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2013年9月

2013年9月29日 (日)

2013年9月の旅行 - 北条町(兵庫県加西市)を散策(3)北条石仏(五百羅漢)の羅漢寺

 

  北条町(ほうじょうちょう)の散策も、寺町通りや旧家の家並みへは行くこと叶わず、結果として最後となる北条石仏(五百羅漢)の羅漢寺を訪れ、その後、北条鉄道北条町駅(ほうじょうまち えき)にとって返しました。

この北条石仏(五百羅漢)は「いつ頃、誰が、何のために」造られたのかを示す資料も史実も無いということです。

ただし、唯一、羅漢寺の入り口にある仁王像には(阿形・吽形ともに)慶長十六年(1611)の紀年銘があるそうで、その事から推定されているのでしょうか、制作は慶長年間ではないかとされています。

いずれの石仏も素朴な出来ながら表情が豊かで、他の観光客とともに、狭い境内にある石仏の間をしばし見て回りました。

 

  住吉神社の左手から右に小学校、左に中学校に挟まれた道を北に歩いて右手、小学校の後ろに羅漢寺があります。

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  入り口左右に仁王像がありました。

  すぐ右手にある家屋で拝観料200円を納めます。

  ついでにパンフレットをここで頂いて揃え、そして道順なども教えて頂きました。

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  この来迎二十五菩薩の制作年代は判明しているようです。

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  境内の左端にある来迎二十五菩薩。

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  心残りは仁王像をちゃんと写さなかった事です。

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  元の道を戻り、住吉神社を正面に出ました。

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  住吉神社鳥居と並んでいる酒見寺(さがみじ/さがみでら)楼門前から駅へ。

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  途中、早めに右折し県道へ出て、イオンとイオンの駐車場。

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  駅前にある歩道橋から北条町(ほうじょうまち)駅構内。

  今回の観光はこれが最後となりました。

  粟生駅に戻り、さらに加古川線を北上して福知山線の谷川駅に至ります。

  そしてこの日の最後は福知山で。

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  撮影 2013/09/08

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2013年9月27日 (金)

2013年9月の旅行 - 北条町(兵庫県加西市)を散策(2)住吉神社

 

  北条町を散策するにあたっては、旧北条町のみ全部を歩ききるには半日ほどはかかると見ていたので、前回訪れて訪問しそこなっていた五百羅漢を最優先としました。

その過程で酒見寺(さがみでら/さがみじ)と住吉神社が再訪という形になりました。

 

  北条町の住吉神社は明治以前には酒見大明神と呼ばれ、明治に県社に列格された際に現在の住吉神社に改められた(wikiより)そうです。

本社三殿、幣殿、拝殿、玉垣が登録有形文化財に登録されています。

また、現在の祭神には当地の住民の祖先神である酒見神に住吉四神(神社によっては三神)、それに加え大歳神、八幡神が神社の統合により合祀されています。

神様の合祀や分離は決して珍しいものではなく、特に治水等様々な理由で地域の統廃合が行なわれる際には、神社をまとめる、もしくは新しい神社を創設して諸神の合祀が行なわれます。

これは私がたまたま見聞した阿波川島の川島神社にその例が見られ、私はそこで初めてそのような事例があることを知りました。

 

  酒見寺から石造りの太鼓橋をわたり住吉神社へ。

  振り返って酒見寺の多宝塔。

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  石橋の向こうに酒見寺本堂。これも振り返って。

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  住吉神社の社殿。

  現在の本社三殿(後ろに千木(ちぎ)が見える建物)は嘉永4年(1851年)の再建によるもの。

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  三殿が横に並んでいるので、三つ参拝場所があります。

  大阪の住吉神社では拝殿・本殿が独立して縦横に四つ並んでいたのを思い出しました。

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  境内から鳥居。

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  外から鳥居と社殿。

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  2009年の写真ですが、本社三殿を背後から。

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  本社三殿の左手から稲荷社?の前を横切って細い道路に出ます。

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  道路から。

  北に向いて左右に中学校、小学校に挟まれた道を五百羅漢の羅漢寺へ向かいます。

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  撮影 2013/09/08

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2013年9月26日 (木)

2013年9月の旅行 - 北条町(兵庫県加西市)を散策(1)北条町の古い町並みと酒見寺(さがみじ/さがみでら)

