« 法隆寺と斑鳩の里を散策(4) - 法隆寺西大門から東大門を抜けて斑鳩神社、法輪寺へ | トップページ | 山家(やまが)城址(谷氏13代の山家藩)を訪れる(1) - 京都府綾部市 »

2013年3月13日 (水)

法隆寺と斑鳩の里を散策(5) - 法輪寺と法起寺(ほうきじ、ほっきじ)の三重塔

 

  法隆寺を除く斑鳩の里巡りは最後に法輪寺と法起寺の三重塔をお寺の外から眺めて終りとしました。

拝観時間の5時も過ぎて、観光客にもほぼ出会う事もない静かな夕暮れの法輪寺と法起寺を、次第にシルエットだけとなっていく中、田んぼのあぜ道を南に歩いて駅に向かいました。

 

  法輪寺への道から。

Dsc07321

 

  法輪寺の三重塔。三重塔は1975年の再建です。

  私が初めて訪れた1970年代初めには、この三重塔はまだありませんでした。

Dsc07323

 

  遠くに法起寺の三重塔が望めます。

Dsc07324

 

  もう法輪寺の門は閉ざされています。

Dsc07325

Dsc07327

 

  法輪寺から東の法起寺へ向かいます。

  法輪寺方向を振り返って。

Dsc07338

 

  法起寺三重塔遠望。

Dsc07339

Dsc07343

 

  法起寺へ。

Dsc07344

Dsc07345

 

  法起寺の三重塔は三重塔としては日本最古で国宝に指定されています

Dsc07348

Dsc07355

Dsc07362

Dsc07364

 

  すっかり暗くなり国道25号線に向けて歩きます。

  その後、大和小泉駅から奈良方面への電車に乗車したのは7時過ぎとなりました。

  そして、岐阜の自宅に戻ったのは11時過ぎ。

Dsc07365

  撮影 2013/03/06

|

« 法隆寺と斑鳩の里を散策(4) - 法隆寺西大門から東大門を抜けて斑鳩神社、法輪寺へ | トップページ | 山家(やまが)城址(谷氏13代の山家藩)を訪れる(1) - 京都府綾部市 »

旅行・地域」カテゴリの記事

」カテゴリの記事

神社仏閣」カテゴリの記事

京都、奈良」カテゴリの記事

コメント

法隆寺はいつも時間がなくて通過するだけなので、こうして紹介してもらえてうれしいです。

藤ノ木古墳からは様々なものが出土していますが、金銅製鞍金具に関する面白い論文がありました。
出口祐資「藤ノ木古墳の金銅製鞍金具に関する一考察」(『人間文化学部学生論文集』第8号(2010年))
ttp://www.kyotogakuen.ac.jp/~o_human/pdf/association/c2009_06.pdf
文献史学の人はいろいろ文句を付けるでしょうが、一つの出土品からこれだけの情報を引き出せることは驚きです。

また法隆寺だけでなく、古代寺院の建築に関する論文として
森郁夫「わが国における初期寺院の成立」(『学叢』16号(1994年))
ttp://www.kyohaku.go.jp/jp/kankou/gaku/pdf_data/16/016_ronbun_a.pdf
金堂から造りはじめたということから日本仏教の特殊性を指摘している点が興味深いです。
あと、これはなかなか見ることが難しいかも知れませんが、
藤井寺市教育委員会『藤井寺市及びその周辺の古代寺院(上)』(1987年)
は古代寺院に関する図版が多くてわかりやすいです。

引っ越し2カ月にして、ようやく落ち着きつつあります。1週間後にはやっとまともに料理ができそうで喜んでいます。この間味噌汁はインスタントでしたから。
そんなこんなで、日本橋からの帰りにまた杉本町に寄ってきました。
阪和線は我孫子駅を過ぎた当たりから低くなり、杉本町では完全な地上駅となっていて、浅香では高架となっています。
昔は線路の側に店が立ち並んでいたと思うのですが、今はさびれてほとんど店はありません。例の喫茶店ももうなくなっていました。
大学はどうやら専門キャンパスが大きく変わっているだけで、教養は門の左手にあった1号館(?)がまったく新しくなっているだけで、あとはもとのままのようです。道路工事中だったのでちらっとのぞいただけですが、生科・理・工の建物も変わってないようです。
ただ、店がだいぶなくなっているので、学生には不便かもしれません。
杉本町便りでした。

