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2013年3月 2日 (土)

「うだつ」の上がる町並み 美濃市(岐阜県美濃市)を散策(4) - 桜の名所 小倉公園(小倉山城跡)

 

  美濃市の「うだつ」の上がる町並みを散策した後は小倉山城跡である小倉公園を訪れました。

関ヶ原の戦いで東軍に与した高山城主の金森長近は、西軍の郡上八幡城を攻め、西軍に与して没落した鉈尾山(なたおやま)城主の(美濃)佐藤氏に替わり武儀郡(現在の美濃市や関市等)を家康から拝領し、鉈尾山城を廃して小倉山城を築きます。

また現在の美濃市の母体である上有知(こうづち)の町を城下町として整え、さらに長良川に川湊である上有知湊(こうづちみなと)を開いて上有知(こうづち)の町の発展の基礎を築きました。

1608年に金森長近が亡くなると高山藩と当主の地位は金森可重(よししげ)が継ぎ、武儀郡は実子である金森長光が2万石を分知されて上有知(こうづち)藩が成立します。

しかし長光は3年後にわずか7歳で夭折し、上有知金森家は断絶、その後1615年になると一帯は尾張藩領となり、美濃紙の生産や木材などの集散地として上有知の町は商業都市として繁栄していきます。

集められた物資は長良川の上有知(こうづち)湊から舟運で下流に運ばれていきました。

明治になって上有知町は美濃町と改称されて(1911年 明治44年)、戦後の1954年(昭和29年)に市制を敷き美濃市となりました。

 

  この案内図が分かりやすいですね。

Dsc06776

 

  町並みから国道156号線を横切って公園の入口へ。

Dsc06775

 

  すぐに坂の上に隅櫓が見えてきます。

Dsc06777

 

  右手の石垣の下は駐車場になっていますが、このあたりが二の丸です。

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Dsc06783

 

  石垣の間を上ります。

Dsc06784

 

  時代考証とは無縁の模擬隅櫓のようです。

  それでも無いよりは良いです。

Dsc06785

 

  芝生広場と名付けられていますが、この部分が本丸跡。

  小倉山の山腹にあります。

  美濃市の桜の名所で下の駐車場は屋台で埋まります。

Dsc06786

 

  芝生広場が本丸、駐車場が二の丸にあたります。

  三の丸は現在は市街地となっています。

Dsc06787

 

  頂上に展望台があるので登ってみます。

Dsc06789

 

  あちこちに○○広場と名付けられた場所があり、東屋が休憩所として設けられています。

Dsc06791

 

  頂上の展望台と東屋。

Dsc06792

 

  なんとなく天守風ですが完全に展望台です。

Dsc06807

 

  長良川の下流方向。

Dsc06796

 

  こちらが上流。

Dsc06798

 

  展望台から美濃市の町並み。

  とんがり山が三つ見えますがその手前あたりに長良川鉄道美濃市駅があります。

Dsc06800

 

  展望台の様子。雪が残っていました。

Dsc06802

 

  長良川上流の方向にある新美濃橋。

  手前に大正5年に架けられた吊り橋の美濃橋があるので新美濃橋といいます。

Dsc06805

 

  下りる途中には小屋がいくつかありますが、お花見の時期などに食事を楽しむ場所と思われます。

  照明用の電球がぶら下がっています。

Dsc06814

 

  本丸に戻ってきました。

Dsc06817

 

  地元の江戸時代の漢学者の彰功碑。

Dsc06816

 

  下から本丸に上がって隅櫓の左手に行くと小倉山の裏側から長良川畔に下りることができます。

Dsc06819

Dsc06820

 

  ここは道なりに任せます。

Dsc06823

  撮影 2013/02/25

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コメント

上有知は、美濃紙の生産や木材などの集散地として栄えた「うだつの上がる町並み」なんや。行ってみたいです。

金森長近は、越前大野の基礎を築いた武将やね。大野も洗練されたきれいな町やった記憶が。金森氏はあんまり有名ではない武将と思うのやけど、この頃は行政官としては一等すぐれてる。子供の可重や孫の重近(宗和)も有名な茶人やし、織田家で北陸に由縁のある武将は、なんか文化ぽい感じがします^^

