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2013年11月23日 (土)

定光寺(じょうこうじ 愛知県瀬戸市 尾張徳川家菩提寺の一つ)を訪れる2013年(3)源敬公廟(げんけいこうびょう)尾張徳川藩祖義直の墓

 

  定光寺の文化財として、源敬公廟(げんけいこうびょう)は本堂と共に主要なな文化財となっています。

定光寺で重文指定されているのは本堂ならびに太刀二振りと源敬公廟(げんけいこうびょう)関連の六棟一基。

源敬公廟(げんけいこうびょう)関連の六棟一基の打ち分けは「獅子の門」、「竜の門」、「築地塀」、「焼香殿(祭文殿)」、「宝蔵(祭器蔵)」、「唐門」、「源敬公墓 附:参道、殉死者墓9基、石柵4所」となっています。(Wiki参照)

 

  源敬公廟(げんけいこうびょう)への入り口。

  拝観料は100円。門左の箱に入れます。

Dsc02279

 

  源敬公略歴の案内板。

  源敬公は徳川義直の諡号(しごう)。

  諡号とは「生前のおこないをたたえ、死後におくる名。おくりな。」(Weblio 辞書より)。

 

  徳川義直は家康の九男。

  慶長8年(1603年)、(義直の)幼名五郎太丸時代に甲斐25万石を拝領し甲府藩主となる。

  ただし実際の統治は家康の家臣平岩親吉が行なう。
  平岩親吉は義直が清洲藩主となると附家老として犬山城主となり藩政を執行しましたが慶長16年(1611年)に名古屋城で死去。

  前後しますが、慶長11年(1606年)に義直は元服。

  翌慶長12年(1607年)、兄の松平忠吉の死去により尾張国清洲藩主となる。

  慶長14年(1609年)、天下普請により名古屋城が築城され、直義自身はは元和2年(1616年)に尾張に入国しています。

  義直の戦歴は大阪冬の陣(慶長19年(1614年))で初陣、翌年の大坂夏の陣にも岡山口の後詰として参陣しています。

 

  尾張藩はご存知のように御三家の家柄で、尾張一国と美濃、三河及び信濃(木曽の山林)の各一部を治め表石高は61万9500石。(以上Wiki等参照)

  私が住んでいる岐阜市の内、道三・信長の旧岐阜城下であった岐阜町は尾張藩領でした(現在の岐阜駅以南は加納藩領)。

  他にも美濃における尾張藩領は多く、尾張藩は美濃国で最大の領地保有者でした。

  【今昔マップ】古くは19世紀末の地図と現代の地図の比較ができます。

Dsc02280

 

  門内に入ります。

Dsc02281

 

  右手へ石畳の坂道。

Dsc02282

Dsc02284

 

  重文「獅子の門」。

  外側には門を保護するための家屋。

  したがって見ているのは外側の覆いです。

Dsc02285

 

  「獅子の門」と覆い。

Dsc02288

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  やがて見えてきた「竜の門」と「築地塀」。

  やはり「竜の門」には覆いがしてあります。

Dsc02290

Dsc02294

 

  「築地塀」と覆いの中の「竜の門」が重文。

Dsc02296

 

  源敬公廟全体が築地塀に囲まれています。

  竜の門を内側から。

  外側が単なる覆いであるとよく分りますね。

Dsc02298

  「焼香殿(祭文殿)」ごしに廟の「唐門」。

  「焼香殿(祭文殿)」も全体に建物で覆いがされています。

Dsc02299

 

  「焼香殿(祭文殿)」を右手に回ると「殉死者の墳墓」があります。

  こちら側に「宝蔵(祭器蔵)」があったようですが気づきませんでした。

Dsc02300

 

  「殉死者の墳墓」の前は「石柵」で囲われており、それも重文指定対象だと思われます。

Dsc02303

 

  「源敬公墓」の前にある「唐門」。

Dsc02306

 

  横から見ると「源敬公墓」が見えます。

Dsc02309

 

  〔二品前丞相尾陽候源敬公墓〕と読めます。

  丞は少し自身が無いのですが、文脈と形から・・。

Dsc02310

 

  「獅子の門」まで戻って来ました。

Dsc02314

 