最後に私に使わせてもらって申し訳ありませんが、teraさん、近々連絡します。

投稿: ddol | 2013年3月15日 (金) 13時32分

飛鳥は、高校の頃、学校をさぼってよくいったんやけど最近ご無沙汰で、記憶が飛んでることもあり、とても面白いです。これもだいぶん前の話しやけど、蘇我・大伴戦争を題材にした黒岩重吾の「磐舟の光芒」(講談社文庫)を読んで、がぜん古代史に興味がわきました^^
古代は掘ってなんぼの感じがして、それをもとに大きな史論や史観をつくれる人が出てきてほしいです。

奈良は、近いのでわりと行きます。今年も「お水取り」に。前に行った時よりも人が多くて、見るのに苦労しました。世界一、美術館に訪れる人の多い国なのに、橋下さん、もったいない^^;

ddolさん、リンク見てますよ。知らないことが多く、とても面白いです。
暇ができたら教えてくださいね。

投稿: tera | 2013年3月16日 (土) 06時32分

ddolさん、teraさん、返事遅くなって御免なさい。

ddolさん、まだ論文は読んでなくて、それに対するコメントが出来なくて申し訳ありません。

14、15日の二日間かけて綾部のFkiさんの家を訪れて、山家へ行って来ました。
昨日はその山家の藩主家の谷氏周辺を調べていて、記事を書くことで手一杯となり、ddolさんもteraさんからもコメント貰っているのは承知でしたが、本当にごめんなさい。

藤ノ木古墳については、記事の中でも書きましたが、すぐ近くに斑鳩町の文化財センターがあって、そこでパネル等で説明されていると思うのですが、こういう論文もしっかりと書かれているんですね。
それから阪和線の様子は私が見るころとはあまり変わっていないようですね。
ただ、町並みが随分と変化してしまったのかも。

teraさん、飛鳥→× 斑鳩→○ですね^^

学校サボって行ってたのね^^;

私が成人した(中高生頃まで含めて)前後って邪馬台国論争が盛んな時代で、地方史家も多くの本を出版してて、邪馬台国が飛騨にあったというトンデモ本までありました。
当時の歴史学もマルクス史観?からの影響で日本古代が奴隷制とするなら、どの時代が農奴制にあてはまるかという、そんな論争が討論されていた思い出が。

法隆寺の記事は山家のお話しが終わってから再開します。
法隆寺の方は季節感とは関係の無い記事となりますから山家を優先させました。

投稿: mino | 2013年3月17日 (日) 08時56分

16日に奈良に行ってきましたが、またも法隆寺は素通りでした。teraさんならお分かりでしょうが、羽曳野から奈良までは乗り継ぎ乗り継ぎで片道1時間半かかり、奈良では半日庭仕事なのでとても寄る余裕がありません。

藤ノ木古墳の被葬者は一般に穴穂部と宅部に比定されているようですが、異論もあって(ttp://ameblo.jp/bungo-dou/entry-11369526705.html)決定打はないようですね。比定にしても無理矢理文献と結びつけようとしているようで、とりあえずは不明というところでしょうか。

法隆寺に関して以前NHKの番組に触れましたが、朝日新聞の記事がありました。
http://www.k2.dion.ne.jp/~penta/LOVELOG_IMG/Scan10372.JPG
引用元のブログは
http://blogs.dion.ne.jp/pentacross/archives/7224381.html

それにしても、「仏法興隆」の上が法興寺、下が法隆寺というのはなかなか意味深いです。

投稿: ddol | 2013年3月21日 (木) 12時18分

ddolさん、羽曳野からだと近鉄道明寺線で柏原乗り換えで奈良まで行くのでしょうか?

柏原では快速通過駅なので余計に時間がかかる?
う~む、どういうふうに行くと一番時間がかからないのか?

