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2013年7月

2013年7月31日 (水)

太平洋フェリーで 山形市内 (山形城、「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂)、山寺)を中心に観光(6) - 歌懸稲荷神社(うたかけいなりじんじゃ)と山形城三の丸土塁跡

 

 

  意外にも立派で、良く保存されていた「文翔館」(旧山形県庁舎及び旧県会議事堂)を見学して後、正門前から真っ直ぐ南に伸びる道路を直進し、駅前通り沿い近くにある山形城三の丸土塁跡へ向かいました。

旧県庁舎前の道路は山形花笠祭りのパレード会場で、電飾(イルミネーション)付きのアーチがすでに設置済みで、2013年は8月5日から7日までの3日間がお祭り期間となっています。

山形市観光協会公式ウェブサイト。

 

  「文翔館」の旧山形県庁舎。

  大正5年6月に完成。重要文化財に指定されています。

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  こんなアーチが既に用意されています。

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  旧県庁前大通りとも言うべき通り。

  正門前から南に伸びています。市役所が通りに面してあります。

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  上の道路が七日町交差点から羽州街道となり、駅前から伸びてくる駅前通りと出会います。

  その交差点よりもう一本駅よりの交差点のバス停。

  「山交ビル角」バス停だと思われます。

  バス待合所の後ろに土塁跡があります。

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  「山形城三の丸土塁跡」。

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  三の丸土塁跡は内側を三の丸として区切っている境界の土塁と言う意味。

  地元で手に入れた地図では「十日町口」という「三の丸十一口」の一つがすぐ北にあった模様です。

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  駅前通に面した歌懸稲荷神社(うたかけいなりじんじゃ)の方から土塁の反対側へ行ってみることに。

  歌懸稲荷神社(うたかけいなりじんじゃ)の由来(山形市十日町商店街ホームページ)。

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  社殿の後ろが先ほどの土塁跡反対側。

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  立派な碑が立っていました。

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  ということで、駅前通を山形駅方向に戻ってきました。

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  100円バスにちょうど遭遇。

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  100円バスについては山交バスHPでは見つからなかったので、

  商工会議所のHPから詳しい100円バスの概要を引っ張ってきました。

  山形商工会議所HP 100円バス。

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  この時点で午後3時半頃。

  米沢方面へ電車で向かうことにして、駅構内へ入ります。

  切符は最初の記事で述べたように「北海道&東日本パス」10000円を利用しています。

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  撮影 2013/07/19

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2013年7月29日 (月)

太平洋フェリーで 山形市内 (山形城、「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂)、山寺)を中心に観光(5) - 「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂)

 

  山形市内での観光のメインディッシュとも言うべき山形城(霞城公園 かじょうこうえん)をじっくりと散策して後、以降は時間があれば訪れてみるという態度で、しかも基本的に歩いて観光できる場所を地図で探し出しながらということで、山形城の二の丸東大手門をあとにしました。

やはり最初に行くべき場所は、山形城三の丸の土塁が現存するという歌懸稲荷神社(うたかけいなりじんじゃ)であろうと決めましたが、歌懸稲荷神社(うたかけいなりじんじゃ)は山形駅から駅前通を東へ直進した大通りに面した場所にあり、現在いる場所が駅から北にある山形城の東大手門なので順路的にどうかということに。

で、もう一つの候補の旧県庁舎である「文翔館(ぶんしょうかん)」が現在地からより近いので、事前に寄っておこうという事に決めました。

結局、これが大成功で、「文翔館」は山形市内では必見の観光スポットと言い切っても良い場所で、一時はもういいか、とも考えたのですが、わたくし的には訪れて良かったと思っています。

もちろん人それぞれですから、この大正建築の旧県庁舎に別に関心を持たない人々もいらっしゃるのですから、無理にはお薦めしませんが。

 

  山形城二の丸東大手門前から東にある交差点。

  車が向かっている先が大手門。

  右手の角にあるのは最上義光(もがみ よしあき)歴史館で「文翔館」へは写真の右手方向。

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  というその前に逆の南方角に神社があり寄り道。

  地域を問わず、その土地の神社には必ず何らかの由緒があり、神社を見かけると、できる限り立ち寄って見ます。

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  豊烈神社といいます。

祭神は水野忠元、水野忠邦、八阪大神、稲荷大神、山ノ神、明治維新殉難者二十四柱(山形藩)。

山形藩最後の藩主家は水野氏二代。

水野家は徳川家康の母である「於大の方」の実家筋で、山形藩の水野家は忠守ー忠元流水野家。
忠守と於大の方は兄弟という間柄。

長い間(忠元から全13代の内2代目から8代目まで)岡崎藩主を勤めた家柄で、幕府からの信頼も厚かった大名家と言えます。

水野氏は多くの分家が大名、旗本に名を連ね、したがって多くの分流が存在します。

天保の改革で知られる老中水野忠邦はこの忠守ー忠元流水野家の11代目にあたります。

水野忠邦が浜松藩主時代に藩祖である忠元を祀ったのが神社の始まり。

そして、山形移封(老中失脚による)で山形城二の丸内に遷座、明治3年最後の山形藩主水野忠弘は近江朝日山藩へ転封となり(戊辰戦争での処分、廃藩置県前で藩は存在)、その際に神社は祭神の藩祖水野忠元の最初の藩領である下総国山川(現茨城県結城市)に遷座されました。

そして明治十三年に旧山形藩士らによって現在の場所に分社されたのが現 豊烈神社というのが経緯です。

その後、神社(もしくは神様)の合祀が行なわれ(神社の合併、合祀は各地で見られます。例えば治水のため、新田開発等様々な理由で複数の神社を一つにまとめたり、新しく創建したりもします)、その際に八阪大神、稲荷大神、山ノ神が加わり(多分。稲荷大神以外には由緒には書いてありませんでしたが)、さらに水野忠邦を大正十年に合祀、最後に昭和三十年に戊辰戦争で山形藩を指揮した水野元宣と山形防衛戦で戦死した大久保伝兵ほか二十二名を合祀。

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  幕末戊辰戦争時、当初は官軍、途中反官軍として藩主忠弘に代わり指揮した城代家老の水野三郎右衛門元宣(みずのもとのぶ)の像。

  反逆の罪を一身に負い処刑、享年27歳。

  山形を兵火から救い、のち山形が他の大藩である米沢、新庄を差し置いて県都となることができ、その後の山形市の繁栄をもたらしたのは元宣のおかげであると、地元では考えられています。

