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2014年1月17日 (金)

天守閣の無い天守台 (7) - 神戸城 (かんべじょう 三重県鈴鹿市)

 

  天守閣のない天守台の7回目。

今回は三重県鈴鹿市の神戸(かんべ)城跡。

鈴鹿市は神戸(かんべ)の旧城下町や海沿いの港町の白子(しろこ)、軍の飛行場があった平田、市の西端には東海道の旧宿場町であった石薬師宿と庄野宿を抱える広い市域が特徴です。

FIが開催される鈴鹿サーキットは有名ですね。

 

  さて、神戸城跡は伊勢鉄道鈴鹿駅から西へ1km余り、近鉄鈴鹿線の鈴鹿市駅から南西にやはり1kmほどの位置にあります。

 

  神戸城は神戸氏4代目の神戸具盛(かんべ とももり)が天文年間(1532年 - 1555年)に築城し本拠としました。

しかし、織田信長軍の伊勢侵攻が始まると、永禄11年(1568)神戸具盛は信長の3男信孝を養子として受け入れることで和睦。

こうして神戸家当主となった神戸(織田)信孝は神戸城を修築し、五重の天守を築いたとされています。

本能寺の変(1582年)後、信孝は岐阜城へ移り、その後城主はたびたび交代しますが、関ヶ原の戦い(1600年)後に一柳直盛が5万石で入城し、ここに神戸藩(かんべはん)が成立します。

寛永13年(1636年)に一柳直盛が6万8000石に加増され伊予西条藩に移封されると1651年まで天領となり城の主要部分は破却(天守はすでに1595年に桑名城へ移築されていた)。

慶安4年(1651年)からは石川家が入り神戸藩が復活(Wiki 「神戸城」の項では1650年と記述されている)、石川家が三代続いてのち享保17年(1732年)に本多忠統(ただむね)が1万石で入封(Wiki 「神戸城」の項では2万石とされている)、延享2年(1745年)には5000石を加増され、以後本多家7代で明治を迎えます。

このあたり、Wikiの「神戸城」の項と「神戸藩」の項では細かいところで相違があり、どちらが正しいかは保留とします。

ちなみに、本多忠統(ほんだただむね)は、城を大修築して神戸城を復興させました。

 

  いつもの余湖くんのお城のページからの引用図。

Kanbetyo


大きな地図で見る

 

  伊勢鉄道鈴鹿駅の東側。

  名古屋からJRの快速「みえ」で来ました。

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  伊勢鉄道と近鉄鈴鹿線が鈴鹿駅の北で立体交差をします。

  近鉄鈴鹿線平田町発伊勢若松行き普通。

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  神戸の古い町並み。西へ歩いて行きます。

  常夜灯が見えます。

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  この常夜灯は意外に新しかった記憶があります(再建?)。

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  宗休寺前の道を左に折れ県立神戸高校前へ。

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  そして神戸高校に沿って再び西に行くと左手に城跡があります。

  神戸高校の敷地が神戸城の二の丸跡。

 

  神戸城本丸の天守台。

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  本丸広場から。

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  野面積み(のづらづみ)の石垣。

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  天守台の上から本丸広場。

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  近鉄鈴鹿線 鈴鹿市駅駅舎。

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  鈴鹿線始終着駅である近鉄名古屋線 伊勢若松駅へ向かいました。

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  撮影 2010/03/11

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コメント

お久しぶりでございます。それとも、まだ明けましておめでとうごさいますでしょうか。

先週、尼崎に出かけました。阪神と近鉄が乗り入れしている話は知っていましたが、阪神のレールの上を近鉄の車両が走っているのですね。近鉄奈良線では阪神の車両を見かけたことはないのですが、阪神線では半分が近鉄ではないかというくらい繁く走っていて、奇異に感じました。まあ、南大阪線も多種多様な彩りの列車が走っているので、こちらの方が異様かも知れません。

その後、学部時代の学科の友人から新年会にさそわれ、嵐山に行ってきました。昨年の洪水の跡は残っていませんでしたが、旅館の人からすさまじかったことを聞きました。渡月橋のすぐそばにボーリングの機材が設置されていたので、洪水絡みの調査なのかも知れませんが、何故放置されているのかは謎です。
少し時間があったので、minoさんの記事にあった法輪寺を訪れ、嵐電、トロッコ嵯峨駅をぶらつきました。30年前に来た時とはまったく違った風景で、生活臭の消えてしまった90年前後の鎌倉小町通りのような印象でした。

