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2013年9月 4日 (水)

天守閣の無い天守台 (1) - 日出城(ひじじょう 別名暘谷(ようこく)城 大分県日出町(ひじまち))、萩城(山口県萩市)

 

  90年代以降、多くのお城を訪ねましたが、最初は現存であろうが模擬であろうがまず天守閣のあるお城を目指して旅をしました。

しかし、そのうち天守閣の無いお城も訪れるようになり、門や櫓、石垣等のそれぞれにもお城としての魅力を感じるようになり、最近ではとうとう病が高じて僅かな土塁の形骸にも感嘆したりするようになりました。

当然、石垣と縄張りがしっかりと残っている城は、私にとっては充分に鑑賞の価値のあるお城ですが、とりわけ、天守閣が無くても残存している天守台は大変に価値のある遺構といえましょう。

天守台の残っているお城にはかなりの確率で天守閣が復元、もしくは復興、模擬と言う形で再建されている場合が多く、天守台のみ残っているというのが、これがまた魅力的でもあるのです。

今日紹介する萩城などは古写真も残っており地元は再建したいと願っているようですが、図面の有無や財政等の問題などで、まだ実現は先の話のようですね。

法律の壁(建築基準法、消防法)や財政の問題、用材の確保などで木造による再建はなかなか困難が伴いますが、伊予大洲城のように再建することができた先例もありますので、天守閣再建を推し進めている萩市や高松市には粘り強く継続して頂きたいですね。

 

  最初は大分県日出町(ひじまち)にある日出城(暘谷城ともいう)の天守台。

本丸がまるまる日出小学校の用地で、校舎とグラウンドで占められています。

そのグラウンドの隅に天守台があります。

私が訪れたのは2011年1月4日で学校は冬休み。

海側からグラウンドに入る通路は開放されていて、天守台の登り口も開放されていました。

 

  下は本丸入り口で、堀に橋が架かっていますが、同時に小学校の正門です。

  ここからは遠慮しました(入れなかったかも知れない)。

Dsc00773

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」からの引用図。

「余湖くんのお城のページ」(トップページではない)へのリンク先。

 

  日出藩は豊臣秀吉の正妻であった高台院(「ねね」もしくは「おね」)の兄の木下家定の三男 木下延俊が藩祖。

木下延俊は関ヶ原の戦いで東軍に属して日出3万石で日出藩を立藩。

日出藩木下家は一度も移封無く、明治まで日出を領しました。

 

  なお、父の家定は高台院を守護して中立の立場を貫き、戦後、備中国足守藩2万5千石(現岡山市北区)を得ています。

家定死後には勝俊(長男)と利房(次男)が争い一度は所領を没収されるも、木下利房が大坂の陣での功績で足守藩主に返り咲き、明治まで当地を治めました。

 

  ちなみに木下家定の5男(何人目かは諸説あり)が関ヶ原の戦いでの寝返りの小早川秀秋(小早川家への養子)。

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  上の図、天守の右側にあるお堀越しに撮った天守台。

Dsc00826

 

  グラウンド内にある天守台からの別府湾の眺望。

Dsc00809

Dsc00811

 

  この付近の別府湾で捕れる「城下かれい」は江戸時代からの美味。

  江戸時代には将軍献上品でもあり、武士のみが食することができたという事です。

  現在では町にお店がいくつかあります。

Dsc00784

 

  戦国時代の西国の雄、毛利家の江戸時代のお城である萩城(別名指月城)。

  中国地方に覇権を唱えていた毛利家は関ヶ原の戦いで西軍の総大将となり、敗戦後は120万石(実高は200万石とも)といわれた領地を周防・長門2国36万石余(あくまで表高)に減封され、居城も山口、防府、萩の候補地から幕府に伺いを立てるも最も辺鄙な萩に築城を命じられ、藩庁は萩城ということになりました。

P8260155

 

  奥が天守台。

  天守閣の古写真が残っています

Pict0017

 

  二の丸東側の潮入門跡と銃眼土塀。

Pict0004

 

  萩の町並み。

  萩全体を巡るにはレンタサイクルが便利です。一日ではとても回りきれません。

  レンタサイクルは東萩駅前に2軒、お城跡の南側に2軒あります。

 萩市観光ポータルサイト レンタサイクル。

P8260171

P8260186

   撮影  日出城 2011/01/04   萩城 2009/08/26

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コメント

今年は広範囲で豪雨被害が出ていて不気味です。今日4日は東海地方も大変だったそうですね。大阪南部も大粒の雨で、大阪ではじめてずぶ濡れで帰宅しました。

写真を拝見すると、天守台だけでも迫力がありますね。昨年東京の城跡めぐりをしましたが、天守台どころか石垣が残っていればラッキーで、ほとんどがこの辺にあったようだという状況でした。石垣や壕が残っていればそれだけでも史料になりますし、勝手に昔時を偲ぶことができます。開発の嵐に抗した人々の努力のたまものなのでしょう。ただ、写真に写っている町並みは東京ではお目にかかることはできませんでした。
大阪城は何度かそばを通りました。まだ中に入っていませんが、造幣局から天守閣の全貌を展望できました。いつも自転車で出かけた「ついで」で立ち寄るので、中に入る時間がとれなくて残念です。

投稿: ddol | 2013年9月 4日 (水) 19時38分

岐阜県、愛知県のJR、名鉄ともにほとんどが不通となり、現在(22時30分)も雷鳴が轟いています。

東京は東京で見所はあると思うんですよね^^。
江戸城の天守台もいずれ登場しますが本当に巨大でした。

大阪城は、有料なのは天守閣と西の丸庭園だけなので、自転車で天守閣の下まで行けるんではないでしょうか。
時間があればぜひ入って見て下さい。
六番櫓や大手門等現存遺構も多く残っています。
NHK大阪放送局の前付近から行ってみるといいですよ^^。

現在の大阪城は徳川家のお城で、豊臣家の城を埋めてその上に築城されたものです。
関係者のみしか入れませんが、豊臣時代の石垣等の遺構が地下で見ることができるそうです。

投稿: mino | 2013年9月 4日 (水) 22時29分

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