山家交差点方向から山家駅へ。

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  上林川、肥後橋上から。

  上林川(かんばやしがわ)が由良川に注ぐ場所には国道27号線の肥後橋が架かっています。

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  肥後橋と山家古城。

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  肥後橋から由良川に架かる吊り橋の上原(かんばら)橋。

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  山家交差点。

  向こうが歩いてきた27号線の肥後橋方向。

  左手には写ってはいませんが府道1号線がここから分岐しています。

  宇治茶の創始者である上林(かんばやし)家出身地の上林城跡は現在も城山と呼ばれています。

  江戸時代には旗本藤懸氏が4千石で上林の地を治め、陣屋は上林城跡の城山に置いていました。

  右手が山家橋から山家駅。

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  山家橋を向こう側へ。

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  山家橋から上原(かんばら)橋。

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  上原橋と山家古城の甲ヶ峰城跡。

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  山家駅に帰って来ました。

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  山家駅にて。

  天橋立発京都行き特急「はしだて6号」183系。

  この日で183系はラストランだったんですね。後姿で残念。

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  山家駅にて園部行き普通223系2両編成が到着。

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  園部駅にて。

  接続の京都行きは8両編成の221系。余裕で座ることができました。

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  撮影 2013/03/15

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2013年3月17日 (日)

山家(やまが)城址(谷氏13代の山家藩)を訪れる(2) - 京都府綾部市

 

  谷家13代が治めた山家藩の藩庁が山家陣屋です。

1582年の本能寺の変、山崎の戦いの後、羽柴秀吉の命により谷衛友(もりとも)が山家(やまが)に1万6千石で入部したのは、以前に和久左衛門佐義国が城主であった山城の甲ヶ峰城でした。

関ヶ原の戦いでは西軍として田辺城を攻撃、しかし田辺城に篭城する細川幽斎は歌道の師匠であり、「谷の空鉄砲」と言われたように攻める気は全くなく、田辺城の朝廷の斡旋による開城後は東軍に内応し福知山城の小野木を攻めています。

関ヶ原の戦いの後は密かに通じていたといわれる本多正純や細川家の仲介で谷家は本領安堵され、ここに谷家山家藩(やまがはん)1万6千石が成立します。

そして、甲ヶ峰城の麓の山家陣屋を藩庁としました。

 

  山家陣屋模擬陣屋門。

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  谷氏の家紋は揚羽蝶。

  家紋額の左右に揚羽蝶、真ん中は秀吉から三木城攻めの武勇忠孝振りから衛友(もりとも)に許された「五三の桐」の家紋。

  真ん中は擦り切れているようですが、含むところがあって見えなくしたとか?

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  山家陣屋の現在の遺構を示した図。

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  陣屋跡地内には藩祖の谷衛友(もりとも)を祀った谷霊神社があります。

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  神社の後ろから。

 

  山家陣屋跡は桜の名所でもあります。

  今年の【山家(やまが)さくら祭り】は4月7日(日曜日)。

  綾部駅から無料シャトルバスあり。

  山家駅からは徒歩15分。昨日の記事を見ていただければ道順がよくわかりますよ。

  車の方はカーナビで。

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  左手に下りていくと陣屋の防御のための空堀や土塁が見られます。

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  陣屋下の空堀。後で反対側から回りこんで一周してみました。

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  さらに下には休憩所があります。

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  下が上林川(かんばやしがわ)の淵。

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  ここで通行止め。

  左に下りると上林川を橋で渡って向こう岸の東山公園へ行けます。

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  細い山道がつづら折れになっているようです。

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  陣屋敷地下の空堀。

  あとで下から見上げます。

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  陣屋跡から山城の甲ヶ峰城跡(山家古城とも)。

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  陣屋内の井戸。

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  右手に奥に進む道路があり、道路沿いの無人の民家の向こう側に下りて、陣屋下を一周しました。

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  石垣と竹林と化した空堀。

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  地元の人が一人で竹林を除去していました。

  左が陣屋、私の居る場所が土塁、その間に空堀が残っています。

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  角を曲がり左手に。

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  先ほどの「上から空堀」と書いた写真のあたり。

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  空堀の浅い部分を見ながら向こう側に登ると最初に「太鼓淵」とあった手前に出ます。

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  陣屋の土塁、空堀廻りはこれで終わり。

  模擬陣屋門前から山家古城跡(甲ヶ峰城跡)。

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  撮影 2013/03/15

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2013年3月16日 (土)

山家(やまが)城址(谷氏13代の山家藩)を訪れる(1) - 京都府綾部市

 

  現在は綾部市に属する山家藩谷氏1万石の山家城址を訪れました。

現在の綾部市は旧丹波国何鹿郡(いかるがぐん)の大部分を占め、江戸時代の綾部藩(九鬼家2万石)、旗本藤懸家上林(かんばやし)領(4千余石)、そしてこの日訪れた山家藩(谷家1万石)から成っています。