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  山形と言えばモンテディオ山形。

  今年はJ2でも中位圏下位(第26節終了時点)。

  それでもJ1経験チームなのでサポーターは幸せだと思ってください。

  毎年J2最下位争いをしている我がFC岐阜よりず~っと良いです。

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  山形メディアタワー。

  山形新聞・山形放送等が入居し運営。

  北側の道路を挟んで斜め向かいに「文翔館」があります。

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  手前が旧県会議事堂。

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  旧山形県庁舎。いずれも見学は無料。

  途中から職員の方に案内をして頂き、大変勉強になりました。

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  旧県庁舎前の大通り。

  右手に山形市役所があります。

  山形花笠祭りのパレードが行なわれる大通りです。

  今年(2013年)は8月5日~7日の三日間。

  山形花笠祭り公式ホームページ。

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  旧県庁舎内から見学しました。無料です。

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  中央階段。

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  バルコニーから花笠祭りの会場の通り。

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  同じく。

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  内庭。

  ちなみに写真撮影は可です。

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  県会議事堂への連絡通路から裏庭。

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  旧県庁舎と旧議事堂を結ぶ連絡通路。

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  旧県会議事堂内部。

  現在でも催し物や結婚式等に利用される現役の会場なので、本来の議員席等は外されています。

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  旧山形県県会議事堂正面。

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  旧山形県庁舎正面。

  明治に建設された初代の県庁舎と議事堂は明治44年の山形北大火で焼失。

  現在に残る二代目は大正5年6月に完成。

  昭和59年に重要文化財に指定されました。

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  撮影 2013/07/19

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2013年7月28日 (日)

太平洋フェリーで 山形市内 (山形城、「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂)、山寺)を中心に観光(4) - 山形城 (霞城公園 かじょうこうえん)(3)

 

  名古屋港からのフェリーを利用して仙台港経由で山形市に入り、二日間の日程の内の一日目はまず山形城(霞城公園 かじょうこうえん)を訪れました。

前回、1992年に一度訪れた山形城でしたが、今回はじっくり全体を歩くように努め、最後に山形城のハイライトとでも言うべき東大手門にやって来ました。

 

  山形城を根拠地としてきた最上義光(もがみ よしあき)は、関ヶ原の戦いでは東軍に属して西軍の上杉軍等と戦い、戦後にはその戦功として山形城を本拠として現在の山形県の大部分を領地とする57万石の大大名となり、山形藩を立藩しました。

しかし、義光(よしあき)の死後は藩内での跡目争いや内紛で1622年に改易(その後の最上家は前回の記事にあります)。

その後、山形藩は藩主家が目まぐるしく交替(Wikiからコピペ)しました。

 

  歴代 山形藩藩主家

最上家 外様 57万石 (1600年 - 1622年)
  義光(よしあき)〔従四位上・出羽守、左近衛権少将〕    
  家親(いえちか)〔従四位・駿河守、侍従〕    
  義俊(よしとし)〔官位官職なし〕

鳥居家 譜代 22万石→24万石 (1622年 - 1636年)    
  忠政(ただまさ) 石高直しにより22万石→24万石    
  忠恒(ただつね) 官位官職は共に従四位下・左京亮

保科家 親藩 20万石 (1636年 - 1643年)    
  正之(まさゆき)〔正四位下・肥後守、左近衛中将〕

松平〔越前〕家 親藩 15万石 (1644年 - 1648年)    
  直基(なおもと)〔従四位下・大和守、侍従〕

松平〔奥平〕家 親藩 15万石 (1648年 - 1668年)    
  忠弘(ただひろ)〔従四位下・下総守、侍従〕

奥平家 譜代 9万石 (1668年 - 1685年)
  昌能(まさよし)〔従五位下・大膳亮〕    
  昌章(まさあきら)〔従五位下・美作守〕

堀田家 譜代 10万石 (1685年 - 1686年)    
  正仲(まさなか)〔従四位下・下総守〕

松平〔越前〕家 親藩 9万石 (1686年 - 1692年)
  直矩(なおのり)〔従四位下・大和守、侍従〕

松平〔奥平〕家 親藩 10万石 (1692年 - 1700年)    
  忠弘(ただひろ)〔従四位下・下総守、侍従〕    
  忠雅(ただまさ)〔従五位下・下総守〕

堀田家 譜代 10万石 (1700年 - 1746年)    
  正虎(まさとら)〔従四位下・伊豆守〕    
  正春(まさはる)〔従四位下・相模守〕    
  正亮(まさすけ)〔従四位下・相模守、侍従〕

松平〔大給〕家 譜代 6万石 (1746年 - 1764年)
  乗佑(のりすけ)〔従五位下・和泉守〕

公儀御料 (1764年 - 1767年)

秋元家 譜代 6万石 (1767年 - 1845年)    
  凉朝(すけとも)〔従四位下・但馬守〕    
  永朝(つねとも)〔従四位下・但馬守〕    
  久朝(ひさとも)〔従五位下・但馬守〕    
  志朝(ゆきとも)〔従五位下・但馬守〕

水野家 譜代 5万石 (1845年 - 1870年)    
  忠精(ただきよ)〔従四位下・和泉守、侍従〕    
  忠弘(ただひろ)〔従四位・和泉守〕 

天領 (1870年 - 1871年廃藩置県)

 

  山形城については、最上義光の時代にはほぼ作られており、鳥居忠政の時代に現在の姿に整えられた(Wiki)ようです。

 

  公開中の東大手門。

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  東から広場に入ってすぐ右手に山形歩兵第三十二連隊之跡の碑。

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  中央に最上義光(よしあき)の騎馬像。
  何と言っても最上義光は郷土の英雄なんですよね。

  かって、大分へ行きましたら、駅前に大友宗麟の像がありました。

  実を言うと私の住んでいる岐阜駅前にも黄金の織田信長像があります。
  郷土の英雄と言うならば、本来は斎藤道三としたいのですが、なにせ評判が悪い。

  斎藤家は織田信長に滅亡させられているので、それも一因でしょう。

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  最上義光顕彰碑。

  内容は割愛。

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  1991年に復元された二の丸東大手門。

  復元されて間もない時期に、私は初めて山形城を訪れていたんですね。

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  最上義光騎馬像。

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  東大手門の上から。

  向こう側に本丸跡があります。

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  すぐには入らず、まずは周囲の様子を見て回ります。

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  塀で囲んで門と共に枡形を形成します。

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  大手門内部。

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  本丸部分へ行って見ます。

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  石垣のほうが本丸。

  2006年に復元された大手橋。

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  復元された本丸一文字門。

  2013年に復元された本丸大手門枡形内の高麗門及び土塀。
   ↑今年ですね。

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  この前を南の奥に行くと山形県立博物館。

  本館 成年 300円 学生150円

  分館(教育資料館) 成年150円 学生70円

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  今回は失念して行けなかった山形市郷土館(旧済生館病院本館)がさらに奥にあります。

