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2014年1月22日 (水)

現存天守12城(1) - 丸岡城 (福井県坂井市)

 

  丸岡城が築城されたのは1576年(天正4年)、築城主は柴田勝家の甥である柴田勝豊。

本能寺の変(1582年(天正10年))後の清洲会議で勝豊は近江長浜へ移り、以後城主は変遷し、関ヶ原の戦い(慶長5年(1600年))の後に越前一国の福井藩67万石を家康の次男の結城秀康(越前松平家)が立藩、丸岡城には秀康家臣の今村盛次が2万6000石で入ります。

慶長12年(1607年)秀康の死で嫡男松平忠直が越前を相続。

しかし、1612年(慶長17年)の越前騒動により今村盛次は連座し失脚。

幕府は旗本であった本多成重(ほんだ なりしげ)を松平忠直の附家老とし丸岡城に4万石で入れ、成重は忠直をよく補佐します。

しかし、忠直は大坂の陣(1614年、1615年)での武功を将軍に認められなかったことに不満を持ち、幕府へ反抗的態度を示すようになり、その結果、元和9年(1623年)忠直は乱行を理由に大分へ配流。

後任には越後高田藩の藩主であった弟の松平忠昌(結城秀康の次男)が50万石で福井藩主となります。

この忠昌の福井藩相続では越前国の内に四つの藩が新たに設けられ、本多成重(ほんだ なりしげ)は寛永元年(1624年)に丸岡藩4万7000石の大名として新たに取り立てられ、ここに丸岡藩が成立します。

 

  ちなみに本多成重(ほんだ なりしげ)の父は鬼作左(おにさくざ)と称された本多重次(ほんだ しげつぐ)。

三河時代から家康に仕え、主に行政面で活躍し、法にたいして厳格であったためにこのように呼称されました。

天正3年(1575年)の長篠の戦いの際に陣中から妻に宛てた「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」という手紙が日本一短い手紙として有名となりました。

幼名が「お仙」こと仙千代であった嫡子本多成重(なりしげ)が丸岡藩初代藩主という縁で平成5年(1993年)から丸岡町(現坂井市丸岡町)では「日本で1番短い手紙」を募集しています。

 

  丸岡城へは車かバスの利用が便利。

  バスは福井駅前から京福バス丸岡線 「本丸岡」行きで本丸岡下車。

  所要は約35分。運賃大人640円。1時間に3本運行されています。

  本丸岡バス停からお城へは北東へ約500~600mぐらい。

 

  いつもの余湖くんのお城のページからの引用図。

Maruokatyo

 

  現地の丸岡城の概要図。

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  「日本一短い手紙」より名付けられた「一筆啓上茶屋」。

  付近には飲食店は見当たらず(私が見た限りですが)、お城見物の拠点。

  駐車場も広く取られています。

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  訪れたのは桜の季節。

  朝早くの到着でお城も茶屋も閉まってました。

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  建物は歴史民俗資料館。

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  丸岡城天守閣。

  1934年(昭和9年)には国宝(旧法による)に指定。

  しかし、1948年(昭和23年)の福井地震で倒壊。

  1955年には元通りに組みなおし修復。

  その前、1950年に国重文に指定。現在も国重文。

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  天守の石造りのしゃちほこ。

  地震により損壊しています。

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  屋根の瓦も石造り。

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  天守閣最上階の内部。

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  鬼瓦(おにがわら)も石造り。

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  急な階段。

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  本多家第4代目の藩主 本多重益(ほんだ しげます)の時、本人の藩主としての素養や家臣の争いなどで改易(元禄8年(1695年))。

  元禄8年(1695年)越後糸魚川藩から有馬清純(ありま きよすみ)が5万石で入封。

  有馬清純(ありま きよすみ)は、いわゆる肥前有馬氏の系統で、戦国時代には島原半島を領有していたキリシタン大名有馬晴信の曾孫にあたります。

  丸岡藩は本多家が4万3000石で4代、有馬家5万石で8代続き明治維新となります。

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  撮影 2012/04/15

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コメント

越前・若狭は、古代より外国・内国の海運交通の一大拠点ということで、とても興味ある地域の一つです。古代・中世では気にかかる関係者がいっぱいいるんやけど、いまいちマイナーで^^;

戦国・幕末でも、勝家・春嶽は重要人物なんやから、彼らを主人公とした小説はその時代の違った見方を提供できるんやないかと思うけど、見当たらない。
結城秀康も松平忠直も、いくつか作品があるけれども、もっといけるんやないかと思います。総じて、ボラティリティが大きい(不安定な)著名人が多いので面白い。

近年では、「靖国問題」に拍車をかけた松平永芳さんなんかもいて、黄泉の春嶽公はどう思ってはるんやろうと^^
それに、福井―大阪は、なんといっても米と鯖。でも最近は「原発問題」のつながりで、いろいろと考えさせられます。

切支丹灯篭
ええ~、そうなんや。見落としてたわ。面白い。

投稿: tera | 2014年2月 9日 (日) 07時20分

越前・若狭
>そうですね。
江戸時代までの越前と現在の福井とでは随分とイメージが異なっているみたいで。
かなり豊かな地方だったんではないかと。
人物に限らず中世の越前、若狭のことも余り知らないし、イメージが湧いてこないですね。
せいぜい朝倉氏の勃興以後しか知識が無いです。

ああ、松平永芳さんの事は知りませんでした。

切支丹灯篭
>肥前有馬氏もよく生き残りました。丸岡の前は糸魚川藩だったようです。

投稿: mino | 2014年2月 9日 (日) 23時54分

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