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2013年7月28日 (日)

太平洋フェリーで 山形市内 (山形城、「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂)、山寺)を中心に観光(4) - 山形城 (霞城公園 かじょうこうえん)(3)

 

  名古屋港からのフェリーを利用して仙台港経由で山形市に入り、二日間の日程の内の一日目はまず山形城(霞城公園 かじょうこうえん)を訪れました。

前回、1992年に一度訪れた山形城でしたが、今回はじっくり全体を歩くように努め、最後に山形城のハイライトとでも言うべき東大手門にやって来ました。

 

  山形城を根拠地としてきた最上義光(もがみ よしあき)は、関ヶ原の戦いでは東軍に属して西軍の上杉軍等と戦い、戦後にはその戦功として山形城を本拠として現在の山形県の大部分を領地とする57万石の大大名となり、山形藩を立藩しました。

しかし、義光(よしあき)の死後は藩内での跡目争いや内紛で1622年に改易(その後の最上家は前回の記事にあります)。

その後、山形藩は藩主家が目まぐるしく交替(Wikiからコピペ)しました。

 

  歴代 山形藩藩主家

最上家 外様 57万石 (1600年 - 1622年)
  義光(よしあき)〔従四位上・出羽守、左近衛権少将〕    
  家親(いえちか)〔従四位・駿河守、侍従〕    
  義俊(よしとし)〔官位官職なし〕

鳥居家 譜代 22万石→24万石 (1622年 - 1636年)    
  忠政(ただまさ) 石高直しにより22万石→24万石    
  忠恒(ただつね) 官位官職は共に従四位下・左京亮

保科家 親藩 20万石 (1636年 - 1643年)    
  正之(まさゆき)〔正四位下・肥後守、左近衛中将〕

松平〔越前〕家 親藩 15万石 (1644年 - 1648年)    
  直基(なおもと)〔従四位下・大和守、侍従〕

松平〔奥平〕家 親藩 15万石 (1648年 - 1668年)    
  忠弘(ただひろ)〔従四位下・下総守、侍従〕

奥平家 譜代 9万石 (1668年 - 1685年)
  昌能(まさよし)〔従五位下・大膳亮〕    
  昌章(まさあきら)〔従五位下・美作守〕

堀田家 譜代 10万石 (1685年 - 1686年)    
  正仲(まさなか)〔従四位下・下総守〕

松平〔越前〕家 親藩 9万石 (1686年 - 1692年)
  直矩(なおのり)〔従四位下・大和守、侍従〕

松平〔奥平〕家 親藩 10万石 (1692年 - 1700年)    
  忠弘(ただひろ)〔従四位下・下総守、侍従〕    
  忠雅(ただまさ)〔従五位下・下総守〕

堀田家 譜代 10万石 (1700年 - 1746年)    
  正虎(まさとら)〔従四位下・伊豆守〕    
  正春(まさはる)〔従四位下・相模守〕    
  正亮(まさすけ)〔従四位下・相模守、侍従〕

松平〔大給〕家 譜代 6万石 (1746年 - 1764年)
  乗佑(のりすけ)〔従五位下・和泉守〕

公儀御料 (1764年 - 1767年)

秋元家 譜代 6万石 (1767年 - 1845年)    
  凉朝(すけとも)〔従四位下・但馬守〕    
  永朝(つねとも)〔従四位下・但馬守〕    
  久朝(ひさとも)〔従五位下・但馬守〕    
  志朝(ゆきとも)〔従五位下・但馬守〕

水野家 譜代 5万石 (1845年 - 1870年)    
  忠精(ただきよ)〔従四位下・和泉守、侍従〕    
  忠弘(ただひろ)〔従四位・和泉守〕 

天領 (1870年 - 1871年廃藩置県)

 

  山形城については、最上義光の時代にはほぼ作られており、鳥居忠政の時代に現在の姿に整えられた(Wiki)ようです。

 

  公開中の東大手門。

Dsc00116

 

  東から広場に入ってすぐ右手に山形歩兵第三十二連隊之跡の碑。

Dsc00118

 