藤ノ木古墳は観光的にはとても良い場所にあります。
現地にも説明板があって読んで見たのですが、観光客にとってはそれほど興味を持ってもらえるのかな?と思いました。
とりあえずは不明>そうなんでしょうね。
古代史はなかなか難しいです。特に国際的な関係が絡むと^^;

投稿: mino | 2013年3月21日 (木) 18時10分

柏原では快速通過駅なので余計に時間がかかる?>
古市からだと、道明寺、柏原、王子で乗り換えとなるのですが、柏原での近鉄とJRとの連絡が悪く、ひどい時には15分も待たされます。
それにしても関西線の各停はがらがらで、一車両に一人なんてこともあります。車両庫の関係なのでしょうが、もったいないですね。

鉄道ということでは、大阪でも東京の鉄道の話題が大きくとりあげられました。

東急東横線が副都心線・東武東上線と結ばれて、横浜から川越方面まで直結したということで、よかったよかったということだそうです。minoさんの記事でも京都の地下鉄の相互乗り入れの話がでてきたりと直結が進んでいるようです。
大阪で暮らしてみると、関東ほどではないですが、風の強い日が多いので直結は不安でもあります。一昨年の台風で、東京では乗り入れしていない地下鉄以外の鉄道はすべて運休しました。私は運がよくて、丸ノ内線が比較的近かったので、ずぶ濡れになりながらも歩いて帰ることができましたが、他の人は新宿の飲み屋で過ごしたそうです。

台風15号により運休している鉄道の情報(主に関東近郊)
http://www.meisuiyugi.net/archives/50726332.html

あらためて一覧すると恐ろしいです。こういうのって、どうしようもないのでしょうね。

それと、小田急線の東北沢〜世田谷代田が地下化されました。

小田急・下北沢が地下駅に 5年内に混雑も大幅緩和
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2001D_R20C13A3000000/

この辺は散歩コースだったので馴染みです。代田は迂回できたのですが、東北沢は狭い道に渋谷へ向かう車が溢れていたので、開かずの踏切がなくなったことはうれしいのですが、今度は歩行者が道を横断できなくなってしまうでしょう。中央線の武蔵境など、信号の整備が遅れていて「渡れずの道」ができてしまいました。
小田急はまだ新宿〜代々木八幡が残っていて、南新宿の踏切はよく待たされます。新宿近辺では代々木の埼京線の踏切も課題です。

この二つの路線に絡むのが、我が京王井の頭線で、今回の地下化で乗り換え時間が大幅に増えてしまいました。下北沢は、京王本線に何かあった時に新宿へ出るための代替手段となるので影響は大きいと思います。
また、23区西部でまったく高架・地下化していない唯一の路線ともなりました。6本通過待ちなんてこともありますが、環境など考えるとむずかしいと思います。

いつも東京の話題で申し訳ありませんが、大阪でも毎日、新聞・テレビで東京の話題が出るので、どうしても郷愁に追い込まれてしまいます。いずれ、こういう感覚的なものも含めて大阪化していくのでしょうね。

投稿: ddol | 2013年3月24日 (日) 14時04分

交通網が全滅だったんですね。
大都市での相互乗り入れについては、利便性から考えると必然ともいえるので、難しい問題ですね。
ただ、東京の交通網が、JRはともかく、私鉄になると全くお互いの位置関係が分かりません^^;

小田急・下北沢が地下駅に 5年内に混雑も大幅緩和>

地方でも似た状況があった訳ですが、大きな地方の駅はほぼ高架化が完了しつつあります。
地方では駅周辺が線路によって町が分けられ、両地域をつなぐ踏切が「開かずの踏み切り」となっていました。
しかし、東京となると電車の頻度や人口密度が全く違うので、高架化、地下化の工事も大変なんでしょうね。

投稿: mino | 2013年3月24日 (日) 21時26分

>teraさん、飛鳥→× 斑鳩→○ですね^^
うんうん、ごめんね^^;
電車に乗るのは、1年に1回あるかどうかやから、大阪・奈良の鉄道事情、まったくわかりません^^;
大阪は、日本一(沖縄と勝負できるくらい)温暖というか暑いんやないかな。雪も降らないです。
嫁や子供たちの話を聞いた限りでは、大阪で電車が動かなくなるのは、自殺らしいです^^;

投稿: | 2013年3月25日 (月) 06時10分

大阪・奈良の鉄道事情、まったくわかりません^^;<大丈夫です。私の東京鉄道知識も同じようなものですから^^
 

大阪で電車が動かなくなるのは<いわゆる「人身事故」ですね。
東京もよく止まってニュースになっています。

最近では踏み切りで遮断機が下りている状態で線路内に人が入ると感知されて、電車がよく一時停車となるケースも多いですね。

昔は電車の遅れで話題となったのは女子高生の登下校時の集団乗車。
みなしゃべりながらゆっくりと乗車するので、特に環状線等は20秒停車なので、つもり積もって数分の遅れにつながるという具合。
最近はどうなのかは知りませんが^^;