 

  山家藩祖の谷 衛友(たに もりとも)の父である谷 衛好(たに もりよし)は美濃の斎藤道三、龍興に仕え、美濃斎藤氏滅亡後は織田信長に仕えました。

その後、信長に中国方面の司令官である羽柴秀吉の与力を命ぜられ、その三木城攻めの際、子の衛友(もりとも)とともに三木城に対する付城を守っているところを別所勢に攻撃され父の谷衛好(たに もりよし)は討ち死に。

ここに家督は衛友(もりとも)が継ぎます。

 

  本能寺での信長の死後(1582年)、さらに明智光秀の死後の1582年に衛友(もりとも)は山家に1万6千石で封ぜられます。

その後は豊臣秀吉に従い賤ヶ岳の戦い(天正11年1583年)、小牧・長久手の戦い(天正12年1584年)、小田原征伐(天正18年1590年)、朝鮮出兵等主要な戦いに参加しました。

 

  そして、秀吉亡き後の1600年の関が原の戦いでは西軍に属して福知山城主小野木重勝、上林(かんばやし)の藤懸永勝、丹波亀山城主前田茂勝(前田玄以の子)ら丹波、但馬を中心とした諸大名の1万5千の兵とともに谷 衛友(もりとも)は細川 幽斎 / 細川 藤孝(ほそかわ ゆうさい / ほそかわ ふじたか)が籠城する丹後田辺城(現在の西舞鶴 田辺城の守備兵は細川忠興が本体を率いて家康軍に参加していて500ぐらいだった)を攻撃。

しかし、藤懸は細川とは旧知で、谷も細川は歌道の師匠で戦う意思を見せず逆に徳川家の本多正純と通じていたといわれています。

田辺城の戦いは、朝廷が歌道の奥義を託された古今伝授の継承者である細川幽斎の討ち死にを恐れて斡旋に乗り出し、細川幽斎は勅命ということで開城して、戦いは局地的には西軍の勝利となりました。

この戦いは大津城の京極高次の籠城戦と同じく本戦から兵力を割かせたという意味で、1万5千の兵力を田辺城に釘付けにさせ、開城は関が原の本戦の二日前でした。

戦後(田辺城の戦い)、谷衛友(もりとも)は小野木(福知山城主)を攻撃して東軍に内応し、関が原の戦いのあと、細川や本多正純の仲介で谷衛友(もりとも)は本領を安堵され、ここに谷家山家藩(山家藩)1万6千石が成立します。

こうして谷氏は13代、明治維新まで山家藩を治めました。

 

  ちなみに上林(かんばやし)の藤懸氏も後には(子の永重から)旗本(4000石余)として上林領を安堵された形で(関が原の戦い時は1万3千石を領していた)明治まで上林領を治めます。

山家藩主2代目の衛政(もりまさ)の代に弟三人(梅迫谷氏1500石、上杉谷氏2500石、十倉谷氏2000石)に6000石が分知され、それぞれは旗本に列し、以後、本家の山家藩(やまがはん)は1万石の大名として明治に到ります。

 

  前日に所用があり、福知山で一泊して午前中に福知山発園部行き普通223系で山家駅に到着。

  山家駅では1分停車のようで、写真を撮る事ができました。

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  駅前にあった「やまが散策マップ」。

  後ろに道路が見えますが左へ行くと山家橋、右へ行くと吊り橋の上原(かんばら)橋。

  山家城址へは吊り橋の上原橋の方へ行きます。

  山家橋の先には国道27号線との山家交差点から上林(かんばやし)から福井県小浜市に向かう府道1号線が分かれ、その付近に東山の古い町並や東山公園があります。

  帰りは山家交差点から山家橋を渡って山家駅に帰りましたが、東山は訪れませんでした。

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  簡素な山家駅(やまがえき)駅舎。

  無人であることはもちろん自動発券機もありません。

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  吊り橋の手前まで来ました。

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  上原(かんばら)橋。下は由良川です。

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  由良川に合流する上林川(かんばやしがわ)には国道27号線の肥後橋が架かっています。

  細川忠興が田辺から豊前に移封され、山家領内を通過する際に橋を上林川に架け、後に細川家は肥後の大名となったことから、この橋を地元の人が肥後橋と呼ぶようになったそうです。

  もちろん、現在のこの橋ではなく昔の名前を残したという事なのでしょう。

  細川家は洪水等での肥後橋の被害に対しては谷家を資金的に援助をしたということです。

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  由良川は丹波国の大河で丹波高地に源を発して南丹市から綾部市、福知山市を経て宮津市と舞鶴市の境界をなして若狭湾に注ぎます。