  中央に最上義光(よしあき)の騎馬像。
  何と言っても最上義光は郷土の英雄なんですよね。

  かって、大分へ行きましたら、駅前に大友宗麟の像がありました。

  実を言うと私の住んでいる岐阜駅前にも黄金の織田信長像があります。
  郷土の英雄と言うならば、本来は斎藤道三としたいのですが、なにせ評判が悪い。

  斎藤家は織田信長に滅亡させられているので、それも一因でしょう。

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  最上義光顕彰碑。

  内容は割愛。

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  1991年に復元された二の丸東大手門。

  復元されて間もない時期に、私は初めて山形城を訪れていたんですね。

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  最上義光騎馬像。

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  東大手門の上から。

  向こう側に本丸跡があります。

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  すぐには入らず、まずは周囲の様子を見て回ります。

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  塀で囲んで門と共に枡形を形成します。

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  大手門内部。

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  本丸部分へ行って見ます。

Dsc00135

 

  石垣のほうが本丸。

  2006年に復元された大手橋。

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  復元された本丸一文字門。

  2013年に復元された本丸大手門枡形内の高麗門及び土塀。
   ↑今年ですね。

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  この前を南の奥に行くと山形県立博物館。

  本館 成年 300円 学生150円

  分館(教育資料館) 成年150円 学生70円

Dsc00162

 

  今回は失念して行けなかった山形市郷土館(旧済生館病院本館)がさらに奥にあります。

  写真は1992年9月9日撮影。

Img138

Dsc00166

 

  二の丸東大手門の枡形内。

  入り口の高麗門は左手。

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  二の丸外の中堀?という事になるんでしょうね。

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  堀のすぐ外側を仙台、新庄方面へのJR線。

  左右の線路幅が異なり、複線では無く単線二本というのが正確。

  左が山形新幹線の標準軌。

  電車は山形発新庄行き普通 標準軌区間用の701系5500番台。

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  右側がの狭軌の在来線。

  仙山線の他に左沢線(あてらざわせん)気動車が利用、北山形駅から分岐して行きます。

  電車は仙山線 山形発仙台行き 普通E721系。

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  この橋の下は線路ではなくお堀です。

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Dsc00198

 

  門を東に出て左手の公園内には外壁タイル改修中の山形美術館。

  一般500円、高大生300円、小中生100円。

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  その先に今回も閉まっていた最上義光歴史館。

  無料です。

Dsc00178

  撮影 2013/07/19

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コメント

弘前は昨年9月だったとは、早いものです。
それにしても今年はよく雨が降ります。東京の人間は豪雨慣れしていて驚きませんが(私も何度もずぶ濡れになりました)、東北はそういうわけにはいかないでしょうね。山形は晴れていてよかったです。
山形、特に日本海側はまったく知識がないので勉強になります。「奥州仕置き」に関する研究はいくつか公開されていて、今後どんどん詰められて行く状況のようですね。
一般向けのものとして
長谷川成一「奥羽仕置と東北の大名たち」 (『白い国の詩』(東北電力株式会社広報) 584 (2005年))
repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10129/2540/1/ShiroiKuninoUta_569_4.pdf
が最上義光も扱っていました。
また、
山形県立博物館「義光と政宗 -その時代と文化-」
www.yamagata-museum.jp/archive/pictorial-record/pr-9.pdf
は多くの図版があって貴重です。
おかげで中世後期から近世にかけての史料には徐々に慣れてきました。

投稿: ddol | 2013年7月28日 (日) 20時38分

ddolさん、岐阜地方(名古屋も含めて)も昨晩(27日)は竜巻注意報(警報?)まで出て雷と豪雨がすごかったですよ。
今日は中国地方が大雨だったようですし、梅雨は明けてなかったのではないかと思わせる連日の豪雨ですね。

山形は庄内地方、特に鶴岡が大雨だったらしいです。
山形や米沢は良く晴れていて、豪雨は局地的だったみたいですね。


長谷川成一「奥羽仕置と東北の大名たち」 (『白い国の詩』(東北電力株式会社広報) 584 (2005年))のリンク先がなかなか繋がらないのですが、方法が間違っているんでしょうか?

