« 天守閣の無い天守台 (5) - 二俣城(ふたまたじょう 静岡県浜松市天竜区) | トップページ | 天守閣の無い天守台 (7) - 神戸城 (かんべじょう 三重県鈴鹿市) »

2014年1月16日 (木)

天守閣の無い天守台 (6) - 米子城(鳥取県米子市) 池田氏鳥取藩の支城 城代荒尾氏

 

  天守閣の無い天守台の6回目は鳥取藩領の支城である米子城。

鳥取藩は池田氏の光仲系、一方岡山藩の池田氏は光政系というどちらも美濃池田氏系の大藩です。

 

  信長に仕えた池田恒興の次男である輝政は徳川家康との小牧長久手の戦い(天正12年(1584年))では豊臣方として戦い、父恒興、兄元助を失うも、後には家康に近付き娘婿となり、関ヶ原の戦い(慶長5年(1600年))でも徳川方として参戦し、戦後には戦功として播磨姫路で52万石を与えられます。

輝政は11男3女をもうけ、長男が利隆、次男が忠継、三男が忠雄(ただかつ)。

利隆は輝政の死後の姫路藩を継ぎ、一方忠継は岡山藩主、忠雄(ただかつ)が淡路洲本藩主を務め、忠継が没すると忠雄が岡山藩主となり、忠雄が没すると(寛永9年(1632年)没)嫡子の光仲が継ぎます。

この時、輝政(慶長18年(1613年)没)の長男の姫路藩主利隆の死後(元和2年(1616年)没)に藩主を継いだ光政は、幼いという理由から、それ以前に鳥取藩に移封されていました(元和3年(1617年))。

今回も光仲が幼少ゆえに、要衝の地である岡山を治めるには任が重いという理由で岡山藩から鳥取藩へ、鳥取藩主であった光政が岡山藩へという領地替え(寛永9年(1632年))が行なわれました。

こうして光政系が岡山藩主、光仲系が鳥取藩主として明治まで治めることとなりました。

 

池田家の分家筋である光仲系の鳥取藩は因幡、伯耆両国で32万5000石の大藩でした。

その内伯耆国の米子城は家老の荒尾氏(荒尾但馬家)が寛永9年(1632年)から城代として、いわゆる「自分手政治(じぶんてせいじ 藩主から統治を任される)」をもって統治し、同じように伯耆国の倉吉も荒尾志摩家に江戸期を通じて委任統治されました。

 

  ちなみに荒尾氏は尾張知多郡の出身、荒尾氏の娘(善応院)が池田恒興に嫁いで池田輝政をもうけているので、初代米子城代の荒尾成利は輝政の従兄弟にあたります。

 

  いつもの「余湖くんのお城のページ」から引用の図。

  右が北。

Yonagotyo

 

  前日萩の町を巡って米子で一泊。

  午前中に米子城跡に登り、昼頃には米子を離れ伯備線で岡山方面へ向かいました。

 

  米子城跡から大山。

Pict0071

 

  これが米子城本丸の天守台。

  四層五重の天守閣がそびえていたそうです。

Pict0075

 

  天守台には大きな礎石が幾つもあります。

Pict0077

 

  本丸から中海。

Pict0079

 

  下から見上げた天守台。

  三段の石垣のうち一番上が天守台の石垣。

Pict0086

 

  北にある内膳丸へ行ってみました。

Pict0094

 

  内膳丸。

  端に東屋があるのみで展望も利かない郭跡でした。

Pict0092

Pict0091

 

  米子駅にて。キハ126系。

  両運転席があり単行運転ができる車両は121系。

P8270235   

  米子駅にて。境線の境港行き普通。

P8270247

  撮影 2009/08/27

|

« 天守閣の無い天守台 (5) - 二俣城(ふたまたじょう 静岡県浜松市天竜区) | トップページ | 天守閣の無い天守台 (7) - 神戸城 (かんべじょう 三重県鈴鹿市) »

お城」カテゴリの記事

中国地方」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

鉄道」カテゴリの記事

コメント

米子といえば、ゲゲゲの鬼太郎^^
境港は、面白い町でした。

鳥取池田氏で思いだすのは、「鍵屋の辻の決闘」。
それなりに日本史の文献も読んでた頃の2000年前後、この事件を題材とした旗本vs外様大名の微妙な関係が、江戸初期の政治史の話題となった記憶が。それを受けたんやろうか池宮彰一郎さんの小説「天下騒乱 鍵屋の辻」が出版。