  本堂を門内から。

Dsc02319

  撮影 2013/11/16

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コメント

>私が住んでいる岐阜市の内、道三・信長の旧岐阜城下であった岐阜町は尾張藩領でした。
>他にも美濃における尾張藩領は多く、尾張藩は美濃国で最大の領地保有者でした。
そうなんや。尾張藩のおかげで美濃はひどい目にあったんやないかと思ってたけど、尾張領が多かったんやね。

>徳川義直
家康は、不遇の時代が長かったからか子どもをつくるのが遅い。一つ目の契機は、武田の脅威がさった40代前後。二つ目は、秀吉政権に組み込まれた後の50~60歳でこの時期が多い。老いてなお盛んやなあ^^

>「殉死者の墳墓」
義直に殉死するとは^^;「カブキ」な時代やね。日本における殉死の系譜は面白いテーマやと思ってるんやけど、「遅れてきた青年」は乃木さんかなあ。

投稿: tera | 2013年11月26日 (火) 06時34分

尾張藩のおかげで美濃はひどい目にあったんやないかと思ってたけど、
>有名なのは、木曽川の堤防の高さが美濃側より尾張側が高く造ってあって、尾張側に洪水が起きないようにしてあったと、小さい時に聞いた覚えがあります。
しかし、単なる伝承だろうと言うのをその後聞きましたが、それについては、Wiki情報ですが、そこにも述べられています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%9B%B2%E5%A0%A4

いわゆる「御囲堤」の話の中に出てきます。

義直に殉死するとは^^;
>そ、そうですね^^;

乃木さんも、「軍神」などと持ち上げられてなかったら、と思います。
ご夫人も一緒にお亡くなりになってるんですよね。

家康は、不遇の時代が長かったからか子どもをつくるのが遅い。
>一夫多妻制というのは時代によっては合理的な制度であったと思いますが、現代では色々言われてしまいますからね~^^;。

投稿: mino | 2013年11月26日 (火) 16時38分

>尾張藩のおかげで美濃はひどい目にあったんやないかと思ってたけど、
>>有名なのは、木曽川の堤防の高さが美濃側より尾張側が高く造ってあって、尾張側に洪水が起きないようにしてあったと、小さい時に聞いた覚えがあります。

そうなんや。堤防の高さの話は確かminoさんから聞いた覚えがあって。

>家康は、不遇の時代が長かったからか子どもをつくるのが遅い。
>>一夫多妻制というのは時代によっては合理的な制度であったと思いますが、現代では色々言われてしまいますからね~^^;。

うんうん、同感や。天皇家もそうで、一夫多妻制を許容しないのであれば、女子であれ最初に生まれた子に継承権を認めないと厳しくなると思います。これも、追い込まれないと決断できない「日本病」の一つの感じが^^;
女子には継承権がないという歴史学者、「日本的家族」なるものをいいつのる政治家。不敬罪や^^

投稿: tera | 2013年11月27日 (水) 06時26分

ちょっと東京に戻っていたりしたのでお久しぶりになります。
minoさんは品川駅の工事はご存知でしたか。東京ー横浜が終日運休でびっくりしました。こちらの人間は口コミなどで知っていましたが、マスコミがほとんど伝えなかったので旅行客は困ったのではないかと思います。
中央線高架化にともなう運休の時、元国鉄技術者が「運休にするのは技術者としては恥だ」と憤慨していたのを思い出します。国鉄に対する郷愁のこもった自負心です。

以前紹介したかも知れませんが「御囲堤」に関しては、
秋山晶則「木曽三川流域治水史をめぐる諸問題 -治水の歴史と歴史意識-」(『岐阜聖徳学園大学紀要』教育学部編 52号 (2013年))
www.shotoku.ac.jp/data/facilities/library/publication/education-kyoiku52_09.pdf
が、堤防差別の話は、慶長期ではなく寛永期に形成されたのではないかという仮説を提示し、三尺説はそれより後に形成された話であることを示す史料を紹介しています。
一方、この論文で批判の俎上に上がっている伊藤安男さんは、最近も慶長期に差別があったとしています。
「【特別講演】木曽三川の破堤地切所池の『押堀』とその変容」(2013年9月11日「第595回建設技術講習会」講演)
www.zenken.com/kensyuu/kousyuukai/H25/595/595_ito.pdf
この講演記録は直接「御囲堤」を扱ったものではないので論証はありませんが、地図が多く掲載されています。