山形県立博物館「義光と政宗 -その時代と文化-」のリンク先については、良いものを手に入れました。
ありがとう御座います。図も随分豊富で、即、保存しておきました。

「奥州仕置き」については、小田原に参陣しなくて改易というのは理解できるのですが、南部家の下の津軽氏と九戸氏の対照的なその後の分岐点は、なんだったんでしょうか?
大変興味があります。

投稿: mino | 2013年7月28日 (日) 22時45分

岐阜地方(名古屋も含めて)も昨晩(27日)は竜巻注意報(警報?)まで出て雷と豪雨がすごかったですよ。>
こちらは6月に豪雨で関西線が一部運休になったくらいで、雨はパラパラです。今年は日本海側に集中して尋常でない被害を出していますね。テレビでは東京の雨で騒いでいますが、世田谷の友人に言わせれば「いつもと一緒」だそうです。

リンク先がなかなか繋がらないのですが、方法が間違っているんでしょうか?>
リンク先を再確認しましたが、少々時間がかかりますのでしばらく辛抱してみて下さい。
長谷川成一「天正十八年の奥羽仕置と北奥・蝦夷島」(長谷川成一編『北奥地域史の研究 : 北からの視点 I 十六世紀末~十八世紀における支配と農政』(名著出版、1988年) )
repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10129/2197/1/HokuoChiikishi_3.pdf
が元の論文のようなので、上がうまくいかなければこちらを試して下さい。

「奥州仕置き」については、小田原に参陣しなくて改易というのは理解できるのですが、南部家の下の津軽氏と九戸氏の対照的なその後の分岐点は、なんだったんでしょうか?>
長谷川論文によると、最近の研究では小田原参陣は決定的ではないということだそうですが、分岐点については言及がありません。今後、個別事例研究が進められるということなのだと思います。

投稿: ddol | 2013年7月29日 (月) 19時12分

リンク先<ファイルが大きいのでしょうね。ありがとうございます。

なんか、梅雨って実際には明けて無くって、やっと明けたのかも知れませんですね。
最近の気象は、昔と異なってきているのかも、と感じています。
それを異常とか言うのとは別の問題ですが・・・。

投稿: mino | 2013年7月31日 (水) 10時38分

最近の気象は、昔と異なってきているのかも、と感じています。>
春と秋が感じられなくなり、5年程前から春・秋服を着る機会がなくなりました。今世紀に入った頃から5年程前まで、南関東だけが大雨で他地方は快晴、あるいはその逆という天気が目立ち、南関東の人間は「異常」を体感し、地球温暖化がよく話題に上りました。
そうはいっても今年の豪雨は、一地域にとどまらず列島各地に被害をもたらすという点で今までとは違うように思います。これからも年々極端な気象が増えて行くのでしょうね。

リンクの件ですが、ここ数日ネット接続が重くてHPがすぐに表示されない状況が続いています。理由は不明ですが、時々こういうことがあります。極端に回線が遅い時、私はダウンロードソフトでファイルを全部ダウンロードしたりします。専用ソフトには、回線が重い場合にも対処してくれるオプションがあるので便利です。

奥州仕置き>
いくつか論文を見ていると、小林清治『奥羽仕置と豊臣政権』(吉川弘文館、2003年)が必読文献のようですが、専門書なので一般の図書館にはないでしょうね。
長谷川論文には津軽氏と安東氏の事例が紹介され、惣無事令に違反した両氏(しかも後者は小田原不参)が所領安堵されたのは何故かと論を立てます。そして、津軽氏は以前から鷹献上を通じて豊臣政権とのパイプを強めていたこと、安東氏は石田三成を通じた中央工作がそれぞれ奏功したのだろうと推測しています。この展開の背景には小田原も重要だが、次の宇都宮もそれにおとらず重要だったという認識があるようです。
いずれにせよこの時代の奥州に関しては、まだまだ新たな史料が利用できるようになる可能性が高いようなので、今後さらに研究が進んで行く分野だそうです。