  写真は1992年9月9日撮影。

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  二の丸東大手門の枡形内。

  入り口の高麗門は左手。

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  二の丸外の中堀?という事になるんでしょうね。

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  堀のすぐ外側を仙台、新庄方面へのJR線。

  左右の線路幅が異なり、複線では無く単線二本というのが正確。

  左が山形新幹線の標準軌。

  電車は山形発新庄行き普通 標準軌区間用の701系5500番台。

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  右側がの狭軌の在来線。

  仙山線の他に左沢線(あてらざわせん)気動車が利用、北山形駅から分岐して行きます。

  電車は仙山線 山形発仙台行き 普通E721系。

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  この橋の下は線路ではなくお堀です。

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  門を東に出て左手の公園内には外壁タイル改修中の山形美術館。

  一般500円、高大生300円、小中生100円。

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  その先に今回も閉まっていた最上義光歴史館。

  無料です。

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  撮影 2013/07/19

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2013年7月24日 (水)

太平洋フェリーで 山形市内 (山形城、「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂)、山寺)を中心に観光(3) - 山形城 (霞城公園 かじょうこうえん)(2)

 

  太平洋フェリーの名古屋~仙台~苫小牧航路のうち名古屋から仙台までの航路を利用して、当初の計画からはかなり外れたものの、山形市内に2泊して、その一日目に訪れた山形城の2回目です。

 

  山形城の築城年は南北朝時代にまで遡る事ができるようですが、何と言っても現在の山形城と城下町としての山形市の基礎を築いたのは最上義光(もがみ よしあき)であり、関ヶ原の戦いにおいては東軍に属して上杉勢等と戦い、その戦功として出羽57万石を得て、その本城を山形城に置き、最上氏の全盛期を現出しました。

少々簡略ですが最上義光(よしあき)と以後の推移を見ていきますと、最上氏はもともと山形を根拠地とした現在の村山地方の武将でした。

ここで、少し地理的な話になりますが、古代の最上郡は最上、村山両郡を包含しており、886年に両郡は分割されるのですが、北を村山郡、南を最上郡とされました。

現在とは呼称が逆ですよね。

これが室町時代初期に山形を本拠とした斯波氏の一派が最上郡に属することから最上氏を名乗った所以のようです。

この呼称は下で述べた最上氏の改易まで続き(Wikiの別の項では太閤検地までは、という記述があり、どちらが正確なのかは分からない)、その後は現在のように新庄市を中心とする最上郡、山形市を中心とする村山郡という現在の最上地方、村山地方が確定しました。

ず~っと疑問であった山形を根拠とする最上氏がなぜ最上を名乗ったかの疑問が一挙に解決しました。(Wikiの多数の項目を比べ参照しました)

 

  また余談ですが、父義守の娘、義光(よしあき)の妹が伊達家の伊達輝宗に嫁ぎ(伊達)政宗をもうけており、両家は姻戚関係にありました。

最上氏のこれ以上の詳細な顛末は省略して、義光(よしあき)が江戸時代初期、慶長19年(1614年)に死没すると、藩内の後継争いや家中に内紛が起き(最上騒動)、これを理由に幕命で1622年(元和8年)に最上家は改易。

しかし、家名を惜しむ向きがあり、近江国蒲生郡に1万石の知行を改めて与えられるも、その当主の最上義俊が没すると(1632年)、子が幼いという事で5000石に減封され、子孫は「旗本交代寄合」として存続しました。

ここに大名家としての最上家は終焉。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図です。

  「余湖くんのホームページ」のトップページ。
  キラキラしていますが決して怪しいサイトではありません。

  下の図で分かるように、現在でいうところの霞城公園(かじょうこうえん)と同じ領域で、
二の丸、本丸部分が現在でも整備されつつあります。

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  南門跡から公園内に入り、石垣内側の土塁上を西に。

  そして西南隅から方向を変えて北に向かうと左手に西門跡が見えてきました。

  門と橋自体は南に向いています。

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  西門跡をいったん外に出てみました。

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  西側のお堀。北方向。

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  西門からは下の道路を真っ直ぐ東に歩いて、下の図の「本丸一文字門復元現場」とある本丸の横腹に出ました

  。この案内板は突き当たった道路を少し北に行った野球場の横にありました(現在地とある場所)。

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  右側(東)が本丸部分で工事中。

  完成するのが楽しみですね。

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  途中、左手の森の中に野外音楽堂。

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  工事用の塀で覆われた本丸部分。

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  野球場の西側を通り過ぎて北門跡へ。

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  二の丸の北門跡。

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  「二の丸北不明門跡」とあります。

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  北側のお堀、東方向。

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  外から。

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  歩兵三十二連隊の碑。

  かっては敷地に連隊が置かれていました。

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  北側石垣の内側の土塁。

  お城全体に遺構が良く保存されています。

  後で気付いたのですが、二の丸西側の御三階櫓跡を見るのを忘れました。

  公園内にある山形市郷土館も見忘れましたが、後者は昔訪れた事があるので、まあ、いいかと。

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  球場と土塁の間を東に抜けて東大手に向かいます。

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  やっと本命の二の丸東大手門へやって来ました。

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  撮影 2013/07/19

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2013年7月23日 (火)

太平洋フェリーで 山形市内 (山形城、「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂)、山寺)を中心に観光(2) - 山形城 (霞城公園 かじょうこうえん)(1)

 

  前日に太平洋フェリーで仙台港に到着して、バスで10分の仙石線中野栄駅で「北海道&東日本パス」10000円を購入して、その日のうちに山形市へ移動。

山形県の大雨と洪水のニュースをTVなどで見聞きましましたが、私が山形市に入ってから2日間の滞在中、被害は最上、庄内地方に集中、山形市内は意外にも二日間共晴れと言う結果になりました。

山形県でも山形市を中心とした村山地方(この言葉だけは知りませんでした)、米沢市を中心とした置賜地方(おきたまちほう・おいたまちほう)、新庄市を中心とした最上地方、鶴岡市、酒田市を中心とした庄内地方とそれぞれ気候、文化に違いがあると聞いています。

戦国から江戸時代にはそれぞれの地方の中心的な藩である山形、米沢、新庄、鶴岡では統治者が異なってもいましたから、人為的にもそれぞれの地方の特色が出来上がったと言うことなのでしょうね。

 