神戸(織田)信孝>
織田の甲州遠征に関して、木曽義昌が武田側を離反するのに大きな役割を果たしたそうです(奥野高広「神戸信孝の役割」『日本歴史』380号 (1980年))。

鈴鹿サーキット>
まだF1が開催されているのですね。M.シューマッハが隠退してから見なくなったのでもうほとんどわかりませんが、FIAの規則が一国一レースとしているので、トヨタの冨士サーキットが撤退したようですね。当時のトヨタの熱の入れようを考えると時代です。

投稿: ddol | 2014年1月18日 (土) 19時47分

お久し振りです。

阪神と近鉄が乗り入れしている
>随分前から行きたいと思っているのですが、最近大阪へ行く機会が無いので実現していません。
奈良の阪神ファンが直接甲子園へ行けるようになって良かった、そんな話を聞いたことがあります。

生活臭の消えてしまった
>観光地は免れ得ないところがありますね。法輪寺は見晴らしが良いですが、意外に残念という感がありました。紅葉、桜の時期には良い展望台だとは思いますが。

木曽義昌が武田側を離反するのに大きな役割を果たしたそうです
>そうなんですか、信孝が関わっていたという話は初めて聞きました。
木曽谷は重要な侵攻ルートで、木曽義昌の居城のある木曽福島は避けて通れないですからね。

M.シューマッハはスキー事故で意識不明というニュースがありました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140107-00000110-ism-moto

投稿: mino | 2014年1月19日 (日) 18時16分

ddolさん、お久しぶり。
だいぶん前の話しやけど、嵐山の嵐峡館という旅館に泊まったことがあります。船で保津川を少し下ったところにあるんやけど、なかなかいい旅館で、こういうところに長逗留してトレードできればと思ったんや。でも、その当時は携帯すらつながらない^^;景観規制でアンテナが建てられないとのこと。洪水でどうなったのか心配してます。

木曽義昌つながりで、木曽氏滅亡後、名を残してる一人が見性院(義昌の正室の姉)。保科正之の養育者やね。甲斐武田も木曽氏もその後は様々やけど、女性系の残り方は面白い。「八重の桜」にもつながるし^^

シューマッハのスキー事故
うんうん、ニュースで聞いてびっくり。あいかわらずの飛ばし屋やなあ^^

投稿: tera | 2014年1月20日 (月) 06時10分

甲斐武田も木曽氏もその後は様々やけど、女性系の残り方は面白い。「八重の桜」にもつながるし^^
>武田家の旧家臣(女性も含めて)は徳川家の藩屏となりましたね。

こういうところに長逗留してトレードできればと思ったんや。
>ちょっとリッチな話ですね^^。羨ましい・・

シューマッハのスキー事故
>普通ではこんな事故にはならないんでしょうけど。

投稿: mino | 2014年1月20日 (月) 17時48分

観光地は免れ得ないところがありますね。法輪寺は見晴らしが良いですが、意外に残念という感がありました。>
嵐電嵐山駅は写真等ではよくわからなかったのですが、実物を見ると派手さかげんに驚きました。さすが関西といった感じで、鎌倉ではこういった建築物は建てられないと思います。法輪寺に関しては私も同感です。

嵐峡館、洪水>
桂川の右岸はほとんど浸水したそうで、左岸も渡月橋の近くは水につかったとのことでした。地図で見ると嵐峡館は右岸なので被害を受けたかも知れません。現在は洪水があったとは想像できないほど回復しています。

シューマッハのスキー事故>
この人は以前にもサッカーで骨折してレースを欠場し、自己管理がなってないと批判されたことがあります。A.ナニーニなどF1レーサーはレース外で大怪我をする人が多いような気がします。

投稿: ddol | 2014年1月20日 (月) 19時29分

嵐電嵐山駅は写真等ではよくわからなかったのですが、実物を見ると派手さかげんに驚きました。
>なるほど。関東からはそのように見えるかも知れませんね。

嵐電も鎌倉の電車もいいですよね。叡山電車、京阪石山坂線の電車も大好きです。
う~ん、話が少し横道にそれました。

鎌倉はもう一度じっくり歩きたいです。

投稿: mino | 2014年1月22日 (水) 05時39分

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