  下の写真は下流方向を。小さく山家大橋が見えます。

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  国道27号線の北側に来ました。

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  吊り橋の前に階段があります。

  徒歩旅行者にとっての山家城址への近道です。

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  上原(かんばら)橋を上から。

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  坂道を振り返ったところ。

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  坂道途中には石垣が残っています。

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  やがて、道路に。

  車の人は東側から迂回してここに登ってきます。

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  山家城址公園にある観梅苑の梅と山家陣屋の模擬陣屋門。

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  観梅苑の梅。

  東屋(あずまや)形式の休憩所が中央にあります。

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  模擬陣屋門の右手に伊也神社への上り口があります。

  この上の山が山家(やまが)城(甲ヶ峯城)跡で、関ヶ原の戦いの後に本領安堵を得て、山城を廃して山麓に陣屋を設けました。

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  山家藩模擬陣屋門。

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  撮影 2013/03/15

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2013年3月13日 (水)

法隆寺と斑鳩の里を散策(5) - 法輪寺と法起寺(ほうきじ、ほっきじ)の三重塔

 

  法隆寺を除く斑鳩の里巡りは最後に法輪寺と法起寺の三重塔をお寺の外から眺めて終りとしました。

拝観時間の5時も過ぎて、観光客にもほぼ出会う事もない静かな夕暮れの法輪寺と法起寺を、次第にシルエットだけとなっていく中、田んぼのあぜ道を南に歩いて駅に向かいました。

 

  法輪寺への道から。

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  法輪寺の三重塔。三重塔は1975年の再建です。

  私が初めて訪れた1970年代初めには、この三重塔はまだありませんでした。

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  遠くに法起寺の三重塔が望めます。

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  もう法輪寺の門は閉ざされています。

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  法輪寺から東の法起寺へ向かいます。

  法輪寺方向を振り返って。

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  法起寺三重塔遠望。

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  法起寺へ。

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  法起寺の三重塔は三重塔としては日本最古で国宝に指定されています

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  すっかり暗くなり国道25号線に向けて歩きます。

  その後、大和小泉駅から奈良方面への電車に乗車したのは7時過ぎとなりました。

  そして、岐阜の自宅に戻ったのは11時過ぎ。

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  撮影 2013/03/06

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2013年3月12日 (火)

法隆寺と斑鳩の里を散策(4) - 法隆寺西大門から東大門を抜けて斑鳩神社、法輪寺へ

 

  斑鳩の里をJRの法隆寺駅を起点にして、西の方から吉田寺、龍田神社、藤ノ木古墳、そして「西里のまちなみ」から法隆寺西大門へ歩いて来ましたが、西大門に到着したのがすでに5時少し前。

西大門から法隆寺境内に入り、そのまま有名な五重塔と金堂のある西院伽藍の前を通り過ぎ東大門へと向かいました。

法隆寺全体は3日前の3月3日にじっくりと回っているので、この日は境内を単に素通りという形になりました。

東大門のさらに東には有名な夢殿のある東院伽藍と中宮寺があります。

 

  「西里のまちなみ」から西大門に入って振りかえったところ。

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  西大門を少し入って左手の方向の奥にある西円堂。

  西院伽藍のさらに西にあり、拝観コースから外れているので観光客はあまり訪れません。

  しかし、鎌倉時代のれっきとした国宝建築物です。

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  拝観入口付近から五重塔と中門。

  西院伽藍は回廊も含めて全体が国宝という法隆寺の象徴ともいうべきところ。

  西院伽藍、東院伽藍(夢殿がある)、大宝蔵院(宝物殿といって良い)の三ヶ所で拝観料は大人1000円(小学生500円)です。

五重塔、金堂、中門、夢殿等の建築物だけでなく、大宝蔵院に安置された仏像を中心とした宝物には圧倒されます。

  ここでは学校の教科書に載っている文化財を多く見ることができます。

  法隆寺での散策は、また最後に記事にします。

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  世界遺産の碑と共に五重塔と中門。

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  中門の前を通り過ぎて東に国宝の東大門が見えます。

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  西日を受ける東大門。

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  東大門の東に抜けるとすぐに北に行く道があり、これを左に折れます。

  最終的には夢殿のある東院伽藍の門前の北に向かう道と合流して法輪寺に至ります。

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  北に向かいます。

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  ため池の堤防に突き当たりさらに右手へ。

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  堤防に沿って北に上り坂となります。

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  振り返ると五重塔。

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  ため池の堤防に上がり、背後に斑鳩神社があります。

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  少し高台にある斑鳩神社。

  法隆寺鎮守四社の内のひとつとか。菅原道真を祭っています。天満宮とも。

  牛の像があったのでそうではないかと思いました。

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  社殿。

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  再び堤防沿いの道を北に行くと墓地がありました。

  これを右に折れ、東院伽藍から北に伸びてくる道路と合流します。

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  そして北に法輪寺の三重塔が見えてきます。

  もう5時を過ぎているので拝観は叶いません。

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  撮影 2013/03/06

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2013年3月10日 (日)