投稿: tera | 2013年3月 6日 (水) 05時38分

teraさん、返事送れてご免なさい。
昨晩は奈良斑鳩へ行き帰って来たのは夜11時過ぎ、日付の替わらない内に既に書いてあった記事をUpして、そのままバタンキューとなりました。
気がついたら朝でした・・・^^;

teraさんが以前に行ったという徳島の脇町も「うだつ」の上がる町として有名ですが、あっちは白い建物で(なまこ壁の家?)明るい感じがしました(写真検索で見た限りですが)。
全国的にもこういった郷土の町はたくさんあるようですね。

越前大野<一度訪れた事がありますが、やはり金森長近の銅像がありましたね。
きれいな小京都という風情の城下町でした。

行政官としては一等すぐれてる。<私もそう思います。それ故にそんなに有名ではないのだとも言えるのでしょうね。
金森長近の武将としてのハイライトは飛騨征伐で、その結果秀吉から飛騨一国を得るのですが、ほぼ彼一人で行っていますから武将としては人並みではあったと考えられますね。

そんな金森家が改易になって歴史から消えるのは郡上八幡藩主時代の郡上一揆での不始末で、やはり岐阜県人には記憶に残る家系なんです。

もう一つ、尾張藩というのは美濃にもの凄くたくさんの所領を持っていることがわかりますね。

投稿: mino | 2013年3月 7日 (木) 07時33分

また勉強させていただきました。

金森氏はあんまり有名ではない武将と思うのやけど、この頃は行政官としては一等すぐれてる。>
名古屋に住んでいた頃高山に行ったことがありましたが、これも長近の作品なんですね。身の処し方や町づくりを見ると有名でない方が不思議です。

上有知も難読地名ですね。下有知を「しもうち」と読むからなおさらたちが悪い。
大阪も難読地名が多くて苦労しています。東京では地名で悩むことはありませんでした。下馬を「げば」と読んで「何だ」という顔をされたくらいです。あとは石神井が難読ですね。そう考えると東京はまだまだ歴史が浅いということなのでしょう。
外国ではイギリスやその旧植民地に難読地名が多いです。

minoさんはご存知かも知れませんが、日経に「東急・田園都市線は銀座線と直通予定だった」という記事がありました。鉄道の路線決定の裏話として面白かったので紹介しておきます。
ttp://www.nikkei.com/article/DGXNASFK0603H_X00C13A3000000/?dg=1

ttp://www.nikkei.com/article/DGXNASFK0603H_X00C13A3000000/?df=4

投稿: ddol | 2013年3月10日 (日) 13時10分

金森家は飛騨と奥美濃、越前を支配することが多かったので、それ以外の地域では無名と言っていいですね。

難読地名>石神井はひょんな事件から昔から知ってました。70年代に(だと思うんですが)光化学スモッグで石神井公園で云々というニュースがあり、それで知りました。

下馬は普通に「しもうま」なんですね。
上有知(こうずち)も何故こんな読みになったのかがわかりません。
ddolさんの言うように下有知(しもうち)、中有知(なかうち)は普通なんですけどね。

外国ではイギリスやその旧植民地に難読地名が多いです。<このあたりはddolさんの専門ですね。
さすがに詳しくは分かりませんが、もともと英語には法則から外れた発音が多いですね。
フランス辺りからの外来語であれば分かりますが、旧植民地の地名は難読で分かりづらいのは想像がつきます。

リンク、ありがとうございました。面白い記事でした。

「1435ミリといえば世界的には「標準軌」と呼ばれるレール幅だが、関東では採用は少ない。」>これは余り関心が無かったのか、今まで知りませんでした。
大阪ではほとんどの私鉄が1435mmですから、大阪難波(近鉄の難波)から阪神電車まで繋がって奈良から甲子園へ直接行くことが可能になったんですよね。

それから東京には1372mmがあると知ってビックリ。
この私鉄のレール幅の歴史は(現JRも含めて)調べてみると面白いかもしれません。
ちょっと勉強してみます^^。