  山形市と言えば何といっても山形藩初代藩主の最上義光(もがみ よしあき)で、山形県内では彼に関する事績を良く見かけますが、今回の山寺にも「義光公霊屋」があり、また昔羽黒山を訪れた際にも、有名な国宝五重塔が最上義光により修復された旨を知りました。

  関ヶ原の戦いにおける米沢上杉家との不利な中での戦いなど、この地方の戦国時代の歴史も面白いものがあります。

山寺の「義光公霊屋」の前にある中性院は、義光とともに「新庄戸沢上総佐 日牌所」も兼ねているのを見かけましたが、戸沢家についても、昔、少し調べたことがあります。

戸沢家は室町末期から角館を本拠として、横手の小野寺氏らと争いますが、紆余曲折を経て最終的には新庄藩6万石(後7万石)の大名として明治維新を迎えます。

ただし、戸沢家の新庄入部は最上家改易の後。

 

ということで、山形市の一日目はハイライトの山形城の散策から始めました。

 

  山形駅前。表口にあたる東口。

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  前回は線路の東を北に向かい二の丸東大手門から城跡に入り、入り口あたりのみで帰ってしまいました。

  今回は裏口とも言うべき駅西口から北に向かいました。

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  西口は建物が少なく山形駅構内が見渡すことができます。

  左沢線(あてらざわせん)用車両のキハ101形気動車。

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  いつもの 「余湖くんのお城のページ」 からの引用図。リンク先はトップページ。

 

   図のある山形城の項のページのリンク先。

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  北に歩いて行くとやがてお堀に行く手を遮られます。

  向こうに二の丸東大手門に架かる橋が見えます。

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  左手、西方向に南門があり、ここから城跡に入ります。

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  あくまで二の丸の南大手門です。

  現在、霞城公園(かじょうこうえん)として整備されているのは二の丸とその中にある本丸から形成されています。

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  山形に来て驚いたのは、アジサイが時期として現在が見頃なんだという事でした。

  今年は地元(岐阜市&東海地方)ではアジサイを観賞することができなかったので、少し嬉しかったです。

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  東大手門一般公開中。

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  山形駅西にある「霞城セントラル」という高層ビル。よく目立ちます。

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  城跡内に入って面白いものを発見。

  石垣の構造って外の石の中には細かい砂利というか小石が詰まっているんですよね。

  それが露出しているのか、まだ工事前なのか良く分かりませんが・・。

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  さて、南の石垣の内側の土塁を西角に向かって歩きます。

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  石垣の際(きわ)までは行けない様に紐状の柵が設置されています。

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  二の丸南西隅の櫓台の石垣。

  発掘か修理か、それとも両方でしょうか?

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  ここで直角に方向を変えて北に向かいます。

  石垣跡を振り返って。

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  これも振り返って。

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  右手、東に再建された木造の真新しい本丸一文字門が見えます。

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  左手に西門跡が見えてきました。

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  撮影 2013/07/19

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2013年7月22日 (月)

太平洋フェリーで 山形市内 (山形城、「文翔館」(旧県庁舎及び県会議事堂)、山寺)を中心に観光(1) - 名古屋港から太平洋フェリーで仙台港へ

 

  昨年の9月に初めて太平洋フェリーを仙台港まで利用し、青森県弘前市を中心に観光をしてきましたが、今年も名古屋港から仙台港までのフェリーを利用して、山形市を中心とした実質三日間の観光旅行をしてきました。

結果的に天候の良し悪しに左右され、当初の計画とは大きく異なる旅行となり、松島海岸や多賀城跡など仙台地域の観光をすべて変更して、山形市内の山形城を中心とした市内コースの観光となりました。

二日目は松尾芭蕉が「奥の細道」で「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠まれた山寺の立石寺を訪れ、この山登りでこの日一日は体力的に終わり、そのまま米沢から米坂線で坂町駅を経て新潟へ。

あくる三日目は新潟からの夜行で新宿に至り、大月から富士急行で河口湖に寄り道をしてのち、それに諏訪高島城の訪問を添えて、塩尻から松本発の普通電車で中津川、名古屋を経て岐阜へ帰りました。

 

  今回の特徴は仙台(正確には中野栄駅)から塩尻までを「北海道&東日本パス」を利用したことでした。

基本的には「青春18きっぷ」と同じ利用仕様の「とくとくきっぷ」ですが、利用可能な範囲がJR北海道とJR東日本、そして青い森鉄道・IGR銀河鉄道・北越急行・富士急行の全線という違いがあります。

また、利用期間は自分が指定した日から連続7日間という点も「青春18きっぷ」とは大きな相違点です。

ただし値段が10000円の設定なので(こども5000円)、私のように今回は4日間の利用のみでありましたが、それでも実質15000円ぐらいの移動をしているので充分に「とくとく」感はありました。

いずれにしても、フリーきっぷの最大のメリットは何と言っても「乗り降り自由」、これに尽きるんですよね。

2013年「北海道&東日本パス」の夏季利用可能期間は7月1日~9月30日です(ちなみに「青春18きっぷ」の夏季利用可能期間は7月20日~9月10日)。

 

   通称「あおなみ線(正確には「名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線」)」野跡駅(のせき えき)にて。

   JR東海の「リニア・鉄道館」が次の終点駅「金城ふ頭」駅にあります。

 

   フェリーふ頭行きバスの直通連絡バスは名古屋駅からは名鉄バスセンター4階から17時20分発、料金510円(こども260円)で連絡しています。

  その他にもフェリーふ頭へは市バスの路線バスがあり、「名古屋港~築地口~一州町~西稲永~野跡駅~汐止町~空見町~フェリーふ頭」の路線がそれです(乗り換え無しではこれが唯一の路線)。

この中で名古屋港バス停が地下鉄名古屋港駅、築地口バス停が地下鉄築地口駅、野跡(のせき)バス停が「あおなみ線」の野跡駅との連絡バス停。

名古屋港駅と名古屋港バス停は考慮外として、名古屋駅からの順路としては地下鉄の築地口駅でフェリーふ頭行きバスに、または「あおなみ線」野跡駅からフェリーふ頭行きバスに乗換えが便利です。

前回は名鉄バスセンターからの直通連絡バスを利用しましたが、今回は名古屋駅から「あおなみ線」で野跡駅、駅前バス停からフェリーふ頭へと向かいました。

 

  なお、フェリーふ頭から名古屋駅方面への直通連絡バスは無いので、路線バスのみが頼りとならざるを得ません。

  したがって、帰りは、「野跡駅前バス停」か「築地口バス停」下車で、それぞれの最寄の地下鉄、鉄道で目的地へ向かってください。

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  野跡(のせき)バス停のターミナル。

  野跡発着のバス路線が何本かあるようです。

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  「あおなみ線」名古屋駅行き。

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  フェリーふ頭行きバスはバスターミナルへは入らずまっすぐ北からやって来て駅下の3番の停留所で乗車。

