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2014年1月12日 (日)

天守閣の無い天守台 (5) - 二俣城(ふたまたじょう 静岡県浜松市天竜区)

 

  二俣城の築城は戦国時代初期に今川氏によって築かれたとされています。

その後、徳川家康の遠江進出に伴い徳川家支配の城となります。

しかし、武田家との確執が激しくなると、徳川、武田両軍の攻防戦の前線となり、元亀3年(1572年)10月武田信玄が遠江に侵攻。

この侵攻で二俣城は落城、武田軍はさらに南下し三方ヶ原の戦い(同年12月)で徳川家康の迎撃を退け、以来二俣城は武田方の前線基地となります。

そして、武田信玄はこの侵攻時に陣没し、武田家は勝頼が継いだことは皆さんご存知の通り。

その後、武田勝頼は遠江の東の要である高天神城をも落とし(1574年)、家康の本拠の浜松城を北と東から圧迫することとなります。

しかし、天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いで織田・徳川連合軍が勝利を収めると状況は一変。

家康は鳥羽山城など二俣城に対する付け城を築いて攻撃するも、守将の依田信蕃(よだのぶしげ)以下城兵の奮戦で容易に落ちず、やっと天正3年(1575年)12月に城兵の安全な退去を条件に開城という形で二俣城を得ることに成功します。

家康は再び徳川方となった二俣城には重臣の大久保忠世(おおくぼ ただよ)を置き、以後武田方のたびたびの攻撃にも落城することはありませんでした。

 

  時代は飛び豊臣秀吉政権下、後北条氏滅亡による天正18年(1590年)の徳川家康関東移封に伴い二俣城は浜松城に入った堀尾吉晴支配の支城となり、さらに慶長5年(1600年)堀尾吉晴の出雲転封で廃城となりました。

 

  ちなみに徳川軍の猛攻をよく防いだ依田信蕃(よだのぶしげ)は武田家滅亡後に徳川家の家臣となり、その子孫は芦田姓で福井藩の重臣となります。


大きな地図で見る

 

  遠州鉄道西鹿島駅にて。

  新浜松駅から終着の西鹿島駅までは所要30分少々で運賃460円。

  12分間隔での運行。

  天竜浜名湖鉄道に乗り換え。

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  天浜線の西鹿島駅にて。

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  すぐに天竜川を鉄橋で渡ります。

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  西鹿島駅から次の二俣本町駅で下車。

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  浜松市天竜区二俣地区の案内図。

  鉄道ファンにとっては興味が尽きない天竜二俣駅など、
  半日~1日ぐらいで散策するのも面白そうな地区です。

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  いつもの「余湖くんのお城のページ」から拝借。

  二俣城の図。

Hutamatazu

 

  本丸内に残る天守台。

  二俣城は家康の長男の松平信康が武田家との内通の疑いで織田信長の命で切腹させられた場所。

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  野面積み(のづらづみ)による石垣の天守台。

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  二の丸の城山稲荷神社。

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  撮影 2009/01/07

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