投稿: mino | 2013年3月10日 (日) 20時50分

またまた脱線やけど、ddolさんが紹介してくれた記事に触発されて、少しコメントを。
>日経に「東急・田園都市線は銀座線と直通予定だった」という記事

「田園都市」の話は、以前触れた(かな^^;)の猪瀬東京都知事の著作にもあったような気がするんやけど、とても複雑で面白いです。猪瀬さんは、政治家になってしまい、残念な人に^^;

修士論文を書いてた頃の話しやけど、五島慶太の「田園都市」は、阪急・小林一三のぱくりやと思って調べてみると、そうでもない。鉄道王の一人であった五島慶太は、鉄道から自動車を見てたんや。この辺りは、イギリスvsアメリカの都市計画(というか時代思想)の転換点の感じが。

最近の日経で読んだ記事のリンクです。
http://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXNASFK3000K_Q3A130C1000000&uah=DF120120126021

投稿: tera | 2013年3月12日 (火) 06時33分

石神井はひょんな事件から昔から知ってました。70年代に(だと思うんですが)光化学スモッグで石神井公園で云々というニュースがあり、それで知りました。>
そんなことがあったんですか。石神井近辺は今も畑が多いので、当時は深刻だったのでしょう。漫画「ど根性ガエル」の舞台として有名な場所です。

下馬>
もうないと思いますが、昔名古屋駅(栄えかな?)の近くに下馬(げば)というバス停がありました。

23区の地名に関して「墨田区と隅田川、「すみ」の表記なぜ違う? 23区に幻の区名」という日経の記事があります。
ttp://www.nikkei.com/article/DGXNASDB02003_S2A001C1000000/
ttp://www.nikkei.com/article/DGXNASDB02003_S2A001C1000000/?df=2

ミカドの肖像>
東急や西武だけでなく、阪急や近鉄についても触れていて面白い書物でした。猪瀬直樹は他の作家とは違った切り口から論じていたのでもったいないですね。

teraさん、リンクありがとうございます。
調べてみると「Aさんの庭」は、まったく知らないままそのそばをよく通っていました。今からするともったいないことが沢山あります。
この記事は玉電三部作なのでついでです。
ttp://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1303A_U3A210C1000000/
ttp://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1303A_U3A210C1000000/?df=2
ttp://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1303A_U3A210C1000000/?df=3
ttp://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1303A_U3A210C1000000/?df=4

最後に以前tera2さんに紹介してもらった「なにわの海の時空館」。
10日で閉館しましたが、まだやっていることを知ったのは閉館の2日前。ああもったいない。

投稿: ddol | 2013年3月12日 (火) 12時58分

teraさん、ddolさん<面白い記事、読ませて貰いました。
東急の高速道路を、という話しはとても面白い発想をしていたんだなあと・・特にteraさんのいう「イギリスvsアメリカの都市計画(というか時代思想)の転換点の感じが。」という点が興味をそそります。
実現していたら現在から見てどの様に評価されていたんでしょうね。
高速道路は人の流れは勿論ですが、むしろ物流の革命と言ってよいと思うんですが、東急はそこまでも考えていたんでしょうか。
ただ、結果的に新幹線網の構築により日本は完全にアメリカの様にはなりませんでしたね。


地名が当用漢字表に無いから使えないというのは、いかにも戦後民主主義の日本らしい。
融通が利かないというか、それが当時の考え方だったんですね。
阪神淡路大震災の時の法令順守の律儀さ、非常時なのになにしてるんだと見てました。

そういえば聞いた話では戦前でも中国人から日本人は法匪と呼ばれて、悪いことをするのにも法を作って悪さをするといわれていたようです。

「なにわの海の時空館」は10日に閉鎖でしたか。
こういう物って価値が無いものは無いんですけど、地方でも博物館や歴史館はとても有意義な箱物だったりして。
儲かるようにというのは無理なことです。
景気が良くなればまたワラワラと建ちます^^;。

投稿: mino | 2013年3月13日 (水) 02時34分

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