« 太平洋フェリーで 山形市内 (山形城、「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂)、山寺)を中心に観光(4) - 山形城 (霞城公園 かじょうこうえん)(3) | トップページ | 太平洋フェリーで 山形市内 (山形城、「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂)、山寺)を中心に観光(6) - 歌懸稲荷神社(うたかけいなりじんじゃ)と山形城三の丸土塁跡 »

2013年7月29日 (月)

太平洋フェリーで 山形市内 (山形城、「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂)、山寺)を中心に観光(5) - 「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂)

 

  山形市内での観光のメインディッシュとも言うべき山形城(霞城公園 かじょうこうえん)をじっくりと散策して後、以降は時間があれば訪れてみるという態度で、しかも基本的に歩いて観光できる場所を地図で探し出しながらということで、山形城の二の丸東大手門をあとにしました。

やはり最初に行くべき場所は、山形城三の丸の土塁が現存するという歌懸稲荷神社(うたかけいなりじんじゃ)であろうと決めましたが、歌懸稲荷神社(うたかけいなりじんじゃ)は山形駅から駅前通を東へ直進した大通りに面した場所にあり、現在いる場所が駅から北にある山形城の東大手門なので順路的にどうかということに。

で、もう一つの候補の旧県庁舎である「文翔館(ぶんしょうかん)」が現在地からより近いので、事前に寄っておこうという事に決めました。

結局、これが大成功で、「文翔館」は山形市内では必見の観光スポットと言い切っても良い場所で、一時はもういいか、とも考えたのですが、わたくし的には訪れて良かったと思っています。

もちろん人それぞれですから、この大正建築の旧県庁舎に別に関心を持たない人々もいらっしゃるのですから、無理にはお薦めしませんが。

 

  山形城二の丸東大手門前から東にある交差点。

  車が向かっている先が大手門。

  右手の角にあるのは最上義光(もがみ よしあき)歴史館で「文翔館」へは写真の右手方向。

Dsc00199

 

  というその前に逆の南方角に神社があり寄り道。

  地域を問わず、その土地の神社には必ず何らかの由緒があり、神社を見かけると、できる限り立ち寄って見ます。

Dsc00200

 

  豊烈神社といいます。

祭神は水野忠元、水野忠邦、八阪大神、稲荷大神、山ノ神、明治維新殉難者二十四柱(山形藩)。

山形藩最後の藩主家は水野氏二代。

水野家は徳川家康の母である「於大の方」の実家筋で、山形藩の水野家は忠守ー忠元流水野家。
忠守と於大の方は兄弟という間柄。

長い間(忠元から全13代の内2代目から8代目まで)岡崎藩主を勤めた家柄で、幕府からの信頼も厚かった大名家と言えます。

水野氏は多くの分家が大名、旗本に名を連ね、したがって多くの分流が存在します。

天保の改革で知られる老中水野忠邦はこの忠守ー忠元流水野家の11代目にあたります。

水野忠邦が浜松藩主時代に藩祖である忠元を祀ったのが神社の始まり。

そして、山形移封(老中失脚による)で山形城二の丸内に遷座、明治3年最後の山形藩主水野忠弘は近江朝日山藩へ転封となり(戊辰戦争での処分、廃藩置県前で藩は存在)、その際に神社は祭神の藩祖水野忠元の最初の藩領である下総国山川(現茨城県結城市)に遷座されました。

そして明治十三年に旧山形藩士らによって現在の場所に分社されたのが現 豊烈神社というのが経緯です。

その後、神社(もしくは神様)の合祀が行なわれ(神社の合併、合祀は各地で見られます。例えば治水のため、新田開発等様々な理由で複数の神社を一つにまとめたり、新しく創建したりもします)、その際に八阪大神、稲荷大神、山ノ神が加わり(多分。稲荷大神以外には由緒には書いてありませんでしたが)、さらに水野忠邦を大正十年に合祀、最後に昭和三十年に戊辰戦争で山形藩を指揮した水野元宣と山形防衛戦で戦死した大久保伝兵ほか二十二名を合祀。