法隆寺と斑鳩の里を散策(3) - 藤ノ木古墳から「西里のまちなみ」を歩いて法隆寺西大門へ

 

  斑鳩の里の散策は吉田寺(きちでんじ)を手始めに龍田神社から斑鳩町役場を経て藤ノ木古墳までやってきました。

藤ノ木古墳は古墳時代後期の6世紀の古墳と見られ、被葬者は出土品などから大王クラスではなくその一族と見られています(Wiki参照)。

出土品は一括して古墳文化研究上価値の高いものとして1988年に重要文化財、2004年に国宝に指定され、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館において保管・展示されている(Wikiより)そうです。

古墳の南にある斑鳩文化財センターでは藤ノ木古墳の概要などがガイダンスされているので、関心のある人は立ち寄ってみてください。

さて、藤ノ木古墳の北の道を東に向かうと法隆寺の西大門へ至ります。

その途中の町並みが「西里のまちなみ」で、わき道も含めてその雰囲気を感じながら西大門までの300m余を歩きました。

もう少し時間があれば脇道に深く入っていく事もできたのですが、あまりゆっくりしていると、この日の最終地点である法起寺まで日没までにたどり着けなくなります。

 

  藤ノ木古墳。

  ご覧の通り「円墳」といわれる形の古墳です。

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  公園内には説明板が幾つも設置されています。

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  石室への入り口。

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  ドア越しに覗くとセンサーが働き、中の照明が点灯して内部を覗うことができるように工夫されています。

  ただ、外が明るくてあまり良く見えませんでした。

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  「西里のまちなみ」の案内板。

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  古墳とはこんな位置関係です。

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  これは西を振り返ったところ。

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  わき道にも入り込みたいところです。

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  こちらもわき道です。

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  途中の西福寺の梅。

  これは失敗でしたね。

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  西大門が見えてきました。

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  西院伽藍の五重塔も見えます。

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  法隆寺西大門。

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  西大門前から右の南のほうに続く土塀。

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  門内から、歩いてきた道を。

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  撮影 2013/03/06

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2013年3月 9日 (土)

法隆寺と斑鳩の里を散策(2) - 龍田神社から斑鳩町役場を経て藤ノ木古墳へ

 

  法隆寺駅北口からほぼ西の方向に1キロ半ぐらい、時間にして20分ぐらいでしょうか、途中は住宅地を歩くので少し面白味に欠けますが、そんな距離に「ぽっくり寺」の吉田寺(きちでんじ)があります。

吉田寺ではお目当ての多宝塔を見て、さらに吉田寺から北に行くと龍田神社があります。

そして龍田神社前の古道を東に歩いていくと国道25号線と合流して斑鳩町役場の正面へと至ります。

この役場の東側の道を北に取ると藤ノ木古墳があります。

 

  吉田寺前の道路を北に行くと国道25号線。

  信号を北に横断して振り返ったところ。

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  路地のすぐ向こうに常夜灯と鳥居が見えます。

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  龍田神社。

  法隆寺の鎮守社として創建され(元々の社名は「龍田比古龍田比女神社」)、明治の神仏分離令で龍田大社(奈良県三郷町)の摂社となり、大正11年に独立した経緯のある神社です。

  式内社で旧社格は県社でした。

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  社殿はまだ歴史が浅そうな雰囲気です。

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  西側に金剛流発祥之地の碑があります。

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  西日の当たる社殿と大楠。

  西日で明るい風景です。

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  「金剛流発祥之地」碑の横にあるソテツの巨樹。

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  先ほどの大楠は大明神として祭られています。

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  鳥居前のおそらく古道であろう道をさらに東へ向かいます。

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  東の方へ。

  電柱、電線は日本の風景として多少諦め気味です。

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  国道25号線と合流。

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  斑鳩町役場正面。

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  役場の東側の道路を左(北)へ。

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  途中、右へ行くと斑鳩文化財センターがあります。

  現在は藤ノ木古墳関係の展示がメインのようです。

  拝観料については触れられていないので無料?。

  時間も無いのでそのまま直進。

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  藤ノ木古墳に。

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  撮影 2013/03/06

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2013年3月 8日 (金)

法隆寺と斑鳩の里を散策(1) - 「ぽっくり往生の寺」吉田寺(きちでんじ)の多宝塔

 

  3月3日の日曜日と平日の3月6日の二日間で、法隆寺と斑鳩の里を歩いてきました。

二日とも岐阜からの日帰りで、3月6日に関しては、朝から午前中にかけて岐阜市内での所用を済ませてからの出発でしたので、奈良の法隆寺駅に到着したのはすでに午後3時頃という有様。

それでも、吉田寺(きちでんじ)、龍田神社から藤ノ木古墳と歩いて法隆寺の西から「西里のまちなみ」を経て西大門から法隆寺境内に入り、西院伽藍の前を横切って夢殿のある東院伽藍に向かいました。