 

  北条町駅(ほうじょうまち えき)から旧北条町(ほうじょうちょう)の散策へ向かいます。

北条町駅前から県道を左へ、そして交差点を右に折れ、さらに三井住友銀行で左に折れると旧北条町(ほうじょうちょう)の古い町並みの内「商屋の町並みゾーン」に入ります。

すぐに左手に広い境内の大歳(年)神社(おおとし じんじゃ)の前に。

境内が広いのもその筈、奇数月の第3日曜日に蚤の市が開催されるそうです。

大きな地図で見る

 

  北条鉄道北条町駅駅舎。観光案内所もあります。

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  町並みの家に

                 「ようきなはった! 西国街道 北条の宿 商屋の家並みゾーン」の看板。

  これが原因で3日間記事がかけない状態になりました。

  原因は西国街道と言う文字。

  播磨地方の街道について、Wikiから他人のブログ、ホームページまで広く渉猟しての結論から、北条町は西国街道の宿場町ではないはずですね。

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  大歳(年)神社(おおとしじんじゃ)の鳥居。

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  神社の社殿。

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  右下の文字に隠れていますが三井住友銀行から北西に歩きます。

大きな地図で見る

 

  大歳神社の鳥居を振り返って。さらに北西に歩いて行きます。

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  道路の奥に一段高い屋根が見えますが、これが酒見寺(さがみじ/さがみでら)の楼門です。

  しかし、この時点では全く気づかず、先に住吉神社の鳥居が目に入ってきます。

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  そして、いきなり楼門の前に出てびっくりしました。

  酒見寺(さがみでら/さがみじ)楼門。

  江戸時代、文政8年(1825年)の再建。

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  本堂。元禄2年(1689年)再建。

 

  酒見寺は開創が天平17年(745年)。

  平治の乱(1159年)で全山焼失。

  再建後の2度目の全山焼失が戦国時代の天正年間(16世紀後半)。

  江戸時代には姫路藩領となり池田輝政の、輝政移封後は本多忠政の援助を受けて寛永年間(1624~43年)に再興されました。

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  国指定の重要文化財 酒見寺の多宝塔。

  寛文2年(1662年)再建

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  多宝塔の手前にある地蔵堂。

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  本堂。

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  引聲堂(常行堂)。

  播州酒見念仏の道場と説明板にあります。

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  楼門を境内の内から。

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  本堂。

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  本堂前から多宝塔と地蔵堂。

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  こちらは本坊。

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  本堂の右側には彩色された鐘楼。

  寛文4年(1664年)の再建。

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  本堂の前、向かって左手の石橋を渡って住吉神社へ。

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  撮影 2013/09/08

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2013年9月25日 (水)

2013年9月の旅行 - 粟生駅(あおえき 兵庫県小野市)から北条鉄道で北条町駅へ(ほうじょうまちえき 兵庫県加西市)

 

  加古川線の粟生駅から分岐している北条鉄道で加西市北条町を散策しました。

この日で旅程の4日目ですが、天気は曇り時々雨というあいにくの空模様。

しかし傘が必要と言うわけでも無いのが救いでした。

 

  北条町(ほうじょうちょう)は現加西市の中心部をなす町で、北播磨に位置しており宿場町としてのみならず住吉神社、酒見寺(さがみじ、さがみでら)の門前町としても栄えました。

播磨地方の海岸部を明石から加古川、御着、姫路と東西を結んでいる西国街道がありますが、その加古川、姫路と三角形をなす位置の北播磨に北条町があります。

姫路から北へ但馬街道(現在ではJR播但線沿線)、加古川から北へ加古川に沿って現在ではJR加古川線が南北に通じていますが、その途中、西の播但線沿いでは福崎町、東の加古川線沿いでは小野市、加東市、西脇市等に東西を挟まれた位置に北条町のある加西市があります。

直接北条町から西国街道に繋がる旧街道としては現在の国道43号線の旧北条街道(高砂街道)が北条町と高砂を結んでいました。

 

  そんな位置にある北条町を訪れるのは今回が二度目で、前回は酒見寺の多宝塔が目当てで訪れました。

しかし、酒見寺や住吉神社とならんで北条町の必見であろうという五百羅漢を前回は見過ごし、今回はこの五百羅漢の羅漢寺を目的に北条町に入りました。

 

