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2014年3月15日 (土)

深溝城跡(ふこうず じょうせき 愛知県幸田町)を訪れる(4) - 深溝松平家(ふこうず まつだいらけ)菩提寺 本光寺(ほんこうじ)(2)

 

  深溝松平家(ふこうず まつだいらけ)の菩提寺である本光寺(ほんこうじ)の西御廟所の続き。

本光寺の開基は初代深溝松平家(ふこうずまつだいらけ)当主の松平忠定。

深溝城主であった深溝松平家は家康の関東移封に伴い一度は関東へ赴きますが5代目当主である松平忠利の代に深溝城主に返り咲き、ここに深溝藩(ふこうずはん)が1万石で成立します(1601年)。

本光寺はこの忠利の頃に整備された可能性がある(「深溝本光寺は墳墓の地なり」より)そうで、後の寛文8年(1668年)子の6代目忠房の代に島原藩6万5000石の藩主として福知山藩から転封すると、島原にも元禄2年(1689年)に菩提寺として同じく瑞雲山本光寺が開基され、歴代の藩主は深溝(ふこうず 現幸田町)の本光寺に埋葬され、島原の本光寺では葬儀が執り行われたということです。

 

  本光寺境内図。

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  西御廟所の第5代松平忠利公の廟所である肖影堂の左隣が11代忠恕(ただひろ)公の廟所。

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  第10代の松平忠祇(まつだいら ただまさ)の時、一度宇都宮藩に転封され、11代忠恕(ただひろ)が宇都宮藩主を継ぎ、安永2年(1773年)再び島原藩に転封。

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  忠恕(ただひろ)公廟。

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  忠恕(ただひろ)公廟のさらに左側には御先祖堂。

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  深溝松平家の初代から四代までの墓所。

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  さらに左側に6代松平忠房の長男松平好房の「孝子廟」。

  好房は21歳で家督を継ぐ事無く早世(1669年)。

  家督は弟の松平忠倫(まつだいら ただみち)が継いだが暗愚として廃嫡され、松平忠雄(まつだいら ただお)が養子に迎えられた。

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  家臣と思われる墓所のある前の一番奥には内山稲荷。

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  山門を上がりきった本光寺境内図のある場所に戻り、そこから右手へ行くと東御廟所があります。

  その入り口手前、左側には手前から俊光院殿(15代忠精公夫人)、向こう側 天妙院殿(13代忠侯公夫人)の墓所。

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  東御廟所への入り口。拝観料が100円。

  1945年の三河地震による土塀の傷みが激しく、参拝料徴収は当然と言えば当然と思います。

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  撮影2014/03/08

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