そして、東院伽藍への途中の東大門を抜けるとすぐの道を左に(北に)折れ、斑鳩神社に。

そして、斑鳩神社から北、東、北と順に道をとると法輪寺です。

もうすでに5時を回っていて拝観は叶わず門外から三重塔を眺めて、さらに東に向かうと法起寺で、法起寺の三重塔を外から眺めて、ここでこの日の散策は終わりとしました。

この後、暗くなった田んぼ道を南の方に勘を頼りに歩いて国道25号線に出て、さらに東に歩いて大和小泉駅へ(実は法隆寺駅の方が断然近かった)。

この大和小泉駅で奈良行電車に乗車した時点で7時ごろ。

奈良から京都、米原、大垣、岐阜と乗り継いで帰宅したのは、すでに午後11時過ぎとなっていました。

これが3月6日の旅行の顛末です。

3月3日は法隆寺のみの旅行でしたが、その様子は後に記事にしたいと思います。

 

  奈良駅にて。

  昼間帯は桜井線(万葉まほろば線)以外は221系電車ばかりが目に付きました。

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  法隆寺駅南口。

  バス停は南口にあり、法隆寺門前へのバスがあり、運賃は180円です。

  3日の法隆寺へは往復ともバスを利用しました。

  歩いても15分から20分ぐらいだと思います。以前に訪れた時は往復とも歩きました。

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  6日は北口から西に向かって吉田寺へ向かいました。

       【2枚の法隆寺駅の写真は3月3日のものです。】

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  電車で来た人は駅の案内所で地図を手に入れるのが良いです。

  案内所に人のいない場合でも、前のパンフレット入れに地図が入っています。

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  交差点ごとに案内板があるので迷うことはありません。

  ただし、上の広い道まではひたすら我慢をして西に向けて歩きます。

  バスや車で吉田寺(きちでんじ)へは国道25号線沿いの竜田神社バス停から南です。

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  吉田寺入口を道路沿いから。

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  この時初めて吉田寺は「ぽっくり寺」であることを知りました。

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  門をくぐると竹林を右手に奥へ。

  周りは住宅街ですが静かな佇まいです。

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  正面に本堂。

  本堂内参拝には300円。写真撮影などは禁です。

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  右手にお目当ての多宝塔。

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  境内は広くはありません。

  多宝塔が重文であることは承知していましたが、室町時代の建立だったのですね。

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  多宝塔の横には鐘楼。

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  境内の中の神社。

  「吉田寺ホームページ」では触れられていません。

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  北に歩いてすぐに国道25号線の「竜田神社」バス停横に出ます。

  信号を北に渡ると龍田神社があります。

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  撮影 2013/03/06

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2013年3月 7日 (木)

長良川鉄道 越美南線 美濃市駅にて - 岐阜県美濃市

 

  美濃太田駅から関、美濃市、郡上八幡方面への路線は1986年から旧国鉄時代の越美南線から第三セクターの長良川鉄道越美南線となり現在に至っています。

美濃太田から美濃市までは所要時間は約30分、運賃は610円です。

この日は美濃太田駅11時35分発の北濃行きに乗車し、美濃市駅では美濃白鳥発美濃太田行きとの列車交換がありました。

 

  美濃市駅に接近すると、すでに美濃白鳥発の列車が待機。

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  こちらは乗車してきた北濃行き。

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  両車両ともそれぞれ出発。

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  美濃市駅駅舎。

  数少ない駅員さんが常駐する駅です。

  長良川鉄道を利用した人に限りますが、一人500円でレンタサイクルが利用できます。

  長良川鉄道のレンタサイクルや企画切符等はこちら。

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  撮影 2013/02/25

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2013年3月 6日 (水)

JR高山線、太多線&長良川鉄道越美南線 「美濃太田駅」にて - 中山道太田宿のある町(岐阜県美濃加茂市)

 

   美濃太田駅に立ち寄ったのは、最初は太多線(たいたせん)で可児駅まで行き、そこで名鉄新可児駅乗り換えで名鉄広見線御嵩駅へ行く心づもりでした。

しかし、列車の待ち時間の都合から、急な心変わりで長良川鉄道で美濃市へ行くことになってしまいました。

 

  長良川鉄道越美南線の車両、後ろ側です。

  列車は西に向かって構内を出ます。

  JRの改札を一度自由通路に出て専用ホームに下ります。

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  鵜沼から乗車してきたキハ11は回送となりました。

  美濃太田の車両基地(美濃太田車両区)は東の方の太多線沿いにあり、太多線の美濃川合駅で下りるのが一番近いです。

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  区間運転の関行きが出発していきます。

  関には長良川鉄道の本社と車両基地があります。

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  1984年当時、名鉄が出資して当時はまだ存在した美濃町線と越美南線を関で連絡して岐阜と郡上八幡の間に直通列車を走らせる計画があったそうです。

