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2014年1月20日 (月)

天守閣の無い天守台 (8) - 赤穂城(兵庫県赤穂市) 忠臣蔵で有名

 

  天守閣の無い天守台の8回目。

今回は赤穂浪士討ち入りの忠臣蔵で有名な播州の赤穂城。

赤穂藩は元和元年(1615年)、播磨国姫路藩52万石の池田輝政が5男の政綱に3万5000石を分地し立藩されたのが始まり。

赤穂藩池田家は2代目で改易(1645年)、ついで同年常陸国笠間藩から浅野長直が5万3000石で赤穂に入部。

そして元禄14年(1701年)第3代藩主浅野長矩(あさの ながのり)は城中での吉良義央(きら よしひさ/よしなか)に対する刃傷(にんじょう)沙汰で切腹、浅野家は改易となります。

後に赤穂浪士の吉良邸討ち入りがあり、この事件を題材とした「仮名手本忠臣蔵」が歌舞伎や文楽で演目として演じられました。

これがいわゆる「忠臣蔵」で、今日まで映画やTV劇等で多くの作品が生み出されています。

 

  赤穂藩は浅野家改易の後永井家1代(3万2000石 1701年~1706年)を挟んで備中西江原藩より森長直が2万石で入部、以後明治まで森家13代(1706年~1871年)が165年間赤穂藩主を務めました。

 

  忠臣蔵で有名な浅野家は本家が42万6000石の広島藩浅野家。

浅野家は豊臣政権の中枢となる浅野長政から家運を開き、長政の長男である幸長は徳川家康に近付き関ヶ原の戦いでは東軍として本戦に参加。

戦後甲斐国から紀伊国和歌山37万6千石に転封。

これが和歌山藩の成立となりました。

慶長18年(1613年)に幸長死去、子に男子が無く弟の長晟(ながあきら)が家督を継ぎ、長晟(ながあきら)は冬、夏の大坂の陣(1614年、1615年)に参戦、そして元和5年(1619年)福島正則改易を受けて安芸国広島42万石に加増転封。

以後浅野本家は12代にわたり明治まで広島藩を治めました。

 

  また、浅野長政の3男長重は長政の隠居料を相続して真壁藩主、後に笠間藩主(5万3500石)、子の長直のとき赤穂へ転封となり、これが赤穂浅野家となります。

長直は赤穂に入ると旧城の南に現在見る赤穂城を13年かけて築城、城下町の造営、塩田の奨励と整備等を行ないます。

 

  また赤穂で特筆すべきは、池田氏の時代、城下の地下水が塩分を含んでいるため、上流の千種川から真水を引き、城下に上水道を整備したことです(1614年(慶長19年)~1616年(元和2年))。

その総延長は約30kmと言われており、当時(17世紀初頭前後)の備後国の福山水道(1622年)、江戸神田上水(1590年完成)と共に日本三大旧上水道と称されています。

 

  赤穂城大手門と大手隅櫓。

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  いつもの余湖くんのお城のページからの引用図。

Akoutyo

 

  現地の城跡案内図。

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  本丸表門の二の門から内部の一の門を望んで。

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  本丸門の古写真つき説明板。

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  一の門から本丸に入って左手奥にある天守台。

  江戸時代を通じて天守閣が築かたことはありませんでした。

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  天守台から本丸内と本丸門の一の門。

  御殿の間取りが地面に記されています。

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  天守台の様子。

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  天守台別角度から。

  城自体が石高に見合わないような大きさです。

  したがって天守閣が築かれなかったのは金銭的な問題であったという意見と

  幕府を慮った(おもんばかった)という意見があります。

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  撮影 2010/08/21

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コメント

なんでバカ殿に殉じるんかと思ったりもするのやけど、名を残すということでにおいて一番やね。ちょうど戦国武士と江戸武士の分岐点の感じがします。

おいらも含めて多くの日本人は、世の大勢というか強い方につくというマーケットの論理が古代より染みついてる感じがするんやけど(しかもトレンドが変わるとびっくりするほど即座にその方向に順応するし)。反面、そのことの後ろめたさ、浄化ということか、体制への反逆者には喝采をおくります。

>これがいわゆる「忠臣蔵」で、今日まで映画やTV劇等で多くの作品が生み出されています
小説では、これも池宮彰一郎さんの「四十七人の刺客」「四十七人目の浪士」と「その日の吉良上野介」の三部作。前者二つは泣けますよ^^
最後のは吉良側から書いたもので、このシリーズのバランスをうまくとっており、面白かったです。

最近では、諸田玲子さんの「四十八人目の忠臣」。これは女性の立場からみた忠臣蔵で、主人公は月光院(家宣の側室、家継の母)。
側室にはいる前の彼女と赤穂浪士との関係を書いた小説で、その後の「忠臣蔵処分」との関係でも面白かったです。

投稿: tera | 2014年2月 8日 (土) 07時13分

おいらも含めて多くの日本人は、世の大勢というか強い方につくというマーケットの論理が古代より染みついてる感じがするんやけど(しかもトレンドが変わるとびっくりするほど即座にその方向に順応するし)。反面、そのことの後ろめたさ、浄化ということか、体制への反逆者には喝采をおくります。
>この部分、なるほどと思います。

殉職は戦死で功を子孫に残せなくなった形態で、仰るとおりですね。

池宮彰一郎さんの「四十七人の刺客」「四十七人目の浪士」と「その日の吉良上野介」の三部作
>「天下騒乱」を購入する際に、ああ、こんなのも書いてるんだと見てました。
歴史小説なら多少そちらの知識があるので、面白く読めるのかなと感じました。
諸田玲子さんは知りませんでしたので、気をつけてみます。また、面白い小説あったら教えてくださいね。

投稿: mino | 2014年2月 8日 (土) 21時35分

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兵庫県赤穂市上仮屋の国史跡・赤穂城跡で1日、“幻の天守閣”を表現したイルミネーションが試験点灯された。発光ダイオード3万2000個を使って、夕闇に5層の壮麗な姿を浮かび上がらせた。6〜14日の午後5〜9時に点灯される。13、14日夜には、忠臣蔵がテーマの映像を天守台に投影する「プロジェクションマッピング」がある。義士祭には俳優松平健さんが出演する。... [続きを読む]

受信: 2014年12月 2日 (火) 23時08分

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