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2013年7月24日 (水)

太平洋フェリーで 山形市内 (山形城、「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂)、山寺)を中心に観光(3) - 山形城 (霞城公園 かじょうこうえん)(2)

 

  太平洋フェリーの名古屋~仙台~苫小牧航路のうち名古屋から仙台までの航路を利用して、当初の計画からはかなり外れたものの、山形市内に2泊して、その一日目に訪れた山形城の2回目です。

 

  山形城の築城年は南北朝時代にまで遡る事ができるようですが、何と言っても現在の山形城と城下町としての山形市の基礎を築いたのは最上義光(もがみ よしあき)であり、関ヶ原の戦いにおいては東軍に属して上杉勢等と戦い、その戦功として出羽57万石を得て、その本城を山形城に置き、最上氏の全盛期を現出しました。

少々簡略ですが最上義光(よしあき)と以後の推移を見ていきますと、最上氏はもともと山形を根拠地とした現在の村山地方の武将でした。

ここで、少し地理的な話になりますが、古代の最上郡は最上、村山両郡を包含しており、886年に両郡は分割されるのですが、北を村山郡、南を最上郡とされました。

現在とは呼称が逆ですよね。

これが室町時代初期に山形を本拠とした斯波氏の一派が最上郡に属することから最上氏を名乗った所以のようです。

この呼称は下で述べた最上氏の改易まで続き(Wikiの別の項では太閤検地までは、という記述があり、どちらが正確なのかは分からない)、その後は現在のように新庄市を中心とする最上郡、山形市を中心とする村山郡という現在の最上地方、村山地方が確定しました。

ず~っと疑問であった山形を根拠とする最上氏がなぜ最上を名乗ったかの疑問が一挙に解決しました。(Wikiの多数の項目を比べ参照しました)

 

  また余談ですが、父義守の娘、義光(よしあき)の妹が伊達家の伊達輝宗に嫁ぎ(伊達)政宗をもうけており、両家は姻戚関係にありました。

最上氏のこれ以上の詳細な顛末は省略して、義光(よしあき)が江戸時代初期、慶長19年(1614年)に死没すると、藩内の後継争いや家中に内紛が起き(最上騒動)、これを理由に幕命で1622年(元和8年)に最上家は改易。

しかし、家名を惜しむ向きがあり、近江国蒲生郡に1万石の知行を改めて与えられるも、その当主の最上義俊が没すると(1632年)、子が幼いという事で5000石に減封され、子孫は「旗本交代寄合」として存続しました。

ここに大名家としての最上家は終焉。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図です。

  「余湖くんのホームページ」のトップページ。
  キラキラしていますが決して怪しいサイトではありません。

  下の図で分かるように、現在でいうところの霞城公園(かじょうこうえん)と同じ領域で、
二の丸、本丸部分が現在でも整備されつつあります。

Yamagatajtyo_2

 

  南門跡から公園内に入り、石垣内側の土塁上を西に。

  そして西南隅から方向を変えて北に向かうと左手に西門跡が見えてきました。

  門と橋自体は南に向いています。

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  西門跡をいったん外に出てみました。

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  西側のお堀。北方向。

Dsc00097

 

  西門からは下の道路を真っ直ぐ東に歩いて、下の図の「本丸一文字門復元現場」とある本丸の横腹に出ました

  。この案内板は突き当たった道路を少し北に行った野球場の横にありました(現在地とある場所)。

Dsc00103

 

  右側(東)が本丸部分で工事中。

  完成するのが楽しみですね。

Dsc00099

 

  途中、左手の森の中に野外音楽堂。

Dsc00101

 

  工事用の塀で覆われた本丸部分。

Dsc00104

 

  野球場の西側を通り過ぎて北門跡へ。

Dsc00102

 

  二の丸の北門跡。

Dsc00105

 

  「二の丸北不明門跡」とあります。

Dsc00106

 

  北側のお堀、東方向。

Dsc00107

 

  外から。

Dsc00109

 

  歩兵三十二連隊の碑。

  かっては敷地に連隊が置かれていました。

Dsc00110

 

  北側石垣の内側の土塁。

  お城全体に遺構が良く保存されています。

  後で気付いたのですが、二の丸西側の御三階櫓跡を見るのを忘れました。

  公園内にある山形市郷土館も見忘れましたが、後者は昔訪れた事があるので、まあ、いいかと。

Dsc00112

 

  球場と土塁の間を東に抜けて東大手に向かいます。

Dsc00114

 

  やっと本命の二の丸東大手門へやって来ました。

Dsc00115

  撮影 2013/07/19

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