« 現存天守12城(3) - 国宝 彦根城(滋賀県彦根市) | トップページ | 現存天守12城(5) - 弘前城 (青森県弘前市) (現存天守、三つの現存櫓、五つの現存門) »

2014年1月29日 (水)

現存天守12城(4) - 国宝 松本城(長野県松本市)

 

 

  現存天守12城のうち4回目は信州松本市の国宝 松本城。

 

  戦国時代の16世紀初めに井川館(松本市)を拠点としていた信濃守護家小笠原氏は林城(松本市)を築城、その支城として深志城を築き、これが松本城の前身。

小笠原長棟(おがさわら ながむね)の時、分立していた小笠原氏を統一し、林城を拠点として小笠原氏の最盛期を迎えます。

しかし、子の長時の時に武田信玄に攻められ小笠原氏は没落、信玄は林城を破棄し深志城を拠点として松本平を支配します。

その後、天正10年(1582年)武田氏滅亡後、小笠原貞慶(おがさわら さだよし 長時の子)が徳川家康の家臣として旧領を回復して深志城を松本城と改名。

天正18年(1590年)北条氏滅亡後の家康の関東移封に伴い小笠原氏も移封。

後には石川数正、2代目康長。

康長の時関ヶ原の戦い(1600年)で康長は東軍側につき家康から本領安堵される。

しかし、大久保長安事件で改易。

後に再び小笠原家が8万石で入り小笠原秀政(小笠原貞慶の嫡男)、忠真と2代続き忠真が播磨明石藩へ加増移封。

そして、後には戸田(松平)家が7万石で2代、その後松平(越前)直政7万石、堀田正盛が10万石、寛永19年(1642年)水野家が7万石で入り6代、最後に再び戸田(松平)家が享保10年(1725年)に6万石で入り9代で明治を迎えました。

 

  明治になり天守閣が競売にかけられるも地元の有力者に買い戻され、その尽力の結果、現在の国宝 松本城があることに感謝。

 

  天守の建造年にはいくつかの説がありますが、いずれにしても1600年前後、遅くても1615年説までのようです。

 

  いつもの余湖くんのホームページからの引用図。

Matumototyo

 

  南西側からの天守閣。

Img263

 

  北西側から。

Img271

 

  西から。

 

  この1999年の旅行は大変な強行軍で1日目に松本城、諏訪高島城、諏訪大社を訪れ上田で一泊。

  上田城は朝の内に寄り、さらに長野から北上し高田城を訪れ新潟から新発田へ、新発田で一泊。

  帰りは新発田城、長岡の模擬城(長岡城とは場所も城も別物)を訪れ、後は一挙に長野、松本、中津川、名古屋、岐阜まで帰るという強行軍でした。

  そして、岐阜の実家から当時の住所である大阪へあくる日に帰るという、今ではもう体力的に無理だろうと言う大旅行でした。

Img273

 

  黒門。

Img269

Img280

 

  黒門から入りました。

  当時の拝観料は忘れました。

 

  現在(2014年1月末)の松本城天守(本丸庭園内)観覧料(松本市立博物館との共通券)は大人600円(小、中学生300円)。

Img277

 

  本丸庭園からの天守閣。

  天気があまり良くなくて残念でした。

Img276

Img284

 

  残念ながら内部の写真はありません。

  内部を撮影したコンパクトカメラを紛失(盗難の疑いが強い)し、その後の旅行が気まずくなった苦い思い出があります。

  写真すべてがフィルムカメラによる撮影で、それをスキャンしてデジタル化しました。
  スキャンの過程で画質が落ちました。

Img288

  撮影 1999/07/27

|

« 現存天守12城(3) - 国宝 彦根城(滋賀県彦根市) | トップページ | 現存天守12城(5) - 弘前城 (青森県弘前市) (現存天守、三つの現存櫓、五つの現存門) »

甲信越地方(新潟県、山梨県、長野県)」カテゴリの記事

お城」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

コメント

松本関係者は、興味ある人物が多いです。
まずは、小笠原氏。マイナーやけど中世を代表する「文化人」一族。江戸以降は、各地に名を残してるね。
次は、石川数正。結束力が強いと言われてる徳川家臣団の中で、戦国の気風を感じさせられる興味深い生き方に関心。そういう意味での双璧は、本多正信かな。
それと、大久保長安。これは隆慶一郎さんの小説「捨て童子・松平忠暉」が面白かったです。