  そのまま南へ直進します。

  1時間に1本の運行頻度。バス料金は市内料金の200円。

  「あおなみ線」は名古屋~野跡間290円。

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  フェリーふ頭バス停。

  野跡バス停はからは10分ほど。

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  フェリーターミナル。

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  これが今回乗船した太平洋フェリーの「いしかり」。

  名古屋から仙台を経て苫小牧行き。

  名古屋~仙台間は隔日運航、仙台~苫小牧間は毎日運航です。

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  「いしかり」のS寝台。

  このクラスから相部屋となります。

  この下の相部屋のクラスにはB寝台、2等和室があります。

  部屋に入って外の通路。

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  B寝台では上下2段ですがS寝台では1段。

  天井は高く、立つことができるぐらいです。

  TVとTVの上に荷物が置け、各室の蛍光灯の下に一つだけコンセントがあります。

  ただし、あくまで相部屋であることを忘れずに・・・。

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  船内。

  名古屋出港19時、仙台着岸翌日16時40分ですので、少々ゆとりを持って考えておくと良いでしょう。

  苫小牧港には翌々日の11時到着です。

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  手前にピアノが見えますがミニコンサートも催されます。

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  甲板に出てみると雨模様でした。

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  仙台入港まであと2時間位という洋上で名古屋行きの僚船と行き違います。

  毎回恒例の楽しみ。

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  仙台港には15分早く到着という事に。

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  相変わらず雨模様。

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  下船して「いしかり」の正面から。

  仙台港出港は19時40分、苫小牧到着は翌日11時。

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  仙石線中野栄駅にて。

 

  仙台港からは仙台駅まで宮城交通のバスが運行されています。

  路線バスなので港から10分ぐらいの中野栄駅バス停で降車。

  仙台港から中野栄駅までのバス運賃は140円。仙台港から仙台駅までは490円。

 

  中野栄駅にて「北海道&東日本パス」10000円を購入。

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  仙台駅へ向かうバス。

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  仙台駅にて。

  E721系 2輌編成 仙台駅到着。

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  仙山線愛子(あやし)行き。

  仙山線仙台発は、ほぼ1時間に3本の運行ですが、山形行きは1本のみ。

  しばらく待機。

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  撮影 2013/07/17,18

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2013年7月19日 (金)

太平洋上のフェリー 2012年9月 - 今年は天気は良くなさそう

 

  去年(2012年)9月、太平洋フェリーで名古屋から仙台へ向かう途中での名古屋行きフェリーの僚船。

今年は梅雨明け前で、天気が良くないという予報ですが・・・。

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  撮影 2012/09/07

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2013年7月17日 (水)

京都 七条 三十三間堂を訪れる 2013 猛暑の中 (6) - 豊国神社から七条を後にして帰途へ

 

  二ヶ月から三ヶ月に一回ほどの頻度で訪れている京都ですが、今回の暑さには大変閉口しました。

  今回は京都までの往復に「シャトルきっぷ」を利用して、米原~京都間は新幹線での移動という少しの快適さを求めた旅行をしてみました。

「シャトルきっぷ」は東海道線在来線の穂積~醒ヶ井駅間を発着駅として米原から京都までを新幹線の「ひかり」及び「こだま」の自由席を利用できるJR東海販売の「とくとくきっぷの」一種である往復きっぷです。

有効期間は二日間。

京都との往復と新大阪との往復の2種類が販売されています。

販売は発着駅での販売と周辺の主な旅行会社のみで、例えば私のような岐阜市に住んでいる住人が「シャトルきっぷ」を利用しようとすれば穂積駅か大垣駅での駅窓口で購入という形になります。

穂積、大垣発着~京都が4480円(子供半額)。

詳しくはJR東海のお得なきっぷ詳細情報で。

岐阜市内駅での販売は無いので、今回のように大垣からの「シャトルきっぷ」を利用する場合は岐阜~大垣間往復460円が実費として必要です。

取り敢えず結論から言えば、1200円ほどの上積みで(岐阜からの場合。大垣からだと700円ぐらいの上積み。普通と快速での京都までの往復運賃は岐阜、大垣とも1890円×2)米原~京都間を新幹線で快適に往復できること、それに尽きる「とくとくきっぷ」です。

利用してみて使い勝手が良いきっぷでしたので、これ以後も利用する可能性大です。

 

  豊国神社(とよくに)神社を後にします。

  結局、今回訪れることができたのは三十三間堂と豊国神社、方広寺の梵鐘のみでした。

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  百日紅(さるすべり)の花?

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  京都国立博物館の工事現場入り口を横目に大和大路七条の交差点へ。

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  「ただいま休館中」の張り紙。

  休館は7月12日まで。

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  大和大路七条の交差点から七条大橋のある西の方を。

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  京都国立博物館のレンガ造りの建物。

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  博物館三十三間堂前バス停留所、京都駅行き方面。

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  東は突き当たりに智積院(ちしゃくいん)があり、バスは左に方向を取り銀閣寺方面に向かいます。

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  七条大橋の川端通との交差点へ帰って来て。

  近くのバス停からは京都タワーが望めます。

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  京阪七条駅にて。

  大阪の淀屋橋行き特急の通過。

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  淀屋橋行き準急で次の東福寺駅まで乗車。

  東福寺駅でJRに乗り換えて京都駅まで行きます。

  バスは京都では極力利用しないことにしています。

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  京都駅では一度外に出て、駅前の喫茶店で再び休憩。

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  京都駅構内の高台からのお約束の京都タワー。

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  京都発15時09分、新大阪始発 東京行き「こだま666号」で米原へ向かいます。

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  米原には15時28分到着。

  4分しか接続時間が無かったのにもかかわらず、15時32分 米原始発大垣行き普通に間に合い乗車。

  大垣乗り継ぎで岐阜には16時22分着でした。

  猛暑のため、想定以上の早めの帰りとなりました。

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  撮影 2013/07/09

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2013年7月15日 (月)

京都 七条 三十三間堂を訪れる 2013 猛暑の中 (5) - 豊国神社(とよくにじんじゃ)と方広寺梵鐘

 

  三十三間堂の南東にある南大門を訪れて後、この日最後に訪れたのは豊国神社と方広寺の梵鐘です。

三十三間堂の西角にあたる大和大路七条の交差点を北に歩いて行くと、京都国立博物館の工事現場入り口の前を通り過ぎてすぐ、道路の右手に鳥居があり、ここが豊国神社(とよくにじんじゃ)です。