投稿: ddol | 2013年8月 1日 (木) 20時02分

リンクの件ですが
<昨晩、つないでみましたら、今回は普通にダウンロードできました。

専用ソフト
<なるほど。そういうツールもあるんですね。

津軽氏は以前から鷹献上を通じて豊臣政権とのパイプを強めていたこと、安東氏は石田三成を通じた中央工作がそれぞれ奏功したのだろうと推測しています。
<私が知りたいのは、まさにこのあたりで、南部氏も津軽氏(当時は大浦氏?でしたか)の独立を阻止せんと様々な工作を進めていて、結果、南部は多くの領地を失い(南部は自分たちのものと思っていたので)、南部の津軽に対する憎しみは相当なもので、以後犬猿の仲となったそうですが・・・。

関ヶ原の戦いでも、西軍であった脇坂、赤座などが(それぞれ数百の兵力)戦場で寝返ったのですが、脇坂は戦前から内応済みであったという認定で戦功を認められ、赤座はその場の裏切りであるとの認定で取り潰しという処置となりました。
このあたりは、外交力や根回し、あとは運があるかどうかなど、当時の大名クラスの悲哀ですね。。。

投稿: mino | 2013年8月 2日 (金) 14時36分

大阪は、例年よりも早かった梅雨明け以降、雨が降らなくて。水遣りがたいへんなんや^^;

>山形県立博物館「義光と政宗 -その時代と文化-」
これ、いいなあ。図が多いのは必ず落とします。ddolさん、ありがとね^^

>ダウンロードソフト
最近、大量に落とすということをしないので疎いんやけど、2000年後半までは、「iria」とその後継の「irvine」というソフトが抜きんでてたわ。最近のOSに対応してるかは知らんのけど、xpやvistaパソコンを使っていてダウンロードすることが多いのなら、お薦めです。

投稿: tera | 2013年8月 4日 (日) 03時53分

外交力や根回し、あとは運があるかどうかなど、当時の大名クラスの悲哀ですね。。。>
この辺に関しては
長谷川成一「文禄・慶長期津軽氏の復元的考察」(長谷川成一編『津軽藩の基礎的研究』(国書刊行会、1984))
repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10129/1989/1/TsugaruhannoKisoteki_67.pdf
が取り上げています。長谷川さんは津軽家の専門家で数多くの論文を公開してくれています。
相馬家に関係する論文としては
菅野文夫「川嶋氏所蔵文書中の九戸一揆関係文書について」(『岩手大学文化論叢』第7・8輯 (2009年))
ir.iwate-u.ac.jp/dspace/bitstream/10140/3032/1/rss-v7_8-p39-55.pdf
があります。菅野さんは文書学が専門なので、少しもの足りないかも知れません。

iria>
懐かしいですね。使ったことはありませんが名前は何度も聞きました。まだ現役なのでしょうか。
CUIが嫌いでなければ、MS上では'curl'が便利だと思います。ワイルドカードが使えますし、軽くて早いそうです。私は同じUNIX系の'wget'を愛用しています。シェルスクリプトやPerlに突っ込んで使えるので、非常に重宝しています。

それにしても大阪の夏は地獄です。気温は思ったほどではないですが、逃げ場がありません。街路樹がなかったり低木で、公園も少ない。大阪に来た時に喫茶店の多さに驚いたのですが、夏の暑さのためだと納得しています。

投稿: ddol | 2013年8月 4日 (日) 20時21分

teraさん、お久し振りです お父さんの具合はどうですか?

最近の暑さは、ddolさんが仰るように、日陰に入っても温度が全く同じと言う、それほどの酷暑ですね。

長谷川さんの論文、少しずつ読んでますが、津軽と南部関係にも言及されていますね。
とにかく読んでみるまでは余り余計なことは言わない方が良いみたいです^^;

皆さん、けっこういろいろなソフトを利用しているのですね^^。

投稿: mino | 2013年8月 4日 (日) 20時45分

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