>明治になり天守閣が競売にかけられるも地元の有力者に買い戻されました。
ええ~、そうなんや。当時の名望家「お金持ち」は偉いなあ。

それと前回のコメント関連

>これは幕末になっても変ってなかったのかなあと感じますが、どうでしょうか?
うんうん、同感です。ただ、一方で「志士の時代」で、高杉家とかは頭を抱えてたんやないかな^^桂さんも、「名家」の名前を変えてしまうし。薩摩の小松家なんかも、その一族・縁者はどう思ってはったんやろと。

投稿: tera | 2014年2月19日 (水) 06時46分

小笠原氏
>小笠原氏は確かに面白い存在ですね。ただし幕末には酷くやられてしまって・・。
石川数正については、個人的な話だけど、親戚の人が何故か数正が好きで、子供に同じ名前をつけていた^^;。
生き様が好きだと・・。

それと、大久保長安。これは隆慶一郎さんの小説「捨て童子・松平忠暉」が面白かったです。
>大久保長安は付け家老だったんですね。最近まで知らなかったです。
アマゾンで調べていて読もうかと思いましたが、先に塩野七生さんの本、早く片付けろと天の声が。。^^;

「名家」の名前を変えてしまうし。
>あの時代の志士たちは、ある意味革命家なので、余り痛痒も無かったのでは^^;

投稿: mino | 2014年2月20日 (木) 18時25分

お久しぶりです。ネット環境の問題でしばらくお休みしていました。kyonさんも別の方で久しぶりの登場ですね。

しかし今度の雪はすさまじいですね。テレビではわからなかったのですが、ネットの動画を見ると実感できました。東京からの電話では前代未聞だそうで、3月半ばまで雪が残るだろうとのことです。中央道高井戸JCTの通行止めというのも聞いた記憶がありません。
大阪も数センチ積もりました。こちらの人は雪に慣れていないようで、歩きづらくしていました。キムチ屋のおばさんは、客がいないので早々に店を閉めたと愚痴っていました。
天気予報では岐阜もひどい雪だと言っていましたが大丈夫でしょうか。これから物流などにも影響がでるのかも知れません。

小笠原氏>
狭山に移った安勝から15代目の廃家までの調査結果があります。
埼玉県狭山市教育委員会「狭山の旗本小笠原家調査報告書」(2007年)
www.city.sayama.saitama.jp/manabu/rekishi/siryo/ogasawara.files/ogasawara_01.pdf
墓所天岑寺の墓石とその分析は面白いです。

いつも単発で申し訳ないのですが、中国地方の山城の築城と攻城に関して
錦織勤「中世における山城築城技術の進歩について」(『鳥取大学教育学部研究報告 人文社会科学』46巻 (1995年))
repository.lib.tottori-u.ac.jp/Repository/file/1347/20091002110520/jfecs46(1)_11(1).pdf
という論文があり、攻城側を長く守備側の攻撃にさらさせるために、築城法が変化していったということを検証しています。

ところで最近、元から明に変わる時代を舞台とした映画を見たのですが、平城の攻防を描いたシーンがありました。梯子を水平にして、攻撃兵を最上段の所に立たせ、梯子の下方向から押して城壁沿いに走り登らせるというものでした。映画の演出なのかも知れませんが、見てて面白かったです。

投稿: ddol | 2014年2月20日 (木) 20時52分

ddolさん、お久し振りです^^

岐阜市の雪は毎年こんな降りかたがあるので、驚きませんでした。
それより、驚いたのは三重県の伊勢市の降雪です。
三重県はそんなに雪の降る土地柄ではないので、大変驚いています。
関東も稀に見る降雪量でしたね。

小笠原氏
>幡豆小笠原氏は迂闊にもまったく知りませんでした。
幡豆郡には吉良氏もいて、吉良氏は家康の三河統一戦で家康と戦っているんですが小笠原氏は家康とともに戦っているんですね。
幡豆小笠原氏は家康軍の水軍としても活躍したそうで、彼らが現東京都の小笠原諸島に渡り、その名前がその発祥となったというのも面白い。
ただし、証拠は無く、家康の裁定で家康から小笠原島と名前を賜ったと、あるホームページに書いてありました。
web.sugiyama-u.ac.jp/~yamane/sahou/ogasawara-tabi/hazu.html

