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2013年8月28日 (水)

山形市内観光から その後(8) - 諏訪高島城(長野県諏訪市)(2) 上諏訪駅で最後の寄り道

 

  諏訪氏は代々、諏訪大社の大祝(おおほうり)を務めてきた一族である(wikiより)。

 

  戦国時代、諏訪頼重の代に諏訪は武田晴信(信玄)に侵攻され、頼重は敗れて自害、諏訪は武田家の直轄地とされ、このとき頼重の弟である頼高、満隣(頼重の叔父)の子頼忠は臣従し諏訪大祝(おおほうり 神社の宮司にあたる)となる。

また、頼重の娘諏訪御料人は信玄の側室となり、四男の武田勝頼を生んだのは有名なお話で、諏訪御料人のその数奇な運命を取り上げた小説、映画等も多く、ご存知の方も多かろうと思います。

その後、武田家は勝頼の代に織田信長による甲斐、信濃侵攻で滅亡(1582年)、同じ年に信長が本能寺の変で横死すると、諏訪頼忠(頼重の従兄弟にあたる)は諏訪で自立して侵攻してきた家康と戦うも敗れ、和睦の形で臣従し諏訪郡を安堵。

そして、小田原の役で後北条氏が滅びた1590年、諏訪頼忠は家康の関東移封に従い関東へ(この時は豊臣政権下で諏訪頼忠は徳川家臣)、そして諏訪には日根野高吉が移封、高吉は7年の歳月をかけて高島の地に築城、これが諏訪高島城で、現在私たちが見る高島城です。

関ヶ原の戦い(1600年)のあと、1601年に日根野氏は下野国壬生藩に転封、替わりに諏訪頼水(すわ よりみず 諏訪頼忠の長男)が2万7千石の譜代大名として返り咲き、以後、明治まで諏訪氏は先祖代々の地を治めることとなります。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。リンク先。

Takasimajyo

 

  1970年に天守、櫓、門、塀が本丸跡に復元されました。

  二の丸、三の丸は現在は宅地化しています。

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  諏訪高島城の天守は分類上復興天守という位置づけです。

  古写真はあるそうですが、現在の天守とは若干異なるという事です。

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  天守閣からの諏訪湖の眺め。

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  本丸内部。

  公園化されています。

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  撮影 2013/07/21

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