一夫多妻制というのは時代によっては合理的な制度であったと思いますが、現代では色々言われてしまいますからね~^^;。>
女子には継承権がないという歴史学者、「日本的家族」なるものをいいつのる政治家。不敬罪や^^>
子供が嫌で結婚しないカップル、同居もうざいと別居するカップル、増えてます。婚姻制度がこうなってきているので、男女差別を強調したりするのでしょう。

投稿: ddol | 2013年11月27日 (水) 19時45分

teraさん、
堤防の高さの話は確かminoさんから聞いた覚えがあって。
>私が吹聴してたんだ^^;
天皇家もそうで、
>何時までも放置すると、現在の制度では破綻する可能性がありますね。

ddolさん

有難う御座います。まさに読みたい論文を頂きました。
資料を尾張へは渡さないと言う岐阜県人←
今はこんな人居ないと思いますが、本当に尾張を憎んでいた人が過去にいたんですね。

面白かったです。
やはり、差別的治水という考え方が存在したんですね。
ただ、木曽川左岸は尾張一家の独占的管轄であるのに対して、美濃側は結束して治水に対することが出来なかったことも、結果的に差別的な治水となっってしまったこともあったのでしょうか。

宝暦治水にも言及されていますが、治水は権力が集中していないと地域的対立等で効果的に行なえないとも、間接的に述べられていますね。
1900年、明治新政府になって、やっとデ・レーケの治水で完全に解決したことは象徴的で、治水に関しては分権状態では不可能、または不十分になるという事を示していますね。

二本目の論文では、木曽川水系の複雑な流路図が印象的でした。
それと、木曽三川の河底の高さが異なるというのは余り一般的には知られていませんが、それが良くわかり、なるほどと思いました。

最後に70年代の長良川堤防の決壊について言及されていましたが、当時のことをとても良く覚えていて、決壊なんて有り得ないと信じられていた木曽三川で堤防決壊が起こり、大変ショッキングなニュースとして見ていました。

minoさんは品川駅の工事はご存知でしたか。
>全然知りませんでした。
東京ー横浜が終日運休
>確かに、昔なら止めるというのは考えられませんでした。
マスコミも何も言ってませんでしたが、最近、ワイドショーなんか見てないですし、ともすればニュースも見ないことありますから・・・。

投稿: mino | 2013年11月28日 (木) 10時06分

治水は権力が集中していないと地域的対立等で効果的に行なえない>
「アジア的専制」なんて議論がありましたね。今はどうなってるのでしょう。
これは鉄道にも言えることではないでしょうか。高架・地下化は賛否を権力的に押さえつけることでしか実現しないようです。小田急の成城学園前駅が地下にあるのは高額納税者が多いからだという噂があります(知恵袋では否定されていますが)。

資料を尾張へは渡さないと言う岐阜県人←>
ちょっと話がずれますが、70〜80年代、旧家の建て替えや代替わりで文書が失われることが多いので近世史家が血眼になって史料を探していました。この時、史料の公開を拒否する家もけっこうあってなかなか大変だったそうです。拒否される理由で、家の不名誉が記録されているかもしれないというものが多かったとのことです。それが90年代になるとやや緩んできて、代が替わって家に対する意識が変わったせいではないかと聞きました。史料の発掘も大変な作業です。

品川駅の工事>
minoさんもご存知なかったのですか。事前に調べていく必要がありそうです。
考えてみると、東京や近辺の人達は電車の運休には慣れっこになっていました。

投稿: ddol | 2013年11月30日 (土) 20時47分

これは鉄道にも言えることではないでしょうか。高架・地下化は賛否を権力的に押さえつけることでしか実現しないようです。小田急の成城学園前駅が地下にあるのは高額納税者が多いからだという噂があります(知恵袋では否定されていますが)。

>昔、美濃部都政時代にごみ焼却所の建設を巡って住民同士が争ったことがありました。
彼の民主主義の考え方、つまり、当事者同士が話し合うのが民主主義という彼の考えで当事者(地元住民)に話し合いをさせて決着する方法を取ったのですが、収拾がつかなくなってしまったことがありました。