メインページはこちら
web.sugiyama-u.ac.jp/~yamane/sahou/ogasawara-tabi/oga-Fset.html


もう一つの論文は最初を少しチラ見しただけですが、お城のどこで戦ったのかの資料が掲載されていて面白そう。
これから読み進めます。

いつも有難う御座います^^

投稿: mino | 2014年2月20日 (木) 22時43分

ddol さん御免なさい。最後の二行を読み飛ばしてしまいました。

中国の攻城戦は凄まじいものがありますね。
というか、ユーラシア大陸の攻城戦はどこもダイナミック。

三国志の時代ですら様々な攻城兵器を繰り出していましたし、中国の攻城戦は、仮に映画の演出としても面白いものがあるでしょうね。

投稿: mino | 2014年2月20日 (木) 22時54分

岐阜市の雪は毎年こんな降りかたがあるので、驚きませんでした。
それより、驚いたのは三重県の伊勢市の降雪です。
三重県はそんなに雪の降る土地柄ではないので、大変驚いています。>
やはり岐阜は雪には馴染みなんですね。伊勢市のことは知らなかったのでYouTubeで確認しました。結構降ったようですね。普段降らない所だと備えがないので大変だろうと思います。

幡豆吉良氏>
小笠原氏の報告書は世田谷を調べている時に芋蔓式に見つかったもので、ご指摘の通り幡豆つながりだったのだろうと思います。パソコンには大量の論文がたまっているのですが、こういう機会に目を通すことができてラッキーです。

小笠原諸島>
そういうことだったのですか。いずれにせよ、小笠原氏にちなんで命名されたことで落ち着いているようですね。

錦織勤さんの論文は、このブログでよく歴史小説の話が出てくるので、小説家はこういう論文を読んでいるのかと思って紹介しました。それと論証法が面白かったということもあります。

三国志の時代ですら様々な攻城兵器を繰り出していましたし、中国の攻城戦は、仮に映画の演出としても面白いものがあるでしょうね。>
中国は古くから小説なんかもあるので、研究も進んでいるかもしれません。それと中国の映画は日に日に良質になっているそうなので、機会があれば見てみたいと思っています。ちなみに私が見たのは韓国映画ですが、半分が中国語だったのでチンプンカンプンでした。

投稿: ddol | 2014年2月22日 (土) 19時00分

うっかりしていました。小笠原氏の系図が
www.town.shimane-kawamoto.lg.jp/chousei/kawamoto/kyouiku_ogasawara_2311.data/keizu1.pdf
www.town.shimane-kawamoto.lg.jp/chousei/kawamoto/kyouiku_ogasawara_2311.data/keizu2.pdf
で提供されています。
元は島根県川本町のHPの「中世の小笠原氏」(www.town.shimane-kawamoto.lg.jp/chousei/kawamoto/kyouiku_ogasawara_2311.html)です。

投稿: ddol | 2014年2月22日 (土) 20時08分

小笠原氏の系図
>小笠原氏は石見や阿波にまで広がりがあったんですね。

系図を見ると幡豆小笠原氏は阿波小笠原流のまた傍系にみえるんですが?
なかなか全部が載ってるわけでは無いので判断が難しい^^;

投稿: mino | 2014年2月23日 (日) 18時33分

minoさん
>先に塩野七生さんの本、早く片付けろと天の声が。。^^;
何を読んでるの?

ddolさん
いつもながらの文献の紹介、感謝してます。おいらは、難しそうな文献を読むとまず眠りにおちいってしまうので、なかなかコメントできないんやけど、感謝です^^

>平城の攻防
矛もそうやけど弩も、日本古代においてはあるんやけど、中世以降は聞かない。日本以外では、とても発達する投石兵器。これも知らないわ。
それぞれの地域の兵器の発達史。それをまねして独自に進化させた日本の事情。とても、興味あります。