投稿: mino | 2013年3月25日 (月) 19時05分

大阪は、日本一(沖縄と勝負できるくらい)温暖というか暑いんやないかな。雪も降らないです。>
いやいや、名古屋の夏は地獄でした。夏の不快感は気温より、湿度や風の影響が大きいです。

最近では踏み切りで遮断機が下りている状態で線路内に人が入ると感知されて、電車がよく一時停車となるケースも多いですね。>
それでもよく車が飛び込んで衝突事故になります。東京では遮断機の竿が折られたままの踏切がたまにあります。
元国鉄職員から聞いた話ですが、長時間運休の場合、職員が線路を歩いて点検することになっているので再開に時間がかかるそうです。

法起寺の建立に関して
大橋一章「法起寺の発願と造営」(早稲田大学大学院 文学研究科紀要 49-3(2003))
ttp://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/8543/1/81027_49.pdf
という論文があり、塔の相輪の露盤の銘文を中心に斑鳩の古代寺院の建設を論じています。

大山誠一「『法起寺塔露盤銘』の成立について」(弘前大学國史研究 111 (2001))
ttp://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10129/3237/1/HirodaiKokushi_111_1.pdf
は大橋さんの立論の基礎である銘文を偽造だと批判しています。大橋さんは大山さんの説を無視して立論していることがわかります。

立正大学博物館「写真でみる日本古代木造塔の心礎」
ttp://www.ris.ac.jp/museum/profile/pdf/record_1.pdf
は古代寺院の基礎の写真を掲載しています。解説がないのが残念です。

相輪の露盤の取り付けについてこんなサイトがありました。
ttp://hayashida-kawara.com/construction/2008/11/post-119.php

投稿: ddol | 2013年3月28日 (木) 13時28分

ddolさん、どうもありがとうございました。
なかなか興味深く読ませて頂きました。
しかも、最後の2本で写真と説明付きで問題となっている部分がよく分かりました。

最初に大橋さんの論文から大山さんの順で読みましたが、大山さんはこの辺りの分野では非主流と位置づけられているのでしょうか?
非主流というよりも、さらに言えば異端と目されているのでしょうか?

大山さんが主張する聖徳太子が実在の人物ではないという説は、学会ではどの様に受け止められているのでしょうか?
最近の学会の動きで何が問題となっているかを皆目知らないので、よく分かりません。また、時間があったら教えて下さい。

投稿: mino | 2013年3月28日 (木) 21時50分

大山さんは虚構説の中心人物でした^^;

1999年ってもう私は歴史学会の状況を知りませんでしたから。
最近は、こんな所も話題になっているんですね。

また、詳しい情勢教えて下さい。古代に限らず、他にも面白い論点が出ているんでしょうね?

投稿: mino | 2013年3月28日 (木) 22時13分

最初に大橋さんの論文から大山さんの順で読みました>
あえてこういう順で紹介しました。大橋さんが援用する會津説への大山さんの批判は説得力があるのですが、逆に大山説は銘文の主題である施入に関する史料批判を怠っているので論が成立しないと思ったからです。もし大山さんの手法が容認され得るとするると、ローマ後10世紀までの西欧史は成立しません。したがって、研究史に対する礼儀の部分は別にして、大橋説は有効だと思います。

大山さんが主張する聖徳太子が実在の人物ではないという説は、学会ではどの様に受け止められているのでしょうか?>
私も歴史学を離れて久しいので、学界のことはわかりませんが、

大山誠一 「聖徳太子」研究の再検討 上・下 (弘前大学國史研究 100, 101(1996)
ttp://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10129/3146/1/HirodaiKokushi_100_4.pdf
ttp://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10129/3161/1/HirodaiKokushi_101_32.pdf

で非在説を展開しています。

読むとわかりますが、法起寺の論文同様、偽文書証明の定石的手続きは踏んではいますが、核心部分の論証がなく、仮説に仮説を上積みするという手法なので論証に説得力がありません。とはいえ、聖徳太子非在論は昔からあったので、それを総合的に取り上げたという点で面白い論文だと思いますし、仮説も全体として聞かせるものがあると感じます。
ただ、実在より非在の証明ははるかに困難なので、歴史学としてはなかなか難しいと思います。