それで、文献を追わなくても小説をフォローするだけでいいんや、と思ったんや。
まあ、アカデミックな些事に、興味をもてなくなったこともあってね。

歴史小説家は、一応、あるルール(最新の研究成果をもとにして)を守ってはるんやなあと。マーケットやね。

投稿: tera | 2014年1月27日 (月) 06時25分

境港は、面白い町でした。
>境港はいつも計画から漏れるのですよね。少し余分な場所にあると言う、そんな感じでいつも時間的に寄れなくなってしまう。
熊本の八代や三角もそうで、熊本へは行くけど、やはり時間的に寄れない^^;

鳥取池田氏で思いだすのは、「鍵屋の辻の決闘」。
>これは池田藩とどう関係があるのかと思ったのですが、鍵屋の辻って伊賀上野ですよね?
そんな問題意識があったのですね。このあたり全然知りません^^:

歴史小説家は、一応、あるルール(最新の研究成果をもとにして)を守ってはるんやなあと。マーケットやね。
>これって世界的に見ても同じなんですか?TVになるとかなり酷いとは思うのですが・・。


投稿: mino | 2014年1月28日 (火) 01時05分

>境港はいつも計画から漏れるのですよね。
米子から離れてるもんね。仕方ないね。離れてるついででは、倉吉は素敵な町でした。

>これは池田藩とどう関係があるのかと思ったのですが、鍵屋の辻って伊賀上野ですよね?
おいらは、講談本の世界で歴史をみてしまう癖があるのかも^^;池田氏といえば、「鍵屋の辻」の印象が一番あって。

池田氏は、よくわからない氏族というイメージが。例えば、摂津の池田氏と尾張の池田氏とはつながってるんやろか?つながってるという説も、そうやないという説もあるみたいで、よくわからんのです。
摂津は、室町から江戸初期。面白い人物がいっぱいいる割には、いまいちこれやというイメージがつくれない地域の一つです。

>TVになるとかなり酷いとは思うのですが・・。
TVに関しては、ドラマの内容よりも時代考証の方に関心が向いてしまうんや。ここはうまいなあとか、これを出すといっぱいクレームがくるかも、とかね^^;

投稿: tera | 2014年1月30日 (木) 06時55分

倉吉も荒尾氏(米子とは違う、どちらが本家筋かは忘れた)の治める地でしたね。
倉吉も行ってみたいです。

池田氏といえば、「鍵屋の辻」の印象が一番あって。
>teraさんが教えてくれた「天下騒乱」(池宮彰一郎)を取り寄せて読んでます。もろ池田家ですね^^;
鍵屋の辻の粗筋を全く知らなかったので読んでみたんですが(まだ半分)、面白い。

小説家は上手く読ませますね。
当然、池宮さんの解釈が入っている訳ですが、それがあるからこその面白い小説になるんでしょうね。

池田氏については、摂津の池田氏の方が素性が割りにはっきりしていると聞いています。
したがって、余りよく分からない美濃池田氏が摂津池田氏の系図に紛れ込むような形になったという話も何かで読みました(本当かどうかは分かりません)。

当時の大名は、名族と言われた一部の家以外は「成り上がり」が多いですもんね^^;

投稿: mino | 2014年1月31日 (金) 15時05分

>「天下騒乱」
池宮さんの小説は、当たり外れ(おいらの好みで)があるんやけど、この小説は江戸初期の武家の感じの書き方がうまいなあと思ってね。興味もってもらって、うれしいです^^

>池田氏については
ありがとね、そういう説もあるんや。池田氏は関心ある一族の一つで、教えてほしいです(ddolさん、知らない?)

それで池田氏岡山藩。この週末、岡山に行きました(あいかわらずの事情でね^^;)
岡山は、海側の倉敷、玉島や鷲羽山、下津井、あるいは玉野方面には行ったことがあるんやけど、岡山市中心はいつでもいけるかと思い、スルーしてました。

はじめての岡山城と後楽園見学です。行く前にminoさんの記事を読み直しました。
http://mino-tokai.cocolog-nifty.com/tetudouderyokou/2013/04/post-8.html

後楽園は、岡山に住んでたら、きっと年間パスポートを買うわ^^

岡山城の印象は、なによりも蛇行する旭川を使っての縄張りに感心。それと、築城時期によりいろんな石垣がみれたり、当時の部屋の配置が地面に表示されてたりして、とても面白い。