投稿: tera | 2014年2月26日 (水) 06時30分

何を読んでるの?
>いえいえ、「ローマ人の物語」です。大分前から放ってあったので・・

>平城の攻防
 ユーラシア大陸では都市ごと城壁に囲まれていて、日本の城の比ではない。思想が全く異なりますからね。そこらあたりも本当に興味が尽きませんね。

投稿: mino | 2014年2月26日 (水) 08時02分

返答が遅れてしまって申し訳ありません。

小笠原氏は石見や阿波にまで広がりがあったんですね。>
宝賀寿男さんの「三好長慶の先祖 -阿波三好氏の系図疑惑について-」というページ(wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/miyosi/miyosi1.htm)が阿波のことについて詳細に論じています。雑誌に発表した論文のエッセンスなので、判断の根拠などが書かれていなかったりしますが、個人でよくここまで調べたものだと驚かされます。
宝賀さんは、小笠原家の系図には相当手を加えられているとして、阿波の小笠原家と三好家の復元系図を掲載しています。

系図を見ると幡豆小笠原氏は阿波小笠原流のまた傍系にみえるんですが?>
宝賀さんによると本流は信濃ではなく阿波だそうです。

宝賀さんも述べていますが、アカデミズムからの系図研究は今世紀になってからのようで、手元にある系図研究論文はすべて2001年以降です。従って現在ネットで流布している系図の多くは今後大幅に訂正されていくと思います。

ローマ人の物語>
この本は今、流行っているのですか。私の周囲にも二人読んでいる人がいます。

投稿: ddol | 2014年2月26日 (水) 20時16分

アカデミズムからの系図研究は今世紀になってからのようで、手元にある系図研究論文はすべて2001年以降です。従って現在ネットで流布している系図の多くは今後大幅に訂正されていくと思います。
>そうなんですか。やはりね。
よく武将関係を調べていて、この人がこの人の子供と言うのは疑いがある、という意見を述べている人が随分といらっしゃいますもんね。

ローマ人の物語>
この本は今、流行っているのですか。私の周囲にも二人読んでいる人がいます。

>流行のピークはかなり昔ですが、文庫にすると30冊ぐらいになりますから、途中、挫折したり等しながら今でも読んでいるという図式ではないかと・・。
私もオクタヴィアヌスのあたりで退屈となり(ほとんど内政に関する話となり、ハンニバルやカエサルのような華々しさが一挙に無くなる)、最近、再び読み始めたところです^^;


投稿: mino | 2014年2月27日 (木) 13時12分

「ローマ人の物語」
やはり。実は、おいらも読んでるんや^^

おいらの西洋古代知識は貧弱なんで、ddolさんのコメントの影響もうけ、読んだのが青柳正規さんの作品。これが面白くて、それではと「ローマ人の物語」を読み直してるところなんや^^

塩野さんの作品は面白いんやけど、無理やり現在とつなげるようなコメントを聞くとげんなりしたりして。まあこれは、多くの歴史研究者の無理やりのコメントも同じなんやけどね。
これほどのことを発見したのに、こんなことしか言えないのか。
「今」につなげないとあかんという要請が強いんやろうけど、なんとも残念です^^;

投稿: tera | 2014年3月 1日 (土) 06時58分

「ローマ人の物語」
>teraさんも読んでましたか。

塩野さんの作品は面白いんやけど、無理やり現在とつなげるようなコメントを聞くとげんなりしたりして。
>これ、どうなんでしょう?
私は小説として読んでますが、小説ですよね?
歴史家が読本的に書く文章とも違いような、どちらなんでしょうか?

小説でも無いかなぁ・・。

投稿: mino | 2014年3月 2日 (日) 03時08分

>私は小説として読んでますが、小説ですよね?
うんうん、おいらの書き方がまずい^^;

「ローマ人」はお気に入りの小説の一つです。ただ塩野さんは、エッセイとか対談で、現在のことを語り始めると、退屈な感じかして。

投稿: tera | 2014年3月 2日 (日) 06時39分

おいらの書き方がまずい^^;
>いやいや、こちらの方が誤解を与えたみたいで^^;

teraさんの塩野評をどうのこうのと言う気は全く無くて、突然、これって小説だったのかな?と思ってしまったので、こんな書き方になったのです。

誤解を与えて申し訳ありません(^^;

投稿: mino | 2014年3月 2日 (日) 12時19分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 現存天守12城(4) - 国宝 松本城(長野県松本市):

« 現存天守12城(3) - 国宝 彦根城(滋賀県彦根市) | トップページ | 現存天守12城(5) - 弘前城 (青森県弘前市) (現存天守、三つの現存櫓、五つの現存門) »