  しかし、名鉄側が関~美濃太田間の廃止を条件としたために地元の反発を買い実現しなかったいきさつがあります。

  当時は大阪在住時代でしたので、この話しは最近知りました。

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  駅前にある小説家、評論家の坪内逍遥の胸像。

  坪内逍遥は尾張藩領であった太田宿の生まれ。

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  美濃太田駅駅舎と駅前。

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  駅前道路。

  真っ直ぐ歩いて行くと木曽川があります。

  その手前の中山道沿いの右手に太田宿の脇本陣林家住宅(国重文)や古い家屋が残っています。

  距離にして600~700mで中山道との交差点です。

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  多治見発 太多線経由 岐阜行き普通キハ11が到着。

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  長良川鉄道の次の列車。北濃行き。

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  富山発名古屋行き 特急「ワイドビューひだ6号」キハ85系の美濃太田駅到着。

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  撮影 2013/02/25

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2013年3月 5日 (火)

JR高山線 鵜沼駅(岐阜県各務原市(かかみがはらし))にて - 特急「ワイドビューひだ」キハ85系の到着

 

  美濃市へ向かう途中、岐阜から名鉄各務原線(かかみがはらせん)で新鵜沼駅下車。

その後、JR高山線で美濃太田駅に向かうべく鵜沼駅での列車待ちの間に、当駅には1日3往復停車する特急の内、特急「ワイドビューひだ5号」名古屋発飛騨古川行き+特急「ワイドビューひだ25号」大阪発高山行きのキハ85系10両編成が到着。

 

  JR高山線鵜沼駅にて。

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  左の複線線路は名鉄各務原線。

  岐阜~鵜沼間は名鉄とJRが競合しています。

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  名鉄は15分毎 1時間に4本の運行、JRは特急を除外してほぼ1時間に2本の運行です。

  岐阜~鵜沼(名鉄岐阜~新鵜沼)間でJRの運賃は320円、名鉄が440円。

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  美濃太田行き普通 キハ11  3両編成が到着。

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  撮影 2013/02/25

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2013年3月 4日 (月)

「うだつ」の上がる町並み 美濃市(岐阜県美濃市)を散策(5) - 美濃橋と上有知湊跡(こうずちみなと あと)の住吉灯台

 

  小倉山城のあった小倉山の裏側(町の反対側)には長良川が流れていて、上有知(こうづち)湊跡が公園となっています。

上有知湊跡には江戸時代末期の住吉灯台が現存しています。

上有知湊は1911年(明治44年)に神田町(現在の岐阜市の柳ヶ瀬)~上有知(こうずち すぐに美濃町駅に改称)間に美濃電気軌道が開通してその主要な使命を終えました。

この年に町名も上有知町は美濃町に改名されました。

 

  本丸跡の芝生広場から隅櫓の左手の道を行きますと長良川の見える場所にたどり着きます。

  さらに右に下りていきます。

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  日陰で雪の残っている細い道を下りました。

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  最後は手すりも無い道となって道路に下ります。

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  すぐ短いトンネルがあります。

  本丸下を左手に迂回する道を来るとここに出るはずです。

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  右手に階段を下の道路に下ります。

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   道路に下りて上流に見える近代吊り橋としては現存する最古の美濃橋。

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  まず美濃橋に向かいます。途中にある川端地蔵さん。

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  曽代用水について。

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  昔、江戸時代でも明治でも民間で事業を行う事例がとても多いですね。

  官に頼まれて、ということもあったのでしょうか?

  江戸時代でしたらご褒美は苗字帯刀の許可と利益享受の追認ぐらい?

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  この日の用水は流量はほとんどありませんでした。

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  大正4年(1915年)起工、大正5年(1916年)完成の美濃橋。

  2003年には国の重要文化財に指定されてました。

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  歩行者と自転車のみが通行できます。

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  美濃橋の老朽化に伴い昭和31年(1956年)から上流300mの場所の新美濃橋へ。

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  二十人以上の通行は規制されています。

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  反対側から小倉山を望んで。

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  ここで橋を吊る鋼索を維持しています。

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  反対側にはひらがなで「みのはし」。

  小倉山の展望台が僅かに見えます。

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  上の写真で山下の川にせり出している場所がありますが、下の説明板にある前野渡舟場跡のようです。

  案内板自身は川湊公園のある向こう側にあります。

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  最後に上有知湊(こうづちみなと)跡の住吉灯台へ。

  江戸時代末期の現存遺構です。

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  桜の木が横に。

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  住吉神社。

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  小さな神社です。

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  旧名鉄美濃駅跡の前にある「美濃」バス停に戻ります。

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  上有知一の大地主で実業家でもあった須田家住宅。

  戦後の農地解放で多くの田畑を失ったと書いてあります

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  岐阜バスの「美濃」バス停からJR岐阜行きで岐阜へ帰りました。