名前の通り豊臣秀吉を祀った神社で、一度は豊臣家滅亡で神社も廃絶となりましたが、明治天皇の指示により再興されました。

立派な国宝の唐門と宝物館は必見です。

宝物館は拝観料300円です。

 

  京都国立博物館の角を北へ。

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  道路の西側から鳥居。

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  安土桃山様式の立派な国宝の大唐門。

  伏見城の遺構ということです。

  西本願寺、大徳寺と合わせて国宝の三唐門と言われているそうです。

  西本願寺の唐門は当ブログで紹介しましたが、大徳寺はまだ未訪問。

  西本願寺の唐門が掲載されている記事

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  拝殿と奥に本殿。

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  唐門の右手にある宝物館への入り口。

  拝観券は社務所で。

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  宝物館。

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  唐門前から鳥居の外、西方向。

  豊国神社の北隣が方広寺。

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  方広寺。

  創建当時の面影は無く、本堂と鐘楼が主な建築物。

  本堂拝観は200円です。

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  鐘楼と梵鐘。

  方広寺と言えば豊臣秀吉発願の大仏殿ですが、1596年慶長伏見地震により大仏殿は倒壊を免れたものの大仏が倒壊。

  「自らの身をも守れないのか」と秀吉は大仏に激怒したと言う逸話があります。

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  その後、豊臣秀頼の時代に復興されるも(秀吉の死は1598年)、いわゆる「方広寺鐘銘事件」(1614年)により大坂の陣が勃発。

  大坂冬の陣(1614年)、そして夏の陣(1615年)を経て豊臣家は滅亡します。

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  問題となった梵鐘の鐘銘部分である左上が「君臣豊楽」、右下が「国家安康」。

  国家安康の鐘は重要文化財に指定されています。

  歴史的な梵鐘が、実際に現在にまで伝わっているんですね。

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  撮影 2013/07/09

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2013年7月14日 (日)

京都 七条 三十三間堂を訪れる 2013 猛暑の中 (4) - 三十三間堂 南大門へ

 

  三十三間堂の正面から帰り口への途中の回廊塀のベンチで2度目の休憩。

体中が火照るほど暑い中、水を浸したタオルとペットボトルのお茶で暑さを和らげようと、三十三間堂内での二度目の休憩です。

そして、南大門へ向かうべく拝観区域を出て、拝観出入り口前の駐車場を東に抜け、境内東側に沿った道路を南へ。

そして、南大門の前にある喫茶店でカレーとアイスコーヒーを注文して今度こそ大休止をとることにしました。

その後、この分だともう智積院は無理と判断して、豊国神社と大坂の陣のきっかけとなった方広寺の「君臣豊楽」「国家安康」の銘文が残る梵鐘を見に行きました。

 

  本堂東側にある手水舎。霊泉として伝わっています。 

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  法然塔。後ろが回廊塀。

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  回廊塀。

  外部からは塀となっている回廊です。

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  北側からの本堂。

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  上の写真の人々の左に見える説明板。

  後白河上皇院政庁「法住寺殿」址碑(ほうじゅうじどの あとひ)。

  「法住寺殿」は1158年(保元3年)に退位した後白河院が約30年にわたり院政を行なった政庁・・と書かれています。。

   三十三間堂(と言うより蓮華王院)は、この広大な「法住寺殿」の一画に建てられた寺院(1165年)。

  その後焼失して(1249年)、1266年に本堂のみが再建され、これが現在に残る三十三間堂という訳だそうです。

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  拝観出入り口から駐車場へ出ました。

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  回廊塀の外から。南の南大門へ。

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  突き当たりに南大門があります。

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  道路の左手(東側)にある養源院。

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  奥を覗いてみました。

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  東大門を外から。

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  法住寺。

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  南大門の西に連なる太閤塀。これだけで重要文化財です。

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  同じく重要文化財の南大門。

  前回訪れたときも感じたのですが、少し保存状態が良くないのでは・・と。

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  北の七条通方向。

  喫茶店前から。

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  撮影 2013/07/09

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2013年7月12日 (金)

京都 七条 三十三間堂を訪れる 2013 猛暑の中 (3) - 蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう 三十三間堂 さんじゅうさんげんどう)

 

  いわゆる三十三間堂はすぐ近くにある天台宗妙法院の境外仏堂であり、正式名は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)と言います。

七条通が東で智積院(ちしゃくいん)に突き当たり、これを左手に(北に)少し行くと智積院と道ひとつ挟んで北側に妙法院があります。

通常は非公開のお寺さんで、11月頃に特別公開があるそうす。

 

  ということで、駐車場に面した拝観入り口から入ります。

三十三間堂は京都でも指折りの観光名所であることから、修学旅行生を中心とした団体客、そして外国人観光客が多いのも特徴です。

本堂内での写真撮影はきつく禁止され、カメラもバッグに納めて下さいという事で、写真は一切ありません。

 

  しかし、内部は本当に参拝するに値し、京都の多くの寺院の中でもたった一つの堂内でこれほど圧倒される場所はありません。

中央に本尊の千手観音をまつり、その左右に十段、それぞれに50体ずつの千手観音立像が約千体が並ぶ様は圧倒的な偉容。

そして、その前の左右に木造風神・雷神像、間に木造二十八部衆立像が並ぶ様も圧倒的です。

約一千体の千手観音立像が重文である以外は、本堂、  木造千手観音坐像(附:木造天蓋)、木造風神・雷神像、木造二十八部衆立像が国宝に指定されています。

鎌倉時代の作が多いのが特徴です。

創建は1165年ですが1249年の火災で焼失、1266年に本堂のみが再建され、これが現在に残る三十三間堂です。

 

  門を入ると駐車場。

  その南に拝観入り口があります。

  拝観料は 大人600円、高校中学400円、子供300円。

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  修学旅行生用の観光バスは拝観入り口前に横付け。

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  中に入って右手の建物から靴を脱いで拝観します。

  出入り口が同じなので靴は靴箱に。

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  この間に充実した濃密な時間があったのですが、写真が無くてお伝えできないのは残念です。

 

  入り口前にトイレ(内部。外部にもトイレはあります)があり、その西横にある門。

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  外側から。

  出入りはできません。

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  三十三間堂をぐるりと一周して見ました。

  江戸時代には西側の軒下で有名な「通し矢」が行なわれていました。

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  本堂西側の南の方をのぞんで。

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  本堂の西側南端。

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  本堂南端の西側にある稲荷社。

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  境内南を画する築地塀。

  塀は三十三間堂を含む形で方広寺が造営された際に築造され、寄進した豊臣秀吉にちなみ「太閤塀」と呼ばれています。

  重要文化財に指定されています。

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  「太閤塀」内側から.

