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2014年3月 9日 (日)

深溝城跡(ふこうず じょうせき 愛知県幸田町)を訪れる(1) - 深溝松平家(ふこうず まつだいらけ)発祥の地

 

  深溝城(ふこうずじょう)は大場氏(大庭氏とも)により13世紀から14世紀に築城されたとされ(諸説ある)、15世紀から16世紀の初め(諸説あるのでこの書き方)に松平信光または松平忠定がこれを奪い(これも諸説あり)、以後松平家の居城となります。

これが深溝松平家(ふこうずまつだいらけ)で、傍系としての松平家の呼称となりました。

上記の松平信光は宗家の三代目で(徳川家康は九代目)、その七男の忠景のさらに次男が上の松平忠定で、深溝松平家の初代となります。

 

  JR東海道線の三ヶ根駅(さんがねえき)と国道23号線を挟んだ丘陵地帯が深溝城(ふこうずじょう)の城域とされますが、現在では城跡の遺構が全く残っておらず、ただその様子を推し量るのみしかありません。

 

  深溝城からほぼ真西には吉良氏の吉良義昭の居城である東条城があり、松平元康(徳川家康)の三河統一戦では深溝城(ふこうずじょう)は松平方の最前線となり、深溝松平家は元康の家臣として先頭に立ち吉良家と戦っています。

永禄4年(1561年)4月の善明堤の戦い(ぜんみょうつつみのたたかい)では深溝松平家(ふこうずまつだいらけ)二代目の当主である好景自らも戦死するという大惨敗。

しかし、同じ年の9月に元康軍は藤波畷の戦い(ふじなみなわてのたたかい)で吉良家の家老で吉良家を支えていた富永忠元を討ち取ることに成功し、これにより吉良義昭は東条城を明け渡し降伏(Wiki参照改)。

その後の永禄5年(1562年)の三河一向一揆で吉良義昭は一揆と結び再び挙兵、しかし東条城は落城させられ義昭は三河から退去、最後は摂津国芥川で死去したといわれる(Wiki参照改)。

ただし吉良氏自身は兄の義安が家督の相続を認められ、東条吉良家、西条吉良家を再び統一して三河吉良家は徳川家の家臣として存続し、江戸時代の吉良義央(上野介)の時代の元禄赤穂事件で改易されるまで徳川家に仕えました(後に再興)。

 

  深溝松平家(ふこうずまつだいらけ)のその後は次回の記事で簡略に述べます。

一つ述べるとすれば深溝松平家(ふこうず まつだいらけ)の宗家は九州の肥前島原藩6万5000石の藩主として明治を迎えます。

 

  東海道線三ヶ根駅周辺が深溝(ふこうず)城跡。

  城山、丸の内の地名が残る部分は工場用地で、外に深溝(ふこうず)城跡の碑が立てられています。

 

  岐阜から米原発浜松行き特別快速に乗車し出発。

  岡崎で豊橋行き普通に乗り換え三つ目の駅が三ヶ根駅。

  三ヶ根駅の次の次の駅が蒲郡駅という位置です。

Dsc00021

 

  東口の方に出ます。

  東口駅前広場の前は国道23号線。

Dsc00029

 

  駅から国道23号線に出ると左手の方向に歩きます。

  駅前広場からの地下道を国道の向こう側に渡るのがベターです。

Dsc00033

 

  信号のある交差点の深溝中池田交差点の次の道(下の写真)を右に取ります。

Dsc00036

 

  この道を奥に入っていきます。

  突き当たりで右手に湾曲しながら道路は方向を変えます。

Dsc00038

 

  その婉曲部分に「深溝城址 愛知懸」と彫られた碑があります。

Dsc00042

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  (株)三協の工場用地が城跡とされています。

  陣屋時代の深溝陣屋の図が残っているそうですが、城跡としては確かな場所はこのあたりのみ。

  深溝城跡の全容は明らかになっていません。

Dsc00045

 

  Googleマップの三協幸田工場の南の道路が婉曲を描いている部分に深溝城址の碑があります。

  それをさらに行くとこの辻に来ます。

  向こうに三光院があります。

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  三光院門前。

  右に道を取ると幸田町郷土資料館。

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  三光院は深溝松平忠定の夫人が開基とあります。

  もし、機会があれば北西の方向にある長満寺も訪れてみてください。

  長満寺は深溝松平家の前の城主大場氏(大庭氏とも)が開基のお寺で討ち取られた大庭次郎左エ門の墓があるそうです。

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  三光院門前あたりから城山、丸の内方向を。

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  三光院本堂。

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  門内から。

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  門前の三叉路を振り返って。

Dsc00063

 

  幸田町郷土資料館前にやってきました。

  時間が早かったのか、まだ開館前でした。

Dsc00065

 

  郷土資料館前から駅方向。

  駅を挟んで向こう側の高台の白い建物が深溝小学校。

  あのあたりも城跡の一部と言われていますが、確かではありません。

Dsc00094

  撮影 2014/03/08

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