  「美濃市」バス停と「JR岐阜」バス停間は所要50数分。運賃は870円。

  1日8~10往復(平日と土祝祭日で多少異なる)。

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  撮影 2013/02/25

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2013年3月 2日 (土)

「うだつ」の上がる町並み 美濃市(岐阜県美濃市)を散策(4) - 桜の名所 小倉公園(小倉山城跡)

 

  美濃市の「うだつ」の上がる町並みを散策した後は小倉山城跡である小倉公園を訪れました。

関ヶ原の戦いで東軍に与した高山城主の金森長近は、西軍の郡上八幡城を攻め、西軍に与して没落した鉈尾山(なたおやま)城主の(美濃)佐藤氏に替わり武儀郡(現在の美濃市や関市等)を家康から拝領し、鉈尾山城を廃して小倉山城を築きます。

また現在の美濃市の母体である上有知(こうづち)の町を城下町として整え、さらに長良川に川湊である上有知湊(こうづちみなと)を開いて上有知(こうづち)の町の発展の基礎を築きました。

1608年に金森長近が亡くなると高山藩と当主の地位は金森可重(よししげ)が継ぎ、武儀郡は実子である金森長光が2万石を分知されて上有知(こうづち)藩が成立します。

しかし長光は3年後にわずか7歳で夭折し、上有知金森家は断絶、その後1615年になると一帯は尾張藩領となり、美濃紙の生産や木材などの集散地として上有知の町は商業都市として繁栄していきます。

集められた物資は長良川の上有知(こうづち)湊から舟運で下流に運ばれていきました。

明治になって上有知町は美濃町と改称されて(1911年 明治44年)、戦後の1954年(昭和29年)に市制を敷き美濃市となりました。

 

  この案内図が分かりやすいですね。

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  町並みから国道156号線を横切って公園の入口へ。

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  すぐに坂の上に隅櫓が見えてきます。

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  右手の石垣の下は駐車場になっていますが、このあたりが二の丸です。

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  石垣の間を上ります。

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  時代考証とは無縁の模擬隅櫓のようです。

  それでも無いよりは良いです。

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  芝生広場と名付けられていますが、この部分が本丸跡。

  小倉山の山腹にあります。

  美濃市の桜の名所で下の駐車場は屋台で埋まります。

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  芝生広場が本丸、駐車場が二の丸にあたります。

  三の丸は現在は市街地となっています。

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  頂上に展望台があるので登ってみます。

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  あちこちに○○広場と名付けられた場所があり、東屋が休憩所として設けられています。

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  頂上の展望台と東屋。

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  なんとなく天守風ですが完全に展望台です。

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  長良川の下流方向。

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  こちらが上流。

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  展望台から美濃市の町並み。

  とんがり山が三つ見えますがその手前あたりに長良川鉄道美濃市駅があります。

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  展望台の様子。雪が残っていました。

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  長良川上流の方向にある新美濃橋。

  手前に大正5年に架けられた吊り橋の美濃橋があるので新美濃橋といいます。

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  下りる途中には小屋がいくつかありますが、お花見の時期などに食事を楽しむ場所と思われます。

  照明用の電球がぶら下がっています。

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  本丸に戻ってきました。

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  地元の江戸時代の漢学者の彰功碑。

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  下から本丸に上がって隅櫓の左手に行くと小倉山の裏側から長良川畔に下りることができます。

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  ここは道なりに任せます。

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  撮影 2013/02/25

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2013年3月 1日 (金)

「うだつ」の上がる町並み 美濃市(岐阜県美濃市)を散策(3) - 「うだつ」の上がる町並み

 

  長良川鉄道越美南線美濃市駅から駅前通りを道なりに行くと旧名鉄美濃町線美濃駅跡が左手にあり、さらにそのまま進むと道路は突き当たり、右に曲がると「うだつ」の上がる町並みの旧二番町の通りです。

そして、駅とは反対側のお城跡の小倉公園寄りに旧一番町の通りの町並みが平行してあります。

 

  さて、このあたりで美濃市の由来に触れておかなければなりません。

話は関が原の戦い前後から始めます。

当時、現在の岐阜県美濃市、関市周辺は武儀郡(むぎぐん)と呼ばれ、現在の美濃市の北に位置する鉈尾山城(なたおやまじょう 現古城山)を根拠地とした美濃佐藤氏が武儀郡一帯を治めていました。

そして北方の郡上八幡城には稲葉貞通が、秀吉により八幡から移封を余儀なくされた遠藤氏に代わり一帯を治めていました。

関ヶ原の戦いの前、当時の岐阜城主であった織田秀信(信長の嫡孫)が西軍に与することに決すると美濃の諸氏は一斉に西軍になびき、鉈尾山城(なたおやまじょう)の佐藤氏も3千以上の兵を派遣して家康の先鋒隊を迎え撃つため織田秀信らと木曽川北岸に陣を敷きます。