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  本堂を南側から。

  このあたりのベンチで一休み。

  暑さが半端ではありませんでした。

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  南大門は外に出て、寺域の東側に沿って行き、南にあります。

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  本堂南東側から。

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  本堂東にある鐘楼。

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  本堂東側、本堂正面です。

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  中から休憩できます。

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  外からは利用できません。

  何度でも入れますから、気づかなかった人は戻って中からの風景を楽しんで見て下さい。

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  撮影 2013/07/09

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2013年7月11日 (木)

京都 七条 三十三間堂を訪れる 2013 猛暑の中 (2) - 京都駅から七条、三十三間堂へ

 

  さて、久し振りに京都を訪れました。

以前にも書きましたが、私は京都市内の観光では、移動手段としてのバスの利用は極力避け、鉄道を利用することにしています。

別に鉄道が好きだからと言う訳ではなく、バスでの移動に伴う煩わしさ、言い換えればバスでの立ち乗りは正直しんどいという理由からです。

京都市内の観光名所を回るバスは満員状態が多くて、できれば座れないバス移動での体力の消耗を防ぎたい、そういう考えから鉄道を利用しての移動を心がけています。

市内での鉄道と言えばJR、市営地下鉄、阪急、京阪、嵐電、叡電の六種類。

これらの鉄道を利用しての市内観光は金銭的には多少の負担となりますが、バスよりはマシと言うのは私の考え方なので、私に賛同していただく必要はありません。

効率と言う面から考えればバスの利用は欠かせませんが、いつもそんなに急がない私の京都観光なので、より快適にという自らの要請に答えた結果ができる限り鉄道を利用すると言う方法でした。

ただし、これには大前提として、多少の距離は歩くことができる、ということが必須となります。

 

  今回訪れた三十三間堂は実に1999年以来、十数年振りとなりました。

鴨川に沿った観光地へはJRと京阪電車を利用して、降車後は目的地まで歩くことにしています。

東福寺駅でJRから京阪に乗り換え、今回は一駅目の七条駅で降り、七条通を東へ歩けば三十三間堂です。

 

  JR東福寺駅は奈良線のひと駅目。

  奈良線ホーム。

  東福寺駅には快速の「みやこ路快速」も停車するので、どの電車に乗車しても可です。

  8番線に待機中の「みやこ路快速」221系。

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  9、10番線にはいまだ現役の103系 普通電車。

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  東福寺駅に到着。

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  一度、駅の外に出てみました。

  紅葉の東福寺、そして泉涌寺 (せんにゅうじ)の最寄り駅です。

  両寺ともまだ訪れたことがありません。

  東側の出入り口。

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  京阪東福寺駅にて。

  淀屋橋(大阪)行き準急が到着。

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  同じく京阪東福寺駅にて。

  淀屋橋行き特急の通過。

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  七条駅で降り、地上に出て七条大橋から北方向。

  京阪電車は七条駅手前から終点の出町柳駅まで地下路線。

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  七条通を東に行きます。

  突き当たりには智積院(ちしゃくいん)。

  智積院もまだ未拝観。

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  川端通と七条通との交差点。

  いかにも暑そうです、というか大変な暑さでした。

  左の東へ信号を渡ります。

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  東へ約250m~300mぐらいで大和大路七条の交差点。

  右側に三十三間堂、左側に京都国立博物館。

  南北の大和大路を左(北)へ行くと豊国神社(とよくにじんじゃ)や方広寺があります。

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  三十三間堂入り口。

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  撮影 2013/07/09

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2013年7月10日 (水)

京都 七条 三十三間堂を訪れる 2013 猛暑の中 (1) - 「シャトルきっぷ」で京都へ

 

  夏の長期旅行の予行演習というぐらいの軽い気持ちで暑い京都へ向かいましたが、とんでもない暑さに見舞われてしまいました。

京都での滞在は4時間ほどでしたが、実働は多分2時間半ぐらいで、残りの1時間半は喫茶店での食事休憩や日陰のあるベンチでの大休止に時間を費やして、午後3時には早々に京都を後にしました。

 

  今回、京都との往復に利用したのが大垣~京都間の「シャトルきっぷ」。

「シャトルきっぷ」は東海道線の穂積~醒ヶ井駅間発着で米原からは新幹線「ひかり」、「こだま」の自由席で京都までを往復できる「往復タイプ」の「とくとくきっぷ」です。

発着駅~京都駅と新大阪駅の2種類があります。
駅により値段は異なり、穂積、大垣発着~京都間はおとな4480円、新大阪までは6060円です。
子供はそれぞれの半額の設定です。

 

大垣~京都間の普通運賃は1890円で往復が3780円。

米原~京都間の自由席特急券は片道950円で往復は1900円。

普通に運賃、特急券購入で利用すると往復5680円が必要となりますので「シャトルきっぷ」の利用で1200円お得になる計算です。

ただし、米原から京都までの新幹線利用は、全区間普通もしくは新快速で在来線を速達で利用する場合と比べてもそんなに時間短縮ができる訳でもなく、うまくいっても30分ぐらいの短縮でしかありません。

新幹線利用の所要が1時間少々、在来線利用の所要が1時間30分少々といったところです。

しかし新幹線利用の最大のメリットは京都から米原までの帰りの快適さに尽きます。

夕方以降に在来線で京都から米原へ向かう場合、ほぼ座ることが困難で、700円(全線在来線利用が往復3780円、「シャトルきっぷ」が4480円)で30分の速達性とそれにも優る快適性が得られれば充分に「とくとくきっぷ」としての役目を果たしている「お得なきっぷ」と言えます。

米原から大垣までは始発駅からの電車なので、多少の努力があれば座ることができます。

 

  私のように岐阜出発ですと、時間的、値段的(岐阜~大垣間は運賃230円、往復460円が必要)な要素で「シャトルきっぷ」の優位性をそんなに得ることはできませんが、何と言っても快適性のみは代えることができないものでした。

まあ、新幹線を利用するのですから快適性云々は当たり前と言えば当たり前のことなのですが・・・。

 

  朝7時半頃には大垣駅に到着して、「シャトルきっぷ」を購入。

 

  切り欠きの3番線に美濃赤坂発の313系2輌編成が到着。

  折り返して美濃赤坂行きとなります。

  大垣発に限れば昼間帯の11時から14時までは12時台に1本のみと極端に運行の無い美濃赤坂行きです。

  ただし、それ以外の時間帯は1本から2本が運行されています。

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  3番線から2番線に戻ってみるとすでに米原行きが到着していました。