  粟生駅(あおえき)にて。北条鉄道の車両が到着。

  女性の可愛らしい運転手さんでした。帰りはもう一人の女性運転手さん。

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  しばし、乗降客で賑わいます。

  運賃は運転手さんに。

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  西脇市方面からの103系電車の到着、加古川行き。

  この電車の到着を待って北条町(ほうじょうまち)行きが出発。

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  沿線風景。少し見苦しい写真ですが。

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  北条町(ほうじょうまち)駅に到着。

  所要時間は22分でした。

  運行本数は1時間に1本あります。

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  北条町駅駅舎。

  観光案内所があります。ここで地図やパンフレットを揃えます。

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  駅前を横切る大通り(県道23号線)に架かる歩道橋下から駅舎。

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  歩道橋から西方向(正確には北西方向)。

  交差点を右へ曲がり、次の信号を左へ、そこから旧北条町(ほうじょうちょう)の古い町並みに入ります。

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  撮影 2013/09/08

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2013年9月21日 (土)

2013年9月の旅行 - 姫路駅から加古川駅、粟生駅(あおえき 兵庫県小野市)へ

 

  「青春18きっぷ使い切り旅行」の四日目の姫路は雨でした。

一日目は岐阜から神戸までの移動、二日目は高松で玉藻公園散策、三日目はジャンボフェリー昼行便での神戸までの航海で、この日が四日目。

二日目は大変天気に恵まれましたが三日目、四日目は終日雨模様となりました。

本来の予定では四日目は姫路駅前から神姫バスで法華山一乗寺を訪れ、その後北条鉄道法華口駅から北条町、さらに北条町からJR加古川線粟生駅まで戻り、粟生からは神戸電鉄の三木上の丸駅下車で三木城跡を訪れる予定でした。

しかし、雨の日に斜面のある一乗寺や三木城跡を訪れても楽しめない可能性が大きいと考え、取り敢えず北条町を目指して、姫路駅に向かいました。

 

  姫路駅。

  駅ビル「ピオレ」右は展望デッキだそうです。

  まだ、更地部分も多く、再開発事業は続いているようです。

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  姫路駅にて。

  播但線用塗色の103系。

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  駅前大通りの先にある修理工事中の姫路城大天守とその横の小天守。

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  姫路駅 姫新線、播但線ホームから山陽線ホーム。

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  姫路から加古川へ移動。

  加古川駅にて。

  加古川線塗色の103系。

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  右が加古川線125系、左が103系。

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  粟生(あお)駅に到着。

  粟生駅は小野市に属します。

  駅外に出ていないので駅舎の写真はありません。

  加古川駅から乗車してきた103系電車。

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  こちらは粟生駅の神戸電鉄粟生線電車。

  神戸の湊川から新開地、鈴蘭台乗換えで有馬温泉、三田方面等へ通じています。

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  数分の接続で出発して行きました。

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  北条鉄道の車両が到着。

  粟生駅では折り返しのみ。

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  撮影 2013/09/08

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2013年9月19日 (木)

2013年9月の旅行 - ジャンボフェリー昼行便で高松から神戸へ(2)小豆島から神戸へ

 

  高松からのジャンボフェリー昼行便は小豆島坂手港に寄港して、時折降る小雨の中、神戸に向かいました。

ジャンボフェリー昼行便の利用は今回で二度目ですが、前回は客室でゴロゴロしていたみたいで、あまり外に出ることも無く、海の景色も見ることなく神戸に着いてしまいました。

今回は、一階客室後ろのデッキのベンチで休みながら最上階のデッキで写真を撮る、の繰り返しで、神戸までの航海をある意味では楽しめました。

 