少し残念だったのは、再建された天守を含む「お城」が、かなりコンテンポラリーな建物で^^;もう少し木の香りがする物に造り直すべきやわ。
それと、林原美術館が休館となってて。ここに、池田氏伝来のいろんな物があるんやないかと、あたりをつけてたんやけど。

投稿: tera | 2014年2月 3日 (月) 06時36分

「天下騒乱」
>面白かったです。
単に仇討ちの物語では無く、天下と絡めたのは歴史小説家としての池宮さんの力量ですね。
久し振りにアッという間に読めた小説でした。

岡山城
>岡山城の空襲による焼失は残念でしたね。
礎石は横に保存されてますから、木造で造り直して欲しいです。
岡山城は高松城とは異なりお城の図面があった筈で、その気があればより容易に手がつけられると思うのですが。

林原美術館はいつも計画に入れていながら、いつも時間が無くていまだ入館したことがありません^^;

築城時期によりいろんな石垣がみれたり
>これは和歌山城でも顕著にみれますね。その和歌山城も空襲で焼けたんでした。もったいないです。


後楽園は春には桜(梅もある)、秋には紅葉といつ行ってもいいですね。
ただ、さすがに冬は何も無くて、兼六園でしたら冬は雪と言う切り札があるのですが・・。

投稿: mino | 2014年2月 4日 (火) 08時44分

>「天下騒乱」
講談の世界では、なんといっても荒木又右衛門。「単に仇討ちの物語では無く、天下と絡めた」(同感です)話を設定して、面白い人物解釈と思いました。
荒木つながりでは、NHK「官兵衛」の荒木村重。その子供といわれる絵師・岩佐又兵衛(仇討物の絵つながり)も気になる人達です。「官兵衛」は、いまのところ少々退屈なんやけど、今後の展開に期待。

岡山旅行の続きです。
いちおう神頼みをしとかないといけない旅行なので、吉備津神社、吉備津彦神社と備中国分寺にも行きました。それに、吉備津彦命関係は、以前話題となった桃太郎のこともあって、岡山をまわるなら外せないと。

吉備津神社では、温羅を祀るといわれる御釜殿の神事がみられました。吉備津彦神社は、とても立派な社殿にびっくり。備中国分寺は、倉敷に向かう道路で、やたら目立つ五重塔を発見しての立ち寄りです。

岡山寺社巡りで思ったのは、吉備津社、吉備津彦社両方とも同じ中山の麓やのに、備前と備中の国境が引かれている。それに、備後の一宮も吉備津彦命。大和政権の吉備支配の苛烈さを思いました(古代史は門外漢なので、印象です^^)

投稿: tera | 2014年2月 6日 (木) 06時28分

「官兵衛」
>大河の戦国物は大抵視聴率が取れるものですが、あまり芳しく無いみたいですね。
「官兵衛」でも一般の人には地味なのでしょうか?

吉備津神社、吉備津彦神社と備中国分寺にも行きました。
>私は2000年4月に訪れました。
JR吉備線の備前一宮駅からレンタサイクルで4時間ほどかけて総社駅まで回りました。
当時は塔に関心があって、二つの神社は外観を見ただけで、今考えれば勿体無いことをしました。
サイクリングついでに総社駅から北に向かって自転車で20分、車でたぶん5,6分の距離に宝福寺という禅寺があり、そこの三重塔も見に行きました。

国分寺の五重塔は廻りに何も無いので、とても目立ちますね。
この旅行は今でも良い思い出です^^


大和政権の吉備支配の苛烈さを思いました(古代史は門外漢なので、印象です^^)
>なるほど。と言っても、私も古代史については、かなり昔の研究成果しか知らなくて^^;
最近はどんな風になっているのでしょうね?

投稿: mino | 2014年2月 6日 (木) 13時27分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/154291/58947900

この記事へのトラックバック一覧です: 天守閣の無い天守台 (6) - 米子城(鳥取県米子市) 池田氏鳥取藩の支城 城代荒尾氏:

» ケノーベルからリンクのご案内(2014/01/17 08:53) [ケノーベル エージェント]
米子市エージェント:貴殿の記事ダイジェストをGoogle Earth(TM)とGoogle Map(TM)のエージェントに掲載いたしました。訪問をお待ちしています。 [続きを読む]

受信: 2014年1月17日 (金) 08時53分

« 天守閣の無い天守台 (5) - 二俣城(ふたまたじょう 静岡県浜松市天竜区) | トップページ | 天守閣の無い天守台 (7) - 神戸城 (かんべじょう 三重県鈴鹿市) »