  当日のように平日は岡崎発の普通電車で大垣で14分停車、大垣発8時13分です。

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  米原駅2番線に到着。

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  お約束事の近江鉄道米原駅の電車を撮影。

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  米原発8時54分の東京始発 新大阪行き「ひかり501号」に乗車。

  京都まではひと駅、20分の所要。

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  京都駅にて。

  後続の「のぞみ203号」が到着。

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  「のぞみ203号」。

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  新幹線ホームから出ます。

  なお「シャトルきっぷ」は「往き券」と「かえり券」の2枚からなり(他に説明券1枚)、いずれも自動改札を利用します。

  米原での新幹線自動改札の通過時に赤字で印字がされ、京都駅では新幹線自動改札を通過して一般改札で「往き券」は自動回収されました。

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  撮影 2013/07/09

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2013年7月 8日 (月)

岳南鉄道(がくなんてつどう) 2012年 夏 - 静岡県富士市 今年(2013年)から岳南電車

 

  前回の記事の予想通りに東海地方は今日(2013年7月8日)月曜日に梅雨が明けました。

随分と早い梅雨明けです。

 

  さて、現在ネタ切れ中なので、去年の夏の記事から未掲載の写真。

静岡県の旧吉原市、現在は富士市を走る岳南鉄道。

親会社が富士急行グループである岳南鉄道は子会社に分離され、今年(2013年)から岳南電車となりましたが、まだ岳南鉄道であった去年の8月の下旬の暑い日に訪れた時の様子です。

ちょうど去年(2012年)から(だったと思う)土日祝日のみの販売であった「全線1日フリー乗車券」が平日でも購入できるようになり、土日祝日用が大人400円、平日用が700円と少々高いのですが、吉原駅~岳南江尾駅間わずか9.2Kmの全区間を平日用「全線1日フリー乗車券」で乗車してみました。

吉原は昔からパルプ工場のある製紙業の盛んな都市ですが、町の中心部分である吉原本町、本吉原からさらに行くと工場の中を抜けるようにして東へ走り、新幹線の高架をくぐった所で終点の岳南江尾駅に着きます。

帰りはところどころで下車して、おいおい吉原駅に戻りました。

 

  吉原駅(よしわら えき)にて。JR線の西北側にホームがあります。

  7000形が到着しました。

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  これが平日用の1日乗車券。

  硬券仕様で、今でも大事に保管してます。

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  終着駅の岳南江尾駅(がくなんえのお えき)。

  7000形と右8000形。

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  同じく岳南江尾駅にて。そろそろ出発。

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  車庫のある岳南富士岡駅(がくなんふじおか えき)にて下車。

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  同じく岳南富士岡駅にて。

  7000形は岳南江尾行き。

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  吉原駅に戻ってきました。

  折り返しの8000形。

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  撮影 2012/08/21

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2013年7月 6日 (土)

梅雨明け 岐阜城 2012年 - 岐阜県岐阜市

 

  今日(2013年7月6日)、関東甲信越で梅雨が明けたと報じられましたが、岐阜地方もどうやら明日、もしくは月曜日には梅雨明けしそうな雰囲気です。

夕方から現在まで(21時ごろ)遠くに雷鳴がとどろきにわか雨があり、予報でも月曜日には晴れということで、もうすぐ暑い夏になりそうです。

去年(2012年)の梅雨が明けてすぐ暑い夏に岐阜市内を歩いた折の岐阜城の三枚です。

 

  長良川に架かる忠節橋からの岐阜城。

  旧市街の3本の橋の内、最も西にあります。

  2005年まで路面電車が走っていました。

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  こちらは本町からの岐阜城。

  こちらも昔は電車通りでした。

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  岐阜公園近くからの岐阜城。

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  撮影 2012/07/26, 08/04

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2013年7月 3日 (水)

高山線 高山駅 2011年7月初旬 - 岐阜県高山市

 

  少々ネタ切れ気味なので、ちょうど一昨年のこの時期に訪れた高山市の高山線高山駅の様子。

ほぼ未掲載の写真です。

 

  この年(2011年)には晩秋にも訪れた高山市ですが、割引きっぷが無い時期であるため、往路は高速バスを利用しました。

岐阜バスと濃飛バスの共同運行である高速高山線は岐阜~高山間が片道2500円、往復4500円、1日5往復が運行されています。

途中のバス停は高速関のみ。

関~高山間は片道2200円、往復4000円。

岐阜~関間のみの乗降は不可。座席予約が必要です。

 

  過去の「高山市観光」 2011年7月の記事 (時間があれば見てください)。

   ブラウザの「戻る」で「この記事」に戻ってください。

「高山市(岐阜県高山市)を観光(1) 飛騨国分寺 - 往路は高速バス、復路はJR」の記事。

「高山市(岐阜県高山市)を観光(2) - 高山陣屋」の記事。

「高山市(岐阜県高山市)を観光(3) - 古い町並から桜山八幡宮と高山祭屋台会館」の記事。

 

  「高山市観光 晩秋編」 2011年11月の記事。

「高山市(岐阜県高山市)を観光 晩秋編 (1) - 岐阜からは高速バスで」の記事。

「高山市(岐阜県高山市)を観光 晩秋編(2) - 城山(高山城跡)に登る(1)」の記事。

「高山市(岐阜県高山市)を観光 晩秋編(3) - 城山(高山城跡)に登る(2)」の記事。

「高山市(岐阜県高山市)を観光 晩秋編(4) - 飛騨護国神社から川上別邸史跡公園」の記事。

「高山市(岐阜県高山市)を観光 晩秋編(5) - 寺町の東山寺院群を歩く」の記事。

「高山市(岐阜県高山市)を観光 晩秋編(6) -帰りに 高山別院から飛騨国分寺に寄り道」の記事。

 

 

濃飛バスセンターは高山駅に隣接しています。

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  宮川と赤い中橋、左手奥の山が高山城跡の城山。

  赤い中橋の右側、すぐに高山陣屋。

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  高山陣屋。

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以上3枚は当ブログ内で既出の写真です。

 

  高山駅の南方向にある跨線橋から。

  特急「ワイドビューひだ」用車両のキハ85系が待機中。

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  キハ85系の他 普通列車用車両のキハ48の2輌編成も。

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  名古屋、岐阜方面から到着した特急「ワイドビューひだ」後部。

  1番線に停車。

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  待機中であった編成が岐阜方面への出発の準備で一度南へ向かい、その後ホームへ。

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  美濃太田行き普通キハ48 2輌編成が到着。

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  撮影 2011/07/05

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