  小豆島坂手港。

  10人ほどでしょうか、お客さんを拾って出発。

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  船上には細い雨が降り注いでいるのですが。

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  右手に遠く見える、多分鳴門海峡大橋。

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  これも右手に淡路島。

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  最上階のデッキはずぶ濡れとなってきました。

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  見えてきた明石海峡大橋。

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  肉眼ではこんな感じ。

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  船の往来が多くなってきました。

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  見覚えのあるフェリーが見えました。

  九州へはよく利用する名門大洋フェリー。

  時間から勘案するに新門司港行き第1便ですね。

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  右に淡路島を見ながら大橋をくぐります。

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  こちらは左舷の舞子方面。

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  神戸港まではあと1時間ぐらい。

  到着後、神戸三ノ宮駅からJRで姫路に向かい、姫路で一泊しました。

  あくる日の天気も雨の予報です。

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  撮影 2013/09/07

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2013年9月18日 (水)

2013年9月の旅行 - ジャンボフェリー昼行便で高松から神戸へ(1)小豆島まで

 

  「青春18きっぷ使い切り旅行」の二日目(実際には移動日を含めて3日目)は高松から神戸までのジャンボフェリー昼行便による移動に終始しました。

予定では琴電で仏生山の法然寺を訪れるつもりでしたが、体調を考慮してジャンボフェリー深夜便を回避して当日中に神戸へ渡り、前日に急遽宿を予約した姫路へ向かうことに。

この日は高松では朝に強い雨が降ったりして不順な天候で、どこへ行くという事も無く過ごしました。

土曜日でしたのでジャンボフェリーの昼行便は平日よりも30分早い14時30分の出港。

神戸には19時到着で十分姫路まで到達できる時間です。

連絡バスは高松駅前発13時25分と14時の2本で、私は前者のバスでフェリー乗り場へ向かいました。

2013年10月1日からは連絡バス乗り場は現行の高松港旅客船ターミナルビル横&ことでん築港駅前・2番バス停の二ヶ所から 「高松駅 バスターミナル・8番バス停」一ヶ所となるので気をつけたいところです。

 

  ジャンボフェリー乗り場。

  昼行便利用は二度目ですが、前回はほとんど覚えていません。

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  定刻に出港。天候は良くありません。

  途中、小豆島へ寄港します。

  最近は、毎年「瀬戸内国際芸術祭」が催されていて、そのせいなのかは分かりませんが、ジャンボフェリーがどの便もかなり混むようになりました。

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  高松駅前付近の高層ビル。

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  東には屋島が見えます。

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  屋島の先端部。

  前を横切ります。

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  最上階のデッキ。

  風雨にさらされるのでベンチは一切ありません。

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  右が屋島、左には五剣山がある庵治半島(というらしい)。

  源平合戦の「屋島の戦い」はこのあたり(ここも壇ノ浦という)で行なわれました。

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  すれ違ったフェリー。

  ジャンボフェリーではないか?と。

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  大きく写してみたら胴体にジャンボフェリーの文字がありました。

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  小豆島が見えてきました。

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  接岸中。

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  小豆島坂手港です。

  海上保安庁の巡視艇と「瀬戸内国際芸術祭」関連のオブジェ(でしょう)。

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  撮影 2013/09/07

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2013年9月16日 (月)

2013年9月の旅行 - 高松城 (玉藻公園 香川県高松市)(5) 城跡外周

 

 

  9月上旬の「青春18きっぷ使い切り旅行」は高松での玉藻公園(たまもこうえん 高松城跡)の散策で始まりましたが、体調不良のため高松での観光はお昼からの開始となり、高松での滞在中に訪れることができたのは玉藻公園のみとなりました。

当日は高松で一泊して翌日の午後のジャンボフェリーで神戸にもどり、高松では全体として内容の薄い旅行となってしまいました。

玉藻公園内の散策のあとは、城外北側を歩いて、琴電高松築港駅から瓦町駅へ向かいました。

 

  艮櫓(うしとらやぐら)(旧太鼓櫓跡)と琴電。

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  再び北へ引き返して旭門と旭橋。

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  園内案内図。

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  東門の東から北方向の部分を拡大してみました。

  東門前を北に道をとり突き当たって右へ曲がるとすぐに石垣が見えます。

  ここに艮櫓(うしとらやぐら)が元々存在した櫓台が残っています。

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  石垣の上の覆いのような物は何でしょうね?

  後世に改変されたことは分かりますが、石垣上部を保護しようとしているんでしょうか?