Dsc00201

Dsc00202

 

  幕末戊辰戦争時、当初は官軍、途中反官軍として藩主忠弘に代わり指揮した城代家老の水野三郎右衛門元宣(みずのもとのぶ)の像。

  反逆の罪を一身に負い処刑、享年27歳。

  山形を兵火から救い、のち山形が他の大藩である米沢、新庄を差し置いて県都となることができ、その後の山形市の繁栄をもたらしたのは元宣のおかげであると、地元では考えられています。

Dsc00204

Dsc00206

 

  山形と言えばモンテディオ山形。

  今年はJ2でも中位圏下位(第26節終了時点)。

  それでもJ1経験チームなのでサポーターは幸せだと思ってください。

  毎年J2最下位争いをしている我がFC岐阜よりず~っと良いです。

Dsc00207

 

  山形メディアタワー。

  山形新聞・山形放送等が入居し運営。

  北側の道路を挟んで斜め向かいに「文翔館」があります。

Dsc00210

 

  手前が旧県会議事堂。

Dsc00211

 

  旧山形県庁舎。いずれも見学は無料。

  途中から職員の方に案内をして頂き、大変勉強になりました。

Dsc00215

 

  旧県庁舎前の大通り。

  右手に山形市役所があります。

  山形花笠祭りのパレードが行なわれる大通りです。

  今年(2013年)は8月5日~7日の三日間。

  山形花笠祭り公式ホームページ。

Dsc00219

Dsc00220

 

  旧県庁舎内から見学しました。無料です。

Dsc00223

 

  中央階段。

Dsc00225

Dsc00226

Dsc00231

  バルコニーから花笠祭りの会場の通り。

Dsc00232

 

  同じく。

Dsc00233

 

  内庭。

  ちなみに写真撮影は可です。

Dsc00250

 

  県会議事堂への連絡通路から裏庭。

Dsc00251

 

  旧県庁舎と旧議事堂を結ぶ連絡通路。

Dsc00253

 

  旧県会議事堂内部。

  現在でも催し物や結婚式等に利用される現役の会場なので、本来の議員席等は外されています。

Dsc00259

Dsc00248

 

  旧山形県県会議事堂正面。

Dsc00263

 

  旧山形県庁舎正面。

  明治に建設された初代の県庁舎と議事堂は明治44年の山形北大火で焼失。

  現在に残る二代目は大正5年6月に完成。

  昭和59年に重要文化財に指定されました。

Dsc00269

  撮影 2013/07/19

|

« 太平洋フェリーで 山形市内 (山形城、「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂)、山寺)を中心に観光(4) - 山形城 (霞城公園 かじょうこうえん)(3) | トップページ | 太平洋フェリーで 山形市内 (山形城、「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂)、山寺)を中心に観光(6) - 歌懸稲荷神社(うたかけいなりじんじゃ)と山形城三の丸土塁跡 »

東北地方」カテゴリの記事

観光地」カテゴリの記事

神社仏閣」カテゴリの記事

町並み、街道、宿場町、道」カテゴリの記事

コメント

>山形を兵火から救い、のち山形が他の大藩である米沢、新庄を差し置いて県都となることができ、その後の山形市の繁栄をもたらしたのは元宣のおかげであると、地元では考えられています。

そうなんや。水野元宣、面白い人やね。これは小説にできるなあ^^

NHK「八重の桜」を見てて思うんやけど、政権の重要部分を担い、他の東北諸藩とはちがって政治情勢を十分に知りえた会津藩。
ここぞというポイントで決戦の決断ができず逃げたあげく、「女子供」を戦争にまきこみ、「会津のため」とかいって誤魔かす心象風景。大嫌いや。

でも、尾張や紀伊の御三家。彦根井伊や藤堂、淀の安藤とか、どうなんやろね。
徳川恩寵の諸藩の出所進退も、もの悲しい^^;