投稿: ddol | 2013年3月29日 (金) 11時11分

古代はほとんど知らないんやけど、聖徳太子非在説はけっこう有名やで。
おいらの勤めてる聖徳太子ゆかりの大学でも、ここ数年、それなりの話題になってますよ。

>ただ、実在より非在の証明ははるかに困難なので、歴史学としてはなかなか難しいと思います。
う~ん、人文・社会科学は、「科学」なのかねえ。近代科学の特徴の一つは、反証に耐えられるかで、決定的な意味を持つ仮説や予想、あるいは定理をたてても、それとは違うデータが一つでればご破算。歴史学が「科学」ならば、○○の定理とか仮説・予想が、なんでないんやろ。

実証は、大事でとても困難ということは、重々承知。でも、おいらのような素人では敬意をはらうしか。
それをもとにした大きなストーリーをたててほしいなあ。

投稿: tera | 2013年3月31日 (日) 07時13分

ddolさん 論文どうもありがとう。まだ途中ですが面白く読んでます。

teraさん<う~ん、人文・社会科学は、「科学」なのかねえ。<
 科学ではないですが、科学的態度は必要、ぐらいのものでは。

最近の中、韓との歴史問題や領土問題を見ていると歴史はかなり政治的意味合いを含んでいることがわかります。
科学的という意味合いが歴史学でもてるのは、しがらみの無い時代にしがらみの無い学者がより客観的に検証する、そういう態度で研究するというくらいのものですが、これもかなり危うい。
したがって、藤原不比等による陰謀論(こんな言い方はしないのかな?記紀の意図的編纂等)は大いにありうるのですが、残念ながら決定的に証明できない。

歴史における科学とは実証の積み重ねでしか実現できないのですが、その実証段階ですでに「見解の相違(史学界ではよく使われる)」が現れるのでなかなか困難な作業になります。

大きなストーリーを立てる>騎馬民族説の江上波夫(これでよかった?)さん、梅原猛さんなどはその部類の研究者ですね。

それをもとにした大きなストーリーをたててほしいなあ。>確かに一定の実証は前提としてなければストーリーが作れないという意味ではteraさんとは同じですが、大きなミッシングリンクがあっても可能性を追求することは大事ですね。
でも、学者はなかなかやらないかな。小説家がむしろその役割をになっていますね。

歴史学が「科学」ならば、○○の定理とか仮説・予想が、なんでないんやろ>歴史学の対象主体が人間だからでは、と思うのですが。自然科学とはこの点で明らかな相違があるのでは。
この辺りは難しいですね。

投稿: mino | 2013年3月31日 (日) 10時21分

呑気に桜見物している間に、突然科学の話になっていて、かなり驚きました。

teraさん<う~ん、人文・社会科学は、「科学」なのかねえ。<
 科学ではないですが、科学的態度は必要、ぐらいのものでは。>>
「科学的態度」もくせ者で、「論理的」なんかも結局は、議論に参加している人々の意識的、無意識的な合意ということなのではないでしょうか。もちろん、「論文の引用数」などのような「恐喝」もあり得るでしょうが。

大きなストーリーを立てる>騎馬民族説の江上波夫(これでよかった?)さん、梅原猛さんなどはその部類の研究者ですね。>
歴史に限らないかも知れませんが、史料にないことは非在証明にはならないという暗黙の了解があります。非在を証明するには「大きなストーリーを立てる」しかないので、構想力の問題だろうと思います。江上説が現在も有効性を維持しているのは、その構想による所が大きいようです。

投稿: ddol | 2013年4月 2日 (火) 16時23分

史料にないことは非在証明にはならないという暗黙の了解があります>これ、科学的態度にとってたいせつですね。
しかし、反対に史料にないことは存在証明にもならないことは言うまでもないですよね。

したがって構想と妄想は紙一重ともいえるので難しい問題でもあります。

投稿: mino | 2013年4月 3日 (水) 15時15分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 法隆寺と斑鳩の里を散策(5) - 法輪寺と法起寺(ほうきじ、ほっきじ)の三重塔:

« 法隆寺と斑鳩の里を散策(4) - 法隆寺西大門から東大門を抜けて斑鳩神社、法輪寺へ | トップページ | 山家(やまが)城址(谷氏13代の山家藩)を訪れる(1) - 京都府綾部市 »