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  旧東の丸艮櫓(うしとらやぐら)の櫓台跡。

  艮櫓(うしとらやぐら)は、琴電の線路そばのお堀端に移築される前はここに現存していました。

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  南北のフェリー通りと東西の水城通りの交差点。

  歩道橋の上から。

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  こちらが西方向の水城通り。

  月見櫓が見えますね。

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  宇野へのフェリーや小豆島、直島等へのフェリー乗り場がいくつも集中している高松港。

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  宇野行きフェリー乗り場。

  宇野~高松航路はつい最近まで宇高国道フェリー、本四フェリー、四国フェリーが存在しましたが、

  採算の悪化で同航路で現在運行されているのはこの四国フェリーのみとなりました。

 

  2011年8月に私も宇野まで利用しました。

  その時の記事【夏の旅行 四国高松港から宇野港へ - 1時間で瀬戸内海を対岸へ】。

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  水城通りに面してある月見櫓。

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  水城通りを挟んで海側の公園には報時鐘というお城風の建物が。

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  月見櫓と水門、水門を挟んで渡櫓。

  いずれも現存遺構で重要文化財に指定されています。

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  玉藻公園の北側に位置する城外の公園から。

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  説明写真。

  玉藻公園西側から右手の白い建物が琴電高松築港駅駅舎。

  左に玉藻公園西口。

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  サッカーJFLの「カマタマーレ讃岐」は9月15日現在首位と健闘しています。

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  琴電の高松築港駅にて。

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  撮影 2013/09/06

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2013年9月14日 (土)

2013年9月の旅行 - 高松城 (玉藻公園 香川県高松市)(4) - 桜御門跡から東門、旧東之丸艮櫓(うしとらやぐら)

 

  高松市の高松城跡である「玉藻公園内」の散策も最後。

三の丸から南に桜御門跡を抜けると桜の馬場で、その東に艮櫓(うしとらやぐら)、そして公園の東門があり、玉藻公園内の散策はこれで終りです。

その後、東門から北にあたる旧東の丸跡の県民ホール等から水城(みずき)通りを海岸沿いに城外北側を歩いて、元の公園西口、琴電高松築港駅へ戻って高松城跡の見納めとしました。

 

  いつもの「余湖くんのホームページ」からの引用図。

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  園内の案内図。

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  三の丸内から桜御門跡。

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  手前の石垣が三の丸、向こうが本丸と天守台。

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  桜御門跡から斜め左に行くと旧東の丸から移築された艮櫓(うしとらやぐら)が見えてきます。

  1965年、市によって旧太鼓櫓跡に移築されました。

  艮櫓(うしとらやぐら)は現存遺構で重文指定を受けています。

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  旧東之丸艮櫓(うしとらやぐら)。城内からの姿。

  旧東の丸から現在地に移築されました。

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  公園東口出入り口間際にある埋門(うずみもん)。

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  公園の外に出て、旭門(現存遺構)と旭橋。

  旭橋は明治になってから石造りとなりました。

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  すぐ南には琴電の踏切りがあります。

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  踏切りを渡って南には「瀬戸大橋通り」と名付けられた東西の大通りがあります。

  そこからの艮櫓(うしとらやぐら)と旭橋。

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  撮影 2013/09/06

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2013年9月13日 (金)

2013年9月の旅行 - 高松城 (玉藻公園 香川県高松市)(3) 三の丸 披雲閣(ひうんかく)と内苑御庭(ないえんおにわ)

 

  「青春18きっぷ使い切り旅行」で最初に訪れたのは高松市の玉藻公園(たまもこうえん)。

その玉藻公園(たまもこうえん 高松城跡)西口から二の丸へ入り、天守閣再建をにらんだ天守台の解体修復作業を終えて今年(2013年3月)から公開されている本丸の天守台に登りました。

そして、ここから二の丸を一度引き返して東に位置する三の丸へ向かいます。

三の丸には江戸時代の規模には及ばないものの再建された旧松平家別邸と内苑御庭(ないえんおにわ)があります。

 

  ちなみに、高松藩は生駒家4代を経て、1642年水戸藩初代藩主の徳川頼房の長子である松平頼重が常陸下館5万石から当藩に12万石で転封され、明治まで11代にわたり高松藩主を務めました。

 

  いつもの「余湖くんのホームページ」からの引用図です。

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  二の丸と三の丸の間には水門があり、現在も海と直接繋がっているという事です。