投稿: tera | 2013年8月18日 (日) 06時44分

水野元宣、面白い人やね。これは小説にできるなあ^^
<この当時の指導者って皆若いですね。

大嫌いや。
<そうですね。白虎隊は美化されすぎ。

でも、尾張や紀伊の御三家。彦根井伊や藤堂、淀の安藤とか、どうなんやろね。
<尾張も紀伊も新政府軍に付いて、尾張などでは幕府派を弾圧していますね。

面白いことに当時の尾張藩主、桑名藩主、会津藩主、ともに尾張藩の支藩である高須藩(現岐阜県海津市)出身で兄弟なんですよね。
以前に海津市の歴史資料館?を訪れて知りました。ビックリしました。

淀は稲葉ですね。鳥羽伏見の戦いでの件ですよね。
teraさんに言われてそういう事があったんだと知りました。

徳川恩寵の諸藩の出所進退も、もの悲しい^^;<本当ですね^^;

投稿: mino | 2013年8月18日 (日) 16時57分

>淀は稲葉ですね。
ごめんなさい。美濃三人衆が記憶の中でごちゃまぜに^^;徳川恩寵の春日局系統は、稲葉でした。

>面白いことに・・・
うんうん、幕末をにぎわした藩主には、養子が多いね。
高須三兄弟(四兄弟?)の他にも、四賢侯では、松平春嶽や伊達宗城。佐賀の鍋島閑叟もそうやろ、毛利の敬親もね。まだ読了しない「峠」の越後長岡藩主の牧野忠恭も^^;
第一、徳川慶喜が。

思いがけず藩主となったので、旧来の風習にとらわれず、大胆な人材登用と改革ができたのかなあ。その結果の評価はそれぞれ微妙やけど、時代を動かしたという点では。
思いがけずということでは、井伊直弼や土佐の容堂、ややこしい島津のお家騒動も含めて。

>この当時の指導者って皆若いですね。
客観的に見てしまうと、どうしようもなく「馬鹿」な若い人達が疾走できる時代背景。大きな希望と多くの悲惨をもたらすんやけど、これが「革命」の面白さと思います。

投稿: tera | 2013年8月24日 (土) 06時32分

高須三兄弟(四兄弟?)<これは尾張藩の先代で上の兄が藩主を務めているので四兄弟だそうです。

日本の養子制度は、あの封建体制の中で風通しを良くし、より柔軟な制度でしたね。
優秀な次男、三男以下が随分活かされました。

第一、徳川慶喜が。>ここで少し笑いが・・・

多くの大名家は血筋が絶えていますし、そんな事はあまり気にしないところがあるのは、なんとも面白いです。

>この当時の指導者って皆若いですね。
<若さの感覚が現在とは異なるというのもありますね。

面白さ<まさにそうですね^^。

投稿: mino | 2013年8月24日 (土) 17時33分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 太平洋フェリーで 山形市内 (山形城、「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂)、山寺)を中心に観光(5) - 「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂):

» ケノーベルからリンクのご案内(2013/07/30 08:46) [ケノーベル エージェント]
結城市エージェント:貴殿の記事ダイジェストをGoogle Earth(TM)とGoogle Map(TM)のエージェントに掲載いたしました。訪問をお待ちしています。 [続きを読む]

受信: 2013年7月30日 (火) 08時46分

» ケノーベルからリンクのご案内(2013/07/30 08:51) [ケノーベル エージェント]
山形市エージェント:貴殿の記事ダイジェストをGoogle Earth(TM)とGoogle Map(TM)のエージェントに掲載いたしました。訪問をお待ちしています。 [続きを読む]

受信: 2013年7月30日 (火) 08時51分

« 太平洋フェリーで 山形市内 (山形城、「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂)、山寺)を中心に観光(4) - 山形城 (霞城公園 かじょうこうえん)(3) | トップページ | 太平洋フェリーで 山形市内 (山形城、「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂)、山寺)を中心に観光(6) - 歌懸稲荷神社(うたかけいなりじんじゃ)と山形城三の丸土塁跡 »