東軍の先鋒隊のうち池田輝政、浅野幸長、山内一豊ら1万8千は木曽川を渡河してさらに米野の戦いで秀信軍を破り、秀信軍は岐阜城へ撤退(西軍は全部で9千の軍勢、米野では分散していて3千の兵力)。

南から竹ヶ鼻城(現羽島市)を落として岐阜城に迫った福島正則は池田輝政らとその後岐阜城を攻撃して落城させ、その際佐藤方政は戦死し、こうして佐藤氏は没落します。

一方郡上八幡城主であった稲葉貞道は家康の西進を防ぐべく犬山城に赴き、その留守の間に郡上八幡城は東軍に与した高山城の金森氏らに攻められました。

 

  ここからが美濃市に関わる話となりますが、鉈尾山城(なたおやまじょう)の佐藤氏はこれによって没落して、武儀郡一帯は郡上八幡攻めに功のあった金森長近に与えられることになります。

金森長近は鉈尾山城(なたおやまじょう)を廃して、現在の小倉公園に小倉山城を隠居城として築城し、現在の町割りの基となる城下町を整備しました。

これが美濃市の前身の上有知(こうづち)の町で、さらに長近は長良川に上有地湊(こうづちみなと)を開き、江戸時代以後まで上有知(こうづち)の町の発展を支えることになります。

長近が死ぬと(1608年、1607年とも)高山藩を金森可重(よししげ)が二代目として継ぎ、長近の実子である長光が(可重は養子)上有知で2万石余を分地され、ここに上有知藩(こうづちはん)が成立します。

しかし、長光は3年後わずか7歳で夭逝し(1611年)、ここに上有知金森家は無嗣断絶で改易となり、「家臣の島三安、肥田忠親、池田政長らは、遺領のうちより各1,000石が宛がわれ幕府に召し出され」(Wikiより)となります。

その後、1615年には尾張藩領となり、上有知の町は上有知湊を物資の集散地として商業都市として繁栄していきます。

特に一帯は和紙の生産が盛んで(美濃紙)、上有知湊から長良川の舟運で下流の岐阜町(同様に尾張藩領)に運ばれ現在にまで伝わる岐阜提灯や和傘などの生産が盛んに行われました。

また、岐阜町の南隣にあり現在の岐阜駅の南にあたる加納藩領にも運ばれ生産が行われたそうです。

上有知(こうづち)町から現美濃市の前身である美濃町と改称したのは1911年(明治44年)のことです。

※「上有知」の読み方は現在使用される「こうずち」ではなく古い「こうづち」で統一しました。

 

  「うだつ」の上がる町並みの地図。

  上がほぼ南で美濃市駅は上のほう。

  左右に2本の「うだつ」の上がる町並みがあり、上が旧二番町通り、それに並行して下が旧一番町通り。

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  美濃市駅前から道なりにやってきて突き当たって右に曲がると旧二番町通り。

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  旧二番町通りに面した「町並みギャラリー山田家住宅」。

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  江戸時代の町医者の家。

  十代目が東京八王子で小児科を開業していらっしゃるそうです。

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  内部の様子。季節柄ですね。

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  さて、旧二番町通りをさらに行くと重文の小坂家があります。

  しかし、その前に旧一番町通りへ先に行くことにして、両通りを結ぶ脇道へ入りました。

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  向こうに旧一番町通りが見えるその手前。

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  立派な「うだつ」が上がっています。

  「うだつ」は「うだつがあがらない」という言葉の「いつも上から押さえ付けられていて、出世できない。運が悪くて、良い境遇に恵まれない。」の意味の語源の一つとされています。

  ただ諸説あるようです。 

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  旧一番町通りに出て振り返ったところ。

  ポケットパークがあります。

  ポケットパークの斜め向かいには「観光案内所 番屋」があります。

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  旧一番町通りを奥に進むと両側に古い町並みが望めます。

  屋根の白い部分は残雪です。

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  「うだつ」と屋根神様。

  「屋根神様」は愛知県と岐阜県の民家に見られます。

  以前に津島神社(愛知県津島市)を訪れた際に牛頭信仰を調べましたが、屋根神様は津島信仰(牛頭信仰)と関係があるという説があります。

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  旧一番町通りを振り返ったところ。左がほぼ南。

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  旧一番町通りは大体ここまでです。

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  あの山が古城山でしょうか?

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  町並みでは唯一拝観料が必要な旧今井家住宅・美濃資料館。

  大人300円(高校生以上)、小人無料。

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  旧一番町通り。

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  旧一番町通り。

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  旧二番町通りに戻って国重文の小坂家住宅。

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  この屋根は「むくり屋根」というそうです。

  小坂家は江戸時代から続く造り酒屋です。

 

  この後は小倉山城跡の小倉公園へ向かいます。頂上の展望台まで登りました。

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  撮影 2013/02/25

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