  そこからの天守台。

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  三の丸城内からの月見櫓。

  水門、渡櫓と一体となっており、いずれも現存遺構で重文指定となっています。

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  内苑御庭(ないえんおにわ)へ入ってみます。

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  旧松平家別邸の披雲閣(ひうんかく)。

  現在の建物は1917年(大正6年)の再建によるものです。

  2012年に重要文化財に指定。

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  三の丸からの鞘橋。

  右が二の丸、左が本丸です。

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  三の丸からの本丸の天守台。

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  天守台東側から。

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  園内案内図。

  披雲閣の南まで来ています。

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  披雲閣の正面入り口。

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  その右手に陳列館という建物。

  狭いながらも「資料館」ですので、一見の価値はあります。

  無料です。

 

  ここからは桜御門跡から東門へ。

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  撮影 2013/09/06

 

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2013年9月12日 (木)

2013年9月の旅行 - 高松城 (玉藻公園 香川県高松市)(2) 天守台

 

  9月上旬の「青春18きっぷ使い切り旅行」ともいうべき今回の旅行は、8月の猛暑と天候不順が主たる原因でなかなか出かけるきっかけがつかめず、その結果ずるずると9月までずれ込み、しびれを切らしてやっと出かけたものの、天候不順は続き、体調不良も重なって、さらに無理な旅行計画で結果は散々となりました。

数箇所の観光目的地の内、達成できたのは僅かに2箇所という結果に終りました。

高松城(玉藻公園)はそのうちの訪れることのできた一つで、振り返れば天守閣再建をにらんでの解体修復工事が成った天守台を見ることができたのは最大の成果で、これだけでも良しとするべきかもしれないですね。

目的地はいくつも訪れ損ないましたが、ジャンボフェリーの昼行便で小豆島や瀬戸内海の景色を眺めることができ、高松市内の普段歩かないアーケード商店街を散策できたのもとても良かったと思っています。

 

  今年(2013年)の3月から公開されている解体修復工事の成った高松城天守台。

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  いつもの「余湖くんのホームぺージ」からの引用図。

  西の丸あたりが現在の琴電高松築港駅。

  玉藻公園西口は二の丸への入り口あたり。

  二の丸と本丸をつないでいるのが屋根つきの橋である鞘橋(さやはし/さやばし)。

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  いかにもピカピカという感じの登り口。

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  天守台内部。

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  天守台から、本丸と二の丸とをつなぐ鞘橋。

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  発掘の結果、地下一階が発見されたという事です。

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  こちらは三の丸。

  再建された御殿の披雲閣等があります。

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  左が二の丸、右が三の丸。

  間に水門がありました。

  昔はすぐ外が海、しかし現在は水城(みずき)通りと公園、フェリー乗り場等があります。

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  鞘橋を二の丸へ戻ります。

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  以下2枚は1998年3月当時の天守台の様子。

  天守台には1901年~02年に建築された松平家初代藩主松平頼重を祀った玉藻廟がありました。

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  そして、現在の天守台。

  玉藻廟は2006年に記録保存の上、解体されました。

  高松市公式ホームページ。天守台の解体等の写真つき解説あり。

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  撮影 2013/09/06

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2013年9月10日 (火)

2013年9月の旅行 - 高松城 (玉藻公園 香川県高松市)(1) 鞘橋(さやばし/さやはし)と天守台

 

  青春18きっぷの期限切れ間際の9月上旬の旅行。

計画性の杜撰(ずさん)さと天候の不順、そして自らの体調の不調であまりかんばしい旅行とはなりませんでした。

旅行日程には変化がありませんでしたが、予定していた計画は修正と未達成の連続で、当初の目論見とは全く異なる旅行となってしまいました。

 

  異変は早くも二日目にやってきました。

早朝の高松駅前、どうも寝不足のせいか体がだるくて観光しようという情熱が出てきません。

 

  早朝の高松駅前

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  もともと高松では高松城か仏生山の法然寺という目的地以外ぼんやりとした計画しか持たず、それが一因で最初の一歩が踏み込めなくて、結局、インターネットカフェに潜り込み4時間の睡眠。