これを見ても広域にわたる問題には、最終的には権力者が最低限でも調整に動かないとどうしようもなくなるというのが分かります。

どうも、美濃部さんは理想主義過ぎて、都財政も目に見えて駄目になりました。
私はそのことを覚えていましたし、その他の政策でも違和感があり、2009年の選挙では民主党には投票しませんでした。


史料の公開を拒否する家もけっこうあってなかなか大変だったそうです。
>これは意外な話ですね。
う~ん、でも、普通の家でも、例えば私がこの世にいなくなって、残された手紙類なんかどうなるんだろうなどとは考えますが・・・、ご先祖様のことまでは心配しないですね。
死ぬ前に、PC内の処分または保存すべき資料はどうすればというのは切実です・・・^^;

考えてみると、東京や近辺の人達は電車の運休には慣れっこになっていました。
>今度は、逆に、そんなルーズさが常態化というのは、どうなんだろうと考えてしまいますね。
公共交通機関の信頼性ってけっこう大事だと思うのですが。

投稿: mino | 2013年12月 1日 (日) 11時13分

>昔、美濃部都政時代にごみ焼却所の建設を巡って住民同士が争ったことがありました。
これを見ても広域にわたる問題には、最終的には権力者が最低限でも調整に動かないとどうしようもなくなるというのが分かります。>
>>
所謂ゴミ戦争ですね。紛争地の高井戸が近所なので古老から聞いたことがあります。
杉並区は東西を環状八号・七号が貫いていて、当時も今も大気汚染のひどい区域です。そこに突然大規模処理施設建設計画が明らかとなったので住民が反発し、美濃部知事は基本的に自治体まかせにしたので、実力行使、裁判沙汰にまで発展してマスコミを騒がせました。最終的には裁判の和解条項に沿って、高性能の処理施設が建設されて解決に至りました。この時妙な介入をしなかったことが、解決につながったのだと聞いています。結果論かも知れませんが、美濃部知事の「理想主義」が奏功した事例でしょう。
この問題に関しては、杉並側の整理として「記録に残したい歴史(三) 杉並清掃工場建設をめぐる『東京ゴミ戦争』」 (www.suginamigaku.org/content_disp.php?c=4500be0e60fc3&n=1)というのがあります。
また石原知事の時代、小金井市と周辺自治体との間でゴミ戦争が拡大し、一時小金井市でゴミの回収ができなくなりました。この時も都は動かず、結局、小金井市長の辞任、自治体間の調整で決着しましたが、今回は住民同士に感情的なしこりを残したそうです。
同じような事例なのに結末がまったく違っているので、いずれ誰かが研究のテーマとするのではないかと期待しています。

死ぬ前に、PC内の処分または保存すべき資料はどうすればというのは切実です・・・^^;>
アメリカで代理処分サービスがあると聞いたことがありますが、日本でも議論されているようです。でも、死後のことなので信頼の問題になりますよね。

公共交通機関の信頼性ってけっこう大事だと思うのですが。>
そうなんですが、東京は地下鉄との相互乗り入れが盛んで、それがかえってあだになっています。少し風が強くなったりすると、運休にする必要のない地下鉄も道連れになってしまうので、慣れっこにならざるをえないのです。
私は乗り入れのない丸ノ内線が比較的近くだったので被害を免れました。

投稿: ddol | 2013年12月 1日 (日) 19時32分

美濃部知事の「理想主義」が奏功した事例でしょう。
>う~ん、そ、そうなんですか?

実力行使、裁判沙汰にまで発展
>ここまで至ったのは、行政の怠慢じゃあないのでしょか?
それとも、石原知事も放置したということは、行政は、言い換えれば知事は介入すべきでないと言う何か暗黙の考え方でもあったのかもしれませんね。
または、単にどちらの住民(有権者)にも嫌われたくないという事でしょうか。
どちらにしても、住民同士に泥仕合のけんかをさせておいて、放っておくというのには違和感があります。