睡眠前に、明日(みょうにち)はフェリーの深夜便ではなく昼行便で神戸に帰る算段に変更し、それに伴い姫路に宿を予約確保。

そして、一眠りして後、昼前にはやっと元気を取り戻し、天守復元の手始めに天守台が改修されたと言う高松城跡(玉藻公園)を訪れました。

 

  玉藻公園西口。

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  公園西口すぐ南にある琴電の高松築港駅。

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  高松築港駅長尾線の電車。

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  玉藻公園西口前の光景。

  左手奥に高松駅の顔が僅かに覗いています。

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  公園に入るのは久し振りです。

  入園料は200円(子供100円)。

  もし天守閣が復元されたらもう少し入園料を高くしても良いかも。

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  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図です。

  西口からは二の丸へ入る形となります。

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  入って右手へ、鞘橋(さやばし/さやはし)が見えます。

  どうやら1971年の復元橋らしく、本丸と二の丸との唯一の通路です。

  様々な鞘橋の資料を見ても橋が復元かどうかの記述がなく、こちら(木橋資料館)を参考にしました。

  上の図で現在の琴電高松築港駅は西の丸(堀も含む)に位置するようです。

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  「さやはし」、「さやばし」?どちらの呼称が正しいのでしょうか?

  地元ボランティアさんのHP(ブログ)では「さやはし」とありましたが、上記にリンクした「木橋資料館」では「さやばし」となっています。

  どちらでも可なんでしょうか?

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   鞘橋から高松築港駅が望めます。

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  本丸から。

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  鞘橋からの天守台。

  天守台は2007年から解体修復工事が行なわれ(それに先がけ2006年に発掘調査)、去年(2012年1月)完成し今年(2013年)3月から公開の運びとなりました。

  解体修復過程の写真はこちらでどうぞ。

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  撮影 2013/09/06

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2013年9月 5日 (木)

天守閣の無い天守台 (2) - 江戸城

 

  天守閣の無い天守台の内でもとびきり巨大であったのが江戸城の天守台でした。

現在、江戸城は皇居もしくは宮城と呼ばれていますが、御所や宮殿の敷地は吹上庭園と旧西の丸にあり、旧本丸、二の丸、三の丸は皇居東御苑として開放され、見学が可能です。

私も2002年に見学をしてきました。

入り口で番号札を渡され、帰りはそれを返す仕組みで、場所が場所であるだけに厳重な出入りの管理がされていました。

しかし、中では全くの自由で、帰りは北から出たような記憶があります。

江戸城本丸の天守は家康の改築以後1607年、1623年、1638年と三度築かれていますが1657年の焼失後は天守台のみ築かれるも天守は築かれず、以後は富士見櫓を実質の天守として、現在に残る天守台の上に天守が築かれることはありませんでした。

 

  江戸城の天守台。

  この上に五重の天守を再建しようとしていたのですね。

  しかも、焼失前の石垣より高さが縮小されているそうです。

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  人との比較でその大きさが分かります。

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  城内には番所も現存しています。

  百人番所。

Hyaku

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  同心番所。

Dousin

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  撮影 2002/12/18

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2013年9月 4日 (水)

天守閣の無い天守台 (1) - 日出城(ひじじょう 別名暘谷(ようこく)城 大分県日出町(ひじまち))、萩城(山口県萩市)

 

  90年代以降、多くのお城を訪ねましたが、最初は現存であろうが模擬であろうがまず天守閣のあるお城を目指して旅をしました。

しかし、そのうち天守閣の無いお城も訪れるようになり、門や櫓、石垣等のそれぞれにもお城としての魅力を感じるようになり、最近ではとうとう病が高じて僅かな土塁の形骸にも感嘆したりするようになりました。

当然、石垣と縄張りがしっかりと残っている城は、私にとっては充分に鑑賞の価値のあるお城ですが、とりわけ、天守閣が無くても残存している天守台は大変に価値のある遺構といえましょう。

天守台の残っているお城にはかなりの確率で天守閣が復元、もしくは復興、模擬と言う形で再建されている場合が多く、天守台のみ残っているというのが、これがまた魅力的でもあるのです。

今日紹介する萩城などは古写真も残っており地元は再建したいと願っているようですが、図面の有無や財政等の問題などで、まだ実現は先の話のようですね。

法律の壁(建築基準法、消防法)や財政の問題、用材の確保などで木造による再建はなかなか困難が伴いますが、伊予大洲城のように再建することができた先例もありますので、天守閣再建を推し進めている萩市や高松市には粘り強く継続して頂きたいですね。

 

  最初は大分県日出町(ひじまち)にある日出城(暘谷城ともいう)の天守台。

本丸がまるまる日出小学校の用地で、校舎とグラウンドで占められています。

そのグラウンドの隅に天守台があります。

私が訪れたのは2011年1月4日で学校は冬休み。

海側からグラウンドに入る通路は開放されていて、天守台の登り口も開放されていました。

 

  下は本丸入り口で、堀に橋が架かっていますが、同時に小学校の正門です。

  ここからは遠慮しました(入れなかったかも知れない)。

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  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

「余湖くんのお城のページ」(トップページではない)へのリンク先。

 

  日出藩は豊臣秀吉の正妻であった高台院(「ねね」もしくは「おね」)の兄の木下家定の三男 木下延俊が藩祖。

木下延俊は関ヶ原の戦いで東軍に属して日出3万石で日出藩を立藩。

日出藩木下家は一度も移封無く、明治まで日出を領しました。

 

  なお、父の家定は高台院を守護して中立の立場を貫き、戦後、備中国足守藩2万5千石(現岡山市北区)を得ています。

家定死後には勝俊(長男)と利房(次男)が争い一度は所領を没収されるも、木下利房が大坂の陣での功績で足守藩主に返り咲き、明治まで当地を治めました。

 

  ちなみに木下家定の5男(何人目かは諸説あり)が関ヶ原の戦いでの寝返りの小早川秀秋(小早川家への養子)。

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  上の図、天守の右側にあるお堀越しに撮った天守台。

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  グラウンド内にある天守台からの別府湾の眺望。

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  この付近の別府湾で捕れる「城下かれい」は江戸時代からの美味。

  江戸時代には将軍献上品でもあり、武士のみが食することができたという事です。

  現在では町にお店がいくつかあります。

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  戦国時代の西国の雄、毛利家の江戸時代のお城である萩城(別名指月城)。

  中国地方に覇権を唱えていた毛利家は関ヶ原の戦いで西軍の総大将となり、敗戦後は120万石(実高は200万石とも)といわれた領地を周防・長門2国36万石余(あくまで表高)に減封され、居城も山口、防府、萩の候補地から幕府に伺いを立てるも最も辺鄙な萩に築城を命じられ、藩庁は萩城ということになりました。

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  奥が天守台。

  天守閣の古写真が残っています

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  二の丸東側の潮入門跡と銃眼土塀。

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  萩の町並み。

  萩全体を巡るにはレンタサイクルが便利です。一日ではとても回りきれません。

  レンタサイクルは東萩駅前に2軒、お城跡の南側に2軒あります。

 萩市観光ポータルサイト レンタサイクル。

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   撮影  日出城 2011/01/04   萩城 2009/08/26

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2013年9月 1日 (日)

山形駅にて 2013年7月 - 山形市内散策前後

 

  前日に仙台から山形に入り、翌日、山形市内の霞城公園(かじょうこうえん 山形城跡)や旧山形県庁舎と議事堂の「文翔館」を訪れましたが、その前後の山形駅の様子。

当時、同じ山形県でも庄内地方、特に鶴岡市周辺では豪雨に見舞われていましたが、山形市内は天候に恵まれました。

この翌日にも山形市内になる山寺「立石寺」を訪れましたが悪い天候ではありませんでした。

 

  山形駅の高架駅舎を東から西へ抜ける途中、左沢線(あてらざわせん)用気動車のキハ101形を見かけました。

  向こうが北で、新幹線の新庄方面、仙山線仙台方面、左沢線はこちらの方向へ出発します。

  中央左手にこんもりとした木々が見えますがこれが山形城跡本丸の南東部です。

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  駅西口の線路沿いから先ほどの気動車。

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  市内観光から帰り、上山市方面に向かう途中、山形駅にて。

  向こう側が仙山線E721系。

  手前は切り欠きホーム6番線の左沢線気動車。4両編成となっています。

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  山形新幹線E3系と回送の719系5000番台。

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  左沢線4両編成の気動車が出発して行きました。

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  撮影 2013/07/19

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