公共交通機関の信頼性
>最近はどこの地方に行っても、JR等の公共交通機関の自然遅延が多いですね。元々無理なダイヤを作らなければ良いのにと思います。

昔、事実として笑い話になったのは、大阪の電車の遅延(特に環状線)は女子高生のだべり乗車が原因というのもありました。
ちなみに環状線は20秒停車だったはずです。

投稿: mino | 2013年12月 2日 (月) 01時01分

>う~ん、そ、そうなんですか?>
住民同士に泥仕合のけんかをさせておいて>
ゴミ戦争は杉並区・江東区の住民から聞いて知った事件なので、私の知識は新聞・テレビの情報とは少し違っています。
これは江東区民vs.高井戸住民の争いではなく、江東区vs.東京都、高井戸住民vs.東京都(杉並区)という構図です。だから住民同士が争ったわけではなく、その後住民間の感情的しこりは残らなかったそうです。
朝日新聞 昭和史再訪セレクションの「『東京ゴミ戦争』宣言 埋め立てピンチ、知事動く」(doraku.asahi.com/earth/showashi/120924.html)に、当時争った江東区民が「江東は下町の汚い区、ごみを引き受けるのは当たり前という山の手の考えにはこれ以上我慢できないという風潮でした」と語っているのがその雰囲気をよく示していると思います。
美濃部知事は高井戸住民をエゴイストと罵りながらも介入しなかったのは、住民の声を汲み取る必要があるという「理想主義」で、住民と都の話し合いの結果、当時としては考えられないような高性能ゴミ処理施設の建設につながったと考えられています。この施設も古くなって、確か来年建て替え予定です。

それとも、石原知事も放置したということは、行政は、言い換えれば知事は介入すべきでないと言う何か暗黙の考え方でもあったのかもしれませんね。
または、単にどちらの住民(有権者)にも嫌われたくないという事でしょうか。>
後者が正解のような気がします。それに今は新聞・テレビがあおり立てるので面倒だということもあるのかも知れません。

昔、事実として笑い話になったのは、大阪の電車の遅延(特に環状線)は女子高生のだべり乗車が原因というのもありました。>
これは東京ではけっこう知られた話で、ひょっとすると誰かがテレビで言ったのかもしれません。それにしても、関西の電車やバスに乗るとうるさくてたまりません。

投稿: | 2013年12月 2日 (月) 19時39分

だから住民同士が争ったわけではなく、
>なるほど、そうですね。有るとしたら感情的な対立ですね。
私の情報は噂や報道からと美濃部さんへの好悪感のみなので、余り偉そうな事は言えませんね^^;

これは東京ではけっこう知られた話で、ひょっとすると誰かがテレビで言ったのかもしれません。
>そうなんですか?東京まで知られていましたか。
私もそれを見たり聞いたりしていたのかも知れませんね。

ただ、環状線や阪和線で実際にそんな現場を目撃しているので、本当の話であることは受け合います。
と言っても、そのような電車の自然遅延は分単位に過ぎないと思います。

投稿: mino | 2013年12月 3日 (火) 16時27分

失礼しました、制度の話でしたね。ちょっと「ゴミ戦争」にこだわったのは、新聞・テレビがいつも「杉並住民のエゴ」で片付けることが悲しかったからです。

大阪の電車の遅延>
原因がおしゃべりだというのはうらやましいです。東京の場合はほとんどが人身事故なので。

と言っても、そのような電車の自然遅延は分単位に過ぎないと思います。>
その分単位の遅れでどうして身動きできないほど混んでしまうのか、未だに理解できません。

投稿: ddol | 2013年12月 4日 (水) 19時29分

ddolさん、遅れて御免なさい。

新聞・テレビがいつも「杉並住民のエゴ」で片付けることが悲しかったからです。
>そうですね。でも、自分の主張はちゃんとした方がよいですね。
その上で、最悪、訴訟、裁判等が整っている訳ですからね。

東京の場合はほとんどが人身事故なので。
>人身事故は多いですね。大阪でも自身が乗ってる電車が遭遇したことがあります。

その分単位の遅れでどうして身動きできないほど混んでしまうのか、未だに理解できません。
>経験として、東京、大阪では絶対的な乗車人数が多いからでしょうね。
数分遅れることは、瞬間的に運行数を減らすことなので、乗客が溜まり、それで混んでしまうのではと思います^^;

投稿: mino | 2013年12月 6日 (金) 12時31分

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